「戻ったよ」
「おぉー」
教室に戻った僕を見た、啓介たちは感嘆の声を上げる。
「何とか暗幕を分けてもらえたよ」
「すっげー。流石一樹だな! いったいどんなテクを使ったんだよっ」
僕の手にある暗幕の束を見て、啓介はハイテンションで肘で僕の体を押してくる。
「それなんだけど、ちょっとだけ問題が」
「「え?」」
僕は、喜んでいる二人に、あることを告げる。
「実は―――」
「何だって!?」
「一樹が演劇部に!?」
僕の話を聞き終えた一樹たちは驚きを隠せない様子だ。
それもそうだろう。
僕ですら驚いているのだから。
(なんでこうなるんだろう)
心の中でぼやきながら、僕はその時のことを振り返る。
「私たちと取引しない?」
「……え?」
「部長、私は彼と知り合いです。よろしければ、私から説明させていただけないでしょうか?」
困惑する僕を見て、演劇部である薫さんが部長に掛け合う。
部長は頷くことで同意すると、薫さんと入れ替わるように後退した。
「さて、いきなりで驚いただろうが、私たちの話を聞いてほしい。実は――」
その後、薫さんからされた説明をまとめると、こうなる。
今年の文化祭で演劇をやることになったのだが、部員の一人が階段から足を滑らせて転落して足を怪我してしまったらしい。
しかも骨折で、全治一か月という診断がされたため、文化祭での劇に出ることはできなくなった。
さらに、運が悪いことにこの役はセリフも多く、それを覚えられたとしても、そこからその人物を演じられる状況にするには時間が足りない。
別に、そこそこのレベルでもいいのではないかと疑問に思ったが、それを見越してか
「その役は彼女との言葉のやり取りがあるのよ。それが一番の目玉でもあり、下手なものを見せられないの」
という部長の説明で納得した。
「―――そういうことで、君にはその部員の代役として出演してほしいんだ」
「……ええ!?」
予想がついていたとはいえ、まさかの代役だったとは、驚きを隠せなかった。
「なんで、僕なんですか!?」
「美竹君、君のことは少し噂になっていてね。何でも”一度見ただけで完ぺきに覚えられる天才”って言われてるらしいじゃない」
それはあまり言ってほしくないことだった。
この噂は、この前の期末試験の一件で派生したものだ。
カンニングを疑われた僕は、再テストを受けさせられ、そこで全科目で満点を取ってその疑いを払拭させたのだが、その一件が尾ひれがついてこのような噂となったのだ。
どういう理屈で、ここまでねじ曲がったのかはわからないが、あまり言われてうれしい気分ではない。
「それで、君のその才能を借りたい。そうすれば、何とかぎりぎり間に合うんだ」
「それに、私の見立てでは、彼女と君はほぼ同じ背格好。衣装のほうに多少ではあるけど手直しが必要になるが、問題にはならない」
部長と薫さんの言葉に、徐々に僕にはやるという選択肢しかないような状況に、陥らされているような気がしてならない。
「酷なことを言ってしまって申し訳ない。だが、私たちも本気なんだ」
「もちろん、引き受けてくれた暁には君のクラスで足りない資材は無条件で分けよう。あと、人手が足りなければうちの部員からサポートを回そう」
最後に部長が、”悪い話ではないと思うが、どうかね?”と聞いてくる。
そして僕は考える。
(確かに、見返りは魅力的だ)
今後、不足する資材はさらに出てくるだろう。
その資材を無条件で分けてもらえるとなれば、心配する必要もなくなる。
しかも、人員が足りないときに演劇部の人がサポートで入ってくれるというのも、これ以上嬉しいことこの上ない。
だが、それらを獲得するには、僕が代役で出演しなければいけない。
(よりにもよって、僕が一番嫌いな役者をすることになるなんて)
普通ならば、拒否して終わりなのだが、部員の人たちの真剣な目を見ていると、断りたい気持ちがなくなっていく。
(あーもう!)
「わかりました。美竹一樹、その条件をのませていただきたいと思いますっ」
僕は彼女たちの条件を呑んだ。
こうして僕は、演劇部の代役になるのであった。
「それで、明日から向こうのほうで練習があるから、こっちには来れなくなるんだ」
「それはいいんだが……大丈夫か?」
「うん。頑張るよ」
啓介は言葉を濁しながら聞いてくる。
啓介は僕が役者嫌いであることを知っている。
それゆえの問いかけだったが、僕はそう答えるしかなかった。
この後、僕はクラスの各担当の人たちに事情を説明しOKをもらえたため、明日から演劇部の練習に励むこととなったのであった。
「そういえば一樹、そっちも文化祭だろう」
「うん。明々後日に」
夜、家族全員で夕食を食べていると、義父さんが唐突に聞いてきた。
「蘭も同じ日程で文化祭があってな。一樹のほうには初日に行くつもりだ」
蘭は羽丘の中等部のため、基本的に文化祭などの日程がかぶってしまうのだ。
「別に、私は来なくても平気だし」
「もう蘭、そんなこと言わないの」
義父さんに向かって突き放すような言い方をする蘭を、義母さんが窘める
(こっちもこっちで、色々あるんだよな)
義父さんと蘭とはあまり仲が良くない。
口論をしているところを見たのも、一度や二度ではない。
その理由は分からないが、とても不安に思えてしまう。
でも、僕にそれを何とかできるほどの余裕はなかった。
(本当、未熟だよな)
自分の未熟さを、僕はあらためて思い知らされることとなった。
お風呂に入り、自室で劇の台本を覚えていると、スマホからRAINにメッセージが投稿されたことを告げる音が鳴った。
「あれ、日菜さんからだ」
相手は日菜さんだった。
『一君が代役やるってほんと―?』
「ああ。悪役だけど」
僕がやらされるのは、とある国の王の役だ。
その国では平民、貴族、王族という三タイプのくくりがあり、平民は貴族によって奴隷のようにこき使われている。
ある日、主人公である貴族の騎士、ヴァレギウスは平民たちの心の叫びに胸を打たれ、王様に改革を訴えていくが聞き入れらず、逆に王に仇なす不届き者として追われることになる。
追われながらも、ヴァレギウスは平民たちの力を借りて王を退ける。
というのが、この劇の大筋の話だ。
『すっごーい。なんだかとてもるるんっ♪てするー』
(うわ、なんか嫌な予感)
どうやら、日菜さんのレーダーに引っかかったようだ。
こうなれば次に出てくるのは決まってる。
『あたしも見に行こ―っと』
「お願い、やめて」
日菜さんに見られた日には、ずっとからかわれること間違いない。
ベクトルは違うが、恥ずかしいという理由で家族には一切話していない。
できれば一生、このことを知られることがないことを祈るばかりだ。
『やーだよ♪』
どうやら、僕がからかわれる運命は確定したようだ。
『それよりも、一君リサちーを背負った時鼻の下が伸びてたよ。邪なこと考えてたんでしょっ』
「伸びてないし! というか考えてもないから」
ものすごい濡れ衣を着せられていた。
というか、あの時の”じー”の意味はそれだったのか。
「もしかして、怒ってる?」
『べぇっつにー、あたしは怒っていませんよー(#^ω^)』
(絶対怒ってる。すごく怒ってる)
いつもは使わない顔文字を使っているところとかが特に。
「あの、どうすれば許してくれますか?」
なぜか敬語になってしまっているが、そんなことはどうでもいい。
隣の席なのに、このままの状態が続けられたら耐えられそうにない。
『そうだねー。夏休みに、一日あたしと一緒にお出かけしてくれたら……許してあげる』
「わかった。それじゃ日程は追って伝えるから」
何とか許してもらえそうで、僕はほっと胸をなでおろす。
(でも、どうして日菜さん怒ったんだろう?)
その疑問だけが残るが、どれほど考えても答えが出ない。
(まあ、日菜さんだしね)
最終的にその結論になるのは、日菜さんに対して申し訳ないと思うが、これしか結論を出せそうになかったのだ。
そして僕は、台本の暗記を進めていくのであった。
文化祭の準備の話はまだまだ続きます