午前中の部が終わり、お昼休憩となったため、僕は屋上で一人寂しく地面に腰かけていた。
「はぁ……」
あたりから聞こえるのは楽しそうな感じの声だが、僕の心はいまだに憂鬱だった。
(後、数十分もすればライブが始まる)
時間が迫れば迫るほど、僕の心はどんどんと重みを増していく。
(誰かに相談しようにも、そんな人いないし)
いたところで、理解してくれるのかが疑問だ。
「どうしよう」
「何が?」
「え!?」
突然横から聞こえた声に、僕は思わずその場から飛び上がってしまった。
「あはは、驚かしてごめんね」
「今井さん」
そこにいたのは、申し訳なさげに笑いながら謝ってきた今井さんの姿だった。
「屋上に行ったら、美竹君がいたから、話しかけようとしたんだけど、独り言が聞こえちゃってね」
「そ、そうなんだ」
独り言とはいえ、それを聞かれてしまったことで、気まずい空気になってしまった。
「ねえ、もしよければあたしが相談に乗るよ? これでもお悩み相談って得意なんだ~」
「………」
軽い口調で言う今井さんの様子に、僕は一瞬本当にこの人に相談してもいいのかと疑問に思ったが、今井さんの第一印象とは裏腹にまじめで思いやりのある一面を知っている僕は、ダメもとで聞いてもらうことにした。
「実は、僕中学の時に幼馴染と一緒にあることをしてたんだ」
「あること?」
やっていた内容をぼかしたが、やはりそこに引っかかったようで、僕にそれって何と言いたげな表情を向けてくる。
「内容に関しては想像に任せる。で、奇跡的にその道の頂点まで行くことができたんだ」
「へぇー、すごいじゃん」
目を見開かせて驚く今井さんの感想に、僕は少しだけうれしくなった。
やはり、褒められると嬉しいものだ。
「それを続けてれば、それで生活ができるくらいのところまで行ったんだけど、僕のほうでちょっとした問題が起きたんだ」
「問題?」
「……ごめん詳しいことは聞かないでほしいんだ。今でも、ちょっと思い出したくないから」
僕は今井さんにそうお願いする。
あれだけ経っても、いまだに心の中で吹っ切れていないものもある。
まだ、心の中で何かが引っ掛かっているのだ。
(なんとなく、わかるけどね)
奥寺一樹が、やり残していることが原因と関係していることぐらいは分かっている。
でも、それを何とかできるほど、僕は強くはない。
結局のところ、僕はまだ引きずっているのだ。
「……ごめん」
「いや。こっちこそ気を遣わせてごめんね」
今井さんは問題の意味を悟ったのか、申し訳なさそうに謝ってくるので、僕はそう相槌を打つと続きを口にする。
「それで、色々と悪いことが重なって、僕も自棄になってたんだと思う。皆でやっていたそれをやめるって言ったんだ」
僕のやめた理由は、どう取り繕っても自暴自棄と言われればそれまでなものだ。
実際に、そのまま続けることだって十分できたのだから。
「僕たち5人そろわなければ、それをすることができないから、結果的に僕の勝手でみんなを巻き込んで終わらせちゃったんだ」
「そう、だったんだね」
すべてを話し終えると今井さんはとても悲しげな表情を浮かべていた。
「それで、幼馴染がこの間誘ってきたんだ。もう一度やらないかって」
「……それで、どうしたの」
暗い雰囲気を打ち消すように話を進めた僕に、今井さんは続きを促す。
「断った。だって、僕にはそれをする資格がないから」
「……」
「自分勝手にやめておいて、人から誘われたらホイホイとまた始めるなんて……そんなの虫が良すぎるでしょ。我儘なんてものじゃない」
そうだ。
僕には音楽をやる資格なんてない。
いや、やってはいけないんだ。
「なるほどね……わかった」
そんな僕に今井さんは、まっすぐこちらを見つめる。
それは、僕の内側にまで入りこんでくるのではないかと思わせるほど鋭かった。
「美竹君はさ、それをやりたいの? それともやりたくないの?」
「そりゃ、やりたいよ。だって、もともと好きだったんだから。今でも、この手にその感覚があるんだよ。忘れたと思っていたはずの感覚が」
「だったらやればいいじゃん」
僕の答えを聞いた今井さんが出したそれは、僕にとっては突拍子もないことだった。
「いや、そんなこと――」
「あたしね、美竹君ってあたしの知っている人に似てるなーって思ってたんだ」
僕の声を遮るようにして始めた今井さんの話を、僕は静かに聞くことにした。
「その人さ、色々あって全く笑わなくなったんだ。毎日何かにとりつかれたように必死に頑張って。その人と、美竹君って似てるんだよね。ものすごく」
「……」
今井さんの話も分からないわけではなかった。
十分、思い当たる節がある。
例えば生け花とか。
いや、生け花はやらなければいけないことだ。
でも、あの時の僕が生け花を逃げ道にしていたと言われれば否定することはできない。
僕は、音楽を否定してそれ以外の分野で必死に頑張ろうとしていた。
その点はその人とは違うところなのかもしれない。
そんな僕にかけられた、今井さんの一言は僕の今後の運命を大きく変えるものだった。
「だからさ、もう細かいことなんて後回しにして、自分の気持ちに正直になればいいんだよ。やりたければやればいいし、やりたくなければやらないってね☆」
「……………」
正直な感想は、ものすごく単純で、後先考えない意見だった。
でも、何もしないでいるよりはましだ。
「それに、その友達も美竹君のわがままの一つくらい笑って許してくれると思うよ」
それがトドメだった。
「ごめん、ちょっと行ってくる!」
「おー、行ってらっしゃーい★」
今井さんにお礼を言うのも忘れて、僕は大急ぎで屋上を後にする。
会談も数段飛びで駆け降りていくと、学園を飛び出た。
(今から走っていけば、十分間に合う!)
僕が向かう先は家だ。
僕は全力疾走で、自宅に向かって駆けて行く。
やがて、たどり着いた自宅の戸を鍵を開けるのと同時に加減せずに開け放つ。
ものすごい音がしたが、それは二の次とばかりに慌てて自室に駆け込む。
すぐにクローゼットを開けてギターケースを取り出すと、それを背中に背負う。
そしてすぐに机の引き出しを開けて中をまさぐる。
「ピックと……音源と譜面! よしっ」
取り出したのは、今日のライブで演奏する楽曲の音源だ。
僕はイヤホンを片耳に装着して、曲を流す。
そして流れ出したのは、ロック調の曲だった。
本当はいけないが、僕は譜面を見ながら走っていく。
このライブでは主に二曲演奏をするようだ。
一曲がカバー楽曲、もう一曲が啓介たちで作ったのであろうオリジナルの楽曲だった。
おそらくはパソコンで打ち込んだであろう曲だったが、その音色はとてもやさしく感じられた。
僕が今聞いているのは、どこかで聞いたことがあることからカバー楽曲とみて間違いないだろう。
色々とアレンジが施されているのは、カバーした楽曲をうろ覚えではあるが知っていたのですぐにわかった。
僕は、必死に音と譜面を頭に叩き込んでいく。
正直なところちゃんと弾けるのかどうかは微妙なところだ。
いくらやる気はあっても、半年のブランクは変わらない。
(それでも)
僕は、もう足を進めてしまったのだ。
このライブが失敗に終わったとしても後悔はしない。
全力でもう一度みんなと演奏をしたい。
それが、今の僕の正直な気持ちだった。
途中で電柱にぶつかりそうになりながらも、僕は走るのをやめない。
そして、何個目かの信号を渡った時、ようやく前方に羽丘学園の校舎が見えてきた。
(かなりギリギリっ。急がないと)
時間を確認した僕は、さらに速く走ってライブ会場である講堂に向かうのであった。
作中のように、イヤホンなどで音楽を聴きながら走ると危ないので、絶対にやってはいけません。
それはともかくとして、次回はライブの話になります。