「うん、詰んだ」
あれからしばらく探したものの、それらしい家は見つからなかった。
ドラマとかでは、”最初に行ったところが……”的な展開になるのだが、流石に現実は甘くはない。
見て回った住宅数は、軽く30を超えていた。
(こうなったら、明日にでも中井さんに頼んで)
渡してもらうことにしようとした時だった。
「――ださいっ」
「ん?」
どこからともなく女性の声が聞こえてきた。
辛うじてではあるが聞き取れた声は、どういうわけか僕が探していた人物の声に似ているような気がした。
(まあ、ありえないとは思うけど、ちょっと行ってみるか)
さすがに、この声の主が僕が探していた市ヶ谷さんというのはありえないと思いつつも、念のために確認するべく、声が聞こえたほうに足を進めた。
その結果は
「……まじか」
やはりというべきか、予想通りのものであった。
場所は人通りの少ない道。
僕が立っている場所から少し離れたところに、女性を挟み込むように二人の男が立っていた。
その女性が、今朝僕とぶつかった市ヶ谷さんだったのだ。
「そんなこと言わずにさー、俺たちと遊ぼうぜ」
「そーそー。お兄さんたち、怖くないからさ」
「今日は予定があるので結構です」
そして、状況もしっかりと把握できた。
これまたベタな話だが、現在市ヶ谷さんをナンパ中だ。
市ヶ谷さんは迷惑そうに何度も断ってその場を立ち去ろうとするが、男が挟み込むように立っているので動くに動けない状態だ。
(まったく、絶滅危惧種のはずなのに、どうしてこんなにいるんだろう)
ナンパをするような男はすでに絶滅危惧種にもなりかけているはずなのだが、最近そんな人をよく見かけることに、僕は心の中でため息を漏らす。
とりあえず、彼女に用があるため、助けないわけにはいかない。
(よし、あの作戦で行くか)
僕はできるだけ穏便に解決できるようにするための作戦を練り、それを実行に移す。
……ものすごく恥ずかしいけれど。
「有咲。こんなところにいたのか。待ち合わせの場所にいないから探したよ」
「はぁ!?」
「んだ、てめぇ?」
「悪いけど、この子は俺達と遊ぶんだ。とっとと消えな」
三人のもとに近寄りながら市ヶ谷さんに馴れ馴れしく話しかける僕に、男たちは敵意をむき出しに、市ヶ谷さんは驚きの声を上げつつも警戒した様子で僕を見る。
「自分は彼女の彼氏です。今日はこれからデートに行く予定があるので」
僕が練った作戦は、彼氏のふりをするという単純なものだ。
普通のナンパであれば、彼氏持ちであることが分かれば、あきらめる。
「ちょ、おま―――」
「彼氏さんよ、悪いけどもう俺たちと遊ぶこと確定なわけ。わかったらとっとと帰んな」
市ヶ谷さんは、僕の頓珍漢な言葉に怒りかそれとも恥ずかしさから頬を赤らめて反論をしようとしていたが、それを遮るように男の一人が声を上げる。
「そういうわけにはいきませんよ。それに、先に約束をしていたのは自分ですから、そちらこそ諦めるべきでは?」
「おいガキ、さっきから黙っていれば調子のいいことをほざきやがって」
(問題なのは、こういうタイプなんだよな)
僕の正論に、男たちはついにキレたようだ。
彼氏持ちだとわかっても諦めない人たちというのは、この後の行動も大体ワンパターンだ。
「痛い目にあいたくなけりゃ、早く失せな」
「これがラストチャンスだぜ? お前も、痛い思いしたくねえだろ? 何、彼女は大事にしてやるから安心しろよ」
(うん、こいつらクズだ。しかもゴミだ)
手をボキボキと鳴らしながら威圧するようにこちらに向かってくる男たちの言葉に、僕は不快感を抱かずにはいられなかった。
かといって、こちらから手を出すようなことはしない。
手を出せばこいつらと同類になるからだ。
何より、向こうは僕が手を出せないと思っているようなので、それに乗ることにした。
「お断りします」
「そっか……」
僕の返答など、お見通しだったようで、男たちはニヤリと不気味にほくそ笑む。
「早く逃げてっ」
市ヶ谷さんの言葉に、僕は軽く頭を横に振ることで答える。
この二人は、一見強そうな雰囲気を醸し出してはいるが、それほど強くはない。
本当に強い人たちが放つような威圧感が全く出ていない。
このくらいであれば、ノックダウンさえ考えなければ余裕で相手にできるはずだ。
(前に嗜んでいた武術がこんな形で役に立つなんてね)
暴漢対策にと習っていた武術が、意外な形で役に立つことに、僕は内心で苦笑する。
(まあ、女性を放っておいて逃げるのは、男としてできないしね)
それが一番大きな理由だったりもする。
「それじゃ、仕方ねえよなっ」
男の一人がこちらに向かって殴りかかってくる。
それを僕は普通に横に移動することで避けた。
それと同時に片足をこちらに向かってくる男の進路上に軽く出す。
「ぐはっ」
すると、見事に足に躓いて転んだ。
「てめえ、この野郎ッ!」
それを見て激昂した男が僕に殴りかかってくる。
「やあっ!」
「うぉ?! っぐ!」
殴り掛かろうとしてきた腕をつかみ、背負い投げの要領で投げ飛ばす。
「野郎ッ」
その時、最初に転ばした男がゆっくりと立ち上がりながらこちらを睨みつけてくる。
(こわっ)
その目はとても血走っていて正直怖かった。
そんな男が取り出したのは折り畳み式のナイフだ。
「ひっ!?」
そのナイフを見たのか、市ヶ谷さんが悲鳴を上げる。
「死ねぇ!」
「っと」
男の突進を避けた僕は、ナイフを持っている方の腕を抑えて、男を地面にねじ伏せる。
同時にナイフを奪い遠い場所に投げ飛ばしておくのも忘れない。
「まだやりますか?」
「くそっ、覚えてろよ!」
(はいはい、馬鹿なことをすると痛い目を見ることを覚えててね)
ベタな捨て台詞を吐きながら逃げていく二人の男の背中を見ながら、僕は心の中でそう呟いていた。
「あ、あの。助けてくれてありがとうございます」
「お礼はいいですよ。人として当然のことをしただけですから」
一息ついたところでお礼の言葉を口にする市ヶ谷さんに、僕はできるだけ人当たりの良い笑みを浮かべながら答える。
だが、彼女の警戒は解けていない。
「それで……ですね、どうして私の名前を」
どうやら警戒をしている理由は、名前を知っていたからのようだ。
まあ、見ず知らずの……しかも男に名前を知られていたら怖いに決まっている。
「今朝、ぶつかったのは覚えてますか?」
「……そういえば、ぶつかってましたね」
「あの後、貴女を追いかけるように走っていった栗色で猫耳のような髪形の少女が”有咲”と呼んでいたので」
僕がそこまで理由を説明すると市ヶ谷さんは『またあいつか』と怒ったような口調でつぶやいた。
「市ヶ谷さんに用があったので、その名前から市ヶ谷さんの通っている”花女”の知り合いを通して調べたところ」
「私の名前が分かった……ということですか?」
僕の説明を聞いてまとめるように確認する彼女に、僕は静かに頷く。
「これ、市ヶ谷さんのですよね? これを落とされていたので、渡そうと思いまして」
「あ、これ私のです。わざわざありがとうございます」
彼女の物と思わえたハンカチは、やはり市ヶ谷さんの者だったようで、本来の持ち主の手に渡すことができた。
「それでですね、えっとお名前は……」
「あぁ……。これは大変失礼を。私は」
そういえば自分の名前を教えていないことに、僕はようやく気付き名前を言おうとしたところで、携帯電話が鳴り響きだした。
”ちょっと失礼”と市ヶ谷さんに言いながら携帯を取り出すと、相手は日菜さんだった。
(なんだか、嫌な予感が)
”この予感はそうそう外れたことがないんだよね”と、心の中で思いながら僕は電話に出る。
「……もしもし」
『あ、一君? 今から事務所の会議室に来てねー』
「え? ちょっと、どういうこと……って、切れてるし」
もはや一方的に言っただけできられた電話に、僕は怒ることもできず
「はぁ……」
深いため息をついてしまった。
(とりあえず、行かないとまずいか)
このまま無視してもいいのだが、もしこれが重大な用事だったら取り返しのつかない事態にもなりかねない。
「あのー」
「申し訳ないけど、急用が入ったのでこれにて失礼ッ」
僕は市谷さんにまくしたてるように言って一礼すると、足早にその場から走り去る。
市ヶ谷さんに名乗ることができなかったので、ちょっとだけ申し訳ないとは思ったが、今合うことなどないだろうということで、いったん置いておくことにした。
(今日という今日は日菜さんにビシッと言おう)
せめて、相手のリアクションぐらいは聞くように、と。
そんなことを考えながら、僕は事務所に向かって走っていくのであった。
後に、そんなに日も置かずに再び会うことになるとも知らずに。
近頃、全国でインフルエンザが流行のニュースをよく耳にします。
うがいやマスクなどでは予防効果が薄いという衝撃的な話まで出てくる始末です。
皆さんも、インフルエンザにかからないよう、手洗いなどをきっちりやりましょう。
……というのを、現在インフルエンザに感染して治療中の私が言っていいのかに悩みますが(汗)