素晴らしい響きの言葉だと思います
もうクタクタだった。ロクに頭も回らない。労わるようにかけられた毛布にくるまり、そのまま眠り落ちてしまうのがいい。それでもアルシェは八足馬が引く荷馬車の中から覗く背後の光景に目を離せなかった。膝を抱え、じっと地獄のような墳墓が遠ざかっているのを確認する。
追って来る人影は――――見えない。
その事実に安堵しながらも、胸を引き裂かれるような罪悪感に苛まれた。
モモンに言われベースキャンプまで戻った彼女は、言いつけ通り待っていた冒険者たちへすぐに撤退するように伝えた。元よりモモンがキャンプ地より離れる際、撤収の準備を進め、誰か一人でも戻ればすぐに移動するように指示していたらしく、冒険者たちは素早く荷馬車に乗り込み帝国への帰路へと馬を走らせた。
揺れる車内で、彼らは唯一逃げ帰ったアルシェに慰めの言葉をかけた。
それに、こく、こく、と力なく頷いた彼女は、向けられる視線にどうしようもない侮蔑の色を感じ取った。
当たり前のことか、と思った。
彼女は所詮ワーカー。真っ当な仕事など出来ず、その手を汚して利益を取る汚れ役だ。真実かどうかはさておいて、少なくとも彼らの目にはアルシェはそういうモノに映っていた。
よくあることだった。お金のためなら仕方ないと諦めていた。もう慣れたものだ、と高を括っていた。
――――違ったことを、今更ながら彼女は理解する。
ヘッケラン、イミーナ、ロバーデイク……二度と会えないであろう三人の仲間たち。
アルシェはその三人に強く支えられていた。戦力面でも、精神面でも。
支えを失い、脆く決壊した何かは、無情に彼女の弱り切った心を野晒しにしていた。
膝を抱える腕に力が籠り、ぎゅっと、小さく世界の片隅にその身を置く。
「飲むか?」
ぬるい飲み物が入ったカップが差し出された。視線を向けると、冒険者チームのリーダーの男だった。金色のプレートを首から吊るし、この中では一番上手に目の色を誤魔化している人物だ。
正直いま喉に何も通したくなかった。それでも(建前とはいえ)差し伸べられた行為を無下にするのも気が引ける。
アルシェは小さく頷き、両手でカップを受けった。
すると男は少しだけ口元を綻ばせ、一緒に外の景色を眺めるように隣へ腰かけた。
「何があったんだ?」
「……化物がいた」
「まあ、そりゃあ遺跡だしそういうのもいて当然だろ? それ含めて調査するのがお前らの仕事だったわけで」
「違う……あれは、貴方の想像しているようなものじゃなかった……」
曖昧な言葉に男は顔をしかめる。
「じゃあ何がいたんだ? まさかドラゴンとか?」
「アンデッド」
「だったらドラゴンゾンビだ! まさしく英雄が退治するような怪物だな」
軽い調子で笑う男。あの化物――アインズ・ウール・ゴウンを見ていないから楽観していられるのだろう。そのお気楽さが、少しだけフォーサイトのリーダーを思わせて、微かな苛立ちを覚えてしまう。
ふつふつと沸く見当違いの感情を飲み下すように、ぬるいカップをあおった。
その様子にアルシェの気力が多少は戻ったと思ったのか、男は、おそるおそる気を遣いながら聞いて来た。
「それで……その化物に、お前以外全員やられちまったのか?」
「他のチームはわからない。でも、私の仲間はそう……あの化物から、私を逃がしてくれて……」
「じゃあ、お前らを助けに行って帰って来ないモモンさんは?」
アルシェは首を横に振る。
あの腕に抱かれていた時、その逞しさと強さは鎧越しにも感じられた。
それでもあの化物には勝てるとは思えない。あれは、人の及ぶ領域にはいない。
彼女の反応に良くない結末を感じ取り、男は舌打ちをした。無言で立ち上がり、荷馬車内の反対側に固まっている仲間たちの方へ離れていった。
またポツリと、アルシェは一人になった。
――――いや、私は一人じゃない。
アルシェには二人の妹がいる。目に入れても痛くないような妹たちだ。
彼女の家は元々貴族で、それなりに長くバハルス帝国を支えてきた。しかし皇帝が鮮血帝へと代わり、多くの貴族たちを粛正した。彼女の両親は処刑こそされなかったが、貴族としての地位を剥奪されてしまった。
それでも命だけは助かった、と粛々と生きてくれればよかったのだが。アルシェの両親は貴族としての暮らしを忘れられず、借金までして豪勢な日々を送っている。当然彼らにお金を返すあてなどなく、その娘が魔法学院まで中退し、ワーカーに身を落とし命懸けで稼いでいるわけだ。
いい加減、両親にはうんざりしていた。
だから今回の仕事を最後に、アルシェは二人の妹を連れ家を出るつもりだった。
仕事に出る前、その旨は妹たちに伝えていた。二人は新しい生活に胸躍らせ、アルシェの帰りを今か今かと待っているに違いない。迎えに行かなければ。そのために、仲間たちもアルシェ一人を逃がす選択をしたのだから。
辛気臭い顔を見せるわけにはいかない。迎えに行った時、これから楽しい生活が待っているのだと思わせるように笑顔でなければ。
長く細い吐息と共に、胸の内にあった鬱々としたものを追い出す。
拭い去れない感情は、一旦奥底へと仕舞い込むことにした。
いつまでもへこたれてはいられない。アルシェは顔を上げた。
日も昇り、地平線の上からその煌々とした姿をすべてさらけ出していた。眩しいくらいに輝かしく照らされる世界。アルシェはその景色の中に黒い点が一つ浮かんでいることに気付いた。その点は徐々に近付いている。
嫌な予感はしない――――じっと観察し、やがて彼女は歓喜に表情を輝かせた。
荷馬車より体を乗り出し、見間違えでないことを確認する。その行動を訝し気に思った冒険者のリーダーがまた彼女の隣に立ち、彼もまた破顔する。
明るく照らされた墳墓を背景に、漆黒が走ってきた。
全身鎧を纏いながら、一体どうして馬に引かれる馬車より早く走れるのか。異常な速力を見せながら、彼は荷馬車の中へ飛び乗った。
「モモンさん、よくぞご無事で!」
「ああ。追いつけて良かった」
帰還した漆黒の戦士へ男はいっそ抱き着きそうな勢いだったが、堂々とした佇まいで制す。
膝を抱えていたばかりのアルシェも彼の元へ駆け寄り、目尻に涙を浮かべた。
「モモンさん、あの――――」
色々な感情が入り混じって言葉にならない。お礼を言うべきなのか、無事を祝うべきなのか。
声は吐息になり、音を奏でない喉は無意味に口を開閉させる。そんな彼女へ、モモンは手を伸ばし目尻に浮かんだ涙を拭った。
「可愛い顔が台無しだ。女性の涙は美しいが、あまり好きじゃない」
歯の浮くようなキザったらしい台詞だ。それでも口にする者が素晴らしければ様になるらしい。
男として惚れ込み涙を流す者もあれば、何やらメモを取っている者もいる。皆共通するのは、モモンを見る目により一層の憧憬の念が浮かんでいることだ。
アルシェもまた頬を朱に染めていたが、当人はそれに気付かず。彼女の頭を優しく撫で、巨大な二本の剣を壁に立てかけた。そのままモモンは崩れ落ちるように座り込んだ。大きく肩を沈めるように息を吐き、一つ天井を見上げてから両頬付き兜を脱いだ。
周囲がざわつく。それもそうだ。モモンが彼らの前で兜を脱ぐのは初めてだった。食事時でも何かにつけて同伴を避け、相棒であるナーベと二人になっていた。寝ている姿も見せず、常に油断なく全身に鎧を着て有事に身構えているのだと、皆思っていた。
一体どんな顔立ちなのかと皆興味津々に覗き込み、何とも微妙な反応が起こった。
黒髪黒目。この辺りでは珍しい特徴だが、相棒のナーベがそうであったため同じ人種ではないかと予想している者もいた。歳は渋さが刻まれ始めた頃。整っているとは言えないが、崩れているとも言えない容貌。
ちょっと冴えないおっさん、という印象を冒険者たちは受けた。
しかしその瞳は力強く、英雄の領域にある者であることを感じさせる。
「……さすがに疲れたな」
小さな声でそう漏らしたモモンの顔には疲労の色が目立ち、額には大粒の汗が浮かんでいる。びっしょりだ。アルシェは荷馬車に備えられた荷物から汗を拭ける布を取り出し、彼に手渡した。
「これを使ってください」
「ありがとう。有り難く使わせてもらおう」
冒険者たちも彼を労わろうと、飲み物などを差し出してくる。
厚意に甘えながらも、彼は礼を忘れず振舞った。
アルシェは彼と周りが落ち着くのを待って、あの化物のことを聞いた。
モモンが帰還したということはまさかアインズ・ウール・ゴウンを倒したということなのだろうか。そんな期待を抱いていたが、彼は首を横に振った。
「痛み分け、というところだな。参った……あれは強い」
「やっぱり、モモンさんでも……」
「一対一ならばわからない。こちらも奥の手は残しているが、奴も本気を見せている様子はなかった。二対一以上になればもう厳しいな。あのまま戦っていれば死んでいたかもしれない」
さらりと言ってのける彼に対して、冒険者たちは緊張を走らせる。
アダマンタイト級冒険者をもってしてそうとまで言わせるような化物。それが二体以上もいるような口ぶり。間違いなく災害に匹敵するような案件だ。知らせれば国を挙げて対策に乗り出すことだろう。
誰かが固唾を飲んだ。
ふと、アルシェに疑問が浮かんだ。
「ナーベさんはどうしたんですか?」
漆黒の一人である美姫ナーベの姿が見えない。墳墓内でアルシェを救出してくれた時にも一緒にいなかったのでベースキャンプに残してきたのかと思っていた。精神的余裕がなく今まで気付かなかったが、戻っても彼女の姿はキャンプ地に無かった。
他の冒険者たちも、モモンが墳墓に向かった後テントの中にナーベの姿がなかったことから、いつの間にか彼について行ったのだと思っていたのだが……。
まさか、と嫌な予感が浮かぶ。
だがそれをモモンは優しげな声で否定した。
「心配はいらない。彼女は無事だ、きっと元気にやっている」
「彼女が戻るのを待った方が良いですかね?」
「必要ない」
モモンは再び漆黒の兜でその顔を覆った。くぐもった声が聞こえてくる。
「最初から決まっていたことなのだろう。彼女には彼女の意思があり、選ぶべき道がある。その道が漆黒のモモンとはかけ離れてしまったに過ぎない。そういう運命だった」
見えない表情。調子をうかがわせない声色。
そこにいた者は思い思いモモンの心境を勝手に推察しただろう。
アルシェは、彼の言葉をそのまま受け入れ、決して悲しい別れではないのだろうと思った。
「そういえば、名前を聞いていなかったな」
「あっ……し、失礼しました」
初顔合わせの際、モモンとワーカーチームのリーダーたちは自己紹介をしていたが、それ以外のメンバーは基本的にあまり深く交流を持たなかった。もちろん、個人的に御近付きになろうと話しかけていた者もいたが、アルシェは遠くから漆黒の鎧を眺めていただけ。むしろ美しいナーベの容姿の方に、同性として気を取られていたくらいだ。
慌てて頭を下げ、改めましてと名乗る。
「アルシェ・イーブ・リイル・フルトと申します。この度は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
「ふむ……四つ。もしかして貴族の出身かな?」
「……はい。もう没落した家ですが」
「そうか。ではキミには生きている家族がいるか?」
いますが、と首を傾げる。一体どういう目的の質問だろうか、と。
彼女の疑問を感じ取ったモモンは、単刀直入にこれからのことを話した。
「このまま帝国へ帰還しても、家に戻ることは叶わない」
「えっ……?」
「それどころか……もしかすると、キミは二度と家族の顔を見ることができないかもしれない」