「馬鹿野郎っ!!」
「ちょ、ちょっと……なんで怒ってるのさ!」
CiRCLEを出て人目のないところで、啓介に田中君の雷が落ちた。
「何でっていうか! 状況分かってんのか!」
「聡志、少し落ち着きなって。それだと啓介が理解できないわ」
状況が呑み込めない様子の啓介を見た森本さんが、田中君を止める。
田中君は舌打ちをすると啓介から距離をとる。
そして、ようやく落ち着いたのを見計らって、森本さんが静かに口を開いた。
「あのね、私たちが事務所に所属しているのはわかるよね?」
「ああ、もちろん」
森本さんのまるで子供に言い聞かせるような問いかけに、啓介は頷いて答える。
「それじゃ、その事務所と交わした契約を覚えている?」
「契約………」
目を瞬かせている啓介のその間が、十分なほどに答えとなっていた。
その様子に森本さんは、”やっぱりね”と言わんばかりの表情で一つため息を漏らす。
「契約の一文に『Moonlight Gloryの無断のライブを禁ずる』ってなってるの」
「あぁっ!?」
森本さんの言葉で、ようやく事態を飲み込むことができたようだ。
どういう意図をもってその一分を加えたかは知らないが、事務所に無断でライブ活動を行うのを禁じられている。
例外として、文化祭などの学校行事や演奏を教える際のデモンストレーションは大丈夫だが、それ以外の場合は必ず事務所に許可をとる必要がある。
「僕たちのやろうとしていることを考慮すれば、あまり危険な橋を渡るのは避けるべき」
そう思って断ろうとしたのに、啓介が勝手に承諾をしてしまったのだ。
「今から許可をとるにしても、出番まで残り数分の状況で、間に合うはずがないし……」
「す、すまない。俺のせいで」
事態の深刻さを理解した啓介の表情は真っ青だった。
(ったく、そんな間抜け面して)
そんな馬鹿垂れを見ていると、何とかしてやりたくなるのだ。
急いで僕の中である策を組み立てる。
「こうなったら”チェンジ”で行くしかない」
「なにっ!?」
僕の打ち出した案に、田中君が驚きに満ちた声をあげる。
啓介たちも、声こそ上げないものの、驚きに目を見開かせていた。
チェンジとは、僕たちの練習の際に取り入れているもので、簡単に言えば担当楽器を入れ替えることだ。
「問題になっているのは”Moonlight Gloryが演奏をすること”だ。ならば、その要件を満たさなければいいだけの話」
「そこで、チェンジを使うってわけか」
田中君は、僕の言わんとすることを悟ったようだった。
「ちょっと、いくらなんでも乱暴よ!」
「それに、あれは一種の息抜きで、観客に見せるには不適格だって、一樹君言ってたよ?」
そんな僕の案に、森本さんと中井さんが反対の声を上げる。
確かにその通りだ。
この策は、Moonlight Gloryでの担当楽器を弾いていないから、問題はないというグレーゾーンのものだ。
しかも限りなく黒に近いグレーゾーンを余裕で突っ走るクラスの。
僕の言い分が通じる可能性は非常に低い。
中井さんの反論にしたってそうだ。
チェンジは、練習中のマンネリ化を防ぎ、新たな刺激をという名目で行う一種の”お遊び”だ。
それを観客に聞かせていい物かどうか。
だが
「確かにそうだけど、僕たちは全く持って別のバンド。Moonlight Gloryでは不適格でも、それ以外のバンドであれば、十分だよ」
逆に下手な演奏のほうが全く別のバンドであることの根拠にもなるかもしれないのだから、まさに一石二鳥だろ。
「そうだけど……」
中井さんは反論する言葉が見つからない様子だった。
「私はいいかな」
均衡状態は一瞬で崩れた。
反対の立場だった森本さんが、賛成に回ったのだ。
「演奏のレベルが違えば、否定する材料にもなるからね。その代わり、問題が起こったらそっちで対応してね」
「元からそのつもり」
森本さんに言われるまでもなく、僕が矢面に立つつもりだ。
僕の答えを聞いた森本さんは柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「……私も、やる」
そして、最後に中井さんが頷いたことで、僕の案は決行されることとなった。
★ ★ ★ ★
「皆、お疲れー」
「お疲れさま、です。今井さん」
演奏を終えて楽屋に入ったリサは、Roseliaのメンバーに労いの言葉をかける。
「やったねー、りんりん!」
「うん、そうだね。あこちゃん」
演奏を終えて、興奮冷めやらぬ様子の紫色の髪を両サイドで束ねている少女、宇田川 あこに、りんりんと呼ばれた黒髪の少女……白金 燐子柔らかい笑みを浮かべながら相槌を打つ
「宇田川さん、あまり騒ぐと他の方の迷惑になりますよ」
そんな彼女を咎める紗夜は、帰り支度を済ませていた。
「早く帰り支度をしないと、いつまでたっても帰れないわよ」
友希那の注意に、あこたちは素早く帰り支度を済ませていく。
元々、楽器をしまうだけだったので、それほどの時間はかからなかった。
「それじゃ、帰る――「っ! すみません、私は少しここに残ります」――紗夜?」
「行っちゃいました……ね」
突然足早にライブ会場のほうに歩いていく紗夜に、目を瞬かせる友希那たちだったが、リサは興味津々といった様子で提案をする。
「ちょっと行ってみない?」
「……そうね。行ってみましょう」
いつもであれば、友希那は却下していたが、音楽にかける情熱が自分と一二を争うほどある彼女が、何に惹かれていったのかが気になっていた友希那はその提案を呑む。
「あこも行きます!」
「わた、しも……行きます」
そしてそれに続くようにあこと燐子も口にした。
人混みが苦手な燐子は、若干顔が青ざめてはいたものの、初めてライブハウスを訪れた時ほどではなくなっていた。
そして、彼女たちは地下のライブ会場に移動する。
「えーっと、紗夜は……あ、いた」
会場に入った友希那たちは、紗夜の姿を探すが、その姿は中央付近の壁際ですぐに見つかった。
「紗夜、どうしたの?」
「今井さん!? それに湊さんに宇田川さんに白金さんまで」
リサに声をかけられた紗夜の表情には、驚きとそして恥ずかしさが混ざっていた。
「何か見たいバンドでもあったのかしら?」
「あ、いえ。そういうわけではなく。ただ――――」
友希那の問いかけに答えようとする紗夜の言葉を遮るように、拍手の音が会場内に響き渡る。
「こんにちは、私たちはInfinityです。それじゃ、さっそく聞いてください! 『METRO BAROQUE』!」
明美のMCと共に始まった演奏は、彼女たちの疑問の声を止めるのに十分だった。
(あれ、美竹君だ)
理由としては、演奏に惹かれている者もいれば、顔見知りの姿が見えたからというのもある。
(へー、美竹君って
リサが見たのは、無表情でキーボードを演奏している一樹の姿だった。
無表情にもかかわらず、その音色は他の楽器の音色を引き立たせていた。
(全体的にはいいと思うけど、実力の差が大きすぎるわね。特にギターが)
そして友希那は冷静に分析をしていた。
それは確実に的を得ていた。
彼らの演奏は、確かに総合的には十分なレベルだが、一人一人で見ていくとやはり差が目立つ。
友希那が指摘した啓介が弾いているギターも然り、一樹が演奏しているキーボードも然りだ。
(あのギターは全然だめね。あれじゃ一樹さんに負担をかけるだけだわ)
そして、同じ理由で紗夜もまた啓介が演奏しているギターを酷評する。
尤も、その理由の一つに自分が好意を寄せている人物が、メンバーにいるからというのと、自分が担当する楽器だからというのもあるが、当の本人はそのことに気づいていない。
演奏は終盤に入る。
力強く、上品な曲調の音色が、会場内を覆いつくしていた。
そして、アウトロではキーボードの音色で曲が終わった。
その瞬間、会場内から暖かな拍手が彼らに贈られた。
その拍手を受けながら、彼らは一礼するとそのままステージを下りていく。
これが、彼女たち……Roseliaと、Moonlight Gloryの初対面だった。
違うのは、一樹たちが演奏のレベルを大幅に落としていたことだ。
だが、この時の彼女たちは知る由もなかった。
今回出てきた楽曲名は実際に実在する曲ですが、作曲者(アーティスト)は架空の物です。
正しくは下記の通りとなります。
『METRO BAROQUE』 アーティスト:水樹奈々