「おい、一樹……って、行っちまった」
パスパレに次の仕事があった為に、強制的に終了となった練習だったが、一樹は聡志の制止を振り切ってそそくさとレッスンスタジオを後にしていった。
「なんだか、様子が変じゃなかった?」
「ああ……一体どうしたってんだ?」
疲れが顔に出ている彩たちをしり目に、聡志は言い知れぬ不安を抱いていた。
だが、その不安が何なのか、その答えを彼は出せなかった。
練習が終わった一樹は、その足である場所を訪れていた。
その場所は、CiRCLEだった。
「それじゃ、時間は2時間だね。それじゃ、頑張ってね」
「すみません」
その目的は、練習のためだ。
受付をやっていたまりなに一樹は一言お礼を言うと、そのままスタジオに向かって歩いていく。
そして一樹は、スタジオに入ると取り出したのは、愛用しているギターだった。
演奏の準備を進め、やがて一樹はギターを奏で始める。
だが、その音は一言で表現すると、暴力的なものであった。
音のすべてに棘があり、それは凄まじい勢いで聞いている物に襲い掛かってくる。
その演奏をステージ上で行えば、だれ一人、それについていける者はいないだろう。
長年バンドを組んでいた聡志たちですら、食らいついていくのがやっとなのだから。
その演奏を、一樹は無我夢中でやり続ける。
いつまでもいつまでもそれは続いた。
だが、そのような乱暴な演奏に体が耐えられるわけもなく
「ッ!!」
一樹は、力が抜けたように後ろにもつれるようにして倒れこんでしまった。
「はぁ……はぁ……はぁ」
激しく呼吸を繰り返す一樹は、それでも演奏をしようと弦から指を離さなかった。
「じか……はぁっ……はぁっ」
一樹の目に飛び込んできた、スタジオに設置された時計が、スタジオの使用可能時間である2時間まで、時間がないことを告げていた。
一樹は、弦から指を離すと、おぼつかない足取りで原状復帰作業を始める。
結局、終えたのは2時間ギリギリだった。
「すみません、Aスタジオ空きました」
「はーい、ありが……って、大丈夫? 顔色が悪いよ?」
鍵を戻しに受付に来た一樹の顔色が悪いのに気づいたまりなが、一樹のみをあんじる。
「大丈夫です。ちょっとのめりこんだだけなので」
「あーわかるなぁ。ついついギター触ってると熱くなっちゃうんだよね~」
「……失礼します」
同じギターを弾く者として、まりなはうんうんと頷きながら思い出すように言うのを、一樹は軽くお辞儀をすると、そのまま去って行った。
「あ、行っちゃった。急いでたのかな?」
そんな一樹の背中を見ながら、まりなはぽつりとつぶやくのであった。
「………」
対する一樹は、夕陽があたりを照らしている中、一人帰路についていた。
その背中は、とても寂し気で、どこか哀愁のようなものも漂っていた。
(次の練習は、明日か)
考えるのは練習のことのみ。
そんな一樹の背中を見つめている人物がいることにも気が付くことなく、一樹は歩いていくのであった。
それからという物の、Pastel*PalettesとMoonlight Gloryの合同練習は何度も行われた。
だが、練習が進むにつれて状況は悪化の一途をたどっていた。
そんなある日の休憩時間のこと。
(お、重苦しい)
Moonlight Gloryのドラマーである聡志は、レッスンスタジオの空気が重いことに、居心地の悪さを感じていた。
部屋が明るくないわけではないのに、どこか薄暗く感じさせてしまっている。
それはその場にいる者……特にPastel*Palettesのメンバーが顕著だった。
彩は、音源をイヤホンで聞き返しながら自己練習を行い、麻弥は落ち着きなくあたりをきょろきょろとしている。
イヴは精神統一をするべく目を閉じているが、その手は小刻みに震えていた。
そして、日菜はいつもであれば歩き回ったりしているはずなのだが、橋のほうに座ってぼんやりと天井を見ているだけだった。
「ちょっといいかしら」
「ああ」
そんな中、聡志に声をかけたのは千聖であった。
その表情からも、抗議に近い内容であると悟った聡志は、心の中でため息をつきつつ応じる。
「美竹君を何とかしてもらえないかしら」
聡志の予想通り、千聖の要件は一樹に関することだった。
「はぁ……」
分かり切っていた用件だけに聡志のため息は非常に深い。
「確かに、このライブがとても大切であることは分かっているし、成功させたいという気持ちも一緒よ」
千聖はそこで、”ただ”と言葉を区切ると、真剣な面持ちであったその表情を一変させる。
「最近の彼のやり方は、度が過ぎてるわ。あのままじゃ―――――」
「丸山達が傷つく……だろ?」
怒りに染まった表情で何を言おうとしているのかを悟った聡志は、千聖の言葉を遮るようにして口を開く。
「俺だって同じ気持ちだ。一樹の奴、理由は知らねえけど気合が空回りして悪い癖が出始めていやがる」
「癖?」
「あいつは前、俺たちがバンドを組んだ最初のころにも同じことをやった。ちょっとでもズレれば最初からやり直す……俺たちはその練習法を『無限地獄』と呼んで恐れていた」
聡志の脳裏に浮かぶのは、当時の一樹が行った練習方法だった。
少しのミスも許さず、自分の納得のいくレベルになるまで、永遠に最初からやり直す練習法。
当然、時間が経っていく毎に精度も落ちていくので上手くいくはずもなく、その度に最初からやり直されるために、負の連鎖が起こる。
「あの練習法で、俺たちは一度空中分解しかけた。というか、俺たちは鬱になりかけてた」
「ッ!?」
聡志から聞かされた言葉に、衝撃を隠せない様子の千聖をしり目に、聡志は言葉を続ける。
「あん時は、俺が力づくで止めさせて、一樹が謝る形で収まった。その時に『この練習法は人を傷つけるから使わない』って、言ってたはずなんだがな」
(どうしちまったんだよ、一樹)
頭を掻きながら、聡志は無言で譜面を見ている一樹に向けて心の中で問いかける。
当然、それに答えることなどなく、重苦しい雰囲気だけが漂うばかりだった。
「彩ちゃんたちはかなり追い詰められてるわ。このままだと危険よ。すぐに止めさせてもら――「待て、白鷺」――何よっ」
一樹の暴走を止めようとする白鷺を、聡志は慌てて止める。
「下手にあいつを刺激すると、意地でもあいつは実力行使で練習を続ける」
「そんな……あの美竹君が」
聡志の口から出たその言葉に、千聖は信じられないと言わんばかりに口元を手で覆う。
「頼む。すべての責任は俺がとる。だから、あいつのことは俺に任せてくれ」
「田中君………」
いつもの聡志からは想像がつかないほどに必死な表情と態度に、千聖はただならぬ何かを感じ取った。
「わかったわ。田中君のことを信じるわ」
だからこそ、彼に一任したのであった。
崩壊編2話目である今回は、ある意味前兆のような話となります。
……おそらく、次回がかなりやばい話になると思いますので、ご注意ください。
かなり気を付けているつもりですが、たぶんやばいことには変わりがないと思いますので(汗)