「はぁ、ここは静かでいい」
昼休み、いつも以上に騒がしいのが嫌なので、僕は屋上にお弁当を持って避難していた。
「これがボッチ飯ってやつか。まあ、一度体験してみたいとは思ってたし。ちょうどいいか」
これを機に、ボッチ飯は味にどのような変化を垂らすのかを解明してみようかと思いながら、僕は適当な場所に腰かけてお弁当箱の蓋を取った。
「それじゃ、いただき―――」
「あ、やっぱりここにいた」
いざ、ボッチ飯と思っていた僕に水を差すようにして現れたのは、今井さんだった。
その手にはかわいらしいお弁当箱と、何かが入っている袋のようなものが握られていた。
「隣、いい?」
「どうぞ」
僕は少しだけ横に移動しながら答える。
別にベンチのようなものがあるわけじゃないのだから、移動したところで何も意味がないのだが、何となくそうしてしまうのだ。
今井さんは”それじゃ、失礼して”といいながら、地面にハンカチを敷いてその上に腰かける。
「……で、ここに来た要件は?」
女子が横にいる中、無言で食事をとるなど僕にはできるはずもなく早々に本題を切り出した。
「お昼を食べに来ただけだよー……って、言っても美竹君には通じないっか」
あはは、と苦笑しながら答える今井さんだったが、一つ咳ばらいをすると、静かに口を開いた。
「美竹君にこれを渡そうと思ってねー」
”じゃ-ん”という効果音でも聞こえてきそうな勢いで僕に差し出してきたのは、今井さんが持ってきていた小袋だった。
「ありがとう……中を見ても?」
「いいよ、いいよー」
とりあえず本人の許可はもらえたので、中を確認すると、そこにはやはりチョコが入っていた。
とはいえ、チョコレートクッキーではあったけど。
「後で食べさせてもらうよ」
「食べたら感想聞かせてね」
「もちろん、ホワイトデーの時に一緒に言うよ」
ホワイトデーまでひと月弱あるが、どうせならすべて一緒にしたほうが分かりやすくていいだろう。
「おー、期待してますよ」
「期待してください」
そんな軽いやり取りをしていると、いきなりドアが開け放たれた。
「裏切者はいねが―! リア充はいねが―!」
「「……」」
嫉妬のオーラ全開で喚き散らした啓介は、そのまま何事もなかったかのように屋上を出ていく。
「あれって、なまはげだったっけ?」
「確かそうだったはず」
啓介の姿が見えなくなるのと同時に、つぶやく今井さんに相槌を打つ僕たちは、まるでキツネにつままれたような感じだった。
「一体、何がしたかったんだろう?」
いまだに下のほうからは、嫉妬に狂った猛獣たちの雄たけびが聞こえていた。
「とりあえず、食べちゃおっか」
「……そうだね」
今井さんの提案で、僕たちは再び食事を再開させることにした。
そのころにはすっかり緊張などはなくなりいつも通りの昼食のような感じになっていた。
これが、啓介達嫉妬レンジャーによるものだとするのであれば何とも皮肉なことだと思わずにはいられなかった。
ちなみに、これは余談だが、今井さんが筑前煮が好きであることを知って驚いたのは、ここだけの話だ。
今井さんからは”見掛けで判断しちゃだめだぞー”と諭されてしまった。
「さてと。今日も一日無事終了っと」
夕暮れに染まる教室で、僕は体を伸ばしながらそう呟く。
HRも終わりクラスメイト達はそれぞれ帰路についていく。
尤も、部活がある人は部活動のほうをしているのだろうけど。
「リア充退散!! 悪霊退散! 魔王退散!!」
「……まだやってるよ。騒々しいな」
外から聞こえる嫉妬レンジャーたちの雄たけびに、僕はため息をこぼす。
午前中までは、まだ何とか放っておけたが、午後になると目に余るようになってきた。
(とはいえ、鬱陶しいから関わり合いたくないし、部活にでも顔出すか)
時間つぶしで部活を利用するというのはいろいろと間違っているような気もするが、細かいことは置いておくことにして、僕は鞄を持つと天文部の部室に向かうのであった。
「失礼します……って、日菜さん?」
「あれ、珍しーね」
部室に入った僕を出迎えたのは、椅子に腰かけて本を読んでいる日菜さんだった。
「人を幽霊部員のように言うのはやめてくれる? ……本当のことだけど」
ここ天文部に入部したのはいいのだが、そのあとにいろいろと用事が立て込んだ結果、中々部活動に参加できないという事態に陥ってしまったのだ。
できる限り部室に顔を出そうとはしたが、あれよあれよという間に、部長である先輩は引退してしまい、部員は僕と日菜さんの二人になってしまった。
日菜さんは気が向いた時にしか部活動をしないタイプのため、いきなりその日が活動日になることも珍しくない。
しかも、天体観測をするのが主な活動内容のため、時間はいつも夜だ。
そんな状態になってしまえば、スケジュールの都合が合わなくなるのも必然で、晴れて僕は天文部部長公認の幽霊部員という称号を与えられてしまったのだ。
「ちょっと外が騒々しいから、ここに避難してきたんだ」
「そーなんだ」
それはともかくとして、ここに来た理由を説明した僕は、そばにあった本を手に取って読むことにした。
その本は星に関するものだった。
「はぁ……」
本を読んでいるときに、聞えたのは日菜さんの重いため息だった。
「日菜さん」
「なーに?」
どうせ昼間の二の舞になあると思いながらも、僕はもう一度日菜さんに聞いてみることにした。
「何か悩みでもあったら、相談に乗るけど?」
「…………」
やはり、日菜さんは何も答えようとはしない。
「場所、変えない?」
僕は、それ以上の詮索をあきらめ本に視線を落とそうとしたところで、日菜さんが口を開いたのだ。
僕は無言で頷くと、日菜さんはそれまで読んでいたであろう本にしおりを挟んで閉じて棚に置くと、そのまま部室を後にするので、僕もそれについていくのであった。
日菜さんに案内されたのは、屋上だった。
夕陽の光に照らされたそこは、とても絵になる光景を演出していた。
「……」
屋上についてからも無言だった日菜さんを、僕は特に話すように促すわけでもなく、話し出すのを待っていた。
「……あたしね」
どれだけの時間がたったのか、日菜さんは静かに口を開き始めた。
「何時も周りから天才って言われるんだよね。何をしても、すぐにいい成績を出しちゃうから」
「……知ってる」
「おねーちゃんが始めたことを、あたしも一緒にやってたんだよ。おねーちゃんと一緒にやりたかったから。でも、すぐにあたしは先に始めていたおねーちゃんを追い抜いちゃう。それで、おねーちゃんはすぐに別のことを始めて、あたしもそれについて行って……」
日菜さんの口から語られたのは、聞いているだけでも悲しくなるような話だった。
日菜さんは姉である紗夜さんのことが大好きなのかそれとも、尊敬でもしているのだろう。
だからこそ、姉の後を追いかけていく。
でも、気づけばすぐに自分が追い抜いて行ってしまう。
「それでね、中学の時におねーちゃんが怒って……」
「そうだったのか……」
日菜さんはそれ以上言うことはなかったが、僕は悟ってしまった。
紗夜さんにしてみれば、努力もせずにすぐに自分を追い越す日菜さんに、コンプレックスのようなものを持っているのかもしれない。
日菜さんは僕に背を向けて話しているので、どのような顔をしているのかはわからないが、おそらくは悲しげな表情を浮かべているのではないかと思う。
「それで、家でもあまり口をきいてくれなくなって」
「ちょっと待って。僕が知る限りだと、そんなそぶりなかったけど」
知る限りとはいえ、二回程度だけどいずれも僕からは仲の良い姉妹にしか見えなかった。
「だからあたしも不思議なんだよね。ねえ、どうしてなのかな? 一君に不思議な力でもあるの?」
「いや、そんなのあったら自分でも驚くよ」
こちらに顔を向けながら聞いてくる日菜さんに、冗談なのかと思ったが、日菜さんの表情から冗談ではないというのが分かった。
「それでね、おねーちゃんが最近ギターを始めてね、あたしもおねーちゃんに隠れて始めたんだ」
その先はなんとなく予想ができてしまった。
「この間オーディションを受けたら一発で合格したんだ。まあ、あたしより上手い人がいなかったからなんだけどね」
「それはすごいじゃない」
嬉しそうに話す日菜さんに、僕は称賛の言葉を贈る。
日菜さんの中では、ギター初心者レベルと思われているかもしれない僕が、実は今やトップバンドともいわれかねないバンドのギタリストだと知ったら日菜さんはどういった反応をするのだろうか?
「でもね……」
そこで、日菜さんの表情は再び曇る。
「もし、おねーちゃんがこのことを知ったら、今度こそあたしは嫌われちゃう。だから、どうしよ―かなって……」
(そうだよな)
僕の想像が間違えていなければ、もし日菜さんが紗夜さんと同じくギターをやっているなどと知れば、紗夜さんは荒れるだろう。
とはいえ、日菜さんが僕と同じタイプであるとすれば、彼女は将来において伸びしろがありすぎる。
そのような才能を、紗夜さんのためにみすみす殺してしまってもいいのかと考えてしまう。
「日菜さんはさ、音楽……ギターは好きなの? もっと言えばやりたい?」
「それは……うん、うまく弾けると、とっても”るんっ”てするから、とても楽しいよ」
楽しそうに答える日菜さんの姿から、本当に楽しんでるんだなというのは強く感じられた。
ならば、僕のいうことは一つだけだ。
「ならやればいい。それをやりたいと思うのであれば、すればいいんだよ。紗夜さんのこととかはすべて抜きにして」
それは、いつの日か今井さんに言われた言葉だった。
「でも、おねーちゃんが……」
「紗夜さんのことだけを考えていたら、日菜さんは何もできなくなるよ。それだったら、自分がやりたいと思ったことをすればいい。紗夜さんとの問題はゆっくりと解決することだってできるんだから」
今井さんに言われたときは、後先考えていないバカげた意見だと思ったが、今となってはこれほど最高の意見はなかったと思う。
「ならばこういうのはどうだ?」
「え?」
いまだに決断ができない日菜さんに、僕は最後の一押しをする。
「日菜さんがギターをやっている関連で、もし紗夜さんが怒ったりしたときは、微力ながら僕も解決できるように協力するっていうのは。それなら、日菜さんも少しは踏ん切りがつかない?」
実際問題、僕が出しゃばったところで解決する見込みなどない。
だけど、どうしても放ってはおけないのだ。
紗夜さんにしても日菜さんにしても。
「それに家族……姉妹が喧嘩するっていうのは、なんだか悲しいしね」
「……一君」
日菜さんは驚いたような、表情で僕を見ていたが、やがてその表情は変化していき。
「うん、決めたっ。あたし、ギターをやってみる!」
「そうだね。応援してるよ」
ようやく日菜さんの笑顔を見たような気がした。
「一君、ありがとう」
日菜さんのお礼の言葉に、僕は静かに首を横を振って応える。
「ちょぉぉっとまぁったぁぁ!」
「「うわあ!?」」
そんな時、まるで狙っていたかのように、複数の男子学生たちが湧き出てきた。
しかも、一瞬で囲まれてるし。
「大魔王、一樹! このような場所でこのようなシチュエーション。断じて認めん!」
「この男の敵めっ! 覚悟しろ」
「一君って、大魔王なの?」
「違うから」
なんだか先ほどから言いたい放題言われているが、正直言って鬱陶しいことこの上なかった。
「さあ! 我々にチョコを差し出せ! もしくはその血をよこせぇ!」
(もはや化け物だな)
あと半年以上後にコスプレでもしてやれば、お菓子などたくさん貰えるのに。
「啓介」
とりあえず、先頭にいる啓介に止めさせるようにする。
「鬱陶しいから、止めさせて」
『っ!?』
普通に言っているだけなのに、男たちは何かを警戒しているのか一歩飛び退く。
(なんだか、僕が魔王みたいじゃん。これ)
「ついでに言うけど、お前ら最近うるさい。いちいちぎゃーぎゃー騒いで。騒ぎたいんならカラオケにでも言って騒げ。そもそも、人に迷惑をかけて何が味方だ。あんまりふざけたことやり続けてると、一生独身貴族になるぞ!」
『っ!?』
僕の一喝が効いたのか、男たちに動揺が走る。
というより、このメンバーの内数人は、チョコくらい貰えるはずだ。
この珍妙な軍団にいなければの話だが。
「ぐぅ……今日はこれで退散だっ」
どう出るかと思って見ていると、啓介の一声で男たちは屋上から走り去っていく。
残されたのは、男たちのそれに呆れている僕と、
「うん! やっぱり一君は面白いねー!」
その光景を楽しみながら見ている日菜さんの二人だった。
かくして、バレンタインデーは無事に終わることができた。
ちなみに余談だが、後日事務所に行ったところ
「これって、夢か?」
「いや、悪夢だろ」
ミーティングルーム内のそれを見た僕たちは、現実逃避をしかけていた。
その光景とは
「バレンタインデーに届けられた、ファンの方からの差し入れです」
相原さんが説明するまでもなく、それは手紙付きのファンからの
段ボールには律義に、名前まで書かれており、
段ボール一杯になるまでチョコが入っていた。
(これ、どうするんだよ)
僕の中ではどうやって処理すればいいんだと、頭を悩ませることになるのだが、
「俺だけ、なんでこれだけなんだよぉっ!」
啓介の嘆きの方もまた頭を悩ませることになった。
啓介は0ではない。
だが、量が少ないのだ。
具体的には、僕たちがもらっている量の半分程度といったところだろう。
「チックショー!」
こうして、数年前にブレイクした一発芸人の決め台詞のような叫び声をあげる啓介を僕たち4人で必死になだめることになった。
結局のところ、『重要なのは数じゃなくて気持ち』という森本さんのナイスフォローによって、何とか落ち着いてはくれたが。
残された大量のチョコは、数か月分のおやつとなったのは言うまでもない。
第二部 8章、完
ということで、本章は完結となりました。
本当に速いです。
幕間的な話にしながら、ちゃっかりと重要な話を入れているあたり鬼だなと、書いている自分でも思っていたりします(苦笑)
次回より、いよいよ第三部に突入します。
こちらは原作の話になります。
色々時系列が矛盾する可能性がありますが、独自設定ということで、ご容赦を。
それでは、次章予告をば。
―――
4月。
それは出会いと別れの季節でもある。
順風満帆なバンド活動を行っている一樹たちのもとに、ゆっくりと脅威は忍び寄っていた。
次回、第三部 1章『迫りくる脅威』