7月下旬、僕は海にいた。
「いぇーい! 海だー!」
「いえ~い」
「二人とも、あんまりはしゃいでるとばてるぞ」
「兄さん、暑い」
目の前で大はしゃぎしている人物たちと一緒に。
事の経緯は、数日前まで遡る。
「あ、一樹さん。こんにちは」
「つぐ、またお邪魔するよ」
その日、僕は羽沢珈琲店に訪れていた。
10時ごろのお客の少ない時間帯が、一番ゆっくりできる絶好の時間なのだ。
「いつものですよね?」
「うん。お願い」
初顔合わせをして以降、週に一回はここを訪れているため、すっかり頼むメニューを覚えられてしまっていた。
何気に、ここのコーヒーの虜になってしまったのだ。
「はい、コーヒーセットです」
「ありがとう」
そして、この時間ならお客さんもいないので忙しくないため、彼女と話ができる。
「それで、妹はどんな感じ?」
「蘭ちゃんは、いつも通りですよ」
もっとも、話題は妹の蘭のことだ。
蘭はそんなに喋る方ではない。
無口とは言えないが、何か悩んでいることがあるのであれば兄としてできることは精一杯してあげたい。
その気持ちで、ダメもとで彼女に協力をお願いしたところ、快く協力してくれることになったのだ。
「ところで、一つだけ聞いてもいいですか?」
「別に構わないよ」
コーヒを一口飲みながら、僕はつぐの疑問を待つ。
「どうして私のことをその、”つぐ”って呼ぶんですか? あ、いえ。別に嫌だとかそういうことじゃなくて……その、もしかして、そういう……」
いきなり慌てたかと思えば、声が尻すぼみになりながら俯く彼女の姿は申し訳ないとは思いつつも、とても面白かった。
「それは、モカさんが『羽沢さんともっともっと仲良くなりたければ、こう呼ぶがよいー』って言って教えてくれたんだけど……」
「そ、そうだったんですね」
思えば、”つぐ”と初めて呼んだときは、顔を真っ赤にしていた。
モカさんが『おー、一樹さんダイターン』と言っていたけど、もしかしたらそうなるように仕組んだんじゃないかと思えて来た。
「もし、嫌なら元に戻すけど?」
「あ、いえ。嫌なことはないです。逆に仲良くなったみたいで、その……嬉しくて」
「それはよかった」
とりあえず、このまま呼んでも問題はないようだ。
「こんにちはー」
そんな時、ドアを開けて入ってきたのは元気いっぱいのひまりさんだった。
「ひまりちゃん、いらっしゃい。何か飲む?」
「それじゃ、紅茶で!」
ひまりさんの注文を聞いて、つぐはそのままカウンターのほうへと向かっていく。
「あ、一樹さん。こんにちは」
「こんにちは、なんだかいつも以上に元気だね」
その元気さは日菜さんの1.5倍のテンションの高さと言えばわかりやすいだろうか。
「だって、夏休みですよ! 夏と言えば、花火! お祭り! そして海っ!」
(あー、浮かれてるんだね)
特に最後の”海”の部分だけ強く言うところを見ると、なんとなくこの次のセリフが想像できた。
そんな時、来店を告げるベルの音が聞こえた。
(今日はいつもより来るな)
いつもであれば、この時間帯でお客さんはそんなに来ないはずだったのだが、やはり夏休みだからだろうか?
「あれ、ひまりに一樹さん」
「あー、ひーちゃんと一樹さんだー」
「……何してるの? 兄さん」
入ってきたのは巴さんにモカさん、そして妹の蘭の三人だった。
「あれ、巴ちゃん蘭ちゃんにモカちゃん?」
そんな時、ひまりさんの頼んだ紅茶を持ってきたつぐも合流した。
つぐの言葉から、どうやら、全員がここに来ることは知らなかったようだ。
「僕はここでコーヒーを飲みに来たんだけど……蘭達は?」
「あたしは、ひまりにここに来るように言われて」
「アタシもひまりに呼ばれたぞ」
「あたしもー」
どうやら、つぐ以外の全員がひまりさんによって集められたらしい。
「皆! 海に行こう!」
どういうことかと思っている僕たちに、ひまりさんはそう告げた。
だがみんなの反応はいまいちだった。
「えっと、どうして海に?」
「だって、中学最後の夏休みだよ! だったら海に行くしかないでしょ! 夏の思い出をみんなで作ろうよー」
(僕は高校なんだけどね)
まあ、僕は偶然ここにいるだけだし、関係ないかと思い立っているみんをしり目に、コーヒーを一口飲む。
「まあ、アタシは別にいいけど。予定も今月末までなら予定もそんなにないし」
「モカちゃんもー。暑いと溶けちゃうけどー、今月いっぱいだったら大丈夫~」
「私はお母さんに聞いてみないとわからないけど、多分大丈夫だと思う」
どうやら
今のところ全員が参加するみたいだ。
まあ、今月いっぱいだったら皆も予定とかないだろうから、比較的に出かけられるだろうけど。
大体予定が入り始めるのは、8月になってからだし。
蘭も今月いっぱいは用事がないことは知っている。
8月になったら義父さんが華道のことをぼちぼち教え始めると言っていたのを聞いたことがあるから、これは間違いない。
「それじゃ、蘭は?」
「あたしは……行きたくない」
だが、蘭は一人拒否した。
「え~、蘭も一緒に行こうよ」
「あたし、あまり海とか好きじゃないし」
そう言ってそっぽを向く蘭。
(うん、嘘だ)
蘭の兄になって数か月ほどしか経っていないが、蘭が嘘をついていたり、照れ隠しで言っているのか否かが分かるようになっていた。
(まあ、感覚でなんだけど)
だからこそ、今のは嘘だと思えるのだ。
そして、それは僕だけではなく幼馴染であるひまりさんたちも同様だった。
「………(一樹さん、協力してくれますか?)」
ひまりさんから何とも意味ありげな視線を受け取った僕は、大体こんなことを言ってるのかなと推測したうえで頷いて答える。
「それじゃ、蘭は行かないってことでいいのか?」
「ん……」
頷いて答えるが、その後の間は悩んでいるようにも感じられる。
なので、僕は作戦を始める。
「そうか。もし行くんだったら一緒に父さんに許可でも取ろうかと思ったんだけどなー」
「え?」
早速、蘭が食いついてきた。
「ちなみに、男だけど僕も参加したらまずいかな?」
僕は、さらに蘭がいくと言えるようにするために、ひまりさんたちに尋ねる
「いえいえー。一樹さんだったら歓迎ですー」
「そうだね、一樹さんだったら、安心かな」
「あたしはー、一樹さんがいれば楽しいことがありそーだから、賛成でーす。決して、焼きそばをおごってほしいなんて、思ってませ~ん」
「あはは、それって思ってるっていうんだぞ。もちろんあたしも賛成です。逆に心強いですよ」
皆も、僕の演技に気づいているのか、協力してくれたので、首尾は上々だ。
(後は、もうひと押し)
「それはよかった。それにしても残念だなー。蘭の兄として最初の夏なわけだし、色々と思い出とかを作って蘭とこれまで以上に仲良くできるかなお思ったんだけどなー」
「う゛っ」
僕のセリフに、蘭の目が一瞬泳いだ。
ちなみに、言ってることは本当だ。
家族間でギスギスするのは、僕にとっては嫌なこと。
だから、仲良くしていきたいと思っている。
友人ならいくらでもできるが、家族はいくらでもできるわけじゃない。
(去年の一件からこんなことを知ることになるなんて、本当に皮肉だな)
僕は心の中で苦笑しながら、蘭の反応をうかがう。
「……行く」
暫く葛藤した様子だったが、結論が出たのか、小さな声でつぶやく。
「え? 何、蘭ちゃん」
「あたしも、海……行く」
「やったー! これでみんなで海に行けるー!」
蘭が折れる形で、5人そろって海に行けることになった。
(あはは、ひまりさん飛び跳ねてるし)
そんなに海に行きたかったんだと、僕は彼女の執着心に、笑うしかなかった。
「それじゃ、5人で楽しんでおいでよ」
「え? 兄さんは行くんでしょ?」
「いやいや。皆の中に部外者で、しかも男の僕が混じるなんてなったら、皆が嫌でしょ?」
さっきは僕の芝居に付き合って答えてくれたが、ここは幼馴染5人で行きたいというのが本心だろうから、僕はそっと抜けるべきだ。
「別に嫌じゃないですよ? さっき言いましたよね?」
「え? でも、さっきのって芝居じゃ……」
「皆、本心で言ってますよ。そうでなければいくら何でも嘘でも賛成しませんって」
何が何やらわからない様子の僕に、巴さんがまっすぐこっちを見ながら言い切ると、蘭以外のみんなが頷く。
「一樹さん、私たちと一緒に海に行きませんか?」
そして、最後の一押しなのか、それとも僕の決心がしやすくなるようにするためか、ひまりさんが改まって聞いてくるので、僕は
「喜んで」
と答えるのであった。
その後、日程と集合場所等を決めて解散となった。
(しかし、啓介が発狂しそうなシチュエーションだ)
男一人に女五人という状況は、啓介が望んでいた”ハーレムイベント”とやらとよく似ている気がする。
そんなくだらないことを思いながら、精算を済ませた僕は、一緒に帰ろうと誘ってきた蘭と共に自宅に戻るのであった。
若干キャラ崩壊していそうな気が(汗)
ということで、次回は海の話です。