特別試験四日目の朝。
私は、森の中を一人で歩いていた。
深い目的は特に無い。強いて言えば、不毛な試験のことを少しでも忘れるためだ。
そう、不毛な試験だ。この試験にあいつがいない以上、結果にも過程にも意味はない。
この試験でどんな結果が出ようとも、あの少女がいる以上、Aクラスが最終的な意味で負けることは想像できない。
少女――坂柳有栖は本物の怪物だ。
あの怪物が本気になれば、誰も勝てない。
いかに価値のある過程があろうとも、いかに素晴らしい結果を出そうとも、怪物が来てしまえば、人間など簡単に打ち倒されてしまうのだ。
運が悪ければ、生きたまま喰い殺されるかもしれない。
そう思うと、私だけが損をしている気がする。私以外の生徒は
私だけは、怪物から
意味の分からない役割。それが命じられたのは三日前に遡る。
***
三日前。
特別試験が始まる前。無人島へと向かう船内で、私は、あの少女の姿をした怪物の相手をさせられていた。
「真澄さん。今回は一緒の部屋になって頂きありがとうございます。真澄さんのような頼りになる方と一緒で、私としても有難いです」
随分、白々しい言葉だった。
「私の記憶だと、あんたが、私と一緒の部屋になるように強要してきたと思うんだけど」
「ふふっ。強要はしていませんよ」
こちらを嘲笑うかのような坂柳の表情。それを見て、思わずため息が出る。この少女のペースに乗せられてはいけないと思い、会話を打ち切ろうと、端末に手を伸ばそうとして、坂柳が再び口を開いた。
「橋本君たちとの待ち合わせまで、まだ時間があります。丁度良い機会ですので、真澄さんに聞いておきたい事があったのですが、答えて頂けますか?」
できることなら、この少女の相手はしたくはない。けれど、しなくてはならない。
「あんたの質問に対して、満足させられるだけの答えを私が持ってるの?」
私の言葉を聞いた坂柳は、笑みを深くして、一歩私に近づいた。
「……それを決めるのは真澄さんではありませんか?」
「答えられることなら答えるけど、満足できなくても、不機嫌にならないでよ」
思わず、予防線を張ってしまう。最近の坂柳はどこか異常だ。勿論、入学当初から十分異常だったが、特に最近は形容し難い
「私は真澄さん相手に不機嫌になったことが、あったでしょうか」
「最近は……いや、なんでもない」
思わず話しかけた本音を、途中で打ち消す。坂柳は、私に対して、直接不機嫌にはなってはいない。ただ、ある時、異常に機嫌が悪い時があった。この冷静さを貼り付けたような、感情の読めない少女が、ある時、そう確か……龍園から挑発された、あの雨の日。あの日の後は、はっきりと分かるほどに機嫌が悪かった。
そして、今考えた事も読まれたのだろう。こちらを見る坂柳の表情は悪戯気で、まるで心を見透かすかのような瞳を向けてくる。
「真澄さんにとって、この学校で一番、警戒している生徒は誰でしょうか」
見透かすかのようではなく、見透かされていた。私が警戒しているのは龍園だからだ。勿論、一番は、この目の前の少女だけれど。
「あんた」
「そんなに意地悪なことを言われると傷ついてしまいます」
この少女は思ってもいない事ばかり口にする。
「意地悪じゃなくて本気で言ってるんだけど」
私が真顔で言うと、坂柳はクスリと愛らしく笑い、そのまま言葉を重ねた。
「では私を除くと誰でしょうか」
結局、私の行いは、問題を先送りにしただけだった。
「…………たぶん、龍園。というか、あんたも
正直に思ったことを話す。怪物に隠し事など、無理な話だったのだから。
「確かに龍園君は興味深い生徒です。実際、少し話をしてみたら、好奇心が刺激されました。ただ……」
「ただ?」
「これは推測になりますが、龍園君は精神面に弱さを抱えています」
……?龍園が弱い?しかも精神面。それは想定外の情報だ。坂柳が私に嘘をついている方が、まだ信じられる。というか、そのような気がする。
「あの龍園が……?」
私の疑念に対して、坂柳は淡々と説明を始めた。
「ええ、その弱さは、おそらく敗北経験の少なさにあります。彼は生粋の努力家です。目的のためならば、どこまでも忍耐強い。それ故に強く、勝率も極めて高い。つまり逆に、敗北を味わった経験が圧倒的に不足しています。一度の敗北で彼は変わってしまうかもしれません。ですから、龍園君を
滑らかに、そして冷たく説明した坂柳の表情は、いつもよりも少しだけ遠くを見ているようだった。
坂柳の説明は、私には理解しがたいものだ。敗北経験の少なさという点は、分からないことも無い。けれど、正しい推測かどうかは私には判断できない。ただ、この怪物が言った以上、それが真実なのだろう。それにしても――
「歓待ね。つまり倒す気があるってことね」
倒すのか、支配するのか、どちらにしても、ろくなことにならないだろう。龍園にとっても、そして私にとっても。
「そうは言っていませんよ。ただ、貴重な白蛇。誰かが仕留めてしまうのならば、自分が先にという思いはありましたが」
白蛇。龍園も坂柳の手にかかれば、ただの縁起物にすぎないのか。私には、十分危険な毒蛇に思える。
「そう、その白蛇も災難ね。まあ、あんたが蛇の毒で死なないように祈っておくわ」
「毒蛇ではないかもしれませんよ」
じっと私の目を見る坂柳から、思わず目を逸らす。本当に覚り妖怪か何かではないだろうか。
「……龍園の事を欠片も危険視してないのは分かったわ」
私は視線を逸らしたまま、そんなことを呟いた。
「真澄さんにはそう見えますか?」
何時もの、確認のようであり挑発のようでもある、そんな口調で坂柳が質問してきた。その返答をしようとして、私は大きな過ちを犯した。
「少なくとも、もっと
途中で過ちに気付き、言葉を止め、坂柳を見る。無表情だ。どこか攻撃性を感じる笑みも、嗜虐的な瞳も、今は見えない。ただただ、虚無が広がっている。
そう、これは今の坂柳と接するにあたって最大の禁忌だ。
虚無の瞳が私を捉えた。鳥肌がたち、体が震える。8月とは思えないほど、部屋が寒く感じた。冷房はそんなに強くはしていないから、きっと私の感じ方の問題なのだろう。
「真澄さん、今は龍園君に関する話だったと思いますが」
そういうと、坂柳は再び、攻撃的な普段の表情を作った。ただ、瞳は、さきほどと同じ、虚無だ。
私は、震えを抑えながら、会話を元に戻すことにした。
「それにしても、龍園が蛇ね。あんな危険人物を、ただの爬虫類扱いするのはあんたぐらいよ」
少し不自然な話題転換かもしれないが、今は少しでもこの空気をどうにかしたかった。
「龍園君は蛇のよう、という見解は私固有のものではないでしょう。例えば、Bクラスの一之瀬さんも似たようなことを考えているかもしれません」
「一之瀬は、あんたと違って人を動物扱いしないと思うけど……まあ、あんたは私や橋本のことも犬程度にしか思ってないんでしょうけどね」
思わず漏れた本音を口にし、また少し後悔した。今の坂柳に犬などという言葉を使うべきではなかった。
「真澄さんのことは、犬ではなく猫のように思っていますよ」
しかし、坂柳は気にした様子は無かった。そのことに心の中で安堵しながら、坂柳に軽口を返す。
「私はあんたの飼い猫ってわけ?」
「いえいえ、真澄さんのことを飼い猫とまでは思ってはいませんよ。……それに、今は犬の方が欲しいです」
犬……いや、それに関しては深く考えてはいけない。
「犬ね……あんたはペットを殺しそうなタイプに見えるけど」
軽口を続けながらも、心胆が再び冷え始めたのを感じた。けれど、妙に話を止めるのは避けたい。坂柳は、支配欲求と破壊欲求を両立させた
だから、私は、坂柳にとって『支配するのに十分に興味が沸く人物』である必要がある。何度も話の腰を折る人物であってはならない。
支配されるのは屈辱だが、破滅させられるよりは遥かにマシだからだ。
「ふふっ、どうやら誤解があるようですね。私は、飼い犬には優しいです」
「つまり猫には厳しいってこと?」
「それは猫次第ではないでしょうか」
「なら、犬も犬次第でしょ」
「確かにそうですが……私の場合は前提条件が違うので、猫と犬とでは扱い方が違います」
「あんたの犬にはなりたくないわね」
そう吐き捨てて、坂柳を流し見る。彼女は、いつものように攻撃的な笑みを浮かべていたが、未だに、その瞳に感情の色は見えなかった。
恐怖による震えを抑えつつ、坂柳の出方を
「真澄さんが望まない限りは、私の方で強制はしません……どうやら、待ち合わせの時間が近づいてきたようですね」
ふと時計を見ると、思った以上に時間が過ぎていた。
坂柳と私は、準備をすませ、部屋を出た。
「9時40分なんて微妙な時間。なんで、そんな時間を集合時間にしたの?」
廊下を歩きながら、気になった点を質問した。
「……そろそろ、何か食べ物が欲しくなる頃だと思いましたので」
坂柳は、私の質問に、少し間をおいて答えた。
しかし、私には、その答えの意味が分からなかった。
「別に、私も橋本も鬼頭も、バスを降りたときに食べたし、あんたも、その時に食べたでしょ」
「そうですね。では体格が大きい鬼頭君のためというのはどうでしょう。あとは、このあとの試験で頑張ってもらうことになる橋本君への激励としてもいいかもしれませんね」
坂柳は、どこか遠い目をしていた。
私は言葉にも仕草にも疑問を感じた。けれど、それ以上は追及しなかった。なぜなら、薄ら寒い気分を味わうのは、もう御免だったからだ。
そう思い、会話を打ち切る私に対して、なんとなしに坂柳が小さく口を開いた。
「そういえば、一つ言い忘れていました」
まるで、独り言のようで、私の答えを聞かずに、流れるように言葉をつづけた。
「真澄さんは十分、私を満足させる答えを持っていましたよ」
くすくすと笑い声が聞こえ、そちらを見る。坂柳の瞳はいつものように、嗜虐的な色を浮かべていた。
***
橋本たちと合流する直前に、私は極度の恐怖を感じたが、それを抑えつつ、坂柳と共に、彼らと合流した。
9時40分丁度に始まった会議では、主にこれから行われるであろう特別試験の考察と、作戦が坂柳から伝えられた。
作戦の基軸となるのは橋本で、私と鬼頭は葛城への牽制程度で良いということになった。
途中で、橋本が坂柳を試すような言動をし、それを坂柳が戒めるといった事を除けば、会議は比較的順調に進んだ。
橋本に関しては、相変わらず恐れ知らずだと、私は感じた。いや、橋本は私ほど坂柳を知らない。だから、まだあんな呑気な事が言えるのだろう。
会議が終わり、橋本と鬼頭と別れた後、私は、一人だけ坂柳に呼び出された。彼女は淡々と私を船首の側へと、連れて行った。
「私に何か用?」
坂柳はその質問には答えず、さらに先へと進んで行く。疑問を感じながらも口には出さず、彼女の後ろへ続く。そうして、船首の限界近くまで来たところで、ようやく坂柳は口を開いた。
「実は、真澄さんには特別にもう一つお願いしたいことがあります。聞いてくれますか」
辺りに生徒は誰もいない。わざわざ、坂柳が人がいないところまで自分を連れてきたのだ、ろくな話ではないだろう。
「それ、お願いじゃなくて命令でしょ」
「いえいえ、そんなことはありませんよ……ただ、真澄さんが、私のお願いを聞いてくれない場合は、少し真澄さんに冷たくしてしまうかもしれませんね」
ただの命令ではなく、絶対の服従しなくてはならない類の命令のようだ。最悪だ。
「やればいいんでしょ」
「真澄さんが親切な人で助かります」
思ってもいない言葉を聞き流しながら、私は、坂柳に命令の詳細を言うように促した。
「真澄さんにお願いしたいことは、偵察と妨害です」
「妨害って、葛城たちのこと?」
もしそうであるならば、先ほどまでの会議は何だったのか……橋本は囮ということだろうか。
しかし、坂柳の返答は私の想像とは違っていた。
「いえ、それは先ほど言った通り橋本君に任せます。真澄さんは適度に葛城君に従って、適度に逆らってください。真澄さんにお願いしたいのは、Dクラスです」
そう口にした坂柳の表情は、いつも以上に残酷に見えた。
それを見て、思った以上に暗い命令になりそうだと、私は感じた。
「……なんでDクラスなの?あと、なんで私?」
「人選という意味では、真澄さんのことを最も信頼しているからです。Dクラスを対象とした理由は、本当に聞きたいですか?」
つまり何も教える気もないし、もしどうしても聞きたければ、それ相応の覚悟をしなければならないということだ。
私は、坂柳の瞳の色が虚無に染まる前に答えを出した。
「やめとく」
「真澄さんの素直なところは好きですよ。あと分かっていると思いますが、橋本君たちには秘密にして下さい」
どんどん命令が暗いものへと変わっていく。私の中で、断りたい気持ちが強くなってきた。けれど、逆らうことなどできない。
「わかった。けど具体的に偵察と妨害って何すればいいわけ?」
「偵察はDクラスを観察するだけでいいです。終わったら成果を聞きます」
観察するだけ……言葉通りの意味とは思えない。
「待って。そんな曖昧なことを言われても困る。あんたの基準を教えて」
「基準は真澄さんに任せます。真澄さんがどれだけ熱心に取り組んでくれるか楽しみにしていますね」
愛らしく微笑む少女を見て、他の生徒だったら何と思うだろうか。案外、私と同じように、胡散臭い上に恐ろしいと思うかもしれない。
「……ちなみに、妨害は何をすればいいわけ?」
聞きたくもないが、聞かないと、後でより面倒なことになりかねない。
「妨害も真澄さんに任せます。こちらは難しそうでしたら、無理に実行しなくても構いません。勿論、少しでもDクラスを弱らせてくれれば、私の中で真澄さんの事を、より重要な人だと認識しますが」
つまり現状、私も、橋本達と同じで替えが効く駒でしかないということだろう。
「なら、無理にはしないけど」
「それで構いません……そろそろ時間の余裕がなくなりますね」
坂柳は一度、端末を見て、そう呟いた。私は、辺りを見回すと、ちらほらと生徒たちの姿が見えた。密談を進めるのには適さなくなってきたということだ。
もう一度、坂柳を見ると、彼女は自身の端末をまじまじと見つめていた。何かを深く確かめるように、じっと見つめている。そして一度深い笑みを浮かべると、端末を閉じた。
「では、真澄さん、またあとでお会いしましょう」
「分かった。あんたも一人だろうから気を付けてね」
これが、試験開始前にした私と坂柳の最後の会話だった。
***
特別試験開始後、Aクラスの行動は坂柳の思惑通りに進んだ。葛城は優秀な生徒だとは思うが、坂柳の足元にも及ばない。
私や鬼頭は、『坂柳不在であるため、しぶしぶ葛城に従っている』風を装う。そして、裏では橋本が工作を進める。そういった作戦だ。概要だけ聞くと、最も負担が大きいのは橋本に思える。
ただ、橋本や鬼頭と違って私には、あの意味不明の指示がある。それを踏まえると、私が貧乏くじを引いているように感じる。
偵察と妨害。具体的なものは何もない。ただ、指示の仕方からして、偵察優先ではあると思う。故に、特別試験開始後は葛城に探索を手伝うと申し出て、Dクラスの様子を窺うことにした。葛城は最初訝しんだが、特別試験が対他クラスであることを示すと、しぶしぶ許可をだした。坂柳がいないためか、いつもよりガードが緩いように感じた。もし、坂柳なら許可は出さなかっただろう。
葛城を中心とする五人の生徒は島の中心へと向かい、私は一人別行動をとった。Dクラスの集団を遠くに見つけたからだ。彼らは浜辺から森へと入り、ゆっくりと移動している。私は、葛城たちとの位置とDクラスの生徒たちの中間点となりそうな川辺へと向かう事にした。そこであれば、Dクラスへの偵察とAクラスへの合流、どちらにも対応できるからだ。
そして、その判断は正解だった。Dクラスのベースキャンプを早期に発見し、またDクラスの偵察班の行動も見ることができた。彼らは
正直な話、Dクラスは脅威には見えない。適当に探索しているだけのように見える。勿論、私は戦術に詳しいわけではない。ただ、素人目に見ても、危険には思えないし、態々こちらから偵察する必要があるのだろうか。
「どうせ、あいつがいない以上やるしかないけど」
今は坂柳の判断を聞くことはできない。ならば、試験前にされた命令に従うしかない。
――支配されているあなたが目標を持っていても意味はありません。
ふと、船にいたときに坂柳に言われた言葉を思い出した。
「所詮、私も、あいつに支配されてる生徒の一人」
あの少女に支配されることに対して思うところはある。だが、それ以上に恐怖がある。
私は、ずっと、坂柳の近くで、彼女の怪物性を見てきた。恐ろしいことも、悍ましいことも沢山あった。何度離れたいと思ったことだろう。だが、その気持ちを抱く度に、あの怪物がクスリとこちらに笑いかけてくるのだ。
逃げればどうなるか、裏切ればどうなるか、そう言外に伝えているように聞こえた。そして、彼女は、それを期待しているようにも、私には感じるのだ。
故に、支配される方が、逆らうよりはマシだと思っている。逆らえば、間違いなく、この学校でまともな生活は送れないだろうから。
特別試験四日目別視点
神室視点 全二話
四日目と書いていますが、四日目から、一日目を振り返っていてます。
対応視点『無人島へと至る船』『崖下、滝上』
船上試験執筆用のアンケートを設置しました。
特別試験の描写の仕方などに関わりますので、回答していただけると助かります。
よろしくお願いします。
4巻部分以降についての知識調査(今後の執筆内容に関わります)
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小説の4巻部分を読んだことがある
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アニメ版の無人島(3巻)までしか知らない
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小説未読だが、4巻部分の内容を知っている
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そもそも原作を知らない