どうしようもなく正しい、世界の流れ   作:まなぶおじさん

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両思い

 高校二年に進級し、そのまま剣道を選択して、憧れの窓際席へ割り振られた青井は、余すところなく溜息をついていた。

 

 勉強が終わってしまえば、どうしても休み時間はやってくる。そうなれば当然、気の合うクラスメート同士の雑談が耳に届いてしまう。そのたびに青井は、羨ましいとか、混ぜて欲しいとか、ロクな話題を持っていないとか、そういうふうに尻込みしてしまう。

 青井は現在進行系で、ぼっちだった。

 昔っからこうなのだ。子供の頃から家で本ばかり読んでいて、父が見ていた大河ドラマをたまたま見て、そのまま歴史に興味を抱いて、とある偉人の影響で剣道を始めた。そうやって一人の世界に入り浸っていた結果、人との触れ合い方とか、同年代における流行りだとか、そういったものに疎くなってしまっていた。

 

 つまらない奴と思われたらどうしようという恐怖、滑って恥をかきたくないという羞恥心、「話題についていけないから仕方ない」という言い訳のお陰で、自分は今もここにいる。

 溜息。

 去年までは、確かに友達は居た。その友達はよく気が利いて、こんな自分にも話しかけてくれて、剣道の楽しさとか辛さとかをよくよく聞いてくれた。

 剣道を始めた理由も、ふと口にしたことがある。自分ときたら、「あの人のようなデカい男になりたい」なんて、小さく控えめに口走ってしまったものだ。

 ――それを聞いた友達は、「いいじゃねえか、そういうの」と肩を叩いてくれた。

 今となっては、それがとても懐かしく思える。

 それがあったからこそ、腐らずにいられたのだと思う。

 溜息。

 その友達は、別のクラスへ移っていってしまった。あの人柄のことだ、今頃は楽しく元気よく新たな友達と雑談を繰り広げているだろう。

 それに比べて自分は、クラスメートからの声を待つ事しかできない。話しかけられたところで、ロクな立ち回りが出来るかどうかも怪しいのだが。

 溜息。

 授業中はいい。やるべきことをやれば、評価される。自発的な発言は、特に求められていないから。

 特に剣道はいい。「憧れのあの人」になる為に、大真面目に剣を振るうことが出来るから。剣を握っている間は、「あの人」の名に恥じぬよう精神も声も研ぎ澄ませられるから。お陰で教師からの評価も上々だ。

 

 聞き耳を立てる。今話題の恋愛ドラマの話、放課後の予定について、発売されたばかりの音楽の感想――だめだ、自分が持つ話題にかすりもしない。

 やっぱり、大河ドラマを見ているクラスメートなんていないのかなあ。剣道という授業の話題をするなんて、休み時間からすれば野暮でしかないしなあ。

 ――友達作りの為に、新しく趣味を開拓した方がいいのかもしれない。

 今日の帰り際、何か音楽でも買おう。それがいい。

 そう結論づけて、青井は鞄から一冊の本を取り出す。そうして栞が挟まれたページから開いて、字の羅列を目の当たりにした瞬間に身が引き締められていく。

 この時が、一番落ち着く。

 

 そうして数分が経過して、そろそろ休み時間が終わろうとする頃、

 

「なあ」

 

 不意な声に意識をふん捕まえられ、青井の首がからくり人形のように反応する。

 クラスメートだった。

 男だった。

 まるで機嫌が良さそうな顔つきで、自分のことを明らかに見つめていた。

 

「な、何?」

「いや、それさ」

 

 指をさされ、青井の口から「え」が漏れる。

 自分――違う。よく見たら、小説に向けられている。

 

「俺さ、実はその、幕末に興味があるんだ」

「え……そうなの?」

「うんそうなの。でも俺ってバカだからさ、ぜんぜん覚えられなくてね……」

「そう、なんだ」

「そう、そうなのよー。だからさ、よかったら色々教えてくれねえかな、一人じゃ限界があるしさ」

 

 目の前で懇願している男の――赤木の意図に気づけ無いほど、青井も馬鹿ではない。

 恐らく赤木は、幕末という糸口を以て交流を持ちかけてきてくれたのだ。クラスの中でも話し相手が多い、あの赤木君が。

 間違いなく、気を遣ってくれたのだと思う。うじうじしていた自分のことが、放っておけなかったのだと思う。

 ――正直な気持ち、

 

「あ、ああ……いいよいいよ。うまく、教えられるかは分からないけど」

「マジで? やったやった、お前いい奴だわ! これからもよろしくな!」

 

 赤木から、遠慮なく手を差し出される。

 少し怯みながらも、けれども赤井は立ち上がって、その手を握りしめる。

 ――正直な気持ち、とてつもなく嬉しかった。

 

「こちらこそ、よろしくね。……その、変なことを言ったら、遠慮なく指摘してね」

「いいっていいって。――で」

 

 視線が、赤井の顔から小説に移り変わる。

 

「ああ、これ?」

「おう。これ、おすすめの一冊なのか?」

「……いや、どちらかといえば、その……」

「うん」

 

 この人になら、言える。

 だから、

 

「……憧れてるんだ、彼のこと。だから、好きで読んでいるだけ」

 

 赤木が「そうか」と頷く。

 赤木が、「そっか!」と指を鳴らす。思わず腰が退けてしまった。

 

「実はさ」

「う、うん」

「俺の仲間に……女性なんだけれども、龍馬好きがいるんだよ」

 

 マジで――

 青井の口が、驚きのあまり丸く開いてしまった。

 

「たぶん、気が合うと思うから紹介するよ。放課後、時間ある?」

 

 自分は先程までぼっちだったのだ。そんなの余裕で空いているに決まっていた。

 ――机の上の小説を、坂本龍馬伝を、ちらりと見る。

 やっぱり、デカい男には人が寄ってくるものらしい。

 

 

 昼休みがやってきて、食堂でいつもの定食を注文し、今日も一人で食おうかなと空き席を探そうとして――グループで昼飯を食べあっていた赤木と目が合い、一緒に食おうぜと誘われた。

 好意的なグループの目におっかながりながらも、けれども「これが最後のチャンス」と思い込んで、竹刀を構えるように呼吸を整えて、

 僕は、赤木君のグループにお邪魔した。

 お前剣道履修者だっけとか、こいつ歴史に詳しいんだぜとか、クールな奴だよなと言われた。

 だから僕も、普段は何をやっているのかとか、よく聞くドラマの内容について質問したりとか、戦闘機道の感じについて聞いてみたりした。慣れない舌を使ったから、少し行き詰まった喋り方になってしまったけれども。

 

 今日は、とても良い日だ。心の底から喜びながら、昼飯を食べながらでそう思う。

 

 □

 

 待ちに待った――こう思えるなんて――放課後が訪れ、赤木が早速とばかりに「行こうぜ」と誘ってくれた。

 赤木が言う幕末好きとは、いったいどんな人なんだろう。

 はやる気持ちを何とか抑えながら、春の日差しに当てられた廊下を歩んでいく。遊園地の入り口のような階段を、表向きは淡々と降りる。これから本格的な「何か」が待ち受けている玄関を前に、表情なんてすっかり崩れきってしまっていた。

 それを見た赤木は、「いい人達だよ」と言ってくれた。「そうなんだ」と、青井は頷いた。「異性だけどヘーキか?」と赤木が聞いてきて、「たぶん」と青井は無根拠に返事した。

 

 

 大洗公園前には、確かに四人の少女達が待ってくれていた。

 話慣れない異性ということで、ここで足踏みが怯んでしまう。大丈夫かなと漏らしてしまったが、赤木は「大丈夫大丈夫、歴史好きなら問題ねえ」と、軽く背中を叩いてくれた。

 ――そうだ。

 いつまでもビビリでいるわけにはいかない。友人からの好意を無下にしてはいけない。なけなしの勇気をかき集め、手のひらからそれを飲み込み、ひと呼吸で気合を入れる。

 

「お、この人が期待のルーキーこと青井君か。はじめまして」

 

 四人組の顔が見えてきた頃。コートを着た少女から、軍帽らしきものを外しながらで軽く一礼された。

 反射的に、青井も同じようにして返し、

 

「あっ」

「んっ?」

 

 眼鏡をかけた、羽織を着込んだ少女を注視する。恐れもへったくれもなく前進し、

 

「そ、その羽織……家紋は!」羽織の少女は目も口も開け「まさか、あなたは!」青井は羽織の少女をガン見し「その姿勢、もしかして!?」羽織の少女の表情がきらきらと光りだして「あなたは、幕末に興味が?」青井は張り切って頷いて「去年の大河ドラマは全部見たよ!」羽織の少女がうんうんと応え「素晴らしいぜよ! 期待のニューフェイスぜよ!」青井の鼓膜がびくりと震え「その口調……ああ、そうか。君の好きな、いや、尊敬する偉人は」その質問を待っていましたとばかりに、羽織の少女がニタリと笑って「まさか……あなたも?」己がエンジンに火が点いたまま「うん、僕も君と同じ。――一応、確認する?」羽織の少女は嬉しそうに頷いてみせて、

 

「坂本龍馬!」

「坂本龍馬!」

 

 シェイクハンド(握手)

 

「いやあー、まさかほかに幕末好きがいようとは! 感激ぜよ!」

「いや、僕も嬉しいよ。これほどまでの幕末好きに出会えるなんて……羽織か、凄いな……」

「通販で買ったぜよ」

「本格的だ……僕も一応、彼にならって剣道をやってはいるんだけれど」

「それは立派ぜよ! 楽な道じゃないだろうに」

「まあ、ね。でも、やっていて凄く楽しいし、身が引き締まるし、精神が磨かれる気がするんだ。……それを繰り返していって、いつかは龍馬のような大きな男になりたい」

「素晴らしいぜよ!」

「いやでも、口下手で、これまで友達が少なかったから。彼にはまだまだ遠く及ばないよ」

「なら、これからも歩めばいいぜよ。人は、足を止めない限り進歩していく存在ぜよ」

「そっかー……そうだよね。ありがとう!」

 

 羽織の少女が上機嫌そうに笑う、青井もたまらなくなってしみじみと頷く。

 そうして話に一区切りがついて、多少ながら頭が冷え、目の前以外がようやく見えてきた。

 ――自分と羽織の少女、それ以外のメンバーがぽかんと立ち尽くしている。

 交流に慣れていない青井でも、一瞬にして理解した。「やっちまった」という事実を。

 羽織の少女も状況に気づいたらしく、「あ」と苦笑い。

 

「すまないぜよ。つい、熱くなってしまって」

「……いや」

 

 六文銭の鉢巻をつけた少女が、まるでまるで嬉しそうに含み笑いをこぼし、

 

「赤木」

「おう」

「期待の新人を連れてきてくれたな」

「だろ?」

 

 鉢巻の少女と赤木が、けらけらと笑い合う。改めて期待と称され、嬉し恥ずかしい気持ちが生じる。

 

「好きな部類となると、熱くなる……それこそ、我らが歴女チームに求めていた人材だ」

「い、いやあ、どうも」

「私は鈴木貴子、ローマ担当だ。カエサルと呼んでほしい」

 

 横文字を耳にして、青井が首をかしげる。

 カエサルと名乗る少女は、「ああ」と一声つけて、

 

「私達は、得意としている歴史にちなんだニックネーム……ソウルネームを名乗り合っているんだ」

「うむ。私は戦国時代が好きだから左衛門佐と名乗っている」

「私は戦史、特にドイツに関するものが好きだから、エルヴィンと呼ばせてもらっている」

 

 と、いうことは――

 期待するように、羽織の少女に目を向ける。

 

「私は、おりょうと名乗っているぜよ」

 

 予想が外れ、青井の口から「え」が漏れる。

 何を考えているのかがわかりやすかったのだろう。おりょうは、「いやあ」と頭を掻いて、

 

「当初は坂本の名を戴こうとしたぜよ。でも私は、まだその域には達していないと思って……一歩引いて、おりょうと名乗ることにしたぜよ」

「おおー……」

 

 まちがいない。この人は、おりょうはマジモンの坂本龍馬好きだ。

 恐らく、周囲からは許可が下りていたはずだ。それでもおりょうは、「まだ未熟」の一言で一歩退いてしまった、退くことができてしまった。

 本当に坂本龍馬のことを尊敬しているからこそ、大好きだからこそ、おりょうという立場を後悔なく選べたのだろう。本人曰く「まだ」とのことだが、数年経過しても、おりょうはおりょうのままで生き続ける気がした。

 

「すごい」

「そんなことないぜよ」

「いや、僕だったらつい坂本龍馬って名乗っていたかも」

「それは当然ぜよ」

「いやでも……」

 

 そこで左衛門佐が、「へえ」と声を出して、

 

「君の名前は」

「え? あ、青井といいます」

「そうかそうか。じゃあ青井君、君は今日から坂本龍馬と名乗りなさい」

 

 間。

 

「えッ!?」

 

 大洗公園前で、でかい声が響き渡る。カエサルから、うわびっくりしたの反応。

 

「だ、ダメだよ左衛門佐さん! 僕はまだまだ未熟者だし、口下手だし……」

「それを覆すために、日々剣道を歩んでいたり、こうして赤木と付き合いだしたんだろう? なら、いいじゃないか」

「で、でも、」

「君のような逸材を本名呼びするのは、正直惜しい!」

 

 カエサルに視線を逃がすが、「うむ」と同意された。エルヴィンを視界を入れるが、「確かに」と言われてしまった。赤木と目が合ったが、「わかるぜ」の一言で逃げ道が塞がれた。

 そして、目の前がおりょうに戻る。

 周囲が許してくれたとしても、坂本龍馬好きのおりょうが許可を下さない限りは、決して坂本龍馬と名乗ってはいけない。気がする。

 

「――いいと思うぜよ、龍馬」

 

 あっさり判定された。

 

「い、いやー……うわあ、龍馬か、恥ずかしい……」

「慣れる慣れる」

 

 カエサルが、皇帝が、からからと笑う。エルヴィンが、元帥が「そんなものさ」と親指を立てる。左衛門佐が、戦国一の武将が「うむうむ」と二度肯定した。

 みんな、楽しめと言ってくれている。それは分かってはいるのだが、やはり坂本龍馬のことを尊敬しているからこそ、簡単には承諾できなかった。

 ――一同からの視線を浴びる中、青井は声にならない声を唸り、授業中以上に頭を働かせ、坂本龍馬という名を頭の中で何度も連呼し、

 ふたたび、おりょうと目が合った。

 その時、一つの天啓が降ってきた。

 

「……じゃあ」

「ああ」

「梅太郎、今はそう名乗るよ」

「……おお」

 

 梅太郎とは、坂本龍馬の変名の一つだ。それをわかっていたおりょうは、それに賛同するかのように声を漏らし、

 

「うむ。今日から青井さんは梅太郎ぜよ!」

「わかった。よろしくな、梅太郎!」

「坂本龍馬になれることを、心から応援する」

「今後もよろしくな。あ、私達のことは呼び捨ててでいいからな」

 

 カエサルから、左衛門佐から、エルヴィンから歓迎されて、思わず顔がほころんでしまう。たぶん、今日この日のことを忘れないと思う。

 

「――赤木君」

「うん?」

「ありがとう。こんなにも素晴らしい人達と、巡り合わせてくれて」

「いやいや」

 

 赤木は、気恥ずかしそうに頭を掻いて、

 

「俺はきっかけを与えただけさ。こうなったのはお前の、坂本龍馬に対する熱意あってのもんだ」

「……そっか。ありがとう、赤木君」

 

 なぜ、赤木に友達が多いのか。それがよく分かった。

 各々の明るい顔を見て、日々抱えていた寂しさが霧散していく。おりょうと顔を合わせ、おりょうが小さく「うん」と首を動かして、

 

「坂本龍馬の名は、お主に預けておくぜよ」

「ありがとう。その域に達せるまで、僕も僕なりに頑張ってみる」

「その意気ぜよ」

 

 ソウルネームの軟着陸が済んで、一通りの紹介も終わって、初対面特有のぎこちない空気も何処かへ吹っ飛んでいき、青井は気楽そうに笑えている。

 ――こんな空気を、吸えるなんて。

 誰を見ても、嫌な顔を一つもされない。ろくなことが言えず、力の抜けた笑いをこぼそうとも、この場に居る誰もが小さく頷いてくれる。受け入れられたのだと実感して、体全身で安堵する。

 

「――それにしても」

 

 左衛門佐の言葉に、周囲が聞き耳と視線を傾ける。

 

「もしお前が、坂本龍馬の域に達したら」

 

 うん。全員が、無言で頷く。

 

「……おりょうと坂本龍馬ということで、夫婦ということになるのか?」

 

 左衛門佐が疑問顔で、ぽつりとそんなことを言った。

 ――考える時間なんて、数秒もいらない。

 青井とおりょうが顔を合わせあい、頭の中でおりょうとの青春劇が強制的に再生されてしまった。どうやらおりょうも同じことを考えてしまったらしくて、同時に視線を上の空へと逃がす。

 

 そんなことがあったが、赤木とカエサル、エルヴィンに左衛門佐、そしておりょうと無事に分かり合うことが出来た。ここから友達に、そして親友になれるかどうかは自分次第だ。

 ――メールアドレスと番号を交換しあったが、その行為そのものがとてつもなく嬉しかった。

 

 その後は、剣道について多少語ったり、それぞれが持つ歴史の魅力を披露して貰ったりした。かじった程度の知識しか持たないからこそ、歴女たちが織り成す話には常々頷けたものだ。

 一方の赤木は、戦闘機道について話してくれた。団体戦だからこその高揚感に、空を舞うというかけがえのない感覚、そしてエルヴィンとカエサルの軍師っぷりについて語ってくれた。本人がたは「はっはっは」と笑っていたが、友情とはこういうドラマを生み出すものなんだなあと、多少ながら羨望してしまう。

 けれど、そういったものはこれから積み重ねていけばいい。

 赤木が作ってくれたこの人間関係を、自分は大切にしていきたい。

 

 青井は、アスファルトに視線を向ける。

 こんな自分にも、歴史は優しく動いてくれるものであるらしい。

 

―――

 

「――てなわけで、こいつもよく笑うようになってさ。いやあ、青井の飲み込みの速さは流石だと思うわ」

「いやあ、赤木君達がちゃんと教えてくれるから……」

 

 それからというもの、青井は積極的に今時の音楽を聞き、流行りのドラマを見て、戦闘機道について聞きかじってもみた。

 青井にとっては未知の世界だったが、馴染んでみればかなり面白かった。音楽は心を躍らせるし、ドラマは感情を揺さぶってくれる。戦闘機道に関しては、空で戦う感覚というものが非常に複雑怪奇で、だからこそ聞くのが楽しかった。

「いやでも、知ろうとしたいものをキチンと覚えられるって、相当スゲーことだからな。俺なんて、未だに幕末がよく覚えらんなくて」

「大丈夫だよ、赤木君なら。あの複雑な戦闘機道の中でレギュラー張れてるんだから」

 

 エルヴィンも同意するように、「うむ」と頷く。

 

「あれは好きでやっているだけだからな……ま、追々覚えるよ」

「ゆっくりでいいぜよ」

「赤木君なら大丈夫」

 

 放課後が訪れれば、決まって赤木が誘いをかけてきてくれて、いつの間にか歴女グループとも帰路につくようになった。

 前までは一人きりでアスファルトを踏みしめ、時には仲良しグループとすれ違っては羨んだりもした。こういう時の曇り空は、いつも自分の心を癒やしてくれたっけ。

 今となっては、青い空がとても恋しく思える。せっかくの放課後なのだから、清々しい天候の下で自由を満喫していきたいと、心から思う。

 

「いやいや、それにしても。赤木とは上手くいっているようだな」

「うん、彼にはよく見てもらってるよ。彼がいなかったら、今頃僕はどうなっていただろう」

「――確かに、赤木さんのお陰で梅太郎は立ち直れたのかもしれないぜよ。でも、それを選んだのも梅太郎ぜよ」

「そう、だね」

 

 おりょうが、「うん」と励ましてくれる。続いて、左衛門佐も親指を立ててくれた。

 ほんとう、剣道を歩んでいてよかったと思う。気だけは真面目に整えていたからこそ、グレずにいられたのだから。

 

「ま、おりょうさんの言う通りさ。お前はいい奴ってこと」

「あ、ありがとう、赤木君……おりょうさん」

 

 赤木とおりょうが、からっと笑ってくれた。

 

「――あ、そういえば」

 

 エルヴィンの声に、赤木が「ん」と反応する。

 

「今日は、ミリタリー雑誌の発売日だった。……というわけで本屋へ寄ろうと思うんだが、いいか?」

「いいぞ」

 

 左衛門佐の同意により、これからの予定が決まった。

 同級生とこうして遊べるなんて、自分からすればまるで信じられなかった。だからこそ、こんな関係を紡げるように自分も腐らず元気良くいきたいと思う。

 

 □

 

 歴史へのチケットとは、姿かたちを変えながらそこに存在しているものだ。

 時には映像が提供してくれたり、時には娯楽を通じて探求したり、時には本が過去へと誘ってくれる。それ故に、一旦本屋へ入ってしまえば、「何か掘り出し物はないかな」の一言で軽く数十分は楽しく拘束されてしまうのだ。

 だからエルヴィンが、数秒でお目当ての雑誌を手に取り、そのままレジへ直行――するのではなく、我らが歴史コーナーへと合流するのは必然だった。

 

 気持ちは分かる――幕末担当の梅太郎は、エルヴィンの行動に始終同意していた。

 さて。

 青井もまた、歴史コーナーの中に埋もれている。お目当てのジャンルはもちろん幕末で、今日の気分は「坂本龍馬関連で読んだことのないやつ」。

 そうして本棚を目で追っていって、「龍馬道で追う坂本龍馬」というタイトルが視界に飛び込み、何の躊躇もなく手を伸ばして、

 

「あっ」

 

 手と手が触れ合った。

 視線を指から腕へ、顔に移すと、そこには野上武子か、おりょうがいた。

 

「――! ご、ごめんっ」

「い、いやっ、別にいいぜよ。……それよりも、それ」

「あ、ああ、これ? いいよ、おりょうさん」

「あいや、梅太郎が先だったぜよ」

「いや、おりょうさんの方が早かった気がする」

「例えそうだとしても、梅太郎は坂本龍馬になるという崇高な使命があるぜよ。だから、その本を読むべきぜよ」

「待ったおりょうさん。おりょうさんの魂の中にも、坂本龍馬がいるんだから。だから、おりょうさんが……」

「いやいや」

「いやいやいや」

 

 この時、青井の頭の中は「どうしたらおりょうへ献上出来るんだろう」でいっぱいいっぱいになっていた。

 だから、あまり異性と付き合ったことがない青井は、この時は平然と、

 

「おりょうさんは女の子で、俺は男なんだから。だからこの本はおりょうさん優先だよっ」

 

 言い終えてみて、今なんて言った自分と冷静になる。

 振り返ってみて、なんてクサいことを言ったんだと強く思う。

 言われたおりょうもタダでは済まなかったらしく、顔を赤く染めながら「え」「え」「いや」、

 

「お、女の子なんて……そんな……いや、そうなんだけれども……」

「あ……いや、なんというか。と、とにかくこれはおりょうさんのものってことで」

 

 本棚から目的の本を引っこ抜き、両手でおりょうに差し出す。

 完全にノリと勢いだけの行為だった。けれどもおりょうは、躊躇うように視線を逸らして、唇をちょっと尖らせながらも、

 

「わ、わかった、ぜよ」

 

 そうして、本を受け取ってくれた。

 ――手元から本が離れた瞬間、体全体から力が抜けきったと思う。

 やり方はともかく、おりょうへ本を差し出すという目的は完遂出来た。お陰で、達成感めいた気持ちが湧いてくる。

 

「……梅太郎」

「な、なに?」

「こ、この恩は忘れないぜよ。いつか必ず、返すぜよ」

「え、いや、いいよべつに、」

「だめ」

 

 本を胸元に抱いたおりょうが、一歩踏み出してきた。

 

「恩義はキチンと返す。これもまた、坂本龍馬を追う者のモットーぜよ」

 

 真剣な顔だった、眼鏡越しの青い瞳がよく見えた。

 異性からこんなにも見られて、近づかれて、青井は呼吸すらも忘れた。

 

「まあ、そういうことぜよ」

 

 そして、おりょうが一歩、離れていった。

 ――思う。

 おりょうさんって、なんて、

 

「梅太郎」

「え、何?」

「……そ、その、さっきの、言葉」

「う、うん」

「――あ、ありがとう、ぜよ」

 

 おりょうさんって、なんてきれいなんだ。

 

 そうしておりょうは、逃げるようにしてレジに向かっていってしまった。

 ――ひと呼吸。

 こんなにも女の子と話したのは、始めてだった。あんなにも至近距離で向き合ったのなんて、今までにないことだった。

 おりょうの後ろ姿を、自動的に目で追い続けてしまっている。

 

「青井クン」

 

 不意に後ろから声をかけられ、絶叫するかと思う。

 

「な、何?」

 

 赤木が、口元だけを曲げながら、

 

「イケメンだな」

「え、いやー……その」

「お前はやっぱ、いい男だよ」

 

 そんなことを言われて、視線が右往左往に動いてしまう。

 よく見てみれば、左衛門佐が上機嫌そうな顔で自分を見つめている。カエサルは無表情で、エルヴィンは軍帽の角度を下ろしていた。

 考えてみれば、歴女達との距離がそうそう離れるわけがないのだ。求めている本のジャンルが一緒なのだから。

 

 あまりの恥ずかしさに、視線を床に伏してしまう。けれどむず痒いような、高揚してしまうような、そんな手放せない気持ちを抱えたままで、「そうでもないよ」と答えてしまった。 

 ――こんな自分の歴史にも、激動というものはやってくるらしい。

 

 その後は、自分は幕末関連の小説を、赤木は「図解、幕末時代」を購入した。その他のメンバーも、満足げに本を抱えていた。

 そうして本屋から出た頃には、空はすっかり夕暮れ模様だった。海の上から見ているからか、友人と共にいるからだろうか、それがどこまでも広く透き通って見える。

 ――ふと、おりょうさんと目が合い、

 

「読み終えたら貸すぜよ」

「ありがとう」

 

 うまく言えたと思う。

 

 その後は、歴女四人をシェアハウスまで送り届けて――赤木と二人で、寮に帰っていった。

 

―――

 

「乾杯!」

 

 あれからほんの少しが経過した後、プラウダ高校と剣道の練習試合を行った。――結果は、敗退であったけれども。

 しかし、「三人抜きか、凄いな! これは祝うべきだ!」とカエサルから提案され、自分以外のメンバーもそれに賛同。そんな経緯があって、行きつけ(らしい)の定食屋にて飲めや食えやをしている最中である。

 最初こそ恥ずかしかったが、時間が経ってみればやっぱり嬉しかった。それは顔にも出ていたと思うし、何度も何度も「ありがとう」と言ったと思う。そんな自分に対して、赤木は「遠慮すんなって」と言ってくれた。

 それで、胸のうちに残る敗北感はだいぶ霧散してくれたと思う。

 

 コップとコップを触れ合い、六人同時で中身を飲み干して、一斉に「たはーっ!」と声に出す。なんだか青春しているような気がして、青井はすっかり浮かれきっていた。

 

「――いやしかし、本当に凄かったな。普段のお前は穏やかだというのに、剣を握ると鬼になる」

「お、鬼なんてそんな」

「そうだぞエルヴィン。侍と言え、侍と」

「さ、侍なんて……」

「じゃあ武士ぜよ!」

「お、おりょうさん」

 

 カエサルが「はっはっは」と笑い、

 

「それくらい、お前の気迫が凄かったということだ。正直ちょっと怖かった」

「そ、そうなの?」

「声は鋭かったし、スキあらば剣を振りかざすし、まるでお前でないようだった。お前がレギュラーなのにも納得がいく」

「ど、どうも」

「いやー、あれは男の俺でもマジ怖かったわ。いや、お前には戦士の素質がある。……で、戦闘機道を歩んでみない?」

 

 赤木の隣に座り込んでいたエルヴィンが、赤木のことを軽く肘打ちする。赤木が「ってーなー」と悪態をついた。

 左衛門佐が、ほっけの骨をぺりぺり剥がしながら、

 

「怖いだけじゃなくて、ちゃんと実力があるからなあ。これは、将来が楽しみな武士だ」

「あ、ありがとう、左衛門佐さん」

「怖くて、強くて、けれども優しい面がある……やはりお主は、坂本龍馬の素質があるぜよ」

 

 しみじみと微笑みながら、おりょうが総括する。

 ここまで堂々と「優しい」なんて言われてしまっては、恥ずかしくなってうつむくしかない。

 ――けれど、

 

「あの、さ」

「うん?」

「これまでは二人抜きが限界だったんだけれど、今回で始めて、念願の三人抜きが達成できたんだ」

 

 顔を、そっと上げる。

 一同は、「マジか」といわんばかりに表情が硬直していた。

 

「たぶん、みんなが応援してくれたからだと思う。僕は一人じゃない、みんな応援してくれている……だから、僕はここまで戦えたんだ」

 

 精一杯、笑ってみせて、

 

「ありがとう」

 

 ほんの少しの沈黙が訪れ――そしてカエサルが、エルヴィンが、左衛門佐が歯を見せて笑う。赤木は「どういたしまして」と苦笑してくれて、

 

「梅太郎」

「うん?」

「よかったぜよ、力になれて」

「うん。……これで、貸しは無しってことで」

「むう」

 

 おりょうの口が、への字に曲がる。

 ――自分は間違いなく、正しいことを口に出来たと思う。これまでは透き通った孤独感の中で戦い抜いてきたが、先日の試合中の中では、みんなが応援に駆けつけてくれたあの日は、心がつい躍ってしまったのだ。

 それはきっと、声にも剣さばきにも影響を及ぼしてくれたのだと思う。一人じゃないという絶対的な根拠が、目には見えない重荷を消し飛ばしてくれたのだと想う。

 だから、お礼を言った。おりょうの貸しは、これでなくなった。みんなのお陰で強くなれたのだから。

 そうして、味噌汁を飲む。

 

「梅太郎」

「何?」

 

 左衛門佐が、横目でおりょうを見つめる。

 

「おりょうな、凄かったんだぞ」

「え、何が」

「試合中の、お前を見守る顔が」

「え」

 

 左衛門佐が、しみじみと頷いて、

 

「無言で、けれども真剣のような顔で、お前のことをじっと見守っていた。終始無言だったから、おりょうも怖かったのなんの」

「そ、そうなの?」

「そ、そんな顔なんかしてないぜよ」

「してた」

 

 左衛門佐が、しれっとした表情でほっけを完食し、

 

「余計なことをしたら、絶対に斬られてたなアレは」

「適当なことを言うな、もんざ」

「本当だ。隣りに座っていたから間違いない」

 

 左衛門佐の証言を信じているのだろう、一同も「へえ」という表情を露にしていた。

 

「あんな顔のおりょう、始めて見たよ。なんというか、お前もカッコ良かった」

「そ、そうか……」

 

 そうして、おりょうと目が合う。

 ――なんだか、急に恥じらいが芽生えてきた。

 思わず、視線を白米に落とす。大して味覚が働かないまま、白米を口の中に入れていく。

 そこまで異性から見守られるなんて、なんだかこう、凄いとしか言いようがない。女の子慣れなんかしていない自分は、ただただメシを食うことしかできない。

 けれど、フラッシュバックしてしまうのだ。本屋で見た、おりょうが見せる青い瞳を。

 あの時、自分はどんな感情を抱いたのか、いまいち言葉にできない。けれども、拒否感なんてまるでなかったことは覚えている。

 

 ある程度お椀が軽くなったところで、ちらりとおりょうの顔を伺う。

 同じくしてお椀を手にし、うつむきがちだったおりょうと目が合う。

 

 恥ずかしさが爆発したと思う。おりょうからは、何の言葉も返ってはこない。それが余計に恥ずかしい。

 

「……なんか、ここだけ青春感がすごいな」

 

 そして、左衛門佐があっさりとどめを決めてきた。

 青井は、ものを食べることしかできていない。

 ――その時、カエサルが呆れたように溜息をついて、

 

「――お前は何を言ってるんだ」

「え? そう? ……なんかすまん、ふたりとも」

「あ、いや」

「あ、いや」

「いや?」

「ああいや、なんでもない! ……そ、それよりもほら、食べよう? ねっね?」

 

 赤木が「だな、食え食え」と続く。

 その一声で空気に一区切りがついたのか、一同が食べたいものを口にしていく。そうしておりょうと目が合ったが、にこりと笑ってくれた。

 そんなおりょうの顔が嬉しくて、青井も無言で笑い返す。

 

「――そういやエルヴィン、見たぞ」

「何が?」

「大洗WEBニュース。お前、戦車道始めたんだって?」

「うわ、見られたのか」

「新聞も配られたしな、『大洗戦車道、数十年ぶりの復活!』って」

 

 青井が「あ、それ僕も見た」と口にし、

 

「号外扱いだったよね。手渡された新聞を目にしても、戦車道一色だったし」

「なー。エルヴィンお前、写真写りよかったぞー」

「やめろ、余計なことを言うなッ」

 

 カエサルが「はっはっは」と笑い、エルヴィンが睨む。それでもカエサルは、てんで動じない。

 

「けどさあ」

「うん?」

「お前ら、確か忍道を履修してたよな。なんで路線変更したんだ?」

 

 その時、青井は見逃さなかった。エルヴィンの表情から射出された「げっ」を。

 

「それはな」

「い、言うなッ」

 

 カエサルは、やっぱり不動の姿勢を築き上げたまま、

 

「戦車道のプロモーションビデオを見ている時の、エルヴィンの目がとっても輝いていたからだ」

「あー」

 

 赤木が、納得したように頷いた。

 エルヴィンが恨めしそうな顔でカエサルのことを凝視するが、皇帝はそんなことでは動揺したりしない。

 

「これは入らないといけないと思ってな。もちろん、おりょうと左衛門佐も同意したぞ」

 

 おりょうと左衛門佐が、「ねー」と見つめ合う。エルヴィンは、すっかり歯を食いしばっている。

 

「それに、個人的な興味もあったしな」

「お、なして?」

 

 カエサルが、にやりと笑って、

 

「ドンパチできると思ったから」

「さすが」

「実際のところは、凄く忙しかったけどな。弾は重いし」

「視界は狭いし」

「なかなか当たらないし」

「指揮で頭がこんがらがりそうになったし」

「相手はあの西住流だったし」

 

 西住流? 青井と赤木が、揃って首をかしげる。

 

「戦車道における、最大の流派のことぜよ。……その後継者が、大洗戦車道に入ることになって」

「マジで? すげえな」

「凄かったぜよ。次々と戦車を討ち果たしていくその姿は」

「――そ、それで、おりょうさん達は?」

 

 そこで、おりょうの視線がエルヴィンに傾く。

 

「エルヴィンとカエサルの知識のお陰で、背後を取ることが出来たぜよ」

「お、すげえなお前」

「はっはっは」

「いやー、あの時はすまなかった。肝心なところで弾を外してしまって、お陰で返り討ち」

「構わん構わん。これから伸びるさ」

 

 エルヴィンが悔しくなさそうに笑い、左衛門佐が「えへへー」と苦笑い。どうやら、大砲の担当は左衛門佐であるらしい。

 カエサルがエビフライを噛みちぎりながら、

 

「結果はどうあれ、最後まで生き残ったんだ。初心者にしてはいい結果だろう」

「うむ。お陰で教官殿から、西住さんからもお褒めの言葉をいただいたぜよ」

 

 どうやら、緒戦は上手くいったらしい。おりょうの満足そうな笑みが、それを物語っている。

 

「しかし、知識とは応用が利くものなんだな」

「どゆこと」

 

 エルヴィンが、左手で赤木を指差し、

 

「戦術ノートをとっていたお陰で、地の戦いにおいても頭が上手く回ってくれたんだ」

「お、そうなん? すげえじゃん、さっすが裏のブレイン」

 

 裏のブレインと聞いて、「そういえば」と青井は思う。

 赤木曰く、今年の大洗航空隊はかなり上手くいっているらしい。隊員の士気もそうだが、エルヴィンとカエサルが提供する「匿名の戦術ノート」のお陰で、大洗航空隊の実力そのものが大きく底上げされているとか。

 なるほど。

 熟練相手の背後につけた理屈も、最後まで生き残れた理由にも納得がいく。

 

「お前が機会を与えてくれたお陰だ、ありがとう」

「何言ってんだ。ぜんぶお前がやったことだろ」

「それでも、だ」

 

 その時、青井は見えたと思う。

 エルヴィンの、本当に嬉しそうな顔を。

 

「……さて」

 

 カエサルが、静かにお椀を置く。米粒が一つも残っていない。

 

「赤木、青井。実はこのたび、私達は高校戦車道全国大会へ出場することになった」

「ほんとう?」

「ああ。広報殿(生徒会)の決定でな」

「へー」

「そこでだ、お前達に協力して欲しいことがある」

 

 赤木と顔を合わせ、再びカエサルに目をやる。

 カエサルは、いたって大真面目な真顔のまま、

 

「我らがチーム名を決めようと思う」

 

 間。

 

「は?」

「チーム名だ。西住さんからは、『動物の名前で揃えるのはどうでしょうか?』って提案されたのだが……」

 

 カエサルが、椅子の背もたれに身を預ける。まるでアテがないらしく、ぼうっとした表情で天井を見つめていた。

 どうやらおりょうもエルヴィンも、左衛門佐も良い案が思い浮かばないらしい。黙々と箸が動き、声にならない唸りが漏れ、エルヴィンに至っては「これは難しい」と意見している。

 

「ら、ライオンは?」

「それは真っ先に出たんだが、」

 

 カエサルは、未だ天井を眺めたまま、

 

「他のチームと被りそう」

「あ、確かに」

「だろう」

 

 青井も本気で悩む、赤木だって「何かあったか?」と腕を組む。

 名前というものは非常に重要な概念であり、一度決めたらそう簡単には取り消せないものだ。この契約は、一発で決めなければならない。

 

 エルヴィンが、

 

「鷹」

「被りそう、かっこいいし」

「確かに」

 

 左衛門佐が、

 

「馬」

「馬、か……保留」

 

 おりょうが、

 

「にわとり」

「にわ、とりか……」

「確かに、殺意が伝わりにくいかもしれないぜよ」

 

 赤木が、

 

「意外性は?」

「プラス対象」

「サメ」

「……海、か……」

「そうだな……」

 

 赤木という牙城が突破された今、視線は瞬く間に青井へと殺到する。

 十の目に見つめられ、青井は両腕を組んでまで脳ミソを働かせる。ろくな動物知識なんてないものだから、定番の猛獣のみが頭の中を走り回っている。

 駄目だ。自分ひとりじゃまるで閃けない。意外性があって、強そうで、地に足をつけている動物といえば――

 

「……速いのがいいかな」

「うん」

 

 左衛門佐が頷く。

 

「……強いのがいい?」

「そうだな」

 

 エルヴィンが同意する。

 

「土の上、じゃないと駄目?」

「……水にも陸にも対応出来るんなら、その分強そうじゃね?」

 

 赤木が、万策尽きたような顔で応える。

 

「デカいのが、いいのかな」

「なるべく」

 

 カエサルが、人差し指で額を支えている。

 

「……デカい……強い……水陸に対応……しかも速い……」

 

 視線なんて上の空、ギリギリで生きているかのようなか細い声。心当たりがありそうで、けれども知識不足故にあと一歩思考が走らない。

 こんなことなら、動物に関する本をたくさん読んでおけば――

 

「あの」

 

 神経を張り巡らせていたせいで、かえって声に反応してしまう。

 誰。声の主を目で追い、

 

「それって」

 

 おりょうが、控えめに手を挙げていた。

 何。一同が、おりょうの言動を見守ろうと視線が殺到し、ついに、

 

「カバ、では?」

 

 ――、

 

「それだ!」

「それだ!」

「それだ!」

「それだ!」

「それだ!」

 

 

 その後、一同は定食を無事平らげ、今日からカバチームだーと左衛門佐が意気込み、そのままお会計を済ませて店から出る。

 おりょうからは「梅太郎のお陰で決まったぜよ」と笑顔を向けられてはノリと勢いでシェイクハンド。あとはそのまま、シェアハウスまで送り届けていく。

 ――上機嫌を胸に秘めたままで、青井は余韻に浸るように地を見つめる。

 

 今日はとても良い日だった。ここから、自分の歴史は面白おかしく動いてくれるのだろうか。

 

―――

 

 7月がやってきて、戦闘機道、剣道、そして戦車道は、いよいよもって大会へ力を注ぎ込んでいた。

 まずは赤木の戦闘機道だが、継続、アンツィオを破って、無事に三回戦目の切符を手にした。次に青井の剣道だが、こちらも三回戦目まで進出することが出来た。部長曰く、今年は筋のある男が多いのだとか。

 そして戦車道だが、こちらも強豪サンダース、そしてアンツィオを見事に突破したらしい。これらの事態に我らが大洗高校の松山会長は、「このまま勝ち進んでくれ!」と実にハッスルしている。元より負けるつもりはないから、そのつもりではあるのだが。

 

 ――そんな激闘から数日後、青井と赤木はスーパーめがけぶらぶらと歩いていた。空はすっかり夕焼けに染まっていて、気温も夏らしくずいぶんと暑い。後ろから一両の自転車が追い越していく。

 今日は時間が出来たのと、大会を勝ち進んでいけたテンションを動機に、赤木の友人であるらしい竹下、芝村という戦闘機道仲間が紹介される予定だ。今晩は、その友人達と夕飯を共にするつもりでいる。

 赤木曰く「いい奴ら」とのことで、会えるその時が実に待ち遠しい。

 

「――っかしな、すまんなー」

「え、何が?」

 

 ぼんやりと歩みながら、赤木が背筋を伸ばす。

 

「いやさ、お前から幕末について教えてもらっているのに、ぜんぜん覚えられなくて」

「いや、いいよ。難しいからね、歴史っていうのは」

「まあ、そうなんだけどさ」

 

 それでも赤木は、幕末に対しての知的好奇心を止めるつもりはないらしい。戦闘機道もそうだが、ほんとうに努力の人なんだなと青井は思う。

 

「赤木君なら絶対に覚えられるよ。あの戦闘機道と付き合えているんだから」

「サンキュー」

「また何か分からないことがあったら、何でも聞いてね」

「OK、頼りにさせてもらうぜ」

 

 まるで屈託のない笑み、余裕そうなサムズアップ。

 ――自分もいつか、ああいうふうになれたらな。

 

 そして数分後、馴染みのスーパーが見えてきた。

 

 □

 

 スーパーの中に入ってみれば、半袖には少し堪える涼しさが全身に染み渡ってきた。どうやら赤木も同じだったらしく、「おーさむ」と苦笑い。

 早速とばかりに、買い物かごを片手に食材を探し求めることにする。今日は大多数で食事をするから、すき焼きで親交を深める予定だ。軍資金も、参加メンバーから預かりを受けていた。

 まだ顔も合わせていないのに、信用してくれているんだな。赤木の友達だから。

 その事実が、とてつもなく嬉しい。改めて、赤木のような男になりたいと強く思う。また一つ、目指すべき目標が増えた。

 

 そうしてしらたき、豆腐、しいたけをかごの中へ突っ込んでいって、あとは肉を買い求めるだけになった。赤木が「肉なんて久々だなー」と微笑み、青井もそれに頷く。

 まるで優勝した後のようなテンションだが、無事に二回戦も勝ち抜いたのだ。これぐらいの浮かれは許して欲しい。

 ――そうして、肉類の販売コーナーに差し掛かって、

 

「あっ」

「あっ」

 

 別コーナーからやってきたおりょうと、鉢合わせになった。

 予想外だったもので、思わず身も心も固まる。それは赤木も同じだったようで、ほんの少しだけ間が生じ、

 

「梅太郎に赤木さん、会えて嬉しいぜよ」

「おお、俺も俺も。で、今日の夕飯はおりょうさんが?」

 

 赤木の質問に対し、おりょうが買い物かごを掲げる。よく見てみれば、かごの中身は自分達のものとほぼ一緒だ。

 

「あ、それは……えーっと、なんだったかな。し、ししゃも……じゃねえし……」

 

 青井は、あっさりと「ああ」と頷き、

 

「軍鶏だね?」

 

 おりょうの顔が、分かりやすく明るくなる。

 

「さすが梅太郎、わかっているぜよ」

「いやー、だって坂本ファンだからね」

「ねー」

 

 おかしくなって、互いにけらけら笑ってしまう。

 

「しかし、軍鶏か……食べるものも本格的だね、おりょうさんは」

「おりょうさんですから」

「流石」

 

 そして、青井は静かに鼻息をつき、

 

「軍鶏、か……いや、いいんだけれど、複雑だよね」

「……わかるぜよ。好物を食べようとしたその日に、龍馬は」

「本当、犯人は誰だったんだろうね」

「わからんぜよ。もう、過去のこと」

「そうだね、もう昔のことだもんね。……龍馬道の最終回も、犯人はぼかされてたし」

「思い切った演出だったぜよ。けれど、ああいうのも私は好きぜよ」

「うん。僕も、あえてそんなふうに解釈するんだなって、テレビの前で関心してた」

「ああ、懐かしい、もう半年前ぜよ。……最終回は、皆で軍鶏を食べながら視聴していた。とても、うまかったぜよ」

「わかる」

 

 うつむく。

 小さな溜息とともに、頭の中で龍馬道の最終回が鮮明に再生されていく。その人はあまりにも大きくて、閃光のようで、格好良かった。

 

「梅太郎」

「ああ、ごめん。つい思い出しちゃって」

 

 おりょうは、共感するように小さく頷いて、

 

「梅太郎は坂本龍馬を目指している男、そうなるのも仕方がないぜよ」

 

 感傷的になってしまっていた青井にとって、その一言は不意に深く突き刺さった。

 坂本龍馬という大いなる男に比べて、自分は、

 

「――坂本龍馬か」

「梅太郎?」

 

 重く、重く鼻息をついて、

 

「剣術の方はいい、まだいい。けれど、僕は彼のような人柄を得られるのかなって」

「人柄」

「うん。おりょうさんと出会えたのだって、元はといえば赤木君のお陰だからね。それまでの僕は、パッとしなくて、友人が少ない奴だったから」

 

 剣道で精神が研ぎ澄まされようとも、剣さばきが磨かれようとも、結局は他人が恐ろしいままだ。

 もちろん、今現在はとても幸せに満ちていると断言できる。これだけの友情に囲まれているから。

 けれどそれらは、全て赤木から与えられたものだ。坂本龍馬のように、人を引き寄せたわけでも、誰かを誘った経験もない。自分のことは嫌いではないものの、大きい男になれるかと聞かれたら――それは怪しい。

 だから、つい不安を口にしてしまうのだ。梅太郎という名前すらも大きすぎると、ふと思い込んでしまう。

 

「梅太郎」

「あ、ああ。ごめん、つい気弱なことを」

「梅太郎は、しっかりとした人柄も備えているぜよ」

「え」

 

 一瞬にして、それ以上の言葉を見失う。

 

「きっかけは確かに、赤木君の好意かもしれない。でも梅太郎は、義を以て、私達との絆を育んでいるぜよ」

「お、おりょうさん」

 

 おりょうはどこまでも真顔だった。一切合切の自虐なんて切り捨ててしまうような、そんな気迫が本能で伝わってくる。

 

「梅太郎はよく笑って、よく話して、善く戦っているぜよ。梅太郎はまだ若い、焦る必要なんかないぜよ」

 

 呼吸。

 

「梅太郎は、坂本龍馬になれる素質がある」

「そう、かな」

「うむ。シェイクハンドもきっちり行っているし」

「あ、あれは……まあ、ね?」

 

 思わず苦笑いしてしまって、面倒な雰囲気が瓦解していく。おりょうも、さっきのような明るい顔を見せてくれていた。

 そうか。

 そういえば自分は、まだ若いんだっけ。

 

「おりょうさん」

「うん」

「ありがとう。つい弱気になってしまったけれど、おりょうさんのお陰で吹っ切れたよ。さすがおりょうさんだ」

「龍馬を支えるのは、おりょうの仕事ぜよ」

「そうか、そうだよね、」

 

 頷いてみせて、ふと思考がつまづく。

 仮に自分が龍馬で、目の前にいるのがおりょうさんそのものだと仮定してしまうと――

 どうも、おりょうも同じことを考えてしまったらしい。瞬く間に顔が真っ赤に染まっていって、両手で口を抑えて、

 

「あ! いや……そのっ、こ、これはっ」

「ああいやいやわかってるわかってる! ソウルネームソウルネーム! そういうことだよね? ね?」

「う、うん」

「僕は気にしてないから、気にしてないから!」

「わ、わかったぜよ」

 

 とりあえずは、青井もおりょうも深呼吸する。

 たったそれだけを行ったが、不思議と気分が一新されていくのを実感した。

 

「おりょうさん」

「うん?」

「――ありがとう。僕はいつか、坂本龍馬になるよ。剣道履修者という誇りに誓って」

「うむ」

 

 とても、清々しい気持ちでいっぱいだった。

 だから、言おう。本心から口にしたいことを、今だからこそ。

 

「おりょうさんも、おりょうさんになれるように頑張って。戦車道のことは詳しくないけれど……おりょうさんならできるっ」

「梅太郎」

 

 手を、そっと差し出す。

 

「君と会えて、本当に良かった」

「え、あ――」

 

 おりょうが、目と口を開けたままで硬直してしまった。

 けれど、言い過ぎたとは決して思わない。

 だって、この気持ちは間違いなく本物だから。おりょうさんと出会わなければ、ビッグな男になんてなれなかっただろうから。

 

 ――おりょうが「けほん」と小さく咳をこぼして、しばらくはスーパーの床めがけ視線を逸らしたまま。そうしてゆっくりと顔を上げていって、おりょうの青い瞳が自分を見据えて、いつものようににこりと笑って、

 

「私も、君と出会えてよかったぜよ!」

 

 手と手をとりあい、大げさに揺らしてみせる。

 おりょうの手はまるで小さい。だから、壊してしまわないようにゆっくりと握りしめる。今のおりょうはどこまでも笑顔で、それは自分に向けてくれていて、少しずつ胸の内が熱くなっていくのを実感する。

 ――これってまるで。

 

 シェイクハンドが終わる。わだかまりが終わる。

 

「――よかったな」

 

 後ろからの声に、変な声が出た。

 振り返ってみると、実に嬉しそうな顔をしている赤木が、いた。

 

「――あ」

「――あ」

 

 青井とおりょうの口からは、そんな声しか出てこない。

 

「ああ、俺のことは気にしないでいいから。な?」

「あ、いや、その――ごめんっ赤木君! 変なことに巻き込んでしまって!」

「すまなかったぜよ!」

「いいっていいって。お前、成長したっぽいしな」

 

 思う、本当につくづく思う。

 この人には敵わない。だからこそ、こんな男になってみたい。

 

「おりょうさんも、なんというのかな……いいことがあって、良かったね」

「あ――ああ、よかったよかった、よかったぜよ!」

 

 すっかりスーパーに長居してしまったが、赤木が「すまねー少し遅れる」と友人に電話してくれたお陰で、とりあえずの心配事は解消された。

 そうして一通りの買い物を済ませて、スーパーから出てみれば、外はすっかり暗くなってしまっていた。星が少なからずうっすらと見える。

 

 おりょうが、手を振りながらで別れようとして――青井と赤木は、おりょうを歴女のシェアハウスまで送り届ける。当然の行いだった。

 そうして数分後、おりょうをシェアハウスまでエスコートし終えては、「ありがとうぜよー」と礼を言われて任務完了。すき焼きのテンションもあってか、赤木とはその場でハイタッチした。

 

 あとは、街頭に照らされた帰路を歩むだけだ。その間にも、赤木は仲間についてのよもやま話を、どこか寂しそうな笑みで語ってくれる。

 楽しかったんだな、そう思う。

 これからは、自分も思い出を作っていこう。改めてそう想う。

 ――なんとなく、街頭に染まったアスファルトを見つめる。

 

 これからどう動くかは分からないけれど、自分の歴史はまだ続いてくれるらしい。

 

 その後は、竹下と芝村から歓迎を受け、すき焼きを共にし、、楽しい思い出や恥ずかしい隠し事を暴露したりされあったり、惚気話を聞いたりして、一生分楽しんだ。

 ――恋話を聞いて、おりょうの顔が思い浮かんだことだけは、絶対に誰にも言えない。

 

―――

 

 ――やれるだけのことはやった。悔いはねえ

 

 大洗戦闘機道の次の相手は、強豪中の強豪、黒森峰戦闘航空大隊だった。

 戦力はもちろん、士気も練度も最強クラスであり、相手が強ければ強いほど燃え上がるタイプらしい。そんな相手とぶつかってしまった大洗航空隊は、黒森峰めがけ必死に食らいついて、何がなんでも有利なポジションを得ようとし、撃墜したりされたりして、惜しくも全滅した。

 観客席で見守っていた青井は溜息をつき、左衛門佐は「くそう」と悔しがる。エルヴィンは、「黒森峰相手にあれだけ戦えたんだ。来年に期待しよう」と不敵に笑い続けていた。

 

 間もなくして、大洗剣道の三回戦目が始まった。相手は強豪プラウダで、とにかく体格の良い選手が多いのが特徴だ。

 確かにリーチの差はあるだろうが、青井だってこの日の為に剣を振りかざしてきたのだ。あとは戦術と腕に期待するのみだった。

 ――結果は、青井「は」勝った。しかし、勝敗の差で大洗剣道の負けが決まってしまった。これも総当たり戦が下す現実の一つだ。

 けれど、やれることはやった。悔いなんてものはない。

 

 一区切りがついた後で友人達と合流したが、その時のおりょうは、口元だけを曲げて「また一歩、坂本龍馬に近づいたぜよ」と言ってくれた。最高の賞賛だった。

 

 そして、大洗戦車道にとっての三回戦目が開始された。何の縁か、相手はまたしてもプラウダ高校だ。

 戦車に対する知識は皆無だが、相手の戦力は明らかに充実している。観客席で事を見守っていた赤木は「勝てるかな」と呟き、青井は「わからない」としか言えない。

 心の何処かでは、「ここまでよく頑張った」と思っていた。始めたばかりの戦車道で、まさか三回戦目にまで勝ち進めたのだ。これは明らかな大金星であり、これぞ「来年は期待できる」現状だと思っていた。

 ――しかし、そんな悠長な願望は、「負ければ廃艦」という事実によってあっさりと踏み潰された。

 ほんとう、唐突だったと思う。けれど間違いなく、特設モニター越しから、それを聞いてしまったのだ。

 溜息。

 なるほど。ウチ(大洗学園)の生徒会がなぜ、今年の大会に対してあれだけ声を張り上げていたのかがよく分かった。一回戦目を突破するたびに号外が配られて、優勝したわけでもないのに「頑張れ大洗剣道!」「負けるな大洗戦闘機道!」と書かれた垂れ幕が屋上からぶら下げられていて、備品が新品同様に交換されていって、ずいぶんと大盤振る舞いだなあと思っていたものだ。

 溜息

 生徒会は、必死だったんだ。ここを守りたいが為に。

 

 改めて、特設モニターに目を向ける。大洗戦車道は、大洗戦車隊は、カバさんチームは、おりょうさんは、

 

 決して、諦めなかった。

 

―――

 

 本格的に暑くなり始めて、セミの音色が心地よくなってきた頃。

 晴れて自由の身となった赤木と青井は、本屋めがけゾンビのように足を動かしていた。最高気温を前に死にそうなのである。

 こんな日は、寮の中でエアコンライフに浸るのが定石なのだが、

 

「ったくよー、何で俺らがこんなクソ暑い中を歩かなきゃいけねーんだ?」

「しょうがないよ、軍資金を貯める為だし」

「……まーなぁ」

 

 全てのきっかけは、一つのメールから始まった。

 

 土曜の朝が訪れ、「今日はどうしようかな」と思考しながら窓を開け、「今日は寮に籠ろう」と青井が決意したその時、机の上に放置中だった携帯が突如として震えだした。

 メールかな。

 そうして携帯に火を付け、まずはメールの差出人が目に飛び込んでくる。

 おりょうだった。

 獣のような速度で画面をスライドしてみれば、

 

『おはよう。実は今から、本屋のバイトに勤しむことになったぜよ。大洗戦車道は金がないから、こうして地道に溜めなければいけない。たいへん。

よかったら、売上に貢献して欲しいぜよ』

 

 読み終えたとほぼ同時に、インターホンが鳴った。はいはいと親機の受話器を手にとってみれば、

 

 ――なー、本屋に行かね? エルヴィンがさー

 

「――ま、しょうがねえよな。あいつら頑張ってるしな」

「うん」

「ちょっとは売上に貢献しねえと、友達の名が泣くってもんよ」

「その通り」

「……でも、やってらんねー暑さですわ」

「だよね……」

 

 気温は確か、35度くらい。むさ苦しい防具には慣れているものの、この暑さには弱音の一つや二つも吐きたくなるものだ。

 溜息が出る、赤木もつられて息をこぼす。

 そうして赤木が、遠い目で青空を見つめながら、

 

「風防全開で飛びてえ」

「わかる」

「でも、大会が終わるまでは飛行機はお預けー」

「ねー。出来る限り、戦車道に資金が回っているらしいから」

 

 赤木は、どこか達観したように微笑して、

 

「ま、しゃーねえか」

「仕方ないよね」

 

 みんな、大洗学園艦の明日を守るために今日も戦っている。

 

 □

 

 本屋へ入店して、まず目に入ったのは、本のホコリをはたきで散らしている左衛門佐の姿だった。

 引き戸の音を耳にしたのか、左衛門佐が「お」と視線を向けてきて、無表情から笑顔に変わっていく。

 

「よっ、よく来てくれた」

「ちーっす。マジで働いてるみたいだな」

「あたぼうよ。我々からすれば、本屋はまさにうってつけの場所さ」

「みたいだな」

 

 見回す。

 エルヴィンはレジを担当していて、その場から「何か買えー」とやる気なく言う。カエサルは新発売の本を積み重ねていくが、その動作には全くもって淀みがない。装填手をしているらしいが、それで足腰が鍛えられたのかもしれない。

 そしておりょうは、歴史コーナーで本の並べ替えを手がけていた。「これがわかりやすいかな」、「手にとってもらうには」――みんな、頑張っているらしい。

 よし。

 何か買う為に、歴史コーナーへ歩み寄っていく。軽く「やあ」と挨拶してみたが、おりょうは本棚と睨み合ったままだ。そうとう、仕事に集中しているようだ。

 邪魔するわけにはいかないか。

 隣に居た赤木も察したらしく、「何にすっかね」と本棚を目で漁っていく。歴史好きによる、歴史好きの為のお楽しみがいま始まろうと、

 

「――あ! 梅太郎に赤木君!」

 

 おりょうの大声が炸裂し、静寂が木っ端微塵に打ち砕かれる。あまりに不意だったものだから、青井から情けない声が漏れる。

 

「あ、ご、ごめんぜよ」

 

 すぐ近くに居た左衛門佐が、「しーっ」と指を立てる。読書家だからこそ、おりょうは心底恥じるようにしょげてしまった。

 

「ま、まあまあ。それより、何かおすすめの本はあるかな、おりょうさん」

「歴史が苦手な俺に、どうかお恵みを」

「お――ふふふ、わかったぜよ」

 

 本に関する質問とくれば、歴史好きの右に出る者はほとんどいない。

 おりょうの口数は多く、指摘する人差し指に迷いなどなく、初心者を囲い込むように本を勧める。赤木はおりょうの接客ぶりに「すげえ」と言い、青井も「さすが」と言うほかない。

 おりょうは実に嬉しそうな顔で、厳選された五冊を引っこ抜いては「さあ、どれにするぜよ?」と売り込んできた。

 

「じゃあ俺は……漫画でわかる幕末時代で!」

「わかったぜよ」

 

 受け取り、赤木が「うし」と微笑む。

 おりょうは「まいどあり」と調子良く言い、次に青井の方を見つめてきた。

 思う。

 おりょうは、学園艦という世界の存亡を託されているはずなのに、まるで何でもないように話しかけてくれている。いつものように、屈託なく笑ってくれている。

 ――その笑顔をきっかけに、フラッシュバックが生じた。

 プラウダ戦車隊に包囲された時、何がなんでも士気を高めようとしたカバさんチームの姿を。その時の、おりょうの献身を。逃げず退かず、最後には散った三号突撃砲の勇姿を。それに見惚れていた自分を。

 ――だから、

 

「梅太郎はどれがいいぜよ? まあ、梅太郎は上級者だから、ゆっくり選ぶと、」

「四冊、全部」

「え」

「えと、四冊」

 

 おりょうが沈黙する、赤木が「へ」とあっけにとられている。何事かと左衛門佐も寄ってきて、カエサルの手も完全に止まっていた。

 

「ま、待つぜよ」

「う、うん」

「四冊買うとして、全部で一万ほどかかってしまうぜよ」

 

 値段を聞いて、驚きはしなかった。むしろ「だろうね」とさえ思う。

 歴史書とは、例外なく内容が濃厚で、それでいてページ数も多い。読み応えに関しては間違いなく保証されているものの、その分だけ値段が高いのもお約束だ。

 だから本来は、一冊か二冊の本を厳選して、すぐさまレジへ駆け込んでは五千円をはたいてお釣りを貰ってさっさと撤退してしまう。長居しすぎると、誘惑に負けてしまいそうになるから。

 

 けれども、今日は「四冊ください」と言った。それはデカい口ではない、本心からの言葉だ。

 店員であるおりょうは、青井が学生であることを考慮して「いやいや」と首を振るう。けれど青井は、

 

「構わない。一万もあれば、少しは足しになるかなって」

「い、いやいや、無理にとは言わないぜよ」

「いいんだよ。だって、友達の力になれるんだし」

「一冊で十分ぜよ」

「おりょうさんっ」

 

 おりょうの異議が、止まった。

 

「僕は、おりょうさんの戦車道を応援したい」

「う、梅太郎」

「……カバさんチームのみんなが、おりょうさんが、とても格好良かった」

「え」

 

 嘘は言わない。

 

「絶望的な試合状況の中でも、おりょうさん達は諦めなかった。エルヴィンさんは西住さんと作戦を立案し合って、カエサルさんは演説して、左衛門佐さんは旗で戦意を高め、おりょうさんは皆の手を握りしめた。……最高だった」

 

 嘘なんて言っていない。

 

 間違いなく、最高だった。怯える皆に、笑顔でシェイクハンドを施すおりょうは、まちがいなく乙女だった。

 ぼくは、そんな彼女に見惚れてしまっていたんだ。

 

「――そんなドラマを見せてくれたんだから、一万くらいどうってことないよ」

「で、でも」

「それにっ」

 

 本当のことしか、言わない。

 

「僕は坂本龍馬になる男だ。おりょうさんを支えるのは、当然ぜよ」

 

 本心しか、言えない。

 僕はいつの間にか、好きになっていたんだ。野上武子のことが。

 

 おりょうが、泣いてしまいそうな顔で僕を見つめている。何度もまばたきをして、ゆっくりとうつむいていく。それから数秒、あるいは数分が経過した後に、おりょうは両肩で息をした。

 命を吹き返したかのように、おりょうの首が上がっていく。

 その顔にはもう、戸惑いの色なんてものはない。皆に握手をしたあの時のように、迷いなく笑っていた。

 

「ばか……くさいぜよっ」

「ご、ごめんっ」

「周りに、聞かれてしまったぜ、」

 

 いなかった。

 

「……お会計、お会計は!?」

「あーすまんすまん、五円落としててな」

 

 エルヴィンが、カウンターの物陰からひょっこりと現れる。カエサルと左衛門佐は店の奥から、赤木はトイレから何事もなく帰ってきた。

 溜息。

 意図に気づけないほど、青井は馬鹿ではいられない。みんな、空気を察して姿を消してくれたのだ。さすがは元忍道履修者だと思う。

 ――めちゃくちゃ恥ずかしかった。後悔はしていないけれども。

 

「う、梅太郎、はやく払うぜよっ」

「う、うん」

 

 おりょうから四冊の本を受け取り、早歩きでレジに向かっていく。エルヴィンが穏やかに「一万円になります」と呟いて、財布を開けて、

 

 4000円しか入っていなかったので、大急ぎでコンビニへダッシュした。みんなコケた。

 

―――

 

 決勝戦まで、あと数日。

 ここ最近のおりょうは、ぼうっとしてばかりだった。授業中はもちろんのこと、休み時間から昼食に至るまで、ずっと。

 例外があるとすれば、放課後だ。なぜならば、梅太郎(青井)や赤木とともに帰路へつくから。この二人と――正直になれ――梅太郎と一緒になると、必要以上に話しかけてしまって、別れ際になるとひどく寂しくなる。割と本気で、シェアハウスに泊まればいいのにと思ってしまう。

 ため息をつく。

 自分は歴女だ。だから、過去における惚れた腫れたはいくつも見届けてきたつもりだ。

 だから、自分がいま抱いている、決して嫌ではないもやもやの正体なんてすぐに察せてしまう。

 これは――

 

「おりょう?」

 

 呼び声とともに、現実世界へ引き戻される。右手には箸、左手には白米が盛られたお椀、別の皿には左衛門佐お手製のおはぎが乗っかっている。

 

「どうした、手が止まって……ぼーっとして」

「あ、いや、その」

 

 テーブルの真正面に腰かけていたエルヴィンが、自分の分のおはぎを頬張りつつ、

 

「最近、そんな調子だな。どうした、熱か?」

「熱……そうかもしれないぜよ」

「何、大丈夫か? 決勝戦までには治しておかないと」

 

 おりょうが、首を左右に振るう。

 

「ああ、病気というわけではないぜよ。ただその、熱っぽいというのか、何というのか」

「へえ」

 

 カエサルが、無表情を貫いたままで、

 

「梅太郎のことを考えていたのか?」

 

 顔なんて、真っ赤になってしまったと思う。

 

「な、何をッ?」

「心当たりがありすぎなんだよ。ここ最近はずっと眠そうな顔をしているのに、梅太郎と会うとコロコロ笑って、からから話すじゃないか」

「そ、それは……まあ、その」

「否定はしないんだな」

 

 違う。正確に言えば、したくなかった。

 嘘をついてもいいはずなのに、ついげん担ぎをしてしまう。

 

「なるほどな」

 

 隣で夕飯を口にしていた左衛門佐が、できたてほやほやの白米を口にしつつ、

 

「本屋での出来事か、きっかけか」

 

 うつむいた。

 観念した。

 

「そうじゃなくても、お前ら二人からは、思春期オーラが漏れていたし」

 

 そうだったのかと、沈黙するほかない。

 左衛門佐はどんな顔をしているのだろう、カエサルはどんな表情で自分を見ているのだろう。それを確認できるほどの余力は、いまのおりょうには無い。

 

「前から、お前ら二人はお似合いだと思ってたよ。同じ幕末好きだし」

「……そう?」

「うむ」

 

 あっさり言われてしまった。「前々からそう思われていた」という事実に、おりょうは声すらも搾り取られる。

 ――なんで、こんなことになったんだろう。

 梅太郎のことは、気も話も合う歴史仲間だと思っていた。こんな関係が、いつまでも続くといいなと考えていた。そうして時々、梅太郎のことを男として見てしまう瞬間もあった。

 ――気づけば自分は、梅太郎と離れたくなんかない。別の誰かに奪われたくない。

 そう、願うようになっていた。

 

「おりょう」

「……ん」

 

 エルヴィンが、自分の名前を口にする。

 

「お前は、どうしたいんだ」

「どうしたい、て?」

「気持ちを抑えるのか、解放するのか」

「エルヴィン」

 

 まるで止めに入るような、カエサルの声。

 それを聞かれてしまったら、私は、わたしなんて、

 

「言いたい、ぜよ」

「何をだ」

「本心を、言いたいぜよ」

「……それは、間違いないんだな」

「……うん」

「――そうか」

 

 それ以上、エルヴィンは何も口にはしなかった。

 我々は、血も心も通い合った歴女だ。だから、これだけのやりとりで信じてくれたのだと思う。我慢出来そうにもない気持ちを、察してくれたのだと思う。

 

「……みんな」

「うん」

 

 左衛門佐が、静かに応える。

 

「今度の休日は、みんなで遊びに行く予定だった、けれども」

「ああ」

 

 特に咎めもせず、カエサルが次を促す。

 両肩で、息をする。うつむいてばかりだった顔を、そっと、ゆっくりと上げていって、

 

「梅太郎と、遊びに行こうと思う。それで、本心を伝えるぜよ」

 

 言えた。

 左衛門佐が、目も口元も緩ませて頷いてくれる。カエサルは少しだけ沈黙して、「そうか」と言ってくれて、エルヴィンは無表情の沈黙を保ったまま。

 扇風機の音が、体の奥底まで聞こえてくる。外から、名も知らぬ虫たちの音色が耳を揺らす。夜になって少しは冷え込んでいるはずなのに、体はいつまでも熱かった。

 

「もう一度だけ、聞かせてくれ」

「うん」

 

 エルヴィンが、真顔のまま、

 

「ほんとうに、梅太郎のことが好きなんだな?」

 

 一切の嘘を許さない、エルヴィンの視線。

 けれど、自分は怯まない。

 

「愛しいぜよ」

 

 出せる答えなんて、これしかないから。

 エルヴィンは、音もなく小さく頷く。その行為にどんな意味が込められているのか、この瞬間に何を考えているのか、それは知るよしもない。

 ただ一つ、わかることは、

 

「――わかった」

 

 エルヴィンは、まるで泣いてしまいそうな顔で、私に対して笑ってくれていた。

 

 カエサルは、小さく黙って頷いた。

 エルヴィンが、「すまん、変な質問をして」と頭を下げた。

 もちろん私は、「悪いことなんかしてないぜよ」。

 

 夕飯を食べ終え、すこしだけテレビを見て、梅太郎が勧めてくれた音楽を聞き、いつの間にかおやすみの時間がやってきて、

 私は梅太郎に対し、お誘いのメールを打ち込んでいた。「送信」ボタンを押すのに、数分ほどかけてしまったけれど。

 

 さて寝るかと布団に潜って、そのわずか数分後に携帯が震える。とうぜん私は布団をふっとばし、机の上の眼鏡をふん捕まえ、充電中だった携帯を床から大急ぎで回収して、暗がりの中で淡く光る携帯の画面を目にし、

 

 私は、興奮と上機嫌に飲まれたまま、布団の中で横になった。ぜんぜん寝付けなかった。

 

―――

 

 嘘みたいだなと、思う。

 

 元はといえばひとりぼっちだったはずなのに、それが今となっては昔の話だ。現在の自分には、頼もしい男が支えてくれていて、かけがえの無い仲間も出来て――大切な人と、巡り合うことが出来た。

 ほんとう、よくここまで歩めたと思う。

 たぶん、グレなかったからだと思う。

 剣道に導いてくれた坂本龍馬には、感謝するしかない。坂本龍馬のような剣士になりたくて、ハートを鍛えたくて、自分は剣道を始めたのだ。

 せめて道を踏み外さないように生きてきたからこそ、赤木は自分に対して声をかけてくれたのだと思う。見当違いの考察だとしても、自分はそう信じている。

 穏やかに、溜息をこぼす。

 時計を見る。

 現在は八時半。大洗公園前で、青井はおりょうのことを待ち続けている。

 口元がつい緩んでしまうのは、おりょうと「ふたりきり」で今日一日を過ごすからだ。いわゆるデートというやつだ。

 

 もちろん、デートなんてものはやったことがない。一生、体験しないものだと思い込んでいた。

 だからこそ、嘘みたいだなと思う。

 時計を見る。

 八時三十二分。集合時間である九時まで、あと二十分近くもある。

 とてつもなく永い。まるで、年単位の我慢を強いられている気がする。

 動く時計の針を見て、「もうちょっと早く動いてくれ」と強く思う。車も人の気も無いものだから、針の音が鮮明に聞こえてくる。

 

 けれど、退屈なんてちっとも思わない。

 あと数十分ほど経てば、世界ががらっと変わってしまうのだ。それも、自分が望んだ形で。

 だから、両足なんて右往左往に動き回っていたし、頭の中では「僕とおりょうの幸せな日々」が二時間前からずっと放送中だ。完全に浮かれていた。

 ――でも、まあ、

 今日一日は、何としてでもおりょうを笑わせたいと思っている。いまの彼女に必要なのは、義務でも使命でもなく、遊びだ。

 この決意だけは、何としてでも果たさなければならない。

 だって自分は、坂本龍馬を目指す男なのだから。

 

「おお、梅太郎! はやい、はやいぜよ!」

 

 聞き逃すはずがない。

 両足は止まり、顔はぐきりと動いて、本能のまま「やあ」と笑ってみせて、

 

 おりょうの私服姿に、青井の自意識なんてものは硬直してしまっていた。

 

「あ、あはは……雑誌を読んで、自分なりに決めてきたぜよ。ど、どう?」

 

 ちょこちょこと近づいてきて、気弱そうに上目遣い。そして水色のトップスに純白のフレアスカート、黒いサンダルに小刀の銀色首飾りが、青井の視界めがけ一斉に飛び込んでくる。

 もうだめだった。これ以上のダンマリは無用だった。

 だから、

 

「お、おりょうさんっ」

「あ、はい!」

「……か、かわいいよ、凄くかわいいっ。絶対かわいいっ」

「お、おお」

「え、えと……最高にかわいいよ!」

「そ、それ以上言わないでほしいぜよ、しんでしまうぅ」

 

 おりょうが、縮こまるようにうつむいてしまった。

 青井が「ああごめんなさいごめんなさい」とテンパり、おりょうが「いやいや謝らなくてもいいぜよ」と両手をあたふた動かす。そうして「あー」とか「うう」とか「そのー」としか言えなくなって、しばらくはセミの合唱のみが響き渡る。

 

「――お、おりょうさん」

 

 そして、先手をとったのは青井だった。

 不安混じりの顔をしていたおりょうが、縋るように青井のことを見つめはじめる。

 

「今日は、誘ってくれてありがとう。ほんとうに嬉しいよ、ほんとうに」

「あ……いや、その。突然……で、で、でーとに誘って、申し訳ないぜよ……」

「いやいや、いいんだよ。僕もしたかったし」

「えっ」

 

 素で本音を漏らして、まずは青井が「ぼん」と赤面した。続いておりょうが、またしても首を下げてしまった。

 まばたきを数回、沈黙を数秒ほど。青井は、「っし」と気合を再注入し、

 

「おりょうさん」

「あっ」

「……今日は、たくさん遊ぼう。せっかくの休日だからね」

 

 気の利いた言葉など、思いつくことが出来なかった。

 けれど、おりょうは「うん」と笑ってくれた。

 

 □

 

 デートといっても、特にこれといったプランは存在しない。目についた店に入っては品物を物色し、あれやこれやと感想を言い合う。ほかにもスイーツ店に寄っていっては、店員から「カップル料金になります」と言われて青井とおりょうは大赤面。けれど否定することなく、まごまごとスイーツを味わったのは良い思い出だ。

 食べ終えた後も、デートは続く。

 どうしようかなと学園艦を歩き回っていると、なんと偶然にも映画館が目に止まった。目で「どうする?」と聞いて、おりょうもまた無言で頷いて、大ヒット放映中らしい「恋と戦車」を見てみることにする。

 久々に映画を見る高揚感と、おりょうと二人きりという緊張感のお陰で、体の調子は最高に良い。

 

 ――そして、映画が始まった。

 放映されて数十分後、主人公とヒロインを引き裂く困難がやってくる。青井は「ぐぐぐ」と歯を食いしばり、隣からは「おのれえ」という反応が静かに届く。

 更に数十分後、主人公はヒロインを抱きしめ、決して離れないと誓い合う。これには沈黙の興奮を示すほかなく、ちらりと隣を覗ってみれば、おりょうと目が合った。

 逃げた。

 逃げはしたが、己が視界はおりょうめがけゆっくり、ゆっくりと傾いていく。そうしてまた、おりょうと視線が合って――互いに、くすりと笑ってしまった。

 

『どんな困難があっても、どんな理不尽が襲いかかってきても、僕は君を守る』

 

 青井はそっと、おりょうの手を軽く握りしめた。

 びくりと、おりょうの体が震える。けれども、おりょうの驚きはそれでおしまい。

 おりょうが手のひらを返して、青井の手を握り返してくれた。

 

『君の世界を、誰にも奪わせはしない』

 

 おりょうの手はとても小さくて、温かくて、女の子だった。

 大洗学園艦に、もう後はない。ここで大洗戦車道が負けてしまえば、おりょうと出会えたこの世界は消えてなくなってしまう。

 ――けれど、おりょうは女の子だ

 だからせめて、こうしておりょうのことを支えよう。負けないで欲しいけれど、負けたら彼女を抱きしめよう。勝ったら、

 

『僕は、君のことが――』

 

 思い切って、抱きしめよう。

 ――映画が終わるまで、ずっとずっと、青井とおりょうの手は一緒だった。

 

 □

 

 恋愛映画を見終えて、意識はすっかりおりょう一色だった。

 おりょうとは横並びで映画館から出たのだが、かれこれ数十回ほど、視線と視線とが重なり合っている。決して悪い空気ではないものの、かなり心臓に負担がかかっていた。

 けれど、このもどかしさもまた、デートの醍醐味なのかもしれない。

 

「次はどこへ行こうか」

「うーん……じゃあ、最後は本屋へ行ってみるぜよ」

「賛成」

 

 心の底から、くすりと笑ってしまう。

 青井とおりょうは、歴史のことが好きだ。だからこそ、帰るべき場所は本屋と相場で決まっているのだ。

 空はもう黄色い。あと数時間もすれば、星が見え始めるだろう。

 それまではせめて、おりょうを楽しませよう。ふつうの女の子として、ありったけ笑わせよう。

 結ばれなくてもいい、これは僕の本心だ。

 

 ――そうして、沈黙したままで歩道を進んでいく。先程までは幕末の話、大河ドラマについて、流行りの音楽も語り合っていたはずなのに。

 これも、恋愛映画の影響なのだろうか。流石は、大ヒット放映中だけはある。

 何事もなく歩いていって、車が通りがかって、三人組の女子グループとすれ違って、指にぬくもりが生じて、

 

「あっ」

 

 ろくな声なんて、出てこなかったと思う。

 自分の隣で歩いていたおりょうが、青井の人差し指を、そして中指を、そっと握ったのだ。うつむいたままで。

 そしてそっと、横目で青井のことを伺う。

 何かに恐れているかのような、そんな顔をされてしまったら――青井は、坂本龍馬を目指している男は、おりょうの手をぎゅっと握り返す。

 映画館と同じような現実が、また返ってきた。

 ただあの時と違って、青井とおりょうは素で手と手を取り合っている。映画という魔力を用いることなく、ただの男女として触れ合っていた。

 

「……おりょうさん」

「うん」

「好きだよ」

「うん、私も」

「ぜんぶ、好きだよ」

「私も、梅太郎の全てが好きぜよ」

「ありがとう。この世界が消えても、僕は君を追い続けるよ」

「うん……でも、負けるつもりはないぜよ。だってここは、梅太郎と出会えた世界だから」

「そうか、そうだよね」

「うん」

 

 ――本屋へ寄っても、本を探している最中でも、シェアハウスへ送り届ける時も、僕とおりょうはずっとずっと寄り添っていた。ずっと。

 

 満天の星空を背にしながら、僕はひとり、大洗公園のベンチに腰掛けていた。

 寮に帰ってしまったら、この日の残り香が消えてしまいそうな気がしたから。言葉にしたくないこの余韻に、ずっとずっと浸っていたかったから。

 少しだけ涼しい空気に抱かれながら、何もない地面を見つめながらで、心の底から思う。

 

 歴史は、そんな人を見捨てないはずだ。目には見えないそれに、願いを込める。

 

―――

 

 すっかり見慣れた定食屋へ入店して、店員からは「お、また来てくれたのかい?」「ええ、まあ」。

 それぞれが席について、カエサルは思い切っていくら丼を注文する。同時に殺到し始める視線。

 そりゃそうかと、苦笑してしまう。何せ千円近くするのだ、そんな顔をされるのもしごく当然といえよう。

 

「まあ、いいじゃないか」

 

 カエサルは、あくまで腕を組みながら、

 

「決戦が近いんだ。こういう時くらい、うまい飯を食べておかないとな」

 

 からっからと笑う、言ってやる。

 ――それを聞いた左衛門佐は、エルヴィンは、赤木は、ぽかんと口を開けて、

 

「店員さん、いくら丼お願いします」

「お願いします!」

「私も!」

「あいよー!」

 

 そういうことになった。

 

「さて」

 

 いくら丼がやってくるまでの間、左衛門佐が両腕を組み始める。そうして人差し指を上下に動かし始めるが、どこか忙しない。

 赤木も、その隣に座るエルヴィンも、注文してからは沈黙を保ち続けたままだ。

 まあ、そりゃそうかとカエサルは思う。

 ルームメイトの一人が、朝一からデートに走っていってしまったのだ。しかも、皆がよく知っている友人がデート相手ときた。

 こんなの、めちゃくちゃ心配してしまうに決まっている。左衛門佐はすっかり両目をつむってしまっているし、赤木は遠い目をして頬杖をついたきり。エルヴィンは、小さく溜息をつていた。

 

「……おいおい、お前ら」

 

 一同が、力なくカエサルの方を見る。

 

「あいつらなら、上手くやるさ。散々見てきただろう? 二人の歴史は」

「まあなー」

 

 左衛門佐が、ぼうっとした目つきで天井を眺めている。気になって気になって仕方がないのだろう、幸せになって欲しいと願っているのだろう。

 ――私は、真正面に座る二人のことを見る。

 

「確かに、あの二人は親密になっているからな。たぶん、上手くいくと思う」

「俺もそう思う」

 

 エルヴィンが、無感情な横目で赤木を見つめ、

 

「――いいのか?」

「――ああ」

 

 赤木が、仕切り直すように背筋を伸ばす。

 

「あの二人はベストマッチしてるよ。そんな二人を否定する奴がいたら、ぜひとも見てみたいね」

 

 ああ――

 そうか、認めてしまうのか。追い越された事実を、受け入れられてしまえるのか。

 赤木の顔をじっくりと、察せられないように注視する。

 赤木は微笑んでいた。まるで、良い夢から醒めたあとのように。

 

「……そう、だな。私も、そんな奴が居たら見てみたいな」

「だろ? 今頃はきっと、楽しくやってるって」

「うむ。私もそう思う」

 

 左衛門佐が頷く、赤木もへらへら笑う。

 エルヴィンは、そっと静かに、口元だけを曲げていた。

 

 そうだな、察しの良いお前のことだ。赤木の恋心なんて、とっくの昔から気づいていただろう。

 それを笑って見届けようとしたお前は、ほんとうに強い。恋なんてしたことはないけれど、私には出来そうにもない。

 赤木も赤木だ。分かりやすいぐらいおりょうに接していたはずなのに、こうも簡単に友人へ全てを託せるなんて。私にはとても真似できそうにもない。

 ――なあ、エルヴィン

 

「お待たせしました、いくら丼四人分です」

「やった! いただきます!」

「これはうまそうだな……食うべ食うべ」

「うむ。うわー、赤い……? どうしたカエサル、どうした?」

「……ん、悪い。じゃあ、いただこうか」

 

 私はな、これでも歴女のまとめ役まがいのことをやってきたんだ。こう見えて、人の顔はよく見ているんだぞ。

 だから、私は知っている。

 お前は中学の頃から、赤木のことばかり見てきたことを。赤木がいるから、秘密のノートをタダ同然で書いたことも、私はよく知っている。

 だからこそ、私はエルヴィンに対して「フォロー」を入れたこともあった。エルヴィンに、そして赤木には、文句なしの幸せを得て欲しかったから。

 

 ――けれど赤木は、おりょうを選んだ。

 だから私は、野暮な行為を自粛することにしたんだ。赤木の意思を尊重したいから、友達だから。

 

 第三者である私ですら苦しかったのに、お前は変わらず赤木と接したよな。おりょうと赤木の間に気まずさが生じた時は、自然とフォローを挟んでくれたよな。

 私は、知っていたんだぞ。

 

「うまいなー」

「ああ、うまい。赤木、一口くれ」

「やだよ」

 

 なあエルヴィン。この「結果」について、お前は「良い」と思っているのか。それとも、悲しんでいるのかい。

 私には、わからないよ。

 

「……カエサル?」

 

 エルヴィンから、声がかかる。

 

「どうした?」

「いや。何か深刻そうな顔をしていたから」

「あ、ああ。いや、せっかくのいくら丼だし、じっくり観察していただけさ」

「おー、気持ちは分かるぞ。いくらも綺麗だしな」

 

 私は、何事もなかったかのように頷けただろうか。

 ――今の私に出来ることは、みんなと一緒にいくら丼を食べ合うことだけ。それだけで十分なのだと思う。

 

 あとはお前次第だよ、エルヴィン。

 

 夜になって、ようやくおりょうが帰ってきた。顔を赤く染めて、満天の笑みを浮かばせながら。

 

―――

 

 あと少しで、高校戦車道全国大会決勝戦が始まる。

 青井と赤木、そして芝村と竹下は、花木と笹部は、連絡船を通じて本土にまで行き着き、そのまま会場入りしては観客席に腰をつけた。

 特設モニターが、よく見える。

 あとは、最初から最後まで試合を見届けるだけだ。それだけで十分だと、青井は断じて思う。

 

 手を腰の上に置いて、抑えきれない心臓の鼓動をそのままに、今は暗転中の特設モニターをじっと見る。

 竹下が「どうなるかな」と呟き、芝村が「信じるさ」とだけ。赤木は、何も答えなかった。

 すこし時間が経過して、いよいよ客も多くなってきた。大洗学園の生徒はもちろんのこと、他校からやってきたらしい若者、純粋に試合を見届けるつもりでいる年配者、家族連れ、ブラックコーヒーを片手にした青年。会場が、静かに盛り上がっていく。

 

 特設モニターが点火する。「テスト中」というテロップとともに、今は何もない試合会場を映し出す。

 深呼吸。

 あと少ししたら、後には退けない戦が始まるのだろう。見ているだけの自分すら、体が冷えてくるのを感じる。

 当事者であるおりょう達は、どんな気持ちを抱えているのだろう。怖いのか、高揚しているのか、震えているのか、笑えているのか、想像がつかない。

 握りこぶしを作る。目を逸らさないよう、体に力を込める。いつ試合が始まっても良いように、特設モニターからは目を離、

 

 その時、ポケットに入れていた携帯が震えた。

 

 モニターから目を逸らし、焦った手付きで携帯を引っこ抜く。

 画面には、「通話:おりょう」の文字。

 

 すぐさま受信ボタンを押す。両手で携帯を構え、耳元に当てる。

 

「もしもしっ?」

『あ、梅太郎。いまは大丈夫?』

「もちろん。君はいいの?」

『今は平気ぜよ。あと数分もしたら、試合が始まるけれど』

「そっか……」

『ん? 何か声がたくさん聞こえてくるぜよ。いま、どこに?』

「ああ、会場」

 

 見回す。

 席はほとんど埋まってしまっていて、右からも左からも雑談がよく聞こえてくる。大洗戦車隊に関しての噂話とか、黒森峰が勝つだろうという予想とか。

 そして、赤木と目が合う。

 

「誰だ?」

「おりょうさん」

「ああ――そっか。話してやりな、青井」

「うん」

 

 デートから帰った後、自分は赤木にメールを入れたのだ。『告白をした、受け入れてくれた』と。

 その数秒後に電話がかかってきて、それはもう盛大に祝われた。いやーお似合いだと思ってたんだよーと言われてしまった。

 とても恥ずかしかったけれど、友人から、憧れの男からそう称賛されて、僕はすっかり浮かれてしまった。居ても立ってもいられずに、部屋の中をぐるぐる回ったのは記憶に新しい。

 

 そして、赤木は特設モニター「のみ」を見つめ始める。気を遣ってくれているのだろう。

 

「ああ、ごめんね。赤木君や、その友達も来てるんだ」

『おお、心強いぜよ』

「うん。……その、僕は君を見守ることしかできないけれど、おりょうさんなら未来を切り開けるって信じてる」

『どうして?』

 

 そう、聞かれたら、

 

「先を見据えた男、坂本龍馬の妻、だから」

『……クサいぜよ』

 

 電話越しに、くすりと笑われる。

 

『梅太郎』

「うん?」

『ありがとう、愛してるぜよ』

「僕も、愛してる」

 

 その時、電話の向こう側から「そろそろ挨拶が始まるぞー!」という大声が聞こえてきた。

 泣いても笑っても、あと少しで全てが始まろうとしている。けれど、おりょうが負けるなんて絵空事はもう見えやしない。

 

『いってきます、梅太郎!』

「いってらっしゃい!」

 

 電話が切れる。

 

「……やるじゃん」

 

 モニターを見たままで、赤木が口元を釣り上げる。青井は、「そうかな」と苦笑い。

 竹下は「言うねえ」と笑い、芝村は無言で親指を立て、花木と笹部はきゃあきゃあ言っていた。

 

 そうして、選手宣誓が行われる。それを目にしながら、青井は思う。

 歴史は、今こそ動き出したはずだと。

 

 そして数時間後、カバさんチームの三突は何がなんでもしぶとく粘り強く生き抜いて、黒森峰の戦車三両を道連れに華々しく散っていった。

 それが黒森峰の焦りを誘ったらしく、ここぞばかりに西住みほの戦車が前進――大将機を、討ち取った。

 

―――

 

 あの激闘から数週間後、いまの大洗学園艦は最高にとてつもなく浮かれきっていた。

 右を見れば仮装中の大洗生徒が、左を見ればアイスを片手に持つ他校生が、上を見ればぱんつぁーふぁうすと状の風船が所狭しと暴れまわっている。侘び寂びもへったくれもなかったが、自分も含め、無粋なことなんて誰も言わない。

 

 大洗学園艦学園祭~ダブル廃艦阻止おめでとう! サイコー!~

 

 つまりは、そういうことだった。

 廃艦騒動における当事者の一人である左衛門佐は、後輩同級生先輩にいちゃんねえちゃんじいちゃんばあちゃん他校生が入り乱れる世界を見て、もう笑いなんて止まらない。一生このままでもいいのに、とさえ思う。

 ここまでありつくのに、色々と大変だった。

 けれど、今となっては良い思い出だ。

 

「いやー、最高記録じゃないか? この人数」

「うむ。凄い混んでいるぜよ」

「なー、すっげえよなー」

 

 カエサルが「うむ」と頷く、青井が客引きの勢いに負けてクレープを買っている。おりょうが「うめたろー」と呼びながら、同じくしてクレープを注文する。エルヴィンは「食べすぎるなよー」と歯を見せて笑っている。

 赤木はといえば、ハイのままに食べ過ぎたお陰で、トイレへ駆け込み中だ。

 

「いいものだな、こういうの」

「ああ。学園は守れたし、梅太郎とおりょうはお似合いだし、文句なし! 天下統一!」

 

 そしてそのまま、カエサルとハイタッチ。

 ほんとう、全てを守れてよかったと思う。この大洗学園艦という世界がなければ、自分はずっとずっとひとりぼっちだっただろうから。

 だから、この場がとても愛おしい。

 

「にしても」

「うん?」

「あれを見なされ。おりょうと梅太郎ったら、店主から『カップルですかー?』って言われて、舞い上がってらっしゃる」

「ああ。何度も見たぞ、あんな光景」

「私もだ。あー、恋っていいですわねー」

「……ああ、そうだな」

 

 その時だった。カエサルが、溜息混じりの苦笑いを、そっとこぼしたのは。

 文化祭には、とても馴染まない表情だった。それ故に、左衛門佐の目と心が奪われる。

 

「――カエサル?」

「あ、ああ、すまない、気にしないでくれ」

「ああ」

 

 意図は掴めなかった。

 それ以上は探らないで欲しいとカエサルも言っているし、切り上げることにする。

 

「――ところで」

「うん」

「黒森峰との戦い以来、デートしましたっけ? あの二人」

「いや、してないな。大抵は私達と共に行動しているから」

 

 左衛門佐が、「しめた」とばかりにため息をつく。

 

「……カエサルさーん」

「はい」

「それって、よくないですよね。相思相愛なのに」

「かもな」

「私としては、もっともっと二人だけの時間を築くべきであると思うッ! せっかく結ばれたのに!」

「言えてる」

「幸せになるべきだよな!」

「うむ」

 

 左衛門佐が「だから」と歯を見せて笑い、

 

「――二人きりにしようと思う、今から」

 

 カエサルが、はっはっはと無感情に高笑いし、

 

「乗った」

 

 すぐさま携帯を引っこ抜き、悪巧みのメールをエルヴィン、赤木めがけ送信する。おりょうと青井に対しては嘘偽りのメールを送り届けて、これにてお膳立ては完了した。

 ――自然消滅だとか、そういうのは嫌だからな。はやく幸せになってこい。

 

 左衛門佐とカエサルは、その場から全速力で離脱する。それだけのことなのに、何だかすごく楽しい。

 

 □

 

送信者:左衛門佐

『突然だが、用事を思い出した。私達は一旦帰るが、気にすること無く二人きりで学園祭を楽しんでこい』

 

 こんなメールが、青井の携帯めがけ突如受信された。どうやらおりょうにも同じメールが届いたらしく、呆れたように溜息をついていた。

 周囲を見渡すが、先程まで居たはずの歴女メンバーはもうどこにもいない。あっという間過ぎて、「えー」と声が出てしまった。

 ――どうやら、気を遣ってくれたらしい。

 おりょうとのデートなんて、あの日以来から一度も行っていない。何だかんだで、いつものメンバーと行動を共にする毎日を送り続けていた。

 

「はあ、まったく。あやつらは」

「は、はは……」

 

 確かにデートはした、手も繋げた、告白だってした。だから、これで良いと思っていた。

 本音を言えば、もっとデートがしたいとは思っていた。ただ、生来の気弱さのせいで「おりょうと通話」というボタンを押せなかったのだけれど。

 溜息が出る。こうしてお膳立てされなければ、自分は何も出来ないというのか。

 

「それで、どうする?」

「そう、だね」

 

 そうしてデートを重ねないまま、二度目の廃艦騒動が始まってしまった。この時の自分ときたら、「もっとおりょうと遊んでおけばよかった」と後悔しまくったものだ。

 けれども、大洗学園艦は今もこうして生き続けている。おりょうと出会えた世界は、今日も海の上で輝いている。

 「もしもの三度目」が起こったら、自分はまた「やればよかった」後悔するのか。おりょうのことが好きなくせに、ノリと勢いで誘えもしないのか。いい加減、生来のウンタラカンタラに逃げるのはやめろ。

 見上げる。廃艦阻止という看板が目に届く。

 ここを守ってくれたのは、大洗戦車隊のみんな、他でもないおりょうだ。それを成すまでに、おりょうはたくさん傷ついただろう、恐怖と戦っていたはずだろう。

 そんなおりょうの心を癒やすことこそ、恋人の本領だろう。そう思え、思い込め。

 握りこぶしを作る。

 僕は、僕は、あの人のようになる。今、この瞬間から。

 

「おりょうさん」

「ん?」

「一緒に、学園祭を見て回ろう」

 

 手を、差し出す。

 

「あ、」

「あと、来週の土曜に、予定はある?」

 

 おりょうが、小さく口を開けながらで首を横に振るう。

 

「もし、君がよければ……僕と一緒に、デートしてください。君が楽しめるように、プランも組み立てます」

 

 永遠のような沈黙が、訪れた気がした。

 おりょうの表情が、無音になる。言葉というものが、消えてなくなっていく。聞こえるものは、学園祭だけ。

 すがるような瞳で見つめられて、自分は目を逸らしたりはしない。ここで逃げてしまえば、ずっと変われないと絶対に思うから。

 

 そうして、永遠が終わりを告げた。

 おりょうが、たまらず含み笑いをこぼす。うん、うんと、そっとうなずいてくれて、

 

「――ふつつかものですが、よろしくお願いします」

 

 僕は、うまく笑えたと思う。

 おりょうが、そっと手を受け取ってくれた。

 

「よしッ! 何がなんでも、必ずデートするぜよ!」

「うん。来週だけじゃない、再来週もしよう!」

「どんと来いぜよ!」

 

 声に出してまで、二人で笑ってみせる。通りがかったツインテールの少女が「仲いいな!」と言ってくれたが、まったくもってその通りだ。

 見たところ、彼氏連れであるらしい。どうか、幸せに生きて欲しかった。

 

「じゃ、歩けるまで歩こう」

「うむ。目指せ、全店舗制覇!」

「やろうやろう!」

「うむ!」

 

 その時、繋がれた手に熱が籠もり、

 

「ずっと一緒ぜよ、龍馬!」

 

 ――どんな顔をしてしまっているのか、自分でもわからない

 

「うん」

「うん」

「……これからも、未来へ共に歩もう。おりょう」

「ああ!」

 

 けれど、ようやくなれたんだ。その名を、否定する気なんてまるでなかったから。

 

 嬉しさとか、喜びとか、みっともなさとか、そういった感情を剥き出しにしたままで、青い空を見る。

 いつも仲間に入れてくれてありがとう、カエサルさん。一緒に笑ってくれてありがとう、左衛門佐さん。いつも見守ってくれてありがとう、エルヴィンさん。

 ――仲間と、おりょうと巡り合わせてくれて、本当にありがとう、赤木君。君は一生の恩人だ。

 ――僕を選んでくれて、本当に嬉しいよ、おりょうさん。今度は、僕が君を守る。

 

「……綺麗な空ぜよ」

「おりょうが守ってくれた、空だからね」

 

 頬が、暖かくなった。

 

 みんなが幸せになれる歴史は、ここにあった。それは、みんなが自らの手で勝ち取ったものにほかならない。




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