第196話 新しい始まり
紗夜さんと恋人同士になって、数日が経過した。
恋人になったからと言って環境ががらりと変わったのかと言えばそうでもない。
朝起きて、バンドの練習や夏休みの課題などといった日々を繰り返している。
ただ、変ったといえば
BanG Dream!~隣の天才~ 第6章『Happy Day、New Day』
朝、僕は氷川家の玄関前に立っていた。
『一君、ちょっと待っててね』
チャイムを鳴らすとすかさず聞こえてきたのは日菜さんの声。
そして、
『おねーちゃん! 彼氏の一君が来たよ~!!』
『日菜ぁ!!!』
家の中から聞こえる氷川姉妹のやり取りだった。
「全く、日菜ってば……」
「まあまあ、彼女にも悪気があるわけじゃないんだから……たぶん」
家を出てから、紗夜さんは先ほどのことをぶつぶつと言っていた。
よほど日菜さんにからかわれたのが恥ずかしかったのだろう。
「一樹さんは、日菜の肩を持つんですね」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
頬を膨らませて恨めしそうに見ながら言ってくる紗夜さんに、僕はどう言えばいいか必死に言葉を練っていく。
「ふふ、ごめんなさい。ちょっと意地悪を言ってしまいましたね。大丈夫ですよ、ちゃんとわかってますから」
「……ッ! 叶わないな、ほんと」
くすくすと笑いながら言う紗夜さんに、僕は初めてからかわれたことに気づき、謎の敗北感を味わうことになった。
「それじゃ紗夜さん」
「っ! え、ええ。行きましょう。一樹さん」
紗夜さんは、一瞬驚きながらも、僕の差し出した手を取ると、そのままCiRCLEに向かって足を進めていくのであった。
Roseliaの練習は、夏休み中も続き中々にいい結果をもたらせている。
やはりこの間のライブがいい火付け役になってくれたようだ。
そんな練習の休憩中のこと、僕に話しかけてくる人物がいた。
「ねえ、一樹君。一つだけ聞いてもいいかな?」
「駄目だって言っても聞くでしょ?」
何やら興味津々な様子で聞いてくるリサさんに、僕はその内容を促す。
「一樹君と紗夜って付き合ってるんだよね?」
「「っ!?」」
そのリサさんの問いかけに、僕と……そして少し離れた場所にいる紗夜さんも体をこわばらせた。
「あははっ、二人ともわかりやすすぎだよ~」
その様子がおかしかったのか、リサさんはくすくすと笑いながらからかってきた。
「えぇ!? 二人とも付き合ってるんですか!?」
「おめでとう、ございます」
そんなやり取りを聞いていたあこさんと、白金さんは驚きながらも祝福の言葉を口にしてくれた。
「い、今井さん。どうしてそのことを」
そんな中、紗夜さんがリサさんを問い詰めていた。
確かにそれは僕も気になる。
徹底的にというわけではないが、公衆の面前ではそのような言動は取っていないはずだ。
だが、そんな僕たちにリサさんが口にしたのは、意外な言葉だった。
「いや~、二人の様子を見てたら分かるって~」
「……」
何だろう、この何とも言えない敗北感のようなものは。
「ね、友希那もそうだよね」
「ええ。いつも美竹君と一緒に来ると嬉しそうにしてるからすぐにわかったわ」
「み、湊さんまで」
笑みを浮かべる湊さんとは対照的に、顔を赤くして俯く紗夜だったが、湊さんは一つ咳ばらいをすると
「私はあなた達がそういう関係になったとしても何も言わないわ。その代わり、練習に支障をきたすようなことは慎んで頂戴」
「それはもちろんです」
「右に同じく」
真剣な面持ちで注意してくる湊さんに、僕たちもまた頷いて答える。
こちらとて、バンド活動に支障が出るような真似はするつもりはない。
要するに、節度を持って付き合えばいいだけの話だ。
そして、この後練習が再開されるのであった。
「今日の練習はここまでにしましょう」
『お疲れさまでしたー』
練習を再開してしばらくして、湊さんの号令によってこの日の練習は終了となった。
「はー、今日もハードだったねー、りんりん」
「うん、そうだね。でも、その分うまくなっていってると、思うよ。がんろう、あこちゃん」
「最近いつもより練習に熱が入るようになったよね、あたし達って」
練習が終わって、それぞれが私語を始める中、リサさんの言葉から、僕はある意味変化のようなものを感じていた。
「それは、この間のライブのおかげね」
「はいっ。あこ、まだあのステージに立てたことが夢だったように思ってますよっ」
湊さんの言う通り、この間開いた合同ライブがいい刺激になったみたいだ。
それなら、ライブを開催しただけのことはある。
「あのライブをきっかけにRoseliaに興味を持った人たちもいるみたいだし、良かったんじゃない?」
「そうですね。これからのことを考えると、色々と勉強になるライブだったと思います」
僕の言葉を肯定する紗夜さんもまた、いい笑顔だった。
「それよりも、速く片付けちゃおっか」
そんなリサさんの一声で、僕たちはスタジオの原状復帰に取り掛かるのであった。
「それじゃあたしたちは一緒に帰るから紗夜と一樹君は二人で帰ってね」
「紗夜さん、気を付けて帰ってくださいね」
「また、練習の時に」
スタジオを出たとたんに、リサさんの露骨な気遣いで僕と紗夜さんは二人で帰ることになった。
「一樹君送り狼にならないようにね~」
「「リサさん(今井さん)っ」」
リサさんのからかう言葉に僕と紗夜さんは同時に抗議の声を送るも、当の本人に”冗談冗談”と躱されてしまった。
そんなわけで、僕たちは一緒に帰ることになったのだが……
「「………」」
お互いに会話がなかった。
それもそうだ。
リサさんのからかいがあった後で何を話せばいいかで適用がない。
「一樹さん」
「あ、何? 紗夜さん」
街灯に照らされる彼女の顔は、どこか赤く見えた。
「あの……手を」
そんな紗夜さんのおねだりに、僕は静かに手を差し出すと手をつないだ。
「ふふ」
すると、紗夜さんが静かに笑い声をあげる。
「不思議ね。あなたと手をつないだだけで、心が満たされていくようです」
「それは僕もだよ」
いったい、手をつなぐということをしたのは何年ぶりだろうか?
小さい頃はよく友人と(まあ、啓介たちとだけど)手をつないだりはしていたが、今はそんなことをすることはない。
それだけに、嬉しさもまた増していくのかもしれない。
「私、一樹さんを好きになれてよかったです」
「それは僕もだよ。紗夜さん」
帰り道、オレンジ色の明かりに包まれていく中、僕たちは静かに微笑み合うのであった。
僕たちは今、とても幸せだ。