気を失っていたようだ。アルシェが意識を取り戻した時、見たことのある墳墓の外の景色が目の前に広がっていた。
足が地になく、体を抱えられていることに気付いた。視線を上げれば、漆黒の兜があった。
「あ、あの……」
「ん? 目を覚ましたか。ちょうどいい、墳墓を脱出したところだ」
外は薄暗い。だが微かに東から日が昇り始めている兆しがある。
どれくらいの時間あの墳墓の中にいたのか、彼女にはもうわからなくなっていた。意識を張り詰め続け、地下であるのに夜空が広がるという不可思議な光景も見たせいで感覚はもうぐちゃぐちゃだ。
身体は疲労に火照り、喉も焼かれたようにカラカラ。
肌を撫でる涼やかな風も、肺に取り込んだ清々しい空気も至福に思えるほどだ。
「ありがとう……ございます……」
「気にするな。当然のことをしたまでだ」
当然のこと……そう言われ先ほどの地獄を思い出す。
冒険者である彼が依頼されたのは、ワーカーたちが帰ってくるベースキャンプの死守であって、しくじった愚か者共の保護ではない。なのに彼は危機を察知し、救出に動いてくれたのだろう。
あの地獄に……人の領域など遠く及ばない化物が待ち構える居城に、だ。
例えただの気遣いだとしても、あの地獄を潜り抜けて『当然』と口にできる彼は、まさしく英雄と呼べる人物であるとアルシェは理解した。
そんな者の腕の中にいると考えると、安心感で手足の力が抜けてしまう。
だらりと。いい加減目を覚ましたのだから自分の足で歩かなければならないのに。アルシェはその優しさについつい甘えてしまい、ぶらぶらと彼が走る調子に合わせて手足を揺らしていた。
そうしている内に幾つかのことが頭に浮かぶ。あまり纏まらない思考の中で、自分一人が生き残ってしまったという事実に辿り着くのには、そう時間を要さなかった。
「……恨まないのか?」
「え?」
「私がもっと早くに動けば、キミの仲間も助けられたかもしれない」
「それは……」
思わなくはない。フォーサイトの仲間たちはいい人ばかりだった。
優しくて、温かくて……大好きだった。
腰にある重みを思い出す。アルシェを逃がす際、使えと言ってお金を全て託してくれたのだ。
可能なら、皆で生きて帰りたかった。駄目なら、皆と一緒にあの場で朽ち果てるのも悪くなかったかもしれない。残してきた二人の妹たちのことを想えば後者の考えは払拭されるが、それでも綺麗には消えてくれない。
どうしてもっと早く来てくれなかったのか……なんて風に、元気があれば泣き叫び喚いていたかもしれない。
でも、今はそんな気力も残ってはいない。
だから、甘んじようと思った。仲間たちが逃がしてくれたことに。英雄が救い出してくれたことに。
「――――感謝しかありません。貴方が来てくれなければ、私を逃がしてくれた仲間たちの想いも無駄になってしまうところでしたから」
「……そうか。恨み言の一つや二つ、聞く覚悟はしていたのだが。必要なかったな」
「じゃあ、代わりに一つ聞いていいですか?」
「構わない」
「どうして、助けてくれたんですか?」
モモンは首を傾げる。先ほど答えたではないか、とでも言いたげな様子が兜越しに伝わってきた。
アルシェが聞きたいのはそんな建前ではない。
たとえ英雄でも、一切のメリットもないことに首を突っ込んだりはしないだろう。だから、彼は何かをアルシェ(あるいは他の誰か)に見出したはずだ。第三者によって救出の依頼をされたのか、救い出した者から報酬を要求するつもりなのか。それとも――まさかとは思うが、自分の身体を狙っているのか。
いくつか候補が思い浮かぶが、どれもしっくりこない。
しかしどれも『当然』という言葉よりは真実味がある気がした。
報酬を求められるなら可能な限り払うつもりだ。
求められなかったとしても、精一杯のお礼はしたい。
ただ、当然なんて言葉で片付けられると自分は何をすればいいのかわからなくなってしまう。
考え込むように押し黙るモモン。アルシェはじっと答えを待った。
やがて、彼の中で結論が出たのか両頬付き兜の中で口を開いた。
「英雄とは、そういうモノだと思ったからだ」
「……ごめんなさい。よくわからない」
「うーむ、そうだな。こんな言葉がある――――」
彼が何かを言おうとした時、不意にその足が止まる。そしてゆっくりとアルシェを地に下ろした。
「走れ。キャンプ地に着いたら、荷物の撤収はせずそのまま引き上げるように冒険者に伝えろ」
「えっと、どういう……?」
「早く! 追手が来る、私のことは気にするな!」
その背より二本の大剣が抜かれる。両腕構えるべきグレートソードを片腕にそれぞれ一本ずつ。
桁外れの怪力を持ってして剣を構え、墳墓のある方向を油断なく警戒している。
アルシェもまた同じ方向に目をやった。
そして、彼の言葉を理解した。
闇があった。薄っぺらな、ただ、どこまでも続いていそうな漆黒の闇。
扉のような形をしていて、世界という空間を切り抜いたようなその光景はどこか神秘的で、同時に背筋の凍る寒気のようなものを感じさせる。
魔法詠唱者であるアルシェは、本能的にその闇がなんであるかを理解した。
同時、闇の奥より恐怖と死がやって来た。
白骨化した手が見えた。豪華な指輪をそれぞれの指にはめている。
次にたなびく漆黒のローブが目に入った。細やかな装飾がされ、着る者の地位を一目で理解させる。
白い骸骨と目が合った。その眼窩の奥に浮かぶ濁った炎のような赤色。
憤怒、憎悪、嫉妬、傲慢、強欲……あらゆる負の感情を湛えたその瞳は、世界を切り裂かんばかりに鋭くこちらを見据えていた。
足が震える。恐怖に心が縮こまる。呼吸すらままならない。
アルシェは知っている。目の前に現れた化物を。
「あ、アインズ……ウール・ゴウン……」
震えた声にその化物は一切の反応を示さない。彼女には興味がないらしい。
その憎悪は、すべて隣に構える漆黒の戦士へと向けられていた。
「お前があの墳墓の首魁か?」
「貴様……」
骸骨が口を開く。そこから漏れ出た声は、底冷えするような負の感情が籠っていた。
ヘッケランが彼を謀った時も激しい怒りを見せていたが、今はあの時に比べ深く静かな怒りが見て取れた。
「逃げろ」
「ダメ! あれは人の勝てるような相手じゃない! たとえ貴方でもアイツには――――」
「心配するな、私は英雄だ。こんな所では負けないし、キミがいたままだと撤退も選べない」
アルシェは奥歯を噛みしめた。足手まといだ、と言外に伝えられていることに気付いたのだ。
それはそうだ。彼女は英雄の領域には全く届いておらず、何より魔法詠唱者としての武器である杖も今その手にはないのだから。
たとえこの場に残っても結果は明白。
――――しかしまた、今度は自分の命を救ってくれた人を残して一人で逃げるのか?
後悔にも似た感情が噴き上がり、彼女の足をその場に縫い留めてしまう。
そんな様子を見たモモンは、小さく首を横に振り声を張り上げた。
「行けッ!」
痺れるような衝撃を受け、アルシェは精神的呪縛から解き放たれた。
一も二もなくキャンプ地へ向かって走り出し、振り返ることも忘れ去った。
「……随分と格好良いことを宣うじゃないか、盗人風情が」
「盗人? 悪いが、私はこれでも英雄なんだ」
「黙れッ!! 漆黒の鎧を奪い取り、あまつさえ私の大切な部下を傷付けた! 万死に値する! 地獄など生ぬるいッ! 生まれて来たことを後悔するような拷問にかけ、ゆっくりと朽ち果てるように殺してやるッ!」
化物が何かを喚き立てている。その言葉はきっと幾億の呪詛を含んでいるのだろうが、ただ走って逃げることしかできないアルシェには意味が頭に入って来なかった。
あの化物を前にして自らを逃がしてくれた仲間の顔を思い出す。
その輪郭が儚くも、残酷に消えて……。
――――お願い、お願いします。
アルシェは願った。いるかどうかかもわからぬ神に。