虚無の落とし子   作:テルヒト

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第3回 ソウル神殿

 ここに来るといつも、場違いな場所に迷い込んだ気分になる。

 

 ソウル神殿、フリエの大神殿、あるいは迷宮神殿、冒険者の神殿。

 古代コンクリート製の神殿は、現在もその荘厳な姿を保っている。

 横幅は百二十メートル、縦は百メートル、高さ五十メートルの巨大な構造物は、千年以上も昔に建てられたそうだ。(まつ)るべき神のない、石柱の並ぶ姿が特徴的な神殿には、世界中から巡礼者が押し寄せてくる。

 

 フリエの街は冒険者のメッカだ。彼らにとって、フリエの大迷宮は特別な意味を持つ。

 世界中で現在発見されている二十七箇所のうち、最も歴史ある迷宮がフリエのものだからだ。神殿の前は広場で、中心には大きな噴水がある。この噴水は三百年くらい前の冒険者を称えるために造られたものだ。

 それ以来、泉の台座に立つブロンズ製の戦士たちは、武器をずっと誇らしげに構え続けることになった。噴水の辺りは有名な集合場所になっていて、宿から出てくる仲間を待ったり、迷宮に行くパーティーメンバーの呼び込みをする人たちが多く見られた。

 

 広場は世界から集まった様々な民族的背景をもつ冒険者たちが行き交い、活気に満ちている。

 この国では見ない服装をした人たち、ぼくより肌の色の濃い人や薄い人たち、色とりどりの髪と目をした人たち。老若男女の冒険者たちが広場のそこここに集まり、巡礼の旅の思い出話に花を咲かせている姿が観察できた。

 これから怪物のいる迷宮に潜ろうという彼らだが、雰囲気は落ち着いたもので、談笑する様子はなごやかだった。ダンジョンの奥深くまで行ったり、迷宮のお宝でひと山当てようとする人たちは、たぶんもっと早い時間に出かけていったのだと思う。

 

 冒険者の中にはぐれもいた。獣や悪魔の尻尾や羽、頭上に天使の輪っかを持つ女の子たちの一団がいた。

 彼女たちの中心にいる青年が魔物使いなのだろう。青年が女の子たちにきざったらしく手を振ると、彼女たちは黄色い歓声を上げた。彼は美しい女性を五人も引き連れていた。

 とすると、彼の従魔はその五人なのだ。周りに集まったはぐれはその三倍はいたが、彼女たちは彼と一緒に迷宮に潜れるわけではないのだろう。

 

 神殿の屋根に何人かの影が見えた。彼らは神殿の修繕をしているらしく、命綱も使わずに地上五十メートルの屋根の縁を歩き回っていた。

 壁面を伝って、巻き上げ機(ウインチ)がのたのたした動きで石材を吊り上げている。この機械は新式の原動機を使っていて、珍しいソウル結晶を使わなくても、小さなマナのかけらで燃料の代用ができるという。

 

 屋根の上の彼らは、のんびり上がってくる石の塊を見ながら退屈そうにしていた。

 彼らは一流の冒険者に違いない。地上のマナの濃度は薄く、いかに腕の立つ人間でもたいした力は発揮できないものだ。早く仕事を終えて、マナの濃い、思い通りに体を動かすことのできる迷宮に行きたいと考えているのだろう。

 ここが迷宮の深層なら、機械ではなく自分の力で石ころくらい引き上げられる。そう考えているのかもしれない。

 

 大げさな外観のわりに、神殿の内部は意外と簡素だ。入り口をまっすぐ進んだ場所に、人々が目当てにしている物体が見える。それは朝の日差しの中で光り輝いていた。

 ぼくはそちらに向かって歩いた。建物の中は清浄な空気に包まれていた。神殿の受付に巡礼の人と話し込むシスターの姿が見えた。

 

 ソウル神殿には、神石と呼ばれる巨大なマナの結晶がある。縦の長さ五メートル、横は二メートル、世界の結晶の中でも最大級の大きさを誇るこの石は、冒険者に加護を与える力を持っているそうだ。神石から放射されるマナを浴びることで、冒険の成功が約束されるという。

 もっとも、神殿に訪れるのはダンジョンに向かう者だけではなく、日々の生活の幸福を願掛けるために訪れる人も多い。今日も神石は、なんの支えもないのに空中にふわふわと浮かんでいた。

 

 神石を祀る祭壇の前に、この街では珍しい宗教を持つ人たちがいた。

 黒いローブを目元まで深く被った人物が祭壇の正面で(ひざまず)いている。その後ろに、真白の法衣と漆黒の法衣を身にまとった男たちがそれぞれ十人ほど。彼らの横には獣の頭蓋骨を頭に被った少女たちがいて、手に持った骨製の楽器を打ち鳴らしている。

 白の法衣を着た男が大きな杖を突きながら前に進み出た。杖は全て骨でできていて、先端には人間の頭蓋骨が乗っていた。

 跪いていた人物は、男が横に来るとそれを受け取り、杖にすがりつくようにして立ち上がった。手はしわだらけで老婆のものだった。背中はほとんど直角に折れ曲がっている。

 

 彼らはカサス教徒だ。フリエの街の南、峻険なノトス山脈とその先の砂漠地帯を越えた草原に多く住んでいる。

 距離的にも地理的にも遠く離れた地に住む彼らをこの街で見ることは珍しい。遠路はるばるフリエの神殿へ巡礼にやって来たのだろう。

 黒いローブの老婆は祝詞(のりと)のようなものを唱えていた。彼女がどんな言葉を口にしているのか、ぼくの場所までは聞こえない。ただ、とても熱心に祈っていることだけはよく分かった。

 

 漆黒の法衣の男が老婆の前に、ひと抱えほどの大きさの黒い箱を静かに置いた。老婆は呪文を唱え、それを開けた。

 中には彼らの聖遺物が入っているはずだ。老婆の感極まった嗚咽(おえつ)と、法衣の男たちと骨を頭に被った少女たちの感動のため息が聞こえた。

 箱に入っているのは右腕なのか、それとも左腕なのか。どちらなのだろう。

 

 彼らは杖をついた老婆を先頭に神殿を去って行った。

 ぼくは祭壇の前に立ち、目をつぶった。そのまま動かず、しばらく立ち続けた。

 

 どうやって祈ればいいのか、ぼくはいつも分からない。

 神石にお辞儀をすればいいのか、手を合わせればいいのか、あるいは地面に伏して祈ればいいのか。また、なにか祈りの言葉を口にするべきなのか、その必要はないのか、なにかお供えをしたほうがいいのか、それとも賛美歌を歌ったり、踊ったりするべきなのか。どうすればいいのか分からない。

 ただ神石の前で棒立ちになり、目をつぶるということを繰り返している。できるだけ平穏で清浄な気持ちで、世界の平安と人々の幸せを祈るようにはいつもしているのだけれど。

 

 目を開けると、となりに筋骨隆々とした背の高い男が立っていた。いかにも歴戦の戦士という風情だった。

 男は背中に担いでいた刀剣を神石に高らかと掲げた。彼はファイターであるらしい。自分の武器を掲げるというのは、ファイターのクラスを持つ人々にとって一番ポピュラーな祈りの動作だ。

 もしかしたら、横に立った男のクラスはウォーリアーかもしれない(注/ウォーリアーはファイターの上位職、強い力を誇る戦士)。

 

 彼は自信と力に満ちあふれた雰囲気を漂わせていた。上位のクラスになるまで自らを鍛え上げることができるのは、冒険者の中でも一部の者に過ぎない。

 才能と運に恵まれた少数の人しか、上位のクラスになることはできない。彼らは優秀な冒険者であり、そうなれた者は他者からの尊敬と賞賛を勝ち得る。

 

 しかし、クラスチェンジをしたからといって別の人間になるわけではない。冒険の成功を祈願する彼らの祈りのかたちが変わるわけではない。ファイターとして生まれた人間は、やはり生涯を通してファイターなのだろう。

 

 ぼくは祭壇を離れた。

 

 神殿の向かって正面左の部屋は講堂になっている。

 開け放した扉の先から声が聞こえてきていた。神殿の神官が街の子どもを集めて話を聞かせているようだった。部屋の後ろに人間の高さの木が一本立っている。

 

 広い講堂には木の長椅子が並んでいて、十歳前後の子どもが二十人くらい座っていた。

 神官は神話の講義をしているようだ。単調な声が石造りの講堂に響いていた。

 子どもたちは何度も聞いた話だからか、話の調子のせいなのか、とても退屈そうにしていた。私語こそしていないものの、紙にいたずら書きをしたり、お互いに視線を交わして微笑(ほほえ)み合ったり、講堂の後ろをちらちら見たりしていた。

 

 ぼくは出入り口に近い、一番後ろの席に座った。

 神官は、この地方で最も人気のある円卓の戦士に関する神話を話していた。彼は言った。

 

「遠い遠い昔のことです。かつて世界は一度滅びました。世界には進んだ科学をもつ文明があり、人々はみな平和で満ち足りた暮らしをしていました。飢えもなければ夜の暗闇もない生活を送っていました」

 

 古い世界が滅んだのは何万年も前のことだ。文明の残滓(ざんし)は、今も迷宮で発見することができる。もっとも、文献を見る限り、その文明も言い伝えほどの理想郷というわけではなかったようだが。

 

「しかしある日、あらゆる災厄が彼らを襲いました。

 大地震が起き、火山が噴火し、嵐が吹き荒れました。争いが起こり、世界中に魔物が徘徊し、多くの人が死にました。天と地も、昼と夜の区別もなくなりました。世界は滅びたのです。あとには混沌だけが残りました。何万年にもわたって闘争が繰り返されました。

 

 そんなとき立ち上がったのが十二人の戦士たちです。彼らは争いのない平和な世界をつくるために武器を取りました。

 戦士たちは素晴らしい冒険者でした。どんな怪物が襲いかかってきてもくじけず戦い続けました」

 

 神官は十二人の英雄たちの活躍を話し始めた。この伝説は、いつか冒険に出る子どもに対して語られることが多い。

 勇気を持って迷宮に挑戦し、目標に向かって努力し、仲間同士で協力することの大切さを、彼らの冒険と重ね合わせて話すのだ。神話の終着点はいつも決まって同じ場所になる。

 

「そして彼らは神々の力を借りて地上をつくったのです。神様たちの名前は遠い昔に失われて、現代には残っていません。しかし、それは実際に起こったのです。

 地上創世以後、世界は迷宮と人界の二つに分かたれました。迷宮だけにモンスターがいて、地上にいないのはそういう理由です。神殿にある神石は、彼らが持ち帰ったものだと言われています。

 

 わたしたちは彼らの血を引いています。わたしは彼らの血を引く戦士ですし、みなさんも同じです。わたしたちは、生まれながらにクラスを持っています。迷宮を冒険する力を持っています。

 みなさんも、あと数年経って大人になったら冒険者になり、十階層を目指す冒険に旅立つでしょう。それは危険と隣り合わせの旅です。恐ろしい怪物がわたしたちに襲いかかってくるでしょう。

 しかし、必要以上に怖れることはありません。先祖代々受け継がれてきた戦士の血が、わたしたちの力になってくれるからです」

 

 彼は講堂の後ろの方を見て言った。

 

「もちろん、はぐれも迷宮を冒険することができます。はぐれもやはり人間です。冒険の権利は等しく持っています。

 魔物使いの力を借りる必要はありますが、ダンジョンに潜れば普通の人間よりも素晴らしい冒険者になることでしょう」

 

 はぐれとは、モンスターが人と交わった姿だ。迷宮でマナが集まり固まる。すると、体内にソウル結晶を持つ強力なモンスターが発生することがある。

 非常に低い確率だが、火山が噴火するようにそれが地上に吹き上がってくると、人の姿をしたはぐれになるのだという。迷宮の混沌としたマナの流れから離れたモンスターは、地上で人の姿を得る。

 彼らが地上のどこで生まれるかは分からない。ただ、大迷宮の近くで生まれることが多いようだ。

 

 しかし地上に出たモンスターが、人間の姿に変化するのはどういう理由だろうか。

 

 十二人の戦士の神話には別伝がある。その伝承ではこう説明する。

 戦士にはもう一人、十三人目の戦士がいた。その戦士は男性と女性両方の特徴を持ち、仲間の中で一番強かったのだそうだ。

 が、彼は仲間を裏切った。そのため、彼はほかの十二人によって真っ二つに分けられ、半分だけの力を持つ人間になったのだという。彼の力を怖れた者たちは、残りの半分をさらにバラバラにした。

 粉々になった十三人目の魂は迷宮をさまようようになった。その魂が地上にやって来たモンスターと混じり合い、人の姿になるのだという。

 だから魔物使いは一人で迷宮に挑む力を持たず、はぐれは魔物使いの力を必要とする――そんな神話である。

 

「魔物使いと従魔の戦績は目を見張るものがあります」神官は言った。

「彼らは迷宮で最も活躍している冒険者です。例えばソウル結晶です。

 知っての通り、ソウル結晶はマジックアイテムの材料や、街に明かりを灯すための燃料に使われます。これを迷宮で一番手に入れているのは彼らです。旧世界の遺物を迷宮から持ち帰っているのも、やはり魔物使いたちです。

 また、彼らがフリエの大迷宮で打ち立てた第九十五層到達の記録は、五百年経った今でも破られていません」

 

 迷宮の最深部になにがあるのか誰も知らない。探索が始まって以来、多くの人たちがそれに挑んできた。しかし、最奥にたどり着いた者は誰もいない。

 

 ある人は、最深部には世界をつくった神がいるのだと言う。

 別の人は、そんなものは存在しないと言い、第百層(最深部)に到達した者が世界の王たる神に相応しい力を得るのだと主張する。

 あるいは、かつて円卓の戦士が地上をつくったように、到達者が新しい世界を平定するのだと言う。楽園に通じる道が最深部に隠されていると言う人もいる。

 さらに別の人は、迷宮を最奥まで進んでも素晴らしいものは待っていないのだと言う。彼らはダンジョンの奥に言葉では言い表せないほど恐ろしい怪物がいると考えていて、人間はいつの日かそれに滅ぼされてしまうと予言している。

 

 神殿は全ての冒険者に対して開かれている。人種や性別、宗教、民族、社会的地位に関係なく、世界全ての人間に分け(へだ)てのない寛容さを示しているのがソウル神殿である。

 冒険は人類共通の挑戦だ。地上での対立はあるにしても、迷宮を前にして人は平等である。モンスターの這い回るダンジョンでは、人と人は手を取り合い協力する。

 そういうことになっているのだ。

 

 例えばカサス教徒のように。

 彼らは大きく分けて二つの宗派に分かれている。カサス正教とグダハ派――これは俗に右腕教と左腕教と呼ばれているものだ。

 

 彼らは二千年前に実在した魔物使い(リンカー)ラステリウスと、その従魔のリッチ(死者の王)を信奉している。

 カサス教では教義の重要な要素として輪廻転生を説く。迷宮で修練を重ねた者は、死後再び人間として誕生する。その中でも特に経験を重ねた者ならば、リンカーのクラスを持って生まれたり、はぐれとしてその魂を継承することができる――そういう教えだ。

 

 ラステリウスの死後、従魔リッチは彼の頭蓋骨と共に姿を消した。その後の行方は分かっていないらしい。

 一説には、ラステリウスの入滅により自身もこの世を離れ、彼の魂と共に世界を回っているのだとか、あるいは、彼女は()()生きていて、彼の生まれ変わりを探しているのだという。

 

 カサス教は開祖の魂の行方について対立する。

 右腕教は迷宮での修練を重視する。彼らにとって迷宮探索とは開祖の魂の転生を願う儀式だ。強い冒険者になればなるほどリンカーとして生まれ変わる可能性が高くなる。それはつまりラステリウスの転生者が現れる蓋然(がいぜん)性を意味し、再来した開祖は彼らを導く救世主となるのだそうである。

 一方、左腕教は血縁を重視し、開祖の血の流れを受け継ぐ聖なる家系に救世主が生まれると教えている。

 どちらの宗派も、人の霊魂は成長し進化するという立場をとる。最終到達点は、誰も見たことのない楽園だ。

 

 最も正しいものはどれなのだろうか。たぶんそんなものはないのだろう。恐らく、全ての神話は正しく、また同時に同じくらい間違っているのだろう。

 カサスの神話は、フリエの街や聖都で教えられる神話とは違う。また、その他の地方で伝えられる話とも違う。

 それでも、この場所にはあらゆる人が集まることができるのだ。立場の違う者が神殿で鉢合わせても双方の主張の正当性を争うことはない。ソウル神殿には様々な種族――人もはぐれも――さらにはあらゆる宗教を持つ人たちが集まり、そこに垣根はない。

 

 神官は冒険者たちの英雄譚をまだ続けていた。子どもたちはかなり退屈しているようで、落ち着きがなくなってきていた。うつらうつらしている子が何人かいて、そのほかの子は講堂の後ろの方を気にしていた。視線の先には一本の木が立っている。

 木は直立不動の姿勢をずっと保っていた。そして時々、なるほどというように頷いていた。神官の話を一番熱心に聞いているのはこの木だったと言える。

 

 というより、この子はなにをしているのだろうか。

 

 はぐれに「トレント」という種族がいる。臆病な種族で木に化ける能力を持ち、危険が迫ったときは隠れて敵をやり過ごしたりする。

 さっきぼくは講堂の後ろに木が立っていると言ったが、これは全く正確な表現ではない。部屋の中に自然を取り入れた建築様式とかそういうことではなく、本当に床から木が生えているわけでもなく、その姿はあくまで人であった。

 

 彼女は十三歳か十四歳か、外見年齢はレコと同じくらいに見える。髪は緑がかった茶色でセミロング。地味なヘアクリップで前髪をとめている。

 そして服装は――服というかなんというか――ちょっと変な格好をしていた。子どもたちが自分の方を見始めたことで、おどおどした様子になって部屋を見回していた。ぼくと目が合った。

 

 彼女と出会ったのは三日前だったか。近くの森で木こりの男に襲われているのを助けたのがきっかけだった。彼女はそのときも今と同じ格好をしていた。

 トレントは木に化けることができるのだが、彼女の姿は木とは言い難いものだった。しいて言えば、演劇の舞台にいる「木の役」だろうか。木の絵が描かれた板を両腕で抱えて全身を隠し、丸く開いた穴からのぞき込むように顔を出してこちらを(うかが)っていた。

 ぼくと目が合ったことで驚いたらしく、びくっと震えて後ろに隠れてしまった。

 

 子どもたちの吹き出し笑いが聞こえた。彼らがずっと気にしていたのは、講堂の後ろに立った彼女だった。

 まあ、無理もないだろう。木の衝立(ついたて)を持ち、誰にも発見されないようカモフラージュしているらしい彼女を見て、全く気にしない方が無理な話だ。

 子どもたち間で笑いが伝播(でんぱ)し、高らかな笑い声が講堂に響いた。神官が説話の続きをやりにくそうにしている。

 

「ちょっと外に出ようか」ぼくは彼女に言った。

 

 

 

 神殿の西側には石碑が建っている。綺麗に整えられた芝生の中にそれはあって、魔物使いたちの功績が刻み込まれている。

 五百年前の伝説的なリンカーが達成した九十五層到達の記録、そして十八年前の九十層到達の記録、生ける伝説カーティス・フランツ。そしてハワード・フラムル、彼らに仕える従魔たちの名前だ。ハワードのすぐ横にはルシア・レッドフォックスと書かれている。

 

 この場所はいつも静かな時間が流れている。ほとんどの参拝者は神殿の正面口から神石の方へ進んでいくため、建物を回ってこちらに来る人はほとんどいない。そもそも、この先は行き止まりだ。

 神殿が庭に影を落としていて薄暗く、他の人の姿は見当たらなかった。動きを止めて後ろを振り返ると、やや距離を置いてトレントが木の板を持ったままついてきていた。

 

「地上の生活には慣れたかな」ぼくは言った。

「えっと、その」彼女は自信なさげな小さな声で答えた。

 

 ぼくはここ数日の彼女の行動について尋ねた。トレントは目を伏せながら、言葉少なにぽつぽつと話した。街のあちこちを色々歩き回ってみたということだった。

 木の板を抱えたままだろうか。そのことについては尋ねなかった。

 

 彼女が持つ木の板は、世界に流れるマナを使って具象化したものだ。トレントは何かから隠れるとき普通は、本物と見分けることができないくらい精巧な木に化けるはずだ。

 しかし修練(レベル)不足が理由なのかよく分からないが、彼女はこういう板しか具象化できないらしい。なにしろ彼女が()()()てから、まだ三日しか経っていない。

 

 気がついたら彼女は森の中に立っていたそうだ。はぐれにとってはそれが誕生の瞬間だ。

 マナの塊が地上に噴出したとき、彼らは人の姿に変化する。それ以前の過去は彼らにはない。母親のお腹から生まれるはぐれはごく少数でしかないのだ。

 

 彼女はどうしたらいいのか分からないので、しばらく森の中をさまよっていた。

 ここはどこだろう? これからどうしたらいいのだろう? するとそのとき酔っ払った木こりと鉢合わせたのだという。

 

 彼女は木こりから逃げたが、男は追ってきた。

 彼女はトレントの本能的な行動として木の姿に変身する。しかしそれでも男は彼女を追う。彼女は木の板を構えながら彼から逃げる。男の手には斧が握られている。泥酔した木こりには、彼女の姿がちゃんとした木に見えたらしい。

 ぼくが彼女を見つけたのはそんなときで、女の子の悲鳴が聞こえた場所に行ってみると、ふらふらした足取りの男が彼女を襲っていたのだった。

 

 嘘みたいな本当の話だ。

 

 ぼくは足払いをかけて男を取り押さえた。男は少しだけ抵抗するそぶりを見せたが、ぶつぶつとなにか言い、すぐに夢の世界に旅立った。

 彼女はパニックになってわんわん泣いていた。それが彼女との出会いである。

 

「席に座って聞いていてもよかったのに」ぼくは言った。「あんなに後ろじゃなくて」

 彼女は言った。「あの、わたしなんかが聞いていいのかなと思ったので……」

「どうして?」

 

「わたしがここにいていいのかなって。わたしは人間じゃないし、それにまだ誰からも名前をもらっていないので……」

「そんなことないよ。神殿の扉は誰に対しても開かれているから。モンスターギルドに届け出をしたのも三日前だからね。魔物使いからのスカウトだってあるかもしれない」

「でも自信なくて」

 

 リンカーは生まれたばかりのはぐれに名前を付けることができ、命名者が主従契約の優先交渉権を持つとギルドの会則で定められている。

 そのため、はぐれを実際に従魔にする場合以外に、名付けをしないことがリンカーたちの暗黙の了解だ。また、はぐれを発見した場合は速やかにギルドに届ける必要がある。それでぼくは彼女をモラリアに連れて行ったのだった。

 

「もし、このまま名前を付けてくれる人が現れなかったら?」

「その場合はギルドマスターが名前を付ける」

「じゃあ、やっぱりそうなるのかな。わたしなんかを使い魔にしてくれる人なんているわけないし」

「そう決まったわけじゃない」

「でも……」

 

「いいかい、きみがどんな力を持っているのか、それはまだ分からないよ。

 迷宮で地道に経験を積んで、すごい冒険者になった話なんていくらでもある。反対に、いくら才能があると言われていても成功が約束されるわけじゃない。今現在の力量が全てではないんだ。

 だから、きみだってすごい才能が眠っているかもしれない。そうじゃないとは誰にも言い切れない。問題は迷宮に行くことができるかどうかだけど――きみはほかのはぐれよりも少し有利かな」

 

「どうしてですか?」

「はぐれに名前を付けることのできる機会は珍しいから。従魔に自分で考えた名前を与えたいという魔物使いは結構多いんだ」

「そうなんですか」

 

「魔物使いの絶対数は少ないから、選ばれるはぐれも多くはないんだけど。それでも、しばらくは魔物使いからのスカウトを待つといいと思う。せっかくの機会だからね」

 

「えっと、それじゃあ」彼女は地面を見つめて、視線を下に向けたまま小さな声で言った。「カイトさん、あの。ごめんなさい。カイトさんって呼んでもいいですか?」

「いいよ」

「わたしのマスターになってくれませんか?」

「ぼくが?」

 

「あの、わたし知ってる人とかほかに誰もいませんから……。だから、もしカイトさんさえよかったら……あ、もしよければですけど……」

「いや、ぼくは――」

 

「ごめんなさい、わたしなんてやっぱり迷惑ですよね……」

「いや、そういうことじゃないよ」

 

 彼女はぼくについて誤解しているようだった。モンスターギルドに一緒に行ったせいだろう。

 確かにぼくはギルドの一員ではあるが――。ぼくは彼女に説明しようと思ったが、少し考えてやめた。

 

「右手を貸してくれるかな」ぼくは彼女に言った。

「右手を?」トレントは右を向いて自分の手を見た。木の板に空いた丸い穴から彼女の横顔が見える。

 

「主従契約を結んでみよう」口で説明するより、実際にやって見せた方が早いだろう。

「本当ですか」

 

 彼女は喜びより驚きが強い口調で言った。半信半疑の、自分が選ばれること自体が意外だという感じだった。

 彼女は木の板の右から手を回して出し、引っ込め、それから前にまた出して引っ込めた。板を具象化したままでいいのか、それとも勇気を振り絞って、ちゃんと相手に姿を見せるべきなのか迷っているようだった。

 彼女が板を持っていない姿は森で見ているが、人との外見の違いは特にないと思った。人とはぐれの違いとはなんなのだろう?

 

「そのままでいいよ」

 

 彼女はおずおずと手を差し出した。

 ぼくは一歩分前に近づき、彼女の手をしっかり握った。トレントはびくっと体を震わせた。

 

「悪いね、本当はこんな手順なんか要らないんだけど、未熟な魔物使いには直接的な接触があった方がやりやすいらしいから」

 

 ぼくは説明しながら精神を落ち着けていった。自分自身が一艘の船になり、世界に流れるマナの中に浮かぶイメージだ。世界のマナを感じ取り、自己をそれに同一化する。

 

「目をつぶってくれる? 

 そう、いいよ、そのまま。世界のマナを感じることができるかな」彼女は頷いた。

「よかった。もしそれができなかったら、才能があるとかない以前の問題になる。

 まあ、そんなことはあり得ないから別にいいんだけど。これからきみの体にマナを送る。きみとぼくを一本の線で結ぶようなイメージを持ってくれればいい。それで契約は完了だ」

 

 主従契約の主眼は、マナの流れをリンカーとはぐれモンスターとのあいだに限定することにある。

 迷宮はマナが吹き荒れる嵐の海だ。単独で潜ったはぐれは、四方八方から照射されるエネルギーの波にさらされ、体内のマナが暴走する。人の姿を保つことができなくなり、彼らの姿は怪物に変化してしまう。

 彼らは人間としての生を終える。

 

 マナの供給源を限定することによって、魔物使いはそれを阻止する。従魔との間に目に見えない線を引き、マスターはそこへエネルギーを送り込む。はぐれの体に流れ込むマナをリンカー一人が独占する。

 それができるのは、はぐれと契約する能力を持つ者。魔物使いのスキルを持つリンカーだけだ。

 

「言い忘れたけど、期間と条件を決めない主従契約は原則、生涯契約とすることになっている」ぼくは言った。

「生涯契約?」

「どちらかが死ぬまでの契約さ」

「えっ……」

 

「魔物使いはその命が尽きるまではぐれを従者として使役することを誓い、はぐれは自らの全存在をかけて魔物使いを支えるパートナーになることを誓う。

 契約の解除はよほどのことがなければあり得ないし、従魔へマナを効率的に供給できるようにするためには両者間の修練が不可欠だから実際的でもない。だから、もし契約が成功したらきみにはぼくが生きているあいだ、ずっと従魔として仕えてもらう。いいね?」

 

「あ、あの……」

 

 彼女はぼくから離れようと後ろに下がった。

 手を引っ張りこちらに揺り戻した。彼女の年相応の頼りない体重を腕に感じた。トレントは(おび)えた目をしている。

 ぼくは彼女にマナを送り込んでいる自分を想像した。目を閉じた。目に見えない波動が、ぼくの腕を通って彼女に伝わる様子を心に浮かべた。なにか暖かい繋がりが、ぼくと彼女のあいだに芽生えていると思い込もうとした。無駄だった。

 

「カイトさん……?」

 

 トレントは不審げな顔でぼくを見ていた。体になにも変化が起こっていないからだろう。

 主従契約に複雑な手順は必要ない。リンカーがマナを送り、相手が受け止めればそれで完了だ。

 

 ぼくは彼女に笑って見せた。「心配いらないよ。ぼくはリンカーじゃないから。契約なんてできるわけがない。きみはぼくと契約なんてしていない。きみは自由だよ」

 

 そんなことは初めから分かっていた。

 

 

 

 ぼくたちは神殿の正門前に戻ってきた。相変わらず巡礼の人々でいっぱいだった。

 大勢の人たちが神殿に入っていき、同じだけの人が外に出てきた。彼らの願いのうち、いくらかは叶い、それより多くの祈りはたぶん聞き入られることはないだろう。が、神殿から出てきた者はみな、どこか満ち足りた顔をしていた。

 

 神殿の受付にはさっきと同じシスターがいて、違う巡礼の人の相手をしていた。彼女の髪は派手な橙色と青色で、中心できれいに二色に分かれていた。

 

 やっぱりいないか。

 

「わたしが誰かの従魔になるなら、相手は男の人なんですよね?」トレントが言った。

「そうだね。そっちの方が見つけやすいと思う。主従契約は、異性パートナーと交わす方が一般的だから。マナを従魔に送るエネルギー効率がほんの少しだけよくなるとか、そんなことを言う人もいるけど」

「そうなんですか。えっと……」

 

「戸惑うのは分かる。きみはいきなり世界に放り出されて、自分と契約してくれる魔物使いを探さないといけなくなった。もしかしたら見つけられないかもしれない。そう考えながら過ごすのはつらいと思う。誰かに選ばれさえすれば迷宮に行って活躍することができるはずなのに、と日々考えて過ごすのは。

 それに、その契約は一生の選択になるかもしれない。魔物使いの死後も、ずっと一人に仕え続けると決めるはぐれも珍しくないから。

 名付け親に名乗り出たリンカーが気に入らなければ、きみはもちろん断ることができる。だけど、その選択は正しいのだろうか? 相手の申し出を受けた方がいいんじゃないか? そう悩むのも大変だと思う。

 それでもぼくは、きみが一人の人間として成長できる機会を手に入れられることを祈っているよ。いいリンカーが見つかるといいね」

 

 あのシスターははぐれだろうか? 今、受付にいるシスターの髪色は普通の人間には見られないものだ。それとも染めているだけなのだろうか。

 本当の魔物使いなら一目で判断できるだろう。ただ仮装している人間なのか、正真正銘のはぐれかどうか分かるはずだ。リッチの扮装をした巫女なのか、少女たちの頭に被っている骨(スケルタルサイン)が本物かどうかも。

 

 ソウル神殿は誰に対しても開かれている。悪魔のはぐれでも同じだ。

 天使と悪魔どちらのはぐれかということは、旧文明のような善悪の基準を意味しない。それは古い文明と共に滅び、今日では光と闇どちらのマナを強く持っているかという、ただの力の種別に過ぎない。そもそも、迷宮に出現する天使はほかのモンスターと同様、人間を襲う敵である。

 だから、悪魔のはぐれがシスターをしていてもいいし、旧文明の聖母の名を名乗っていても構わない。だが――。

 

 ()()()()()()()。どうにも嘘くさい。

 

「あの……?」トレントがぼくを見ていた。

「いや、たいしたことじゃない」

 

 

 

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