虚無の落とし子   作:テルヒト

3 / 8
第2回 依頼

 そもそもの始まりは昨日、あの男がぼくの事務所にやってきたことだった。

 

 ぼくの事務所兼自宅は、フリエ市サウスローズ地区四番街十二丁目にある。

 巨大都市フリエ。総人口三百万を超える、世界でも指折りの都市である。最古の迷宮、フリエ大迷宮を有するこの街は、世界中から集まる冒険者たちの手によって発達してきた。

 

 ぼくが住む集合住宅(アパート)は、どちらかと言えば市の郊外にある。

 街の中心部ではなく、かといって離れすぎているわけでもない。落ち着いた区画で、うちと同じようなアパートや、戸建ての家が建ち並ぶ住宅街だ。

 大抵は木造で三階建てが多く、ハーフティンバーや石造りの建物もちらほら見かける。雑貨屋と飲食店が近くに数軒。アパート前の道路は、馬車二台がどうにかすれ違うことのできる広さだ。

 開いた窓からは、うららかな春の風が吹き込んでいた。教会の鐘が午後の三時を知らせていた。

 

 このとき事務所にいたのは、ぼくを含めて五人だった。

 ぼくが借りているのはアパート三階の一室だ。事務所と言っても、あまり大きな部屋ではない。オーク材の机が一つと椅子が数脚、キャビネットが一つ、数人が座ってくつろげるソファーが一つ。事務所の奥は寝室で、ゆったりとしたベッド、腰高の衣装棚、つくりつけの本棚、古ぼけた黒いぬいぐるみがそれぞれ一つずつ。

 

 ぼくとレコは、事務所の机で新聞のクロスワードパズルをしていた。二人のうちどちらかが問題文を読み、相手が答えてペンで書き込み、分からない問題があれば一緒に考える、といったことをしていた。

 

 朝に太陽が昇ることをなんという? ――日の出。人気がある店の前にできるものは? 行列。傷を治す薬草は? エルクリーフ。チェスをするのに最も必要なものは? ルール。帰還の水晶球の別名はなんの糸? ――アリアドネ。

 

 そんなことをランチを食べてから二時間くらいやっていた。レコとはほとんど毎日、昼を一緒にとる。その後は夕方になって、レコが家に帰るまでなにかやって過ごす。

 で、昨日はパイオニア紙のクロスワードパズルをしていた。この新聞のパズルはカギの数が多いことで有名だ。辞書を引いて、二人で相談して、後から事務所に来た子たちと雑談しながら問題を解いていった。

 

 クロスワードには枠が二重になったマスがいくつかあり、文字を並べ替えると単語になる。それがパズルの答えだ。二重マスはすぐに埋めることができた。完成した単語はハンカチ――手を拭いたり、汗をぬぐったり、落として遊んだり、あるいは、男性が女性と約束をするときに渡すもの。

 

 ぼくは伸びをして席を離れた。クロスワードパズルの完成とはやっぱり、全てのマスを埋めることだと思う。ほとんどのカギは苦もなく解くことができた。しかし、いくつかのカギはかなり難しく、試行錯誤を繰り返す必要があった。ひねりを加えた問題や、マニアックな知識を問われるようなものが多かった。出題者は全て解かせる気がないのではないか。そんな感じのする問題だった。

 ぼくの動作がうつったのか、レコも後ろで大きく伸びをしていた。

 

 事務所の床に向かい合って座り込んでいるのは、インプの双子の姉妹ミグとメグだ。

 お尻をぺたんと板張りの床につけ、両足の間にジグソーパズルのピースを広げていた。彼女たちが着ているのは、古代文明で体操服と呼ばれていたものだ。半袖のトレーニングシャツとブルマ(ぼくには厚手のショーツとしか思えない)。

 鏡に映したようにそっくりな二人は時々、ウェヒヒとかアーハーとか、変な笑い声を発しながらパズルのピースをいじくり回していた。コウモリのような小さな羽と(かぎ)のある尻尾が、彼女たちのテンションに合わせてぱたぱたと動いていた。

 

 しばらく見ていると奇妙なことに気づいた。彼女たちが遊んでいるのはラジーブ(注/英雄画で知られる大衆画家)のパズルだ。組み立てると絵が完成する。当たり前だけど。

 しかし、彼女たちはなんだか変な遊び方をしていた。そのまま眺めていると二人は同時にぼくを見上げ、にかっと歯を見せて笑った。

 

「マスターのえっち。あたしの足なんかじーっと見つめちゃって」

 

 深紫色の髪を、頭の高い位置で二つに結んでいるのは姉のミグだ。

 

「すけべなマスター。あたしの足にそんなに興味があるの?」

 

 妹のメグは髪を三つに結んでいる。ミグと同じ場所と、頭のてっぺんだ。パイナップルの葉みたいな髪型をしている。

 

「どちらかというときみたちの足の間にあるものかな。ぼくが興味あるのは」

「ウェヒヒ」ミグとメグは顔を見合わせ、同時に笑った。

 

「マスターが変態だ」ミグが言った。

「あたしたちの足の間にはなにもないよ」メグが言った。

「男の子たちの足の間にあるものはないよ」

「女の子たちの足の間にあるものはあるけど」

「それはそうだろう。違うよ。ぼくが言ったのはそっちのことなんだけど」

 

「そっち」ぼくが示したものを二人が見た。「そっちってこれ?」

 

 ぼくが聞いたのは、彼女たちが遊んでいるパズルのことだった。最初に思ったのは、ずいぶん大きなパズルに挑んでいるんだな、ということだった。だが、そうではないようだった。

 彼女たちは全然違う絵柄のピースを並べて、合う凹凸がないかくるくると回し、近い形のものを無理矢理つなげようとしたり、ただ上に重ねるだけで喜んだりしていた。彼女たちのそばに、パズルが入っていた麻袋が三枚打ち捨てられている。

 どうやら彼女たちは、三個のパズルを混ぜて同時に相手しているらしい。そして絵を組み立てる気はないらしい。不思議に思ったので聞いてみた。

 

「だって英雄のパズルだから」

「英雄のパズルだから?」

 

「一緒にした方が強くなるでしょ?」さも当たり前のことであるようにミグが言った。

「三人いれば三倍強い」メグが言った。

「百人力だし」

「三人なのに百倍強いのだ」

「それにお得だし」

「お得?」

「一度で三個分楽しめるのがお得」

「そうか。がんばって」

「がんばるー」

 

 なぜか頭が痛くなってきたので話を切り上げた。

 ミグとメグは自由で気ままなインプ(悪魔)でぼくの友人だ。彼女たちは、気が向いたときにふらりとやって来て(やあマスター、遊びに来たよ)、遊び飽きたら勝手に帰って行く(じゃあまたね、マスター)。

 ぼくは彼女たちのマスターでもなんでもないのだが。

 

 窓辺にはユクノーがいた。黒のセーラー服と黒の長い髪。背筋とミニスカートをはいた足を伸ばした姿勢で床に座っていた。事務所のほかの人たちはパズルに熱中していたが、彼女は興味がないようだった。

 ぽかぽかした日光が当たる場所を選んで座り、頭の上に咲いた花の角度を太陽の動きに合わせて調節していた。

 別に冗談で花を頭に置いているわけではない。マンドラゴラの彼女にとってそれは()()()()()のものだ。頭頂部から二枚の葉を持つ茎が一本生えていて、その先に黄色い陽気な花が咲いている。ちなみに引っ張ると叫び声が出る。

 

 ユクノーの隣に座り、しばらくの間、なにをするでもなくただぼんやりとしていた。

 素晴らしい春の午後だった。厳しい冬の寒さも遠く離れ、夏もまだまだ先といった、穏やかで過ごしやすい最高の日和だった。春の風がユクノーの髪を優しくなでていた。

 

 窓の外を見た。ちょうど彼女が戻ってきたところだった。若草色の髪をツインテールにした少女がこちらへ飛んできていた。ブレザーと半袖のシャツを着ている。

 アズランカ・ハーピーだ。彼女は()を大きく動かしながら、向かいの建物を飛び越してきた。窓の手前で減速して室内に入る。部屋に入った彼女は空中に浮いたまま床に足をつけず、その場でホバリングした。

 

「おかえり」ぼくとユクノーが言うと、それに気づいた三人も「アズ、おかえり」と言った。アズランカは口を開く代わりに――口はふさがっていたので――翼を広げて答えた。

 

 ハーピーである彼女の腕に手はない。上腕から先は雀色の羽になっている。

 ぼくが彼女の靴を脱がすと(ニーソックスの上でひらひらしているスカートのほうは見ずに)、ミグとメグがそれを(かす)め取り、ウェヒーとかアハーとか言いながら玄関――靴を置くスペースがあるだけの――に持って行き、ユクノーは、アズランカが口でくわえている紐付きの袋を受け取った。袋を開きながら、机に伏せているレコのほうに持って行く。

 パンのいい匂いが部屋に広がった。レコは組んだ腕にあごを乗せた姿勢のまま片手を出してパンを受け取り、小さくあくびをした。

 

「あれ、まだやってた」アズランカが言った。

「んーん」レコが言った。「さっき終わったとこ」

 

「よくやるよね。お昼食べてからだから、二時間くらい?」

「それくらいかな」

「で、全部埋めたんだ?」

「だって気になるから。でも、最後のほう全然分からなくて。特に太古の神様ってカギからできた名前が合ってるのかどうかとか」

「なんて名前?」

 

「えっと、なんだったっけ」レコは視線を落として新聞を見た。

「ウンクルンクル」ぼくは言った。

「そう、それ」

「ウン……なに?」アズランカが聞き返した。

「ウンクルンクル」レコが言った。

「だからなにそれ?」

 

「神様の名前。遠い昔の文明で信仰されていたらしいよ。世界を創造した最高神」

「そんな変なの本当にいたの?」

「さあ。わたしは知らない。遠い昔に忘れられた神様じゃないかな。問題文で示されているヒントは一行だけだし。でも、ほかのカギを解いてできた名前だから、たぶん正しいと思うんだけど」

「たぶん?」

「神様や創造主の名前ってありふれてるから。このマスまわりのカギが合っていれば、これで正しいはず。自信はないけど」

 

「わたしたちはみんな自分自身の神を探している。そんなものだよね」ユクノーがぼくの隣に座った。ミグとメグの二人は、受け取ったパンにかじりつきながらパズル遊びを再開していた。

 マスター、とユクノーが言った。

 

「ん?」

「くち」

 

 彼女はあーんと言いながら、パンをこちらに差し出していた。そして、食べる? と言った。ぼくが返事をするより先に、間に割り込んできたのはアズランカだ。

 

「クー、それはないんじゃない?」

「どうして?」

 

「どうしてって、それはその、あれよ。なんかずるいじゃない。勝手に手渡しして食べさせようとするなんて。

 どうせなら、カイトにはわたしが食べさせてあげたいって言うか、いや、わたしに手はないんだけど。わたしなに言ってるんだろ」アズランカはしどろもどろに言った。「それに、そうだ、それを買ってきたのはわたしなの」

 

「それで?」

「だから、その権利はむしろ、わたしにあるんじゃないかしら」アズランカは、ぼくのすぐ前に座り、口を開けてみせた。

 

「あなたがマスターに食べさせてもらうの?」

「そう。悪い?」アズランカは言った。「なに? カイト、いやなの?」

 

 さて問題だ。迷宮の(ことわり)を離れ、人間の姿を得たモンスターのことを()()()と言う。彼らを使役するのが魔物使い(リンカー)だ。そして、リンカーと主従契約を結んだはぐれは()()と呼ばれる。

 リンカーに仕えるべき従魔が、(あるじ)に奉仕を要求する行為のことをなんというか? ぼくは、自分がその行為をすることについてどう思うのか?

 

 別に気にすることじゃない。

 

「いいよ、アズ」

 

 袋からパンを取り出すと、アズランカは「よろしい」と言って頷き、嬉しそうに笑い、ぼくの手に口を寄せてきた。

 彼女はレコの幼なじみだ。レコと同じ十三歳で、誕生日も近い。十三歳と半年(アズランカは地上生まれの、いわゆる二世代目のはぐれというやつだ)。彼女のほうが二週間だけレコよりお姉さんである。

 彼女がパンを食べ終えた。胸元に落ちたパンくずを片付けるのは、さすがに遠慮したほうがいいだろう。

 

 彼女はぼくの従魔ではない。さらに言えば、ぼくと契約しているはぐれなんて一人もいない。ぼくはリンカーではないからだ。

 モラリア(注/フリエ市のモンスターギルド。多数のリンカーとはぐれが在籍する)の末席に、()()()リンカーとして所属してはいる。しかし、魔物使いのスキルは先天性のものだから、見習いというクラスは、そもそもあり得ない。

 ぼくがモラリアにいられるのはレコの父――ある意味では、ぼくの父親でもある――ハワード・フラムルのおかげだった。世界最高レベルの、超一流のリンカーだった。

 

 ハワードに引き取られたとき、ぼくは十一歳だった。思えば、あれから六年も経っているのだ。

 フリエから離れた田舎の村の家に拾われたのが(たぶん)六歳のときで、放り出されたのが十歳のとき。その一年後の春から四年と少しフラムル家に住み、今の事務所に越してきたのが一年半前だ。それ以来、ギルドから雑用の仕事をもらったり、近所でアルバイトをしたり、迷宮五層以下の低層でリンカーのまねごとをしたりしながら暮らしている。

 

 昨日は引き受けている仕事はなかった。しなければならないことも特になかった。ただのんびりした、特に珍しくもない、怠惰で無為な時間を過ごしていた。

 そうした日もそれなりに楽しくはあったけど。

 かわいい女の子たちに囲まれ、子犬のじゃれ合いみたいな会話をする。悪い気はもちろんしないし、昨日のような一日は、昔話でよく聞くような、遠い遠い時代の学生たちが、学校帰りに友だちの家に集まって遊んだという故事を想起させるような、甘酸っぱい楽しさを秘めていた。

 

 だから、タメルラン・ルフィンがやってこなければ、昨日はいつものようになっていただろう。

 ぼくは自分の部屋に彼女たちを泊めたことはない。日が暮れる前に、彼女たちを自分の家やはぐれのための宿舎へ帰し、一人でベッドに入り、そして、前日と同じような今日を迎えていただろう。

 そういう毎日を、ぼくがどれくらい続けていけるかは分からないにしても。

 

 窓の外から聞こえてきたのは罵声(ばせい)だった。穏やかな週末の午後の空気を突き破るような、するどい声が閑静な住宅街に響いた。アパートの正面前に、二頭引きの豪華な箱馬車が止まっていた。

 

「なんだろ?」

「なにかな?」

 

 ミグとメグが窓辺に駆け寄ってきた。こういうとき二人の行動は素早い。ぼくを押しのけるようにして外をのぞき込んだ。声は箱馬車の中からで、馬車に乗った紳士が御者を怒鳴りつけているようだった。

 わざわざ身を乗り出さなくても、紳士の不満のもとはよく聞こえてきた。馬車の止まるとき、客席が揺れたことがその原因らしかった。御者がびくびくしながら、それほど揺らしていないはずですと抗議すると、紳士はさらなる大声でわめき立てた。そして客席の扉を開け、黒のシルクハットを被り、肩をいからせながら地面に降り立った。

 男がこちらを見上げた。むっつりと不機嫌な様子でステッキをついて歩き、アパートの階段を登ってきた。

 

「こっち来た」ミグが言った。

「仕事の依頼かな?」メグが言った。

「いやいや、まさか。こんなちっぽけな事務所に来る人には見えないよ」

「たしかに」

 

「言ってくれるね、きみたち」ぼくは言った。

「カイトの知り合い?」アズランカが言った。

 

「いいや、知らない」見たことのない男だった。自分でも違うだろうと思いながら言った。「ほかの部屋に用があるのかもしれない」

 

 もちろん、男が来たのはこの事務所だった。扉がノックされた。

 ぼくは立ち上がって部屋を横切り、ドアを開けた。紳士はぶしつけに言った。「カイト・リンカー・ミリスというのはきみかね?」

 

 男は四十代半ばくらい、すらりとしたやせ形で、黒のフロックコートを着て、縦縞のコールズボンを穿()いていた。身なりのいい男だった。仕立てのいい革靴――たぶんリーフェかグラヴァス――を履いていた。

「わたしがそうです」と答えると、彼は帽子を右手で少し持ち上げた。右になでつけた豊かな(とび)色の髪。中指に大きな青い宝石の指輪。顔色は白く、ひげはきれいに剃ってある。目だけが冷たく光っており、男の顔はどこか仮面を思わせた。彼は言った。

 

「ミリス君、きみに頼みたい仕事があるのだが」彼は部屋の中を見て顔をしかめた。

 

 ぼくの事務所を訪れた客は、だいたい同じような反応をする。ぼくをリンカーと思っている客の場合は特にそうだ。

 リンカーはみな一流の冒険者ばかりである。迷宮で得た富をつかい、馬鹿でかい邸宅に住んでいるのが普通だ。別にスラム街の一室というわけではないけれど、リンカーの事務所として思い浮かべる部屋ではないだろう。

 部屋は狭くちっぽけで、調度品も冴えず、その上、十代の学生のたまり場のようでもある(実際その通りだ)。

 

 男はそのまま帰ってもおかしくなかった。腕のいいリンカーを探しているなら、ぼくのような人間に用はないはずだから。

 しかし、彼はそうしなかった。彼は事務所を眺め、レコの耳と尻尾を見て、アズランカの羽、ミグとメグの尻尾、ユクノーの花へと視線を動かした。そして紳士らしくない顔になった。いかにも嫌なものを見たという表情をした。

 彼は言った。「別の場所で話したい。いいかね?」

 

「いいですよ」

 

 男はその場で回り、ステッキをついて階段を下りた。

 ぼくはみんなの顔を見た。ミグとメグの二人の目は好奇心でらんらんと輝いている。アズランカの目は警戒心でつり上がっている。ユクノーは窓辺で花の角度を調節している。

 彼女はさっきの男には、もう興味がないようだった。日当たり以上に気にすることがこの世にある? といった感じだった。

 そばに控えていたレコに合図して外に出た。階段を下りるぼくの後ろにレコが続いた。

 

 紳士は馬車の横に立っていて、レコを見ると言った。「きみだけと話をするわけにはいかないかね」

 

 ぼくは言った。「彼女はわたしのパートナーです。わたしはいつも彼女と仕事をしています。二人一緒でなければ、どんな話も聞くつもりはありません」

 

 彼は不承不承といった感じで頷いた。「まあ、よかろう」馬車のほうを示した。

「乗りたまえ。リンカーというのは、はぐれどもがいなければなにもできないクラスらしいからな。わたしがリンカーなのではない、彼らがわたしをリンカーにするのだ。

 たしか、そんな言葉もあったね」

 

 

 

 馬車の内側も外側と同じく見事なものだった。

 客席は白のベルベット張りで、二人用の座席が向かい合わせになった四人乗りだった。内装には趣味が悪くならない程度に(きん)が散りばめられ、まるで王家の公用車のようだった。

 ぼくはレコと並んで、男の向かいに座った。彼が御者に合図をすると、馬車はゆっくり進み始めた。後ろ向きに街の景色が流れていく。フレアのついたカーテンの隙間から太陽の光が差し込んでいた。

 

「手短に話そう。短い人生は時間の消費によっていっそう短くなる。太古の文学者、サミュエル・ジョンソンは言った。まさしく真理だと思わないかね、ミリス君」男はそう言って、名を名乗った。

 

 タメルラン・ルフィン。

 その名前はぼくも知っていた。新聞でよく見る名前だったからだ。

 大富豪タメルラン。ルフィン商会の頭取。いくつもの宝石鉱山を所有し、多数の宝石店を経営する。宝石のコレクターでもある。聖都ケントロン出身。爵位こそないものの、王家にも強い影響力を持っている。迷宮探索に熱心で、有望な冒険者に資金援助をしていることでも著名。フリエ市でも屈指の有力者だ。現在は市から少し離れた湖のほとりに建つ別荘で暮らしている。

 

「迷宮の冒険」彼は言った。「それは我々人間の崇高な挑戦だよ。わたしが冒険者の支援をしていることは知っているかな」

 

「はい」

 

「未知への挑戦、自分の限界への挑戦、誰も見たことのない階層への到達。それは人間だけに許された特権だよ。我々の勇気と知恵が試される試練だ。ユーリス・エルデが指摘するとおり、人間という存在(クラス)を高める旅に、わたしたちは出なければならない。違うかね、ミリス君」

 

 この男はなにを言いたいのだろう? 「そうですね」

 

「エルデは言う。

 迷宮の冒険は、わたしたちが人間として成長する唯一の方法である。我々は迷宮を探索するために、クラスを持って生まれるのだ。ダンジョンに潜り、世界の神秘に触れ、自らの可能性を探れ。迷宮での経験なくして、我々の人間的成長はあり得ない。人は迷宮に潜って初めて、一人前の人間になれるのである。

 素晴らしい発言だとは思わないかね。エルデの到達階層は六十五層。迷宮の深層にたどり着いた者にしか言えない、重みのある言葉だ。

 有名な言葉だから、きみも当然知っているんじゃないかな。しかし、彼は迷宮の冒険について、それ以上に重要なことを指摘している」

 

「どんなことを?」

 

「ドラゴンは殺すことができるということだ。わたしたちはそれを迷宮で実地に学ぶ。我々は化け物と戦い、敵を倒す。それこそ、我々がほかの生き物と違う点だ。

 そう、全ての人間は怪物を倒す力を持っているのだよ。こう言ったのはエルデではなく、道化者ウェイイーだがね。彼は五十歳で迷宮十層にようやく到達したという。つまり、彼はそれまで、本当の意味で成熟した大人になってはいなかったわけだが。

 それでも、彼の意見にはわたしも同意する。人はただ生まれるだけでは駄目なのだよ。自らのクラスの力を証明できなければ、本当の人間とは言えない」

 

「そうですね」

 

「迷宮を冒険したことのない人間ほど、信用できない者はいない。迷宮を神から与えられた試練とみるか、求道修行の場とみるか、論争はあるが。まあ、本質的な違いではないね。どんな立場でも結論は同じだから。

 迷宮からの帰還は新たなる誕生だ。迷宮の経験によって、我々は真の人間になることができる。それができない者は」彼は言葉を切った。「半端(はんぱ)者なのだよ」

 

「それで、わたしに話とは? ルフィンさん」

 

「まさにその点なのだよ、ミリス君。頼みたい仕事というのは」彼は言った。

「世界には迷宮に行ったこともないのに、まるで本当の人間であるかのように生活する者たちがいるだろう? 彼らはダンジョン六層以上へ進むことはない。当然だがね。

 我々は迷宮で人間として進化する。マナの流れに身を投じる。泳ぎ方を学ぶようにして、マナの扱い方を知る。我々はマナの流れの中で人としての未熟な部分を捨て去り、より純粋な人間になる。

 一方彼らは――」タメルランは、レコの耳を意味ありげに見た。

 

 それは、はぐれにしばしば送られるタイプの、いわれのない視線だった。あまりいい気分はしなかった。ぼくは彼の言葉を(さえぎ)り、はぐれもリンカーがいればダンジョンに行けることを指摘した。

 

「もちろんそうだ。迷宮十層に到達した者は、一人前の人間として扱われる。その正体を問わず、誰であれ、一人の人間として尊重されなければならない」

 

 たぶん彼としては、モンスターギルドの一員であるぼくとレコに配慮したつもりなのだろう。彼の口調は、世間的なルールがそうだから、仕方なく認めてやろうといった感じだった。男は続けて言った。

 

「だが、むしろ喜ばしいことなのではないだろうか」

「なにがです?」

 

「仕えるリンカーを持たないはぐれが、迷宮に出入りできないというのは。はぐれは迷宮の(ことわり)を外れた者だ。リンカーがいなければ自分自身を制御できない。彼らの理性の皮はマナに剥ぎ取られ、醜い本性をさらけ出してしまう。

 ダンジョンの冒険は普通の人間にとっては成長する機会だが、彼らにとっては害にしかならない。先に進めるのはリンカーに選ばれた優秀なはぐれだけ――生まれつき強い力や、特別な能力を持つはぐれだけだ。

 そうだ、はぐれたちの間で面白い言い回しがあるね。生まれ持った才能(ソウル)の強さが全てを決めるとかなんとか、そういった表現が。どんな言葉か忘れたが」

 

「ソウルカーストですか?」

 

「それだ。さすがはリンカー、はぐれのことはよく知っている」彼は薄い笑みを浮かべた。「どんなソウルを持って生まれるか、自分では選べない。ちょうどわたしたちが自分のクラスを選ぶことができないのと同じようにね。運命に愛されたはぐれだけが良いソウルを持って生まれ、リンカーと共に冒険に旅立つ。はぐれが本当の人間になれるかどうかは、言ってみれば生まれた瞬間に決まるわけだ」

 

 彼はまたレコの耳を見た。ぼくはだんだんいらいらしてきた。

 

「迷宮に潜ったはぐれは、わたしたちと同じ人間である。彼らはわたしたちと同じ試練をくぐり抜けたのだから。よろしい、認めよう。彼らは化け物ではない。内なる力を制御し、自分を律することのできる存在である。人間の社会に紛れ込んでも、我らの生活を脅かすことはあるまい。わたしは彼らを同胞として喜んで迎えよう」

 

 彼は言った。とても本心とは思えなかったが。

 

「しかし、ほとんどのはぐれはどうだろう。彼らは迷宮の冒険もしないのに人間のふりをして暮らしている。馬鹿馬鹿しいことだが。彼らの姿を見れば人でないことは簡単に分かる。ほとんどのはぐれは人間とはかけ離れた外見をしている」首を左右に振った。「身分を偽ることもある。人に化け、我々の暮らしに這い寄ってくる。いかにも自分が正常な人間であるという顔をしてね。そして、他人の家に入り込むのだ」

 

 ぼくは口を開きかけたが、彼はそのまま続けた。

 

「ペラペラの十層到達証明書(成人の証)を携えて。身の程をわきまえない愚行だ。

 古い言葉だが、ダグラスの言葉にこんなものがある。聖性とは完全性の一例である。聖性とは個々のものがその所属する種類に従うことを要求する。また聖性は異なる種類が混合されないことを要求する。どうだね?」

 

 なにがどうなのか。彼は話すほどに調子が上向いてくるようだった。自分に酔っているようでもあった。右手につけた指輪が太陽の光を浴びてきらきら輝いていた。海のような深い青と紫が入り交じった色合いの宝石だった。

 

「この言葉ははぐれについて語ったものではない。しかし、はぐれをこれほど適切に言い表すものもないだろう。

 なぜなら、人とはぐれは元来、決して混じり合うことはない種族なのだから。人とはぐれの間に子が生まれる確率など万に一つもない。人の血が彼らに(けが)されることなどあり得ない。人の子は全て人だ。混じりけのない純粋な人間だ。我らに別の何者かの獣じみた余計な飾りがつくことはない。迷宮に潜っても、わたしたちが化け物になってしまうことはない。素晴らしいことではないだろうか」

 

「まるで人間が特別な存在であるかのような口ぶりですね」

 

「もちろんそうだとも。我々は英雄だ。我らはみな、英雄になる可能性を持っている。迷宮でわたしたちを待ち構えているのは、異形の姿を持つ怪物だ。

 襲ってきたモンスターを我々は返り討つ。巨大な怪物、醜悪な天使と悪魔、その他の得体の知れない化け物。たとえそれがなんであれ、敵は(たお)されなければならない。我らは人間の力を――我らのクラスの力を証明しなければならない。我々は迷宮の冒険によって自分が人間であることを知り、また同時に英雄であることを知るのだ」

 

「しかし、はぐれは人間よりも優秀な冒険者になります。並の人間より強いソウルを持っているのですから」

「正確には、魔物使いとその使い魔だよ」

「正確には?」

 

「はぐれだけでは迷宮を探索することができない。彼らが迷宮に行けば、人の姿を失い、正真正銘のモンスターになってしまう。彼らに人の姿を保ち続ける力を与えるのが、魔物使いのスキルだ。はぐれの冒険には、人の力が絶対的に必要だ。とすれば、彼らの実績は、わたしたち人間の力の賜物(たまもの)と言えるだろう。はぐれ自身がしばしば認めるようにね。

 わたしの半身は人、わたしの半身は魔物。わたしは世界の(ことわり)を外れたもの。自然でない存在のわたしに必要なものは――。これはだれの言葉だったか」

 

「オキュープルですね」レコが言った。

 

 彼はレコを見た。レコが口を開いたのは、馬車に乗ってから初めてだった。それまでずっと、リンカーに仕える従魔として、ぼくの隣で(つつし)み深く完璧にふるまっていた。詩人の名前を答えた口調もひどく控えめなものだった。

 レコ本人が目の前の男にどんな印象を抱いたにしろ、そんなことはおくびにも出していなかった。むしろ、ぼくの受け答えの方が、自分の感情がよく出ていたと思う。レコがこちらに何度か視線を送ってきたことから考えると。

 

「そんな名前だったかもしれない。まあ、はぐれの名前など別にいいのだがね」

 

 タメルランは言った。ぼくは彼が好きになれなかった。はぐれに偏見を持つ人は、それほど珍しくはない。しかし、彼ほど露骨な態度を表明する人となると、これはちょっとしたものだ。

 レコを見た彼の表情は、人間同士の会話に割り込んできた邪魔者に対するものだった。道を歩いていて、邪魔な石ころに出くわしたときのような顔をしていた。

 

「世界からはぐれたものは、自分の本分をわきまえなければならない」彼はレコをにらみつけた。「きみがこの言葉を知っているかどうか分からないが。これもそのなんとか言う詩人の言葉だ。はぐれのわりに、彼はなかなかいいことを言っている。はぐれはみな、この箴言(しんげん)を心に刻みつけるべきだね」

 

 タメルランは椅子にふんぞり返りながら言った。

 正確には、オキュープルは()ではなく()()だ。ぼくもレコもわざわざ指摘はしなかったけど。

 

 彼は、社会からのはみ出しものが、いかにわたしたちの生活の秩序を乱すか、具体例を並べて話し始めた。

 彼によれば、社会的混乱はすべてはぐれものの仕業ということだった。はぐれさえいなければ、我々の生活は順風満帆なものになるのだと言った。

 

 手短に話すというわりに、彼はなかなか本題に入ろうとしなかった。短く話すという人の話が、実際にそうであることは(まれ)だ。

 彼の調子は、いまやうなぎ登りになっており、ほとんど演説をするかのようになっていた。自分の立ち位置になんの疑いも持たず、己の価値観に絶対の正しさを感じているようだった。

 レコが口を挟んだことは彼のお気に召さなかったらしい。彼の考え方に近い、はぐれを隔離する政策をとった数百年前の悪名高い独裁者を賛美する発言でもしていれば、彼はきっと喜んだだろうが。

 

 タメルランは依頼について、まだなにも言っていなかったが、聞くつもりはなかった。

 依頼の内容は簡単に予想がついたからだ。彼はいわゆる()()調()()をやらせるつもりなのだ。

 

 自分の子の結婚相手の正体を見極めるためダンジョンに潜らせるというのは、古くから使われてきた手法である。

 正常な人間なら問題なく迷宮に行けるだろう。しかし、断るようなら、これは怪しいということになる。無理に迷宮に行けば、彼らは人の姿を失ってしまう。それは彼らが()()()()()明らかな証拠となる。

 

「一つだけいいですか?」

「なんだね?」

 

「あなたはなぜ、わたしのところに? わたしはモンスターギルドに所属しています。しかし、正直なところ、リンカーとして名前が売れているとはとても言えません。それがなぜ?」

 モラリアにはほかにもリンカーがいる。ぼくより優秀な――いや、正確には、()()()魔物使いが。

 

「ギルドには行ったのだよ。そして何人かのリンカーと話した。だが、わたしの依頼を引き受ける者はいなかった」彼は言った。

「全く理解に苦しむよ。わたしは難しい依頼をしたいわけではない。仕事が終われば十分な報酬を支払う。そう言っているのに、彼らは理由をつけて頼みを断ってきた。その時、きみの名前を聞いたのだよ。わたしはあなたの依頼を受けることはできない。しかし、手のあいているリンカーは紹介できるかもしれない、とね」

 

「なるほど」

 

 そんなところだろうとは思った。この男がわざわざぼくのところへ来る理由は、それ以外に考えられない。

 

 彼はまた、はぐれについての持論を展開し始めた。ぼくは適当なところで形式的な相づちを打った。目の前の引用好きの話に興味はなかった。となりに座るレコに、帰りは歩きになることを目で伝えた。

 

 なぜこの男は自分で迷宮に行かないのか。はぐれの正体を調べるために、深い階層へ潜る必要はない。はぐれの活動限界は、第五層なら五時間だ。わざわざ危険の多い場所まで行く必要はない。低層で対象の人物の経過を観察すればいいだけのことだ。

 なぜ、その人物――彼か彼女か知らないが――を調べるためにリンカーの力を必要としているのか。

 

 それは恐らく、万が一の可能性を考えているからだろう。相手が真の姿を隠していた場合の心配をしているのだろう。自分の責任が問われるリスクを問題にしているのだ。

 はぐれが活動時間の限界を超えたとき――つまり、はぐれが本当のモンスターになってしまったときのことを。

 

 はぐれが人の姿を失うこと。それは、はぐれの人としての死を意味する。

 

 馬車が音を立てて止まった。ぼくたちがやって来たのは、中心街の喫茶店(ティールーム)のようだった。カーテンの隙間から優美なテラス席が見える。

 ひとりで手持ちぶさたに座っていた背の高い女性が、こちらを見て立ち上がった。馬車の扉が外から開かれ、彼女が歩いて来るのが見えた。御者が馬車の横でタメルランに(うやうや)しくお辞儀をしている。

 

「ようやく着いたようだ。仕事の話はむこうでしようか」彼は店を指し示した。

 

「タメルランさん、依頼の件ですが――」ぼくは断りを言いかけた。

 しかし、それは思ってもみない方向から中断させられた。カイト、とレコがぼくを呼んだのだ。

 

 レコは目を見開いていた。視線の先はテラス席に座っていた女性だった。女性の方も目を開いてレコを見ていた。しばらく二人とも時間が止まったように見つめ合っていた。お互いに、信じられないものを目にしたような表情をしていた。

 

「レコ?」ぼくは聞いた。

 するとレコはまばたきを数回して、意外なことを口にした。タメルランの依頼を受けると言ったのだ。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。