ミーティングルームに置いといたギターケースを手に、僕はCIRCLEを訪れていた。
「えっと、Bスタジオ……ここか」
目的地であるスタジオのドアの前まで来た僕は、そのドアを開ける。
「一樹ッ」
「一樹!」
「一樹君」
「一樹」
出迎えてくれたのは啓介たちだった。
皆はとてもほっとした様子で僕のことを見ている。
「一樹、体のほうは大丈夫なのか?」
「心配かけてごめん。でももう大丈夫」
僕は軽く飛び跳ねて大丈夫であることをみんなに示しながら答える。
本当は絶対に大丈夫とは言えない。
そもそも医者から勧められた手術を拒んでいる時点で大丈夫ではないのだが、皆に変な不安要素を与えたくはないので黙っておくことにした。
「早速で悪いけど打ち合わせ通り、練習のほう初めてもいい?」
「ああ。こっちはいつでも準備はできてる」
田中君の言う通り、皆はすでに楽器のチューニングなどを済ませており、いつでも演奏ができる状態だった。
僕は手早く準備を整える。
今日、この時間で練習をすることをみんなに連絡しておいたのだ。
方法は時間がないため通しでライブで演奏する楽曲を演奏するというもの。
本来であれば、色々と細かい個所を詰めていきたいところだが、今回は致し方がない。
(才能のみで乗り切るのはあまり好きじゃないけど、今回ばかりはしょうがないか)
おそらくは通しでやっておけば本番は大丈夫なはずだ。
入院してからも練習のほうに時間を割くようにお願いしてたので、僕以外はしっかりと練習ができているはずだ。
皆がお見舞いに来なかったのはそういう理由がある。
「それじゃ始めるぞ。1,2,3,4ッ」
こうして、たった一度きりの練習が始まるのであった。
「それじゃ、僕は戻るね」
「本番大丈夫なのか?」
一通りの演奏を終え、問題点などを確認したところでここにいることができるリミットを迎えたため、僕は素早く片付けに入っていた。
「大丈夫。絶対に成功してみせるよ」
僕たちにはそれしか選択肢はない。
そういう意味を込めて、啓介に言ったが、その意味が伝わったかどうかは分からない。
「一樹……無茶はするなよ。氷川がうるさいから」
「あはは……ごめん」
なんとなく、田中君にとばっちりが言っているような気がした僕は、苦笑交じりに謝りつつスタジオを後にする。
そしてそのまま僕は入院していた病院に戻っていく。
(絶対にこのライブ。成功させて見せる)
その思いを抱きながら。
そして、僕の退院の日が訪れた。
僕はロビーで退院の手続きをしている義父さん達が戻ってくるのを待っていた。
(予定だと、午前中には手続きが終わるから、いったん家に荷物を置いて、その足で会場に向かう感じかな)
ライブの開場時間は13時。
開演時間は14時になっている。
自宅から会場まではおよそ30分ほどかかる。
どんなに時間がかかっても60分もあれば到着する。
本来であれば、開場前までには会場に到着していなければいけないのだが、啓介たちの気遣いのおかげで、開演30分前までに到着すれば大丈夫という手はずになっている。
これに関してはみんなに感謝してもしきれない。
(待っている間に田中君にメールでもしておこう)
僕は田中君にある指示を書いておいたメールを送信する。
その内容は『報復があるかもしれないので、要注意』というものだった。
報復するであろう人物は言うまでもなく倉田だ。
(本当だったらこのライブの後にやるつもりだったんだけどな)
当初の僕の計画では、このライブを成功させた後に、倉田を追放する手はずだった。
だが、倉田の外道ぶりが僕の予想をはるかに上回っており、あまり時間を稼ぐことが難しいこと。
なによりも、週刊誌にこの一連の騒動が報じられ始めたことで、急きょ倉田の追放を早めるしかなかったのだ。
週刊誌では、『Pastel*Palettes』の名前こそなかったものの、何時名前が明らかにされるかというのを考えても、時間をかけるのは危険だと判断したのだ。
元々、Pastel*Palettesはデビューライブの一件で、かなり大きなダメージを受けている。
そのような状態で、このような報道がされれば大したことのない物でも致命傷になりかねない。
まだ、彼女たちは不安定な状態なのだ。
できる限り、マイナスにつながるような材料は排除しておきたい。
(かなり後手後手に回ってるな。本当に)
自分の計画の甘さをこの時ほど悔やんだことはない。
倉田を追放した以上、彼が僕たち(というか確実に僕だけど)に報復をすることは十分に予想できる。
それにはこのライブが格好のチャンスだ。
ライブの音響に細工をして、演奏をできなくさせる。
会場にいる僕たちを襲撃するなど、様々な報復手段が目地通しだ。
(何もなければいいんだけど)
会場の警備体制はいつも通り万全だ。
大丈夫だとは思うが、まさかという事態に備えておいても問題はないだろう。
(田中君は武術を嗜んでいるし、僕もかじった程度ではあるけど何とかなる)
暴漢対策にとやっていた柔道が、こういう形で行かされるとは昔の僕も夢にも思わなかっただろう。
「一樹、手続きが終わったぞ」
「うん、わかった」
今後のことに考えを巡らせていたら、いつの間にか退院の手続きは完了していた。
(この注意書きの書類が今日に限っては、いつも以上に多く感じる)
義父さんの手にあるのは、僕の病気に関しての説明と処方される薬の注意書きが記されたものなどの書類だ。
僕にはいくつかの薬が処方されるようで、そのことを考えると少しブルーな気分になってしまうが、逆に考えればその薬さえちゃんと服用していれば、ある程度危険度は下げることができるのだ。
何事もポジティブが一番だろう。
「さて、まずは薬局に行くか」
「うん。お願い」
こうして僕は薬をもらうために近くの薬局に向かうのであった。
時刻は13時25分。
義父さんと一緒に会場まで来たので、無事に会場にたどり着くことができた。
義父さんとは会場前で別れ、そのまま楽屋に向かう。
「皆っ!」
「お、一樹。間に合ったな!」
僕を出迎えたのはすでにステージ衣装に着替えていた啓介たちだった。
「一樹、わかってるとは思うが、時間がおしているから早く準備を」
「わかった」
楽譜に目を通していた田中君に急かされるように、僕もステージ衣装に着替える。
(やれることはやった。後は僕たちの腕次第)
もうこれ以上やることはない。
パスパレのデビューライブから始まったこの一連の騒動も、これですべての決着がつく。
(彼女たちから渡されたバトン。絶対に無駄にはしない)
僕たちのもう一つの一か八かの逆転劇は、こうして最終段階に突入するのであった。
メインヒロインは誰?
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紗夜
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日菜