外壁の手入れがいき届いていない館。立派でありながら庭木の剪定もできていない光景から、この館の主の先行きを想像させるものがある。アルシェはそんな我が家の玄関を開いた。
玄関から入ってすぐの大広間、そこで出迎える者はいない。
昔は少なくともメイドが一人客人を迎えるために待機していたのだが。
家族五人、仲良く暮らせていたことを思い出しながら妹たちの部屋へ早足で向かう。
そんな風に廊下を移動すれば、よく母が貴族としてはしたない、と嗜めていた。
「……」
それもまた、昔の話だ。鮮血帝によって、彼女の家はもう貴族ではなくなった。
現実が見えていない両親――特に父とは――遺跡探索の仕事に出る前に少しばかり揉めた。彼女なりの両親に現実を受け入れてしっかりとやり直してほしい、という願いが込められた抗議が原因だったのだが……。
「また良いものが見つかったら頼むよ――――おお、アルシェ! おかえりなさい」
「おや、これはアルシェお嬢様。ご機嫌麗しゅうございます」
玄関から妹たちの部屋に向かうまでに応接室の前を通る。
ちょうど扉が開き、父とあまり見たくない顔であった男たちが出てくる。
男たちは三人いて、一人は胡散臭い媚びたような笑みを浮かべている。もう一人はでっぷりとした腹を抱え、威厳有り気な髭をたくわえた初老。そして最後の一人は、禿げあがった頭をした筋骨隆々の用心棒然とした男。
全員、一度はこの屋敷で顔を見たことがある人間だった。何を生業にしている者かも、アルシェは知っていた。
「――――なんでその人たちが?」
「ん? ああ、先ほど素晴らしい絵画が手に入ったと連絡が来てね。誰かに買われてしまう前に急いで来てもらったんだよ」
でっぷりとした髭の男が軽く頭を下げる。彼は名うての美術商だ。貴族御用達の、価値はあるが無駄にバカ高い美術品を専門に扱っている。父も懇意にしている人物で、館にある美術品の半分近くが彼の仕入れたものだった。
「ッ――――お金は!? お金はどうしたの!? そんなもの買うお金、ウチには無い!」
アルシェは憤りをなるたけ抑えながら疑問を投げかけるが、他二人がここにいる事実から気付いていた。
胡散臭い笑みの男は質の悪い金貸しで、禿げ男はその見た目通り用心棒だ。つまりまた、性懲りもなく父は借金をつくってなんの役にも立たない美術品を買ったのだろう。
「ご安心くださいアルシェお嬢様、代金は我々が立て替えておきました。今回は金貨二〇枚となりましたので、また期日までにお支払いいただければ。はい――何の問題もございません」
人を喰ったような笑み。アルシェは金貸しの男が心底嫌いだった。
そして、娘の淡い『最後の』期待を裏切った父も同様に――――。
「……もういい」
さようなら、と心の中で告げてアルシェは父の横を抜けて廊下を走った。
応接室の中から母のおっとりとした嗜める声が聞こえてきたが、もはや答える気も起らない。
「ちょっと待ちなさいアルシェ、話が――――」
「旦那様、少しよろしいでしょうか?」
アルシェを呼び止めようとした父の前に、ひょいと現れた執事が二人の間に割って入った。
振り返ると彼はアルシェを一瞥し、優し気に微笑んでいた。
「ただいま」
「「おかえりなさいお姉さま!」」
妹たちの部屋の扉を開けた。すると向日葵のような笑顔が二つ、咲き誇った。
小さな妹たちは腰掛けていたベットから降りて、姉を出迎えようとする。それよりも早く、アルシェは二人に駆け寄り力いっぱい抱きしめた。
「お姉さまかたい」
「くるしいよ」
「ごめんね、ごめんね……ウレイ、クーデ……」
二人の温もりを確かめた瞬間、アルシェの内よりあらゆるものが溢れ出した。
それは感情であり、それは記憶であり、それは嗚咽であり、それは涙だった。
こんなに幼い二人を一度は見捨てようとした自分が、情けなくて、憎くて仕方ない。
「お姉さま泣いてるの?」
「誰かにいじめられたの?」
「ううん、違うの……私は優しい人たちに助けられたの」
もう二人の顔は見れないはずだった。そういう運命である、はずだった。
しかし今、アルシェは確かにその腕で二人の妹を抱きしめている。
――――もう離すものか。
「ウレイ、クーデ、お姉ちゃんの話を聞いて欲しい」
「なぁに?」
「お引越しの話?」
そう、と頷きアルシェは心に秘めた決意を言葉にする。
「遠い所に行かなくちゃならない。もしかしたら世界中、色んな所を歩き回ることになるかもしれない。とっても危険で、今みたいな安全な暮らしはもうできないかも。それでもついて来て欲しい。どんなに危険でも、二人は絶対に私が守って見せる。どんなに強大な敵が現れても、もっともっと強くなって……私が、絶対に……」
何があっても三人で生き――必ず二人を幸せにして見せる。
それが、仲間たちから託されたものへ応えるということだ。
アルシェはもう迷わない。例えモモンに否定されたとしても、鋼鉄の如き意志はここに固まった。
より一層強く華奢な身体を抱きしめる。加減を忘れた抱擁は苦しいだろうに、二人の妹は優しく姉の背中を撫でた。
「うん、お姉さまについて行く」
「私も。お姉さまと一緒が良い」
「……ありがとう。さっそく準備しないと」
抱擁を解くと、妹たちは部屋の隅に置いてあった大きいバッグを持ち上げた。
どうやら家出の準備を整え、アルシェの帰りを待っていてくれたようだ。
「じゃあ行こう」
「もう行くの?」
「あんまりのんびりしてられないから……今夜は馬車で寝ることになるかも。ご本読んであげる」
「やったー! 馬車! ご本!」
二人は大喜びして荷物を手に取る。しかし五歳の少女二人に、その荷物は大きすぎた。
苦笑しながらアルシェは二人の荷物を肩に下げ、手を繋いで部屋を出た。
「アルシェ、ウレイ、クーデ。その荷物は……一体どこへ行くつもりだ?」
長々と執事に捕まっていたらしい父が、怪訝な顔で問うてきた。
三人の客人たちも別れの挨拶をし損ねたせいか、まだ廊下に立っていた。
「前にも言った通り、妹たちを連れて家を出る」
「なっ――待ちなさい! あの時はお互い行き違いがあった。だからちゃんと話そう!」
「もう決めたこと。この意志を変えるつもりはない」
父は焦燥を顔に浮かべた。それは娘の家出のためか、それとも家にお金を入れる存在がいなくなるからか。この期に及んで前者であって欲しいと思うが、アルシェがこれからしていくことは変わらない。
「今までお世話になりました。お元気で――――」
二人の手を引き立ち去ろうとする。だが、その行く手を阻む影があった。
「おっと、そういうわけにはいかないんですよアルシェお嬢様」
金貸しの男が下卑た笑みを浮かべている。アルシェが目に力をこめて睨むと、一瞬肩を縮こまらせたが、用心棒に目配せしてすぐに強気に転じ胸を張った。
「家出なんてするものじゃないですよ? しかもそんな小さな妹さんたちまで連れてなんて」
「退いて。あなたたちは私がいなくなったら、これ以上この家からお金を搾り取れないと危惧しているだけでしょう?」
図星だったのだろう。男は肩を竦め、鼻で笑った。
「いえいえ……まさかそんな。私にも貴女と同じくらいの歳の娘がいまして――――」
「聞いてない。私たちはもう行く」
「……話はちゃんと最後まで聞くものですよ?」
ニヤリ、と男が笑った瞬間、後ろに控えていた用心棒がいきなり殴りかかってきた。
その剛腕は驚くほど速く、まさか暴力まで行使してくるとは思っていなかったアルシェは反応できなかった。殴りつけられる――その直前、執事が割って入り彼女を庇った。皺の多い顔を殴り飛ばされ、彼の体は文字通り吹き飛んだ。
「ジャイムス!!」
「な、何をするんだ!?」
これにはさすがの父も声を上げた。しかし飄々と金貸しの男は言う。
「いやいや、これは躾ってやつですよ。家出なんて親不孝以外のなにものでもありませんから。こんなに大きくなるまで育てて貰っておきながら、お金がないから出ていくなんてねえ……酷い話じゃないですか」
「しかしだ――――」
「まあ任せてください。ウチの娘も反抗期でしたけど、今では仲の良い親子ですから」
応接室から顔を出した母が、倒れた執事を見て悲鳴を上げるが構っている余裕はない。
金貸しの言葉の裏に暴力の色が見て取れる。妹たちが震え、縋るようにしがみついて来る。そんな二人を守るように構えながら、アルシェは焦燥に駆られていた。
先ほどの一撃。その凄まじさから用心棒の男は冒険者ならばオリハルコン級の実力を持っていると確信した。英雄の領域――アダマンタイト級には一歩及ばないながらも、オリハルコン級は超一流の実力者たちだ。
どうしてそれほどの腕を持ちながら、と疑問に思うが結論は簡単だ。冒険者はおろか、ワーカーにすらなれないロクでなし、ということだろう。事実、執事を殴りつけた手を恍惚とした表情で男は眺めていた。
のっぴきならない状況に歯噛みしなながら、それでもアルシェは頭を回す。
必ず守ると誓ったのだ。挫けてなるものか、と。
だが打開策が浮かぶより早く、金貸しの男は用心棒に告げた。
「さあ、お嬢様を教育してあげなさい」
「イエス、ボス」
悪意を持った腕が伸ばされる。
「やめろ! 一体誰の娘に手を出そうと――――」
「没落貴族は黙ってろよッ! テメェらはとっくに俺たちの養分なんだよ!」
「ひっ……」
アルシェは瞼を閉じそうになるが、心を燃やし用心棒を睨み付けた。
彼女は姉として強くあらねばならない、そう決めたのだから。
相打ち覚悟で魔法を詠唱した。きっと男の腕が届く方が早い。それでも堪えて、噛みついてでも状況を打破するつもりだった。
だが、詠唱は途中で大気の中に混ざって消えた。その必要がなくなったからだ。
アルシェは目を見開き、突然現れた光景に唖然とした。
「――――随分と良い根性をしているじゃないか」
漆黒の籠手が、用心棒の腕を掴んでいた。
籠手だけではない。その全身を包む鎧もまた漆黒。見事な意匠まで施された逸品は、この世界には一つしかない。その持ち主である英雄は、用心棒の腕を捻り上げ怯んだ隙に、アルシェたちを背に庇うよう前に立った。
彼がどうしてここにいるのか。
そんな疑問が口に出るよりも早く、金貸しの男が叫んだ。
「な、なんだテメェ!?」
「ん? ただの通りすがりの英雄だが」
突然の乱入者。それがただならぬ者であると悟った用心棒は狂ったように拳を振り回した。掠めただけでアルシェがひとたまりもなさそうな攻撃。だが漆黒の英雄は軽々と避けていく。挙句、真正面からその拳を掴んで受け止めた。
「どうした、この程度か?」
「グッ……」
「ではこちらも反撃させてもらおう。正当防衛だ、文句はないだろ?」
意味のない確認を取って、モモンは拳を掴んだまま腕を振り回した。
まるで良くしなる棒切れを振り回すかのように、凄まじい怪力で。用心棒はなすすべもなく弄ばれ、そして叩きつけられるように投げられた。その巨躯は廊下の壁にぶつかり、破壊し、その向こう側にある応接室の中を無茶苦茶にした。
客人を迎える部屋だけあって、数々の調度品や美術品が飾られていたが、それらも巻き込まれ酷い有様だ。損失額で言えばとんでもない桁になるだろう。「ああ!」と情けない声を上げた父など気にも留めず、モモンは破壊した壁から応接室に入り、内装を見回した。
「娘の稼いだ金で飾ったいい部屋だ、まったく……」
「あ……がっ……」
用心棒が呻きながら床に寝そべっている。
モモンはその胸倉を掴むと、片腕で男一人を吊り上げた。
「私は英雄でね。弱い者いじめは好きじゃないが、女子供に手を挙げるような輩はとても嫌いなんだ。つい手加減を忘れてしまうくらいにな……わかるだろう?」
「ず、ずびばせん……でじだ……」
用心棒は涙を浮かべながら、上手く呂律の回らない口で許しを請うた。
それで十分と判断したのだろう。ゆっくりと体を下ろしてやり、労わるように寝かせてやった。そして壁に空いた穴から信じられないモノを見るような目で様子をうかがう金貸しの男へ、ゆっくりと視線を向ける。
その際、首からかけられた冒険者のプレートが夕焼けの光に閃いた。
圧倒的強者の証明を見つけた金貸しの男が息を呑む。
「あ、アダマンタイト級冒険者……」
「狂犬への躾もすんだ。あとは、けしかけた飼い主の方だが……」
「まっ、待ってくれ! 悪かった、謝る。すぐにここから――――」
「二度とここへ顔を出すな。意味は、わかるな?」
「もちろんです! ですがぁ……あのぉ、そのぉ……この家に貸したものもありましてですね……」
媚びへつらうような笑みを浮かべながら、揉み手を組む男。
だが次にモモンが発した言葉に、その笑顔は凍り付く。
「借金を無かったことにしろ、なんて酷いことは言わないさ。ちょうどお前さんが飼っていた狂犬のせいで色々壊れてしまったところだ。それの弁償で相殺、という形にしようじゃないか」
「えっとぉ……いやぁ、それはさすがに……」
「どうせ不当な利息を付けてこの娘から金を毟り取っていたんだろう?」
返ってくる言葉はない。悔しそうな呻き声だけが、静かに響く。
「失せろ」
その言葉に金貸しは肩を震わせ、借用書を投げ捨てると用心棒を引きずり館を後にした。残されたのはこの館の住人と、漆黒の鎧を纏った偉丈夫だけ。
激動の光景を目の当たりにし放心している父と母を他所に、アルシェはモモンの傍へと歩み寄った。
「どうして……」
「誰かが困っていたら助けるのは当たり前、だからな」
両頬付き兜の奥で、微笑んだ気配があった。
「もしかして、私を試したんですか?」
「まさか。キミなら妹さんたちを連れて行くことを選ぶと、事情を聞いた時から確信していた」
「じゃあもっと早くに助けてくれても……」
「人には自らの力で解決しなければならないこともある。キミの妹さんの件はそれだ」
確かに、と納得する。もしあの時モモンが力を貸す、と言っていたらアルシェはここまで覚悟を決めることはできなかっただろう。中途半端な感情で、仲間たちの想いに応えるのは嫌だ。だから今は、悩み抜いて良かったと胸を張って言える。
「それにしても、随分手荒いことをするんですね。イメージ変わりました」
「英雄とは野蛮な一面もある。そういうのは嫌いか?」
「正直、苦手です。でも――――」
アルシェはじっとモモンの顔を見つめる。
その表情は柔らかな微笑が浮かんでいた。
「――――モモンさんのことは嫌いじゃありません。助けてくれて、ありがとうございます」
「やはりキミは涙を浮かべるより、笑顔の方が良いな」
妹たちが、恐る恐ると近付いて来る。モモンを警戒しているのか、姉の影に隠れるようにくっついてまじまじと彼を見上げている。
「お姉さま、この人だれ?」
「いい人なの? わるい人なの?」
「この方は、私を助けてくれた英雄様。とっても強くて、優しい人だから安心して」
アルシェがそう言うと、二人は目を輝かせた。
「えいゆう!? ご本のお話みたい!? すごい、すごい!」
「お姉さまをたすけてくれて、ありがとう!」
「えいゆうさまがお姉さまをたすけてくれたの? じゃあ、お姉さまがお姫さま?」
「そっかー。じゃあ二人はこのあと幸せに暮らすんだね」
「えっ、ちょっ……二人とも何言ってるの!?」
妹たちの爆弾発言にアルシェは顔を真っ赤にし慌てふためく。
それが面白いのか二人は笑い、モモンも兜の中でクスリと笑いを零した。
「それでは私は失礼しよう……お膳立てはした。後はキミが好きにするといい」
「何から何まで……本当にありがとうございます」
「当然のことをしたまでさ」
モモンはこの場を立ち去った。父と母は漆黒の後姿を見送り、固まっていた。
アルシェは応接室を見回す。酷い有様だが、これがモモンの差し伸べた救いの手だと彼女は理解できていた。
かなり強引な破壊と脅迫によってフルツ家の借金は帳消しにされた。これで父と母は振出しに戻り、もう一度これからどうやって生きていくか選ぶことができるだろう。
もし現実を見て貴族でなくなったことを受け入れるのなら、館の全てを売り払い多少の元手を持って新たな生活に臨める。だが貴族の生活を忘れられず、まだこの館に拘るのなら、同じことを繰り返すだけだ。
アルシェすらも諦めていた両親への救済を、モモンは希望の糸を一本分残してくれたのだ。その糸を掴むかどうかは父と母次第――しかし娘として、最後に伝えたいことがあった。
妹たちの手を引き、二人の前へ立つ。
「お父さん、お母さん……」
「アルシェ……」
「私は、二人に生きていて欲しい。貴族としてじゃなくても、お父さんとお母さんとして生きてて欲しい」
「私たちは……」
「もしかすると顔を合わせるのはこれで最後かもしれない。だから、これが娘として最後の言葉」
幼くても家族の放つ雰囲気を感じ取れるのだろう。妹たちは悲しげな顔をして、両親とアルシェの顔を交互に見やる。アルシェはそんな二人を安心させるように微笑んで「行こう」と言った。
手を繋ぎ三人で、館を後にする。
その背中に言葉がかけられた。
――――いってらっしゃい。
玄関に、いつの間にか立ち上がっていた執事が待っていた。顔を腫らしながらも、彼女たち出発を祝うように笑みを湛えている。
アルシェは使用人たちの退職金の入った袋を彼に渡す。深々と頭を下げられるのもこれで最後だろう。
「お嬢様、お元気で」
「貴方も体に気を付けて」
「ありがとうございます。さて、待たせ過ぎるのも良くないでしょうからお早めに」
待たせる? 誰を? と首を傾げたがその答えは扉を開けたすぐそこにあった。
「モモンさん……?」
「さて、行こうか。馬車の手配はしておいた」
「えっ、どこへですか?」
「ナザリック地下大墳墓に最も近い都市――エ・ランテルだ」
何故か間に合った投稿
次は土曜か日曜の夜にあげたい(願望)