「あの、花音さん?」
「何? 一樹君」
丸山さんのところから半ば引きずられるようにして連れてこられたのは、住宅街を抜けたところだった。
「僕は一体どこに連れていかれようとしてるんですか?」
気が付けば、ずっと長い塀沿いを僕たちは歩き続けている。
そして、なんだか妙な胸騒ぎがしてならないのだ。
「それはね、ここだよ」
そう言って花音さんが指し示したのは、この長い塀の中への入り口と思われる、大きな門だった。
(ここって、このあたりで一番大きな豪邸だって噂の場所じゃ……確か、弦巻家っていう……弦巻?)
僕はその名字を聞いたことがある。
(ハロー、ハッピーワールドのボーカルの弦巻さんの家!?)
どうやら、僕の妙な胸騒ぎの正体はこれだったようだ。
「お待ちしておりました、松原様、美竹様」
「こんにちは」
「え……え!?」
黒服の人が現れたかと思うと、なぜか僕の名前を知っているのか名前を呼ばれ、僕は目の前の状況についていくのがやっとだった。
「こころ様達は、すでに来ておりますので、どうぞ」
「お、お邪魔します」
そんなわけで、僕は弦巻邸の中に入るのであった。
「皆、お待たせ」
「あら、花音。早かったわね!」
(そういうことか)
ダイニングのような広い場所まで案内された先にいたのは、弦巻さんをはじめとした北沢さんに薫さん、それと奥沢さんの四人だった。
どう見ても、ここがハロー、ハッピーワールドの活動拠点のようだ。
「それで、そこの人が花音が言ってた人ねっ!」
「あ、うん。そうなの、こころちゃん」
弦巻さんの言葉で、その場にいるみんなの視線は、僕に向けられる。
「えーっと、美竹一樹です。よろしく」
「はぐみは、北沢はぐみっていうんだ! よろしくね、かず君!」
「ちょっとはぐみ。前に自己紹介してるでしょ」
突然始まってしまった自己紹介に、奥沢さんが慌てて止めようとするが、彼女の奮闘もむなしく自己紹介は続いた。
「あたしは弦巻こころっていうのっ! よろしくね、一樹!」
「あー、なんだかすみません」
最後に弦巻さんが自己紹介をした後に、奥沢さんは申し訳なさそうに謝ってくるが、そもそも発端は僕なので、気にしないでと返した。
今のは僕が自己紹介を始めてしまったために始まったことで、僕が元凶だ、
(この位でテンパるなんて、まだまだ未熟だな)
「ところで、なんで僕はここに?」
「え、何も聞いてないんですか!?」
僕の疑問に驚きをあらわにする奥沢さんに、僕は無言で頷く。
「ご、ごめんね事情を説明するのを忘れちゃってて」
「いや、別に責めてるわけじゃないんだ。ただ、この状況の説明をしてほしいんだけど」
申し訳なさそうに謝ってくる花音さんにどこか罪悪感を感じてしまった僕は、フォローをしつつも説明を求めた。
「あー、実はですね……」
その僕の言葉を受けて、奥沢さんが戸惑いながらも事情を説明してくれた。
「つまり、ハロハピの次のライブのお手伝いをすればいい……ということ?」
「はい、そうなりますね」
奥沢さんの説明を簡単にまとめると、花咲川の近くにある遊園地『花咲川スマイル遊園地』でライブを行うことになったのだが、告知やら遊園地の手入れなどといった準備が多いため、それに手を貸してほしいとのこと。
「その遊園地なら小さいころに行ってはいたけど、今の話を聞く限りいつ閉園になってもおかしくなさそう
だね」
「だから、あたし達で遊園地を笑顔にするのよ!」
(さ、さすが弦巻さん……本当に日菜レベルだ)
「………逆に聞くけど、僕が手伝っていい物なの?」
僕はハロハピのメンバーではない。
しかも、聞いた限りではかなり重要そうな案件ともいえる。
そのようなものに僕が関わってもいいのだろうかと不安になったのだ。
「当然よ! だって、一樹は花音を笑顔にすることができるんだもの!」
「一樹君、なんだか悩んでいる感じだったから、何かをしていれば気が紛れるかなって思って……それに、私も一緒にできたら嬉しいから」
弦巻さんの言葉はともかく、花音さんの言い分には一理ある。
今現在、僕にできるのは相手が答えにたどり着くのを待つことだけしかない。
だが、一体どれくらいかかるのかわからずに、精神的にも追い詰められかねないことを鑑みれば、花音さんの申し出は渡りに船である。
「それじゃ……お言葉に甘えて、この美竹一樹、全力でサポートさせていただきます」
そんなわけで、僕も手伝うことで話はまとまった。
それからは、放課後は駅前でチラシ配りを行い、ハロハピのライブの告知を行うか、スマイル遊園地に移動して設備の修復作業を行うのが日課となった。
主に僕の役割は告知のほうと、花音さんを遊園地に連れていくことのほうが大きい。
理由は……察してほしい。
最初はいろいろと大変だったが、慣れてしまえばそこまできつくなくなったのは幸いだった。
そんなある日のこと。
駅前でチラシを配り終えた僕たちは、弦巻家の応接室に集まっていた。
「今日もすごい数を配ったな……」
「そうだね。また待ちゆく人々を虜にしてしまった。あぁ、自分の魅力が怖い」
(これは、スルーでいいんだよね)
彼女たちと行動を共にすること数日。
三バカ(奥沢さん命名)への応対方法も、なんとなく掴みかけてきていた。
(こっちのほうの問題も解決したっぽいし、よかったよかった)
花音さんいわく、作曲などのライブの準備はすべて奥沢さんが行っているらしいのだが、さすがに彼女にばかりまかせっきりはあれだということで、みんなで手分けしてライブの準備を行うことで、奥沢さんへの負担を減らそうということになった。
そんな流れで、僕の手伝いをお願いするということにもなったのかもしれない。
だが、それに伴って別の問題が発生することになったのだが、これに関しては彼女たちがうまく切り抜けてくれたので問題はないはずだ。
ちなみに、僕は何もしていなかったりもする。
僕自身の問題が解決できないような状態で、誰かの悩みを解決するのは土台無理な話なのだ。
そんなわけで、今僕は花音さんと共にスマイル遊園地を訪れていた。
「あ、かず君来たよ!」
「これで全員そろったわね! それじゃ、今日も始めるわよ!」
『おー!』
弦巻さんの号令とともに、始めたのは遊園地に対しての改善作業のようなものだ。
弦巻さんの言葉で言うのであれば、みんなを笑顔にする遊園地にしようとしているのだ。
とは言っても、できることは限られるわけで、僕たちがやっているのは経年劣化して塗装がはがれている壁にペンキを塗っていることだったりする。
たかがペンキ塗りと思うかもしれないが、これはこれで意外とやってみると楽しい。
「花音さん、ペンキで服とか汚さないようにね」
「う、うん。気を付けるね」
少し前に盛大に顔中ペンキだらけにしていた北沢さんの二の舞にならないように前もって注意しておいた。
(あの時の北沢さん完全にピエロっぽい感じになってたからな)
尤も、当の本人は今も盛大に顔にペンキをくっつけているけど。
「よし………これでいいかな」
「うんっ。とってもきれいだよ」
何とか僕たちの分の壁のペンキを塗り終え、何とも言えない達成感に満たされながら、出来上がった壁面を花音さんと一緒に見る。
何の変哲もない真っ白な壁でも、そういう風に塗り直したのが自分たちだと思うといろいろと思うところもある。
「そういえば、パレード関連のほうはどうなってたっけ?」
「えっと、もうフロートの修理が終わったよってこの間美咲ちゃんが言ってたよ」
(後は曲だけか。これに関しては力になれるかな)
告知云々はだめだめでも、曲作りなら、僕も力になれるかもしれない。
(後で奥沢さんと話を詰めるか)
「っと」
そんな時、持っていた携帯からアラーム音が鳴り始めた。
「花音さんごめん。家の用があるからもう帰っていいかな?」
今日は華道の集まりがあるのだ。
この前は蘭に行ってもらったので、今回は僕が行くことになっている。
「ぇ……うん、大丈夫だよ。皆には私から話しておくね」
一瞬寂しそうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔で僕を送り出してくれた花音さんに心の中で謝りつつ、僕は遊園地を後にして駅へと向かう。
(合同ライブまであと11日……間に合うかな)
夕焼け色の光が辺りを照らす中、僕はふとライブのことを考える。
彼らが答えにたどり着いたとはいえ、完全に予想よりも遅れている。
これ以上遅れれば、ライブの成功にも暗雲が立ち込めてしまう。
(あれ?)
そんなことを考えていると、視界が突然ぼやけだした。
かと思えば、足に力が入らなくなり、その代わりに体全体に強い痛みが走る。
その痛みで、僕は自分が倒れたというのをなんとなくではあるが、悟ったのだ。
第8章、完
これにて、本章は完結です。
次回はいよいよ本作最後の章となります。
それでは、次章予告をば。
―――
合同ライブまで時間が刻一刻と迫る中、すれ違ったままの二人。
聡志たちは、二人をもとの関係に戻そうと、計画を立てるのだが……
次回、最終章『隣の天才』