「………」
あれから、さらに数日が経過した日曜日。
天気は清々しいまでの晴れ。
それでも、僕の気持ちは天気とは裏肌に雨模様だった。
(なにをやってるんだろう……僕は)
あれから、僕はリサさんの電話に出れずにいた。
何か、のっぴきならぬことが起こっている。
それは、ここ最近何度もかかってくる着信でもわかる。
でも、僕はそれに出ることができなかった。
それは、彼女に拒絶されてしまったからなのかもしれない。
もしかしたら、別の何かかもしれない。
(僕って、本当に意気地なしだ)
啓介ぐらいの勢いがあれば、今頃状況は変わっていたかもしれない。
(いや、さすがにそれは啓介に失礼か)
啓介の勢いは、啓介の強さではない。
僕の”歪んだ正義感”がもたらした結果だ。
(そうか……怖いのか)
あの時……僕は啓介を助けたいがために尽力した。
でも、結局それは啓介を苦しめ続けている。
もし、日菜さんに同じことをしてしまったら、僕は……。
そう思うと、怖くて仕方がないのだ。
(何も聞いてくれないだけ、ありがたいな)
義父さんや蘭は、僕に事情を聞こうとはしてこない。
何かを言いたげではあるが、あえて言わないのだ。
そのことが、今の僕にはとてもありがたかった。
「……」
そして、また電話が鳴り響く。
これで三回目の電話だ。
「………白鷺、さん?」
相手だけでもと思ってディスプレイを見ると、そこには白鷺さんの名前が表示されていた。
「……もしもし」
気が付くと、僕は電話に出ていた。
『やっと出たわね。今すぐにつぐみちゃんのお店に来て』
たったそれだけだった。
もはや有無も言わさぬ感じで用件を告げた白鷺さんは、電話を切ってしまった。
「………行こう」
僕は、なぜかこの時、行かなければいけないと思っていたのだ。
そして僕は、つぐの両親のお店である『羽沢珈琲店』へと向かうのであった。
「いらっしゃいませ。あ、一樹さん。千聖さんたちはあそこにいますよ」
「ありがとう」
つぐが指示した方角には、静かに紅茶を口にする白鷺さんとなぜか紗夜さんの姿があった。
「遅くなってごめん」
「いいえ。構わないわ」
「ええ。私もよ」
遅くなったことを誤りながら僕は二人の向かい側の席に腰かける。
「単刀直入に言うわね」
「うん」
二人の表情が真剣そのもので、僕は息をのみながら相槌を打つ。
最初に口を開いたのは、紗夜さんだった。
「昨日、日菜が学校を休んだわ」
「えっ……」
紗夜さんのその言葉は、まるで頭をハンマーで殴られたような衝撃を感じさせる。
「昨日から部屋に閉じこもって、話しかけても返事をしない状態で……食事もとってないみたいだし」
「そんな………」
日菜さんの状態が、思った以上に悪いことに僕は言葉を失う。
(リサさんからの、何度もかかってきた電話はそういうことかっ)
改めて自分の愚かさに、こみあげてくる衝動を何とか落ち着かせる。
今ここでそれをやっても仕方がないからだ。
「日菜がいじめを受けているのは、今井さんから聞いて知っているわ。そして、それの犯人のことも」
「………」
僕は、リサさんに反日菜グループのことは話していない。
紗夜さんが、どの程度現状を把握できているのかがわからない。
「もし、一樹さんが知っていることがあれば、私たちに教えてほしいんです。私が言うのもあれですけど、大切な妹のためにも」
紗夜さんの言葉は、少し前までは考えられなかったものだ。
だからこそ、紗夜さんの言葉に、僕はどこかうれしさと後ろめたさを感じていた。
「確証はないけど、それでいいのなら」
僕は、そう前置きをしたうえで、説明を始めた。
「日菜さんは知っての通り天才だ。一度見たことはすぐに覚えるし、難なくこなしてしまう。それは勉強も然り」
「……ええ」
”天才”という言葉に、一瞬紗夜さんの表情が曇るが、僕はあえて話を続ける。
「そんな彼女に嫉妬した連中が集まってできたのが”反日菜グループ”だ。今回の一件は、おそらくグループのメンバーの仕業だ」
「まさかそんな……なんて卑劣っ」
反日菜グループの存在に、紗夜さんが嫌悪感と怒りをあらわにする。
それが普通の反応だ。
「一樹さん、日菜のことを助けてあげてください。もう私には、貴方しか頼れる人はいないんです」
紗夜さんの悲痛な言葉が、胸に突き刺さる。
紗夜さんは感じているはずだ。
このままいけば、最悪な結末を迎えてしまうという予感を。
「………できない」
なのに、僕が口にしたのは、拒否だった。
「そんなっ」
「……理由、聞かせてくれるわよね? あなたが、何の理由もなくそんなことを言うはずはないわ」
絶望に包まれた表情を浮かべる紗夜さんをしり目に、白鷺さんは目を細めて、僕を問いただす。
その表情には、嘘は許さないという明確な意思すら感じられる。
「怖いんだ。僕のそれで、相手を不幸にさせるのが。ちょっと、長くなるけど昔話に付き合ってもらえる?」
二人が無言で頷いたのを確認して、僕は昔のことを二人に話した。
それは今から数十年も前のこと。
当時、啓介だけが別の小学校に通うこととなっていたのだが、そこでいじめが発生したのだ。
理由はとてもくだらないものだ。
『勉強ができるから』という。
その時の僕は、啓介を助けなければいけないという正義感のようなもので動いていた。
そして、落ち込んで塞ぎこんでいる啓介に、僕はこういったのだ。
『てれびで、ぼくと同い年の子が、テレビに出てえんぎしてるよ。だから、啓介君もなりたい自分のえんぎをすればいいんだよ!』
それから、啓介はとても明るく、活発な性格になった。
そして、僕と同じ学校に転校することになったんだ。
「いい話ね」
「ええ。一樹さんらしいわ」
すべてを話し終えると、二人が感想を口にする。
「いい話? どこが?」
別に二人は皮肉を言ったわけではない。
心の底から思っていることを言ったまでだ。
それでも僕にとっては一番の嫌味にも聞こえた。
「啓介は、元々は物静かで気遣いのできる性格だったんだ。それを僕のいい加減なアドバイスで、人格を捻じ曲げさせたっ」
「それは……」
紗夜さんは何かを言いかけたが、口を噤む。
僕の歪な正義感が、啓介の人格を歪めた。
啓介の口癖の”彼女が欲しい”だって、元の性格だったら一人や二人簡単にできているはずだ。
僕は啓介の将来をも壊したのだ。
しかも、僕には悪気がないのがさらに性質を悪くさせる。
啓介に謝れば、啓介を困らせることになる。
だから僕は謝ることはない。
できるのは、今後同じ過ちを繰り返さないようにするという誓いだけだった。
「日菜さんがらみの問題を何とかしようと思った時に、日菜さんから言われた『これ以上関わるな』っていう言葉で、僕思ったんだ。これは僕のエゴなんじゃないかって。そう思ったら、怖くなって……」
自分の偽善で、また日菜さんの人生をぶち壊してしまう。
それだけは絶対に、避けたかった。
「だから、対処法を説明して、交渉材料も渡すから、二人でやってほしいんだ」
「………」
僕の出した答えは、二人に動いてもらうことだった。
二人ならば、日菜さんにとっての最善を選択できる。
……それがたとえ、逃げているのだとしても、僕にはこうするしかないのだ。
「美竹君は、どうして日菜ちゃんがそこまで拒絶すると思うのかしら?」
「え……」
そんな僕にかけられた予想外の問いかけに、僕は何も言えなくなる。
「日菜ちゃんが、美竹君のことが嫌いみたいな理由だとしたら、日菜ちゃんはもっと冷たくしているはずよ」
「………」
白鷺さんの言うとおりだ。
日菜さんの場合、嫌いになった人に対しては無関心になるか、そのまま気持ちをぶつけてくるかのどちらかだ。
でも、あの時の日菜さんの拒絶は僕のことが嫌いと言う感じではなかったような気がする。
どちらかといえば、あれは……
「話は変わるけど、最近……リリイベの後から日菜ちゃんの様子がおかしかったのは覚えてるわよね?」
白鷺さんの言葉に、僕は無言で頷く。
僕からすれば、あそこからすべて始まっているようなものだ。
覚えていないはずがない。
「あの日……リリイベの後の帰り道にね、日菜ちゃんがこう言ったの『あそこに一君がいる』ってね」
「……え?」
白鷺さんのその言葉に、僕の中で一つの可能性が浮上する。
「日菜ちゃんは、美竹君がいたと思うほうに走って行った……そして、少しして戻ってきたときの日菜ちゃんは、どこか、心ここにあらずといった感じだったわ」
「っ!?」
そんな僕の仮説を、白鷺さんが確証へと変えていく。
(まさかあれを見られてたなんてっ)
そうだとすれば、すべての合点はいく。
あの時……部室で僕に駆けられた言葉『――――を優しくするんだよ』は”花音ちゃんをやさしくするんだよ”ということだったんだ。
「もう一度聞くわよ。美竹君、貴方はどうする……いいえ、”どうしたい”のかしら?」
白鷺さんがあえて”どうしたい”と言い直す。
(そんなの、決まってる)
「紗夜さん」
「はい」
「今から、紗夜さん達の家に行ってもいい?」
紗夜さんは、僕の問いかけを予想していたのか、即答で
「ええ」
と、頷いてくれた。
それを聞いた僕は、反射的に席を立つと外に向かって走る。
「日菜をよろしくお願いします。一樹さん」
紗夜さんの言葉を背に受けながら。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「行ったわね……」
「ええ」
一樹が飛び出していったのを見届けた紗夜と千聖は静かに言葉を交わす。
(さようなら。私の初恋)
紗夜は、心の中で自分の恋心に別れを告げる。
(せめて、次に会った時にはお祝いの言葉をかけないといけないわね)
もう二度と、今までのようなことは繰り返さない。
紗夜はそう心の中で誓いながら、静かに紅茶を口にするのであった。
小学生のセリフはいろいろと難しいです。
違和感があった場合は教えていただけると幸いです。
いっそのこと、全部漢字表記にします。
それでは、また次回お会いしましょう。