あれから二週間が経過したある日、僕は岐阜県のとあるところに来ていた。
それは、観光が目的ではない。
いや、そうだったらどれだけよかったか。
駅を降りた僕は、紙に書かれた住所を新しく購入した携帯電話(古い携帯はまず間違いなく壊れてる)の地図アプリで調べて歩く。
(えっと、ここだな)
そうして僕がたどり着いたのは、二階建てのやや古い感じのアパートだった。
階段を上り切った壁側にあるそれぞれの部屋の番号が記されたポストから、紙に書かれている部屋番号と同じ番号のポストのふたを開けると、茶封筒と鍵を取り出す。
そして、部屋番号……『203号室』のドアの前で立ちどまると、鍵穴に、先ほど取り出したカギを差し込んで回す。
かちゃりという音から鍵が開いたようだ。
僕は早々に中にはいる。
中は、入ってすぐ左側が洗面所で、奥に進むとキッチンとリビングが一緒になったような部屋で、その隣の部屋が6畳ほどの部屋だった。
タンスやクローゼットといった収納スペースがあることから、ここが寝室のような場所と思われる。
「私物とかも持ち込めないから、部屋がすっからかんだ」
必要最低限の家具家電しかない部屋を前に、僕はどこか他人事のようにつぶやくしかなかった。
「この茶封筒、なんだろう」
ふと、僕は手に持っている茶封筒のことが気になり、封を開けてみることにした。
「えっと、これは僕の戸籍と……あとは、注意書きか」
中にはいっていたのは、僕の現在の戸籍や家族構成などが記されている紙が一枚と、この生活をするにあたっての注意事項が記された紙が一枚の計二枚だった。
(えっと、確か僕の今の戸籍は……)
僕は茶封筒に入っていた、現在の戸籍上での設定を再度目を通しておくことにした。
一応、概要は病室で男性から聞かされてはいたので知ってはいるが、念には念をだ。
名前は、
年齢は、21歳。
学生で、一人暮らしをしている。
(うん、いたって普通だ)
何度見返しても、普通だ。
それこそ、年齢を除けばどこにでもいるような感じの青年のプロフィールだろう。
(まあ、ことがことだけにそうなるよね)
そもそも、これを行っている目的は、僕……美竹一樹が死んでいると思わせることで、僕の安全を確保しようとするためだ。
それ故に、別人にする苗字もありきたりなものにしなければいけないのは言うまでもないだろう。
軽く調べてみたが、日本人で一番多い苗字は”佐藤”や”鈴木”などが上がるそうだ。
ゆえに僕も佐藤という名前なのだが。
「後は、この注意書きか」
なんとなく、見るのもはばかられるがはばかられるが、見ないわけにもいかないので、僕は目を通すことにした。
そこには『遵守事項』という題名でその下のほうにいろいろなことが書かれていた。
・元の名前を仮名を知る者に告げてはいけない。
・仮名をもとの名前を知る者に告げてはいけない。
・本措置中に、遵守事項を守らずして起きた不測事態によって生じた損害等は貴殿が負うものとする。
「元の名前を知る者……か」
考えるのは紗夜たちのことだ。
おそらく、義父さん達も口封じされているはずだ。
だとすれば紗夜たちは、僕が死んでいるということを伝えられているのは間違いない。
それを聞いた紗夜がどうなるのかは、僕でも想像がつかない。
もし、万が一にも後を追いかけて……なんてことがあれば、最悪なことこの上ない。
(早く、あいつらの刑期が確定して戻れることを祈ろう)
僕が、二人の裁判が終了し刑期が確定したら、元の名前に戻ることは、既に男性に伝えてある。
最初はあまりいい顔はしなかったが、元の名前になってから僕の自己責任でいいのであればという条件付きで、何とか元の名前に戻ることのOKをもらうことはできた、
(電話とかもしたいな)
かなりリスクはあるが、紗夜たちに僕が生きているということを伝えられれば、彼女たちの気持ちも少しは良くなるかもしれない。
「とりあえずタイミングを見計らうことにしよう」
そう結論付けた僕は、とりあえず荷物を何とかすることにした。
「………やっぱり違和感があるんだよな」
歯ブラシを置くために入った洗面所にある鏡に写っている自分の姿に、思わず声を出してしまった。
鏡に写っているのは金髪の自分の姿だ。
これは、変装の意味がありもちろんこの金髪はカツラだ。
僕の正体が特定されにくくなるようにするための処置だが、違和感はぬぐえない。
(僕は金髪は合わないな)
今後髪の色を変えることがあっても金髪にはしないと心の中で決めた瞬間だった。
ちなみに、口調も軽く変えることにしており、語尾に”っす”を付けてみるつもりだ。
……意味があるのかはわからないが。
そんなこんなで、僕の佐藤茂としての生活が始まった。
とはいえ、そこまで特殊な生活ではない。
朝起きたら食事をして、洗濯などの家事を一通り済ませ、のんびりしながらリハビリをするという日課だ。
「……っ! はぁ……はぁ」
リハビリは、ギターを弾けるようにするためのものだ。
病院でのリハビリの成果もあって、右手と左足のほうは日常生活を送る分には支障がない状態にまで回復することができた。
だが、ギターなどの負荷の強いものになると、手が思うように動いてくれず、ただただ疲労感がたまっていく一方だ。
(これ、本当に大丈夫なのかな?)
そのような不安を抱きながらも、僕はリハビリを続けた。
それしか、僕には道が残されていなかった。
見知らぬ土地で、僕は孤独の戦いを強いられるのであった。