モモン・ザ・ダーク   作:テイクアンダー

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本編開始。

原作第七巻、フォーサイトがアインズ様に弄ばれ、アルシェが慈悲を与えられそうになるところからです。


捻じ曲がる運命

 アルシェ・イーブ・リイル・フルト。

 大陸西部にあるアゼルリシア山脈、その東側の領地を治めるバハルス帝国においてワーカー(汚れ仕事も請け負う冒険者のようなもの)として生計を立てている少女だ。フォーサイトと名乗る四人組のワーカーチームで魔術詠唱者(マジックキャスター)としての役割を担っていた。

 

 未だ十代後半ほどであるが、さらに年若き頃より第三位階の魔法を扱える天才である。

 そんな彼女がどうしてワーカーなどという下賤な職に就いているのか――――という話は一旦置いておこう。

 彼女は今、まさに死の淵にあった。

 

 始まりは帝国の貴族であるフェメール伯爵からの依頼で、未発見であった墳墓の調査を請け負ったことだった。

 彼女の所属するフォーサイトの他にも三チームのワーカーが参加し、集団で墳墓の内部に潜り込んだ。初めは順調だった。目が眩むような財宝も見つかり、お金に困っていた彼女は大変喜んだ。

 

 しかし事態は一変する。転移魔法によりフォーサイトの四名は墳墓内にある闘技場へといきなり移され、アインズ・ウール・ゴウンと名乗った墳墓の主と相対した。リーダーであるヘッケランは助命を乞うたが、その過程で虎の尾を踏んでしまったらしく敵対は確実なものとなってしまった。

 

 恐るべき――化物としか言い表しようのない――力を持ったアインズの真髄を垣間見、心が折れたのだったが、チームメイトたちは自らを犠牲にして彼女を逃がしてくれた。

 

 きっと他の三人はもう……。

 受け入れ難くも諦めるしかない現実に打ちひしがれながら、それでも彼女はひたすらに逃げた。

 

 そして――――。

 

 ナザリック地下大墳墓第六層、森林と夜空に彩られたこの場所でアルシェは宙を駆けた。第三位階魔法〈飛行〉による飛行能力を持って森を飛び出し、精一杯夜空の彼方へと逃げてしまおうと動いたのだ。しかしその逃走劇は見えない壁によって阻まれた。

 

 壁。壁。壁。壁。

 

 どこを触っても、何も無いはずの夜空に見えない何かが立ち塞がっていた。

 肩口あたりで切られた艶やかな色の髪が揺れ、整った気品ある顔立ちが疑問と苦悶に歪む。

 逃げ道がわけのわからないものに塞がれ、彼女の胸中は絶望に包まれた。

 

「これは一体?」

「壁よ」

 

 鈴を転がすような声がした。誰のものか理解していたアルシェは草臥れた顔で振り返った。

 そこにいたのは銀の美しさを持った少女。真紅の双眸、白蝋のような白い肌。その肌を隠すように黒いボールガウンを着ている。元貴族であるアルシェですらみたこともないような美貌に、不気味な笑みが浮かんでいた。

 

 彼女はアルシェを逃がすまいと追って来た追跡者だ。

 あの怪物が送り込んできた者だ、たとえ第三位階の使い手であるアルシェでも勝てる見込みは皆無だろう。そして完全に追いつかれてしまった。

 

 銀の少女曰く、ここは地下だという。

 何を馬鹿な、と思うがあのアインズ・ウール・ゴウンという存在を見た後ではウソではないと信じられた。

 この地点で少女は悟った。

 ――――もう自分は生きて帰ることはできない、と。

 

 魔力を使い果たした魔法詠唱者が最後に取れる足掻きなど、一つしかない。

 フォーサイト最後の一人としての矜持をのせて、杖を持つ手に力をこめて銀の少女へと襲いかかった。

 

「はいはい、ご苦労様」

 

 しかし儚い抵抗も虚しく、あっさりと受け止められて捕まってしまう。

 抱き合うように拘束され、美しき少女の艶めかしい吐息が首筋にあてられる。

 

 頬を熱い舌が這う。

 美しかった銀の少女の顔立ちが歪んでいく。醜く、おぞましい、怪物へと。

 絶望はとっくに心に暗幕を張っていた。

 

「あはっはっはははあああっ!!」

 

 げたげたと下品な笑い声が響く。

 

 死にたくない。生きたい。

 みんなが逃がしてくれたから。まだ、生きなくちゃいけない。

 

 チームメイトの顔が浮かぶ。残してきた二人の妹たちの顔が浮かぶ。

 涙に滲んだ視界が霞み暗くなっていく。己の不甲斐なさに歯噛みして――――少女の意識は逃避の夢の底へと沈んでいこうとした。

 

 その時だった。

 身体が落下する。重力に引っ張られて、だが硬く逞しい何かに抱かれながら。

 夢に落ちる酩酊感とは違う。現実に起こっていることだ。

 

 ざざざざっ、と凄まじい音がする。肌を掠める痛みから、浮力を失い空中より森の木々の枝をへし折りながら落ちているのだと気付いた。だが、その割には痛みが少ない。まるで、誰かに包まれ庇われているような――――。

 

 一体何が? とゆっくり瞼をゆっくり持ち上げた。

 

「……え?」

 

 アルシェは目を疑った。

 暗い森の中にあって、さらに暗い漆黒の輝きが目に入った。

 それは鎧の光沢であった。来るはずがないと、諦めていたはずの希望だった。

 

「も、モモンさん……?」

「間に合ったようだな。良かった、立てるか? 無理ならこのまま抱えたまま逃げるぞ」

 

 威厳を湛えながらも、落ち着き払い、聞かせる者を安心させるような声。

 ただ、そこにあるだけで弱き者を安堵させる大らかさを備えた英雄の姿。

 

 漆黒の全身鎧を纏い、赤いマントをたなびかせながら漆黒のモモンがアルシェの華奢な身体を片腕で抱いていた。もう片腕には巨大なグレートソードが握られ、赤い液体が付着していた。

 

「……さっきの、化物は?」

「腕を一本切り落としてやったが、あれくらいじゃ止まらんだろうな」

 

 安堵したせいか、それとも疲労と魔力切れによるものか。朦朧とする意識の中で、アルシェは彼が危機から救ってくれたことを理解した。そして、彼ならばあるいは、と諦めたはずのものを思い出す。

 

「お願いします……他の皆が、まだ……」

「そうか。だが、もう手遅れだろう」

「そんな……でも……」

「ここから離脱する。それ以外の選択肢は、今の私たちには存在しない」

 

 有無を言わせない力強い言葉。

 面頬付き兜に覆われたその顔に、生きることを託してくれた仲間たちの影が重なって見えた。

 アルシェは涙を湛えながら、コクリと頷いた。

 

「よし。では行く――――」

「――――アアアアアアアアアアッ!! マてぇえええええ!!」

 

 おぞましい叫び声が響き、森の上空より木々をへし折り何かが飛び降りて来た。

 少女――なんて言葉はもう使えない。血のように赤くなった目が、憎々し気にこちらを睨み。艶めかしかった口元は、バックリと開いて細かな歯がびっしりと生え揃っている。モモンガ切り落としたという腕は両方とも生えていたが、左腕の袖が不自然に短くなっていた。

 おそらく吸血鬼の一種なのだろう、とアルシェは思っているが、果たしてここまで醜くなれるものなのだろうか、とも疑問に思ってしまう。

 

 何より、アレを前にしていると恐ろしさに身が竦み、絶望に心が凍てつきそうになる。

 何かに縋ろうと、一番近くにあった漆黒の籠手にしがみついてしまう。そんな彼女へ、温かい声がかかった。

 

「大丈夫だ。少しここにいろ、すぐに終わらせる」

 

 ゆっくり慮るようにアルシェの体を地に下ろし、モモンはグレートソード片手に化物へ相対する。

 

「援軍が来ても面倒だ、さっさとかかってこい」

「貴様はなんでありんす!? その鎧は!? パンドラズ・アクターは一体!?」

「ぱんどら? ……ああ、あのタマゴみたいな頭の奴のことか。お前の仲間だったのか、それは悪いことをした。少々不意を突いたのだが、存外素晴らしい忠誠心を見せつけられたのでな。生かしてはいる」

 

 その言葉に化物が明らかに警戒の色を強めた。

 距離を測りながら、強い殺意を持って今にも襲いかからんと腰を低くしている。

 十二分に身構えた、隙の無い体勢。それを見て何を思ったのかモモンは嘲笑するように鼻を鳴らした。

 

「来ないのか? ではこちらから――――」

 

 彼が一歩前へ踏み出そうとした瞬間、そのタイミングを狙っていたかのように化物が飛び出した。

 疾風、どころか暴風だ。アルシェの目には見えないほどの速度の踏み込み。瞬時に距離を詰め、顔を覆った兜を狙った右腕が突き出された。

 

 だが、漆黒の英雄はそれよりも速く動いた。

 最小限の動きで立ち位置をずらし狙いを外させたかと思うと、すれ違いざまに両手で握った大剣を化物の胴へと叩き込んだのだ。

 

 その衝撃だけで森全体が揺れる。人食い大鬼程度なら一〇匹まとめて両断できそうな一振り。

 しかしそれでも化物の腹は割かれることなく刃を受け止め、苦悶の声を漏らしながらもなんとかその場で堪えている。

 

「あま、い……甘い甘い甘い! そんな攻撃じゃあ私は傷つかないでありんす!」

「そうか。ではこうしよう」

 

 ゴウッ、と再び森が揺れる。

 

「うおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 モモンが強烈な雄叫びを上げ、一度は止まったグレートソードを握る両腕に力をこめる。

 ミシッ、メシッ、と決して金属と生体が立てる音ではないものを奏でながら、化物の体が後退していく。

 

 そして。

 

「――――オラアッ!!!!」

 

 気合いと共に振り抜かれた大剣。それは腹を掻っ捌くにはやはり至らなかったが、砲弾を放ったかのように化物の体を吹き飛ばした。森の木々の幹をいくつも砕きながら、その勢いは留まることを知らず。闇の彼方へと恐怖の象徴が消えていった。

 

「うそ……」

 

 あまりにもあまりな力技にアルシェはそれ以外の言葉を失ってしまう。

 これが英雄――人の領域を超えた先にある、語り継がれる力。

 

 英雄譚の一端を垣間見せた男は、剣を背に戻し少女の身体を抱き上げた。

 

「さて、今度こそ逃げるぞ」

 

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