ここからこの章の物語は大きく動き出します。
それでは、どうぞ。
久しぶりの練習からしばらく経った10月の半ば。
問題になっていた一樹のギターの音色の歪みについては完ぺきに克服されていた。
どうしてなのかはわからないが、改善できたのだから良しとしようというのが、聡志の言葉だった。
そういうわけで、練習のペースも早まりいい感じになってきた時だった。
「遅えな……」
いらだった様子で聡志がつぶやく。
俺たちは一樹の家の前で待ちぼうけを食らっていた。
「裕美」
「ひゃい!?」
聡志の怒気に充てられたのか、委縮した様子で後ろに下がった。
「一樹は確かにお前より早く出たんだよな?」
「う、うん」
彼女の話によれば、自分よりも早く出ているはずなのに、遅く出た俺たちより遅く帰ってきている。
「聡志も怒らない。何か用事でもあるんでしょ」
「それなら普通は言うはずだ。ここ最近暫くこんな感じだ。せっかく一樹のギターの音色が戻ったのに、これでは意味がない」
何とか宥めようとする森本さんに反論する聡志の言葉も一理ある。
最近、一樹の様子がおかしいのだ。
俺たちと話していても、上の空だったり、時々顔をしかめたりもするし。
「ごめん皆!」
そんな時、慌てた様子で駆け寄ってきたのは、この家の主でもある一樹だった。
「遅いぞ! もう30分も遅れてるんだ!」
「ちゃんと練習で取り戻すよ……っ」
慌てた様子で鍵を取り出そうとしたとき、一瞬一樹の表情が変わったのを俺は見逃さなかった。
(あれって……)
その表情はまるで痛みをこらえているようにも見えた。
その時、俺は無性に嫌な予感を感じたのだ。
(こうなったら……)
俺は地下室に向かいつつ、あることを決心するのであった。
翌日の放課後、俺は足早に学園を後にすると、一樹たちが通う『花咲川学園』付近に来ていた。
「ここなら、一樹が通ればすぐにわかる」
そこは一樹がいつも通る道らしい。
この日、俺は一樹が返ってくるのが遅れる理由を突き止めようとしていた。
(来たっ)
ほどなくして一樹の姿が見えた。
その様子は別にいつもの感じだ。
ただ、表情が少し硬いような感じがしたが、それは一応置いておくことにした。
俺は一樹にばれないように、こっそりとあとをつけるのであった。
それからしばらく歩いていくと、だんだん人通りが少なくなり始める。
(っていうか、ここってやばい不良グループの拠点があるって噂の場所じゃねえか。なんだってこんな)
名前は忘れたが、その名を聞いただけでも震え上がるほどに恐ろしいグループらしい。
すると、一樹はふと敷地内に入っていく。
そこは鉄筋がむき出しで、いまにも崩れそうなビルのような建物がある場所だった。
俺はそこの出入り口の陰から、中の様子をうかがう。
(っ!?)
そこから見えたのは、一樹と明らかにやばそうな作業着風の服を着ている不良グループたちが対峙しているところだった。
(ここからじゃよく聞こえない)
聞えなくてもやばい状態であるということぐらいは分かる。
それははっきりとした形で現実のものとなった。
(っ!?)
俺の目に飛び込んできたのは、一樹が複数の男たちにタコ殴りにされているところだった。
この距離にいても男たちの歓声が聞えてくる。
(ひどい。ひどすぎるっ)
地面に倒された一樹は、そのまま足蹴りされている。
(くそっ、どうして俺は何もできないんだっ)
本当なら、今すぐあの場所に飛び込んで止めに入るべきだ。
なのに、俺はそれができない。
怖かったのだ。
(俺は、どこまで臆病なんだ)
悔しさに唇をかんでいると、男たちは満足したのか散り散りにその場を後にしていく。
俺はそれを確認して、一樹のもとに駆け寄る。
「一樹、一樹!」
「啓介……なんで?」
意外にも、一樹はまるで何事もなかったかのように立ち上がっていた。
多少ふらついてはいるが、それ以外は全く変化はない。
「お前がいっつも遅くに来るから理由を突き止めようと……それにしても、あいつらいったい何者なんだよ?」
「悪いことをしたかな。あいつらは『花咲ヤンキース』っていうらしい。それ以外は知らない」
一樹の口から出た奴らのグループ名だと思われる名称に、驚きを隠せない。
「なんだって、そんな奴らが」
―花咲ヤンキース。
その名前を知らぬ者はいないほどに有名だ。
むろん、悪い意味でだが。
バイクを乗り回しては暴走族まがいの危険行為を行うなど、優しいものだ。
気にくわないものへのカツアゲや暴行、詐欺などなどを行う不良グループで、彼らの名前を聞いただけで粋がっていたチンピラも尻尾を巻いて逃げ、姿を見ようものなら失神するらしい。
まさに、関わらないほうがいい部類の人間だ。
「たぶん夏休み前のだと思うけど」
そう切り出して、話してくれたのは一樹の知り合いの女子が『花咲ヤンキース』に絡まれていたのを、助けたことがあったらしい。
「それじゃ、そのことを逆恨みして、こんなことを」
「慰謝料500万渡すのと、毎日10分間タコ殴りにされるのを選べって言われたから後者を選んだっていうわけだ」
うわさで聞いてはいたが、下種としか言いようがない。
何より驚くのが、それをまるで他人事のように語る一樹だ。
「どうして後者なんか。お金だったらあるだろ」
あの事故の一軒で事故を起こした人から慰謝料や示談金などが支払われたというのは、聡志の父親から聞いている。
額に関しては詳しくは聞いていないが、贅沢さえしなければ数十年は働かずに暮らせるほどらしい。
「……あれは、大事なお金。あいつらに渡すような物じゃない。それに、殴られても急所を外さしてるからそんなにきつくもないし」
俺には一樹が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
お金よりも命のほうが大事だ。
「それって、一体どういう……いや、そんなことはどうだっていい。一樹、今から警察に行こうっ」
だから、俺はそう告げたのだ。
警察に最凶の不良グループの対応ができるのかが不安だが、これ以上は命の危険がある。
「いい」
「そっか、警察に行ったら報復されるもんな。だったら俺たちで――「それもいい」――どうしてだよ? お前、そういう趣味じゃないだろ」
警察はおろか俺たちの手助けまで否定された俺は、自分たちは役に立たないといわれている感じがした。
「いい加減にしろよ! 俺たちがどれだけお前のことを心配して――「だから、それが一番嫌なんだっ!!」――っ!?」
感情のままに叫ぶ俺の言葉を遮るようにして、一樹が声を張り上げた。
その声は、今まで聞いたことがないくらいに悲痛なもので、思いっきり頭から冷水をかけられたような衝撃だった。
「頼むから……頼むから、もう放っておいて」
先ほどとは打って変わって力なく言うと、一樹はふらつきながらその場から逃げ出した。
「一樹……」
俺は、その後ろ姿に声をかけることはできなかった。
(どうしてだよ。どうして……)
物心がついてから常に一緒にいた俺たち。
まるで家族のように、お互いの考えていることは、言葉を交わさずとも分かっていた。
だが、実際のところはどうだ?
俺には一樹の考えることは全く分からない。
(俺はどうすればいいっていうんだよ)
「くそっ」
悔しさのあまり地面を蹴った俺は、困惑することしかできなかった。