見知らぬ天井を見上げる。どうやらベッドの上らしい。
この目覚めの感覚は懐かしかった。
ワーカー時代――もっと言えばフォーサイト加入当初、慣れない経験に疲弊し帰路の最中に倒れ、気付けば何処かに横たえられていたなんてことがあった。ヘッケランやロバーデクに背負われ、安全な街まで運ばれていたらしい。
情けない記憶だ。
そして、今回も同じだろうとアルシェは悟った。
濃密な霧の記憶。最後に憶えているのは自らが放った雷の閃光。
目が眩むような光の中で意識が暗転し、落下していく感覚だけが微かに残っていた。
そうして今、木目調の天井を見上げていることを考えると、全て丸く収まったらしい。
肝心な場面を目にはしていないが、彼女の願いは確かに届いたのだろう。
――――みんなは無事だろうか?
いらぬ心配をする。彼女が生きている以上、彼は間に合ったに違いない。
ならば何を心配する必要があるのか。馬鹿らしいことだ、と思考を笑い飛ばして上体を起こす。
視線を左側へ。室内を見渡せば、簡素で使い心地の良さそうな内装であった。
どこかの宿屋の一室にも思えるが、印象としては家屋に設えられた客室の方が近い。あまり主張をしないインテリアに、元貴族でもあった彼女は新鮮という感想を持った。
彼女の身は冒険用の装備は脱がされ、肌着だけになっていた。
色々と迷惑をかけてしまったらしい。そう考えてため息を吐くと、声がした。
「知っているか? ため息を吐くほど幸せは逃げるらしい」
驚きに肩が跳ねる。右側、先ほど部屋を見渡した方向と逆からの声。
振り返ると漆黒の鎧がベッドの傍らに置かれた椅子に腰かけていた。
アルシェがパクパクと口を開閉していると、彼は立ち上がりカーテンを引いて窓を露わにした。そこから見える窓の景色は黄昏時だった。
「よく眠っていたな」
「ぐっすりと……はい……」
そこで彼女は今自身がどんな姿をしているかを思い出した。
慌てて足元の毛布を引っ掴み、肌色を晒す体を覆い隠した。
「お見苦しいところを……」
「……ふむ。ではまず何から話すべきかな?」
「えっと……とりあえず、ここはどこでしょう?」
「エ・ランテルさ。冒険者組合長殿の御宅にお邪魔させてもらっている」
モモンはまた傍らの椅子に座り、部屋の内装に目をやった。
アルシェは未だ治まらぬ気恥ずかしさに目を伏せるしかない。
「彼の厚意に甘えさせてもらった。奥さんの手料理は中々美味だったよ。また後で食べさせてもらうといい」
「そ、そうですか……」
「他に何か聞きたいことはあるか?」
「……もしかして、眠っている間ずっと傍にいてくれたんですか?」
「アインズ・ウール・ゴウンへの警戒も忘れるわけにはいかないからな」
「ご迷惑をおかけしました」
「美人の寝顔を眺めていただけだ。迷惑なんかじゃない」
また歯の浮くようなセリフを吐く彼に、彼女は伏目がちの視線を送る。
言葉にして問いたいものがある。だが、怖くもあって切り出せない。喉にまで出かけていて引っかかる言葉に、結局情けないままだと自嘲する。そしてまた一つ、ため息を吐こうとする。
その直前に、彼は立ち上がった。
「さて、私は少し組合へ顔を出してくる。キミはもう少し休んでいるといい」
「はい……ありがとう、ございました」
「明日の朝には王都に戻るために移動するつもりだ。その予定で考えておいてくれ」
はい、と短く返事をする。
モモンは頷くとその場を後にするよう、ドアに手をかけた。
扉が押し開けられる。隙間から茜色の陽光が部屋に差し込んだ。
その眩さに彼は足を止めた。そして振り返り、アルシェへ言葉を投げた。
「アルシェ、よくやった。これからもよろしく頼む」
短い、たったそれだけの言葉。
冒険者としてならきっと仲間たちから何度となく聞くもの。
だがそれは、アルシェが聞きたかったことへの答えだった。
彼はそのまま部屋を去った。残された少女は一人、しばらく呆然とベッドに座っていた。
ゆっくりと、頭の中で咀嚼する。
聞き間違いではなかったか? 意味の取り違いでもなかったか? そもそも幻覚では?
ネガティブなことばかりが先行して頭に浮かぶが、どれも違う。頬をつねれば確かに痛んだ。
じんわりと熱いものが広がる。ほっぺたと、胸の奥に。
「そうか……私、ほめられたんだ……」
そうしてやっと実感が湧く。彼我の差は激しく、蒼き薔薇たちのように英雄としては振舞えない。それでも彼女は努めた。苦しく辛いあの瞬間を、諦めず考え続け打開した。
――――報われた。
彼の隣に立つ者だと、認められた気がした。
おそらく、きっと、彼はそんな面倒なこと頭にも無いだろう。
だがそれでも……。
「――――やった」
大声をあげて歓喜に震えるのは恥ずかしくて理性が抑えた。溢れ出した分は両の手を握り締め、噛み締める。普段感情を表に出すタイプでないため、誰かが見ておらずともはしたないことに思えたのだ。そしてその判断は正しかった。
扉が開く。見れば、最愛の存在が顔をのぞかせていた。
「ウレイ! クーデ!」
「お姉さま起きた!」
「おはよう? こんにちわ? ……お帰りなさいお姉さま!」
小柄な二人の妹が勢いよく抱き着いてくる。しっかりと受け止め、その温かさを感じる。
そういえば、とモモンが此処は組合長の自宅であると言っていたことを思い出す。妹たちを預けた者の家なのだから二人がいるのも当然だ。ずっと眠ったままだったため、少し心配をさせたかもしれない。
「ただいま。元気にしていた?」
「はい、お姉さま。毎日一杯寝て、一杯お勉強をして、一杯食べてる! おばさまの作るお料理、とっても美味しいの!」
「そう。じゃあ、お利口にはしてた?」
「おばさまのお手伝いをしてるの! お皿洗いに、お掃除。あとお洗濯も!」
妹たちはつらつらと近況を語る。まだ離れ離れになってからそれほど時間は経っていない。だが二人の口からは次から次へと日々あったことが出てくるのだ。それはとても楽しそうで一安心した。一応は貴族の生活をしていた二人だが、順応性は高く変化した生活も満喫できているようだ。
アルシェはコクコクと相槌を打ち続ける。
明日にはまた妹たちの傍から発たなくてはならないからこそ、今この一時を大切にしたい。
「――――それでね、それでね……あれ、お姉さま?」
「どうしたの?」
「お顔、変だよ?」
「へん……?」
「なんだか……とっても嬉しそう」
「お姉さま、何かいいことあったの?」
モモンの後姿が頭に浮かんだ。
アルシェは微笑む。
「うん……とっても嬉しいことがあった」
――――あれでよかっただろうか?
「どうしたんだいモモン君、何か悩みでもあるのかな? 私でよければいくらでも相談にのろう」
「いえ……誰かを導くのはやはり難しいことだと。そう考えていただけです」
「冒険者を引退したら教師か教祖にでも転職するつもりなのかい?」
「それもいいかもしれませんね」
「キミならすぐに大人気だろう」
「どちらも向いていませんよ、私には」
冗談めかした会話を交わす。
机を挟み対面に座る冒険者組合長のアインザックは、少し納得のいっていない表情を浮かべていた。頭部全体を覆う兜を被っているのに変化を見抜かれる辺り、よほど変わった雰囲気であるのだろう。モモンは自嘲的なため息を一つ吐いた。
「ふっ……アルシェに忠告しながらこれとは」
小さく呟く。
幸せが一つ逃げたことにまた一つ……息を吐きそうになって、やめた。
英雄にため息は似合わない。
「しかし良かったのかい、彼女の傍を離れても?」
「先ほど目を覚ましました。問題ありません」
「そうではなく……傍にいたいと言っていただろう」
「警戒は怠っていません。追手がこの都市に侵入すれば私は感知できます」
淡々と言うモモンに、アインザックは眉根を寄せる。やはり何か納得がいっていない様子だが、彼はその心中で考えを割り切り、首を横に振って整理したらしい。
「……まあ、君がそう言うなら私が出しゃばるべきではないな。余計なことを言ってすまない」
「よくわかりませんが、お気遣いを感謝します」
扉がノックされる。受付嬢が茶を運んで来た。
冒険者組合の奥の部屋に通されたモモンは一応客人としてもてなされているようだ。
「それで、単なる報告だけなら受付に申し付けてくれればいいわけだ。いつもキミはそうしようとしていた。だが今回は珍しく私に直接――しかも我が家ではなくここで話したいと申し出た。もちろん私としてはキミから信頼されていると思えて嬉しい限りだが……何があった?」
「彼女に聞かせたくない内容が含まれますので、念のためです」
「なるほど。大まかなことは“蒼の薔薇”からも報告を受けているが、折角だ。ゆっくり聞かせてもらおう」
アインザックはそう言って自分の分のお茶を一口含んだ。
モモンは相変わらず全身隙間なく鎧に包まれ、出されたものに手を付けようとしないが、いつものことだった。彼は両手の指先を合わせ、記憶違いのないようにゆっくり思い出しながら語り始める。
その内容を頭の中で吟味しながら、アインザックは“蒼の薔薇”から聞いたものと擦り合わせを行っていく。結果おおよそ同じ内容であり食い違いもなさそうであると判断する。ただし一つ大きく違っているのは、モモンの働きへの評価であろう。
「相変わらずキミは謙虚だ。もう少し威張っても誰も文句は言わないと思うが」
「そのようなつもりはないのですが……」
「彼女たちは実質キミ一人で解決したようなものだと言っていたよ」
「ならば彼女たちが謙虚なのでしょう」
「私はキミを信頼しているが、それでも目を輝かせながら申し訳なさそうにキミの英雄譚を語っていた様子と見比べれば、今回はあちらを信じざるを得ない」
謙虚も過ぎれば嫌味にしかならない。
そう忠告した上で組合長は好意的な目を絶えずモモンへ向けていた。
「まあ、それも貫き通せば美点だ」
「お褒めに預かり光栄です」
「しかし中々信じ難い話ばかりだよ。アンデッド師団だけでなく高位個体が複数体、それに未確認の“死の騎士”と形容されるような外見のアンデッドか。しかもこの騎士はアダマンタイト級冒険者チームを持ってしても苦戦は必至だとか……異常事態だ」
「はい、自然現象ということはありません。そして、ここからが本題です」
兜の中でモモンの表情が真剣なものを浮かべたのを感じ取る。
アインザックは真正面から見据えるように、耳を傾けた。
「事の顛末は先ほど語ったことです。“蒼の薔薇”の皆さんから聞いたことと大きな差異はないかと思います」
「うむ、その通りだよ。キミが幽霊船を破壊し、一五〇〇にものぼるというアンデッドの群れをまとめて一振りで消し飛ばした」
「その幽霊船を破壊した時です。あの船には五体の
――――黒幕は誰だ?
未だ濃密な霧の中。仲間たちのもとへと駆けつけねばらない焦燥を抱えながらも、これだけは聞いておかなければならない。モモンは芋虫のように地面を這うしかなくなった死者の大魔法使いへ剣先を突き付けた。
「答えは返ってきたのかい?」
「どちらとも言えません。ただ奴はこう言いました――――『不死王、万歳』と」
それは何とも邪悪で皮肉ったような笑みだった。同時に心から心酔した対象へ向ける恍惚とした色も見受けられた。そしてそれ以上何も語らず、モモンは見切りをつけて刃を振るった。
「不死王か……そう呼ばれるような者には心当たりがある。王都に根を張り巡らせている裏組織“八本指”。その中で警備部門最強の六人と謳われた“六腕”の一人に、そのような通り名の者がいたはずだ。直後に発生したヤルダバオトの一件でうやむやになった面はあるが、その者は死亡したと報告を聞いている」
モモンは頷き同意した。
王都で行われた八本指の重要拠点を制圧する作戦があり、アダマンタイト級冒険者である漆黒のモモンにも依頼が回ってきた。その際“六腕”に関する資料を読んでいる。不死王という通り名はそこで目にした事実がある。
だから最初、彼はその“六腕”のことを頭に浮かべた。しかし聞く話によると“不死王”はその名に反して、モモンが到着する前に謎の老紳士に倒されたという。まさか蘇って復讐すべく暗躍しているのか、とも考えたが否定する決定的な要素もあった。
「直接会ったわけでもないので確かではないですが、生死以前に“六腕”の不死王では力不足でしょう」
「そうか。しかし他に心当たりはないな。モモンくんはどうだ?」
「……一名います。しかし、奴もまた違うかと考えていまして」
「理由は?」
「ぬる過ぎる。あの一団の発生が何を目的としたものかは不明ですが、何にしても奴が事を起こすならもっと周到に準備を重ね、強力な存在を置くでしょう」
ぬる過ぎる――その言葉にアインザックは目を見開くほかない。
王国最高戦力とも称される“蒼の薔薇”が、喰らいつくしかできなかったと自嘲するほどの戦力に対しての物言いではない。
いや、だがしかし。アインザックはその発言を捨て置けない。
他でもない漆黒の英雄がそう言ったのだ。彼が最も信頼を置いている冒険者が。
ならばあり得ないという言葉で一蹴することはできない。
もしかすると本当に――――。
モモンがアルシェという少女を気にかけていることと、その謎の存在が繋がる。悪寒がした。ただ座っているだけで威風堂々とした姿になること目の前の男が、もし本当にそれほどの存在を相手取っているのだとすれば……。
「なるほど……アルシェくんに聞かせたくないのはそれか」
「はい。私にとって奴は暫定敵対者しかありませんが、彼女にとってはトラウマでしょう。彼女自身がいつかは乗り越えなければならない問題ですが、関係のないことで不用意に思い出させたくもありません」
「わかった。ちなみに“奴”とやらの名前を出そうとしないのは、そういうことかね?」
「これ以上ご迷惑をおかけするわけにもいきませんから」
申し訳なさそうにモモンが言う。
迷惑というのはアルシェの妹たちを匿っていることだろう。
「キミと私の仲だ、気にすることはない。二人も良い子たちだから手もかかっていない。私たち夫婦には子供がいなかったからね。むしろ最近妻が元気でね、料理に気合が入っていて逆に礼を言いたいくらいだ」
半分は本音である。二人の娘が手のかからない良い子であることは間違いない。妻も張り切っており、夫婦仲も少しばかり円滑になった。本当の娘として迎え入れたいくらいだと頭の片隅で考えている。
もう半分は企みがある。気にすることはない――そう口で言ってはいても本心は恩に着せたくて仕方がない。アインザックはモモンに漢として惚れ込んでおり、どうにか彼にエ・ランテルに帰属意識を持ってもらいたいと願っている。ただ一筋縄ではいかない相手であることも理解していて、恩くらいでは縛り付けるのは難しい。なので血筋という面での束縛も考慮に入れた。もしモモンがアルシェと関係を持つことになれば本気で妹たち二人との養子縁組に取り組む所存であった。
そんな薄汚い思惑を表情の裏に隠しつつ、親愛を浮かべた笑みで組合長は続ける。
「面倒事が起きないよう、今私の家には親戚の娘がしばらく預けられていると広めておいた。これでおおよそキミたちとの関係を嗅ぎ付けられる可能性はなくなっただろう」
「そこまで手を回していただけるとは、ありがとうございます」
「礼なんていらないさ……よし、本題に戻ろう。不死王の件だが、他に誰かに話したかな? もし話していないのならあまり広めない方が良い類の話に思える」
「後ほど“蒼の薔薇”の皆さんには話すつもりですが……やはりそう思われますか」
「キミも同じ考えか。なるほど、だから私にだけ話したということだね」
漆黒の兜が頷いた。
彼は信頼できる地位を持ち経験も豊富なアインザックに、情報の扱いを相談するつもりだったようだ。
「よし、こちらの件も了解したよ。不死王の件、こちらで情報の共有を行っておこう」
「よろしくお願いします。それと可能であれば情報の収集もしていただきたい」
「もちろんそのつもりだが、キミはどうするつもりだ?」
「不死王も気にはなりますが、目下対処に当たるべきはヤルダバオトであると考えています。なので一度王都に戻りあちらの冒険者組合で依頼の処理を終えた後、その足で聖王国へ向かうつもりです」
魔神皇ヤルダバオトの強大さは聞いている。
あの邪悪な存在に太刀打ちできる人間はモモンだけであろうとアインザックも思っていた。
「しばらく王国へは戻って来れないかもしれません」
「ああ、その間に色々と調べておこう。何かあれば早馬であちらの組合に手紙を出そう」
挨拶ではなく互いの健闘を祈って握手を交わす。
モモンは立ち上がり、部屋を後にしようとした。その後ろ姿をアインザックが呼び止める。
「そうだモモンくん。キミが持ち帰ったアレはどうする?」
「お預けします。もし加工が出来そうなら、教えてください」
モモンが去った後、アインザックは一息ついて部屋を出た。
向かった先は組合所の裏手にある倉庫。普段は彼自身が足を向けることの少ない場所であるが、今回は気にかかる物品がある。倉庫の奥の奥、最も人目につかない場所に安置された物体。
それは船に取り付けられるような衝角、その成れの果てであった。
鉱物でつくられたそれはモモンが破壊した幽霊船についていたものらしい。
もしそれだけであれば単なる戦果を示す証しでしかないのだが。
「アダマンタイトを超える謎の鉱物か……」
忙しくなりそうだと長年の勘が告げていることに彼は苦笑いしつつも、年甲斐もなく心躍っていた。
次回、久しぶりにナザリック視点(のはず)