英雄というものに憧れていた。
幼心に叔父の冒険譚に心躍らせていたのは、貴族である両親からすれば面白くないものだったのかもしれない。健康であることは良いが、ハツラツとし過ぎたのは貴族の娘としてあまり褒められたものではなかっただろう。きっと淑女らしく育ってほしいと願われていた。
それでも彼女は、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラは冒険者となった。
溢れ出る生命力と意志を行動に変え、家を飛び出したのだ。数々の冒険を繰り返し、人々に英雄として称えられ、齢十九にして最高位であるアダマンタイト級にまで上り詰めた。
命の危機に瀕したことは数知れず。
ただ昔に憧れたような、心躍る冒険も同様に。
頼れる仲間たちとも出会い、伝説に語られるような魔剣を手にし、幾つもの困難を乗り越えて今を生きている。
きっと瞬きの間にその生涯を閉じることになったとしても、彼女は己に関しては満足できただろう。
――――自分はきっと、かつて憧れた英雄のようになれたのだ。
「ウソみたい。これは夢かしら……」
だが、目の前の光景は一体何だろうか。
彼女は自分の中のナニかがひび割れていくのを感じる。
話には聞いていたが、目で見るとそれはとても信じられなくて。
思わず目を逸らしたくなる。瞼を閉じたのは、そんな感情から浮かび出た反応だった。
再び世界を見据えると、未だ白い世界の中にありながら、漆黒の破壊が眼前を横切った。
ゆっくりと目で追う。だもうそこに彼は存在しない。蹂躙され尽くした跡だけが散らばっている。
「ねぇ、ガガーラン……」
「ああ……バケモンだ。とても同じ人間とは思えねぇよ。まずもって剣圧でこの分厚い霧をかち割るなんざ、どんな怪力してりゃ出来る芸当なんだかわかんねぇ」
彼と同じ戦士職であり、人類最高峰の一人でもある仲間の口から出た言葉は重みがあった。
失礼なことだと両者とも理解していても、思わずにはいられない。
漆黒の英雄モモン。
その実力を過小評価していたつもりはなかった。短期間に幾つもの偉業を成し遂げ、瞬く間に彼女たちと同じアダマンタイト級にまで上り詰めた冒険者。かの大悪魔ヤルダバオトへ一騎打ちを挑み、見事退撤退せしめた傑物。
その英雄譚は王国にいれば吟遊詩人の詩にのって勝手に耳に入ってくる。
実際の活躍はイビルアイから耳にタコが出来るほど聞かされた。
同格であると自惚れることはしなかった。
仲間たちと努力し続ければいつかは追いつけるのではないかと、そんな風に思っていた。
――――甘かった。
両手に握られた二本のグレートソードが、棒切れのように振るわれる。
あまりに簡単に振り回すものだから、実はハリボテじゃないかと邪推すらしてしまう。だが、結果起こる竜巻の如き破壊がその下らない考えを否定する。直接その刃が両断したものは勿論のこと、周囲にいた存在もまた剣圧という野太い殴打武器によって吹き飛ばされ、塵へと還る。
そんな破壊が延々と続く。止まることなく、迫るアンデッド師団の波をたった一人で迎え撃つ。端から端へ、まるで閃光の如き動きで駆けまわり三〇〇〇を超える数の暴力を押し返して見せる。
現実を受け入れるよりも、まず夢ではないかと疑うような光景。
その離れ業は、人間の領域を越え、彼女たち英雄の領域も飛び越し逸脱している。
――――これが英雄。これが本物。
今まで憧れを抱いて来たモノたちはなんだったのか。
ラキュースは魔剣の柄を握る手に力を込めた。
「やめとけ。モモンの奴は一人で十分だと言ったんだぞ」
「でも……」
「事実、あれから一体も俺たちに手が届いてねぇ。精々飛び散った残骸くらいだ」
モモンが合流した後、彼は“蒼の薔薇”に休むように言って屍の大群へ突撃した。
彼女たちが口を挟む間もなかった。
そして宣言通りになった。亡者の呻き声と生々しい破壊音が絶え間なく聞こえるが、それ以外は体を休めても問題ないくらいに彼女たちの周囲は平和なものになった。
それが、歯痒い。
いっそ、ヤルダバオトのように隔絶した敵が相手ならば割り切れる。
だがアンデッド師団を構成する下級のモンスターたちは、ラキュースたちにとっても片手間で倒せるような相手だ。殲滅を手伝うことだってできる。だが彼の動きは完璧で、一切の無駄がないように思える。おそらく彼は高速で動きながらも全体を見渡しているのだろう。
そこへ下手に割り込んでも邪魔にしかならない。
手が届きそうで届かない、そんなもどかしさに息を吐いた。
「力不足がこんなにも悔しいなんて……久しく忘れていたわ」
「嫉妬か?」
「……言わないで。余計に情けなくなるから」
「まあ、いつもは俺たちが嫉妬と羨望を向けられる側だからな」
だから仕方ないことだと思う、とガガーランはそんなつもりもなさそうに慰めの言葉を吐く。
肩を竦め、ちらと隣を見た。
「やっちゃえモモンさまー!!」
「イビルアイうるさい。アルシェが起きる」
その姿相応な様子ではしゃぎ声援を送る仲間と、地面に座りその太ももに少女の頭をのせている仲間。ラキュースが目をやったのはその両者ではなく膝枕をされている少女だった。
傷は魔法によって癒されているが、それにしてもこの状況で随分と穏やかな表情で寝ている。
図太い神経をしているようにも思えるが、きっと違う。彼女はきっと普通の人間だ。当たり前のことを考え、当たり前のことを感じる。そう確信しているからこそ、今にして思うことがある。
「悪いことしちゃったのかもしれないわ……」
「何がだ?」
「アルシェさんもきっと同じような気持ちだったんだろうなって。ちゃんと気を配っているつもりだったけど、全然ね。結構こたえるわ、コレ」
「でもアイツはモモンの相棒として役割を果たした。じゃあ、お前はどうだラキュース?」
どうだ、と問われてもそれこそ“何がだ”と返すしか思いつかない。
しかし真剣な彼女の目を見て、問われているものを自覚した。
ガガーランとはかれこれ長い付き合いだ。初期の“蒼の薔薇”メンバーであり出奔した当時、助けてくれた恩人である。そんな間柄だからこそ、何を問われ、何故そんな問いを今投げかけて来たのかもわかる。
――――良い仲間を持った。
信心深く生き、日頃善い行いをしてきたおかげだろうか。
そんなことを半分冗談に考えながらも、ラキュースは胸を張って答える。
「決まっているでしょ。前進あるのみ! もっともっと強くならなくちゃ。目標が大きくなったんだからその分ね」
「ハッ、そうだな。さすがは俺たちのリーダー、そうでなくっちゃいけねぇ!」
片や生命の魅力が溢れ弾けんばかりの笑顔を浮かべ。
片や野獣の如き力強くも頼もしい笑みを湛える。
くよくよしている暇はない。こんな所で心が折れ、諦められるくらいなら幼い時に両親を困らせることはなかっただろう。今こうして笑える彼女であるから、最高位まで上り詰めることができた。そしてこれからも、目標に向かって仲間たちと高め合っていける。
ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラとはそういう人物である。
そんな彼女の傍らに、静まった破壊の権化が着地する。片方のグレートソードを地面に突き刺し、辟易したように息を吐いた。
「終わりが見えないとはこういうことなのでしょうね」
「やはり手をお貸ししましょうか?」
「いえ、それには及びません。恰好を付けた手前、なんとしても一人でやり遂げたいところでして……ただ、代わりと言っては何ですが、アインドラさんに一つお願いしたいことがあります」
もちろん、と彼女は頷く。
内容をまだ聞いてはいないが、彼からの頼みならば断わる理由はない。
だが、続けて彼の口から出た言葉には一瞬耳を疑った。
「その魔剣をお貸しいただけませんか?」
「――――えっ? キリネイラムを、ですか?」
「はい。魔剣キリネイラムをお借りしたい。ダメでしょうか?」
自分の武器を他者に貸すというのはどうしても躊躇してしまう。
しかし相手はモモン。頼みを無下にするのは引け、武器を貸しても問題ないと思えるくらいには信頼できる人物だ。
数秒、僅かな葛藤はあったが彼女は魔剣の柄を彼に差し出した。
「ありがとうございます」
「しかし何故? キリネイラムは良い剣ですが、モモンさんの剣とそう差があるとは……」
「単純な性能比較なら総合してみるとおっしゃる通りですが、この魔剣には私の剣には無い能力がある」
モモンの言葉に持ち主であるラキュースが思い浮かんだのは、キリネイラムに備わる能力――
この威力は注ぎ込む魔力の量に比例する。
もしも超級の魔法詠唱者と同等の魔力量を持つ戦士がこの剣を振るえば――――。
「ですが、その能力は使いません。私では使いこなせませんし」
「えっと、ならば何を?」
「似たようなことですが、今回はこの剣の“逸話”を前借させてもらいます」
意味が解らない。だが彼はそれで説明しきったつもりになったようだ。
また群れを押し返すべく前へと踏み込み、片手に持ったグレートソードと同じようにキリネイラムを振るう。その破壊痕を見ていると、彼が何を狙っているのか少しだけわかった。
「包囲が、崩れている……」
「マジだな。アイツ、敵を押し返すだけじゃなく敵の布陣を崩してやがったのか」
四方八方から押し寄せていたアンデッドの群れは、いつの間にか前方に集中していた。
円周の半分の外側を埋め尽くすように並んでいる。配置を切り崩し、一方向へまとめることで彼はなんらかの範囲攻撃によって一気に殲滅するつもりなのだろう。
そして、その形が納得いくものになったのか彼は再びラキュースたちのもとへと戻ってきた。
「さて、近くに我々以外の生者がいないことも確認しました。仕上げといきましょう」
モモンはもう一本のグレートソードも地面に突き立て、両手で魔剣キリネイラムを握る。
ゆっくりと淀みない動きで上段に構える。すると魔剣に変化が起こった。
剣の内側より漆黒のエネルギーが溢れ出したのだ。驚いたのもつかの間、周囲に広がったエネルギーが渦巻き再びキリネイラムを中心に収束する。
――――その光景は夜空に流れる星々の河を思わせた。
幻想的で美しい。だがその美麗さとは裏腹に、剣に集まる圧力は暴力的だった。
漆黒のエネルギーが圧縮される。その度、世界そのものが軋むような異音がする。周囲を覆う白い霧が霧散していく。
思考をほとんど持たないはずのアンデッドたちからも、どよめきが起こった。
彼はそんなこと一切気にも留めず、天に掲げた剣をそのまま腰の高さで横に引き絞るように構え直した。
瞬間、溢れていたエネルギーが全て魔剣の内へと収まった。
それが何を意味するのか、理解したのであろう
応え、大群の後ろに控えていた二体の
並の冒険者ならそれだけで心臓が竦み上がるような圧力を感じるだろう。
だが、この英雄がその程度で揺れるはずもなかった。
「もう遅い」
冷たい声が響いた。
引き絞られた剣が放たれる。横へ薙ぐような一閃。
剣の軌跡に合わせ、漆黒の閃光が白い世界に走る。
一瞬であった。漆黒のエネルギーは長大な刃と化して放たれ、彼の前に立ち塞がった全てを両断した。
破壊の音はない。ただ、崩れ去る音だけが響く。
後にティナが語るには一〇〇〇以上。
吟遊詩人が謳うは三〇〇〇以上。
膨大な数のアンデッド共を、強弱まとめて一振りで屠り去った。
漆黒の英雄モモンの英雄譚がまた一つ生まれた瞬間。
そして、かの十三英雄の一人の武器とされる伝説の魔剣キリネイラムにもまた、新たな逸話が書き加えられた。
「――――ふむ。やはりいい剣だ」
偉業を成し得ながらも当の本人はなんでもないように、漆黒の刀身を眺め褒め称える。
唖然とし声一つ発せられずにいたラキュースたち。ただ魔剣の持ち主である彼女だけは、モモンが愛剣を持つ光景に僅かな違和を目で捉えていた。
――――刀身の色味が強くなっている?
「ありがとうございましたアインドラさん。お返しします」
「えっ、あっと……はい」
返還され、受け取ったラキュースはまずその握った柄から感じる変化に驚いた。
魔剣キリネイラムに宿っている力が強くなっているのだ。
原因は不明。だがまるで別物と呼べるほど、強力な魔力が宿っているのを感じる。
それでいてこれまで通り手に馴染むのは、不可思議でならなかった。
「モモンさん……一体何を?」
「そうですね、言葉で説明するのは難しいのですが……強いて言うのなら、その剣に眠っていた力を解放した――――というところでしょうか?」
モモンは慎重に言葉を選ぶようにゆっくりとそう語った。
するとラキュースの表情が固まり、ガガーランが称えるように口笛を吹いた。
「へぇ、それってぇとつまりさっきのがラキュースの言ってたやつか。すげぇな、国一つ飲み込むってのも納得だ。しかしモモン、大丈夫なのか?」
「何がでしょう? この通り五体満足で元気ですが」
「いや体じゃなくて。精神を乗っ取られたりしてねぇか、闇のモモンとかに?」
「闇の、モモン……?」
「ラキュースの奴がたまに一人の時に会話してるみたいなんだよ。暗黒の精神が――――」
「ああああああああああああああああああああああああああああッ!! それ以上はダメええええええええええええええええッ!!」
突如絶叫を上げ、顔を真っ赤にしてラキュースが再起動した。
事情を知らないモモンは首を傾げるしかなかった。
ラキュースの明日は如何に?
多分次回でカッツェ平野編が終わります