2018.10.07 加筆修正(内容変更なし)
酷い雨だ。矮小なこの身を打ちつける。
世界そのものが泣いているかのようだ。
雨除けの外套を被ってはいるが、それでも冷たい雫は体力を奪っていく。
視界の見通しも悪く、馬に乗って駆けるのもいい加減辛くなってきた。
いきなり雨が降りつけてきて、中継の目的地をエ・ランテルから近隣の村へ変えたのは正解だった。
ザアザアという音に負けないように、先頭を走るモモンが声を上げる。
「皆さん、もうじきカルネ村です」
「はい。それにしても凄い雨。カッツェ平野に着く頃には晴れるといいのだけれど」
蹄に弾かれ泥が跳ねる。
彼のすぐ後ろに着けるラキュースが、目で周囲の状況をうかがう。
ほど近くにトブの大森林があるため、ゴブリンなどのモンスターが姿を見せてもおかしくないからだ。しかしそれは杞憂だろう。さすがの奴らも、この雨の中わざわざ人を襲おうとは思うまい。実際、村にしては立派な塀に囲まれたカルネ村にまではなんの遭遇もなく辿り着けた。ただ門番として雨外套を被った随分と屈強な
今まで持っていた小鬼という種族への印象を大いに壊してくれる個体に村長宅へ案内される。立派というほどのものでもない、一般的な村家屋という風情の建物だ。
扉を開ければ、若い女性が出迎えてくれる。
「ようこそカルネ村へ……あっ、モモンさん。エ・ランテルでは助けていただきありがとうございました」
「ん? ああ、そんなこともありましたね。いえ、お気になさらないでください」
若い女性はエンリ・エモットというらしい。明るい笑顔を見せ、如何にも村娘といった出で立ちではあるが、彼女がこの村の現村長であるらしい。最近村長が交代したそうだ。辺境の村ならば比較的若い者が村長など代表を引き受けることはままあるが、それでもエンリの歳を考えると異様なほどに早い。
それだけ彼女にはリーダーシップを発揮できる素質があるということなのだろう。
モモンが素晴らしいと称えると、彼女は気恥ずかしくも少し複雑そうな表情で微笑を浮かべた。
「それで、お願いがあって伺ったのですが――――」
世間話もそこそこに、モモンは事情をかいつまんで話した。
「この雨の中、エ・ランテルまで向かうのは厳しいので、一晩村に泊めていただけませんか?」
「はい、それは構いません。ただ、こんな辺鄙な村ですから客人をもてなすだけの場所がないんです。それでもよろしければ、空き家が幾つかありますのでそちらを使ってください」
「雨風さえ凌げれば問題ありません。ありがとうござます」
また小鬼に案内され、村長宅から少し離れた空き家へ一行は移動する。
本来ならまだ日の昇っている時間帯だが、分厚い雲に覆われた曇天は世界を薄暗く陰らせていた。時折、稲光が走ったりしていよいよ本格的に荒れ始めるのだろうと思わせた。
気分が下降線を辿る中、前を歩く小鬼へモモンが声をかける。
「それにしても、随分と立派な塀ができていますね。以前来た時のものとは比べ物にならない」
「ええまあ、この村も色々大変でしてね。次いつ災難が襲って来るかもわかりませんから。とある
アルシェは視線を遠くへ向けた。村の景色の向こう側には、必ず塀が見える。
来た時も思ったことであるが、確かに立派な塀である。高く、頑丈そうで、一体この辺境村のどこにあれほどのものを組み上げられる底力があるのか、という疑問が浮かぶほどだ。さらには見張り台も東西に建っている。
普通の村なら、ここまでの塀は作れないし、見張り台の必要性もそれほど高くない。
だが話を聞くに、どうもこの村は最近悲劇に襲われたらしい。外敵への警戒心が非常に強くなることにも頷ける。
協力をしたという魔法詠唱者はよほどの人格者なのだろう。
失礼だが、この村に肩入れしたところで利益が得られるとはアルシェには思えなかった。だからつまり、なんの見返りも求めずただ人助けをした、ということなのだろう。
視線を前へ戻す。
小鬼と隣り合って歩く、漆黒の戦士の背中が目に入った。
「それはそれは、素晴らしい御仁がおられるのですね」
「……うーん。そう、ですね」
「おや? その魔法詠唱者の方に何か思うところがあるのですか?」
「いえ……その方ではなく使者として送られて来るメイドの方がね、なんというか薄気味悪いんすよ。ヤバい気配をバリバリ感じちまって」
他愛もない会話が続く。
しかし、モモンは何気なく話しているがどうして人の村には小鬼がいるのだろうか?
ちらと視線を後ろに向ければ“蒼の薔薇”の面々も、少し訝し気な視線を向けている。多分これでも人間のリアクションとしては随分と抑えられている方だろう。それほど小鬼という種族は粗暴で乱暴だというイメージが根強い。
「――――この雨で冷え込みますし、暖炉にくべる薪を持ってきます」
「すいません、わざわざ」
「いいんですよ。旦那方はエンリの姐さんが迎えた大切な客人。なら仕える俺たちも、できる限りのことはさせてもらいますんで」
空き家は、綺麗に掃除されていた。埃はほとんど積もっておらず、暖炉もすぐに使えそうだった。
つい最近まで誰かが住んでいたのか、それとも急に誰かが入居することになっても問題ないように管理されているのだろう。
小鬼が持ってきてくれた薪で暖炉に火を起こす。
雨に打たれ冷え切った体には至福だった。渡された布でまず濡れた髪を拭く。
「七人で使うにはちと狭い家なんですが、雨漏りや隙間風を気にしなくていいのがここしかないんで、悪いんですが我慢してください。あっ、もしよければ旦那一人ぐらい、俺たちの家で寝てもらっても構いませんよ?」
「そうですね……」
モモンが同行者たちに視線を移す。
そこにいるのは全員が女性だ。モモンにとってこの狭い家は、ある意味居心地が悪く感じることになるかもしれない。そのことを考え小鬼が気を利かせてくれた発言なのかもしれないが、最後にアルシェの顔を一瞥すると彼は断りの言葉を述べた。
「すいません。私もここで一晩明かさせてもらいます」
「……旦那がそれでいいなら構いませんけど」
「はい、どうせ同じ夜を過ごすなら美女と一緒の方がいいですからね」
「まっ、それもそうっすね」
モモンの冗談交じりの言葉に、小鬼は邪悪な表情を浮かべた。
それだけ見ればつい戦闘態勢に入りたくなってしまうが、会話の流れを見るに多分笑みなのだろう。異種族の感情を読み取るのは随分と難しいようだ。後ろにいるイビルアイが何やらそわそわとしている気配を感じながらも、アルシェは申し訳なさに俯いた。
「な、なあガガーラン。よ、夜……私は一体どうすれば?」
「うるせぇ。とりあえず落ち着けイビルアイ」
「もっと幼かったら許せた」
「同性だったらアリだった」
「貴方たちね……」
役目を終え小鬼が立ち去ろうとすると、モモンが引き止めた。
「バレアレ氏はいま村にいるだろうか?」
「バレアレっていうと、薬師のンフィーの兄さんのことですかい?」
「ンフィー……そう、ンフィーレア氏とその祖母リイジー氏のことです」
「でしたら家に籠って研究してるんじゃないですかね。この雨じゃ外に出るとも思えませんし」
「何度も申し訳ないが、彼らの家まで私を案内してもらってもいいですか?」
「構いませんが、濡れたままですし乾いたころにもう一度迎えに……ああ、そういうことですか。わかりました、そんじゃあ行きましょうか」
知人に挨拶をしてくる、と言ってモモンが出て行った。
残されたのは女性六人。それぞれの格好に目をやると、一名を除きびしょ濡れだ。雨外套を被ってはいたが、鎧には水が滴り、衣服は水に浸したかのよう。下着もどうようだった。いくら髪を拭いて暖炉の火にあたったところで意味がない。とりあえず、全部脱いで濡れた体を拭うのが先だろう。
唯一濡れていないイビルアイが口を開いた。
「さすがはモモン様、紳士的だな……」
「美女ばかりの空間に、照れただけかもしれないぜ?」
「案外ムッツリ」
「なっ!? も、モモン様はムッツリなんかじゃない!」
「というか、ガガーランがいるから美女
「ケンカ売ってんのかティナ?」
「はいはい、皆さっさと着替えちゃいましょう。のんびりしてたら、モモンさんを外で待たせちゃうかもしれないし」
リーダーであるラキュースが仕切ると、彼女たちは手早く装備を脱ぎ始めた。
アルシェも部屋の隅に移動し、濡れた衣服を脱ぐ。服が張り付いた不快感からの解放に息を吐く。女性ばかりの空間だ、その肢体を晒すことに抵抗はない。だが如何せん、居場所がないような不安定さを覚えてしまう。
傍にいるのは正真正銘のアダマンタイト級の冒険者たちである。
お零れ、あるいは付属品と呼ばれるべき自分がいることが、場違いに思えてならない。
だからなるべく彼女たちの視界に入らないように距離を取ったのだが……。
「ひゃッ!?」
「……アルシェの肌、スベスベ」
濡れた体を拭いていると、いきなり背後から抱きつかれた。
間抜けな声を上げ振り返れば、双子の片割れが色っぽい目で見返してくる。
確か名前はティナ――いや、ティアの方だろうか? 似すぎていて違いがわからない。
「ちょっ、えっ、なっ……はなしッ、いや、ちょっと!? どこ触って――――」
「今夜一緒に寝よう?」
「……はい!?」
「だから、寒いからこうやって抱き合いっこしながら寝よ?」
肌と肌が触れ合い、ティアの手があらぬ場所まで這いまわる。
混乱するアルシェはジタバタと暴れるが、上手く力をいなされて抵抗にもならない。
色々と自身に危機が迫っていることを本能的に理解して、さらなる戸惑いに陥る彼女に助け舟が出された。
「ティア、やめなさい」
「最近ご無沙汰で寂しい。じゃあ代わりにボスが相手して」
ラキュースは微笑む。だがそれは肯定の意味ではなく「いやだ」と顔に書いてあった。
ならば手中に収めた娘を頂かんとさらに触ってくるが、もう一隻の舟が出された。
「そのくらいにしてやれ」
「イビルアイまで……」
「ちなみに言っておくが私も御免だぞ」
「ぶー」
頬を膨らませ名残惜しそうにしながらもティアが離れる。荒くなった息を落ち着かせ、アルシェは仮面の少女へ向き直った。
「あ、ありがと――――」
「情けない。それくらい自力でなんとかしてみせろ」
鋭い言葉が心を抉ってくる。
正直、アルシェはイビルアイが苦手だった。仮面の奥から睨まれている気がする。敵愾心を抱かれるようなことをした憶えはないのだが、どうにも嫌われているらしい。それだけではない。あの雨の中、彼女だけ濡れていないのは魔法詠唱者であるからだ。しかもアルシェと同じ魔力系。
その実力のほどはわからないが雨除けの魔法を使う余裕がある分、少なくともアルシェより格上だろう。だというのに、彼女からは魔法詠唱者のオーラが見られなかった。アルシェは“看破の魔眼”とでも呼ぶべき
魔力系魔法詠唱者でありながらオーラがアルシェの目に映らないということは、なんらかの方法で隠匿しているということになる。それだけなら稀に敵対者の対策としてしている者もいるが、彼女にとっては吐き気を催させるような記憶がある。
アインズ・ウール・ゴウンもまた、その魔力を隠匿していたのだ。
その解放された圧倒的オーラを見たアルシェは、恐怖に支配された。
そんな過去があるが故に、顔を隠し魔力まで隠すイビルアイを無意識に苦手と感じていた。
「アルシェ、といったか。お前は本当にモモン様の相棒なのか? どうにも役者不足に思えてならない」
「それは……」
答えられない。答えだけならとっくに胸の内に出ているのに。
彼女の疑問は正解だ。だから言葉にできず、声が出ない。
「ちょっと、イビルアイ――――」
「黙っていろ。これはそいつにとっても重要なことだ」
仮面に入ったヒビのような隙間から、鋭い視線を感じる。アルシェよりも幼く思える体躯だが、その佇まいは長年の経験を積んだ者の風格があった。威圧されているような感覚から、つい体を拭いていた布で身を隠し逃れようとしてしまう。
「答えろ、どうなんだ?」
「……その、通り。私は弱くて、とてもモモンさんに吊り合った魔法詠唱者じゃ――――」
「そんなのは当たり前だ。あの強さに吊り合う人間なんておそらく世界中探してもいない」
「えっ?」
イビルアイは、アルシェ、ティア、ティナ、ガガーラン、ラキュース、そして自らを順に指差して言う。
「この中にいる誰も、私を含めて彼にとっては足手纏いにしかならない。アダマンタイト級と呼ばれる者たちでも、だ。お前の前任だったナーベも凄い奴ではあったがモモン様と肩を並べるには力不足だったろう」
それくらい実力に開きがある、と彼女は紡ぐ。
確かにヤルダバオトとの一戦を思い出せば、あの動きについて行ける者がいると言われても疑ってしまうだろう。
「なら、私が聞いているのは覚悟の話だ。お前に彼の隣に立つ覚悟はあるのか?」
「覚悟は……」
ある、と即答したかった。
アルシェは口ごもる。
エ・ランテルの町でアダマンタイトのプレートを身につけた時、決めたはずだった。
たとえどれだけ周りに蔑まれても、彼の横にいるのだと。
彼女と妹たちを救い、冒険者として誘いの手を伸ばしてくれた恩人の役に立ちたい。どんな方法でも役割でも構わなかった。少しでもあの英雄に報いたかった。
だが、現実はどうだろうか。恩を返すどころか、迷惑をかけてばかりだ。
人間の英雄である“蒼の薔薇”の面々と情けなく弱い己を比べ、覚悟どころか自信すらも無くしてしまった。その心には雲がかかり、自意識はズブズブと奥底へと沈んだ。
誤魔化すように暗示の一つでも自らにかけてみたが、浮かぶのは引き攣った笑み。
たとえ一時でも悩みを忘れ当たり前のように振舞えていても、無意識の中でいつだって不相応を感じていた。
――――今だって……。
俯き、気迫を失ったアルシェ。
その姿を見てイビルアイはわざとらしく大きくため息を吐いた。
「質問を変えよう。モモン様はどうして足手まといにしかならない仲間をつくると思う?」
「……」
その質問に、一体どれだけの意味があるのか。
――――わかるはずがない。
アルシェはただの人間だ。英雄とは違う。
彼ら、彼女らの眩い信念に憧れることはあっても、理解することはできない。
「貴女は、わかるの?」
「少なくとも、お前よりはな」
自信に満ち溢れた声。たったそれだけで、嫉妬すら覚えてしまう。羨ましい限りだ。
彼女ならモモンの隣でも相棒としてやっていけるのかもしれない。
――――弱くて、守られることしかできない私とは大違い。
そんなアルシェの負の側面に寄り添った思考を読み取ったのか、イビルアイは強い感情の籠った声で釘を刺した。
「お前と彼の間に何があったのかは知らん。だが庇護対象として守るため、なんて言ったらぶっ飛ばすぞ」
遠くで雷鳴が響く。その轟音は、アルシェの意識を横切り何事もなく過ぎ去った。
仮面の奥、隠された瞳と視線が交わるのを感じた。
「でも、私は弱い。彼にとっては、きっとなんの役にも立てない」
「彼は役にも立たない弱者を仲間にして危険な場所へ連れて行ったりはしない。そんな無責任な男ではない……と私は思う。間違いない」
庇護対象ならそういうものとしてしっかり守るだろう、と彼女は言う。
「期待されてるんだよ、お前は」
「期待されてる……私が?」
イビルアイが頷く。しかしアルシェの反応は鈍い。煮え切らない態度に、苛立ったのか荒げた声で捲し立てる。
「ああそうだよ! あの強い男に必要とされてるんだぞ! だというのに、うじうじうじうじうじうじとッ! ずっと自信のない顔してッ! 辛気臭くて鬱陶しいッ! そんなに苦しいなら代われ、羨ましいッ! ……………………ゴホンッ、いや最後の一言だけは忘れろ」
不意に正気に戻り、咳払いを挟んで仕切り直される。
「たとえ弱くとも彼のためにやれることはいくらでもある。たとえば彼が強敵と一対一で戦えるよう露払いしたり、彼が全力で戦えるように周りの状況を整えたり………お前にだって役立てることが一つや二つ、あるはずだ」
いつの間にか、仮面の隙間から感じる視線に険がなくなっていた。
二人のやり取りを見守る者たちも、やれやれと肩を竦めている。
「そんなもの本当にあるのか、って顔だな? あるさ。ないなら作れ、考えろ。どんなに苦しくても、辛くても考え続けろ。それがあの英雄の隣に立つということだ」
イビルアイの言葉が、アルシェの心の中に流れ込んでくる。一字一句が熱を持ち、脈動し、どうしようもなく強く意識させられた。雲に隠れ、沼に沈んでいたはずのアルシェの意思が浮かび上がる。
「もう一度だけ聞くぞ、お前に覚悟はあるのか?」
「…………ある。私は、彼の隣を歩く」
自らの肯定は、朧気だった意思の輪郭を明確にさせた。
何をしたいのか、何をしなければいけないのか。迷走していた彼女の心にかかった霧が晴れた。息苦しさが消えた。草原の澄み渡る空気を、胸いっぱいに吸い込んだような気分だ。
日頃、無表情気味なアルシェの顔に笑みと呼べるものが薄っすらと浮かぶ。
それを見て、イビルアイは視線を逸らした。世話が焼ける、とでも言いたげな仕草だった。
「その言葉、決して忘れるなよ」
「うん――――ありがとう、イビルアイさん」
「イビルアイでいい。まったく……」
ブツブツと文句のようなものを垂れ流しながら、暖炉に両手をかざす。
そんな彼女を見て、仲間たちは微笑ましいものを見たかのような表情を浮かべた。
「ウチの魔法詠唱者は素直じゃねぇな。そのくせ面倒見がいい」
「ふふ、そうね」
「ツンデレ」
「可愛いところある」
「うるさい! 聞こえているぞ! さっさと服を着ろ! 体が冷えて体調を崩すぞ!」
以上テコ入れ回、もといサービス回でした