虚無の落とし子   作:テルヒト

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第5回 モラリア

 モラリアの紋章は全体としてのまとまりを欠いている。

 

 モンスターギルド、モラリアは長い歴史を持っている。人類が迷宮探索を始めたころにその起源があるというから、設立は一千年以上も昔のことになる。はぐれモンスターと彼らを使役する魔物使いのための互助組合だ。

 

 ぼくはギルド執務室の壁に掛かったタペストリーを見ていた。

 モラリアの大紋章。王族や貴族階級のような(エスカッシャン)の図形を用いた紋章とは少し違う。

 大きな横長の布に格子状の線が引かれ、マス目の中に様々な紋がびっしり描かれている。

 紡がれているのは歴代のギルドマスターや、めざましい活躍をした魔物使いたちの記録だ。ここに自分の使用紋を載せることは彼らにとって最大級の栄誉になるのだという。

 

 ざっと見て目立つのはやはり、強大な力を持つとされるはぐれを図案化した紋章だ。

 ドラゴン族のものが最も多く、次いで上級天使と悪魔、ヴァンパイアなど。精霊、動物系のはぐれも多数並んでいる。種族の種類は多様で、紋の図像もバラエティーに富んでいる。

 

 魔物使いの紋章は二つの要素から成り立つ。

 まず、魔物使い――リンカーのクラスを持つ人物の紋章がある。先祖代々受け継がれてきたものをそのまま使うか、または個人の要素を付け加えたり、自分だけのオリジナルの紋を考える。

 そこに第二の紋章を足す。彼らに仕えるパートナー、第一従魔の姿を掛け合わすのである。十三人目の神話にある通り、魔物使いと従魔は二人で一つだ。

 互いに相手の存在を必要とする比翼の鳥。タペストリーにはそういう鳥たちが延々と連なっているのである。

 

 ハワードの紋もある。キツネが菩提樹の元に座っている紋章だ。

 彼は九十層に到達した伝説級のリンカーであり、同時にモラリアのギルドマスターでもあった。

 十四年前に彼はその地位を退いたため、その後は共に迷宮を攻略した魔物使いカーティスがギルドの長を務めた。キツネの次に並んでいるのはゴブリンの紋章だ。

 そして、その次は海の怪物クラーケン。イカをモチーフにした絵の横に、太陽と星のマークが描かれている。現在のギルド長が使用しているものだ。

 

 大紋章にはギルドの歴史が表れている。

 彼らの栄光と挑戦の記録。受け継がれる意志。あるいは途切れることのない血の流れ。

 

「待たせたわね、カイト君」

「いいえ、時間を割いていただき感謝します。マスターエレノア」

 

 黒の執務服をまとったエレノアが部屋に入ってきた。

 ひだの多いロングスカート、上衣の胸元に金の勲章が飾られた瀟洒(しょうしゃ)な身なりをしている。

 着崩した格好をしている彼女は一度も見たことがない。常に背筋がまっすぐ伸びて堂々としている。それは彼女の身長を実際の背丈よりも高く見せていた。

 日の光で()いたような淀みない金色の髪、涼しげな青い目。両耳に直線的な形をしたプラチナのイヤリング、左人差し指にベルトのバックルのようなプラチナの指輪を付けていた。

 彼女の全身は直線で構成されていた。論理的で正道的な洗練された美しさがあった。

 年齢は三十を超えているはずだが、それよりずっと若く見えた。

 

「タメルラン・ルフィン。そうでしょう?」

「はい」

 

 エレノアはいきなり本題に入った。彼女は頭の回転が速く、常に明晰だ。

 

「彼がモラリアに来たのは五日前ね。リンカーを紹介して欲しいと言ってギルドに来たのは。

 内密に調査を頼みたいということだったわ。詳しい依頼の内容はなにも言わなかった――別に聞くまでもなく分かることだったけど。

 わたしは手の空いているリンカーを彼と引き合わせた。だけど断られたみたいね。それであなたが引き受けた」

 

「わたしの前に彼は六人のリンカーを訪ねたそうです」ぼくは言った。

 

「彼にはどうしても正体を確かめたい人物がいた。だから、迷宮でガンガーの祝福を受ける必要があったのね(注/ガンガーとは古代文明で信仰されていた川であり女神。川の水は人間の罪を洗い流すとされた)。

 調査は無事終わったと聞いているけど」

 

 無事に? ぼくは言った。「はい」

 

「それでもあなたが彼のことを聞きに来たのはどうしてかしら。彼から対象の人物について追加調査の依頼を受けた?」

 

「いいえ、これはただの――個人的な好奇心です」

「好奇心?」エレノアは眉を吊り上げた。

 

「ルフィン氏は調査結果に満足していました。迷宮に続けて十時間潜ったことで、彼女が人間と証明されたと言っていました。しかし、はぐれかそうでないのか、本当にそれで分かるものなのでしょうか」

 

「それ以上ないほど明白だと思うわ。十時間というのは、はぐれの活動限界を大幅に超えた時間よ。中々念の入ったことね。

 もっとも、そういう依頼は珍しいわけでもないけど。ひどいものになると、三日間ずっと見張り続けるように言われることもあるから。

 そういう意味では彼は理知的ね。通常よりも長い時間指定だけど、全く無駄なことをしているわけでもない。彼のようなレイシストは、ビンの煮沸消毒をするために製鉄用の炉を引っ張り出してくる」

 

「彼にとって、自分の子どもの婚約にたいした意味はないのだと思います。子どもとは疎遠で何年も会っていなかったようですから。

 依頼は単なる形式的な確認作業でした。しかし、相手がはぐれとなれば彼は決して交際を認めはしないでしょう」

 

「なるほどね。それで?」

「それでと言いますと?」

 

「どうしてあなたは分かりきったことを聞きに来ているの? 許容量以上のマナを浴びたはぐれは人の姿を失うわ。あなただって知らないわけがないでしょうが」

 

「仮にはぐれが迷宮に長時間居続けようとするなら、どんな方法を取り得るでしょうか」

 

「あなた人の話聞いてる? そうね、いくつかないこともないわ。

 はぐれのモンスター化は、体内マナの暴走によるものよ。照射されるエネルギーに体が耐えきれなくなり、肉体が変質して怪物化する。

 だからマナの影響を抑えることができれば、迷宮にいられる時間も長くなるわけね。採れる方法は大きく分けて二つ」

 

「マナに対する抵抗力を上げるか――」

 

「場に集まるマナの量を減らすか、ね。高位のソーサラー(魔術師)が強力な魔法を使うためにマナを呼び寄せたりするけど、その逆のことをやればいいわけ。

 迷宮拠点を新しくつくるときのような大がかりな設備と莫大な費用が必要になる。でも、マナの集積量を限りなくゼロに近づけることもできるわ。

 もう一つの方法は、マナへの抵抗力を高める装備品を身に着けること。体に魔除けの護符を貼ったり刺青(いれずみ)を入れる。

 それと薬を使う方法もあるわね――これは体内マナのバランスが崩れて体調が悪くなる副作用があるからあまり勧められないけど」

 

「マナの量が少なくなっていた可能性はないと思います。あのとき迷宮には普段よりも多くマナが集まっていました」

「だったら方法は一つ。マナへの耐性を強めるしかない」

 

 迷宮の彼女を思い返してみた。ナミの服装はノースリーブのワンピースだった。

 服の下になにか隠していただろうか? それはさすがに分からない。が、彼女は迷宮から帰るときも、特に調子を崩している様子は見られなかった。

 

「耐性を最大限高めたとして、五層に十時間――通常の倍の時間ですが、その間ずっと迷宮に居続けることは可能でしょうか」

 

「難しいと思うわ。考えられるあらゆる手段を使ってもね。

 全身に彫り物をして、ハチの集団にたかられたみたいに御守りをべたべたくっつけておけば、まあなんとか無事かもしれないけど。そういうことはなかったのよね?」

 

「それはなかったと思いますね」

 

「たぶんそれくらいやらないと十時間潜り続けることはできない」

「それ以外には?」

 

「そうねえ。あとは――彼女が妊娠しているケースくらいかしら。彼女がはぐれと仮定するならね。

 子どもを身ごもっている状態だと少しだけ迷宮に長くとどまれるという報告があるわ。マナのバランスが変わるからか、一人の体に二つの命が重なることがプラスになるのか――その辺りはよく分からないわね。本当にそんなことがあるのかすら眉唾ものだわ。

 地上で生まれる二世代目のはぐれはあまり多くない」

 

「別の可能性もあるのではないでしょうか」

「別の?」

 

「彼女が人間の血を引くハーフだという可能性です」

「考えにくいことね」

 

「人間の血を持つはぐれには特別な力がある。そういう言い伝えもありますね」

「そうかしら」

 

「彼らは天から祝福を受けた御子だという伝承です。その力が迷宮のマナへの抵抗力を高めるかもしれません」

「さあ」

 

「そうであってはいけませんか?」

「わたしはなにも言っていないでしょう?」

 

 エレノアは聞き分けのない子を(さと)すような口調で言った。

 彼女と話しているとき、ぼくは自分が感情的になることを自覚している。思い出すのはあの雪の日のことだ。厳然と立ちふさがるエレノアと、項垂(うなだ)れるルシアの姿だ。雪の積もる街道をたった一人で歩き、街を離れていくルシアの後ろ姿だ。

 エレノアと話すとき、ぼくはいつもそれを思い出すのである。

 

 はぐれを使役する能力は、血筋によって受け継がれるものであるらしい。リンカーのクラスを持つ者が特別な家系以外で生まれることはほとんどない。

 かなり多くの魔物使いは自分の両親が定めた許嫁を持っている。彼らが冒険に連れて行くパートナーは他種族だから、人間の伴侶を迎えなければ魔物使いの血が絶えてしまう。

 

 ハワードの場合、それは彼女だった。

 彼の両親はどちらも魔物使いではない。一方、ソルフィ家は偉大なリンカーを何十人も輩出してきた名家である。二人は幼いころに婚約の契りを交わし、ハワードは彼女の家でエレノアと兄妹同然に育った。

 当然の流れとして二人は結婚する。彼らが共に十四歳になったとき――つまり、成人したときのことだった。

 

 レコの養母はエレノアということになっている。しかし、それは書類上のことでしかない。

 ハワードの生家がレコの引き取りを拒んだため、ほかの選択肢はなかった。ルシアの実家はもとより存在しない。

 モラリアのギルドマスターは、この街の家族を持たない全てのはぐれの親である。結果、彼の別れた妻である彼女が戸籍上の親になった。

 

 はぐれは魔物使いの配偶者にはなれない。彼らの結婚が正式に認められるのは、二人のあいだに子ができた場合に限られる。そんなことは滅多にあるものではない。

 だからレコが生まれなければ、彼女はハワードの妻のままだっただろう。

 

「人とのあいだに子が生まれることはまずないわ」

「しかし、あり得ないわけでもないはずです」

 

「確かにね。ものすごく珍しいけれど、全くいないわけでもない。それでも――」彼女は言った。

「ルフィン氏の、今回の調査対象の相手について、これだけは言えるわ。彼女はどんな種類のはぐれでもない」

 

「なぜです?」

 

「報告は受けているのよ。依頼を断ったリンカーたちからね。

 タメルラン・ルフィンは彼らと彼女を引き合わせた。ナミ・ナカリエと。そして六人全員が同じ答えを持った。

 リンカーはマナの気配を読む能力に長けたクラスよ。その力は並のはぐれの比ではないわ。彼らの目を小手先の手段でごまかすことは不可能よ。その彼らが彼女は普通の人間だと断言した」

 

 ぼくはちょっと考えた。「その中にマスターカーティスはいますか?」

「いいえ、彼はいないわ」

 

「それならば――」

 現在、世界最高のリンカーと言われているのが彼だ。カーティス・フランツ。迷宮探索の長い歴史の中でも、九十層に到達した冒険者は両手で数えられるほど少ない。

「彼が見れば違う答えを出すかもしれません」

 

「分からないわね」

「可能性はあるということですか?」

 

「違うわよ、そうじゃないわ。会ったのが一人だけだったら間違いもあるかもしれない。でも、リンカー六人全員の印象が同じなのよ。迷宮に潜って確認するまでもなく、彼女は人間だとね。

 なのになぜあなたが異議を差し挟むことができる? その根拠は?」

 

「いえ、特にありません」

 

「そもそも、本当に彼女がはぐれだったとしたら、十時間も迷宮に留まるなんて無理な計画は、モンスターギルドとして絶対に認められないわ。

 ルフィン氏がモラリアの魔物使い全員に断られて自分で彼女を調べようとしても、そんな計画が存在するならどんな手を使っても止めるし、それは他のリンカーたちだって同じよ。

 彼女がはぐれモンスターということはあり得ない。

 はぐれの気配を少しでも感じたなら、うちのリンカーたちが迷宮行きを許すはずがないからね。なのになぜあなたが――」エレノアは不意に言葉を区切るとなにかを考える顔つきになった。

 そして言った。「もしかして、あの子なの? 彼女をはぐれモンスターだと言っているのは」

 

 答えるべきかどうか少し迷った。が、エレノアはそれだけで察したようだった。

 

「なるほど。あの子なのね。だとしたら――」彼女はあごに手を当てて考える仕草をした。

「だけど二倍の時間というのは――、まあそれはいいわ。でもなぜ? なんのために?」

 

「どういうことですか?」

 

「あなたたちが彼女を調べる理由はないということ。

 彼女が人間とはぐれのハーフだと仮定しましょうか。あなたたちはそう考えているのでしょう?

 迷宮に長時間居続けることができたのは、彼女の体に人間の血が流れているから。そのことがマナへの抵抗力を高め、通常よりも長く迷宮に留まることが可能になったと考えてみましょう。

 ナミは普通の人間ではなく、はぐれだった。でも、それがなに?

 受けた依頼は終わっている。彼らはあなたたちと縁もゆかりもない赤の他人。彼女の素性を調べる必要性がどこにあるのかしら?

 そしてなにより、ナミは人間とすでに証明されているのよ。あなたたちの考えがどうであっても」

 

「それもそうですね」

 

「タメルラン・ルフィンにとって、彼女が本当の人間なのかどうかは重要な問題かもしれない。ナミの正体がはぐれということになれば、彼は彼女の存在すら認めなくなるでしょうから。

 でもそれは、あなたが彼女を調べる理由にはならない。にもかかわらず、あなたは彼女の正体に関心を持ち、わざわざ調べようとしている。

 そこにはなにか理由がなければならない。単純な知的好奇心以外のね」

 

 エレノアは目を細めてこちらを見た。その目線はぼくに向けられているようでもあり、同時にずっと遠くを見ているようでもあった。冷徹なまでの澄んだ美しい青い瞳。

 この目はちょっと苦手だ。

 

「理由はあの子なのかしら。

 リンカーでさえ間違えたはぐれの正体を見極めることができたとする。それは彼女の才能を証明することにつながる――そう考えたのかしら?」

 

 ぼくは彼女の言葉を真似して言った。

「わたしはなにも言っていないと思いますが、マスターエレノア」

 

 少しの間、にらみ合う格好になった。

 なぜ、彼女と話すときはいつもこうなるのだろうと思う。

 ルシアが街を出ることになったのは、ギルド長である彼女が追い出したからではない。

 ギルドの長年続いてきた会則があったのは確かだ。しかし、それ以上にルシアの自発的な意志があった。主人を守ることができなかった従魔としての責任をとる。

 片翼になった鳥たちは永遠に消えない(とが)を背負う。それはずっと昔から受け継がれてきた魔物使いと従魔の関係なのだ。

 

「まあいいわ。どうせあなたは止めても決めたことはやるのでしょう。

 だけど分かってるかしら、カイト君? あなたはリンカーではない」エレノアは言った。

「あなたがモラリアに所属していられるのは、先代のギルドマスターにあの人が頼み込んだから。

 いわば特例の温情扱いね。本来なら魔物使いのスキルを持たない人間はギルドのメンバーになることができない」

 

「はい」

 

「わたしはいつでもあなたを除名することができる。なにか問題を起こした場合は――」

「ギルドに迷惑はかけませんよ」

 

「ならいいけどね。ああ、そうだ。あなたに渡すものがあったのよ」

 

 彼女は古風な黒檀のキャビネットに歩み寄ると、カギを使って戸を開いた。

 中から取り出したのはひと抱えほどの大きな封筒の束だ。彼女はそれをぼくに手渡した。

 中には書類が入っているようでずっしりと重い。全部で二十五通。

 

「これは?」

「あの子に渡しておいてくれるかしら。先月までに届いたリンカーの経歴書や推薦書。いわゆる引き抜きね」

「こんなに、ですか」

 

「それ、全体のごく一部よ。ギルドに届いたのは八百通を超えているから。

 世界の裏側みたいな所からも届いた。実績があまりない魔物使いとか素性の怪しいものは外しておいたわ。

 頼んだわよ。わたしからだとあの子、絶対に受け取らないもの」

 

 のどが詰まったが、なんとか言った。「分かりました」

 

「わたしもあの子には期待しているから。あの子はあの人の――」

 

 エレノアはモラリアの大紋章を見やった。たぶん、ハワードの紋章を眺めているのだろう。

 しばらくして彼女はため息を一つ吐いてから言った。

 

「彼女は天才よ」

「ええ、わたしもそう思いますよ。マスターエレノア」

 

 

 ギルドを出たところで華やいだ声に呼び止められた。

 

「お兄様!」

「エスト」

 

 彼女の名前はエストレリータ・ソルフィ。エレノアの一人娘だ。

 七歳の可愛らしい小さな女の子で、次の夏を迎えれば八歳になる。

 腰までまっすぐ伸ばした黒髪、ぱっちりした黒色の目。フリルの多い黒のドレスを着ている。

 ドレスには白い星が散っていて、よく晴れた夏の夜空のようだ。彼女はスカートの(すそ)を持ってちょこんとお辞儀をした。

 

「お兄様、お久しぶりです」エストは気品のある笑みを満面に浮かべて言った。

「前に会ってからまだ五日しか経ってないよ」

 

「五日()ですわ。わたくし、お兄様には毎日だって会いたいと思いますもの。お兄様のこと大好きですから」

「ありがとう、エスト」

 

「どういたしまして! あら、お兄様」ぼくが抱えた封筒の束を見て言った。

「これからお仕事ですの? よろしければご一緒いたしましょうか?」

 

「いや、大丈夫だよ」

「そうですの? 残念ですわ。ところで、お姉様の体のご様子はいかがですか?」

「もうだいぶよくなった」

「それはなによりですわ。わたくし、とっても心配でしたもの。あの、お姉様のお見舞いに(うかが)ってもよろしいでしょうか」

 

「もちろん。レコもきっと喜ぶよ。これから出かけるから送ってあげられなくて悪いけど」

「お気になさらず。お兄様はお仕事に行ってくださいませ。お見舞いくらい、わたくし一人で行けますもの」

 

 彼女はその場でくるりと回転し、歩いて立ち去っていった。その所作は同世代の女の子とは違う優美なものだった。しばらく行ったところでにっこり笑いながら振り返り、ひらひらと手を振った。ぼくも手を振り返した。

 

 血のつながらないぼくたちをエストは「お兄様、お姉様」と呼ぶ。

 彼女の父親はハワードではない。エストの父親は魔物使いだろうと言われている。だが、それが誰なのかギルドの人間はみな知らなかった。エスト自身でさえ知らないようだった。

 家族がエレノア以外にいないことが理由なのか、彼女はぼくたちを実の兄と姉のように思っているようだ。ぼくとレコも彼女を妹のように思っている。

 

 ギルドへの執念が、天才魔物使いを生んだ。世間ではそう言っている。

 エレノアは由緒正しいリンカーの家系に産まれた女性だ。彼女は腕の立つ冒険者である。しかし、彼女のクラスはリンカーではない。魔物使いの才能を持って生まれはしなかったのだ。

 モラリアで役職に就くことができる人間は、魔物使い、その配偶者、もしくは後見人に限られる。

 夫と別れ、彼女はギルドに所属する権利を失った。エストレリータを産んだことで、リンカーでない彼女もギルド長になることができたのである。

 

 

 

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