評価をしてくださった皆さんと、本作をお読み頂いている皆さんに、感謝してもしきれません。
今後とも、本作をよろしくお願いします。
そんなわけで、59話です。
「いやー、ライブ良かったよー」
「ありがとうございます」
サポートミュージシャンとしてステージに立った僕に労いの声をかける月島さんに、僕はお礼を言う。
リハーサルを終えてしばらくしてから、僕達はライブを行った。
どうやら本番前のリハは出演するバンド全員が行うらしく、順番も一番最後にステージに上がるバンドが最初になるようだ。
僕がサポートミュージシャンとして加わったバンドは一番最初のリハだったため、ライブでは最後のトリのような感じになってしまった。
それはともかくとして、初めての依頼という形でステージに上がったが、感じは上々だ。
何より、ほかのメンバーの音に合わせることができたのが大きい。
(この調子でどんどん腕を上げて行こう)
何事も徹底してやるのも悪くないことだ。
「武田さんたちもすごく喜んでいたわよ。一番最後にとてもすごいギターリストに会えてよかったって」
「あはは……光栄です」
武田さんたちの姿はもうCiRCLEにはない。
ライブが終わるのと同時に、さっさと撤収してしまったようだ。
でも、月島さんにはちゃっかりと感想を言っているあたり、気配りができる人だなと思う。
(やっぱり、あのライブが最後っていうわけか)
それと同時に、月島さんの言葉で、僕は武田さんのバンドが今日で解散することを確信した。
『これが、
ラストの曲を演奏する前のMCの時に武田さんが口にしたその言葉から、薄々とは感じていたが。
どうして解散するのか、その理由はわからない。
月島さんに聞けば、もしかしたら教えてくれるかもしれないが、僕はそれを聞くことはなかった。
それは、僕がサポートミュージシャンだからなのかもしれない。
僕は、あくまでもヘルプとしてそのバンドに加わるピンチヒッターだ。
そんなゲストのような存在の人が、そこの事情を根掘り葉掘り把握するのはおかしいし、またその必要性もない。
(なんだか、渡り鳥みたいだな)
ふと、そんなことを思ってしまった。
「そろそろ、上りの時間だけど、もう少し頑張る?」
「はい。きっちりと働かせてもらいます」
時間的にはあと数十分ほどだが、ここはしっかりと最後まで働くべきだと思い、僕は受付のほうに入った。
その後、バイト上がりと同時にスタジオを予約していた啓介たちと合流して、お披露目会であるライブに向けての練習をするのであった。
「それじゃ、一樹。また明日な」
「うん。また明日」
夕暮れ時、僕たちはCiRCLEの前で別れて帰ることになった。
家の方向が違うわけではないが、少しよりたいところがあったからだ。
啓介たちは付き合うと言ってくれたが、流石に私用にまで付き合わせるのは申し訳なかったので断った。
「さて、行きますか」
そして、僕は目的地に向けて歩き出した。
そこは、商店街にある本屋だ。
店内に入った僕は、目当ての本を探す。
(確か、この辺に……あった)
目当ての本はものの数分で見つかった。
その本のタイトルは『わかりやすい危機管理の方法』というものだ。
この本の著者は危機管理のスペシャリストとして名高い教授らしく、読者の評価も中々高い。
(作戦参謀になったとはいえ、何をすればいいのかわからないけど、やっぱりこういうことだよね)
この本を手に取った理由は、バンドでのことだった。
僕は半分ノリで作戦参謀という役割を担うことになった。
別にそのことを後悔しているわけではない。
だが、なったからには十分にその役割を果たすことが最低限の義務だ。
とはいえ、僕にはそういった知識は全くない。
そこで、いろいろ考えた結果、『バンドのために妨げになるようなリスクをなくす』という方針で動くのがいいということになった。
そして、リスクのことでいろいろと調べてたどり着いたのがこの本だったというわけだ。
(危機管理とは、被害を最小限に食い止めるように前もって準備をすること……うん、まさしく僕にぴったりだ)
立ち読みはマナー違反な気がするので気が引けるが、どうせ買うのだからと自分に言い聞かせて表紙をめくると、『初めに』というページになっており、著者の言葉が綴られていた。
その文言がさらにこの本で正しいと告げているような気がした。
結果、僕はその本を購入した。
(この本を読んで、危機管理をマスターすれば、僕たちの道を阻害するリスクへの対処もできるようになる!)
僕は”絶対にマスターするぞ”と自分に言い聞かせながら、自宅に向かうのであった。
これが、のちに僕の予想以上の恩恵を与えてくれることになるとも知らずに。
「ただい――――「一樹! 良いところに帰ってきたわ!」へ?」
自宅に帰るや否や、突然義母さんに声をかけられた。
「一樹にお願いしたいことがあるのよ」
「別にいいけど、何?」
義母さんの様子を見て、なんだか嫌な予感を感じるが、僕は内容を聞くことにした。
「今日のおかずをまだ買っていないのよ。お母さんはちょっと投げを見てないといけないから手を離せないし、蘭はまだ帰ってないから」
「それで、ちょうど帰ってきた僕に白羽の矢が立った……ということだね。別にいいけど、何を買えばいいの?」
思っていたほど厄介なことでもなかったので、僕は買うものを聞く。
もし”料理を作るのを手伝って”と言われたら困っていた。
苦手ではないのだが、うまくできる自信がないからだ。
「コロッケを8個買ってきてくれる? これお金ね」
「わかった。それじゃ行ってきます」
僕は義母さんからお金を受け取るとコロッケを買うために、自宅を後にするのであった。
やってきたのは商店街。
商店街までの道中にスーパーなどのお店もあるが、やはりここが一番いい。
おいしいパンを食べたければやまぶきベーカリーに。
ちょっとした息抜きがてらに香ばしいコーヒーを飲みたいときは羽沢珈琲店。
そんな感じに、いいお店がある場所なのだ。
そんな商店街にあるお店が『北沢精肉店』だ。
お肉も上物からお手軽なものまでをそろえている、普通の精肉店だが、ここのお店のコロッケは普通とはわけが違う。
外はサクッと中はホクホクな食感はさることながら、お肉のうまみを十分に出せるここのコロッケこそが逸品と言っても過言ではないだろう。
一度食べれば病みつきになるのが、北沢精肉店名物のコロッケなのだ。
(まあ、前に一回しかないけどね)
コロッケほど、困った存在はない。
コロッケを食べると、どうしても白米を食べたくなるからだ。
もし白米を売っていたら、僕はなんてあくどい奴らだと思いながらそれを注文していただろう。
そんな冗談は置いとくとして、僕はさっそく北沢精肉店に足を向ける。
そこは夕方という時間もあってか、主婦たちでにぎわっていた。
とりあえず一番最後尾に並んで待つことにした。
「いらっしゃいませー!」
(ん? あの時のおばさんじゃないな)
ふと聞こえてきた、元気な声は前に聞いていた女性の声ではなかった。
誰なんだろうと思いながらも待つこと数分、ようやく僕の番になった。
「いらっしゃいませー!」
「すみません、コロッケを8個ください」
そこにいたのは、短めのオレンジ色の髪をした活発な少女だった。
「かしこまりましたー! お会計は―――」
店員に言われた金額を支払い、僕はコロッケを受け取ると、北沢精肉店を後にする。
それからしばらくしたある日に、彼女と思わぬ形で出会うことになるのだが、この時の僕はまだ知らなかった。
「……」
帰ろうとした僕だったが、ふとある場所に足を向ける。
そこは『やまぶきベーカリー』だ。
去年まではお使いがあれば必ず寄っていた馴染みのパン屋だった。
ガラス窓から店内を見ると、レジに立つ山吹さんの姿があった。
(そういえば、あの日から一度も行ってなかったっけ)
両親が死んだ後にバタバタしてなかなか行けなかったお店だ。
啓介の話では入院中に、山吹さんがお見舞いに来てくれたらしい。
お礼を言わなければと思っていたが、美竹に名前を変えてから彼女に会うのを避けていた。
理由は単純で、美竹になったことを実感するのが嫌だったからだ。
(でも、今は違う)
僕は美竹家の一員になったんだ。
まだ少し心の中で吹っ切れていないところはあるけど、もう大丈夫。
そう思って、僕は店内に入る。
「いらっしゃ――」
「久しぶりだね、山吹さん」
店内に入った僕を見た瞬間、驚きに表情を変えて固まった山吹さんに、僕は静かに挨拶の言葉を口にする。
「……そうだね。一年ぶり、かな」
やはり、少しだけぎこちない。
(無理もないか)
山吹さんもまた、両親が死んだことを知っている人の一人なんだから。
「あの時はお見舞いに来てくれてありがとね。後、今まででお礼を言えなくてごめん」
「い、いや別にお礼を言われるほどでもないよ。それに、奥寺君の事情も知ってるから」
”事情を知っている”
両親がなくなったことを指すその言葉を口にする山吹さんの表情はとても悲しげなものだった。
「僕のことは大丈夫だから。今は親せきの家に引き取られて何とかやってけてるから」
「そうなんだ。安心したよ」
僕の近況を聞いたことで、ぎこちなくはあるけど微笑むようになった。
気を使われると使われたほうも疲れるんだなと、僕は初めて知った。
「それじゃ、チョココロネ……は売り切れてるから、メロンパンでも頂こうかな」
「毎度、ありがとうございます」
僕は一年ぶりに自分が食べるためにパンを買った。
一年ぶりに食べるやまぶきベーカリーのパンは、あの時と同じくとてもおいしかった。
ちなみに、お金はちゃんと自分の財布から出してる。
こうして、僕のお使いは無事幕を閉じるのであった。
これは余談だが、北沢精肉店のコロッケを食べた義父さん達は口をそろえて好評価だった。
中でも、蘭の「うん、悪くない」という渋い感じの感想は、僕に強いインパクトを持たせることになった。