それは朝の教室で、席について華道に関する本を読んでいる時のこと。
「ねえ、一君」
「何? 日菜さん」
日菜さんに話しかけられた僕は、本にしおりを挟んで閉じると彼女のほうに顔を向ける。
「一君にクッキーの作り方を教えたのって、リサちーでしょ?」
「っ!?」
日菜さんの確信めいた問いかけに、僕は一瞬心臓が止まるような感覚を覚えた。
「あ、やっぱりそうなんだ」
「どうして、知ってるんだ」
「え? リサちーから聞いたんだよ?」
当たり前でしょと言わんばかりの日菜さんの答えを聞いた僕は、リサさんのほうに顔を向ける。
(あ。あからさまに顔をそむけた)
そりゃ確かに誰にも言わないでとは言ってないが、よりによって日菜さんに話してしまうだなんて。
(絶対にからかってくる)
それはこの一年間、嫌というほど体験してきたことだ。
「ありがとね、一君」
「……へ?」
だが、日菜さんの口から放たれた言葉は、僕の予想とは全く違った。
「あたし、嬉しかったんだよ。一君があたし達のために頑張ってくれてたんだって……だから、ありがと」
そう言って日菜さんは満面の笑みを浮かべる。
その表情に、なぜか僕の心臓はこれでもかというほど鼓動する。
「こちらこそ、いつもありがと。そして、おめでとう」
(そして、勝手に思い込んでごめんね)
僕はまだまだ彼女のことをよく知らないようだ。
これからは、変な先入観は捨て、ちゃんと彼女を見ていこう。
僕はそう自分を戒める。
「それでー、リサちーとどんな感じに教わったのか、話してよ。にしし」
「……」
前言撤回。
やはり、日菜さんは日菜さんだ。
結局この後、HRが始まるまで僕は日菜さんに質問とからかわれるのを交互に体験するはめになるのであった。
その間、心臓がバクバクするのを強く感じ続けていた。
「それで、話を聞かせてもらうぞ」
放課後、事務所のミーティングルームで僕は想定した通り、尋問が開かれていた。
「アンコール曲がカバー楽曲であるのはいい。過去にも例があることだ。だが、なぜあいつらの楽曲をカバーする。まさかお友達だからとは言わないだろうな?」
田中君の畳みかける問いかけに、僕は”もちろん”と応える。
友人だからというのも否定はしないが、大きな理由は別にある。
「彼女たち……Roseliaには、僕たちの目指そうとしている場所に到達できる可能性がある」
『っ!?』
僕の突き付けたその言葉は、啓介たちの表情を驚きに染めるのには十分すぎるものだろう。
「まじかよ」
「マジだ。だから、彼女たちと手を組んで、お互いに高め合いながら頂点に上り詰めるのでも面白い。今回のこれはその始まりを告げるもの。そういう理由だけど」
バンドを組んでいる者にとって、重要なのは練習量もそうだが、もう一つは経験値だ。
それには”ライブ”を行うほうが手っ取り早い。
ライブほど、効率良く経験値を得ることができるものはない。
失敗したら、その失敗を生かして成功させるための方法を考えればいいし、成功したら次も成功できるように練習を頑張ればいい。
ライブというのはこれ以上ない自分たちの実力を知ることができる、パラメーターのような存在なのだ。
「つまり、彼女たちの注目を高めて、ライブ回数を増やさせるってこと?」
「そういうこと」
僕の意図はすぐにみんなに伝わった。
「これが僕のわがままだというのは百も承知。そのうえで、このわがままを許してほしい」
僕はそう言うとみんなに頭を下げてお願いする。
正直に言ってこれでだめなら、どうしようもないと思っていた。
ミーティングルーム内が静寂に包まれてから、どれほどの時間が経過しただろうか。
この時ほど1秒という時間が、長く感じられたことはないような気がする。
「頭を上げろ、一樹」
静寂を破ったのは、田中君だった。
「お前の気持ちはよく分かった。正直言って、あまり気は進まない。彼女たちは俺達から見ても未熟なうえに不安定だ。そんな彼女たちと手を組むなんて、お前の言う”リスク”になるはずだ」
田中君の言葉は、とても的を得ていて正論だった。
だが、田中君は”だがな”と言葉を続けると、啓介のほうに視線を向ける。
「俺としては、そのほうが楽しそうだからいいと思うけどな」
「私も……ちょっと怖いけど」
「私もそんなところかな。ボーカル同士手を組んでもマイナスにはならないし」
啓介に続いて中井さんと森本さんが賛成の意を示していく。
「ということだ。俺たち全員、異論なしだ」
そう締めくくった田中君たちに、僕は席を立つと、”ありがとう”とお礼を言って再び頭を下げた。
「さて、それじゃとっととセットリストを考えよう」
啓介のその一言で、僕たちは今日の本来の話し合いの内容でもある、セットリストについて話し合いを始める。
「今回は、前回までのゲリラライブができなくなったこと以外には変更点はない」
最初に田中君が前回のライブと今回のライブの変更点について説明をする。
「ゲリラライブができなくなったのはちょっと痛いわね」
「あの曲ほとんど観客に受けてたもんな」
真剣な表情の森本さんに、啓介は残念そうな口調で相槌を打つ。
ゲリラライブを行うと、スタジオのスタッフの負担が増加するため、それを軽減したいというのが相原さんに言われた言葉だった。
確かに、いつどこの枠でそれを行うのかを決めるのは、当日の気分という状態が続けば、禁止されても仕方がないと思う。
(まあ、僕的にはどっちでもいいんだけど)
ゲリラライブでやっている楽曲は、そのほとんどが常識という枠を大きく逸脱する感じだ。
なので、別にやれないならやれないでそのままお蔵入りさせればいいわけだが、それもなんだか味気ないと思う自分がいる。
「それじゃ、ゲリラライブでやっている曲を何らかの形で演奏する枠を設けてみるのはどうかな?」
そんな中、中井さんから出された提案が、話を大きく進めるきっかけになった。
「それだっ」
「確かに枠を設ければいいかもしれないな」
「それじゃ、名前は”カオスティック”にしようか」
提案から決定までの時間はものすごく速かった。
(あんまりレギュラー化させたくないんだけど)
そもそも没曲にしている時点で、あまり積極的に表に出したくないのだが、観客が盛り上がるのならそれでもいいかと思っている。
着実にライブに向けての準備が進んでいる。
このままなら、きっとうまくいく。
そう思っていた時だった。
「一君、大変!」
「たのも―! です」
「うわ!?」
ノックもなしに思いっきり開け放たれたドアの音と共に、日菜さんが慌てた様子で入ってきた。
それに続くように若宮さんもやってくる。
「日菜さん少し落ち着きましょう」
「イヴちゃんも、落ち着いてね」
日菜さんが来てから少ししてやってきた大和さんと白鷺さんが二人を落ち着かせる。
「一体何事?」
一瞬混沌と化したが、何とか落ち着きを取り戻した頃を見計らって、僕は話を聞く。
「彩ちゃんが、クビになっちゃったんだよ!」
「……は?」
日菜さんのその一言が、僕の想定していたことから大きく外れていくきっかけとなるのに十分すぎるものだった。
ものすごく気になる終わり方ですが、詳しい内容は次回になる予定です。