話数が膨大なため、修正のほうができそうにないので、氷川家が一軒家であるというのは本作の独自設定にしたいと思います。
「一君おはよー!」
「日菜さんっ。おはよう」
これは夢だ。
あたしにもすぐにわかる。
だって、あたしと一君が楽しそうに会話をしているんだもん。
するとぐにゃりと目の前の景色が変わって、今度は真っ暗闇に包まれた。
『日菜ちゃんは、何でもできるわね』
次に聞こえてきたのは、前に聞いたかもしれない言葉だった。
『日菜ちゃんって、天才だもんね』
『私、あの人苦手』
『あいつ、ムカつく』
(やめて………おねがい、だから)
次々にあたしに浴びせられる冷たい言葉の数々に、あたしは耳をふさいだ。
それでも声は聞こえ続ける。
「っ!?」
そして、あたしは目を覚ました。
カーテンを閉め切っているので、部屋は薄暗いけど、今はまだお昼だったと思う。
「はぁ……」
あたしは、深いため息をついた。
「なにやってるんだろ、あたし」
金曜日、一君があたしのことを心配してきてくれたのに、あたしはそれを振り払ってしまった。
あの時、とても嬉しくて、今あたしの身に起こっていることをすべて話そうと思った。
でも、その時にあの言葉が頭の中でこだました。
『貴女のせいで、あいつは退学したのよ。あんたは関わった人みんなを不幸にする。彼、あなたにかかわったせいで死んじゃうんじゃない? だからさぁ、いっそのこと消えてくれない? ミャハ』
(あたしと関われば、リサちーもおねーちゃんも、彩ちゃんも、それに一君も不幸になるっ)
あの時のようにあたしはまたおねーちゃんを傷つけちゃう。
そんなのは嫌だ。
そんなあたしの目に見えたのは、机の上に置かれたハサミだった。
「……これを使えば、楽になれるかな」
もう限界だった。
気が付けばあたしは、ハサミに手を伸ばしていた。
そんな時だった。
「日菜さん」
その声が聞こえてきたのは。
★ ★ ★ ★ ★ ★
「はぁっ……はぁっ」
僕は、ただひたすらに走っていた。
(どうして気づかなかったんだ!)
悔やまれるのは、これまでの自分のふるまいだ。
僕は、ちゃんと向き合えていなかった。
あのとき、日菜さんを助けたいと思ったのは、どうしてなのか。
そんなこと、考えるまでもないのに。
友人だからじゃない。
大事な人だからなんだということを。
花音さんからの告白の時もそうだ。
僕は、ずっと自分のことしか考えていなかった。
そのせいで、日菜さんからのシグナルを見落としていた。
もしかしたら、そこで何かを伝えようとしていたのかもしれないのに。
(待っててくれ!)
僕は心の中で叫びながら走り続けた。
そして、氷川家の前にたどり着いた僕は、一度息を整えてからチャイムを鳴らす。
「一樹君、中にはいって」
「おじゃまします」
少しして出てきたおばさんに言われるがまま、僕は氷川家に入る。
「日菜の部屋は二階に上がって右側の部屋よ」
「すみません」
紗夜さんから連絡が入っていたのか、僕が聞くよりも早く、おばさんは日菜さんの部屋の場所を教えてくれた。
「日菜のこと、お願いね」
「はい」
おばさんの言葉に、僕は力強く頷くと二階に上がり、日菜さんの部屋に足を進める。
(落ち着け。落ち着くんだ)
日菜さんの部屋の前に立た僕は、はやる気持ちを抑えてドアをノックする。
「日菜さん」
「………」
中からの返事はない。
でも、中から人の気配のようなものは感じられるので、いるのは間違いない。
「日菜さん、会って話がしたい。もしよければ、ここを開けてほしい」
部屋に鍵がかかっているかなんてわからない。
そんな僕の呼びかけに、部屋の中からは何の反応もなかった。
(会って話したくないってことか)
損ことを理解するだけで、胸が苦しくなる。
でも、帰るように言われていないということは、ここで話をする分には構わないのだろう。
僕は勝手にそう解釈して話をすることにした。
「日菜さん、ごめん。僕、日菜さんのこと何も見てなかった。日菜さんが苦しんでいるのに、全然気づいてあげられなかった」
思い返せば、予兆があった。
花音さんからの告白の翌日、日菜さんの下駄箱が少し汚れているような気がしていた。
よくよく考えれば、教室で、日菜さんのことを見ながらクラスメイトがこそこそと話してもいた。
気づこうと思えば、いくらでも気づけたのだ。
「僕、自分のことばかり気にしてた」
「………」
気づけなかったのは花音さんの告白の一件で自分のことしか考えていなかったから。
「今更だけど、日菜さんの力になりたいんだ」
中からの返事は相変わらずない。
でも、部屋の中から感じていた気配が、さらに強くなったような気がした。
「どうして………」
それが、あの日以来聞いた日菜さんの声だった。
「どうしてあたしにかかわるのっ? これ以上関わればっ、一君が傷つくのにっ!」
その声は、どこか震えていて、聞いていてつらくなる。
「それは………」
自然と、心臓の鼓動の音がうるさく聞こえてくる。
緊張で心臓が口から出そうだという表現は、きっとこういうことを言うのかもしれない。
でも、生半可な気持ちで言ってはいけない。
同情なんてもってのほか。
今から言おうとしている言葉は、そのくらいの物なのだ。
「日菜さんのことが、好きだから」
でも、僕に迷いはなかった。
「日菜さんが、一人の女性として、好きだからだよ」
何より、言葉にしてみてものすごくしっくりくるのが一番の根拠だ。
僕は、日菜さんのことが好きなんだ。
「ッ!」
中から、日菜さんの息をのむ声が聞こえる。
「嘘……嘘だよ」
「嘘じゃない」
「だって、一君は花音ちゃんのことが好きなんでしょ!」
やはり、あの時の告白を聞かれていたのだ。
でも、日菜さんは誤解していることがある。
「確かに、花音さんに告白された。でも、僕は断ったんだ」
「え………」
部屋の中から、驚きに満ちた日菜さんの声が返ってくる。
「だから日菜さんを……好きになった人のことなんか、放っておくなんてできない」
「………」
もうこれ以上言えることはない。
僕の言えることはすべて言ったつもりだ。
これでだめだったら、あきらめるしかない。
どれほどの間、続いただろうか。
静けさがとても僕にはきつく感じた。
もうだめかと思った時、閉ざされていたドアが、ゆっくりと開き始めた。
「日菜さん」
中から姿を現したのは、僕が会いたかった人だった。
寝ぐせなのか髪はぼさぼさだった。
そんな彼女の表情は、不安気だった。
「本当……なの?」
「……さすがにこの状況でうそを吐くほど、僕はひねくれてないよ」
日菜さんの言わんとすることが分かった僕は、安心させるように笑みを浮かべながら応える。
「一君っ!!」
「うわっ!?」
タックルする勢いでいきなり抱きついてきたため、バランスを崩した僕はそのまま日菜さんに押し倒される形で尻餅をついた。
「一君っ、一君っ」
「……」
泣きじゃくりながら、僕の名前をひたすらに呼び続ける日菜さんに僕はぎこちなくではあるけど、背中をさするのであった。
「いきなり、ごめんね」
「ううん。気にしないで」
しばらくして、落ち着きを取り戻した日菜さんは、頬を赤く染めながら、こちらをちらちらと見ていた。
その様子に僕は不謹慎ではあるが、見惚れてしまっていた。
「それで返事は?」
僕はまだ、日菜さんから返事を聞いていない。
「それはもちろん……」
そういうと、日菜さんは僕に近づくと、そのままキスをしてきた。
それはほんの少しの短いものだったが、僕から顔を離した日菜さんは照れ笑いを浮かべながら
「あたしも、一君のことが大好きっ」
と応えるのであった。
「ねえ、一君?」
「何? 日菜さん」
晴れて恋人同士になった。
そんな感慨にふける間もなく、日菜さんは僕に話しかけてきたのだ。
「もう一回キスしていい?」
「………え?」
いきなりの言葉に一瞬頭の中が真っ白になってしまった。
「ん……ちゅ」
そして、有無も言わさずにキスをしてくるし。
……別に嫌だというわけではないけど。
「はぁ……どうしていきなり?」
「上書き。花音ちゃんのキスを忘れるように……ん」
(別に覚えているというわけじゃないんだけどな……)
これもある意味日菜さんなりの嫉妬なのかもしれない。
僕は、彼女の気が済むまでキスをし続けるのであった。
第3章、完
ということで、日菜と結ばれて本章は完結です。
まさかの事件の解決よりも先という状態です(汗)
それでは、次章予告をば。
――
晴れて恋人同士になった一樹と日菜。
一樹は恋人の日菜を救うべく行動を開始する。
次回、第4章『反撃』