(いやー、ちょっとだけ高い買い物だけど、いい物を買ったな)
自宅までの帰り道、僕はスキップでもしたいぐらい心を弾ませていた。
それはもちろん、手に入れたくて仕方がなかったギターが手に入ったからだ。
元々、僕は右利きだ。
なので、左利き用のギターは必要ではない。
では、どうしてかと思うかもしれない。
理由は単純なものだ。
(もし、僕が事故にあったりして右手が使えなくなっても、左手を使えばいいようにしておきたい)
バンド……ギターを弾くにあたって一番の命は手と言っても過言ではない。
特に利き手は非常に重要だ。
足を悪くしたとしても、ギターは座っていても演奏することができるが、手となればそうはいかない。
だからこその策なのだ。
(でも、軽くやってみた感じ、ちょっとコツをつかむのに時間が必要だな)
今までとは右手と左手で反対のことをする必要があるため、やはりちょっと違和感があった。
そのためにも練習が必要なのは言うまでもない。
(まあ、中井さんのベースで慣れてはいるんだけどね)
中井さんは左利きなので、ベースもレフティーだ。
なので僕たちの間では利き手と逆の楽器演奏という意味では、格好の練習材料にもなっているのだ。
(ま、頑張りますか)
僕はそう区切りをつけて、自宅に向かうのであった。
「ただいま」
「おかえり、一樹」
家に戻ると、出迎えてくれたのは義母さんだった。
「ちょっと荷物置いたらすぐに出るよ」
「そう」
義母さんが相槌を打つのを聞きながら、僕は自室にギターケースを置きに向かう。
自室に戻った僕は、ギターケースを壁イン立てかけると、クローゼットを開く。
(服着替えるべきかな)今着ているのは一応私服だ。
仕事用の服ではないが、なんとなくこのままで行くのが憚られるのだ。
(とはいえ、服なんて全く眼中にすらないからな)
結局、今着ている私服のままで行くことにした僕は、自室を後にする。
「兄さん」
そんな僕に声をかけってきたのは、蘭だった。
「どうしたの? 蘭」
一見すると、いつもの蘭だが、どこか不安やためらいを感じているような雰囲気に、自然と僕も身構える。
「これからつぐの家で、クリスマスパーティーをやるんだけど、兄さんもよかったらどうって……」
「ごめん、もう別の人のパーティーに呼ばれていて今から行くところなんだ」
どうやらつぐたちが開くクリスマスパーティーに参加しないかという誘いだったようだが、僕にはすでに氷川家のクリスマスパーティーに参加することになっているため、参加できない。
「……そう」
「皆に、ごめんねって伝えておいてもらってもいい?」
「……うん」
蘭のどこか寂しそうな表情に、罪悪感を感じながら、僕は蘭に謝って玄関に向かう。
「一樹」
玄関で靴を履こうとした僕を呼び止めたのは、義母さんだった。
その手に持っているのは何かの料理が入っていると思われる、箱のようなものが入った袋だった。
「お友達のところに、これを持っていきなさい。お義母さん特製の肉じゃがよ」
肉じゃがが入っている袋を受け取る時、”お友達のご両親に粗相のないようにね”と念を押された。
僕はそれに”はい”と簡潔に答えると
「行ってきます」
靴を履いてそのまま自宅を後にするのであった。
氷川家に向かって歩いて暫くして、ようやく僕は氷川家の前にたどり着くことができた。
(なんだか緊張する)
例えとしては間違っているかもしれないが、彼氏が彼女の両親に交際を認めてもらう時のような緊張感を感じていたのだ。
しかもおかしいことに、昔はよく氷川家を訪れていたことがあるのにも拘わらず、緊張しているのだ。
……尤も、訪れたといってもいただいたおかずのお返しを、持っていくときとかだけど。
(ここは勢いで……ッ)
いつまでもその場で立ちすくんでいるわけにはいかない僕は、玄関のドアの横にあるインターフォンを勢いに任せて押す。
『はい、氷川です』
「や、夜分遅くにすみません。美竹です」
インターフォンから聞えてきた紗夜さんの声に、一瞬どもってしまったが、何とか言えた。
『ちょっと待っててくださいね』
対する紗夜さんはそう返事をしたので、一歩後ろに下がりドアが開くのを待つことにした。
「ぁ――――ぃ」
(ん? なんだか騒々しいな)
おそらく紗夜さんの者であろう声とともに、誰かが駆け回るようなどたどた音が聞こえてくる。
(……なんだか、嫌な予感が)
ここに立っていたら危ないような気がした僕は、さらに一歩後ろに下がろうと
「かっずくーん!」
「ぐはっ!?」
したところで、まるで爆弾によって吹き飛ばされたのかと思う勢いで開いたドアが顔面に直撃した。
「一君?! 大丈夫?!」
「だ、大丈夫……死ぬかと思った」
後ろに下がろうとしていたのが幸いしたのだろうか、ドアの開いた勢いに比べて僕のほうはけがはしてなかった。
……ものすごく痛いけど
「一樹さん、大丈夫ですか!? 日菜! ドアを乱暴に開けてはいけないとあれほど言ったじゃない!」
「……ごめんなさい」
遅れて出てきた紗夜さんが僕に確認をしつつ、日菜さんを怒る。
「いや、衝撃の割にはケガとかしてないから大丈夫」
「ごめんね。一君が来たら驚かせようって思って」
(ある意味すごく驚いたよ)
なんてことを言ったら確実に嫌味になるので、心の中に押しとどめておき、僕は大丈夫であることを何度も二人に協調して言うことで、何とか落ち着くことができた。
「そ、それでは、どうぞ」
「う、うん。お邪魔します」
なんだか家に入るだけでものすごく、精神的に疲れたような気がしながらも、僕は氷川家に足を踏み入れるのであった。
「それでは……コップを持って」
『メリークリスマースっ!』
コップ同士を当てた時の心地いい音色とともに、クリスマスパーティーは始まりを告げた。
テーブルの上にはおばさんが心を込めて作ったお思われる豪華な料理の数々があった。
そしてそこに置かれている義母さん特製の肉じゃがは、どことなく場違いにも思えた。
「美竹君、遠慮なく食べていいのよ」
「す、すみません。いただきます」
食べるのを少しためらっている僕におばさんは柔らかい笑みでそう促すので、僕はとりあえずポテトサラダを食べることにした。
取り分け用の箸を使って自分用のお皿にとりわけると、ポテトサラダを口にする。
「どうかしら?」
「すごく、おいしいです」
お世辞抜きでとてもおいしかった。
「それならよかった。実はね、そのポテトサラダはね――「お母さん!」――ふふ、ごめんなさいね。聞かなかったことにして頂戴ね」
「は、はぁ……」
口に手を当てておしとやかに笑っているおばさんと、頬を赤くしている紗夜さんという光景に、僕は首をかしげるものの、深く考えないようにした。
というか、考えてもわからないと思うし。
「美竹君」
そんな和やかなムードの中、おじさんの言葉でそれが一変した。
「いつも、娘……日菜がお世話になっているようだね。そのお礼を言わせてほしい」
「そんなもったいないです! 私だって日菜さんにはとてもお世話になってますから」
おじさんからの突然のお礼の言葉に、僕は慌てて言うが、どう考えても振り回された記憶しかない。
文化祭や遊園地のお化け屋敷とか。
「これからも、娘をよろしく頼むよ」
「……わかりました。こちらこそよろしくお願いします」
おじさんの言葉には、別の意味がある世にも思えた。
それは、日菜さんの才能に付随していることでもあった。
日菜さんは天才だ。
そして、そういう才能のある人には様々な負の感情が向けられる。
僕がカンニングを疑われた際に、女子学生の陰口がいい例だ。
おじさんの”よろしく頼む”には、そういうのから守ってほしいみたいな意味が込められているように感じたのだ。
もちろん、これは僕の想像なので、考えすぎの可能性もある。
(もしそうだったら、僕ってかなりあれな人間だぞ)
「どうかしたの? 一君」
「いや、何でもないよ」
自意識過剰な自分に何とも言えない気分になっていると、日菜さんが心配そうな顔で聞いてきたので、僕はごまかした。
「さあ、湿ぼったい話はこれくらいにして、楽しく食べようじゃないか」
そんな何とも言えない雰囲気も、おじさんのその一言ですべてなくなった。
そして、再び楽しい雰囲気で、食事をとる………はずだった。