世界は人間にとってあまりにも容赦が無かった。
常に人類は何かを試され、そして削らされた。それは資源であるし、信頼であるし、命でもある。
人間が持ち得る限りの何もかもを削らされ、それでも尚世界は人類に試練を課し続けた。
此度の試練は深海に住まう者。名を深海棲艦。
ありとあらゆるモノを奪い、蹂躙する怪物達は人類の天敵となっている。
既存のあらゆる兵器が効かず、通常の生命の成長速度を無視する進化を起こし、そして話し合いにも応じない。
例えるならば、彼女達はジャンルが違う。異なる次元の世界で生きる存在であり、だからこそ低次元の武器は通用しないのではないかととある学者は呟いていた。
必然、人類の間に悲壮感が流れる。
勢いは強く、彼女達が発生してから数ヶ月で人類の頭からは希望の二文字が消え去った。
戦いを行えば敗走となる。全滅も珍しくは無く、故に隠れる人間は跡を絶たない。例え己が撃ち殺されようとも子供を手放さない親が続出していたのだ。
どうせ死ぬのならば愛しい家族と一緒に。
それが当たり前となり掛けた頃に、人類は漸く敵の次元に届く刃を手に入れた。
しかしそれは、言ってしまえば畜生の所業だ。
『適正者に深海棲艦の因子を投与し、生体兵器とする』
非人計画と名付けられたそれは、人類に残された唯一の牙だった。
適正者の年齢は五歳から二十台前半の女性にのみ現れ、因子を投与された段階で人では無くなる。深海棲艦の特徴が過去の軍艦に似ている為か、投与が済んだ娘もまた軍艦の特徴を持っていた。
それは服であったり、アクセサリーであったり、或いは武器だ。
人間を捨て去り艦娘となった彼女達はその身に武器を宿し、好きなタイミングで出す事が出来るようになる。
それを軍関係者は艤装と呼び、その艤装を人類で再現することも研究されていた。
彼女達はその殆どが孤児だ。幼き頃からそうなるべく訓練され、戦場に旅立っている。
反対意見は誰からも上がらなかった。既にそれをするだけの熱が無かったのだ。
これが駄目ならば最早滅ぶ他無し。狂気と地獄の人体実験の末に、今現在の艦娘は存在している。
「現在、君達の活躍によって日本は未だ滅んではいない。しかし一つの大敗が許されない状況でもある」
質実剛健を絵に描いたような執務室。その部屋の主である提督は、椅子に座りながら目前の直立不動の姿勢を崩さない相手に言葉を放ち続ける。
「特に此処の近くには、人口が多い都市がある。私や皆の失敗がその他の死にも直結するだろう。ーーその点を踏まえて、加賀殿」
「はっ」
「此度の戦闘における貴殿の活躍は見事であり、本部より報奨が与えられている。これからも頑張ってくれ」
「有り難うございます」
どこまでもどこまでも固い空気が此処には存在している。
互いに彫像が如く動かず、唯一動くのは口のみ。提督の隣に立つ秘書の吹雪もまた、この空気に呑まれているのか身動ぎもせずに立っていた。
本部より与えられた報奨は間宮券三枚。これを少ないと見るか多いと見るかは時代により変わるだろうが、艦娘にとってすれば唯一の贅沢だ。
それにこの時代の食料自給率も高くはない。加賀は外では無表情を貫いていたが、内心ではガッツポーズを決めていた。
そして用事の終わった両者はやはり堅苦しい言葉を送り、加賀は執務室から退室した。
「……っはぁー」
加賀の足音が遠くに行った事を耳で確認し、提督は深い溜め息を溢す。途端に周囲に流れていた重苦しい空気は露散し、吹雪も吹雪で苦笑を顔に浮かべていた。
「そんなに堅苦しくしなくても大丈夫だと思いますよ?司令は皆に慕われていますし」
「公私混同はしない主義……睨むな睨むな、解ってるよ」
真剣な顔をしていた提督の顔に笑みが浮かぶ。まだ二十の前半である提督としては大人びたものであるが、環境が彼を強制的に成長させていた。
椅子の背凭れに寄りかかり、彼は天井を眺める。
吹雪の言葉は解っていた。この鎮守府は発足当時から厳しい制限が少なく、和を最大限尊重している。
他の鎮守府にあるというノルマも採用せず、余程の激戦でもなければ無理をさせないよう調整も入れ、鎮守府全体が一つの家族であるかのように動いていた。
誰かが誰かを思いやれるように。皆で団結出来るように。
そういった意図でもって提督は運営していたのだ。しかし、当然ながらそれに対して反対意見を放つ者もいた。
先程の加賀などはそうだ。内心に人間味があれど、彼女は軍の人間に育てられた孤児である。
幼い頃からの刷り込みは常識として定着し、提督の方針については非常識と認識しているのが現状だ。必然的に疑問視されるのは避けられず、であるからこそ提督である彼も硬い態度を取っていた。
加賀は彼の能力を疑ってはいない。ただ、その思想が中々に受け入れがたいだけなのだ。
故に吹雪の言葉は真実ではない。彼女は軍の人間に育てられた訳ではないからこそ、加賀の真意を正確には見抜けていなかった。
しかしそれを馬鹿正直に言うつもりは提督にはない。
現状は未だ上手く回っている。思想の違いは誰であれ存在するものであり、それを提督が確り認識して対処すれば問題には繋がらないだろうと本人は考えている。
それに彼の場合は他の業務の方が問題であった。
積りに積もった書類の山を見て、笑みを真顔に変えていく。吹雪も書類の山に苦い顔を隠せず、されど白い山は勝手には消えてくれなかった。
「先日の被害に関する報告書の作成に、施設修理や艤装修理の確認書類。消費資源も計算しなければいけませんね」
「プラスして要望書や先の戦闘のせいで擦れてしまった計算も修正しなければいけないな。……今日も書類地獄だ」
げんなりとした顔を隠さずに浮かべてしまう両者。
提督はデスクワークが中心となりやすいが、彼の場合は特に書類の量が他よりも多い。
その理由の大部分は敵の存在だ。通常は一日数回であるのが日常であるが、彼の鎮守府を含めた数ヶ所ははぐれも含めて数十も戦闘を重ねている。
その為に報告書は二倍三倍にと膨れ上がり、今後の敵の動きについても予測を立て続けなければならない。
更にとある鎮守府からは支援要請も来ているので、現在戦闘に参加している艦娘の練度は平均よりも遥かに低かった。
「支援に向かった山城さんによりますと、彼方も苦戦続きみたいです。期間の延長が提案される可能性も高いですね」
「あっちは度々姫や鬼の出没情報が出る海域だ。激戦になるのは避けられないだろうさ。最悪一年間を想定しているから、今は提案されても飲めるよ。問題は此方の練度と装備か」
活動可能な艦娘の最大練度は四十二と低い。
通常の艦隊であれば逆転が容易な場面でも練度の低さによって撤退する事が多く、主砲も初期装備のままという事も依然として問題とされている。
どうにかするにはやはり開発や改装によって出現させるといった一般的な方法を採るしかないが、それをするだけの資源が無い。
現状はこのままの維持しかないのである。それが悔しく、どうすることも出来ない現実だ。
無理を通せばという言葉は現実においては無謀なだけで、成果に繋がるとは限らないのだった。
提督は時計に顔を向ける。
時刻はお昼を過ぎていた。両名は常にお昼を摂らずに働き続けていた為に普段であれば気にならないのだが、今日この日に関しては別だ。
書類の中から一枚の用紙を取り出す。そこに書かれていた提督補佐の部分に、彼は思わず頬を緩めた。
「彼がもうじき此処に来るな。真面目な性格だと言われているし、仕事の評価も高いらしい」
「それは嬉しいです!書類仕事も定時に終わるかもですね」
「あんまり期待し過ぎてると怖いけどな。まぁ、簡単な書類だけでもやってくれると有難い限りだ」
この鎮守府は他よりも地獄と呼ばれている。
姫や鬼はおらずとも、出てくる敵の練度は高い。本部からの資源提供が無ければ呆気なく尽きるだろう程に戦い続け、艦娘の中には疲弊している者もいた。
細い糸を何とか繋ぎ止めるような生活は誰であれ御免被るものだ。故にこそ新たな人員を用意し、空いた時間に対策を考えるつもりである。
それが真に成功するかは定かではなく、やはり予測の方が多い。
ドアを叩く音がした。見知った女の声と、遅れて聞こえた見知らぬ男の声に提督は内心で胸を弾ませていた。