どうしようもなく正しい、世界の流れ   作:まなぶおじさん

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片思い-前編-

 いま、とても気になっている女の子がいる。

 

 どこもかしこも「夏休み何してたー?」とか「お前、あの自由研究はねえだろー」とか「海で死にかけた」とか、小学生最後の夏休みについて思いを馳せているというのに、赤木の心中は静かに穏やかでなくなってしまっていた。

 それもこれも、隣の席で「初心者にもわかるドイツ語」を読んでいる松本里子が原因だ。

 

 

 ――夏休み前まで、時は遡る。

 

 小学六年生になって、はじめて松本里子というクラスメートと一緒になった。松本はいわゆる「無口で大人しく、友達がいない読書家」タイプで、当初は「接点が見当たらないから、邪魔しないようにしよう」と思っていた。互いに離れた席についていたから、尚更だ。

 

 ところが夏休み直前になって、何の偶然か松本と隣同士の席に割り当てられてしまった。

 こうなると、松本とは他人ではいられない。何とか仲良く出来ないかと思ったし、かといってドゥーエの「制空」という本をきっかけに語り合えるはずがない。赤木は根っからの戦闘機道ファンではあったのだが、単なる飛行機好きであって、歴史にはとんと詳しくなどないのだ。

 

 何度か、松本の表情をちらりと見つめたことはある。とにかく無表情で、目の前の本にしか関心を示していなさそうで、他のクラスメートと違って「クール」そうであったから、安易に声をかけられない雰囲気があった。

 ――ろくな会話なんて、

 

「隣同士か、よろしくな」

「ああ、よろしく」

 

 これきりだ。

 

 様々な友人と付き合ってきて、時には不機嫌顔に見舞われ、時々はケンカをしてきたからこそ、「無理して仲良くしようとするのはヤボ」という機敏さは身につけているつもりだ。

 だから、松本さんとはこのままで良いのかもしれない。隣同士だからといって、無理やり仲良くなるほうが失礼だ――そう、結論付けていたのに、

 

 休み時間、友人達と夏休みの予定を話し合っている時に、松本がおれたちを見つめていた。

 

 視線に気づいたのは、赤木だけだった。目と目があった瞬間に、「あっ」――松本は逃げるようにして、本に視線を落としてしまった。

 うるさいから視線で訴えてきたのか、違う。本当にまったくの偶然で視線が合っただけなのか、これも違う。話題に興味があったから、聞き耳を立てていたのか。少し当たっていると思う。

 ――松本は、話に入りたかったんだ。

 

 だって、松本の瞳は揺れていたから。

 隣の席にいるから、はっきり見えた。

 

 この瞬間から、松本里子のことが気になりだしてしまった。

 何とか友達になれないかと、自分なりに真剣に考えた。

 けれど、これといって接点が見当たらなかったし、読んでいる本も難しそうだしで、きっかけがまるで掴めなかったのだ。

 

 そうして、あっという間に夏休みが訪れた。

 夏休みの壁といえば宿題だが、人によっては自由研究こそが鉄壁だと言う奴もいる。夏休み前に、友人達も「自由研究どーするよ」とボヤいていたし。

 しかし、赤木に限って言えば自由研究なんて楽勝そのものだった。テーマといえば戦闘機道一択で、家族旅行と称して会場にまで出向いたこともある。両親ともども盛り上がっていたし、良い思い出となったものだ。

 そうして赤木は、宿題そっちのけで自由研究の編集に取り掛かった。戦闘機道のここがスゴイとか、戦闘機はみんな違って面白いとか――戦闘機道を、絶対に履修するとか。

 その結果、レポートは文字通り「でかく」なった。

 

 そうして、あっという間に夏休みが終わった。

 自由研究発表会が始まり、全てをまとめたデカブツをクラスでお披露目してみせたところ、クラスメートも「すげー」「よー調べたな」「マジでヒコーキ好きだなーお前ー」と囃し立ててくれたし、教師も「素晴らしくまとまっています。宿題は少し多目に見てあげます」と言ってくれた。この人のことは一生忘れないと思う。

 確かに、上機嫌だったことに違いはない。

 けれど、どうしても、気になって仕方なかったのだ。

 

 松本の、のめり込むような視線を。

 

 自由研究の発表を終え、自分の席へ、松本の隣へ凱旋していって、なけなしの勇気を振り絞って「どうだった?」と聞いてみたところ、

 

「良かったと思う、素晴らしかった」

 

 微笑まれながらでそう言われた時、自分はめちゃくちゃに喜んだ。何たって、「あの」松本から評価されたのだから。

 

 ――いい奴だな。

 ――女の子なのに、戦車だけじゃなくて戦闘機にも興味があるんだな。

 

 歴史はもちろん、戦車の知識もからきしだったからこそ、どうしても松本には話しかけづらかった。女性といえば戦車道で、男といえば戦闘機道であったからこそ、「松本は戦闘機には興味がなさそう」と勝手に思い込んでいたのだ。

 ところが松本里子というクラスメートは、歴史も戦車も戦闘機もイケる口だったのだ。

 そんなツワモノが、まさかこのクラスにいるなんて。

 松本のことが、とても気になり出した。

 

「次、松本さん、お願いします」

 

 教師から発表を求められ、松本が淡々と「はい」と返事をして、淡泊な手付きでランドセルを開き、淡然な態度で大きく丸まった紙を「引っこ抜いた」。

 瞬間、「あ、やばいのが来る」と思った。

 松本が黒板の端に立ち、丸まった紙を少しずつ広げていく。やばいのが来ると察したのか、クラスメートはおろか、教師すらざわめきだして、

 

 松本の自由研究が公開された瞬間、赤木は「負けた」と思った。

 

 数えきれない文字、綿密に書き込まれた地図、細かいディティールすら見逃してくれない戦車の絵、「ドイツの戦史について、研究してきました」から始まる饒舌。ある者は言葉を失い、ある者は戸惑い、ある者はすごーいと漏らし、赤木は言葉を見失ったままで「こりゃでかくなるわ」と思った。教師に至っては、頷けもしないままで硬直しきっていた。

 一見すると難しいテーマを取り扱っているが、松本は「聞いて欲しい」のだろう。なるだけ専門用語は使わないように、物語を語るような調子でレポートを読み込んでいっている。途中で質問を投げかける猛者も現れたが、松本は快く「それはですね」から始まり、解答してくれるのだ。

 

 途中からドイツ旅行記が語られ始めたのだが、これに関しては教師のウケが非常に良かった。学園艦という海外交流が当たり前となったいま、こうした「他国へ行く」という経験は非常によく関心を抱かれる。教師からの「ドイツの雰囲気はどうでしたか?」に対し、松本は「日本とはまったく違います。町並みが良いんですよ、町並みが。あと通りすがりのレオパルト2が多くて最高でした」。

 ――確かに、テーマに興味をそそられたのは事実だ。その熱心さに呑まれたのも間違いない。

 戦闘機道を歩む以上、本場のドイツは避けられないし、そもそも松本の話し方が感情たっぷりだからこそ聴き応えがある。一時間は浸っていられると思う。

 

 けれどそれ以上に、研究の内容以上に、赤木は松本の表情に囚われきっていた。

 とても嬉しそうな、松本里子の顔に。

 

「――戦史は学ぶと、とても面白いです。以上、聞いてくださりありがとうございました」

 

 そう締めてみせて――何事もなかったかのように自由研究のレポートを丸め、何事もなかったかのように赤木の隣の席へ凱旋した。容赦の無い拍手を受けながら。

 

「……すげえな」

 

 思わず、漏れた感想。

 不意打ちに近かったらしく、松本が「えっ」と声を吐き出した。

 目と目が合ったままで、しばらくは間が訪れ、

 

「……そ、そうか? まあ、その……えと、ありがとう」

 

 思わず、どきりとする。

 ――この瞬間から、松本のことがめちゃくちゃ気になり始めた。

 

 だって松本、絶対にいい奴だから。

 

 

 そうして自由研究発表会が終わり、クラスメート全員が脱力している中でも、松本は相変わらずの無表情で「初心者にもわかるドイツ語」を読み込んでいる。

 一方で赤木は、どうやって松本と話そうかと両腕を組んだままだ。自由研究についてあれこれ質問すべきか、戦史について問うか、なるだけとってつけたような動機づけは避けたい。

 改めて、無表情に逆戻りしてしまった松本のことをそっと見つめる。

 最初は、本にしか興味がないのかと思っていた。けれど実際は、他人とおしゃべりするのが好きな普通のクラスメートだった。松本とはまだまだ短い付き合いだが、隣同士だとその人となりというものが染み付いてわかってくる。実際、これまで隣になってきた女子とは例外なく仲良くなっていったものだし。

 

「赤木どした、そんなシケた顔して」

 

 友人の竹下と芝村が、今日も気楽に近づいてくる。何でもなかったかのように、赤木が「よ」と手で挨拶をして、

 

「いや何でも。にしてもどうだったよ、俺の渾身の一発は」

「いやー、お前ってホント戦闘機道好きだよな。そりゃ俺も戦闘機道目指そうかなって思ってるけど、ありゃ凄いわ」

 

 竹下が両手を曲げておどけてみせて、芝村が生真面目な表情で小さく頷く。ふたりとも戦闘機道を目指していて、その縁でいつの間にか友人になったクチだ。

 ――その時、芝村が「でもさ」と前置きして、

 

「ちゃんと宿題はしろよ。お前、去年もそうだったじゃないか」

「いやーごめんなーすまねえなー、来年は絶対に終わらせるから」

「俺に泣きついてくるなよ」

「えー芝村ぁー」

 

 成績優秀で真面目な芝村は、もちろん宿題なんて済ませている。実際に何度か手伝ってもらったこともあり、宿題の件でつつかれると結構痛い。

 

「素行不良ってことで、戦闘機道からふるい落とされないようにな。赤木クン」

「うるせー、来年からはちゃんと真面目になるよ」

「期待しないでおく」

 

 くそが。竹下に向けて鼻息を飛ばしてやり、竹下は何でもないようにケタケタ笑う。

 ――芝村が、伺うように松本を眺めている。その視線に気づいた赤木が、「ん」と唸る。

 

「さっきの、松本さんの自由研究、すごかったな」

 

 見逃さない。ぴくりと、松本の体が動く。

 

「なー、あれは凄かったよな。お前の自由研究も良かったけど、松本に全部かっさらわれたな」

「それは思う」

 

 松本からの視線が、色濃く伝わってくる。

 やっぱり、褒められもすれば気になってしまうのだろう。たぶん、話題にも混ざりたいはずだ。

 

「すげえなまつも……っと、読書中か。邪魔しちゃ悪いな」

「ああ」

 

 聞こえた。松本の「あっ」という声が。

 

「しかしドイツかー。まあ確かに、あっこも戦闘機道の本場みてーな場所だよな」

「ああ。そこと連携している黒森峰は、時々ドイツと練習試合を行って、互いを高めあっているみたいだしな」

 

 そう。

 黒森峰学園は、戦闘機道、戦車道の強豪校として全国的に有名だ。とにかく金を持っているというのもあるが、本場ドイツとの連携が固いというのも強みに繋がっている。

 逆を言えば、黒森峰を破れば大ニュース間違いなしであり、名前は確実に上がる。おまけに予算も積み込まれるものだから、打倒黒森峰は戦闘機道履修者共通の夢といっても過言ではない。

 ――竹下が「練習試合ねえ」と前置きし、

 

「黒森峰戦闘機道WEBはちょくちょく眺めてるけど、やっぱ戦力が尋常じゃねえわ。練習試合のレポートも詳細だし、勉強にはなるんだけど」

「ああ。……でも、またドイツには負けたらしいな」

 

 赤木が「らしいね」と肩をなでおろして、

 

「どうやって、何を考えてドイツは戦っているのか、それが知れれば大ヒントになるとは思うんだが……なあ?」

 

 みなまで言うなとばかりに、竹下が苦笑して、

 

「ドイツの学園艦のオフィシャルサイト見たけど、何て書いてあるかわっかんねーわ」

 

 ドイツに所属している学園艦なのだから、使われる言語は当然ドイツ語だ。赤木もサイトにお邪魔したことがあったのだが、未知なる言語を前にブラウザバックした経験がある。

 

「あっこのサイトが見られれば、強くなるヒントがあるかもしれないんだけどなあ」

「練習試合についてのレポートはあるだろうよ」

「ドイツって真面目なイメージがあるもんな」

 

 竹下が残念そうに溜息をつき、芝村が唸る。赤木は、いよいよもって強まってきた松本からの視線を身に浴びる。

 どうしたら自然と、松本を巻き込める――松本の本を目にした瞬間、「あ」と間抜けな声が出た。頭の中で、瞬く間に提案が構築されていく。

 今しかない。

 ガンマンのような手さばきで、ポケットから携帯を取り出す。教師に見つかったら面倒なので、竹下を壁にするように。

 慣れた手付きでブックマークを引っ張り出し、そこから黒森峰学園艦オフィシャルサイトへアクセスする。迷い無くリンクページをタップした後で、連携校コーナー、即ちドイツ国籍の学園艦サイトめがけ人差し指を叩き込み、瞬く間に解読不可能の世界へ飛び込んだ。

 ひと呼吸、置いて、

 

「……なあ」

 

 しっかりと、松本の目を見つめる。不意に声をかけられたせいだろう、松本は「あっ?」と動揺してしまった。

 

「あー、悪い。実は、用があって……いいか?」

「な、何だ?」

「これ。このサイト、ドイツの学園艦のオフィシャルサイトなんだけれど……読める?」

 

 松本が二度、三度ほどまばたきをする。そうして手持ちの本とサイトを見比べてみて、「そう、だな」と躊躇いがちに呟いた後、

 

「……貸してもらって、いいか?」

「もちろん」

 

 携帯を手渡し、松本が「どれどれ」とサイトを凝視する。竹下も芝村も非常に興味があるようで、黙って松本の動向を見守ったままだ。

 ――感じる。

 松本の目が、鋭くなってきた。本を置き、画面をそっとスワイプしてみせて、また頷いてみせて、「なるほど」と口にした後、

 

「たぶん読める。ほら、これは学校のモットーが書かれてあるんだ」

 

 どれどれと、赤木と竹下と芝村が画面を覗き見る。

 でかでかと書かれたドイツ語が目に入り、「読めねえ」と竹下が降参するが、松本は特に何でもなく、

 

「『善は必ず帰ってくる、そう生きろ』――そう書かれているんだ」

 

 ドイツ語を読めた事実に対し、赤木が「マジかよ」と感嘆する。芝村も熱が入ってきたらしいのか、「これは?」と画像を指差す。

 

「これは校長だな。これは名前」

 

 いよいよもって、赤木と竹下の歓喜が収まらなくなる。芝村は顔に出にくいタイプだが、姿勢は明らかに前のめりだ。

 

「じゃ、じゃあ……戦闘機道に関するレポートがどこにあるか、わかるか?」

「どれどれ」

 

 松本も勝負モードに入ったのだろう、携帯を凝視しながらでサイトを発掘していく。手早くリンクページを発見しては、部活系列のサイトを発見し、松本が「戦闘機道、戦闘機道……お、戦車道があるのか、当然か」と漏らす。

 どうやら、解読は順調に行われているらしい。赤木の視線は画面一色であり、竹下も芝村も無言で動向を見守り続けている。松本が「んー」と唸りながらでフリックを多用し、「お」の一言で画面が固定された。

 

「これだな」

「すげえ!」

 

 タップと同時に、ドイツ学園艦の戦闘機道サイトが表示されていく。しょっぱなから空を舞うフォッケウルフの画像が映し出されたから、間違いない。

 

「松本さん……天才か?」

「ドイツ語が好きなだけさ。で、レポートだな?」

 

 表情を一つも変えずに、松本が戦闘機道サイトを無遠慮に漁っていく。竹下はすげえすげえと大喜びし、芝村はさすがだと称賛している。一方の赤木はといえは、握り拳を作りながらで松本の行く先を見届けているのみだ。

 そうして数十分も、数分もかからないうちに、

 

「出たぞ」

「松本様すげえ!」

 

 竹下が全力で讃え、松本が気恥ずかしそうに苦笑する。芝村は相変わらずの無表情だったが、腰などすっかり前のめりだ。

 

「えーっと、じゃあ読むぞ。努力はするが、間違っていたらすまない」

「大丈夫」

 

 赤木の言葉に対して、松本は「わかった」と口元を曲げてみせる。松本の方も火が入ったらしく、本を片手に「どれどれ」とレポートを翻訳し始めた。

 

 ――結果は、一言で言えば大豊作だった。生真面目な校風だからか、ありとあらゆるアクションについての評価やダメ出しが事細かに書かれていたのだ。

 戦闘機道希望者として、本場からの意見は宝に等しい。専門用語が容赦なく飛び込んできたが、赤木の頭は難なくそれらを受け入れられていた。

 そして長文ではあったが、締めは『世界はわが校が、日本では黒森峰が今年も優勝することだろう』。

 

 チャイムが鳴り、竹下と芝村が松本にお礼を言い去っていった。

 赤木はもちろん、松本も上機嫌そうに顔を明るくしたままで、

 

「今日はありがとうな」

「いや、いい頭の運動になった」

 

 今日はいい日になったと思う。隣の席の松本と、こうして話し合うことができたのだから。

 ――ところで、松本の顔が大きく見える。

 

「……! あ、ち、近っ」

「うわっとと悪い悪い」

 

 携帯を覗き見る都合上、顔と顔とが知らずに接近しあっていたらしい。

 いつもよりよく見える松本の瞳を意識し出した途端、逃げるようにして距離をとってしまった。

 

 授業が始まる。かったるそうに教科書を取り出すついでに、松本の顔を眺めてみたが――機嫌は、良さそうだった。

 

 

 みんな大好き給食の時間が訪れて、瞬く間にグループが構成されていく。この時ばかりは自由席ルールが設けられ、各々他人の席へ座り込んでは机をブロック状にひとまとめするのがこの教室の習慣だ。

 赤木はといえば、芝村と竹下、あとは目に入った友人を誘うようにしているのだが、

 

「松本さん」

 

 自分の席で、一人で給食をとろうとした松本に対し、赤木は当たり前のように声をかける。完全に予想外だったらしく、松本からは「な、なに?」と驚かれてしまった。

 

「一緒に食わね?」

「――え」

「駄目かな?」

「い、いや、そういうわけじゃないが」

「よし決定。いやなに、さっきは大奮闘してくれたからさ、お礼にプリンでもあげようかなって思って」

 

 もちろん、褒美云々は建前だ。実際は、松本と仲良くなりたいという余計な世話から声をかけてみた。

 松本が躊躇う、「いいのか?」と確認までとってくる。赤木は当たり前だとばかりに頷いて、

 

「当たり前だろ? なあ?」

 

 竹下と芝村が、同意するように首を縦に振るう。松本が無表情のままでまばたきして、少しうつむいてみせて、

 やがて、赤木と目が合った。

 

「じゃあ、よろしく」

「もちろん。これからもよろしくな」

「――え」

 

 ごく普通に、赤木は手を差し出す。

 松本の目と口が丸くなる。赤木が、自信満々そうに自分のポケットを小突く。

 携帯の感触が、指から伝わった。

 

「一緒に盛り上がれたじゃん。だから、これからもよろしくな」

 

 右も左も喧騒が止まない、雑談が聞こえてくる。誰も、この場に異論など挟んではこない。ふと教師と目にあって、にこりと微笑まれた。

 真っ昼間の日光を背に受けながらで、松本が「そっか」と呟いて、「そっか」とはっきり言って、

 

「わかった。じゃあ、一緒に昼を共にしよう」

「そうこなくっちゃ」

 

 こうして、手と手が一つになった。

 

 ――松本が、少し苦戦しながらで机を持ち上げようとする。それを目の当たりにした途端、男のプライドを揺さぶられた赤木が、松本の机をがっしり掴み取っていた。

 

「すまない」

「いいって」

 

 二人がかりで松本の机を運搬して、これにて赤木、松本、竹下、芝村の四人グループが構築された。

 松本の席はもちろん、赤木の隣だ。

 給食はもう運んだ、あとは食うだけ。松本と赤木が席につき、「いただきます」と両手を合わせ、早速とばかりに本日のメインディッシュ――プリンを松本に手渡す。

 

「今日の報酬、受け取ってくだされ」

「はっはっは、かたじけない」

 

 なんだ、なんだ――

 やっぱり松本、いい顔できるじゃないか。

 

「……ま、あれだ」

「うん?」

「ドイツ語はかじった程度だが、もし解読したいものがあればいつでも声をかけてくれ」

「おっしゃ。じゃあ松本には、レポート解読班になってもらいたいんだが、いいか?」

「心得た」

 

 竹下と芝村が、「っし」と小さく拳を作る。赤木は、松本と友達になれたことで笑みがこぼれてしまう。

 思う。松本と隣同士になれて、本当に良かったなと。

 

「赤木」

「ん?」

 

 松本が、

 

「――ありがとう」

 

 とても、いい顔をしていた。

 やっぱり松本は、いい奴だ。

 

 ――何となく、空を映し出している窓を眺めてみる。

 勇気さえ出せば、世界は上手く動いてくれるらしい。

 

 放課後、俺は松本と一緒に下校した。

 

―――

 

 中学最初の夏休みを終えたあと、鈴木貴子は普通に宿題を提出し、普通に自由研究を発表して、普通の拍手と盛大な拍手に迎えられた。

 拍手されるのは別に良い、好き好んで研究したテーマが普通に受け入れられているのだから。

 問題は、盛大に拍手した「とある女子」についてだ。名前は――確か松本里子か。その松本が、目を輝かせながらで「ばちばちばち」と手を叩いたのである。

 松本の異質さは、拍手だけに留まらない。自分が「ローマについて研究しました」と言った途端に、松本の姿勢が前のめりとなり、一言一言にうんうんと頷いてくれたのだ。

 この1-Cには、ローマ好きなんていない。ローマ好きだった幼馴染は、家の都合で別の学園艦へ旅立っていってしまった――そうしたハードルが設けられていたからこそ、反応に期待なんてしていなかったのに。

 

 鈴木は、「へえ」と思った。もしかしてローマ好きなのかなと、一抹の期待を抱いた。もしローマ好きであるならば、それを軸にしてはじめての友人が出来るかもしれない。

 一礼し、時間をかけて紙を丸め、一度だけ松本と目が合って、何事もなかったかのように席へつく。

 頬杖をついて、次は誰だっけとぼんやり思考し始める。友人がいないから、楽しむスキもあったものじゃない。

 

「では、次は松本さん。よろしくお願いします」

 

 へえ。

 

「私は、ドイツの戦車博物館を巡ってきました」

 

 松本が淡々とした表情で語り、淡々とした手付きで紙を開け、広げ、大きくしていく。既に濃厚さを隠しきれていないそのバリューっぷりに、鈴木の姿勢が瞬く間に前のめりとなる。

 

「っと。えー、私は、両親とドイツへ旅行しに行ったのですが――」

 

 ここぞとばかりに文字が並び、これでもかとばかりに戦車の絵が描かれ、これでどうだとばかりに経験談を、持論を滑らすように語っていく。松本の表情は、淡々としたものから楽しげに変化する。

 無表情な女子生徒が多い中、鈴木は松本世界へ真っ先に食いついていた。同じ「におい」を感じたから。

 松本の一言一言を聞き逃すことなく、鈴木は無意識のうちに頷き、小さく「うん」とまで言ってしまって――気づけば、松本の自由研究発表会は終わってしまっていた。

 大半の女子は「へえー」だっただろう、教師は「いい旅行でしたね」と締めた。けれども鈴木は、「ウチの教室にこんなツワモノがいたのか」と思考していた。

 松本が時間をかけてレポートをくるめ、自分の席へ戻ろうとした時、

 

 松本が、こっちを見て笑った。

 

 何を意味しているのかなんて、歴女としてすぐ感応した。

 『お前も、歴女か』――

 

 こうして自由研究発表会が終わり、休み時間が訪れる。怠惰な気分は既に消え失せていて、心臓が痛いくらいに動き回っていた。

 背筋を伸ばし、呼吸を整え、両手で握りこぶしを作り、両頬を叩く。いたい。

 チャンスを逃してはならない、一人ぼっちの学園生活なんて嫌だ。だから自分は、松本と友達になるんだ――己が勇気をかき集め、それを手のひらで食べ、「よし」の一言ともに席から立ち上がり、

 

 松本里子が、自分めがけ歩んできていた。

 

「――な、何だ?」

「いや、な」

 

 一冊の本を取り出す。タイトルは、「ドイツ軍事史」。

 

「あなたのテーマは、最高に気に入った。私は戦史好きなんだが、ローマの歴史も素晴らしいな」

 

 不意打ちを食らってしまい、不安と高揚をごちゃごちゃにしながらで「だろ?」と頷くことしかできない。

 

「もっと、ローマについて教えてもらいたい。いいかな?」

 

 無言で、頷くことしかできない。

 いまの自分は、どんな顔をしてしまっているんだろう。

 

「それはよかった。……まあ、なんだ」

 

 松本が頬を赤くしながら、控えめに口元を緩ませ、

 

「私と、友達になってくれないか?」

 

 返事なんて、もちろん、もちろん――

 

―――

 

 戦闘機道を歩んではや一年が過ぎ、未だ二軍として春空を舞っていた頃。

 下校中、軍帽を被った松本と、スカーフを身につけた鈴木――カエサルに対し「昨日の黒森峰学園サイト見た?」と聞き、松本が「見た見た」と返し、

 

「プラウダと練習試合を行ったそうだが、8:2の差で勝利したそうだな。まったく、やるものだ」

「黒中(黒森峰戦闘航空大隊中等部)は戦闘機道イチの強豪だからなー。だからこそ、練習試合の申し込みが殺到しているらしいんだけどな」

「強者の証だな」

 

 松本の言う通りで、大会だろうが練習試合だろうが黒中は決して負けやしない。そりゃあ一機や二機は撃墜されることもあるが、負けてはいないのが重要だ。

 しかし、カエサルが、

 

「強いのは分かる。だが、攻略法は必ずあるはずだ。絶対に負けない存在などこの世にはない」

「まあ、そうなんだろうけどな」

「お前ー、優勝したくないのかー? 大会で」

「したいさ。けれど、レギュラー入りを果たさないことにはな」

「レギュラーか。競争率は?」

「割と。戦闘機道って男の花形みたいなモンだから」

「難しいんだな」

「まあな。でも、俺は必ずレギュラーになるつもりだがな」

 

 ふと、帰路についていた松本の両足が止まる。言いようのない威圧感を覚え、赤木もカエサルも釣られるように停まってしまった。

 

「――なあ」

「うん?」

「レギュラー入りするには、どうしたら?」

「え」

 

 下手なことなんて言えそうにない。なぜなら、松本の目つきがナイフのように鋭かったから。

 だから赤木は、率直に、簡潔に、

 

「模擬戦で活躍できりゃ、いつかはレギュラー入り出来るだろうが、」

「ああ」

「黒中相手に活躍できれば、手っ取り早く全国大会に出られるだろうな」

 

 黒中の話題が出てきたからこその、半ば思いつきに近い言葉。

 言うだけならタダだった、流されるかと思っていた。

 ――松本の目つきが、鋭いものになるまでは。

 

「……本当だな?」

 

 弛緩しきっていた空気が、まるで硬直したと思う。雰囲気に逆らえないままで、赤木はうんと頷くことしかできない。

 

「赤木」

「あ、ああ」

「一つ、大事なことを聞きたい」

「それは?」

 

 松本が、両肩で息をする。軍帽をかぶり直し、改めて赤木の瞳だけを見つめ、

 

「黒中と戦う意思は、あるか?」

 

 一握りの嘘すら許さない、刃のような質問。

 それに対して、赤木は何の躊躇いもなく、

 

「――ある」

 

 赤木は、ハナから戦闘機道を歩むつもりだった。同時に、世界一の戦闘機乗りになるという願望も同時に生じていた。

 思いつきで言ったつもりはない。幼稚園の頃から、ずっとずっと抱えてきた夢の一片を口にしただけだ。

 それを聞いた松本は、やはり無表情のままで――

 

「わかった」

 

 □

 

 そうして次の日――土曜日になって、松本から『ちょっと遠征してくる』のメールが届いた。カエサル(メールアドレスもカエサルもじり)からも『お土産を期待するように』と。

 自室で寝転がりながら、赤木は適当な手付きで『わかった。旅行楽しんでこいよー』と返したのだ。そう返信した後で、どうして女子二人なんだろうかと今更になって気になり始め、

 まあ、女の子だけで旅行したくなることもあるか。

 安易に、答えらしいものは出た。

 

 次の月曜。登校中にカエサルと松本のペアと遭遇するやいなや、松本の手から有無を言わさずに土産を手渡された。最初は「なんだべ」と思った赤木だが、「大洗向け、対黒中マニュアル」の羅列を目にした瞬間に、朝特有の脱力感などはあっさりと吹き飛んでしまった。

 松本と目が合い、「読んでくれ」と目で促され、ページをめくってみて――

 

「すげえ」

 

 ものの数秒も立たないうちに、マニュアルに対しての感想がもれた。

 

「どうだ。役に立てそうか?」

「立つ」

 

 その時の、安堵しきった松本の姿は、まちがいなく忘れられないと思う。

 そして赤木は、全てを察した。だからこそ、

 

「俺達、大洗戦闘機道のために、松本と鈴木はこんなに手間のかかる凄いことを?」

「え? ああ違う違う。私はただ、なんとなく黒森峰へ遊びに行っただけさ。そこでたまたま練習試合があったから、興味本位に観戦をだな。でまあ、こうした分析も趣味でやっただけ」

 

 けろっとした笑みで、松本はそう言いのけたのだ。カエサルは「私は単に、暇だから付き添っただけさ」と。

 ――嘘だ。

 じゃあ何で、こんなにも大洗寄りの分析でまとめられているんだ。なんで、ページの隅に自分への応援メッセージを書いてくれているんだ。

 こんなの、趣味と義心が一つになった結果じゃないか。

 黒森峰へわざわざ遠征しに行った理由なんて、遊びじゃなくてハナから練習試合が目的だったんじゃないのか。自分がレギュラーになりたいとほざいたから、戦う意志を示したからこそ、「ほっとけなくなった」松本が、そしてカエサルが頑張ってくれたんじゃないのか。一人より二人という理論を以てして。

 

 こんな事実、簡単に気づけた。

 だって二人は、俺の友人なのだから。

 

「ありがとう、ふたりとも」

 

 鈴木貴子は、にこりと笑って「友達だろ?」と言ってくれた。

 松本里子は、にやりと笑って「仲間だろ?」と言ってくれた。

 

「これは必ず、役立たせる。よし、授業が始まったら隊長と話し合ってくる」

「よし、その活きだ。私はアウレリアヌス城壁からお前を見守ることにしよう」

「じゃあ私は、ケールシュタインハウスから見守ることにする」

「なんか強そうだな! サンキュー松本、鈴木! ……あ」

 

 ここで鈴木が、漫画のように口元をへの字に曲げてみせ、

 

「私のことはカエサルと呼べって言っただろ。このマフラーが目に入らぬか」

「見えてるけどさあ。でもさあ、やっぱ違和感強くねえかなあ」

「いいんだよ別に、私はそう呼ばれたいんだ」

 

 中学二年生になってからというもの、鈴木ことカエサルと、エルヴィンこと松本のファッションは激変した。

 まずカエサルだが、赤いスカーフのようなものを身につけるようになり、朝っぱらから「私は、今日からカエサルと名乗ることにした!」と応援団長めいた声で宣言された。

 次に松本だが、何と軍帽を被るようになり、これまた朝イチで「私はエルヴィンと名乗ることにする! まあお前は里子なり松本なりエルヴィンなり好きに呼んでもいいぞ!」と叫ばれた。

 松本はともかく、カエサルの方は未だに「鈴木」と呼んでしまうことがある。そのたびに「カエサルだ、間違えるな」と訂正されるので、どうしてもカエサル呼びに慣れなくてはならない。難しいものだ。

 

 

 戦闘機道の授業が始まり、赤木はノートを片手に隊長めがけ突っ走っていく。

 周囲が何だ何だと関心を向けるが、気にしてなどいられない。やがて戦闘機道エリアに到着してみれば、あっさりと隊長の姿を発見し、大声で隊長を呼ぶ。

 かなりやかましかったのだろう、隊長が「どうしたー!?」と駆けつけてきてくれて、息切れ寸前だった赤木は死にかけの手付きで「大洗向け、対黒中マニュアル」を手渡すことに成功する。

 

「こ、これ、俺の友人がまとめてくれた奴で……そ、それでもし、このノートに価値があったら、黒森峰に練習試合を申し込んでみませんかっ?」

「何を言ってるんだ。あいつらは、」

「わかってます、言いたいことは。……とりあえず、読んでみてください」

 

 疑いの色を顔に保ったまま、部長が1ページ目を開く。何を思ったのか、ここでしばらく硬直時間が生じて――2ページ目、3ページ目と、めくる手が止まらなくなる。

 

「すごい」

 

 大洗航空隊隊長の名は伊達ではないらしく、すぐさま対黒中マニュアルの価値に気づいてくれた。

 晴れ空の下、隊長は直立不動のままでうんうんとかふむふむとかなるほどとか唸りに唸り、一時もノートから目を離そうとしない。

 その威圧めいた空気を感じ取ったのか、他の履修者達もこぞって集まってくる。竹下が「どしたんすかー?」と質問し、隊長がノートを履修者たちに見せびらかし、

 

「――黒中と、練習試合をしようと思う」

 

 これには当然、履修者達はおったまげた。

 勝てるわけがないとか、時間の無駄だとか、修理費もタダじゃないんですよとか、ありとあらゆる異論が飛び出てくるのは当然だ。竹下も芝村も難色を示していたが、赤木は、

 

「俺はやりますよ」

 

 隊長以外の顔が、ぴくりと硬直した。

 根拠の無い自信でも、媚びへつらいなんかじゃない。今回ばかりは「友のために、やらなければいけない」という義憤に満ちていた。

 

「このノートは、俺の友人が書いてくれたものです。読んでみてください、きちんと大洗航空隊の視点から攻略法が書かれていますよ」

 

 この一言から数分後、マニュアルを読み込んだ航空隊の中で「やる」派と「いやしかし」派が生じた。

 その反応は、しごく当然だと思う。戦闘機道を歩んでいるからこそ、黒中と戦う現実がよく見えるはずだから。

 しかし、赤木は「やる」と言う。竹下と芝村も、黒中と戦う腹づもりになってくれた。ありとあらゆる表情が隊長に向けられる中、

 

「俺さ、」

 

 隊長は、生真面目な真顔のまま、

 

「優勝、したかったんだよね」

 

 その一言で、練習試合を行うことが決まった。

 隊長からは特別に出撃する権利を与えられ、竹下も芝村も「やってみろ」の一声で参戦することとなった。

 ――赤木は深く、ふかく安堵した。

 だって、松本の功績が認められたから。

 だって、松本の努力に報いたかったから。

 それに、赤木も部長と同じ夢を持っていたから。

 

 

 こうして練習試合が行われ、黒中の戦闘機は八機のうち四機が撃墜、大洗はものの見事に全滅させられた。あっという間だったと思う。

 しかし後日になって、赤木と松本は大きく口元を曲げきった。だって黒森峰の戦闘機道レポートには、『反省点が多い試合となってしまった』と書かれていたのだから。

 

―――

 

「三人共! 戦闘機道レギュラー入り、おめでとさん!」

「サンキュー! かんぱーいッ!」

 

 赤木、竹下、芝村、松本、カエサルの五人グループが、定食屋の一角で乾杯(ジュース)の音頭を上げ、五人同時に中身を飲み干していく。

 そうして五人同時に「ったはー!」とコップを置いて、軍帽を被った松本がいやらしい笑顔とともに「で?」と呟き、

 

「二年でレギュラー入りなんてなあ、いくらなんでも早すぎじゃないか天才か?」

「普通にいるよ、二年のレギュラーなんて」

「だが、三年よりは少ないだろ?」

「そりゃあまあ」

「じゃあ、才能があったってことだな」

 

 松本とカエサルが、「なー」と頷き合う。竹下は「俺にも才能があったんだなー」と喜色満面の笑みを浮かばせているし、芝村は照れくさく「やることをやった」とだけ。

 赤木はといえば、「そうかもしれんが」と返しつつ、

 

「でも、松本のお陰でもあるだろ」

「は? 私が何をしたっていうんだ」

 

 自分の指先で、己がこめかみを軽く小突く。

 

「お前のお陰で、黒中との練習試合で良い結果を残せた。これは事実だろ」

「何のことやら」

 

 竹下が上機嫌そうに笑い、

 

「松本が戦術ノートをまとめてくれたお陰で、上手くメタれたじゃんかよ」

「私は戦術とか、戦史とか、軍事などが好きなだけだ。だから戦闘機道にも興味があるし、練習試合があればついでに見にも行く」

「謙虚だな、お前」

 

 赤木の一言に対し、カエサルが「うむ」と反応し、

 

「お前さ、『赤木の役に立つかな』ってしっかりノートにまとめていただろ。それを『ついで』と言うのは苦しいんじゃないか?」

「! 馬鹿ッ、余計なことを言うな!」

「……そう、だったのか」

 

 赤木がほっけをかじりつつ、

 

「すまん、マジで助かった」

「い、いや、その……ほら、私はドイツびいきだし」

「そっか」

 

 赤木が、箸でからあげの一切れをつまみ、

 

「ありがとな、手間かけさせて。これ、やるよ」

「え、いや、その」

「いいって。それにな、お前は戦闘機道中等部における影のブレインとして頼りにされてるんだからな」

「……お前が書いたって、言えば良かっただろ」

「あんなきれいな字、俺には書けねーよ」

「手柄なんて、お前のものにすればよかったのに。そうすれば、時期隊長の座にだって、」

「やだね」

 

 からあげを松本の皿の上に置いた後、

 

「友人の功績を、友人が潰すなんて最低だろ」

「う、」

「それに本当は、お前の名前も出したいんだが……ほら、迂闊に公表すると面倒くさいことになる気がしてな。戦闘機道はむさい世界だし」

「まあ、な」

「だからあくまで、俺は『友人が書いてくれた』って言うよ。お前のお陰で、俺がレギュラーになれたっていう事実も譲らない」

 

 竹下と芝村が、同意するように頷く。

 松本の箸の手は止まってしまっていて、頬を赤く染めながらですっかりうつむいてしまっていた。

 ――この光景が、赤木からすれば愛おしく思う。

 あの黒森峰戦闘航空大隊中等部の驚異になれたことが、戦闘機道履修者として誇らしく思えるから。カエサルと松本の努力に、報いることが出来たから。

 

「いやーほんと。黒中お得意の、一撃離脱戦法の攻略法を書いてくれた松本には感謝しかねえわ」

 

 竹下がしみじみと感謝し、芝村も「ああ」と同調する。赤木だってんだんだと同意するほかない。

 

「――まあ正直、あそこまで上手くいくとは思わなかった。まあ黒森峰はプライドが高いらしいから、弱小校にアレコレされるのは我慢ならなかったんだろうな」

「次は通じるものかな」

 

 松本が味噌汁を飲み、カエサルが天丼をもりもり食う。

 確かに、二度目が通じるかは不安だ。対策だって練ってくると思う。

 

「ま、」

 

 松本が器を置き、

 

「その時はその時だな。偵察は任せろ、まさか女である私が戦闘機道の手先であるとは思うまい」

 

 くくくと、実に楽しげに松本が笑う。

 流石だと、赤木は思いつつ、

 

「それはありがたいが……いいのか? 学園艦に行くのもタダじゃないんだし、これきりでも、」

「いいんだ」

「偵察なら俺でも、」

「い、い、ん、だ」

 

 強く断られてしまった。

 

「こう見えて時間はあるからな。だから、必要とあらば偵察の一つや二つ、こなしてやるよ」

「そ……か」

 

 思う。松本はなんていい奴だ。

 ――だから、

 

「お前さ」

「ん?」

 

 だから、

 

「俺、お前と友達になれてよかったよ」

 

 その時、店内の音しか聞こえなくなったと思う。

 お調子者の竹下からも、寡黙な芝村からも、語り好きのカエサルからも、そして松本からも、一切の声が届かない。

 注文を受ける店員の声が響く、学校生活について語り合う女子の雑談が耳に入る、ジャズの話で盛り上がっているらしい男子の話し声が届き、船舶科はつれーなーと愚痴ってい、

 

「そう、か」

 

 松本の頷きとともに、ようやく「いつも」が取り戻される。

 

「そうかそうか、そう言ってくれるか」

「当然」

「じゃあ、これからも裏のブレインとして手腕を振るってやる。ありがたく思え」

「やったぜ松本ー、愛してるー」

「そういうのいいから」

 

 冷徹だった。

 フられたことでしょげる竹下、がんばれと励ます芝村。残念だったなーとゲラゲラ笑う赤木に対し、松本が「ふん」と天丼を口にする。

 その一方、カエサルは真顔のままで顎に手を当てている。赤木が首をかしげるが、カエサルが「そういえば」と赤木に視線を合わせてきた。

 

「どした」

「いや、次の練習試合の相手は決まったのか?」

「んや、まだ。流石に今回みたいな無茶はしないつもり」

「ほー。で?」

「……継続高校と戦ってみようかな」

「そうか」

 

 良いことを聞いたとばかりに、カエサルの口元が笑う。

 

「松本」

「何だ」

「偵察するか? 継続に」

「いいぞ」

「よし」

 

 カエサルが、天丼を一口つまみ、

 

「私と松本、そして赤木、お前も同行してもらう」

「ああ、いいよ」

 

 赤木があっさりと返答する。カエサルが同意を求めるように、横目で松本を眺め、

 松本は、「え」とか「へ」とか「え」と唸ったまま、ひたすら赤木を凝視していた。この予想外の反応に、赤木は言葉を見失うしかない。

 しかし、カエサルは意にも介さずに「決まりだな」と締めた。

 

「ちょっと待て、なぜこんな流れになった」

 

 締められなかった。

 

「え、駄目? もしかして男子禁制?」

「い、いや! そういうわけじゃないが」

「じゃあいいだろ」

 

 カエサルは涼しい顔で、天丼を次から次へと飲み込んでいく。

 竹下も芝村も、これといって異論を挟まない。

 

「それに、直接観戦した方が多くを学べるだろ。テキストだけじゃあ、限界もある」

「それは……そうだが」

「なんだ。三人で行くんだぞ、二人きりじゃないんだぞ」

「まあそうなんだが!」

「じゃあいいだろ」

 

 カエサルにすっかり丸め込まれた松本は、憎悪の眼差しをカエサルに差し向ける。一方のカエサルは、やっぱり涼しい顔をして「ごちそうさまでした」と手を合わせているのだった。

 力関係が見えてきた瞬間である。

 

「……まあ、その、嫌だったら俺抜きでもいいからな?」

「い、いや? 別にいいからな? お前の時間があれば」

「そ、そお? じゃあ行くわ」

「たいちょー、お土産よろしくー」

「楽しんでこい」

 

 竹下と芝村がバックでやんややんやと言う中、松本は――観念したように「よろしく」と苦笑し、赤木は「これからもな」。

 何が嬉しいのか、カエサルは音を立てずに微笑んでいる。

 

 なんとなく、店の天井を眺めてみる。

 恐れずに歩んでみると、世界は意外にも動き出してくれるみたいだ。

 

―――

 

 ここ最近の大洗戦闘機道中等部は、大洗学園艦WEBニュースによくモテている。

 大洗航空隊といえば戦力なし、金なし、戦術なしの典型的弱小チームだったのだが、ここに「下積みたっぷりの戦術」が組み込まれることによって、大洗航空隊はある程度化けた。

 戦力不足といえども、飛ぶモノさえあれば戦術と腕でどうにかなるし、金だって別に皆無というわけではない。あとは戦術面の不足のみが目立っていたわけだが、ここに松本、カエサルの分析脳が加われば弱点の穴埋めは完了する。

 それ故に、黒森峰やプラウダ相手には勝利できなくとも、食らいつける程度の域には達した。継続や知波単といった「いいトコ」に対しては、勝ったり負けたりするようになったのだ。

 実績に乏しい大洗学園艦からしてみれば、こうした実績に食らいつかないはずがない。そもそも黒中と戦った時点で『大洗航空隊中等部、目覚めの兆しか?』と大洗WEBニュースにでかでかと書かれてしまったし、知波単に勝利した時点ですぐさま新聞部が殺到した。明るくポジティブな特ダネなのだから、この行動の速さも納得するしかない。

 特に注目されたのは、格闘戦の鬼こと零戦乗りの隊長、触接のプロこと二式陸偵乗り竹下、航空隊の一番槍こと烈風乗り芝村、そして善戦の提供者こと紫電乗り赤木が、期待のルーキーとしてハデハデと取材されてしまった。

 カメラのフラッシュに炊かれる中、「戦術を生み出す秘訣は何ですか?」と問われたが、

 

 ――相手を観察する、これは基本ですね。これは体で覚えられますが、どうしても個人の感覚に引っ張られがちです。

 そこで客観的な分析と、それを的確に落とし込める文章力が必要となるわけですが、それは俺が考えるのではなく、知恵者である友人が描いてくれます。プライバシーの観点から友人の名前は出せませんが、友人がいなければ、自分は……いえ、大洗航空隊中等部は、こうして称賛されることはなかったでしょう。

 

 松本からは「恥ずかしいじゃないか」からかわれ、カエサルからは「もっと褒めてもいいぞ」と笑われ、赤木も悪くない気分に浸れている。学園側も予算の増加を検討してくれたし、いいこと尽くしだ。

 

 けれどもやはり、赤木は根っからの戦闘機道野郎だった。

 休みを返上してアンツィオ学園艦に足を踏み入れては、真っ先に会場へと向かい、双眼鏡を両手に練習試合を、アンツィオ戦闘飛行隊中等部を視察するのだった。

  アンツィオは優勝経験はないものの、けっこうな強豪として名を馳せている。MC.202やMC205、G55などの強機体や、いつぞやに松本が読んでいたドゥーエの「制空」から倣った戦術などもさながら、「アンツィオは貧乏だが、カップルの数は学園艦一」という評価がつきまとう。もしかしたら愛の力で強くなっているのかもしれない。

 これは中々に否定出来ないところがあり、同業者曰く「あいつらはモテたいから、カッコつけてカッコよく飛ぼうとする。だから強いんじゃねーの」とのことだ。

 確かにそうかもしれないなあと、恋をしたことがない赤木は思う。

 扱うものは機械であるが、結局は乗り手次第で三流にも一流にも化けるのだ。モチベーションが常に最高であるのなら、金なしのアンツィオがここまで強いのにも納得がいく。

 

 こうして練習試合を見終え、松本とカエサルが対抗策をノートにしたため、やることをやったので出店広場へ出向くことにする。目的はもちろん、美味いと評判のアンツィオ飯を楽しむ為だ。偵察だって体力が必要だしハラも減る。

 ――出店広場の領域に、足を踏み入れた瞬間、

 

「っしゃい――! ここはアンツィオ一のラザニアが食える店だよ――ッ! 練習試合お疲れ様祭り開催中というわけで、お値段なんとたったの100万リラ!」

「アンツィオ一番の鉄板ナポリタンが100万リラで食べられるよ――ッ! おっ、そこのカップル! 食べにいかないかい!? 今考えたカップル料金で、50万リラだ――ッ!」

「練習試合熱かったねーッ! 喉乾いてないかい? 100万リラでうんまいミント水が飲めるよ―――ッ!! カップルなら50万リラ!」

「おいおいウチの企画をパクるなよーッ!」

「いいだろ―! お前は食い物、俺は飲み物で分別されてっし!」

「それもそうだなーッ! あ、そこの御三家! ウチで食ってかないか――!?」

 

 瞬きする間もなく、祭りの空気にふん捕まえられた。

 右からおさげの店主に手招きされるわ、左から飲め飲めとミント水をおすすめされるわ、店主と気楽に会話する観光客があちこちにいるわ、どっちが美味いかでケンカする店もあるわで、改めてアンツィオパワーに呑まれてしまった。

 赤木はもちろん、松本もカエサルも口をあんぐりしたままで動けていない。

 脳ミソが情報を整理するまで、ほんの少しの時間が必要となった。

 

「――す、すげえな」

 

 先に沈黙を破ったのは、赤木だった。松本もカエサルも「だな」と頷き、

 

「これが、アンツィオの真髄なのか。たまらん」

「なー。俺、こんなフレンドリーな祭り見たことねえもん」

 

 突っ立っている現状においても、左右からは食え食えと言われっぱなしだ。ネットを通じて「アンツィオはノリと勢いがすごい」という情報はキャッチしていたものの――予想以上だった。

 

「どうします、松本参謀」

「そりゃあ、食うしかありませんね赤木軍曹。……皇帝(カイザー)はどうします? ……皇帝?」

 

 よくよく見てみれば、カエサルは何やら携帯を操作していた。覗き見るわけにもいかないので「どったの」と声をかけてみると、カエサルは「ああ」と反応し、

 

「実はここに、私の友人がいてな。会えないかなとメールを送ってみたんだ」

「お、マジか。いいよいいよ、会いに行くべ」

「そうか? すまない、手間をかける。アンツィオの校門前で待っているらしいから、そこへ行こう」

「いいぜ」

 

 アンツィオ中学に出向く都合上、どうしても出店広場の中を突っ切っていくわけだが――その間にも、店主から雨あられの呼び込みをかけられたし、カップルも目にする。どっちのジェラートが美味いかでモメる店主も目撃できたし、カップルも視界に入る。少し歩けばティラミスをはんぶんこしているアンツィオカップルが居て、遂に赤木が「あー」と音を上げた。

 

「……すげえな」

「……ほんとな」

「カップルだらけだな……噂通りじゃん」

「……なんでだろうな。何かこう、懐が寂しく思える」

「あーわかるわかる。ここまでラブラブ見せられちゃ、彼氏彼女が欲しくなってくるっていうか」

 

 考えなしに言った言葉に対し、松本がちらりと横目を見据えてきて、

 

「それは本当か?」

「んー、どうなんだろ。今んところ、惚れた女の子っていねえけど……」

「……ふーん」

 

 その時、カエサルが「あ!」と叫んだ。唐突すぎて、頭の中に火花が散る。

 

「な、何だ」

「あーいや、友人の件なんだが、早く友人と会いたくなってな」

「え? じゃあ早歩きする?」

 

 カエサルが、いやいやと首を横に振るい、

 

「せっかくアンツィオまでやってきたんだから、お前らは今すぐ飲め食え騒げ」

「え? いや、俺は別に、」

「いやいやいや、友人と会うまでお預けっていうのは酷だろ? だから私はひとっ走りして友人と合流するから、お前らは先にここで食っとけ」

 

 松本が「いや別に」と意見を挟み込もうとするが、カエサルは「楽しめよー!」の一言とともに出店広場の中を突っ走っていってしまった。

 

 ――間。

 

「……どうする?」

「……うーん……」

「……まあ、気を遣ってくれたんだろうし、せっかくだから食うべ。追いかけたら、どやされそうだし」

「そう、だなあ」

 

 未だ釈然としないのか、松本が両腕を組んでは首をかしげる。ここまでお膳立てをさせられてしまうと、逆にしどろもどろに陥ってしまう。

 どうしたものかなと左右を見渡してみて――獅子のような髪型をした女子店主と目が合った。獲物を見つけたとばかりににやりと微笑まれた。

 

「っしゃ――い! そこのカップル! そうそこの! お、軍帽が似合うねーそこのキミー!」

「ええッ!?」

「はあ!?」

 

 不意打ちを食らい、松本が一歩ほどノックバックする。カップル扱いされたことで、赤木も音波じみた遠吠えを上げてしまった。

 

「ウチのトリッパはアンツィオ一だよ! 本当は200万リラするんだけど、今日は練習試合お疲れ様祭りということで150万リラ!」

 

 店主が、ずびしと人差し指を差してきて、

 

「更に! カップル料金が追加されて100万リラになりましたーッ!」

「な、なんだとぉッ!?」

 

 松本の狼狽が、出店広場全体に爆発する。耳元でぶちかまされたせいか、赤木も情けない声が出た。

 痛む耳を抑えながらで、無理もないよなと思う。

 

「……店主さん」

「はいはいなんですかー!? すぐに出来上がりますよー!」

「いやその、あのですね?」

「なんだい!?」

 

 香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、好き勝手に騒がしい歓声を背景に、赤木は「えうんっ」とわざとらしく唸る。

 

「俺ら、カップルじゃないんですよ」

 

 その時、松本が無言で赤木のことを見つめた。真顔そのものになって。

 ――最初は、何か余計なことを言ったのかなと思った。

 けれど松本は、何事もなかったかのように破顔する。

 

「そうそう、こいつとは友達なんだよ。カップルじゃないんだ」

 

 だから、松本は150万リラ――もとい、150円を店主に渡そうとする。

 けれど店主は、手のひらでそれを制してしまう。首を横に傾ける松本。

 

「100万リラでいいぜ」

「え、なんで」

 

 店主が、ウインクを決め込み、

 

「お似合いだから、特別料金で食すことを許すッ!」

「ど、どういうことだ?」

「お似合いはお似合いってことさ。今はカップルじゃないかもしれないけど、もしかしたらもしかして?」

「や、やめてくれよ店長!」

 

 思わず抗議の声が出る。松本とは友人同士でまかり通っているのだから、そんな煽りをされても困る。

 

「はっはっは、照れるな若人! じゃあはい、トリッパ100万リラー!」

「ああ、どうもどうも。……疲れた」

「……だな」

 

 一店目から、早くも両肩が落ちる。

 なるほど、アンツィオは確かに楽しい世界だ。ナンパの本場と言われる所以も、わかった気がする。

 風のうわさによると、アンツィオは入学したい学校ナンバー1とのことだが――納得した、つくづく。

 

「松本」

「ん?」

「――楽しいな」

 

 松本の動きが、きょとんと止まった。

 それでも、アンツィオの祭りは動き続ける。練習試合すら食い物にしてしまうアンツィオは、これからも騒がしく生きていくのだろう。一瞬だけ「ここもいいかな」と思ったが――

 

「……ああ、本当にな」

 

 あくまで自分は、大洗航空隊の一員だ。

 松本が苦笑いでアンツィオの空気を受け止める、店主からトリッパ二人分を手渡される。

 

 とても、うまかった。

 松本も、笑みを浮かべながらでアンツィオ飯を味わっていた。

 

 その後は、松本とともにジェラートやペスカトーレ、パンドーロの味をたっぷり体感した。注文するたびに毎回毎回「カップル料金ね!」と騒がれては「ちゃう」と否定し、ならばそれならばとお似合い料金が適用される場面が続いた。正直めちゃくちゃ疲れたが、店主はあくまでも善意で、それも賑やかに笑顔で受け答えするものだから、自然と悪い気はしない。

 パターンじみたやりとりすら、途中から楽しんでいたフシがある。松本と仲良く見えるのであれば、それはとても喜ばしいことだ。

 

 メシを食い、ほんの少し歩いてみれば「どっちのパスタが美味いか、協力してくれ!」と二人の店主からせがまれ、ならばと松本が参戦し、持ち前の分析力で公正な判断を下しては「っがとございました! 姉貴!」と健やかに吠えられた。

 ――そうして一時間は経過しただろうか。満腹状態の松本が「そういえば、カエサルは?」と問うてきて、すっかり忘れかけていた赤木から「あ」がぽろりと落ちた。

 カエサルめがけ、『今どこにいるの?』とメールを打ち込む。そこから数十分は経過して、出店広場の向こう側から「おーい」の声が耳に届いてきた。

 

「――やあ」

「やっと帰ってきたか。……あれ、友人はどうした?」

 

 松本の疑問に対し、カエサルは「ああ」と頷いて、

 

「本当はお前達にも紹介したかったんだが、用事があるといって帰っていってしまった。残念だ」

「そっかー」

 

 そういうことなら仕方がない。赤木は、音を立てながらで背筋を伸ばした。

 

「で」

「で?」

「お前ら、ちゃんと楽しんだか?」

 

 カエサルが、実に楽しそうに目と口を閉じる。

 そんな簡単な質問なら、すぐに答えられる。

 

「――すげえ楽しかったぜ。な、松本」

「ああ、お陰で夕飯はいらないかもしれない」

「そうかそうか、それはよかった」

 

 カエサルが近づいてきて、赤木の肩を軽く叩く。

 

「いい経験をしたな」

「あのな。こっちはな、毎度毎度カップル料とか言われて、大変だったんだぞ」

 

 松本が、実に楽しそうに苦笑いを浮かばせる。対してカエサルは、何の悪びれもせずに「ほうほう」と二度うなずいて、

 

「見たかったな、それ」

「やかましい」

「怒るな怒るな。……じゃあ、そろそろ帰るか?」

「メシは?」

「友人と一緒に、軽くとった。問題ない」

「へー」

 

 ならいいやと、その場で振り返る。

 そろそろ夕暮れが訪れようとしているというのに、出店広場は未だに沈黙の兆しすら見せようとしない。むしろ暗がってくるたびに、いよいよもって活気づいてきた気がする。

 

「いい場所だな」

 

 てんやわんやがあったが、結局はこの言葉に行き着く。

 

「ああ、いい場所だ」

 

 松本も、同じ感情を抱いたらしい。

 カップルだの何だのと言われてしまったが、今となっては良い思い出だ。きっと松本とは、これからも上手くやっていけるに違いない。

 

「――楽しかったようだな、本当に」

「ああ」

「ああ」

 

 高揚めいた名残惜しさを胸に、赤木と松本、エルヴィンは、無言で帰路についていく。その歩みはずいぶんとゆっくりだったが、誰も何も指摘したりはしなかった。

 

 アンツィオしか見えない空を、目にしてみる。

 世界は今日も平和だ。明日も、きっとそういうふうに動いてくれるだろう。

 

―――

 

 無事に中学三年生に進級して、赤木は相も変わらず戦闘機道を歩みっぱなしでいる。学校の成績はまあまあ、戦闘機道に対する欲求はバリバリと、ほんとうに何も変わっていない。竹下に芝村、松本にカエサルとも、変わらぬ友情を交わし合っている。

 

 しかし、中学三年の教室は一味変わってしまっていた。

 左から聞こえてくるものは、「あいつ気になるんだよ」。右から聞こえてきたのは、「俺、あいつと付き合うことにしたんだ」。

 中学二年の頃だって、恋バナ程度はそれとなく耳にしていた。けれども一つ年をとっただけで、異性に対する関心がここまで深くなるのは予想外のことだった。

 竹下は実に実に羨ましがり、赤木は「へえ」とだけ。

 

 それは、昼休みの食堂でも変わらない。むしろ学校生活に一区切りがついたせいか、余計に恋バナが色濃くなっている気がする。

 乱立する恋バナを耳にしながら、竹下が醤油ラーメンをすすりつつ「うっらやましー」と愚痴り始めた。この件に関して言えば、赤木は「かもなあ」としかコメントできない。

 

「戦闘機道ってモテるんですかねえ、たいちょー」

「さあなあ……練習試合の申し込みはずいぶん増えたけど」

「えー、むさい野郎どもからモテてもなー。それでいいんすか隊長ぅー」

「いいよ別に」

 

 竹下からの隊長呼ばわりは、何の間違いでもない。

 このたび赤木は、大会における功績や努力が認められて、無事に隊長へと任命されたのだ。中学戦闘機道全国大会においては、惜しくも二回戦目で敗退しまったのだが、去年の一回戦目敗退と比べれば十分な快進撃だった。

 大会終了後、隊長は「お前の作戦のおかげで、俺達は満足に戦えた」と言ってくれた。

 間もなくして、赤木は声を上げて泣いた。

 そんな赤木に、隊長は大洗航空隊に代々伝わる隊長用のパイロットゴーグルを手渡してくれたのだ。

 赤木は、もっともっと泣いた。一生止まらないんじゃないかと本気で思うくらい、涙が溢れ出た。

 誰も異論など唱えず、竹下が肩に手を乗せてくれて、芝村が「おめでとう」と小さく呟いたことを、今でもよく覚えている。

 

 ――そういうわけで、竹下の隊長呼びは何も間違ってはいない。ただ、不真面目さが露骨ににじみ出ていたが。

 

「ちきしょー、何でどいつもこいつも好きになったり好かれたりするんだよ。もしかして俺らだけか? フリーなのは」

「そうなんじゃないの」

「俺、ファッションセンスとか改善しようかしら」

「お前はそのままでいいだろ。俺と比べて、たくさん遊べたりしてるじゃねえか」

 

 竹下はお調子者である。それ故に常に話題は更新されるし、休日に見せる私服姿だって都会人のように洗練されている。趣味も多く、暇の潰し方を聞けば喜んで教えてくれるのだ。

 赤木だって普通に遊ぶし普通に勉強嫌いではあるが、戦闘機道が絡めばアタマもカラダも鍛える。逆を言えば、戦闘機道という軸がなければ途端に暇人と化すタイプだった。

 

「……あー、今度の文化祭は頑張ってみようかなー」

「なんで」

「文化祭は、異性と交流するチャンスだから。そこを狙う男女は多いって聞く」

「マジか」

「マジ」

 

 つまらなさそうな表情のまま、竹下がたくあんを齧る。

 

「出会いが欲しいなー」

「がんばれ」

「贅沢は言わねえよ。公園のベンチでもいいし、森の中でも構わん。何だったら牛丼屋でも」

「健闘を祈る」

「おいおいツレねえなー赤木クーン」

「ンなこと言われても」

 

 半ば聞き流す調子で、白米を噛んでいく。こんな状況であろうとも、やはり美味いものは美味い。力の抜けきった意識に、僅かながらの活力が取り戻されてきた。

 

「はーだめだ、このヒコーキ野郎は空しか見てねえ。……なあ芝村ー、お前はどう思う?」

 

 赤木の隣に座る芝村の反応は、無言だった。

 赤木も竹下が、同時に「あれ」と漏らす。寡黙で生真面目な芝村といえど、振られればキチンと反応するはずなのに。

 

「芝村? おい、芝村?」

「あ……す、すまない」

「おいおいどうした? 調子でも悪いのか?」

「いや」

 

 赤木が箸で多目の白米を摘みながら、「何か悩み事か?」と問う。

 ――頷く。

 

「……何だ? よければ、話してみてくれないか?」

「そうだよ、俺らに何でも言ってみなって」

 

 芝村は友人だ。だからこそ、赤木と竹下が大真面目な真顔に成り代わる。

 そして、芝村はしばらく沈黙する。昼飯の一つも口にしないまま。

 どうやら、相当デリケートな悩みを抱えているらしい。こうもなれば、急かしたりするのはNGだ。竹下と目が合ったが、無表情で意思疎通を図れた。

 

「――えっと」

「ああ」

「これは秘密にして欲しい悩みなんだ」

「うんうん」

「何を聞いても、大きな声だけは上げないで欲しい」

「赤木、いざとなったら俺の口を塞いでくれ」

「心得た」

 

 芝村が、大きく息を吸い、音を立てて吐く。

 あまりの非常事態に、周囲からの喧騒がいつも以上に聞こえてくる。箸の動きがぴたりと止まる。一時も、芝村の横顔を見逃したりはしない。

 そんな時間が、いったいどれだけ過ぎ去ったのだろう。

 芝村が、じつはなと言う。じつはなと言い、

 

「俺さ、ここ最近、文通してるんだ」

「ぶんつう」

「――女の子と」

 

 赤木の鼓膜が、女の子という言葉を受け取る。赤木の脳ミソが、女の子と文通という重要性を解析する。

 

「なに―――」

 

 竹下の手のひらが、赤木の口と鼻を思いきり塞いだ。

 

「マジかよ」

「ああ。この前、取材されたろ? で、新聞を読んだらしい女の子が、俺のファンになったらしくて。それで、ファンレターがな」

「マジかよ……」

「俺は、普通に手紙のやりとりをしていたはずなんだ。でも、段々と――花木さんって言うんだけどな? 花木さんは、俺といつかデートをしたいって言ってくれた」

「マジかよぉ……」

「写真も添付されてきたんだが、見るか?」

「見る……」

 

 文字通り息詰まっている状況の中、芝村は財布を取り出し、一枚の写真を取り出してみせた。

 ――黒縁眼鏡をかけた、黒い長髪が特徴的な女の子だった。主観的にモノを言えば、マジメそうでかわいいじゃん、である。

 

 それにしても、さっきから息が吸えていないせいで身も心も死にかけだ。半ば本気でふざけんな離せてめえといわんばかりに、竹下の手の甲を思い切りつねる。

 

「って! 何すんねんッ!」

「殺す気か!」

「いや大声を出したお前が悪いだろッ!」

「……すまん」

 

 芝村に対し、思い切り頭を下げる。これは確かに、迂闊に大声を出してはいけない案件だった。

 

「いや、いい。動揺してしまうのは、仕方がない」

「本当にすまない」

「ってて、俺に謝罪はねえのかよー」

「悪い悪い」

 

 両手を合わせ、頭を傾ける。竹下が「ったく」の一言で許してくれた。

 ――さて。

 

「芝村」

「ああ」

「お前は、どうしたいんだ」

 

 赤木は、大洗航空隊の隊長だ。だからこそ、自分だけが強くなってはいけないし、安定してもいけない。

 隊長だからこそ、仲間たちとは、友人とは、これからも優雅に力強く羽ばたいていきたい。心の底から、そう思っている。

 芝村から、目を離したりしない。

 

「……そう、だな」

「ああ」

「――好きだ、花木さんのことが」

「そうか」

「ああ」

 

 芝村が、思い切って息を吸い込む。味噌汁を、あえて飲む。

 器が、音を立てて置かれた。

 

「次に手紙を書く時は、デートに、誘ってみようと思う」

「それがいい」

「それで、告白もする」

「わかった」

「――良い映画、調べておくか?」

 

 竹下の一言に対し、芝村が「頼む」と頭を下げる。気にするなとばかりに、竹下が控えめに口元を緩めてみせた。

 

「俺は、こういうのに疎いから、何も協力できない」

「いや、聞いてくれただけでも助かる」

「そう、そこだ。お前は真面目で、勤勉で、無駄口を叩かない。お前のような男なら、花木さんとはこれからも上手くやっていけるはずだ」

「……そうか」

 

 赤木と竹下が、無言で首を縦に振るう。

 ――それだけで、十分だった。

 

「ありがとう」

 

 それだけで、十分だった。

 芝村の笑顔を伺えた以上、これ以上の言葉は何の意味も成さない。あとは、芝村が行動に移すのを待つのみだ。

 

 昼飯を食べ終え、ごちそうさまと手を合わせる。竹下は大急ぎで携帯を操作し始めたが、おそらくは映画のサーチを行っているのだろう。

 対して自分は、芝村を見守ることしか出来ない。

 けれど、言うべきことは全て言った。後悔なんてしていない。

 

 デートにベストマッチした映画の情報を、竹下が報告していく。芝村は、それを生真面目にメモしていく。

 チャイムが鳴る。これから戦闘機道の授業が始まるが、いつも以上に長くなりそうだ。

 

―――

 

「また下校デートっすか、芝村さんは」

「そうらしいですよ、竹下さん」

 

 放課後になって、羨望と脱力が入り混じった声が無遠慮に吐き出される。

 芝村の決意からたった数日が経過したが、結果は大成功だった。そりゃあもう芝村は泣いて喜んで報告してくれたし、お礼と称して昼飯を奢ってくれたし、これからもダチであると宣告し合ったし、文句なしの結末を迎えられたのだが、

 ここ数日間、芝村は毎日のように下校デートを繰り返していた。

 当然、ノロケ話も聞かされるようになった。

 そのたびに竹下は、本心から称賛し、心の底から恋を羨望するようになっていった。

 

 こうなると戦闘機道が心配になってくるが、そこは一履修者として真面目に取り組めている。この前の練習試合だって、貰い受けた知恵と身につけた実力で勝利してみせた。

 ――やっぱりというか何というか、ここ最近の芝村の活躍ぶりは実に目覚ましいものがある。元はと言えば、花木とは戦闘機道を通じて繋がれたのだから、いよいよもって力を入れ込むのも当然だった。

 

「あー、幸せそうな顔してましたなー彼」

「そーですなー」

「まあ、それはいいんだけどね。でも、おすそ分けが欲しいっすよたいちょー」

「じゃあ聞くが。お前、好きな人はいるのか?」

「……いねえ」

「じゃあ、運命の出会いでも待ちなさい」

 

 ちぇー。竹下が、唇を思い切り尖らせる。

 放課後の教室は、いたって平穏だった。休日の予定についての話し合い、携帯で彼女らしき相手との通話、部活動に向かうクラスメート、外から響く虫の声、窓から射し込まれる夏模様の日光。

 平穏そのものだった。

 赤木が、学生カバンを背負い、

 

「じゃ、帰るか」

「帰るべ」

 

 じゃーなーとクラスメートに挨拶して、またなーと返され、名も知らぬクラスメートとすれ違っては、別クラスの戦闘機道履修者に「おつかれさん」と一声。竹下と他愛の無い会話を口ずさみながら、一階まで降りて下駄箱から靴を引っ張り出す。

 何百回も繰り返された、下校の光景だ。

 大洗中学校から一歩足を踏み出してみれば、夏の光と気温が身に染み込んでくる。唸りながら背筋を伸ばし、たまらずあくびを上げながら、校門をくぐり抜けようとして、

 

 女の子が、校門の隅から不意に現れた。

 

 少し驚きはしたが、非現実的な光景というわけでもない。下校デートを行う為に、こうして待ち続けていることもよくある話だ。

 羨ましいねえ。竹下が、ぽつりと呟く。そうだなと、赤木がこっそり口にして、

 

「ねーねーキミー、竹下クンだよねー」

 

 竹下?

 竹下と顔を合わせ、竹下が「俺?」と指差す。

 

「あ、赤木クンがいるってことは……やっぱりキミ、二式陸偵乗りの竹下クンだ」

「は、はあ、二式陸偵乗りの竹下ですが……」

 

 腕を後ろ手にまとめながら、いかにも徹底して手入れされているロングヘアを揺らしながらで、竹下の顔をじーっと見つめ続けている。

 逃げるように、竹下へ視界を泳がせる。肝心の竹下はいえば、「なにかな?」と漏らしていた。緊張丸出しだった。

 

「うんうん、なるほど。ねーねー竹下クン、キミって彼女いるの?」

「え!? いやっ、いませんけど」

「あ、そーなんだ」

「そーなんですけど……というか、君は、誰?」

 

 女の子が、白い歯を見せながらで堂々と笑みを浮かばせ、

 

「私は笹部、キミと同じ三年。こう見えてヒコーキ好きなんだ」

「ま、マジで?」

「マジで」

 

 一見すると、そうは見えない。

 しかしよく観察してみれば、笹部の学生鞄にはフライグパンケーキのキーホルダーがぶら下がっている。

 

「竹下クンのことは、よーく見てたつもりだよ。もち、双眼鏡でね」

「すげえ」

「すごくないって、ヒコーキ好きなら必需品っしょー?」

 

 全くもってその通りなので、赤木は頷くことしかできない。

 

「でさでさ、竹下クンってばさ、私の好みなんだよね」

 

 ちんもく。

 

「ま、マジでっへぇ!?」

「マジマジ。一応聞くけど、キミ、飛行機好きだよね?」

「そりゃあ、当然」

「じゃ、あれ(二式陸偵)に乗る意味もわかってんだよね」

「え、」

 

 笹部が、実に気楽そうに微笑んで、

 

「ということは、偵察する危なっかしさもわかってるわけだ。しかも、攻撃というスター性を捨てていることも理解してて」

「あ……まあ、勝てればそれでいいやって思ってるし、逃げ足は早いほうだし」

「っかそっかそっか。やっぱりキミ、かっこいーわ」

 

 お調子者の竹下が、すっかりうつむいてしまっている。笹部はやっぱりC調を崩さないが――竹下のことだけを、見つめている。

 

「うん、こりゃやっぱり私の好みだわ」

「うう」

「だからさ、よかったら私と友達から始めてくれない? いきなり付き合うって言われても、正直困るっしょ?」

「いや、そういうわけじゃ……んー……」

 

 気を遣っているのだろう、竹下が唸り声を上げる。

 けれど笹部は、「いいっていいって」と笑い続け、

 

「私のことを好きになれるように、私も色々頑張るからさ。だから竹下クンは、竹下クンのままで私を見て欲しいな」

 

 この瞬間、何かが撃ち抜かれる音が聞こえたと思う。

 急かされるように、竹下の様態を確認し――赤木は、竹下の肩をぽんと叩く。

 

「じゃ、俺は先に帰るから」

「ごめんね隊長、気を遣わせちゃってー」

「いいよ。……竹下のこと、よろしくお願いします」

「まっかせてー」

 

 今日は、友人のいい顔が見られた。

 恋っていいものだなと、今更になって思う。

 

 数分ほど歩いたあとで、余韻に引かれるがまま空を眺めてみた。

 夏だからか、放課後になってもなお青く明るい。ちぎれた雲がそこかしこに浮かんでいて、清々しいまでの晴天がそこにある。

 

 世界は、思った以上に優しくできているようだ。

 

―――

 

 そういった事情があって、ここ最近は一人で下校するか、或いは松本とカエサルの三人組で帰路につくことが多くなった。

 寂しいといえば寂しいが、クラスに出向けば友人とは会えるし、戦闘機道が始まれば互いに高め合うことも出来る。

 だから、心の底から「よかったな」と称賛してやるのだ。

 

 ――放課後になって、松本とカエサルと合流を果たす。そうして、カエサルの「で、どうだ?」から全てが始まる。

 

「あいつらなら上手くいってるよ。芝村はもちろん、竹下も腕が上がってきた」

「愛の力というやつだな」

「かもしれない。何はともあれ、幸せそうなら何よりだ」

 

 松本とカエサルが、まったくだと頷き合う。

 

「……と、なれば」

「ん」

「来月の大会は、いけそうだな」

 

 カエサルの言葉に、赤木が無言で首を縦に動かす。

 気づけばもう、そんな時期だ。5月頃からだいぶ意識していたはずなのに、いつの間にかという感覚が拭えない。

 

「みんな立派に成長してくれた。もちろん、俺もだ」

「ああ、知ってる」

「俺達の地力もあるが、松本とカエサルのお陰で強くなれたのは間違いない。これは断言できる」

 

 カエサルがふふふと笑い、松本は軍帽で目元を隠してしまった。

 

「今までありがとう。今の俺らなら、いける気が――いや、いける」

「うむ、素晴らしい」

「色々あったけれど、常に最善を尽くしてきたつもりだ。後悔なんてないぜ」

「ああ。赤木の言うことは正しい」

 

 分析が得意な松本から、カエサルからお墨付きを貰えた。

 これは、非常に大きな一歩前進といえる。

 

「飛んでこい」

「おう」

 

 松本から背中を軽く叩かれ、何だかおかしくなって苦笑してしまった。

 今は、これで良い。

 

 ――戦闘機道の件は一旦置いておくとして。さっきから、松本のことが気になって気になって仕方がなかったのだ。

 松本のことを、じろじろと眺める。松本は、まるでもったいぶった笑みを浮かばせて「どうした?」と反応を示す。

 

「松本よ」

「うむ」

「何だね、その格好良い服は」

 

 顔に「よくぞ気づいてくれました」を露にしながら、松本がその場で一回転する。コートらしきものが翻る。

 

「やっと買えたんだ、軍装をな」

「お、そうなのか!」

「うむ。進級祝いに小遣いが増えてくれたおかげで、ようやく一品目を手にすることが出来たッ!」

 

 どうだ見てくれとばかりに、両腕を大げさに広げてみせる。茶色のコートめいた軍装は、松本が持ちうるカラーとベストマッチしている気がした。

 

「いやいや、よく似合ってるぜ」

「ふふん、そうかそうか」

「格好良いぞ、エルヴィン」

「カエサルもな」

 

 松本とカエサルが、何の迷いもなく手と手を叩き合う。

 体育会系の赤木は、心の中で「やっべかっけー」とか思っていた。

 

「……しかしまあ、ここまで本格的になると」

「ん」

「エルヴィンって、呼ぶべきなのかもな」

「え。そ、そうか?」

「ああ。せっかく高い金を出して、ようやく憧れの人になれたんだ。なら、俺もそう呼ぶべきなんじゃないかなって」

「――うーん」

 

 そこでエルヴィンが、両腕を組みながらでうつむいてしまった。

 あれ、と思う。

 何か間違ったことを言ったかな、と思う。

 助けを求めるようにカエサルめがけ首を向けるが、「まあ、待ってやれ」とだけ。

 カエサルが言うのなら、つまりはそうするべきなのだろう。

 

「――わかった。じゃあ、エルヴィンと呼んでくれ」

「お、了解」

「ただ、呼び方はこれまで通り何でもいいからな」

「わかった」

 

 不意に落ちてきた緊張感が解かれ、思わず息を大きく吹き出す。

 今日から松本は、エルヴィンとなった。

 ――こうして考えてみると、意外と松本のキャラに見合った名前なんじゃないだろうか。

 

「ところでエルヴィン」

「う、うん」

「お前さ」

「ああ」

 

 ずっと、気になってはいたのだ。

 エルヴィンの頬をつたう汗に、無遠慮に鳴り響くセミの鳴き声。長袖のミリタリーコートに、7月という夏真っ盛りの中、

 

「暑くないの?」

「あつい」

「カエサル、お前は?」

「あつい」

「脱ごうぜ」

「ええ……」

「ええ……」

 

 歴女を歩むか、生存を選ぶか。

 エルヴィンとカエサルにとっては、極めて重要な二択であり――

 

 結局、脱いだ。

 

―――

 

 8月――

 気温が最も高くなる時期であり、空が真っ青に染まる時でもあり、中学戦闘機道全国大会が開催される瞬間だ。

 

 やれるだけのことは、精一杯やった。自分が乗る紫電も、まるで手足のように扱える。練習試合の方も勝率が上がってきたし、隊員の士気だって十分に保たれていると思う。

 なのに、眠れない。明日は、知波単と試合をしなくてはならないというのに。

 ――今は午後九時。さすがに早寝しすぎただろうか。

 溜息が漏れる。

 目をつぶる。

 目の前が真っ暗になっただけで、意識は未だ真っ白のままだ。かといって、遊んで時間つぶしをする気分にもならない。

 どうしたものかなと、仰向けになりながらで両手両足を広げる。目を開けてみると、暗がりの中でも部屋がうっすらと見えた。

 

 その時、携帯が震えた。

 

 少しビビリながらも、ベッドから這い出て、半ば急ぎ足で携帯の元へと駆け寄り、そのまま携帯の画面を目の当たりにして、

 

 新着メールが届きました、『エルヴィン』。

 

 こんな時間帯に、珍しい――

 そう思考しながら、慣れた手付きでメールを開いてみせて、

 

受信者:エルヴィン

『こんな時間にメールを送信してすまない。なんというか、ベストコンディションのお前にとっては余計なお世話なのかもしれないけれど、心配になってメールを送ってみた。

お前が隊長になって色々あったけれど、お前達は十分に強くなった。部外者である私が言うんだから、間違いない。

この前の練習試合は負けてしまったけれど、大洗航空隊は6割もプラウダ空軍中等部を食えた。その結果に驕らず、お前達は更に練習を重ねたんだ。

だから、練習試合を行った時よりも強くなっている。優勝の可能性だってある。

お前は優秀な隊長だ。この私が言うんだから、間違いない。

 

これは万が一の話になるが……大洗航空隊が途中で敗退しようとも、お前は胸を張ってもいい。やれるだけのことはやったんだから、後悔なんてしなくていい。

仲間として、この事実は絶対に保証する。だからお前は、恐れず誇らしく空を舞ってくれ。私を、カエサルを魅せてくれ。

 

最初から最後まで、私のノートを頼りにしてくれてありがとう。

それじゃあ、明日は頑張って。おやすみなさい』

 

 闇の中で、俺は携帯を胸に当てた。

 張り詰めた意識が消えていく。息とともに、不安が吹き飛んでいく。

 

 俺は、お礼のメールを送信した。

 そのまま携帯の画面を暗くして、眠りについた。

 

―――

 

 9月――大会は、大洗航空隊中等部は、ひとまずの終りを迎えた。

 

 一回戦目の知波単を撃破し、二回戦目にアンツィオとぶつかって――敗北した、やつらは強かった。

 最善は尽くしたし、対アンツィオの戦術は頭に叩き込んでいた。けれどもアンツィオは粘りに粘り、着々と大洗航空隊を料理していき、隊長らしい機体と一騎打ちを繰り広げて――文句なく、負けてしまったのだ。

 

 悔いはない。

 

 礼に始まり礼に終わり、たまらなくなって履修者全員を抱きしめて、履修者からはありとあらゆるお礼を言われ、竹下からは涙目で「最高だったぜ」と、芝村からは「ありがとう」の一言を浴びせられた。

 

 ここまで来るのに、色々と長かった。

 あっという間に、ぜんぶが終わった。

 

 感情をこらえながら、撤収作業を行いながらで、つくづく、本当につくづく思う。

 戦闘機道って、最高だ。

 

 □

 

 黄色く眩い夕暮れの下、履修者達は連絡船の中で音もなく休息に浸っていた。いつもの、野郎ども特有のガヤは、今は聞こえない。

 そりゃそうかと、しみじみ思う。

 竹下は手すりに身を預けながら、日に輝く海の向こうをじっと見つめている。芝村は、椅子に座りながらでうつむいたまま動かない。

 他の履修者達も、似たような感じだ。

 激闘が終わったのだから、こうもなるのは必然だった。

 ――少し眠ろうかな。

 仮眠出来る場所はないかなと、船内を歩き回ってみて、

 携帯が、震えた。

 いったいなんだろうと、疲れ切った手付きでポケットから携帯を引っこ抜いて、

 

 着信:エルヴィン

 

 ――たぶん、俺は笑えていたと思う。

 

「はい」

『ああ。今、大丈夫か?』

「いいぜ」

『そうか。まあ、短く済ますつもりだから』

「ああ」

 

 ほんの少しだけの、間。

 

『赤木』

「うん」

『最高に、格好良かった』

「ああ」

『高校でも、飛んでくれるよな?』

「もちろん」

『じゃあ私は……いや、私とカエサルは、引き続き裏のブレインとして暗躍してみせよう』

「頼もしいぜ」

『だろ?』

 

 互いに、苦笑交じりに笑ってしまう。

 ――エルヴィンの言う通り、自分は高校戦闘機道を歩むつもりだ。だからこそ、まだ優勝する機会が残されている。

 

『な、赤木』

「うん?」

『……お疲れ様。今は、ゆっくり休んで』

「ああ」

『今度、武勇伝を聞かせてくれ。カエサルも楽しみにしている』

「もちろん」

『よし。――それじゃあ、また』

 

 

 海から、遠い遠い空をぼうっと眺めてみる。

 世界が、自分のことを受け入れてくれた気がした。

 

―――

 

 夏が終わり、秋が過ぎて、ようやく念願の冬休みに差し掛かった。

 寒いのが嫌いな赤木は、当面は実家に引きこもるつもりでいた。コタツに籠もり、ぼうっとテレビを眺め、月刊戦闘機道を読み漁って、のんべんだらりとおしるこを食べ、やりたくない宿題を仕方なくこなす。

 そういうふうに、生きる予定だったのだ。

 

「もう少しで年越しか、歴史の流れとは早いものだ」

「確か年をとると、体内時計が早まると聞いたが」

「本当か。おかしいなあ、これでも現役のつもりなんだが」

「ま、歴女のキャラからすれば、年を取ることも美味しいんじゃないのか?」

「確かに。……あ、みかんもらうぞ」

 

 まず、赤木がこれみよがしに溜息をつく。すっかりコタツから抜け出せなくなったエルヴィンとカエサルに向けて、実に嫌そうな声で「あのな」と言ってやる。

 

「何」

「どうした」

「――何で、お前らがここにいる」

 

 エルヴィンが、疑問顔になりながらで首をかしげ、

 

「友達の家に、遊びに行っては駄目か?」

「いやそういうわけじゃないが」

「ならいいだろ。あとぶっちゃけて言うなら、ヒマ」

 

 カエサルの意見に、エルヴィンが同意する。

 ――そう。

 赤木の実家は、いつの間にやら溜まり場になってしまっていた。最初の訪問こそ快く歓迎したものだが、こうも連日に遊ばれては、のんびりするスキもあったものではない。

 親もすっかり受け入れてしまっているし、おまけに夕飯まで出してくれるものだから、エルヴィンもカエサルも躊躇というものがなくなってしまっているのだろう。

 

「ここを気に入ってくれるのは嬉しいが、もうちょっとこう遠慮をだな」

「ん」

 

 エルヴィンが、学生鞄から大量のプリントを引っこ抜く。

 その瞬間、赤木の愚痴なんてものは止まる。

 

「宿題、付き合ってやってるだろ。お前、積極的にこなせるタイプだっけ?」

「ありがとうございますエルヴィン様」

「はっはっはっは」

「はっはっはっは」

 

 おまけに隠し玉も持っているから、邪険に追い出すこともできない。

 そういうわけなので、今日も共存関係を図れている。

 

「あとで宿題やるぞー」

「へいへい」

「テレビつけるぞー」

「へいへい」

 

 我が家のモノといわんばかりの手付きで、カエサルがコタツの上からリモコンを掴み取り、テレビに火をつける。

 ニュース番組が映し出され、駅前に居るニュースキャスターがマイクを片手に『記録的な氷点下です! 厚着をしていますが、寒いですねえ』と困った顔をする。

 右上に表示されているテロップには『マイナス18℃、今年一番の氷点下』と表示されていて、カエサルが「籠城最高だな」とコメントする。

 ――その時、彼氏の腕を抱いているカップルが近くを通りがかった。

 ニュースキャスターが早速とばかりに近づき『こんにちは。いやあ、雪は降っていないものの寒いですよねえ』とマイクを差し出しては『いやあ、あったかいですよ』と、彼氏が喜色満面の笑みで答えてみせる。

 ニュースキャスターが笑い、赤木が「ほー」と漏らし、エルヴィンが「おあついことだ」とみかんをかじる。

 

「あーそういえば。竹下と芝村は相変わらずか?」

「何も変わってねえわ。ほんと幸せそう」

「それは何より。友の幸せは尊いものだ」

「全くだ」

「――で」

 

 きた、カエサルの「で」。嫌な予感がするので、あんだよと言ってやる。

 

「お前さ」

「ああ」

「恋愛に興味はないのか?」

 

 エルヴィンが「む」と唸る。赤木は、「はあ?」と言いはあ? と表情を歪める。

 

「それを聞いてどうするんだよ」

「いや別に、ただの興味本位」

「興味本位って……まあ、そうだなあ」

 

 カエサルが、眠そうな目つきで頬杖をつく。エルヴィンが、真顔でこちらを見つめている。

 コタツの快適さに身をアテられながらも、これっぽっちも使ったことがない恋愛観をほじくり出してみる。二度、三度ほど唸って、途中でみかんを食べて、

 

「まあ……運命の出会いみたいなものがあれば、恋はするかなって」

「うぅんめぇ?」

「あんだよ、悪いかよ」

「いやすまんすまん。へえ、お前って意外とロマンチストなのな」

「そういうわけじゃないが」

「そうか。……てことはアレか、まだ出会いは果たしていない、と?」

「そういうことになるのかね」

 

 カエサルと同じく、コタツの上で赤木が頬杖をついて、

 ――その時、カエサルが無言でエルヴィンのことを横目で見た。

 エルヴィンもそれに気づいたらしく、カエサルめがけ「なんだよ」と返す。

 

「いや、別に。ただ、お前も恋愛ってのに興味があるのかなって」

 

 そして、沈黙が生じた。

 赤木は意外に思った。歴女たるエルヴィンなら、「恋愛? そんなことより学ぶべきものが多いんでな」と即答するのでないのかと思っていたのだ。

 しかしエルヴィンは、ごくごく真面目な顔つきで、顎に手まで当てて、人差し指が上下に揺れている。

 

「……まあ、興味は、ある」

「へえー」

 

 意外な返答だった。思った以上に、声が出てしまった。

 

「なんだ、おかしいか? へっ、どうせ私は歴女だよ」

「いやいやぜんぜんおかしかねえって。いいじゃねえか、興味があることは」

「そう、か?」

「ああ」

 

 エルヴィンの目を、じっくり見据える。

 

「もしもさ」

「ああ」

 

 エルヴィンの鋭利な瞳が、視界に映り込む。

 赤木は、ごくごく真面目な意識を持ちながら、

 

「お前に好きな人が出来たら、協力するよ」

 

 正直に、本心からモノを言った。

 その時、カエサルが口を閉ざす。エルヴィンから「あ」が漏れてくる。

 

「お前には、戦術面でいつも助けられっぱなしだからさ。だから、恩返しぐらいはしたい」

「い、いや、あれは好きでやっていることだから」

「それでも、だ」

 

 自分は、

 

「友達だろ?」

 

 笑えたと思う。

 

「――ああ、そうだな」

 

 エルヴィンは、真顔でそう口にして、

 

「そうだな」

 

 密かに、口元を緩めてくれた。

 ――エルヴィンは、いったいどんな男が好きなんだろう。想像出来ないが、恋という大事なものを抱えた以上は全力でサポートするつもりだ。

 エルヴィンがいなければ大洗航空隊なんてボロボロのままだったろうし、これまで以上に人生を楽しむことなんて出来なかっただろうから。

 ほんとう、長い付き合いだったと思う。

 願わくば、来年も友情を育んでいきたいと想う。

 

 テレビを消して、三人で宿題をやっつけはじめる。カエサルは寡黙に、エルヴィンは順調に数学を解いていたのだが、赤木は早速とばかりに行き詰まってしまった。

 そんな姿を逃すはずがないエルヴィンは、ヒントを交えて的確に答えへと導いてくれた。エルヴィン曰く「歴史以外の授業はやる気にならん」とのことだが、やる気がないだけでやらないワケではないのだろう。

 エルヴィン、そしてカエサルのお陰で、宿題に一段落がついた。まだまだ厚みがあるが、この調子でいけばヤキを入れられる心配もなくなるはずだ。

 ――気づけば、もう七時だった。

 

「こんな時間か」

「そろそろ帰ったほうがいい。家まで送ってくよ」

 

 エルヴィンもカエサルも、いやいやいいからと断ろうとする。しかし赤木は、そうもいかんと反論し、

 

「女の子が夜中に歩くのは危ないだろ?」

「う、うん」

 

 エルヴィンが、控えめに頷く。それを見たカエサルは、それもそうかと案を受け入れてくれた。

 

 ――言葉通り、記録的氷点下の中で、エルヴィンとカエサルを家まで送り届ける。僅か数十分程度しか歩く必要がないから、面倒なんてことはない。

 先にカエサルを帰し、次にエルヴィンの自宅前へ差し掛かった時、

 

「世話になった」

「気にするな。宿題の貸しを返しただけだ」

「そうか。……ああそうだ。お前、正月はヒマか?」

「あー、かなー」

「じゃあ、一緒に初詣へ行こう。いいか?」

「いいぜ」

 

 即答した。

 こうしてエルヴィンは、ドアの閉じる音とともに姿を消していく。

 

 ――いい空じゃないの。あそこで飛んでみたいもんだ。

 

 極寒とは裏腹に、星々が暖かそうに光を灯している。

 

―――

 

 無事に1月1日まで生き延び、赤木は起床すると同時にすぐさま着替え、歯を磨き、顔を洗い、軽い朝食をとり、エルヴィンとカエサルの訪問を待つ。三人で、初詣へ行く為だ。

 外はずいぶんと明るい。天候に恵まれたのか、青く染み込んだ空がよく見える。気温も3℃にまで落ち着いたらしいから、何に問題もなく外出できるだろう。

 その時、インターホンが鳴った。

 母が受話器をとり、ほんの少しやり取りを交わした後で「松本さんと鈴木さんがきたわよー」と伝えてくれた。

 お気に入りのミリタリーコートに着替え、「あいよー」と声を出して、玄関ドアを開け、

 

 コートを着たカエサルと、

 青い着物を着込んだエルヴィンが、いた。

 

「よ」

「や、やあ」

 

 カエサルが、手で挨拶を交わす。エルヴィンは、視線を少し逸しながらで手のひらを左右に揺らす。

 言葉なんて、見失うに決まっていた。

 

「エル、ヴィン」

「ど、どうだ? 気分転換のつもりだったんだが。あ、あはは」

「似合ってる」

 

 この一言しか、思いつくことが出来なかった。

 エルヴィンの方も着物に慣れていないようで、「うう」しか言えていない。

 

「最高だろう、かわいいだろう?」

「あ、ああ」

「私も最初見た時は、本当にびっくりしたよ。こんなにも似合っているんだからな」

「……そうだな、その通りだ」

 

 パンツァーファウスト柄の青い着物は、エルヴィンという人と上手く馴染んでいると思う。

 エルヴィンは内股になってまで顔を赤らめているが、そんなことをする必要はないと断言できる。

 だって、

 

「エルヴィン」

「あ、ああ」

「綺麗だ」

「あ。ど、どうも……」

 

 エルヴィンらしくなく、小さく頭を下げられた。

 まだ火が止みそうにないが、こればかりは時間が解決してくれるのを待つしかない。

 

「……エルヴィン」

「う、うん?」

「あけまして、おめでとうございます。今年もよろしく、お願いします」

 

 だから、いつもの調子で行こう。

 

「お……ああ! こちらこそ、よろしくお願いいたします!」

「よろしくな」

 

 一礼を交わした後で、にへらと笑い合う。これが、エルヴィンとカエサルとの関係だ。

 

「――それじゃあ、神社に行こうか」

 

 カエサルの一声とともに、赤木が、エルヴィンが歩みだす。

 

 □

 

 誰もいない住宅地を潜り抜け、そのまま神社へ近づくたびに話し声が、人気が次第に色濃くなっていく。

 未だ神社すら見えないというのに、着物姿の女性が、家族連れが、おじさんが、手をつなぎ合うカップルが、神社めがけ足を動かしていた。

 カエサルが「こりゃ混んでるな」と予感するが、それは間もなく現実のものとなった。

 神社の中は既に人と人とで溢れかえっていて、向こう側から鈴の音が高らかに響き渡る。手水場には数人のおじいさんおばあさんが手洗いをしていて、おみくじ売り場では五人の若者グループが「大吉出た!」と盛り上がっている。

 ――笑みがこぼれる。

 こうした賑やかさは、どちらかといえば好きだ。

 

「混んでるなー」

「ま、時間が経てばお参りできるだろ」

「それもそうだ」

「……しかし、何やかんやで新年か」

 

 カエサルが、しみじみと呟く。

 

「いつの間にか。お前達との付き合いが長くなったな」

「ああ」

「私は――四年ぐらいになるのかな?」

「私は中一の頃にエルヴィンと知り合ったから、おおよそ三年か。あっという間だったな、ほんと」

「色々あって、楽しかったよな」

 

 エルヴィンとカエサルが、頷いてくれた。

 

 参道を辿って数十分後。ようやく賽銭箱の前にまでたどり着き、「さーて」の一言とともに、エルヴィンが財布から五百円玉を取り出す。

 赤木が、カエサルが「何ッ」と小さく驚愕するが、エルヴィンは「ま、叶えたい願いがあるんでな」とだけ。ならばと、カエサルは百円玉三枚と五十円玉を四枚、赤木もなけなしの五百円玉を選んでみせた。

 

「気合入ってるな」

「俺だって、叶えたい願いはあるしな」

「私もだ」

「そうかそうか。それじゃあ」

 

 賽銭箱の前で会釈し、赤木が鈴を高らかに鳴らす。そうして各々が賽銭箱へ五百円玉を入れ、二礼二拍手一礼を行う。

 

 ――世界一の、戦闘機乗りになれますように。

 

 □

 

「で、何を願ったんだ?」

 

 帰路についている最中、カエサルが当たり前のように質問する。赤木は「あれ」と首をかしげ、

 

「確か、口にしたら願いが叶わなくなるんじゃなかったっけ?」

「あれ、そうだったかな? まあ、どうせお前は一流のパイロットになりたいとかそんなんだろ」

「!! い、いやぁ!?」

「へー」

「ほー」

 

 エルヴィンとカエサルが、いかにも面白がってますといった感じに笑う。赤木は、大きく露骨に舌打ちし、

 

「俺からは口にしていないから、ノーカンな」

「わかったわかった」

「で……カエサル。お前はあれか、ローマ時代の知識を網羅するとかそんな感じか?」

 

 適当に言ってみた。

 カエサルは、吹けていない口笛とともに目を逸らしきっていた。

 エルヴィンと赤木は、盛大な笑顔とともに指さしてやった。

 

「う、うるさい! ああノーカンなノーカン!」

「はいはい」

「ったく……で」

 

 間もなく、エルヴィンに視線が殺到する。眉をひそめ、歯を食いしばり、実に嫌そうな舌打ちが飛んできた。

 

「戦史の知識の網羅とか?」

「……まあそうなんじゃないのか?」

 

 違うらしい。

 

「ヒミツか?」

「秘密だ」

「ヒントは」

「誰が言うか」

 

 カエサルが、「けちー」と吐く。今回はエルヴィンの一人勝ちらしかった。

 

「ったく……で、これからどうする?」

「ん? お前ん家に遊びに行く」

 

 さも当然であるかのように、何でもない顔でカエサルが言い切った。

 

「ホントいい加減にしろよ皇帝」

「いいじゃないか別に。私は、ヒマなのは嫌いなんだ」

「あーそーかい」エルヴィンに目配りし「え、行くけど」「だろうな」

 

 そういうことになった。

 わざとらしく溜息をついてみせて、けれども笑ってしまって、

 

「お前ら」

「ん」

「何だ」

「――これからも、ずっと友達でいてくれ」

 

 カエサルが、

 

「ああ」

 

 エルヴィンが、

 

「――ああ」

 

 伝えるべきことを伝え、背筋を伸ばす。丁度良く寒いせいか、かえって元気が湧いてきた。

 

「ウチに来るのは構わんが、宿題教えろよー」

「わかったわかった」

「あと、みかん食い過ぎなんだよカエサル。遠慮ってのを知らんのか」

「善処しよう」

「そこらへん、エルヴィンは結構模範的だよな。入り浸るけど」

「褒めてくれ」

「はいはい」

 

 こんなやりとり、いったい何度目になるのだろう。こうして繰り返されることが、とてつもなく愛おしい。

 見上げる。

 今日は、ほんとうに良い天気だ。新年という門出に相応しいといえる。

 カエサルが笑う、エルヴィンが皮肉を言う。

 

 世界が、いつまでもこのままであり続けますように。

 

―――

 

 平穏な春が訪れ、大洗高校へ無事に進学して、念願の高校戦闘機道を歩み出した赤木は、寮の一室で両腕を組みながら胡座をかいていた。

 

 心臓の鼓動が、レシプロエンジンのように激しく動いている。失速したかのように、その場からぴくりとも動けない。炎上でもしているのか、身が熱い。

 赤木の目の前には、携帯が床の上に鎮座されている。その画面には、エルヴィンの携帯番号が映し出されいた。

 

 あとは「通話する」さえ押せば、エルヴィンと話が出来る。生まれて初めての気持ちを、伝えられる。

 大きく、息を吐く。

 まさか自分が、こんな自分が、無関心を決め込んだ自分なんぞに、運命がやってくるなんて思いもしなかった。

 携帯を、そっと手にとる。

 もう我慢できない。親友に相談したい。何とかしてもらいたい――

 押し慣れているはずの「通話する」が、とてつもなく恐ろしいものに見える。やっぱりやめようかと、ビビリが生じて、

 己が頬を叩く。

 自分は男だぞ、撃墜したりされたりする戦闘機道履修者だぞ。

 勢い任せの指使いで、「通話する」をタップする。

 携帯を、そっと耳に当てる。

 1コール、2コール、3コー、

 

『はい、もしもし』

「あ、ああ、もしもし、松本さんですか?」

『え、どうした。私は松本、松本里子、もといエルヴィンだが』

「あ、ああすまない、間違えた」

 

 手のひらで頭を叩く。

 

『え、何いまの音』

「いや何でも。――あ、あのさ」

『ああ』

「えーっと、このことは他言無用で頼みたいんだが」

『カエサルにもか?』

「頼む」

『――心得た。して?』

 

 逃げるように、ひと呼吸置く。

 しかし、身体は少しも冷却されない。話を進めるたびに、心臓や血管が膨張していっている気がする。

 けれど、ぜんぜん「不快」ではなかった。

 

「えっ……と」

『ああ』

 

「俺、好きな人ができた」

 

 間。

 間。

 間、

 

『なに――――ッ!?』

「うわぁっあっ!」

 

 あまりの大声に、手から携帯がこぼれ落ちてしまった。

 身体全身を使ってまで、携帯を手早く回収して、大急ぎで耳元に戻す。

 

『ほ、本当か、本当なのか!?』

「ああ、本当だ、本当なんだよ」

『えっと、私の知っている人か?』

「……ああ」

『――名前は、名前は言えるか?』

 

 予想できた、答えることが極めて難しい問い。

 けれど、嘘偽りなく言うしかないのだ。苦しかろうが、恥ずかしかろうが、正直に言うほか無いのだ。それが恋なのだから。

 

「それは」

『ああ』

「お前……」

『え、えッ!? えッ!? へぇッ!?』

「――が、『さっき』、俺に紹介してくれた、」

『へ』

 

 まだ一度しか会っていないというのに、恐ろしいほどその人の顔を思い出せる。

 そうやって回想するたびに、胸が張り裂けそうになる。竹下のことが、芝村のことが、とてつもなく羨ましく思う。

 恋なんて、運命の出会いとやらに任せていた。来たらいいね程度にしか、考えていなかった。

 

 そして、その運命の出会いとやらは、情け容赦無く赤木の元へと降り掛かってきたのだ。

 きっかけは、たったの『歴女仲間が二人増えた、お前に紹介したい』。

 放課後になって、その新たな歴女を目にした瞬間。嘘みたいに撃ち抜かれ、窒息しそうになって、血が発火したのかと思った。

 

 俺は、戦闘機バカだったはずなのに。

 恋なんて、二の次だったはずなのに。

 しかし、実感するほかなかった。受け止めなければならなかった。

 ――だって、

 

「……のがみ、」

『のっ』

 

 あの人と、結ばれたいから。

 

「のがみ、たけこさん」

『?――あ、あ、あッ!』

 

「野上武子さんに、おりょうさんに、惚れた」

 

 床を見つめながら、つくづく思う。

 この世界は、どう流れるのかまったくわからない。

 

 

 




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