仮面の悪魔は優雅に広場へと降り立った。
翼を折り畳み体内へ収めると、その姿は一層人に近くなる。彼が纏う衣服はこの辺りでは見ないスーツと呼ばれるもので、南方の国で着用されているらしい。王国民には奇異な出で立ちに思えるが、不思議と貴族のような気品を漂わせていた――しかし、臀部辺りから生えた尻尾と禍々し過ぎるオーラが全てを台無しにする。
民衆は薄々感じ取っていた。
王都で起こった悲劇を知らなければ、きっと気付かなかったであろうが、その悪魔は王国にて有名になり過ぎた。それこそ、いま奴が対峙している英雄と同じくらい。いや、仮面の悪魔こそが漆黒の名を英雄にまで押し上げ、仕立て上げたと言っても良い。
「ヤルダバオト……のこのこ私の前に現れるとは、今度はどんな悪だくみをしている?」
「おやおや、失礼ですね。私はたまたま、偶然、空を散歩をしていたらモモンさんをを見かけて声をかけただけですよ」
「見え透いた嘘はいい、殺し合いをしたいのならそう言え。受けてたとう」
「クク……貴方も大概でしょう。こんな場所で、私と戦う? 貴方が? 下手な冗談だ」
モモンは背中より二本のグレートソードを抜き払うが、ヤルダバオトはそれすら嘲り笑う。
周囲の大気が痺れるように震える。英雄譚に語られる両雄が再び相見え、刃の如く鋭い殺気をぶつけ合っている。下等なモンスターであればこの空間にいるだけで恐怖に震え、尻尾を巻いて逃げ出すだろう。だからこそ、逃げ出しもせず少し離れた場所で見物しようとする愚かな人間という種を、仮面の悪魔は心底見下した。
「愚かしい……そうは思いませんか?」
「見解の相違だな。私は案外、野次馬根性というものも嫌いではない」
「それは残念です。やはり貴方と私は相容れない存在なのでしょう」
「わかりきったことを」
「こういう確認一つ一つが、相手を知る上で重要なのですよ」
仮面の奥で、悪魔が狡猾に笑う気配がある。
モモンは片方の剣を石畳みに突き立て、柄に肘をかけながら気怠そうに話を促した。
「私はモモンさんのことが気になっているのです。知りたくてたまらない」
「……正直、寒気がするんだが」
「それは僥倖。モモンさん、貴方は一体何者なのですか? そのふざけた力は一体? どこからやって来て、どんな生活を送ってきたのか? 恋人は、家族は、大切な人は? どうして戦うのです? どうしてもっとその力を私欲のために振るわない? 貴方は今、何を考えているのでしょう? どうか一つ、教えてくれませんか?」
捲し立てるように疑問が並べられる。
矢面に立つモモンはしばらくの沈黙の後、鼻で笑うように肩を揺らした。
そして、もう一本の剣を持ち上げその切っ先を対峙する悪魔の仮面へと向けた。
「私からお前への返答に、
「――――御尤もでございます」
ゴウッ! と凄まじい衝撃が周囲を蹂躙する。それは殺気や気合いという曖昧なものではなく、確かな破壊を伴っていた。
モモンが地面へ突き立てた剣に力を込めたのだ。それだけで歪が起こり、広場の石畳はひび割れ砕け巨大なクモの巣のような模様を広げていく。
突然の破壊に周囲から悲鳴が上がる。そこでやっと野次馬たちは現状の危機を微かに感じ取ったらしい。
ちらほらと、逃げる人影あり。されど未だ無駄な根性を発揮する者もあり――――モモンは叫んだ。
「アルシェ!」
「ッ――――はい!」
「一人でも多くこの広場から逃がせ! 今からここは地獄に変わるぞ!」
突如名を呼ばれ、漆黒の鎧の背後に隠れていた少女の意識が浮かび上がる。
彼女は仮面の悪魔に、かつて見た最悪の化物――アインズ・ウール・ゴウンと同じ隔絶した力を感じ取り竦み上がっていた。そこへ英雄の喝が入り、すぐさま状況の理解に動き出す。そしてこの広場には未だモモンにとって好ましくない状態にあることを悟る。
――――地獄に変わる。
その未来を想像し、背筋に冷たいものが走った。
「皆! 逃げてッ! ここは危な――――」
役割を理解したアルシェの声を遮るように、轟音が響き渡る。
モモンが一息に距離を詰め、ヤルダバオトに斬りかかったのだ。上段からの振り下ろし。力任せの一撃であったが、その尋常ならざる膂力から放たれる剣激は奇跡すら肉眼で捉えさせない神速。ヤルダバオトはこれに対応し、巨大に膨らませた腕で防ぐがそれでも抑え込まれ、圧し潰されそうになっている。
「早くしろ! コイツをいつまで抑え込めんでいられるかわからん!」
「グッ……さすがはモモンさん。正面からの力勝負では勝ち目はありませんね。なら――――悪魔の諸相:触腕の翼」
仮面の奥に浮かぶ悪魔の微笑。狡猾で悪辣な策を思いついたのだろう。
次の瞬間、ヤルダバオトの背中より新たな翼が生え出でる。異様に長く平たい触手のようなものが羽根として寄り集まってつくられた奇怪な翼。
それがどのような能力を有するのかアルシェには見当もつかなかったが、モモン勘付いたのか、あるいは以前戦った時に見たのか、即座に動いた。
ヤルダバオトを蹴りを叩き込み吹き飛ばすと、距離をとって剣を構える。彼が立つ場所は、背後にいる逃げ惑う人々や腰を抜かして動けなくなった者を庇い、守る位置。
重厚な剣圧から解放されたヤルダバオトは大仰に両腕と翼を広げると――――平たい羽根が無数に射出されたが如く伸び前方へ襲いかかった。アルシェはその羽根一本一本が、人を容易く死に至らしめる威力を秘めていることを察した。
力なき少女は目を瞑り、身構えてしまう。
だが悲劇は起こらない。
モモンが迎え撃ち、雷雨の如く苛烈に剣を振るいことごとくを切り伏せていく。
地面へ舞い落ちる触手の残骸はテラテラとした光沢を持ち、気味の悪い美しさがある。
「おや? モモンさん、確か貴方の相棒は美姫ナーベのはず。彼女はどうしたのですか?」
「彼女とはチームを解散した」
「なるほど。それで彼女の代わりにそこの小娘を、と……しかし貴方の相棒としては随分情けないですね。英雄たるもの傍に侍らせる者も選ばないといけませんよ。漆黒の名声は貴方一人のモノではないのですから」
まるで本当にモモンのことを憂いているかのように首を横に振る仕草をする悪魔。アルシェ自身も気にしていることを的確に抉ってくる。モモンはそれを、くだらない、と吐き捨てた。
「それはお前の決めることじゃない」
「確かに、謝罪しましょう。そして油断し過ぎではないでしょうか?」
再び羽根が伸びる。当たり前のようにモモンはそれを容易く防ぐが――――一本だけ、ヤルダバオトの前方ではなく右方に伸びていた。その先には、逃げ遅れた子供の姿。混乱に泣き喚くしかない非力な存在。その喉元へと凶悪なほど鋭利な触手の羽根が届く、その瞬間。
「――――お前こそ油断しているんじゃないか。私の相棒を舐め過ぎだ」
羽根が弾かれる。代わりに第三位階魔法によって生み出された防壁がたった一撃でひび割れ、砕けた。しかしヤルダバオトの一撃から子供を守ることには成功した。
アルシェは次の魔法を準備しながら、子供のもとへと走る。
横目でその姿を確認し苛立たし気な雰囲気を醸す仮面の悪魔へ、モモンが再び斬りかかった。
「人間ごときに防がれるとは思っていなかったか?」
「……本当に目障りな人だ、貴方は。悪魔の諸相:鋭利な断爪」
鋭利に伸びた爪でグレートソードを受け止めるヤルダバオト。
そのまま至近距離の攻防にもつれ込む。
狡猾な悪魔に対して余計な事をさせない、という立ち回りを要求されるモモンであるが単純な接近戦なら彼に軍配が上がる。おかげで十分な時間ヤルダバオトを抑え込んでいられた。
周囲から野次馬は消え失せた。途中、冒険者ギルドから出て来た冒険者が加勢しようと近寄ってきたりもしたが、アルシェが魔法を使って追い払った。
もうこの広場に残ったのは対峙するモモン、ヤルダバオトとアルシェだけだ。
「まさか、ここまで完全に抑え込まれるとは……忌々しいほどに強いですね」
「最高の誉め言葉だ。アルシェ、キミもここから離れろ」
「はい、どうかご無事で」
寒々しい夜風が吹きすさぶ。赤いマントがはためき、スーツの裾が揺れる。
睨み合いが続き、静寂が延々と引き伸ばされていた。
「……こうしていると思い出します」
「何がだ?」
「王都にて、英雄モモンと大悪魔ヤルダバオトが激突したあの時ですよ」
楽しかった一時に想いを馳せるような穏やかな口調で、悪魔は語る。
「あの時、私は満ち足りていました。正直、肉体を使った争いというのは得意分野ではないので乗り気ではなかったのですが……相手が良かったのでしょうね。モモンとの激戦は私の心を震わせた。私という存在の意義を、戦いの中に感じ取ることができたのです」
「つまり、私がお前を戦闘狂にしてしまったと?」
「違います、自惚れないでください。反吐が出そうだ……」
モモンはヤルダバオトから激しい憤怒の感情を見て取る。
その見てくれと同じく、内側にも仮面を被っていたらしい。
「まあ、いいでしょう。それよりもモモンさん、あの時交わした約束を憶えていらっしゃいますか?」
「……さてな」
「酷い人だ。王都から手を引く代わりに私の仲間となると誓ったでしょう?」
再び、沈黙。
ヤルダバオトは、嗤った。
「冗談です、悪魔流のウィットに富んだジョークですよ」
「面白味の欠片もないな。ではそろそろ始めようか?」
「いえ、この辺りで引かせていただきます。今回は貴方を倒しに来たわけでもありませんので」
「なら何の用だ?」
剣を地面に突き刺し、首を傾げるモモンにヤルダバオトは一枚の紙切れを投げて寄越した。
空いた手でキャッチしてそこに書かれた文字を見てみれば――――。
「招待状?」
「ええ。パーティーを開こうと企画しておりまして」
ヤルダバオトは深々と頭を下げ、客人を迎えるような態度で告げた。
「場所はローブル聖王国。時期は準備が整い次第、風にのせてお知らせしましょう」
「ロクでもない催しになりそうだな」
「とんでもない。悲鳴と呪詛と絶叫が木霊する、そんな素晴らしい宴となりますよ」
「……目的はなんだ?」
「決まっているでしょう。舞台づくりですよ。漆黒の英雄モモンと大悪魔――いや、魔皇ヤルダバオトの決着のね」
ヤルダバオトが翼を広げる。平たい触手の羽根をまとめたものではなく、純粋に空を飛ぶためのものだ。
逃亡の気配を見てモモンが剣を構えるが、ヤルダバオトは肩を竦めて牽制する。
「招待状も受け取っていただけましたので、私はこれで失礼します。おっと、追って来るなんて恐ろしい真似はよしてください。でないと、全力でこの都市を巻き込んで戦わないといけないですから」
「……いいだろう、ヤルダバオト。お前の用意した舞台で、その目論見ごと叩き潰してやる」
「お待ちしております。それではまたお会いしましょう」
翼を大きくはためかせると、ヤルダバオトの体は勢い良く夜空へと浮かび上がった。
そして闇夜の中に、その姿を消す。
一人星を見上げていたモモンは手に持つ招待状に目を落とした。悪魔らしい意匠の凝らされた紙切れへ。
「さて、どうすべきか……?」
結局、ヤルダバオト襲撃という大事件のせいでモモンはこの夜足止めをくらった。
行政や組合など関係各位へ事の顛末を伝える、事態を収拾へと向かわせた。王都が受けた被害を考えれば、混乱は驚くほど簡単に収まった。
物的被害の出たのは中央広場周辺のみであり、損害も石畳が破壊され尽くしたこと以外軽微なもの。それも魔術師組合が総出で挑めば明日の朝にはある程度修復できると言っていた。
事実、今日もエ・ランテルは賑わっている。
「逞しいものだ」
「そうですね。でも、昨日の今日で元通りなのはモモンさんのおかげだと思います」
「私はただ都市長殿に頼まれて、挨拶回りを翌日にしただけなんだが」
「それでいいんです。それだけでいいんです。英雄っていうのは、ただそこにいるだけで皆を安心させられる存在なんです。身を持って体験した私が言うのだから、間違いありません」
微笑むアルシェに、モモンは頭――両頬付き兜の後頭部を掻いた。
「なんというか、そう言われると照れ臭いな」
ヤルダバオトを撃退したモモンが一晩エ・ランテルに留まったことで、市民たちの不安は払拭された。もちろん全てではないが、それでも怯えて震える夜はのり越えられたのだ。
だから、心配することなく彼は旅に出ることができる。
ヤルダバオトを追う、というもっともらしい理由も得た。
妹たちを残して行くことは不安があるが、それでもアルシェは少しだけワクワクしている。
フォーサイトの仲間たちと初めて冒険の依頼を受けた時を思い出した。
「それで、モモンさん。これからどこへ行きましょうか?」
「そうだな……話をしたい人物がいるんだ。まずはその人に会いに行こうかと思う」
「その方はどちらに?」
「王都だよ。ついでにヤルダバオトの情報も集められるかもしれないし、丁度いいだろう」
次回はナザリックよりお送りします(多分)