エンディング
カエサルの家にあるコタツでぬくぬくとしながら、左衛門佐とカエサルは冬休みの宿題をのろのろと終わらせていって、やがてカエサルが「終わったぁ」とぬるぬる宣言した。
そしてほぼ同時に、二人して天板の上に顔を這わせる。
いまは高校最後の冬休みで、12月24日で、クリスマスで、
「で?」
「で?」
とくに予定はないのだった。
つまるところ、虚無だった。
宿題を終わらせようとも、何も変わりはしなかった。
だから、常に威風堂々と生きようとしているカエサルだって「あー」と鳴くし、左衛門佐だって「へぇあー」とやる気なく漏らす。
テレビすら点けないまま、数分が経ったと思う。ロクに顔も動かさないまま、左衛門佐はザルに入ったみかん一個をやる気なく回収し、力なく皮を剥いていって、無気力にみかんの一切れを口にしていく。すっぱかった。
「なあ」
カエサルから声をかけられ、左衛門佐が「あ?」と返事。
「あいつら、今頃何やってるんだろうな」
「デートだろ」
カエサルが、適当に言う。
左衛門佐も、特に否定しない。
「二人で宿題を片付けて、ついでに家デートをして過ごしているんだろう。というか、そうやって貰わないと困る」
おりょうは最初、「一緒に宿題をしよう」と提案した。けれども気が利くカエサルは、「二人きりでやった方が捗るんじゃあないのか」と主張してみせた。
最初こそ口ごもったおりょうだったが、意図を察してかすぐに頷いてくれた。青井こと龍馬も、赤面混じりの沈黙で了承していたし。
――エルヴィンと赤木に関しては、カエサルからの「ほら仲良くやっとれ」で全て片付いた事を、あえて書いておく。
そうしたいきさつがあって、左衛門佐とカエサルはクリスマスの晩を二人で過ごしているのだった。
家デートを堪能しているであろう、おりょうと龍馬、エルヴィンと赤木のことを想像してみせて、左衛門佐は、
「……幸せに過ごしてくれてると、いいな」
カエサルは、うんうんと小さく頷いて、
「……だな」
しみじみと、そう肯定した。
その顔は、どこか心の底から嬉しそうに見える。
「ま、あいつらはこれからも上手くやっていくだろうさ。先に凱旋でもしてやってくれ」
「ああ。天下くらいはとって欲しいものだ」
カエサルが、目で「みかんくれ」と促す。左衛門佐は仕方なく、みかんの一切れをくれてやる。
「それにしても」
「ん」
「もう少しで卒業だが、どうするんだこれから」
現実的な話題を前にして、左衛門佐がやる気なく「へぇー」とため息。
「そう……だなあ……まだ、これといった夢はないんだよなぁ」
「プロ戦車道を歩むというのは?」
顔を天板に乗せたままで、左衛門佐は苦笑する。
「むりむり。やってみてわかったが、プロ級は無謀じゃないかなって思う」
「あーわかる、わかるぞ。本物の戦は、ほんと大変だよな」
「な、大変だな」
二年から戦車道を歩んでみたが、心休まる時期なんてものはひとたびも無かったと思う。
連携が当たり前、一撃必殺上等、極めつけには廃艦の危機に、河嶋桃の留年、そして三年に入ってからも激戦に次ぐ激戦が繰り広げられたものだ。
一生分の戦車道を経験したと思う。これで戦車道が完結したとしても、正直悔いはない。
ほんとう、大変だった。
「卒業したら、戦車道は後輩たちに託すよ」
「そうか。これで、戦車道はおしまいか」
「そうだな」
カエサルが、「ふう」と息をつく。
「……実戦は、だけどな」
「お?」
天板の上に顔を乗せていたカエサルが、気恥ずかしそうににへらと笑って、
「……戦車道関連の、な」
「おお」
「……小説家になろうかなって、思ってる」
左衛門佐が「ほほー」と微笑む。
「全国大会を経て、それから無限軌道杯を優勝して、私は思ったよ。戦車道って、なんだかんだで面白いなって」
「ああ、だな」
「だから、戦車道とお別れするのが少し惜しくなってな。……だからその、小説で、戦車道の続きをしようと思って」
「うむ」
左衛門佐がうんうんと頷いて、
「歴女らしいな」
歯を見せて、これまで以上に笑ってみせた。
それで十分だったのだろう。カエサルも喜色満面の笑みを見せてくれた。
「そう……だな。私も何か、戦車道にまつわる何かをしてみようかな」
「ライバルにでもなるか?」
「一度小説を書こうとしたんだが、書きたいシーンまでが長くて長くて……へばった」
「そうかぁー」
それ以上、カエサルは何も言わなかった。
「……あいつらはどうするんだろうな。おりょうは、とりあえずは聖地巡りがしたいんだっけ?」
「ああ。……エルヴィンは、歴史学者を目指すようで」
「向上心があるからな、あいつは。きっとなれるんじゃないか」
「ああ、私もそう思う」
静かすぎて、時計の音がはっきりと聞こえてくる。
「――赤木は?」
「戦闘機道で食っていくってさ」
「やっぱり」
左衛門佐が、だろうなーと笑う。
「で、
「そうそう」
左衛門佐の言葉に対し、カエサルは「んむ」と応える。
左衛門佐は、みかんの一切れを指で切り取りつつ、
「あいつは真面目だし、運動もできるから、きっとなれるだろうな」
「ああ、なれるだろうな」
異論はない。
青井は龍馬と名乗れるほど、堂々と成長してみせた。おりょうさんの男に、なってみせた。
当初は頼りない面も見え隠れしていたが、今となっては背が伸びたように思える。背筋がピンとしたのだろう。
だから左衛門佐もカエサルも、おりょうと龍馬のことを喜んで祝福できるのだ。エルヴィンと赤木に関しては、何を今更だ。
話に一区切りがついて、両者の目と口が線になる。予定が無いからこそ、コタツの暖かさが身に染みる。
――そのとき、男女の声が窓を通じて聞こえてきた。それはとてもとても、明るかった。
「なあ」
カエサルの質問に対し、左衛門佐は「ああ」と返事する。無表情で。
「――彼氏、欲しいか」
「ああ」
間髪入れず。
そうしてカエサルが、どこか遠くへ思いを馳せるかのように両眼をつむっていく。左衛門佐は、ただただそれを見届ける。
「あいつらさ」
「ああ」
「今頃、何してるんだろうな」
左衛門佐も、同じように目を閉じてみる。
そして真っ先に思ったことは、思ってしまったことはといえば、
「……キスとか?」
左衛門佐は、すこし顔を赤らめながら、そう言った。
それに対してカエサルは、ほんのちょっと間を置いて、
「……それだ」
――
「っくしょい!」
「ど、どうしたぜよ龍馬、風邪でも?」
隣に座っていたおりょうが、不安そうに青井を伺う。
対して龍馬こと青井が、「いやいや」と首を左右に振るってみせた。
「だいじょうぶだいじょうぶ」
鍋から、軍鶏を彩るもも肉を箸で摘んで、
「おりょう印の軍鶏があれば、疲れも寒気なんて吹っ飛ぶよ」
「あ、ありがとうぜよ」
青井とおりょうは、青井の家で鍋をつついていた。親の気配りにより、現在は二人きりである。
だから、家の中はいつもより静かだった。聞こえてくるは、鍋のお湯が沸き立つ音とおりょうの声だけ。テレビはあえて点けていない。
「ほんとう、おりょうは料理が凄く上手いよね。食べても食べても、お腹が空くばかりだよ」
「そ、そんなことないぜよ」
「おりょうが居てくれたおかげで宿題もすぐ終わったし、おりょうには頭が上がらない」
「りょ、龍馬がいてくれたから、私も……」
おりょうの口元が、「~」と曲がる。
「しかも、戦車道も超一流。文武両道とはおりょうのためにある言葉だね」
「そ、そんなことっ」
「あるよ」
青井は、きっぱりと言って、
「今年の無限軌道杯で、おりょう達は大活躍したじゃない。決勝相手の聖グロリアーナ女学院の戦車も、四両ほど討ち取ったし」
「そ、そこまで覚えてっ?」
「当たり前だよ。だって友達が、おりょうが活躍したんだからね」
実になんでもないような口調で、青井はさらりと口にしてみせる。
おりょうはうつむいてしまって、「うう」と唸る。かわいい。
「僕も見習わないといけないな」
そこでおりょうが、がばっと顔を上げる。
「りょ、龍馬だって十分に頑張ってるぜよ。警察官になるために、日々鍛錬を組んでいるしっ」
「教師に勧められたからだよ。剣道が好きなら、警察官になってみないかって」
「それでも、その道を歩もうと決意できた龍馬はすごいぜよ」
「ありがとう。おりょうがそう言ってくれるのなら、僕は喜んで警察道を歩むよ」
ネギを食べる。ぴりっとした感覚が味覚を震わせ、染み込んだ汁が舌にじっくり染み込んでいく。
食欲がいよいよもって増していく。鍋から肉を、しいたけをつまみとっていく。
「それで」
「うん」
「おりょうは、将来の夢とかはあるのかい?」
「うーん、それは……」
おりょうが、鍋からえのきを引き上げる。白かったはずのえのきは、汁のおかげですっかり黄色い。
「まだわからないぜよ。戦車道を歩むもよし、普通に働くもよし。とにかく、真面目に生き抜きたいぜよ」
「そうだね、それがいいと思う。とりあえず、その、焦らないで」
「うん。とりあえずは……聖地巡りさえできればなんでもいいぜよ」
坂本龍馬好きとして、青井は心の底から頷いた。
「行ってみたいよね、聖地」
「行ってみたいぜよ、聖地」
青井は、自分なりの夢を見つけることができた。おりょうは、これから夢を探すつもりでいる。
けれどこの憧れだけは、坂本龍馬好きとして断固譲るつもりはない。いつかはおりょうと、赤木と、カエサルと、エルヴィンと、左衛門佐と一緒に、聖地で写真撮影食べ歩きお参りをするつもりでいる。
――肉を、何度も何度も噛みしめる。熱と弾力めいた食感が、空腹感をいつまでも引き立たせる。
「みんなと聖地巡りができたら、あとはもう思い残すことはないかな」
「うむ。私も、」
おりょうの言葉が、ふと途切れた。
なんだろう、と思う。
「……いや。ある、ぜよ。絶対に、やりたいことが」
え。
――おりょうが、ゆっくりうつむいていく。鍋に触ることもなく、青井のことを見もせずに。
不意な空気に、青井はただただ黙ることしかできない。下手な事を口走れるはずもない。何とかしたいという衝動を抑えたまま、数秒、また数秒が過ぎていって、
おりょうが、そっと、その首を上げた。
目が、合った。
「……龍馬と」
おりょうが、息を吸って、
「青井と、結ばれたい」
熱が籠もった鍋から、絶えず音が聞こえてくる。泡が弾け飛んでいるからだ。
この家には、自分とおりょう以外に人がいない。父と母が、余計な気を遣ってくれたせいで。
そして僕の目の前にいるおりょうは、間違いなく本心本音を口にしていた。顔を真っ赤にしてまで、決意を口にしてくれた。
おりょうの揺れ動く瞳が、僅かに伝わってくる吐息が、思わず目を逸らされたことが、どこまでも愛おしい。自分の、男の衝動が初めてかき乱される。
「おりょうっ」
おりょうは、勇気を出してくれた。
だからぼくも、おりょうに応える。
「あっ」
おりょうの両肩を、掴んでいた。
「だ、だめ」
それだけだった。おりょうは、何もしないでくれた。
顔を近づける。おりょうが震える。けれども両目をつむる。そっと髪を撫でる――笑ってくれた。
「……武子」
「……青井」
―――
「っくしょい!」
「お、どうした? 悪い噂でも流されてるのか?」
「かもしれねー」
宿題を終え、
夜八時だからか、ずいぶんと冬の夜空に反響したと思う。
「なんだなんだ、心当たりでもあるのか? ん?」
「いやわかんねえけど……まあ、ライバルは多いしな。色々言われてるかもな」
ライバルという言葉に対し、里子は「あー」と声を上げて、
「そういえばそうだったな。今やお前は、注目の戦闘機道プレーヤーだしなあ」
「お前のお陰でこうなったんだぞ」
「何のことやら」
里子が、知らぬ存ぜぬとばかりに両手を曲げる。戦術ノートまで書いてきて、大洗航空隊を強くしてくれた癖にだ。
何だか押されっぱなしというのも癪なので、自分からも何かつついてやる。
「そういうお前こそ、どうなんだよ」
「ん?」
「無限軌道杯で優勝してからというもの、プロリーグへのスカウトがやってきたんだろ? お前だけ楽にはさせねえよ」
「あーあれな。断っても断っても『ぜひ!』とかうるさいんだよなあ」
「当たり前だろ。強豪聖グロの重戦車を、さんざん撃墜してくれたんだから」
「西住さんの指示が良かったんだよ」
「こいつめ」
赤木が、それはもう捻くれながら笑う。エルヴィンも、「へっ」と歯を見せて微笑んだ。
「私はあくまで、歴史学者への道を歩む。戦車道は、あれで最後だ」
「そうか。ま、お前らしいと思うよ」
「ああ。お前もな」
見上げる。
12月24日の夜空は、なんだかいつもより澄んで見える気がする。いつも空ばかり見てきた身だが、こんな感想を抱くのはずいぶんと久々だ。
「綺麗な空だな」
たぶん、隣に里子が居てくれているからだろう。心から、そう思う。
「……確かにな、本当に綺麗だな」
「おい、そこは『君のほうが綺麗だよ』って言うところじゃないのか」
「やだよハズいし」
「うわー悲しいなー、彼女としてかなしーなー」
「言ったら言ったらで、どうせからかうんだろお前は」
「よくわかったな」
「よくわかってるよ」
里子と付き合って、かれこれもう数年が経つ。反応のパターンなんてものは、嫌でもお見通しになってしまうものだ。
だから里子も、へらへら笑うばかりで責めはしない。この状況を楽しんでさえもいる。
「里子よう」
「ん」
「付き合って何年だっけ? 俺ら」
「一年ちょいじゃないか? 去年の文化祭から付き合い始めたし」
「そっかー、もう一年も経過するのか」
それまでに、ずいぶんと色々なことをやらかしてきたと思う。
デートはもちろん、一緒に寝泊まりだってしたし、キスだって交わしあった。時にはケンカしたりもしたが、大抵は気まずくなって、ほぼ同時のタイミングで謝り倒しあったものだ。
たぶん、これからもこんな風に関係が続いていくのだと思う。
「なあ、里子」
「うん?」
「これからもずっと、こんな感じで付き合っていけるよな?」
これからもこんな風に、関係が続いて欲しかった。
「ああ、私もそれを願ってる。……でも、通う大学は違うからなぁ」
「……そうだな。離れ離れになっちまうよな」
「仕方がないさ。私にもお前にも、夢があるんだから」
「そっか。……こんな風に、お前と一緒に歩けるのも、しばらくはお預けになっちまうのかな」
これからもこんな風に、関係が続けば良いのに。
――抱けた夢というものは、それはもうあまりにも大きすぎた。譲れるはずがなく、捨てられるものなどではない。ひたすらに追い続けたくなってしまう存在。
そんなこと、赤木も里子もわかっていた。
だから里子は、無言で肯定した。
□
里子の家まで、あと数分というところで、
「あ」
雪が、音もなく降ってきた。
赤木と里子が、その場で立ち止まる。なんとなく雪を手のひらで受け止めてみて、あっさりと溶けてしまうそれを目にして、何となく寂しく思う。
――なにやってるんだか。
高校最後の冬休みだというのに、大洗戦車道も大洗戦闘機道も優勝できたというのに、何をしみったれた気分に浸っているんだか。
せっかく夢を掴めそうなのだから、迷いなく里子を愛すると誓ったのだから、気の利いた言葉を一つでもかけてみろ。
「里子」
「ん?」
「……その、綺麗だな」
「ああ、綺麗なものだな。ホワイトクリスマスっていうのは」
「……お前のほうが、綺麗だよ」
里子が、ぷっと吹き出す。
「おいおい、いま言うかそれ」
「んだよ、いいじゃねえか別に」
「まあいいけどさぁ」
再び、前へ歩む。
「なあ、赤木」
「うん?」
「……大好きだよ」
「……俺も、俺も、里子が好きだ。里子がいなかったら、俺はもうだめになっていたと思う」
「そうか。感謝しろよ?」
「ありがとう」
それからは、ずっとずっと無言のままだった。
里子が、腕を組んできてくれたから。
――それから数分が経って、里子の家の前に到着する。
里子はそっと、赤木から離れていく。そうして、いつもの不敵そうな笑みを浮かばせるのだ。
「送ってくれてありがとう」
「彼女を一人で歩かせるわけにはいかないだろ?」
「このイケメンめ」
「前もそうしてただろ?」
「だな」
互いにけらっけら笑う。いつもの調子が戻ってきたようで、胸がすっとした気分になる。
「……じゃ、今日はこれで」
「ああ。なんというか、その、頑張れよ」
「うん。……竹下も芝村も、戦闘機道のプロになれるよう応援してる」
「サンキュ。じゃ、またな」
「また」
――胸がすっとした、はずだったのに。
家へ帰ろうとしているエルヴィンの後ろ姿を目の当たりにして、途方もない未練が襲いかかってくる。根拠のない不安が、頭上から降り掛かってきた。
もう会えない、そんなことはないのに。数年はデートすらも叶わない、夢を掴むためには仕方がないことなのに。何かやり残したことは、キスだってした。
考えた。エルヴィンの背中を見つめながら、なにか出来ることはないかと必死に思考して、
「里子!」
里子が、そっと振り向く。
「大好きだ!」
里子の目が、見開かれる。
「絶対に、絶対に! 結婚しようッ!」
できることを、ようやく見つけた。言うべきことを、実現できた。
俺はきっと、正しいことが出来たのだと思う。世界の流れに、乗ることが出来たのだと想う。
だから里子は、俺のところへ戻ってきて、もう離すまいと抱きしめてくれたんだ。
「わかった! 仕方がないやつだなあッ! もうッ!」
ああ。そう、そういえば。
――里子の涙を見るのは、これが初めてだ。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。