夜、時刻はすでに9時を回っている。
そんな時間にもかかわらず、僕たちはリビングでお互い向き合うように座っていた。
「……」
「……」
僕たちの間に会話はなく、お互い自分の手元を見つめていた。
お風呂を済ませたところまではよかったのだ。
そこまでは、ある意味勢いでできた。
だが、お風呂に入って冷静になったからだろうか、今自分がどれだけ恥ずかしい状況にいるのかがわかり、それを意識してしまったのだ。
尤も、一番意識したきっかけは、薄い緑色の寝間着姿を見たからかもしれないけど。
そして、それはたぶん紗夜も同じで、お風呂から上がった頃には口数も減り、なんとも言えないもどかしい雰囲気に包まれていた。
「そ、そろそろ寝ない?」
「そ、そうね。もう遅いし、そうしましょ」
気まずい雰囲気を何とかしようと提案してみるが、やはり微妙に変な雰囲気を残したまま、僕たちは寝ることにした。
だが、ここでも大きな問題が発生した。
「紗夜はベッドで。僕は床に布団を敷くから」
「いいえ、ここは貴方の家なんだから、私が布団で寝るわ」
そう、どっちがベッドで寝るかだ。
紗夜の言い分は合理的で正しい。
だが、お客さんを……しかも恋人を床に寝かせて自分だけベッドで寝るというようなことをできるほど、僕の精神は図太くない。
「でしたら、解決策があるわっ」
押し問答がしばらく続いた末に、紗夜は僕に妥協案を出してきたのだ。
若干顔が赤いのが気になったが、僕はその妥協案を聞くことにした。
「わ、私と一樹君が、一緒にベッドで寝るの、よ」
「……」
僕はこの日、何度目になるのかわからない放心状態に陥った。
恥ずかしさで顔をさらに赤くする紗夜が出した妥協案は、僕と紗夜が一緒のベッドで寝るというものだった。
「一樹君は私と一緒に寝るのは嫌なの?」
「そんなことはないよっ。そりゃ好きな子と一緒に寝れて幸せだって思うけど……紗夜は、それでいいの?」
多分、僕の顔も紗夜に負けないくらい赤くなっていると思う。
でも、それが僕の本音だ。
「ええ……私は一樹君と一緒に寝たいの」
頬を赤く染めながらも、微笑みながら言われたそれがトドメだった。
「それじゃ、電気消すね」
「え、ええ」
僕はベッドの壁側に横になる紗夜に向けて声をかけると、部屋の明かりを落とした。
「し、失礼します」
「一樹君、このベッドは貴方のだし、そんなに畏まらないで」
当然部屋は真っ暗になるが、僕は緊張に体をこわばらせながらベッドに潜り込んだ。
「お、おやすみ」
「ええ。おやすみ」
そして、お互いに眠ることにした。
……のだが。
(ね、寝付けない)
いつもならそれなりに早く眠れるはずが、この日は中々眠りにつけない。
それは間違いなく、紗夜が隣にいるからだ。
緊張して鼓動が速まっているのを感じた。
「ねえ、一樹君」
こうなったら羊でも数えるかと考えていたら、隣で寝ていたと思っていた紗夜から声をかけられた。
「何?」
「今日は、我儘を言ってごめんなさい」
「別に、我がままだなんて思ってないよ」
突然謝ってくる紗夜に、僕は困惑しながら言い返す。
実際、紗夜と一緒にいられるだけでも、僕にとっては幸せな時間なのなだ。
「いえ……実は今井さんが一樹君と楽しそうに話しているのを見ていたら、胸が締め付けられて……それで気づいたら私はお母さんに一樹君のところに泊まることを話していたわ」
「……僕は浮気なんてしないよ?」
カップルに間違えられた人間が何をと思うけど、それが事実だし本音だ。
「それは分かってるわ。でも、それでも私は怖いのよ」
そこで、紗夜の声色は若干涙ぐんでいる物に変わり始める。
僕は彼女に背を向けている姿勢を止めて紗夜のほうに体を向ける。
暗いところに目が慣れたのと、月明りによって紗夜の姿ははっきりと見ることができた。
そんな紗夜のその目からは涙がこぼれ落ちそうになっていた。
「このまま、朝になったら一樹君が遠い遠い場所に行ってしまいそうで」
「そんなこと……」
僕は否定しようとしたが、それも最後まで言えなかった。
それは、紗夜の表情を見たからなのか、それとも……
「紗夜」
僕は一度深呼吸をして、紗夜に話しかける。
「安心して。僕は貴方のそばにずっといるから。例え何があってもずっと紗夜を見守っているから」
「一樹君……」
僕は紗夜の目元の涙を手で拭いながら、安心させるように言葉を投げかける。
僕にできるのはそれぐらいしかなかった。
「約束、ね」
「うん。約束だ」
そして僕たちは約束を交わす。
この日、僕たちはお互いの心が強く結ばれたような気がした。
「ん……」
外から差し込む太陽の光によって、僕は目を覚ました。
(なんだか、昨日は自分でも恥ずかしいことを口にしたような……)
昨晩のことを思い出した僕は、改めて自分の言葉がどれだけ恥ずかしいようなセリフだったのかを思い知らされることになった。
それでも、紗夜を安心させられたのだから、どうでもいいことなのかもしれない。
そう思いながら、ふと隣を見ると
「おはよう。一樹君」
柔らかい笑みを浮かべて挨拶をしてくる紗夜の姿があった。
「おはよう、紗夜」
それに、僕も挨拶を返した。
その時の紗夜の笑みは、いつもよりもかわいく、美しく見えた。
「昨日は本当にありがとう。一樹君の両親にもそう言っておいてちょうだい」
「なんだか恥ずかしいけどね」
僕たちは、身支度を済ませ(紗夜が着替えているときは僕はリビングにいた)、迎えである日菜さんが来るのを待っていた。
朝食は紗夜の家で摂るとのことらしい。
何でもこれ以上僕に面倒をかけるのは申し訳ないかららしいが、僕としては面倒と思ったりはしていないのだが。
「……来たようね」
「……だね」
凄まじい勢いで始まったピンポンの嵐に、僕たちはお互い顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
(今度日菜さんにチャイムは一回でいいって言っておこう)
そんなことを思いながら、僕は紗夜と一緒に玄関に向かう。
「おねーちゃん、昨日は楽しめた?」
「日菜ぁっ!!」
会って一番に小悪魔のような笑みでどこかのゲームで聞いたようなセリフを口にする、日菜さんに紗夜が顔を赤くして怒る。
「あはは、冗談冗談。それじゃ―ね、一君!」
「気を付けて帰るんだよ」
くすくすと笑いながら手を振る日菜さんたちを見送って、僕もまた家の中に入った。
それからどのくらいの時間が経過したのだろうか?
僕は朝食の支度を済ませて、それをお皿によそうとテーブルに置いていく。
朝食は簡単な和食にしてみた。
我ながらいい出来だと思う。
「それじゃ、いただき――――ん?」
席について一人で朝食を食べ始めようとしたとき、テーブルの上に置いてあったスマホが突然音を鳴らした。
「メール? 紗夜からだ」
それはメールの受信を知らせるものだった。
僕はメールを開いて内容を確認する。
「なっ!?」
その瞬間、僕は思わず勢い良く立ち上がった。
そのはずみで椅子が倒れるが、そんなことは今の僕にはどうでもよかった。
それほど、メールの内容は衝撃的なものだった。
そのメールには文章はなく、ただ一枚の画像が添付されていた。
その画像は、薄暗いどこかの倉庫とも思えるような場所で撮られた、ありふれたような写真だ。
写真の中央に縛られているのか両手を後ろ側に拘束され、足も縛られている状態で座らされている、紗夜と日菜さんの姿を除けばだけど。
突然のことに、頭が真っ白になっているところに、追い打ちをかけるようにかかってきた紗夜の番号からの電話に、僕は緊張の面持ちで出た。
「……もしもし」
『氷川紗夜と氷川日菜を預かった』
電話先から聞こえてきたその内容は、僕に動揺させるのに十分なものだった。
第8章、完
急転直下な展開で本章は完結となります。
いよいよ残すところあと2章。
次回からの展開にご注目です。
それでは、恒例の次章予告を。
―――
ついに動き出した阿久津たちによって人質にされた氷川姉妹。
二人を救うべく、一樹は戦いの舞台に身を投じる。
ついに彼らの戦いに決着がつこうとしていた。
次回、第9章『落涙』