※pixivにも同一作品を投稿しております。
読んでいた本から顔を上げて、私はひとつ、ため息をついた。
放課後の図書室。
私のため息は、決して退屈とか落胆とかそういったことが理由ではなくて、本のなかの世界から現実世界に戻るための儀式のようなものだった。
その現実世界では、窓から差し込む春の優しい光が、閲覧席の机を斜めに照らしていた。席はすべて空いていて書架のあいだにも誰もいない。
ときどき付き合ってくれるルビィちゃんと善子ちゃんは、今日は用事があると先に帰っていた。
そろそろ図書室を閉める時間だ。
私は本を閉じて、
・
図書室の扉を閉めた私は、職員室に鍵を返してから昇降口へ向かった。
帰ったら――いや、バスのなかで続きを読もう。ちょうどいいところだから――。
歩きながら、私の頬はきっと緩んでいたに違いない。ルビィちゃんにもよく言われるから。面白い本を見つけたときの花丸ちゃんはとても楽しそうだ、と。
廊下の角をまわって、今度は間違いなく、私は頬を緩ませる。
先を行く生徒は腰まであるつややかな黒髪の持ち主だった。
私はその髪とすっと背筋を伸ばした後ろ姿に一瞬、見とれてから、足を速めた。
「ダイヤちゃん」
彼女は私の呼びかけに立ち止まり振り返った。
「花丸ちゃん」
ちょっとびっくりしたような表情は、すぐに優しげな笑顔にかわる。
「……図書委員のお仕事ですか?」
「はい。ダイヤちゃんは生徒会?」
三年生は卒業を控えてもう春休みに入っていた。
「ええ、統合の
「お疲れさまずら」
「ありがとう」
ダイヤさんはそういって会釈した。
図書室の本も、来週には業者さんが来て統合先の学校に運ぶことになっている。だから図書委員の当番も今週で最後だ。今日、彼女に会えてよかった。
廊下にふたりの静かな足音が響いた。
当たり前すぎて、かえって話しにくいことって、あると思う。
隣のダイヤさんは口元にかすかな微笑みを――アルカイックスマイルと呼ぶのだろうか――たたえていて、肌は透き通るように白くて、私はすこしだけ存在する世界が違うんじゃないか、という想像に駆られる。
そう、彼女はちょうど読んでいた小説の姫君のようで――。
昇降口が見えてきて私が口に出そうか悩んでいると、彼女が悩みを解決してくれた。
「一緒に帰りますか?」
「……はい!」
私は大きくうなずいた。
ほんの一瞬、ダイヤさんと離れて私は一年生の下駄箱へ向かう。
昇降口の掲示板には廃校祭の案内が貼られていた。私は首を振って靴に
ダイヤさんと一緒に校舎の外に出る。
運動部ももう部活動を終えたのだろう。校庭に人影はなかった。
年度末テストが終わり、終業式――廃校まであとわずかとあって、どの部活もあまり活動していない。
「ラブライブ!」で優勝した
・
バスまではまだ余裕があって、夕日のなか、私たちはゆっくりと坂を下りた。
学院のまわりのミカン畑は収穫を終えて、いまは緑の葉だけが続いている。それでもふわりと、あのさわやかな香りが感じられる気がした。
ダイヤさんとふたりきりになるのは、ひさしぶりだった。
ダイヤさん。
彼女に話したいことはいっぱいあるのに、なにから話していいのか見当もつかなかった。
視線に気づいた彼女は私を見つめてうなずき、私はまた先を越されてしまう。
「こうして話すのは珍しいですわね」
「うん。そうだね」
なぜかすこし緊張して、ぶっきらぼうになってしまった私の答えに、ダイヤさんはくすっと笑った。
コホンと可愛らしく咳払いしてから、ダイヤさんは続けた。
「……花丸ちゃんには、あらためてお礼をいわなければいけない。そう思っていました」
「お礼?」
心当たりは、なにもなかった。
「はい。あの日、
覚えていますか、とダイヤさん。
もちろん覚えている。私がダイヤさんを呼び出して――Aqoursに加入すると決めた、ルビィちゃんの話を聞いてほしい。そう彼女に話したのだ。
でも、なにかの機会に、ダイヤさんはみんなの前でしっかりと頭を下げていた。ルビィを、私を誘ってくれてありがとう、と。
「花丸ちゃん個人に、いつかきちんとお礼をいいたい。そう考えていたのに、こんなに遅くなってしまいましたわ」
「そんな……マル、なにもしていないずら。マルがいなくても、ダイヤちゃんはルビィちゃんの話を、聞いてくれたと思うから」
そうに違いない。あの日、あの場所でなくても――それこそあの日の晩にでも、機会はあったはずだ。
彼女は正面に向きなおり遠くを眺めた。
「いいえ。私はあのころ、
彼女の右手が髪をかき上げる。
「あなたはそんな私に、ルビィと向き合う機会と勇気をくれました。おかげで、かろうじて私とルビィの関係は維持されたのですわ」
そこまでいってダイヤさんは立ち止まり、私に向かって頭を下げた。
「ありがとう、花丸ちゃん」
そういうことなら、と私は話す。
「……わかったずら、ダイヤちゃん。どういたしまして」
ダイヤさんは私に微笑む。それは私にはもったいないくらいの素敵な笑みだった。
「それでもマルは、ルビィちゃんとダイヤちゃんがAqoursに加わるのは、必然だったと思うけど」
歩みを再開した私は話した。
「それは、そうかもしれませんわ。でも、ずっとずっと、遅くなっていたかもしれません。それこそ、取り返しがつかないほどに」
「んー、そうかなあ」
「ええ。だから今日、花丸ちゃんにお礼をいえて、すっきりいたしました」
ダイヤさんは満足そうに目を細めた。
私はまったく気にしていなかったのに、このあたり、ちゃんとしているダイヤさんらしい。
でも、それなら私だって。
「マルも、ダイヤちゃんにお礼をいいたいずら」
「花丸ちゃんが?」
「はい。マルは、ルビィちゃんに誘ってもらったから……ルビィちゃんがAqoursに入らなかったなら、私も入らなかったから」
ダイヤさんがルビィちゃんに、あの日なにをいったのかはわからないけれど。
「それは……。でも、それなら私ではなくてルビィに話してくださいまし」
「もちろん、ルビィちゃんには伝えたずら。でも、ルビィちゃんがAqoursに入ったのはダイヤちゃんが理由で……ううん、ルビィちゃんがスクールアイドルを好きになったのは、絶対にダイヤちゃんのおかげずら」
「はあ。なんですの、その理由は」
「だからありがとう、ダイヤちゃん!」
「はいはい。どういたしまして」
あきれたような口調だったけれど、でも、ダイヤさんの目は笑っていた。
私たちは歩く。ダイヤさんとの距離がほんのわずか、近くなった気がした。
§
お礼。
私はふわりと思い出した。
「ダイヤちゃん。函館のこと、覚えてる?」
「ええ、もちろん。
「はい。あのライブ、ルビィちゃんと
「聞きましたわ。すっごく緊張したけど、ルビィ、がんばったんだ、と」
ダイヤさんは嬉しそうに、ルビィちゃんの口真似をしてくれた。可愛かった。
「うん。あのときね、ルビィちゃん、とてもしっかりしてて。面接の人の質問にも胸を張って答えていて……マル、ダイヤちゃんのこと、思い出したんだ」
「そうですか……それは……嬉しいですわね」
ダイヤさんは顔をそらしてしまったけれど、頬が赤くなっているのが見えた。
私はずっと思っていたことを口にする。
「マル、予感がするんだ。ルビィちゃん、今年、統合先の学校で……生徒会長に立候補するんじゃないかって」
「せ、生徒会長ですか?」
ダイヤさんは目を見開いて、うわずった声で答えた。そこまで驚かなくてもいいのに。
でも、私の話を聞いたらダイヤさんも納得するに違いなかった。
「うん! 統合先がどんなところなのか、まだよくわからないけれど……きっとルビィちゃんは、浦の星の子がうまくやっていけたらいいなって、思うに違いないよ」
「それは、そうでしょうね」
ダイヤさんはうなずく。
「クラスわけとか、行事とか、仲良くするにはやっぱり生徒会長になるのが一番で……だからルビィちゃん、必ずそうするずら」
「そうでしょうか……」
それは私の本心だった。もちろんそのほかに、きっと彼女が持っているだろう、ダイヤさんへの
戸惑ったようすのダイヤさんに私は続ける。
「もしそうなったら、マルも、
私が微笑むと、ダイヤさんは私の思った通り、笑顔を返してくれた。
「それなら……安心ですわね」
それきりダイヤさんは無言で歩いた。
でも、彼女の頭のなかには、全校生徒の前で話すルビィちゃんがいるに違いなかった。その証拠に、彼女の口元が緩んでいた。
§
そういえば――。
「ダイヤさんは、どうしていまでも生徒会長なのかな? 秋には交代するのかな、と思ったんだけど」
ダイヤさんは一瞬、びっくりしたように目を見開いてから、うなずいた。
「……ええ、任期は本来、去年の秋までですわ。でも、統合の件がありましたから、半年だけ二年生が生徒会長になっても仕方がないと、
「やっぱり、そうだったんだ。本当にお疲れさまです」
「いいえ。統合が避けられなかったことへの……せめてもの
この話題は以前にも出た。私は首を振る。
「そういういい方はよくないずら、ダイヤさん。誰の責任でもないって、みんなで話したよね」
「……ええ、そうでしたわね」
ダイヤさんはふっと力を抜いた。
いったん会話が途切れたあと、ダイヤさんは続けた。
「あの、花丸ちゃん?」
「なにかな、ダイヤさん」
ダイヤさんは目を落として、はにかむように――なにかいいにくそうにしている。私は気づいた。
「あっ。オラ、ついダイヤさんって……ごめんなさい、ダイヤちゃん。気にしているのに」
「いえ、いいのです。ひさしぶりですから、すこしびっくりしただけです」
ダイヤさんはあわてたように手を振って、私は申し訳なくなる。
ダイヤちゃん、ダイヤちゃん。
声に出さずに繰り返した。
「マル、その、決してダイヤちゃんのことを、親しく思ってないわけじゃないずら。むしろその逆、という感じで」
「いいえ、そんな。強制することはできませんから。気にしないでください」
でもやっぱりダイヤさんは、ちょっとだけ傷ついているように見えた。
「あの。マル、心のなかでは、ずっと『ダイヤさん』って呼んでいたずら。でも、それは……」
本来ならダイヤさんに話すようなことではないのだろう。でも、もし話すとしたら、いましかない。ダイヤさんに憧れているのは、ルビィちゃんだけじゃないってことを。
私は深呼吸する。
「マル、Aqoursのみんな、全員大好きで、こういうこというのは、あまりよくないのかもしれないけど……。ダイヤちゃんは、先輩たちのなかでいちばん知り合ってから長くて……」
そう、初めて会ったのはルビィちゃんの家に遊びにいったときで、まるで日本人形のようなその姿に私は胸がときめいて、そのときからずっと――。
「ダイヤさんはずっと、マルの憧れだったずら。だから、マルには、ダイヤさんはダイヤちゃんじゃなくてダイヤさんで……。マル、ルビィちゃんがうらやましかったんだ。素敵なお姉さんがいて」
ああ、私はなにをいっているのだろう。でも、ダイヤさんは無言で聞いてくれた。
私は背中を押されるように、言葉を
「ダイヤさんは、鞠莉ちゃんや
私は一気に話した。きっとダイヤさんを困惑させてしまったに違いなかった。
いつのまにか私たちは立ち止まっていた。
「だから、ごめんなさい。ダイヤちゃん」
私は深く頭を下げる。
「……そうでしたか」
顔を上げると、ダイヤさんは優しく微笑んでいた。
「あの……嬉しいですわ、そういっていただけて。私、どちらでもかまいません。ダイヤさんでも、ダイヤちゃんでも」
私の胸がぽっと温かくなる。
そうはいっても――やっぱりダイヤちゃんのほうがいいと思う。いや、せっかくだからダイヤさんと呼ばせてもらおうか。
私が悩んでいると、ダイヤさんは爆弾を投げてきた。
「
「えっ!」
驚く私に、いたずらっぽく笑うダイヤさん。
「……女学校によっては疑似的な姉妹関係を結ぶことも、あるようですわ」
私も聞いたことがある。上級生が下級生を指導したり、相談に乗ったりするらしい。
呼んでみたい。ルビィちゃんに悪いな、と思う。でも――。
「一度だけ、呼んでもいいかなあ」
「ええ」
そして、いま思いついたというようにダイヤさんは付け加える。
「花丸ちゃんは……こう呼んでほしい、というのはありますか?」
胸がどきどきして、口をぱくぱくさせているとダイヤさんは続けた。
「花丸さん、がよろしいですか?」
私は恥ずかしさに――いや、違う。なんだろう。とにかく耐えきれなくなって目をそらす。
うん。でも。そういうことなら――。
「マルは、一度だけでいいから……呼び捨てで呼んでほしいかな」
ルビィちゃんのように。
ダイヤさんのほうを見ることはできなかったけれど、くすっと笑う気配がした。
「わかりました」
ダイヤさんは可愛らしく咳払いした。
「花丸ちゃんからどうぞ」
私は思い切って、ダイヤさんをまっすぐに見つめる。視線が合う。
「……お、お姉ちゃん。マル、一緒にAqoursで歌えて、幸せだった」
「花丸。Aqoursに入ってくれて、ありがとう」
ダイヤさんはあのしっかりした声で、全校生徒に通る声で、私に向けて、私だけに向けて、そういってくれた。
ダイヤさんの頬はほんのりと赤くなっていて、きっと私は真っ赤になっていたに違いなかった。
私が先に目をそらした。
そして私たちは、どちらからともなく、くすくすと笑い出した。
「まったく、私たち、なにをしているのでしょうね」
「本当ずら」
でも、私にとっては、本当に幸せな時間だった。
§
坂が終わりに近づくと道路端の果樹が途切れる。
「きれいですわね」
ダイヤさんがつぶやいた。ガードレールの向こうに、なかばシルエットになった淡島と、夕日をきらきらと反射する
なんども見た景色。もう、あとわずかしか、見られない景色。
しばらく立ち止まって、私たちはその輝きを見つめた。
バス停につくと、沼津行きのバスはほどなくしてやってきた。
最後尾の座席は
私は本を取り出そうとして、
窓際に座っているダイヤさん。席は狭く、彼女の体温が感じられて、なぜか私はすこしどきまぎした。
彼女ともうすこし一緒にいたかった。
バスは海を左手に見ながら走る。とうとう太陽は姿を消して、残照の淡い光を背景に、ダイヤさんの顔が白く浮き上がって見えた。
私の視線に気づいて、不思議そうに彼女はいった。
「どうかしましたか?」
本当のことはいえなかった。長いまつ毛に見とれていた、なんて。
だから私はさっきのことを思い出して――かちりと頭のなかでなにかがつながった。
「ダイヤちゃん、まるでお姫様みたいだなって」
「な、なんですか、突然」
「ごめんなさい。
そう。白と青の上品な衣装が、いま読んでいる本の登場人物を連想させたのだ。
「本当に突然ですわね。……でも、ありがとうございます。衣装を作ってくれた曜ちゃんたちに感謝ですわ」
ダイヤさんはうなずいて、私へにこりと笑った。
「花丸ちゃんも可愛かったですわよ。可憐、という形容そのままで」
「えへへ。
私はまっすぐな
「そんなこと、いわないでください。花丸ちゃんは素敵ですわ」
「ありがとう、ダイヤちゃん」
嬉しかった。私は目を伏せたままつぶやくように答えた。ダイヤさんはコホンと咳払いして続ける。
「お姫様というには、すこしスカートの丈が短かったようですが」
私は顔を上げる。
「うん、そうだね。マルも、その、外側のスカートを外したらあんなに短いなんて、思わなかったなあ」
「去年の夏からずいぶん慣れましたが……それでもやはり、落ち着かないですわね」
「激しく同意、ずら」
私たちはうなずきあった。
県道へ出る交差点をバスがゆっくりと曲がり、私は遠心力に負けないように体を支える。ダイヤさんとの距離が近づいて、ふわりと春を思わせる香りがした。
ダイヤさんが降りるところまで、あとふたつ。私はさらにふたつ先だ。
みんながいれば同じバス停で降りて、わいわいおしゃべりしながら歩いていく、という日もあるけれど、今日はそうはいかないだろう。
今日一日で、ダイヤさんとの距離が近づいた気がする。どうしてもっと早く話さなかったのだろう、と思う。でも、いまでなければ今日のような会話はできなかったのかもしれない。
とにかく、もうすこし彼女と話していたかった。
一緒に降りたら不自然だろうか。
「花丸ちゃん」
「なあに、ダイヤちゃん」
「おなかが
急に意識がそちらに向いた。私のおなかが、きゅーっと鳴った。
顔を赤らめる私に、ダイヤさんは気づかないふりをしてくれた。
「なにか食べて帰りましょうか。
ダイヤさんが誘ってくれるなんて。
もちろん私はうなずいた。
§
松月は私の家のすぐ近くだ。
もしかしたらAqoursの誰かがいるんじゃないか。そう思ったけれど幸い――今日に限っては幸いだ――そんなことはなかった。
おごりますわ、というダイヤさんの言葉を私はありがたく受けることにした。
ダイヤさんは半熟プリンと抹茶を、私はみかんどら焼きとコーヒーを頼んだ。
席について、すこし食べて、ほっと
「あの日、千歌ちゃんの質問に……花丸ちゃんはどう答えたのですか?」
ダイヤさんがさりげない口調で聞いた。あの日、というのは、あの衣装を着たラブライブ本選の――前日のことだろう。
「マルは……」
思い出す。忘れもしない。外の世界に出て、Aqoursに加わって、みんなと一緒ならいろんなことができるとわかった。だから結果を出したかった。
私の話をダイヤさんはうなずきながら聞いた。
「ダイヤちゃんは、なんて答えたの?」
「私は……」
ダイヤさんは口ごもった。でも、それは一瞬だった。
「浦の星のみなさんの想いに応えるために勝ちたいと、申し上げましたわ」
ダイヤさんらしい答えだった。私はうなずいた。それきりかなと思ったとき、彼女は続けた。
「……それに、Aqoursの黒澤ダイヤとして歌いたい、とも」
Aqoursのひとりとして。
それはスクールアイドルに憧れたダイヤさんの、本当の気持ちに違いなかった。最後に、最高の舞台で、生徒会長ではなくてスクールアイドルとして、ダイヤさんは歌ったのだ。
やっぱり、ダイヤさんらしかった。
ダイヤさんは顔を隠すように茶碗に両手をそえて抹茶を飲んだ。
最後の舞台。私の思いは自然にこの先のことに流れて行く。
「ダイヤちゃんは、来月から東京だよね」
私は確認するように話した。
「はい」
うなずく彼女。寂しくなる。でもそんな当たり前のことはいわずに私は聞いた。
「ダイヤちゃんはスクールアイドルじゃなくなっちゃう」
「はい」
もう一度、彼女はうなずく。
「それでも、歌は、続けるのかな」
「それは、わかりませんわ」
あっさりとダイヤさんはいった。すこしもったいない気がした。
ダイヤさんは私のいいたいことに気づいたのだろう。
「もちろん、機会があれば歌いたいと思います。でも、仮にやめたとしても、この一年間……いえ、三年間がなくなるわけではありませんから」
ダイヤさんはすこし考えて、続けた。
「そうですわね……。たとえば高校野球で甲子園に行ったすべての人が、野球を続けるとは限りませんわ。プロに行く人もいれば、趣味で続ける人もいる。それでいいと思うのです」
そんなものだろうか。
「花丸ちゃんは、来年もスクールアイドルを続けますか?」
今度はダイヤさんが聞いた。私に迷いはなかった。
「うん。そのつもり。ルビィちゃんも善子ちゃんもいるし」
「それでは二年後は? 大学で学びたいことは、ありますか?」
今度は即答できなかった。文学を学びたい気持ちもある。なにより私なんかが歌と踊りで活躍し続けるなんて、想像もできなかった。
「花丸ちゃんも、ラブライブで優勝したのですよ」
ダイヤさんはそう話して私はなにもいえなくなった。
くすっと笑って彼女は続ける。
「私、東京に遊びにいくわけではありませんのよ。黒澤ダイヤ、いつか大きなことをしてみせますわ」
それは絶対に間違いなかった。やはりダイヤさんは私の憧れの人だった。
・
「ごちそうさまでした」
「どういたしまして。可愛い妹に、たまには美味しいものを食べてもらうのも、姉の役目ですわ」
ダイヤさんはウインクした。
すっかり日は落ちて、街灯と、周囲の建物の明かりが県道を照らしていた。
私たちはダイヤさんの家のほうにゆっくりと歩いた。
コンビニの前を通る。白い人工的な光に照らされながら、ダイヤさんはぽつりと話した。
「私たちはきっと、なにかを成し
私は無言でうなずいた。
千歌ちゃんの家の前の砂浜を通る。
誰もいない砂浜。私は思わず県道からの階段を降りる。ダイヤさんもついてきてくれた。
いろいろなことが、ここであった。波打ち際でみんなで泣いたり、千歌ちゃんがバク転を決めたり――。
くるっと振り返るとダイヤさんと目があい、彼女はうなずいた。
ずっとダイヤさんがいてくれた。見守ってくれていた。
ダイヤさんはルビィちゃんと私だけのお姉ちゃんじゃなくて、みんなのお姉ちゃんだったのかもしれない。
そのダイヤさんと一緒にいられるのも、あと二週間足らずだ。
急に胸が締め付けられた。堰を切るように言葉があふれた。
「ダイヤちゃん。マル、やっぱり寂しいずら」
「寂しいのは、私も同じですわ、花丸ちゃん」
「うん、そうだよね、ごめんなさい」
ダイヤさんに話しても仕方がなかった。残ってくれなんていえない。
目を落とした私の手を、そっと彼女の両手が包んだ。
はっと顔を上げると、思いのほか近くにダイヤさんの顔があった。緑色の瞳が――ルビィちゃんと同じ瞳がきらきらと瞬いて、私はなんてきれいなんだろうと思う。
「東京なんてすぐ近くですから、いつでも戻ってきますわ」
「そうだよね。……マルも、遊びにいくから。ルビィちゃんと、善子ちゃんと一緒に」
「ええ、そうしてください」
「ダイヤさん、東京でも、がんばってね」
目に熱いものがこみあげて、私は目を伏せる。
私の耳元でちいさな声が聞こえた。
「元気をお出しなさい、花丸。いつでも、あなたのことを思っていますわ」
私のこめかみのあたりに、彼女の左手が添えられたかと思うと、ふわりと柔らかいものが額の中央にふれた。
はっと顔を上げると、ダイヤさんが優しく微笑んでいた。
「次の学校でも、ルビィをよろしくお願いします」
私がなにもいえずにうなずくと、ダイヤさんは笑みを深くして、くるっと私に背を向けて歩き出した。
その一瞬は、幻のようだったけれど、私の額にはずっと温かさが残っていた。
・
すでに営業時間が終わった水族館の前で、ダイヤさんは話した。
「ここまででいいですわ、花丸ちゃん。これ以上だと、遠くなりすぎます」
ちょうど私とダイヤさんの家の、中間のあたりまで歩いてきていた。
「うん。ダイヤちゃん、今日はありがとう。気を付けて」
「どういたしまして。花丸ちゃんも気を付けてくださいね」
「はい」
私は笑顔を見せた。
「では、
ダイヤさんは深く頭下げてから、手を振って、トンネルではなく旧道のほうへ歩いていった。
そう、明日はまだ会える。まだ何日もある。
遅くなったかもしれないけれど、でも話ができてよかった。これからの数日が楽しみだった。
そして、今度ふたりきりになったら、また「ダイヤさん」と呼んでみよう。そうしたらダイヤさんは私を――。
思い出した私は笑顔になる。
ささやかな秘密ができて、私は嬉しかった。