「それで、どうして遅くなったのかしら?」
とりあえず、遅れてやってきた啓介たちを落ち着かせ、息が整ってきた頃合いを見計らい、湊さんは遅れた理由を聞く。
「それは……」
「氷川日菜だよ。あいつ、事務所で永遠と『ライブを中止にしろ』って言い続けて足止めしてきやがったんだ」
啓介は言葉を濁していたが、苛立った感じで言い放った田中君の言葉は、僕の予想通りの答えだった。
「裕美が彼女を無力化してくれたから、何とか突破できたんだけど」
(そういえば、中井さんは護身術を嗜んでたっけ)
格闘技のような真似はできないにしても、相手の身動きを封じて制圧することはできるらしい。
僕はまだそれを見たことはない(というか、見る機会に遭遇したくないんだけど)のだが。
「ヒナが?」
「……そういえば、私にも同じことを言ってました。『合同ライブを中止にして』って。もちろん、私は断りましたけど。このライブは私の一存で決めてはいけないですし、大事なライブですから」
ここで知った驚きの真実に、僕は言葉も出ない。
「でも、どうしてヒナはそんなことを言うのかな? この間までは、ライブを楽しみにしてるって言ってたのに」
「それは……」
「僕から話すよ」
リサさんの疑問に、中井さんたちがこちらに視線を向けるのを感じながら、僕は事のあらましをすべて彼女たちに話した。
「なるほど……」
「ねえ紗夜。一樹君は覚えがないって言ってるけど、そこのところどうなの?」
「え?」
話を聞き終えると、その場には重苦しい雰囲気に包まれていた。
「僕からも頼む。もし本当にいじめていたのであれば、今この場で謝りたい」
「そ、そんな……私も初耳なんです。私は別に一樹さんにいじめられたことはないはずです」
だが、紗夜さんから返ってきた答えは、あまりにも残酷なものだった。
「じゃあ、ひなちんはどうして、いじめられたなんて言ってるんですか?」
「それが分かれば、苦労はしない」
あこさんの疑問に投げやりになってしまうのも致し方がない。
「とにかく、練習を始めましょう」
「……だね。そのほうがいいな」
これ以上考えていても、結論は出ない。
なので、僕たちは練習を始めることにした。
……だが、啓介達が遅れたことと彼女とのトラブルのことなどで、練習に身が入るわけもなく、これといった成果は出なかった。
「それで、いつまで放っておくつもりだ」
「………」
翌日、事務所のミーティングルームに呼び出された僕は、呼び出した張本人である田中君に問いただされていた。
「いくらあいつでも、物事には限度がある」
「今回ばかりは、聡志に賛成だ。彼女、明らかに俺たちの邪魔をしてる。意図的にな」
「一樹。やりたくない気持ちは分かるんだけど、もうここまでひどくなっている状態だと、ライブのほうにまで影響が出ることになるんだよ」
議題は、氷川日菜に対する処置だ。
全員が、僕に彼女を止めるように促してくる。
いつもであれば、計画を立てて動こうとする僕を止めたりすることが多いだけに、今回が異例中の異例だというのはいやでもわかる。
それに、確かにみんなの言うとおりだ。
これまでは、彼女と僕とのトラブルで済んでいた。
それはあくまでも、僕と彼女の間で済んでいたからだ。
だが、今は状況が違う。
彼女は、ついにライブの開催を阻止しようとしている。
そうなれば、問題は僕たちだけではなくMoonlight GloryとRoseliaの二つのバンドの問題にも発展するのだ。
ましてや僕は、Moonlight Gloryの作戦参謀だ。
僕たちの進む道を妨げる彼女を何とかする必要が出てくるのだ。
なかなか踏み切れなかったが、とうとう先日の一件で実害が生じてしまった。
「わかってる。もし、次向こうが動いてきたら、その時は……」
「……そうか」
僕のその決断に誰も何も言わなかった。
もう、こうするしかないのだ。
そして、僕たちはRoseliaとの合同練習をするべくCiRCLEに向かうことになったのだが
「お前……」
廊下に出た僕たちの前に立ちはだかったのは、氷川さんだった。
その目はあの時と同じ親の仇を見るような目だった。
彼女の後ろには丸山さんたちの姿もあった。
丸山さんも、何とかしようとしていたみたいだが、それは実ることはなかったようで、こちらに向かって手を合わせて謝っていた。
「ライブを中止にして」
「答えを言おう。ノーだ」
彼女の要求に、僕は即答で答える。
「これは子供の遊びじゃない。立派な仕事だ。それをこちらの事情で中止にすることなんかできるはずがない……それは氷川さんでもわかるはずだ」
「そんなの嘘だっ。美竹くんはおねーちゃんをいじめたくてわざとそう言う風にしたんだっ」
(これじゃ、この間の二の舞だ)
もうすでに、話の展開がこの間の時と同じになってしまっていた。
つまり、埒が明かない状況であるということだ。
「氷川日菜。これは最終警告だ。これ以上僕たちの邪魔をするのを止めろ。さもなくば、私はお前を”障害”として排除することになる」
「……」
僕の口調が変わったからか、氷川さんは何も言わなくなった。
「これでも友人だったよしみだ。君にはそのようなことはしたくない」
それは僕の本心だ。
ここで止まってくれれば、僕はこれ以上何もしなくても済む。
「いいか? よく聞け。このライブは、私たちの宿願をかなえるための、重要なライブなんだ。それを誰にも邪魔されたくはないんだ」
僕はそこで一度言葉を区切ると、彼女にこう告げた。
「君のそのくだらない妄想話にもね」
「ッ!!」
僕のその言葉に、これまでの彼女からは想像もつかないほどのピリピリとした鋭いオーラ……殺気にも近いものが僕に向けて放たれる。
「わかったら、そこをどいて」
「……っ」
それは一瞬のことだった。
まるで何かの爆弾が爆発したかのように、僕は壁のほうに吹き飛ばされ、気づくと床に座り込んでいた。
それから遅れるように、僕の頬がじわじわと痛みを放ち始める。
彼女の手は、固く握りしめられた状態で思いっきり振りかぶられており、そこでようやく僕は殴られたのだと認識することができた。
「氷川、てめぇっ」
「聡志ッ」
一瞬の沈黙ののちに、今度は田中君から怒号が飛び出す。
それを僕は、彼の名前を大きな声で呼ぶことで止めると、壁に手をつきながら立ち上がる。
「それが、お前の答えか」
まだ痛む頬を抑えながら、僕は彼女を問いただす。
不思議なことに殴り飛ばした本人が、驚いたような感じだった。
「それなら、致し方がないな。田中君、後白鷺さんもちょっと一緒に来てくれる? 」
「おう」
「わ、わかったわ」
「啓介、Roseliaのメンバーに遅れることを言っておいて」
「あ、ああ」
僕は彼女を見据えたまま、皆に次々と指示を出していく。
そして、そのまま彼女の脇をすり抜けて廊下を進む。
その先に、再び僕の行く手を遮るようにして立っていた驚きで固まっている様子の丸山さんたち三人の前で足を止めると
「お前らも、潰されたくなければそこをどきな」
「「「……っ!」」」
僕の言葉に驚いたのか、それとも口調で驚いたのかはわからないが、慌てた様子で僕が通れるように端に移動する。
それを見た僕は、そのまま前に進みだすのであった。
氷川日菜の自宅謹慎処分になったのは、それからすぐのことだった。
第4章、完
ある意味衝撃的な展開で今回は終了です。
次章で、一応の解決となりますので、楽しみにs手いただけると幸いです。
それでは、次章予告をば。
二人の間に空いた溝はさらに大きくなり、ついに対立状態になってしまった一樹と日菜。
彼らの問題は山積みの状態で、ついにライブの日を迎えることになる。
その時、彼らが出す答えは……。
次回、第5章『始まりの関係』