「いらっしゃいませー」
中に入ると受付に立っていたのは、肩まで伸びた黒髪の女性だった。
「今日も練習?」
「ええ。そんなところです」
(やっぱりね)
文化祭でのライブの時からちょっとおかしいと思っていたことが、今の田中君と女性のやり取りで解決した。
(皆、僕を除いて練習をしていたわけか)
そうでなければ、文化祭の時の演奏であのレベルの物は、できていなかったはずだ。
現に、僕はあの演奏に納得してない。
そもそもが、”ブランクがある割にはうまい”という評価でしかないのだ。
要するにあの文化祭の一件は、みんなが仕組んだことというわけでもある。
(まあ、特にツッコむつもりもないけど)
あれのおかげで今の自分があるというのも事実なのだから、それをいちいち目くじらを立てていたら誰も得をしない。
「それじゃこれがDスタジオのカギね」
手続きを終えたのか、田中君は女性からスタジオのカギを預かると、スタジオのほうに向かって歩き出す。
「えっと、君はあの子たちとは別かな?」
「いえ。本日約束していた美竹です。この書類をオーナーに渡してください」
最後まで残り続ける僕に、女性は少し困惑した様子で訪ねてきたので、僕はギターケースの外ポケットから一通の封筒を取り出すと、それを女性に手渡す。
「あー、君がオーナーの言っていた新人君ね」
(なんだか、もう採用の流れになってない?)
まあ、スカウトされたのだから当然と言えばそうなのだが。
「私は月島まりな。ここのスタッフをしてるの」
「私は美竹 一樹です」
とりあえず、自分の名前を名乗る。
「オーナーからは美竹君に色々と個々の説明をするように言われているんだけど……後のほうがいいかな?」
「すみません。そうしていただけると」
今更だが、順番を間違えていることに気づいた僕は、頭を下げて月島さんにお願いする。
書類を渡すのは、本来は帰るときにするべきだったことだ。
「それじゃ、帰るときに説明するから、よろしくねー」
自分の計画性のなさを反省しながら、僕は頷くとみんなが入っていったスタジオに向かうのであった。
「ここがスタジオか」
「そうか、そういえば一樹はこういう場所は初めてだったな」
田中君の言葉に頷きながら、僕はスタジオ内を見回す。
基本的に練習は家でやっていたので、こういうような場所に来ることは全くなかった。
それ故に、こういう場所は僕にとっては知らないことだらけの場所であり、興味を引かれるところであるのだ。
スピーカーは前にライブ会場でいた感じの本格的なもので、本番さながらのサウンドを確かめることができる。
壁にある鏡は楽器の構え方などのフォーメーションの確認に使うのだろうか?
スタジオの天井部角の部分にはカメラが設置されている。
おそらくはここのスタッフの人がこれを使って内部の様子を把握するのだろう。
「一樹、そろそろ練習を始めるぞー」
「わ、わかった」
啓介の呼びかけに、僕は慌ててギターの準備をする。
「メンテしたんだ」
「まあね。楽器のメンテをせずにいるのはミュージシャンとしては失格だからね」
そういう意味では、あの文化祭のライブでは、僕の醜態を披露してしまったことになるわけなんだが。
「そんじゃ、やりますか」
田中君のその言葉が合図となり、僕たちは楽器を構える。
「1,2,3,4!」
そして、リズムコールとともに演奏を始める。
僕たちの練習方式は、すべてを演奏してからダメなところを指摘していくタイプだ。
音を間違えたり、大幅にずれたりするなどといったレベルのミスでなければ、スルーされるが演奏し終えるとしっかりと指摘される。
(うん、やっぱりいいな。こういうの)
バンドをやっていて、チューニングをしていたり音合わせをしているときのほうが楽しく感じるという人が多いらしいが、僕はどちらかというと演奏をしているときが一番楽しい時間に思える。
それぞれの異なる音楽を一つにさせて行ったときにおこる化学反応は、まさに言葉には言い表せないほどの感動を覚える。
しかもその音がぴったりと重なっているのであればなおさらだ。
そんなことを考えているうちに、課題曲の演奏を終える。
「全体的にはまあいいと思う」
音の余韻が残る中、真っ先に口を開いたのは田中君だった。
そのあとに”だが”と前置きを置いたうえで、言葉を続ける。
「やはり細かい部分で劣化は起こってるな。基本的には一樹のギターの音色と全員の音色があまり合ってない。もう少し音を絡ませるようにしろ」
「わかった」
前の僕であれば、皆の演奏にぴったりと音色を合わせられていた。
それが劣化しているということ……。
それが指し示すのは音程がかすかにずれているという事実を突きつけているということでもある。
(レベル的にはほんのちょっぴりといったところだろうけど、僕たちの目指すものを考えると、これは大きなずれか)
例えるなら、実際にはほんの数ミリ程度のずれが、僕たちには数十センチのずれに見えるような感じだ。
「啓介、キーボードの入りが若干早い。もう少しほかの音色に集中」
「おう!」
「明美と裕美の二人はもっと音に力を籠めろ。それじゃ弱すぎる」
「「おーけー!」」
次々にみんなに指摘をしていく田中君はさすがリーダーといったところだろうか。
「それと、田中君のドラムは時々テンポがずれることがあるから気を付けて。冷静にやっていればずれないはずだから」
「おー。気を付ける」
田中君が言いきったところで、今度はお返しとばかりに僕が指摘する。
それもまた昔から変わらないことだ。
「よし、今の反省点を踏まえてもう一度最初から弾くぞ」
『おー!』
そしてまた最初から弾いていく。
場所は全然違えど、僕たちは何一つ変わっていない。
それを実感したひと時だった。
「っと、そろそろ時間か」
「うわっ。もう時間ないじゃん」
一通り練習をしてると、気が付いた時には2時間が経過しようとしていた。
「早く現状回復をしないとな」
スタジオでは練習を始める前と同じ状態に戻す必要があるため、早めに練習を終わらせる必要がある。
とはいえ、これはスタジオを利用する人にとっては常識ともいえる話だが。
僕は素早くリードをアンプから抜き、それら一式をギターケースにしまい込む。
他のメンバーもちょうど終えたころらしく、楽器の入ったケースを持っていた。
「それじゃ、忘れ物はないな」
「ないみたい」
あたりを見回して大丈夫なのを確認して答える。
「よし、それじゃ出るぞ」
田中君を先頭にして、僕たちはスタジオを後にする。
(なんだかいろいろ課題が山積みだけど、一つずつやっていこう)
あまり時間はないが、それでも一歩ずつ進もうと再び自分に気合を入れる。
これが僕にとって最初のスタジオでの練習だった。
ということで、練習の話でした。
次回は肝心の”あれ”が決まります。