食事を終え、人心地ついた。
時計を見るといつの間にか夜の8時を回っている。
濃い一日だったと思う。
というか一日の半分くらいは気絶していたのか。
なかなか体験したことがないケースだろう。
「ふぁ……」
ずっとそばにいてくれる夕日ちゃんが可愛くあくびをする。
朝からずっと僕の世話を焼いてくれていたのだ。
今日はつかれただろう。
何度目になるかわからない感慨に浸る。
夕日ちゃんとこうして話ができているんだ。
話しかけても目さえ合わせられず、手が触れただけで崩れ落ちて顔を真っ青にしてしまうような状態だったのに。
こんなにも、近くに夕日ちゃんがいる。
「どうしたんですか。お姉さん」
「ううん。見てただけだよ」
「そ、そうですか。恥ずかしいですね」
今僕たちは二人で夕日ちゃんのベッドの上に腰掛けてなんともなしにぼーっとしていた。
僕の体が本調子じゃないのもあって立ち上がれない状態なのもある。
夕日ちゃんは何も言わずに僕が部屋にいることを認めてくれた。
夕日ちゃんがそわそわし始めた。小さい頃から夕日ちゃんの感情はすぐ指先に出る。
親指をこすり合わせて、視線をそれとなくウロウロさせる。
僕はそれがなんなのか知っていた。
「夕日ちゃん。いいよ好きなことして」
「えっ。そんな……」
「ちっちゃい頃からそうやって指いじるときはやりたいことがあるときだよ。僕のことは気にしなくても良いさ」
夕日ちゃんが迷っている。僕はもう1度いいよと言ってあげる。
「わかりました。それでは……」
夕日ちゃんは申し訳なさそうにしながらでもどこか嬉しそうに、勉強机に歩いていって、その上で充電されているタブレットを持ちあげる。
さらにその途中で本棚から数冊本を持って帰ってきた。
「何見るのー?」
「漫画とか小説です」
そういえば昔から夕日ちゃんは本が好きだった。
「お姉さんの分も持ってきました」
差し出されたのはアニメ調のキャラクターが表紙に描かれた小説だった。
俗に言うライトノベルというやつだ。
「面白いです。布教というやつです」
僕に本を手渡したあと、夕日ちゃんは慣れた手付きでタブレットの読書アプリを立ち上げる。
そこには漫画が表示されていた。
ちらりと見えた読書履歴はずいぶんと多くあるようで、部屋にいる間の貴重な娯楽だったことが伺える。
タブレットを覗き込む夕日ちゃんは真剣で、集中している。
(変わらないなあ)
初めて夕日ちゃんを見たときの姿を思い出した。
口元が緩む。
――僕と夕日ちゃんが仲良くなったきっかけを思い出す。
両親が再婚して初めて顔を合わせた時。
人見知りをする夕日ちゃんは挨拶をした後すぐ自分の部屋に閉じこもった。
夕日ちゃんは部屋で緊張に飲まれないように本を読んでいた。
そんな夕日ちゃんに僕が話しかけたのがきっかけだった。
『それ、なんの本?』
あのときも夕日ちゃんは本を勧めてくれた。
夕日ちゃんが自信を持っておすすめする本は絶対に外れない。
そういう本物を読み分ける目を持ったのが夕日ちゃんだ。
今回もまた僕は夕日ちゃんがおすすめする本の虜になっていた。
導入――ハラハラする設定で引き込まれる。
日常会話――スピード感があってキャラクターが魅力的。
二人それぞれ別の物語の世界に浸る。
「ふふっ」
面白くて、互いに時折笑い声や息を呑む音が出る。
すぐ収まる。
でもそれは嫌な感じじゃない。
一人で没頭するさなか、ふいに孤独じゃないことを実感する。
ぼくたちの、距離。
互いの存在を認め合う信号のようなものだ。
嫌じゃないよ。
そばにいてくれて嬉しいよ。
そうやって、笑い合う。
そんな時間の過ごし方をして、僕が第一の戦闘シーンまで読み進めたときだった。
「ん……」
右肩に重さを感じる。
何事かと読書の手を止めて横を見ると、目をつぶった夕日ちゃんの顔がすぐそばにあった。
眠気の限界に来たらしい。
「あらら」
すーすーと可愛い寝息を立てて僕に体を預ける夕日ちゃん。
押し付けられた体は柔らかくて温かい。
女の子になったのにドキドキしてしまう。
信頼しきった体は力なく僕にしなだれかかっている。
あまりに近い。
その距離はいろいろ目に毒なものが飛び込んでくる。
真っ白なうなじ。
めくれたスカートからのぞく足とギリギリの付け根。
そして僕の体に圧迫されて強調される、確かな胸の膨らみは窮屈そうに押し込まれながらも存在感がすごい。
吐息が触れそうなほど顔が近くにある。
なんていうか。本当にこの世ならざると言っていい可愛らしさだ。
しかし流石に……これは無防備すぎでは?
四倍弱点なみに無防備では?
「夕日ちゃ……」
起こそうとしたとき、夕日ちゃんが寝返りをうち、僕の肩に顔をうずめるような形になった。
正面から僕の身体に夕日ちゃんの全身が押し当てられた。
熱い吐息が直接肩にかかる。
びくりと腕が震えるくらい緊張がはしる。
当然そこに意識が集中する。
肩に押し当てられる夕日ちゃんの唇の感触がはっきりと感じられる。
動けるわけがなかった。
「あったかい……」
寝言なのだろうか。
幻聴かもしれない。
ああ、でも肩にふれた夕日ちゃんの唇が動き、確かに何か言葉を発したことがわかってしまう。
男の身であるなら体に毒すぎて身悶えしていただろう。
女性の体で助かった。
僕はもう小説の内容すら定かではない状態でまたも思考停止するのだった。
時計の音がやけに大きく聞こえる。
そしてーー天の助けか。
静寂を破る音がした。
「ただいま。夕日? 祐希くん? 帰ったわよ」
玄関を開ける物音がした。
慌てた夕日ちゃんが「ふあ」と寝ぼけながら起き上がる。
夕日ちゃんの吐息が離れていくのが少し寂しい。