どうしようもなく正しい、世界の流れ   作:まなぶおじさん

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松本里子

『梅太郎とおりょうを二人きりにさせたい。協力求む』

 

 トイレの中で、もちろん『いいぜ』と返信した。そうして用を済ませたあと、赤木はなんとなく、『しばらくは一人で歩きたい』。そんなメールを、送った。

 歴女チームが、それぞれの返答を返してくる。誰もが快諾をする中、

 

『わかった。用があったら、いつでも呼んでくれ』

 

 エルヴィンは、そう答えていた。

 

 □

 

 空はまだまだ明るく、人だかりは減ることを知らない。むしろ、人も声も大きくなっている気がする。

 店主が「大洗一番のアイスです!」と自慢し、客引きが食べて食べてと誘ってくる。用を足したばかりなので、後で食うと口にして逃げ出す。

 道端で弾き語りをしている女子生徒がいて、数人の客が音楽に耳を傾けている。うまいな、と思う。

 犬の仮装を身にまとった女子が、子供に対して風船を差し出す。子供は大喜びし、母が「よかったわねえ」と笑う。実に微笑ましい。

 ライブ会場から、派手なメタルが問答無用に反響する。観客はサンダース、サンダースと大喜びで連呼して、三本の指を突っ立てていた。後で寄ろうかなと、呟く。

 射的をしている、背の高い女性がいる。じっと構えているかと思えば、ものの一発で景品を落としてみせた。彼氏らしい男が、やっぱりすごいなと後ろで喜ぶ。自分も、すげえなと思考する。

 

 歩けど歩けど、笑い合う人々は消えない。皆が皆、幸せそうにやりたいことをやっている。

 それでいい。ここは友人が、エルヴィンが、好きな人が守ってくれた世界だ。

 なんとなく、しみじみと笑いかけて、

 

 人混みの先に、青井とおりょうがいた。手と手を、繋ぎ合っていた。

 

 ろくに考えもせずに、赤木は近場の出店に駆け寄った。店主から「うどん、食べますか?」と声をかけられた。無機質に「うん」と答えた。無感情に財布を取り出した。

 見つからないようにと、強く念じた。察せられないように、ちらりと二人を眺めて――いい顔をしていた――やり過ごした。

 ――よかったな。

 大きく息が漏れた。それは溜息だったのか、安堵によるものなのか、或いは両方だったのかもしれなかった。

 間もなくして、「お待たせしました」とうどんを手渡された。お椀を通じて、手がじんわりと温かくなっていった。

 味は、しなかった。

 

 うどんを食べ終えた、食器と箸をゴミ回収箱に投げた。そうした後で、なんとなく周囲を見渡した。

 青井とおりょうは、もういない。

 遠いところへ、行ってしまった。

 幸せそうな姿だったからこそ、そう思った。屈託のないふたつの笑顔を目にしたからこそ――終わった。そう、認められた。

 

 空はまだまだ明るかった。人だかりはまだ減らなかった。人も声も大きくなっていっていった。

 笹部の出店を通り過ぎた。宙に風船が舞っていた。『間もなく、大洗学園艦レースが開催されます』の放送が耳に入った。早く観に行こうぜと、男女の仲良しグループが駆けていった。

 

 ――しばらく、一人になろう。笑えない奴に、祭りは合わない。

 

 □

 

送信:赤木

『おりょうさんの件について、話がある。いつでも良いから、大洗公園まで来て欲しい』

 

送信:エルヴィン

『わかった、すぐに行く』

 

 誰もいない、大洗公園のベンチに腰かける。遠くから小さく音楽が届いてくるが、大して気にはならない。むしろ、どこか心地よい。

 エルヴィンが来るまでの間、赤木はこれまでのことを思い始める。

 

 おりょうと出会って、もう一年半ほどになる。

 当時は、その顔を見た瞬間に電撃じみた衝撃を覚えた。最初は何なのかと考えて、すぐに「あ、恋だ」と自覚できた。

 運命の出会いを果たしたあとで、赤木はエルヴィンとともに歴史を勉強した。けれどエルヴィンは、「誰かのための趣味なんて、長続きしない」と忠告して――その通りだった。幕末における知識が、頭の中に入ってこなかったのだ。

 

 原因はわかる。常に頭の中で飛び回っている、戦闘機だ。

 戦闘機のことは、昔から好きだった。テレビで一目見た時から「乗りてえ」と思うようになって、いつしか世界一のパイロットになりたいという夢を抱き始めたのだ。

 そのために、赤木は自発的に訓練を重ねた。航空戦術についても、好き好んで勉強した。戦闘機道に紐付けられているのなら、何だってやった。

 だから、大洗航空隊のレギュラーになれたのだと思う。好きという熱意があったからこそ、ここまで成功出来たのだろう。

 

 対して歴史はどうだ。おりょうと話を合わせるためだけに「勉強」して、「頑張って」大河ドラマも視聴し続けた。絶え間なく、空へ逃避したいという欲求を我慢し続けてきた。

 何が我慢だ。

 そんなものは趣味ではない、嫌々行う宿題と何が違う。エルヴィンが、カエサルが、左衛門佐が、おりょうが、青井が、あれだけ歴史に詳しいのは「好き好んでいるから」こそだ。

 聞くだけならいい。短期間なら少々の暗記は利くし、疑問だっておのずと思い浮かぶ。

 だが、自分のモノにするとなると話は別だ。それなりの姿勢と、絶えない熱意と、溢れ出んばかりの知的欲求がなければ、決して趣味人にはなれはしない。それは戦闘機道も同じことだ。

 だから赤木は、幕末時代から避けられた。おりょうと二人きりになれば、ぎくしゃくするばかりだった。

 

 ――そして高校二年に進級し、遂に芝村と竹下とは離れ離れになってしまった。

 寂しいなあと思いながら、それはそれとして新しい友人を作っていき――青井の姿が、ふと目に入った。

 

 いつも一人でいる青井を見て、なんて寂しそうな顔をしているんだと思った。次に、よく読書をするその姿勢に、デジャブが走った。

 あいつに似ている――青井に気づかれないように、自分は青井が読んでいる本の表紙を盗み見た。タイトルは、「坂本竜馬伝」。

 思わず、声をかけていた。

 だって青井は、自分の友人たちと絶対に気が合いそうだから。特に、おりょうとは良き話し相手になってくれそうだったから。

 

 

 結果は、大当たりだった。

 おりょうの羽織を目にして、青井は大盛り上がり。おりょうもまた、同士を見つけたとばかりに歓喜していた。あの幸せそうな顔は、一生忘れられないだろう。

 その日を境に、青井とおりょうは段々と分かり合っていく。

 当然だ。青井とおりょうには、幕末と坂本龍馬という共通の趣味があるのだから。互いに性格が穏やかなのもあって、常日頃から笑い合うことも多い。

 それを見届けることしかできなかった自分は、いつしかこう思うようになったんだ。

 

 おりょうさんは、やっぱり優しいし可愛い。

 青井のことが、とても羨ましい。

 

 二人の関係は留まることを知らず、いつしかデートをするようになった。

 おりょうとデート。それは、自分からすれば空よりも高い域に存在するものだ。

 それを青井は、半年の付き合いで掴み取ることができたんだ。

 ――嘘だと思われるかもしれないが、自分は、青井に対して嫉妬や憎悪は抱かなかった。むしろ、おりょうを幸せにしてくれとさえ思っていた。

 だって自分には、それが不可能だから。だって青井は、良い友人だから――おりょうを支えるに相応しい男だと、ずっと前から羨んでいたから。 

 

 思うと、結末なんて最初から決まっていたのだと思う。

 

 自分は、おりょうの顔に見惚れた。けれど、おりょうが持つ本質そのものと触れ合うことはできなかった。

 青井は、まずはおりょうの「服」を見た。そうしておりょうから感激され、握手を交わして、今後も坂本龍馬と幕末を入り口に通じ合っていった。

 自分の目に見えるところで、二人はよく話し、笑い、恥じらっていた。もしかしたら、他では言えない話を告げたこともあるかもしれない。

 そうしたプラスが積み重なっていけば、おのずと恋仲にまで進展していくのは当然の流れだ。

 

 納得するしか、ないじゃないか。

 

 先に好きになったからといって、それで結ばれるとは限らない。

 後に好きになったからといって、それが遅すぎるとも限らない。

 けして捨てられない本質(幕末)のお陰で、愛し合うことがある。

 けして捨てられない本質(戦闘機道)のせいで、結ばれないこともある。

 

 こんな自分とおりょうが結ばれるなんて、嘘にもほどがある。自分だってそう思う。

 青井とおりょうが結ばれるならば、それは受け入れられるし、「やっぱり」と思う。

 

 音楽が聞こえてくる。

 地面を、力なく見る。

 坂本龍馬である青井と、おりょうを名乗る野上武子が、愛し合うということは、

 

 ――それはどうしようもなく正しい、世界の流れだった。

 

 涙は流さない。そんなことをしたら、青井とおりょうの愛に失礼だから。

 自分は友人だから、笑って祝おう。この初恋は、いつまでも胸にしまっておこう。

 強がりでもなんでもなく、心からそう思って、

 

「――よ」

 

 声がした。

 うつむいていた自分の首が、重く重く持ち上がっていく。

 

「元気か?」

 

 エルヴィンが、冷静な笑みを浮かばせながらで、手で挨拶をする。

 ――いつものそれを見て、自然と安堵の息が漏れた。

 

「……ま、元気といえば元気かな」

「そうか」

 

 そうして、エルヴィンが隣に座り込む。

 

「で、話っていうのは?」

「ああ――おりょうさんへの片思いは、ここで終わりだ」

「そうか」

 

 予想していたのかもしれない。エルヴィンは、特に驚くこともしなかった。

 

「おりょうさんは、俺なんかよりも青井が相応しい。あいつなら、おりょうさんを幸せにできる」

「そうだな、私もそう思う」

「……でもまあ、」

 

 思い切り、ベンチに背を預ける。視界に広がるは、夕暮れ模様の夏空。

 

「正直、ちょっと心が痛いけどね」

「仕方がないさ。……失恋、したんだしな」

「まあな。これ以上の恋なんて出来るのかなって、割と本気で思ってるよ」

「……そんな悲しいこと、言うなよ」

「そうかな」

「そうさ」

 

 それもそうかと、両目をつぶる。

 何も見えなくなる。だからこそ、気分が落ち着いていく。

 

「エルヴィン。お前には、長らく迷惑をかけたな」

「迷惑だなんて、そんな風に考えたことはない」

「そうか、ありがとう。……やっぱり歴史は、聞いているだけの方が良いみたいだ」

「ああ、お前はそれでいい」

「そうだな」

 

 やはりというか、エルヴィンとは口がよく回る。昔からの付き合いというのもあるし、共に空を見続けた仲間でもあるからだ。

 エルヴィンがいなければ、今頃は恋に手出しも出来なかったと思う。

 

「――なあ、赤木」

「うん?」

「お疲れ様。よく、頑張った」

「……ありがとう」

 

 エルヴィンの一言で、体の中に残っていた後悔が抜けていくのを感じる。

 すべて、終わらせてくれたのだ。

 

「なあ」

「うん?」

「何か、悩み事なんかはないか? 俺でよければ、力になる」

 

 だからこそ、今度はエルヴィンの力になるべきだと判断した。

 ここまで長らく付き合ってくれたのだ。恩義に応えるのは、友人として当然のことだった。

 

「――悩み、か」

「……何か、あるのか?」

 

 よっこらせと、姿勢を正す。

 そのまま視線をエルヴィンに戻してみれば、エルヴィンはいつもの笑みを浮かばせながら、地面をじっと見つめていた。

 

「そうだな。悩みというか、なんというか」

「言ってくれ、余計な世話かもしれないけど」

「いや。……今のお前はいっぱいいっぱいだろう? 次の機会にした方が、」

「大丈夫だ」

「――そうか」

 

 エルヴィンは、うんうんと小さく首を振って、

 

「そっか」

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、目と目を合わせてゆく。

 軍帽を被り直して、「うん」と頷いて、

 

「悩み、というのかな。隠し事みたいなものなんだが」

「ああ」

 

 音楽が止まる。すこし音を立てながら、夏の風が通り過ぎていく。

 簡単には口に出せない話だからなのか、エルヴィンは沈黙したままで、まばたきとともに目線が逸れる。

 けれど、赤木は待った。エルヴィンが言葉にしてくれるその時まで、赤木はエルヴィンの目を見続けた。

 

 そして、エルヴィンが両目をつぶって、「ふうっ」と息を小さく吐く。

 エルヴィンの両目がそっと開かれて、変わらない笑みを――違う、

 

「実はな」

「ああ」

「今、とても気になっている男がいるんだ」

 

 エルヴィンの頬が、少しだけ赤くなっていた。

 

「――え、それって、もしかして恋バナ?」

「ああ」

「マジ、マジで?」

「マジ」

「マジか……そ、それで、その男ってのは?」

「ああ。そいつはな、」

 

 エルヴィンは、何の躊躇いもなく、

 

「凄いがんばり屋さんで、いつでも話を聞いてくれて、少し抜けてるんだけれど恋に一筋で」

「うん」

「戦闘機に乗ったら、凄く格好良くなってしまう奴で」

 

 ちょっと、待って。

 どうしてエルヴィンは、思いあたるフシばかりを口にするんだ。

 これが、自惚れた勘違いでなければ――

 

「……ひとりぼっちだった私と、友達になってくれたひと」

 

 ジャズが、はるか遠くから流れてきた。

 俺は、どんな顔をしてしまっているのだろう。

 喉から声が出てこない、まばたきが止まらない。高校時代、中学時代、小学時代まで、フラッシュバックが続く。

 

「好きだよ」

 

 エルヴィンは、泣いてしまいそうな笑みを浮かばせている。

 

「ずっと前から、好きだったんだ」

 

 思う。心の底から思う。

 

「――お前しか、見ていなかった」

 

 どうしてエルヴィンの、松本の気持ちに気づけなかったんだろう。

 こんなにも近くに居たのに――理性が言う。友達として長く付き合っていたからこそ、気づけなかったと。

 首を振るう。

 そんなのは言い訳だ。

 

「こんな時に言うのは卑怯だと思う。けれど、お前は一人じゃない、誰かに愛されているという事実を知ってもらいたかったんだ」

「エルヴィン、」

 

 紡ぐべき言葉が思いつかない。呼び求めることしかできない。

 けれどエルヴィンは、肩に手を乗せてくれた。

 

「お前はじゅうぶんに頑張った。だから今度は、思うがままに空を飛び続けてくれ。私は、その背中をずっと追い続けるから」

 

 大きく、力なく息が漏れた。

 しばらくはそのままだった。

 永遠にも似た時間が、過ぎていったあと、

 

「ご、」

「ご?」

「ごめん」

 

 本能の奥底から、言うべき言葉を捻り出す。

 

「え?」

「ごめん。お前の気持ちに、気づけなくて、本当にごめん……ッ」

「ああ――いい、いいんだ。怖がって、好きって言えなかった私も悪い」

 

 必死に首を横に振るう。

 

「おりょうさんしか見ていなかった、俺が悪いんだ。エルヴィンは何も間違ってない」

 

 頭を下げる、両目を強くつぶる。

 

「本当に、本当にごめんなさい!」

 

 怖かった、許して欲しかった。冷静な頭のどこかでは、嫌われても仕方がないという結論に陥っていた。

 

「いいんだ」

 

 けれどエルヴィンは、あっさりと許してくれた。

 

「それだけ一筋だったってことだろう。恋においてはそれが正しい、恋は盲目ともいうしな」

「――エルヴィン」

 

 親の顔色を伺う子供のように、首をそっと上げる。

 エルヴィンがどんな表情をしているのか、予想ができない。

 ――どんくさくて、のろまなこんな自分を、エルヴィンはずっとずっと待ってくれていた。いつもの表情で。

 

「……なあ」

「ん?」

「本当のことを、言ってもいいんだぞ?」

「言ったさ」

「でも俺は、」

 

 エルヴィンは、首を左右に振るう。なんでもないように。

 

「鈍感な自分が許せないんだな?」

 

 やっぱりエルヴィンは、聡い女の子だと思う。

 どうして、心の内を見抜かれるんだろう。自分が分かりやすいだけなのだろうか。

 

「いいんだよ」

 

 肩を、優しく叩いて、

 

「初恋だからな、気持ちに余裕なんてできるはずもない。ましてや私とは、友達だから」

 

 手を、乗せたままでいてくれる。

 

「おりょうの為に、苦手な歴史を頑張って……おりょうの幸せのために、梅太郎に全てを託せたお前に、間違いなんてない」

 

 数少ない理性を振り絞って、赤木は頷く。

 

「私はな、この一年半を通してな」

 

 エルヴィンが、屈託のない笑顔を浮かばせながら、 

 

「――お前のことが、もっと好きになった」

 

 俺は、声を上げて泣いた。

 そんなおれのことを、エルヴィンは抱きしめてくれた。

 

 

 気づけば、空は嘘みたいに赤かった。

 いつの間にか、夕暮れが訪れていたらしい。それでも人の気は感じられず、学校側からは相変わらず賑やかな音楽が奏でられている。

 たぶん、文化祭はこれからも続くだろう。きっと、夜まで終わらないはずだ。

 今も、隣りに座っているエルヴィンを見つめる。

 いつも通りの、考えが読めない笑みを浮かばせてくれて――「さて」、そっと立ち上がる。

 

「赤木」

「ああ」

「私は、その、恋については素人だが」

「うん」

 

 そうして、エルヴィンが赤木の前に立ち、

 

「――お前に相応しい女になれるよう、私なりに頑張ってみる」

 

 そっと、手を差し伸ばしてくれた。

 

「……俺は、何をすればいいのかな?」

「いつも通り、空を飛んでいてくれ」

 

 エルヴィンとの接し方は、これからも変わらないだろう。エルヴィンに対する意識は、がらりと変わってしまったけれど。

 愛し方はともかく、愛されかたなんてわからない。けれどエルヴィンが相手なら、きっと、楽しくやっていけると思う。

 

「さ、赤木。一緒に、学園祭を見て回ろう」

「わかったよ、エルヴィン」

 

 ベンチに座ったまま、その手を確かに握りしめる。

 そんな赤木のことを、エルヴィンはそっと引き寄せてくれた。

 

「なあ、赤木」

「うん?」

「その……昔みたいに、本名呼びでもいいんだからな?」

 

 エルヴィンが軍帽を下げて、目元を隠してしまった。

 

「わかった、わかったよ。……ただ、あいつらの前だと、違和感っつーのかなー……」

「あ、それは分かる。我らはソウルネームで呼び合う仲だしな……」

 

 少しだけ考えて、すぐに閃きが生じた。

 二人だけの大洗公園を見回して、小さく、うんと頷いて、

 

「じゃあさ」

「ああ」

「二人きりの間は、松本って呼ぶよ。それでいいかな?」

 

 提案を聞いて、エルヴィンが含み笑いを漏らす。

 軍帽を被り直して、「ああ」と微笑んで、いつまでもいつまでも自分のことを見つめたまま、

 

「――それだ」

 

―――

 

 左衛門佐と二人で歩いて、だいぶ時間が経つ。

 おりょうと青井は、デートに旅立ってしまった。一方のエルヴィンは、「用事を思い出した」と告げて、全速力でどこかへ行ってしまった。

 赤木に、会いに行ったのだろう。

 そういった事情があって、左衛門佐と二人きりになったわけだが――うまいうまいと焼きそばを食べたり、ライブに混ざっては一緒にシャウトしたり、左衛門佐が射的で無双したり、店主から殿堂入りを食らったりして、これが意外にも楽しかった。

 二人きりということで、話す相手も集中できる。そういった意味では、こういうのも悪くないとカエサルは思う。

 

 その時、携帯が震えた。

 なんだろうと、カエサルが携帯を手にする。どうやら左衛門佐にも届いたらしく、なんだなんだと画面を見て、

 

『用事は済ませた、今どこにいる』

 

 左衛門佐と顔を合わせて、無言で頷きあい、カエサルは『ライブ会場前、ゆっくりでいいぞ』と打ち込んだ。

 そうして、射的店からライブ会場前へ移動する。

 既に空は夕暮れに染まっているというのに、誰もライブ会場から離れようとはしない。むしろ、午後の魔力を受けて更に盛り上がっている気がする。

 そりゃそうか、と思う。

 何せダブル廃艦阻止記念と、他校参加上等で出来ているライブなのだ。大洗バンドは浮かれに浮かれて参加しまくっているし、他校からも「大洗連合」の熱を抱いたままで参戦し放題、おまけに生徒会からのお墨付きだ。

 ステージ上でギターソロをかますバンドメンバーを見て、正直なところ「やってみたいなあ」と少しだけ思っていたりする。音楽に関する知識は皆無だから、思うだけだけれども。

 左衛門佐が、「いいものだ」と両腕を組んでいる。どこか戦場めいて見えるライブ会場とは、相性が良いのだろう。

 

 ――そして、カエサルは無言で空を見る。

 今ごろ、エルヴィンは何をしているのだろう。赤木とは、どんな話をしているのだろう。

 想像はできないが、今は待つことしかできない。

 けれど心の何処かでは、「何だかんだで上手くいくだろう」いう確信めいたものは抱いていた。

 何せあの二人は、昔からの付き合いがあって、言いたいことを言い合える仲なのだから。

 

「おーい」

 

 声がした。

 ライブに夢中になっていた左衛門佐の肩を軽く叩き、エルヴィンと――赤木が、学園前の通り道から歩んできて、

 

「――あ」

 

 エルヴィンは、いつもの微笑をしながら、手をひらひら振るっている。

 赤木は、エルヴィンの軍帽を被っていた。とてもいい顔で。

 

 ほらな、うまくいった。

 

 その後は、ライブで騒いだり、飲み食いしたり、おりょうと青井と合流したりして、隅から隅まで学園祭を歩き回った。

 ふたりで、何の話をしていたのかは聞かない。

 きっと、赤木といい話をしていただろうから。

 

―――

 

 ――今週の土曜、暇か? 一緒に遊ばないか? ふ、二人で

 ――いいぜ

 

 歴史に関してはどんと来いだが、デートでの決め方はど素人だ。

 だから私は、初めて買ったファッション雑誌を片手に、これがいいのかあれがいいのかと苦戦した。規律正しいミリタリーファッションならともかく、自由が利く私服は、正直難しい。

 赤木のことだから、どんな服を着ても受け入れてくれるだろう。

 しかし私は、「決めたい」と強く思っていた。

 私だって、恋する乙女だから。

 そうして長いこと時間をかけて、私は秋のコーディネイトを完成させる。茶色系でまとめてみたが、鏡を見て「これが馴染むな」と呟けた。

 

 ――そうして、土曜日がやってきた。

 目を覚まし、目覚まし時計を見てみれば朝の六時。あまりにも早すぎだし、「遠足前かよ」と漏らしながら二度寝――できなかった。

 仕方がないのでそのまま起床し、念入りに歯を磨く。徹底的に洗顔し終えては、可能な限り髪のセットを行った。

 そして、今日の戦闘服に着替える。

 何度も鏡でチェックしたし、カエサルからおりょう、左衛門佐からも「いいじゃん」と評価された。だから、滑っているはずはないと思う。

 でも、不安は止まらない。

 デートなんて初めてだから、仕方がないと思う。

 なんとなく居間のテレビを点けてみれば、戦車道関連のニュースが目に入った。なんでも、世界進出に向けて日本戦車道が力を入れ始めたとか。

 そうか、それは良かった。戦車道履修者だから、それはそう思う。

 けれど今は、一人の女の子として道を歩かせてくれ。

 

 なんとなく、胸を抑えてみる。

 体のうちから飛び出そうなくらい、心臓が跳ね上がっているのが指から伝わってくる。

 それを聴けて、安心した。

 やっぱり私は、あの人のことが好きなんだな。

 

 午前九時。

 カエサルとおりょうと共に朝飯を食べ、服装の最終チェックに付き合ってもらった。結果は「いいぞ」。

 そうなれば、後は集合場所である大洗公園へ出向くだけだ。本来なら午前十時に落ち合う予定なのだが、体がぜんぜん落ち着いてくれないし、外の空気も吸いたかった。そして何より、「早く会いたい」という気持ちがどうしても抑えきれなかったのだ。早く行ったところで、意味なんてないのに。

 だから私は、玄関に行っては靴を履く。おりょうからは「気をつけて」と言われ、カエサルは「行って来い」とサムズアップ。そんな二人に対し、私は敬礼をした。

 じゃあ、行くか。

 夢の中にいる左衛門佐を背に、私は引き戸を開けた。

 

 水色模様の晴れ空の下で、私は無言のままで歩く。休日の住宅地は嘘みたいに静かで、人ひとりも会わない。

 寂しいな、と思う。

 なんだかいいな、と思う。

 季節は秋に差し掛かり、服を通じて少しだけ肌寒い。虫の音色はとうに間に消えてしまっていて、改めて夏の終わりを実感する。

 

 四季の中では、夏が一番好きだ。暑いし、長期休みもあるし、遊び時だから。けたたましい虫の音色も、夏にはぴったりの現象だと思う。

 けれど、秋もなんとなく良いな、と思う。

 こんなにも静かな空気の中で、ふたりきりでデートができるから。

 苦笑する。私もなんだかんだで、乙女らしい。

 

 もう少しで大洗公園に着く。改めて時間を確認してみれば、九時十分くらい。

 あと四十分、どうしようかな――背筋を伸ばし、そのまま大洗公園へ足を踏み入れ、

 

 ベンチに、赤木が座っていた。

 

 目と目が合い、互いに「あ」が漏れた。

 そうして、二人で恥ずかしげに笑ってしまう。

 

「よ、早いな」

「お前こそ」

「どうしたんだ? いったい。はやる気持ちが抑えきれずに、そのまま集合地点へハシゴしたとか?」

「あー、お前もそのクチか?」

「まあな」

 

 へらへら笑い合う。

 

「ああ、そうだ。こういう時はあれを言うべきだな」

「あれ?」

 

 私はきっと、いつも通りの顔が出来ていると思う。

 

「早く来たんだな、お前。気を遣わせたか?」

「ああ――いや、いま来たとこ」

 

 ハイタッチ。

 

「そうそう、これ一度やってみたかったんだよな」

「俺も俺も。これをまさかなあ、お前に言うなんてなあ」

「分からないものだな、歴史というものは」

「そうだな」

 

 そして赤木が、ゆっくりと立ち上がる。

 

「エルヴィン……いや、松本」

「ん?」

 

 そうして赤木が、私の足から顔までを伺う。

 ――やめて欲しい、とは思う。どうなんだろう、と不安になる。

 視線なんてすっかり逸らしてしまっているし、顔だってきっと赤いはずだ。いつも通りじゃない姿を見られるだけで、こうも恥ずかしくなるなんて。

 やっぱり私は、赤木のことが、

 

「お前」

「あ、ああ」

「似合ってる、すごく」

「そ、そうか?」

「ああ、凄く似合ってる。……嬉しいわ、とても」

「――そっか!」

「んわっ」

 

 やっぱり私は、赤木のことを好きになれて良かった。

 無理やり腕を組み、強がりの笑いを浮かべてみせる。不意打ちを食らった赤木は、みっともない顔になってしまっていたが、

 

「……じゃ、じゃあ、行こうか」

「ああ」

「松本、」

「うん」

「……さ、里子」

 

 今度は、私が不意打ちを受けた。

 なんて、ずるい男なんだ。

 いまの私の顔なんて、みっともなくなってしまっているはず。

 

「――攻めてきたな」

「いいじゃねえか別に、俺らそういう仲だろ」

「ふふ」

 

 けれど、これでいいと思った。

 

「じゃあ、まずは……映画館にでも行くか。何やってたっけ?」

「なんだっけ……お、戦争映画があるな」

「じゃ、それを見にいってみるか」

「そーすっか」

 

 私と赤木は、こんな感じだから。たぶんずっと。

 腕はそのままに、私達は映画館へ歩んでいく。

 

―――

 

 たまたまテレビで見た戦争映画が、とてつもなくカッコ良かった。そうして熱も冷めないうちに、戦争漫画が読みたいと親にねだったのである。

 九歳になって、初めて趣味らしい趣味を抱えた瞬間であった。

 

 漫画と指定したのは、まずは基礎から学ぼうとしたからだ。家に居る時はもちろん、学校の休み時間でも、寝る前においても、戦争漫画ばかり読んで――いつしか、もっと濃い本が欲しくなった。

 そうして、資料という名の歴史書に手を出す。ページを開けば字がいっぱいで、思わず口元がへの字に曲がってしまう。

 最初こそ「これ読めるかな」と怯んでいたものだが、目を通してみるとあっさり過去の世界へ引き寄せられ、飛び込んでいた。知的欲求とは、何物にも勝ると実感したものだ。

 

 そうして私は、時間という時間を趣味に費やした。元々引っ込み思案だった私に友達なんていなかったから、いよいよもってミリタリーに没頭し尽くせた。

 ――ひとりぼっちでも、趣味に生きれれば大丈夫。本気で、そう考えながら。

 

 そうして、季節は春から夏に変わる。

 小学生にとっての夏とは、花火にプールに夏休みだ。教室はすっかり夏休みムードに染まっていて、旅行に行く、一緒に遊ぼうぜ、花火大会、海――それらの話題が、私の前を通り過ぎていく。

 本を読んでいる私のことを、誰も相手にはしない。何度か「なんて本?」と聞かれたこともあったが、内容を見せれば「へえ……」と言ったきりバイバイ。友達なんて一人もいなかったが、まあいいやと思っていた。

 

 そのまま家について、半袖姿の母が「おかえり」と迎えに来てくれた。私は無表情のままで、「ただいま」とだけ。

 ――そうして、母は「あついわねー」と屈託なく笑いながら、

 

 ねえ里子。もう少しで夏休みだけれど、友達とどこかに行く予定とかはある?

 

 当たり前のように聞かれた時、私はすぐには答えられなかった。

 ない――そう答えようとした瞬間に、私の奥底からどうしようもない寂しさと、抗えない痛みと、どうしようもない後悔が音もなく湧いた。

 結局、答えることなんてできなくて、

 母は、笑って察してくれながら、

 

 ねえ、行きたい場所とかはある? 戦車の博物館とか、見にいかない?

 

 私は、母の血を継いでいる。だから私も、母の心の内を察してしまえた。

 ――そんな寂しそうに、笑わないで。

 

 

 人と話そうとしなければ、人とは触れ合えない。人と話さなければ、口の動かし方を忘れてしまう。「私なんて」と思っていても、教室から聞こえてくる「放課後の予定」をつい羨んでしまう。

 そんな悪循環に絡まれながら、私は小学六年まで生き抜いてきた。

 ここまで来れたのも、趣味の世界があったから、親が優しかったからだと思う。

 

 クラス替えが行われ、教師も変わったが、やれることは何一つ変わらない。勉強に読書、そして友人同士の雑談に耳を傾けるだけだ。

 一生このままなんじゃないかなと、本気で思う。

 変わりたいなと、心の底から想う。

 どうやったら、友達ができるんだろう。昔は、仲良しの子もいたはずなんだけれどな。

 ――机の上に置かれた本を見て、私は首を左右に振るう。

 この趣味をはじめて、私は集中力が増した。成績が上がるにつれて、親から本を買ってもらえるから、おのずと成績も伸びた。読書感想文にいたっては、独走状態だ。

 だから、この趣味を始めたことに後悔なんてしていない。はじめて良かったと思っている。

 

 そうして夏が訪れて、六度目の夏休みブームに差し掛かった頃。クラスで席替えが行われた。

 その時に、赤木という男子と隣同士になった。常に友人に囲まれ、「戦闘機道に入りたくて」が口癖の、いたって健全な人気者だ。

 ――戦闘機道か。

 ミリタリー好きとしては、決して聞き逃がせない単語だ。けれど私と赤木は他人同士、絡まれても困るだけだろう。

 

「隣同士か、よろしくな」

「ああ、よろしく」

 

 だから、挨拶を交わしてそれきり。

 そう割り切っていたはずなのに――私はやっぱり、隣から聞こえてくる賑やかさに憧れを抱いてしまう。

 夏休みの予定を、当たり前のように組めているのがとても羨ましい。冗談交じりの悪口を言い合える仲に、どうしようもない憧れを覚える。海とか、航空ショーとか、家へ泊まり込みとか、絶えることのないプランを耳にして胸が痛くなる。

 人が、とてつもなく恋しかったのだろう。だから私は、思わず隣の席を覗って、

 

「――あ」

「あ」

 

 目が合った。

 たぶん、時間が止まったかと思う。

 そして私は、逃げるようにして本を読み始めた。

 ――溜息が出る。

 やっぱり私は、ずっとこのままなのかもしれない。

 

 □

 

 夏休み明け初日という地獄の中で、私はすごいものを見た。

 

 自由研究発表会が開催されて、誰しもが普遍的なテーマを発表していく中で、

 

「――俺は、戦闘機道を絶対に履修します」

 

 赤木は、黒板を覆うレポート用紙を背にしながら、最初から最後まで戦闘機について語ってみせた。

 クラスメートがやんややんやと称賛して、教師が「素晴らしくまとまっています。宿題は少し多目に見てあげます」と評価する中――私は無言のまま、いつの間にか前のめりになっていた。

 戦闘機というミリタリーの象徴を、長々と熱く語られてしまったのだ。とうぜん一語一句たりとも聞き逃さなかったし、一方的に「ライバル視」したりもした。こっちも、似たようなテーマで自由研究をまとめてきたからだ。

 生まれてはじめて、闘争本能に火が点いた気がした。

 

 間もなく赤木が撤収し、隣の席につく。心の中で「すごかったぞ」と言い、

 

「どうだった?」

 

 不意打ちだった。

 隣に座っているから、そう聞くのは自然の成り行きかもしれない。趣味だって把握しているだろうから、「専門家から見てどう?」という疑問もあったのかもしれない。

 

 ――でも、どうして、そんなにも嬉しそうな顔をするの

 

 呼吸を整える。出来ているかもわからないポーカーフェイスのままで、私は、

 

「良かったと思う、素晴らしかった」

 

 そしてまた、赤木がわかりやすく喜んだ。

 それだけのことなのに、自分は、赤木という男が頭から離れられなくなる。

 

「次、松本さん、お願いします」

 

 教師の声に、びくりと体が震える。

 次は、自分だったか。

 ――ちらりと、上機嫌そうな赤木のことを伺う。

 

 あんなにも素晴らしいテーマを見せてくれて、本当にありがとう。

 けれど、私の方もすごいんだぞ。

 だから、聞いてくれ。

 堂々と席から立って、ランドセルから丸めた紙を「引っこ抜く」。誰もが「何あれ」と注目する中、私はよどみ無く黒板まで歩いていって、無感情な手つきで紙を広げていき、紙の端を手持ちのマグネットで固定した。

 クラスメートの前に立ち、すうっと息を吸って、

 

「ドイツの戦史について、研究してきました」

 

 あくまで顔には出さないように、それでも興奮を隠しきれないままで、私はごく淡々と自由研究を発表していく。

 まずはドイツへ旅行しに行ったエピソードから語り始め、次にドイツの町並みについての感想を、そして戦車博物館へ出向いた時の感動を口にして、現地でドイツの戦史について研究したことも述べた。

 皆に聞いてもらえるように、なるだけ専門用語は避けたつもりだったが――それが功を成したらしく、いくつかの質問が飛んできたことは非常に嬉しかった。教師からドイツの町並みについて問われた時は、「勝った」とすら思った。

 

 ――そして何よりも、赤木が私のことを注目してくれているのが、なぜだか一番喜ばしかった。

 だから最後まで、いい気分で語り終えられたのだと思う。

 

「――戦史は学ぶと、とても面白いです。以上、聞いてくださりありがとうございました」

 

 そう締めてみせて――何事もなかったかのように自由研究のレポートを丸め、何事もなかったかのように赤木の隣の席へ凱旋した。容赦の無い拍手を受けながら、

 

「……すげえな」

「えっ」

 

 理屈抜きの、あまりにもストレートな称賛を至近距離から受けて、私は言葉を見失った。

 驚いているような、喜んでいるような、何ともいえない真顔を向けられて、私はどうしようもなくなってしまっていた。こんな私に対して、赤木はじっと私のことを見つめている。

 恥ずかしかった。けれど、とてつもなく心が躍った。だって、だって、自分の趣味を受け入れてくれたから。

 呼吸。

 そんな赤木の気持ちを、「すげえ」という一言を、決して無碍にはしたくなかった。

 ――だから、

 

「……そ、そうか? まあ、その……えと、ありがとう」

 

 言えた。

 ――この瞬間から、赤木のことがとても気になり始めた。

 

 だって赤木は、絶対にいい男の子だから。

 

 □

 

 自由研究発表会が終わり、休憩時間がやってくる。

 待ってましたとばかりに数人のクラスメートが直立し、自然と仲良しグループが構成されていく。私は相変わらず読書だ、今回のタイトルは「初心者にもわかるドイツ語」。

 間もなくして、隣の席も賑やかになっていく。赤木の友人である竹下と、芝村がふらりと寄ってきたのだ。

 

「赤木どした、そんなシケた顔して」

「いや何でも。にしてもどうだったよ、俺の渾身の一発は」

「いやー、お前ってホント戦闘機道好きだよな。そりゃ俺も戦闘機道目指そうかなって思ってるけど、ありゃ凄いわ」

「だろ?」

「でもさ、ちゃんと宿題はしろよ。お前、去年もそうだったじゃないか」

「いやーごめんなーすまねえなー、来年は絶対に終わらせるから」

「俺に泣きついてくるなよ」

「えー芝村ぁー」

 

 正しすぎる友人同士の会話っぷりに、溜息が漏れる。

 芝村が的確な指摘を下し、竹下がおちょくり、赤木がやめろやめろと笑う。隣でそんな風に青春をやられてしまっては、無表情のフリをするしかないじゃないか。

 本に集中しようとしても、外界からの声は決して拒めない。全力で現実逃避を行おうとしても、寂しさという感情からは逃れられない。

 溜息が漏れる。

 赤木とは一瞬だけ分かりあえた気がしたからこそ、余計に孤独感が大きい。

 かといって、男三人の会話に女が混ざるのもどうかと思う。いきなり混ざろうとしても困惑するだけだろうから、ここは大人しくしておいた方が、

 

「さっきの、松本さんの自由研究、すごかったな」

 

 聞き逃さない。体が、思わずびくりと動いてしまった。

 

「なー、あれは凄かったよな。お前の自由研究も良かったけど、松本に全部かっさらわれたな」

「それは思う」

 

 思わず、赤木の方を見てしまう。

 そうか、竹下も赤木もそういうふうに評価してくれるのか。趣味を否定されないというだけで、笑ってしまいそうになる。

 

「すげえなまつも……っと、読書中か。邪魔しちゃ悪いな」

「ああ」

「あっ」

 

 怯んだ声が、口から出た。

 ――べつに、いいのに。

 私の中から、勇気が湧いてこない。何て返せばいいのか、思いつくことができない。こういう時に何といえばいいのか、私にはわからなかった。

 

「しかしドイツかー。まあ確かに、あっこも戦闘機道の本場みてーな場所だよな」

「ああ。そこと連携している黒森峰は、時々ドイツと練習試合を行って、互いを高めあっているみたいだしな」

 

 心の底から、話に混ざりたいと思う。

 戦闘機道事情はそれほど詳しくはないが、興味自体はある。どんな戦闘機を使っているのか、チームによってはガラリと戦術が変わってしまうのか、どんな奴が戦闘機道を履修するのか――考えただけで、知りたくなってきた。

 

 その後も、黒森峰戦闘航空大隊に関しての考察や感想が述べられていく。曰く、戦力が尋常じゃない。曰く、レポートが詳細である――なるほど、非常に生真面目そうな隊だ。だから、強豪としてぶいぶい言わせているのか。

 ――思う。

 赤木はきっと、戦闘機道を履修するのだろう。その時がきたら、ぜひとも黒戦をやっつけて欲しい。これはクラスメートの、ささやかな励ましだ。

 静かに、両肩で息をする。そして、竹下が苦笑いをこぼして、

 

「ドイツの学園艦のオフィシャルサイト見たけど、何て書いてあるかわっかんねーわ」

 

 エルヴィンの目が、意識的にまばたきした。

 

「あっこのサイトが見られれば、強くなるヒントがあるかもしれないんだけどなあ」

「練習試合についてのレポートはあるだろうよ」

「ドイツって真面目なイメージがあるもんな」

 

 ドイツの学園艦なのだから、言語も文面もドイツ語で仕上がっているはずだ。だから、普通の小学生ならばドイツ語の解析なんて不可能にも程があるだろう。

 普通の、小学生なら。

 

「……なあ」

「あっ?」

 

 さきほどの雑談よりも、はっきりと聞こえてくる赤木の声。

 まさか、と思った。

 あえて「初心者にもわかるドイツ語」を隠さないまま、ゆっくり、ゆっくりと、赤木へ視線を向けていって、赤木は私のことをしっかり見つめていて、

 どきりとした。

 他人から、こんなふうに見られたのなんて、何年ぶりだったか――

 

「あー、悪い。実は、用があって……いいか?」

 

 いいに決まってる。

 

「な、何だ?」

「これ。このサイト、ドイツの学園艦のオフィシャルサイトなんだけれど……読める?」

 

 赤木から、携帯をこっそりと見せられる。

 私は二度、三度ほどまばたきをして、そうして手持ちの本とサイトを見比べてみて、気持ちを整えるために「そう、だな」と呟いて、

 

「……貸してもらって、いいか?」

「もちろん」

 

 読めるかなと心配したが、思った以上に文面が読めてしまい、理解も出来てしまった。元はと言えば翻訳されていない専門書を解読する為に、日夜ドイツ語を勉強していたのだが――やはり、知的欲求に勝るものはないらしい。

 まずは学校のモットーを読み、赤木が「マジかよ」と歓喜する。一発で上機嫌になった私は、校長先生の名前を呟いてみせては「うおおすげええ」と喜ばれてしまった。

 熱が冷めないうちに、私はドイツ戦闘機道オフィシャルページへ潜り込む。戦闘機の画像と、履修者が全員集合している画像が目に入り、得意げに「これだな」の一言。

 赤木と竹下が、止まらない笑みを露わにする。寡黙な芝村も、「さすがだ」と言ってくれた。

 

 まさか、こんなところで趣味が活かされるなんて。

 歴史の流れって、ほんとうにわからないな。

 

 そうしてレポートを読み終え、三人からは礼を言われた。気づけばチャイムが鳴っていたが、これほど短く感じられる休み時間は久々だと思う。

 たぶん、自分は笑えたままなのだろう。そしてそのまま、隣で座っている赤木のことを見つめ、

 

 近かった。

 携帯を覗き見る都合上、こんなふうになっていたらしい。

 

「……! あ、ち、近っ」

「うわっとと悪い悪い」

 

 でも、なぜだか、私の上機嫌は、決して冷めることはなかった。

 

 

「松本さん」

 

 今日も一人で、給食を口にしよう。そう思っていたのに、

 

「な、なに?」

 

 まるでいつもの調子で、赤木から声をかけられた。

 その表情は、ずいぶんと明るい。私は、あっけにとられたまま。

 

「一緒に食わね?」

「――え」

「駄目かな?」

 

 自然と、頭を左右に振るっていた。

 振るえて、いた。

 

「い、いや、そういうわけじゃないが」

「よし決定。いやなに、さっきは大奮闘してくれたからさ、お礼にプリンでもあげようかなって思って」

 

 恐らくは、解読作業のことを口にしているのだろう。

 確かにあれは、赤木からすれば非常に大きな出来事、だとは思う。

 けれど、「あれぐらい」で自分を誘ってくれるものだろうか。私とは、それほど話したことも無いというのに。こんなにも、無表情が多い人間なのに。

 だから私は、「いいのか?」と躊躇する。そして赤木は、からっと笑って、

 

「当然だろ? なあ?」

 

 向こう側の席に座っている竹下と芝村に対し、軽いノリで声をかける。竹下も芝村も、その通りだとばかりに頷いた。

 それに対して、私はそっとうつむいてしまう。一人のみならず、三人からも受け入れられてしまったという事実に、一種の恥ずかしさと高揚感を抱えてしまったからだ。

 どんな顔を、してしまっているんだろう。それすらも分からない。

 だから私は、ぐっと表情を取り繕って、そっと顔を上げ、じっと赤木の目を見た。

 

「じゃあ、よろしく」

「もちろん。これからもよろしくな」

「――え」

 

 ごく普通に、赤木は手を差し出す。私の目と口が、力なく開いてしまった。

 対して赤木は、自信満々そうに自分のポケットを小突いて、

 

「一緒に盛り上がれたじゃん。だから、これからもよろしくな」

 

 たぶん、忘れられないと思う。この時に見せてくれた、赤木の嬉しそうな笑顔のことを。

 

 ――そうか。

 顔がうつむいていく、胸がじんわりと痛くなる。余韻めいた感情が、体の中で膨らんでいく。

 たぶん、嬉しくて嬉しくて仕方がないから、こんなふうになってしまっているのだと思う。

 

「そっか」

 

 それを理解できた時、こんな言葉が漏れた。

 もう、無意味に恐れたりはしない。相手はあの赤木なのだ、私のレポートに対して「すげえ」と言ってくれた、ほかでもない赤木なのだ。

 だから、疑う必要もない。だからこそ、怯える理由なんて無い。それを自覚できたから、私は、

 

「そっか」

 

 はっきりと、こう言えたんだ。

 

「わかった。じゃあ、一緒に昼を共にしよう」

「そうこなくっちゃ」

 

 こうして、手と手が一つになった。

 

 赤木と竹下、芝村と昼食をとるために、私は机を運搬しようとして――赤木が手伝ってくれたり、お礼のプリンを献上されたり、ドイツ語レポート解読班に就任したりして、いつも以上に色々なことがあった。久々に、昼食中に笑いきったと思う。

 竹下も芝村も赤木も、こんな私の話し相手になってくれる。いつの間にか友達扱いされていることが、どうしようもないくらい嬉しかった。

 ――思う、心の底から想う。

 

「赤木」

「ん?」

「――ありがとう」

 

 私の隣に、いてくれて。

 

 □

 

 きりつ、れい、さようならー

 

 放課後が訪れれば、教室というものはただのフリースペースと化す。松山と花島というクラスメートは、いつも通りに一緒に帰っていったし、梅沢は桜木に対して「今日はお前んちに寄っていいか?」と即席の約束を取り付けている。蒲池と草加は、夏休み中の思い出に花を咲かせていた。

 ――それらを耳にしながら、私は淡々とランドセルを背負う。

 今までは、無表情に「それら」を欲しがったままで、一人で帰宅していた。

 けれど今は、気分が良いままで帰れそうだ。何せ私には、友達ができたのだから。

 

 ランドセルを背負い直し、「さて」の一声で、廊下に出て、

 

「松本」

 

 呼び止められて、思わず体が震える。

 誰――ほっとする。廊下で佇んでいた赤木が、手で挨拶をした。

 

「これから帰り?」

「あ、ああ」

「じゃあ、一緒に帰らね?」

「え?」

 

 赤木が、力なく両手を曲げて、

 

「芝村と竹下とは、家が逆でさー」

「ああ、なるほど」

「だから、お前と帰ろうかなって思って」

 

 私は小学生だ。けれど、「男女でふたりきり」というモノはよく理解しているつもりだ。

 赤木は、軽いノリで私に笑いかけている。私は「えーと」とか「うーんと」とか、言い訳じみた唸り声を上げながらも、

 

「……わ、私はその、面白い話ができるかどうか」

「え、できるじゃん」

 

 私の意識が、きょとんとなる。

 

「自由研究は凄く面白かったし、フツーに竹下や芝村とも話してたじゃん。だからヘーキヘーキ」

「で、でも」

「それに、」

 

 赤木は何でもないように、頭を軽く掻いてみせて、そして、

 

「わからないことがあったら、お前はちゃんと教えてくれるじゃん。だから、お前が面白くないなんてことはないっ」

 

 私は趣味に没頭したまま、今日という日まで生き抜いてきた。そのことを悔やんではいないし、むしろ誇りにさえ思っている。

 だから、だからこそ、ここまで肯定されることが、もうどうしようもないくらいたまらなかった。

 

「……そっか、そうだな、うん」

「そう、そうさ、じゃ、一緒に帰ろうぜ」

「ああ」

 

 心の中でしか言えないけれど、堂々と思う。

 この人と会えて、本当に良かった。

 

 

 ――そして中学時代という思春期に入って、私はまちがいなく赤木のことが好きになっていた。

 

―――

 

 あと一時間足らずで、高校戦車道全国大会決勝戦が始まる。

 

 何度ものチェックは済ませたはずなのに、やはりどうしても胸の鼓動が収まらない。両足も、小刻みに震えている。

 高揚しているのか、ビビってしまっているのか――たぶん、どちらも混ざった結果だろう。何せ決勝戦前だ。

 周囲を見渡してみるが、やっぱり誰も彼もが浮き足立ってしまっている――訂正する。丸山紗希は、戦車の上に座りながらで両足を揺らしていた。

 

 戦車に乗ってしまえば、おのずと慣れはするだろう。けれど、こんな気分を引きずっていられるほど肝っ玉は太くない。

 軍帽を被り直す、コートを整え直す。

 見上げてみれば、空は他人事のように青い。決勝戦にはおあつらえの天候だ。

 大きくため息。

 とりあえず、戦車の中にでも閉じこもっていようかな。そう思い、三突めがけ足を動かし、

 

「あ、もしもし? 龍馬? じ、実はその……緊張してしまったぜよ!」

 

 ――ガンマンのような手さばきで、ポケットから携帯を引っこ抜く。慣れた手付きで「通話:赤木」をタップし、携帯を一回転させてそのまま耳元に当てた。

 

『はい、もしもし。どした里子』

「あー、実は緊張してどうしようもないんだ」

『え、マジで? 大丈夫? あと少しで決勝戦だろ?』

「ああ。だから、何か励ましてくれ」

「は、励ませってお前……」

「お前ならいいこと言えるだろ? 頼むよ、赤木『隊長』~」

『ンなこと言われても……が、頑張れ! お前ならできる!』

「もう一声」

『ええ……どうすればいいんだ?』

 

 再び、空に目を向ける。どうしたものかねと、頭をふんわりと回して、

 

「――うん、うん。うむ! 帰ったら、デートするぜよ! うん!」

 

 おりょうのその声は、それはもう盛大に響き渡った。

 恋愛大好きの武部沙織が、「へ~?」と近寄ってくる。大野あやが、デートっていいですよねーと接近する。カエサルと左衛門佐が、ほうほうそれでとにじり寄ってくる。

 包囲されたおりょうが、わーきゃーと声を上げている。

 一連のそれを見て、私の中の電球が光った。

 

「赤木」

『ん?』

「勝ったら、何かしてくれないか? 人間、褒美があるとやる気が出るだろ?」

『え!? んー、ん~……』

 

 電話越しから、赤木が怨霊のように唸りまくる。それがとてもおかしくて、愛おしくて、私の口元なんて緩んでしまうのだ。

 

『そ、そう、だな』

「ああ」

『勝っても負けても、デートしようぜ』

「ああ、わかった」

 

 十分だ。

 私は、一旦の別れを切り出そうとして、

 

『あと、』

「ん?」

 

『――優勝したら、き、キスしてやる!』

 

 ――ああ、まったく、こいつは本当にいい男だ。

 

「約束だぞ?」

『おうよ!』

「約束だからな?」

『わかったって! ほら、はよ優勝してこい!』

「心得た」

 

 通話終了のボタンに、親指を近づけて、

 

「赤木」

『うん?』

「――大好きだよ! はっはっは!」

 

 切る。

 

 さて、褒美は取り付けた。あとは、勝つだけだ。

 三突に振り向いて、コートを羽のように翻す。草を踏みしめながらで、私は軍帽を被り直し、いつものように音もなく笑うのだ。

 

 ――大洗航空隊を優勝に導いた、この大空を仰ぎながらで、強く強く思う。

 

 歴史という大いなる舞台は、世界という巨大な会場は、意思があれば好きなように演出することだってできる。

 そうだろう?

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
これで、このSSは完結です。

これまでいくつかのガルパンSSを書いてきましたが、出会いによる恋愛、失恋、文通、遠距離恋愛と、いくつかのパターンを文字にしてきました。
なので、今回は「報われる失恋」を書きました。

実は自分は、「最後の救い」が大好きです。恋の為に頑張ったのですから、それだけ救われても良いと思っています。
今回はある意味、自分の好みが全開になっています。そういった意味では、メタル全開な恋愛小説になっているのではないでしょうか。

こう書くとエルヴィン寄りですが、おりょうさんは二番目に好きなガルパンキャラだったりします。可愛いですよねおりょうさん、モテますよね。

そして、このSSのミリタリー、歴史を監修してくださった霜月天籟様には本当に頭が上がりません。
あなたがいなければ、このSSは書き上げることは出来ませんでした。
本当にありがとうございました。

頑張った自分のご褒美として、インキャインパルスを買ってきます。

それでは、最後に、

ガルパンはいいぞ。
おりょうさんは癒やされるぞ
エルヴィンはかっこいいぞ

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