それでは、第38話をどうぞ
「……」
「……」
保健室に向かう中、僕たちは無言だった。
今井さんはどうかは知らないが、僕は恥ずかしさに耐えるのに必死で話している余裕はない。
背中に感じる柔らかい感触とかは、絶対に考えてはいけない。
「ありがとね」
「え?」
そんな中、沈黙を破ったのは今井さんだった。
「アタシのことわざわざ保健室まで背負って行ってくれて」
「いや、無理やりさせられたとはいえ、これでも保健委員だし。それに僕の責任でもあるし」
啓介に推薦されてそのまま押し付けられた保健委員だが、なった以上はまじめに遂行するのが責任だろう。
そして、今回今井さんが足を痛めたのも、元をたどれば思ったよりも工程が進んだことで、余裕という名の油断が生まれていたことに気づかなかった僕にあるのだ。
「あはは」
「え? なに」
そんな僕を、今井さんは軽快に笑った。
「まじめだなーって思ってさ。最初は邪なたくらみでもあるんじゃないって思ったけど、やっぱり美竹君は他の男子と違うんだなって思ったよ」
「……そんなことないよ。誰だって今井さんみたいな美人相手だったら、ドキドキだってするよ。僕だって緊張してるんだから」
今だって、背中の感触について意識を向けないようにするだけで精一杯なんだ。
他の男子のことを悪く言えるはずもない。
「そ、そうなんだ」
今井さんの声色はどこか恥ずかしげなようにも感じられた。
「でも、美竹君は優しいよ」
「……」
僕は優しい口調のその言葉に、何も言えなかった。
いや、なんて返せばいいのかわからない。
(年齢=彼女いない歴の啓介を笑えないな)
本人が聞いていたら、絶対に怒るであろうことを思いながら、歩き続ける。
「あ……」
「吹奏楽部だねー。今年も文化祭で演奏するんだろうね」
どこからともなく聞こえてくる楽器の音色に、僕は今井さんの言葉もに相槌も打たず、気づくと足を止めていた。
(なんでだろう。変な感じ)
「美竹君? 大丈夫?」
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
音楽を聴いた瞬間に感じた変な感じのことを考えている僕は、今井さんの言葉で我に返って、慌てて保健室に向かって足を進めた。
その後たどり着いた保健室にいた保険医に今井さんの足を見てもらうようにお願いをして、今井さんの『アタシのことはいいからクラスのほうを見てあげて』という言葉に甘える形で、保健室を後にするのであった。
結局、今井さんの足は僕の予想通り、軽いねん挫らしく、少し安静にしていればすぐに治るとのことだった。
「一樹、今井さんは?」
「軽いねん挫らしいよ。少し安静にしている必要があるけど文化祭のほうに影響はないと思う」
「そうか、それはよかった」
クラスメイトの容態を聞いてほっと胸をなでおろす啓介を見ていると、こういうのを出していればもっと状況は違うのにと思ってしまう。
「ん? なんだ?」
「いや、何でもない」
まあ、そんなことを言っても仕方がないかと自分の中で結論付けた僕は、再び作業に戻ろうとする。
「じー」
そんな僕をじーっと見つめる日菜さんが引き留めるように立っていた。
(というより、口で”ジーっ”ていう人初めて見た)
「えっと、何?」
「べっつにぃー。何でもありませんよーだっ」
「あ、ちょっ―――」
頬を膨らませ、不機嫌そうな様子の日菜さんは、僕の言葉も聞かずにそのまますたすたと歩いて行ってしまった。
「何だったんだ? あれ」
「くそ、このリア充め」
啓介は啓介で、わけのわからないことを呟いているし。
(今日は何かの厄日か?)
心の中でそうぼやいていた時、問題が発生した。
「美竹、ちょっといいか?」
「今行く」
深刻そうな表情で話しかけてくるクラスメイトの男子(名前は知らない)の後をついていく。
連れていかれたのは教室の窓側部分だった。
そこは準備を進めているクラスのみんなの邪魔にならない場所であった。
「それで、何?」
「実は資材を確認していて一つ重大な問題が発生したんだ」
「問題?」
問題という単語に、自然と僕の気持ちも引き締まる。
「フロントとバックヤード部分の出入り口用の布がないんだ」
「なに!?」
いくら囲いを作ったとはいえ、バックヤード内を見えなくするための暖簾と男女の更衣室兼荷物置き場用の暖簾が必要だ。
そう思って布の手配をしておいたのだが、何らかの手違いで支給されなかったらしい。
「支給してもらうように掛け合った?」
「ああ。だが、『最初に確認をしないこちら側の落ち度で、再支給はできない』と断られた」
「なんだよそれ、ひどすぎるだろっ。俺がもう一度話して――「止めるんだ、啓介!」――一樹……」
抗議しに行こうとする啓介を、僕は呼び止める。
「何度言っても向こうも折れない。だとすれば、別の道を探すしかない」
「……ほかのクラスから分けてもらうしかないか」
向こうもある種の組織であり、規則がある。
それを捻じ曲げるのはかなり難しい。
であるならば、ほかのクラスの余った布地を分けてもらう方がまだ簡単だ。
「俺たちで手分けして探そう。俺たちはクラスの、一樹は部活動の方をあたってくれ」
「わかった」
こうして、啓介の提案で、僕たちは布地の資材を分けてもらうため教室から出て行った。
「うーん。やっぱりどこもだめか」
文科系の部活動はほとんど聞いて回ったが、やはりというべきか”分け与えるだけの余裕がない”と断られ続けた。
(残っているのは天文部と演劇部か)
前者はまだ顔を合わせていない、日菜さんよりすごい先輩を相手に話をどれほど進められるのかがネックだ。
後者も、僕の個人的な感情であまり行きたくない。
そんな時、マナーモードのためスマホが振動で着信を告げる。
「啓介からだ。もしもし」
『もしもし、一樹か。悪いけど、こっちは全滅だ』
「わかった。こっちもそっちと同じ状態」
どうやら啓介たちのチームも、状況は芳しくないようだ。
申し訳なさそうな声が、とても痛々しかった。
「こっちもあと少し残ってるから、先に待っててくれる?」
『ああ、わかった。それじゃ』
啓介の返事を聞いて、僕は電話を切る。
(あの二人にだけ頑張らせたんじゃ、申し分がたたない。こっちも頑張るか)
今、僕の個人の感情などどうでもいい。
僕はそう割り切って演劇部のほうに向かうのであった。
「失礼します」
演劇部の部室のドアをノックして、ドアを開けると部室内が重い空気に包まれていた。
演劇部の学生たちが輪を組みようにして立っているだけのはずなのに。
「何かね?」
「えっと……一年A組の美竹と申します。お忙しいところ恐れ入りますが、お願いしたいことがあり伺いました」
おそらく部長なのだろう、黒髪の女子学生の鋭い視線が僕に向けられる。
「言ってみなさい」
「はい。実はそちらにあります暗幕を分けていただきたいんですが」
(うー、なんで僕はこの重苦しい状況の時に来ちゃうかな)
結果なんて、火を見るよりも明らかだ。
「悪いけど―――」
(そらきたっ!)
僕の予想が正しかったと思ったのもつかの間、そこから先の言葉が聞こえてこない。
「……少し待ってくれるかしら?」
「あ、はい」
一体何が起こったのか、全く僕にも見当がつかなかった。
だが、部長と思われる女性は部員たちと何やら話をしている。
「――決まりね」
そして話が終わったのか、その場にいる全員がこちらのほうに向きなおった。
(な、何!? このオーラ)
「あなた」
まるで獲物を見つけた鷹のような鋭いまなざしで、部長と思われる女子学生は口を開く。
「私たちと、取引をしない?」
「………え?」
それに対して、僕は間状況に追いつけずに、抜けな声を上げるのであった。
”取引”については次回で明らかになります。