「ごめん、待ったか?」
「いや、大丈夫。みんなは先に言って練習してるって」
翌日の放課後、僕は校門前で蘭と合流して練習場所である『CiRCLE』へと向かう。
理由は先日の夜に約束した演奏を見るためだ。
蘭以外のメンバーは全員先にスタジオに入って練習をしているようだ。
「そういえば、クラスの人達が兄さんにサインを書いてほしいって」
「またか……」
思い出したように切り出す蘭の言葉に、僕は頭を抱える。
メジャーデビューをして、ファンの数を増やしていくのとは裏肌に、学園内は平穏そのものだった。
街を歩いていると、突然知らない人から話しかけられたり、サインを求められたりするなどといった、お決まりなことは起こっていない。
先日、Roseliaのメンバーでさえも、最後まで僕たちがMoonlight Gloryであることがわからなかったぐらいだ。
(別に偽名とかを使っているわけじゃないんだけどね)
バンドメンバー一覧でも、ちゃんと本名を名乗っている。
それでも、人気が出始めているという不思議な状況になっていたが、田中君曰く”演奏の時との印象が違いすぎて気づかれないのでは”とのこと。
確かに、演奏の時は気分を入れ替えてはいるが、それだけで気づかれないというのもどうかと思う。
とはいえ、そのおかげで平穏な生活ができているのだから、気持ちは複雑だ。
そんな中でも、勘の鋭い人はいるようで、このようにサインを求めてきたり話しかけたりされることがある。
いつもであれば普通に応じているが、今回ばかりはそうもいかない。
「その人に伝ええておいて。サインだったら喜んで書くけど、妹をだしにするな。ほしいんだったら直接来いってね」
「兄さん……分かった」
人の妹をサインが欲しいために利用するのが許せなかったため、僕は拒否することにした。
本当に欲しければ本人が直接来るだろう。
「「……」」
それからはお互いに無言だ。
蘭もそうだが、僕も必要がない時はそんなに話したりはしない。
ここに啓介やひまりさんたちがいてようやく会話が始まるような形だ。
このままではだめだと思いながらも、話す内容がないためこのままずるずるといってしまうのであった。
「ごめん、遅れた」
「あ、蘭にお兄さんだ~」
「一樹さん、こんにちは」
スタジオに入った僕と蘭を、ひまりさんたちが出迎えてくれる。
「今日はすみません。わざわざ演奏を見に来てもらって」
「いやいや、妹の頼みともあらば駆けつけるよ。それに、久々に君たちの演奏を聴きたいって思ってたから」
申し訳なさげに謝る巴さんに、僕は首を横に振りながら答えると、前の時と同じ場所にもたれかかる。
「モカちゃんも頑張りますかー」
「私も頑張るね」
「それじゃ、一樹さん。よろしくお願いします!」
何時ものように、やる気があるのかよくわからない区長のモカさんに続いてつぐとひまりさんが気合を入れていく。
「それじゃ、いくよ」
蘭の言葉が合図だったかのように、演奏が始まった。
(なるほど)
演奏に耳を傾け、その音に神経を集中させる。
(こいつは……)
その演奏の中で、僕は重大な問題点を見つけてしまっていた。
やがて演奏を聴き終え、ギターの音色が余韻としてスタジオ内に響き渡った。
「どうでしたか?」
「……逆にリーダーに聞きたいんだけど、今の演奏をどのように評価する?」
巴さんの問いかけを、僕はひまりさんへの疑問で返す。
指名されたひまりさんは、驚いた様子で
「いつも通りの演奏だったと思います。皆ガルジャムに向けて気合十分ですから」
ひまりさんの答えを聞いて、僕はなるほどと相槌を打つ。
「何か、問題でもあった?」
「率直に言うのであれば、前に聞いたよりも悪化している」
『っ!?』
僕が告げたその評価に、みんなが息をのむ。
「どういうこと?」
「そうですよ、ちゃんと説明してください」
蘭に巴さんがその理由を聞いてくる。
(言ったはいいけど、これってまずかったかな)
変にメンバー内の関係をぎくしゃくさせるのではないかと考えてしまうが、もう口にした言葉は取り消せない。
僕は覚悟を決めて、続きの言葉を口にする。
「バンド内において、心が乱れている者が二名ほどいる。そのせいで音にまでそれが影響しているんだ」
「心の乱れ?」
「心配事などといった問題を抱えている状態の人のこと。心の乱れは音に出るから、あまりいい状態じゃない」
僕には、その二名の正体が特定できていた。
一人はつぐ。
そして一人が妹の蘭だった。
「一体どうすればいいの?」
「心の乱れている原因を解消することしかない。今のみんなの演奏は空中分解寸前のデッドラインの状態」
ここまでくれば変に言葉を濁さずに言うほうがいいと思い、僕はストレートに今のみんなの状態を伝えた。
「そんな、まさか……その二名って誰ですか?」
「悪いけど、それは言えない」
信じられないとばかり巴さんが名前を聞いてくるが、さすがにそれを言えるわけはないので、その旨を巴さんに伝える。
「それって、薄情じゃないですか?」
「何と言ってもらっても構わないけど、バンド内の問題はバンド内で解決するのが鉄則。僕にできるのは警鐘を鳴らして、間接的に解決のアドバイスをすることしかない。悪いけど、理解してほしい」
怒ったように反論してくる巴さんに、僕は深々と頭を下げる。
部外者である僕が、バンド内の問題に口を挟めば彼女たちの音が失われてしまう可能性があるのだ。
バンド独特の音というのは非常に重要で、それがなければ例え演奏の腕が良かったとしても、”ただ、演奏がうまいだけの人”となってしまうからだ。
それだけは、絶対に避けなければいけない。
「巴、落ち着こう」
「ああ……すみません」
「いや、こちらこそ」
ひまりに止められて冷静になったのか、巴さんはこちらに謝ってくるので、僕もまた謝り返す。
「名前を言うことはできないけど、ヒントのようなものだったら出せるから、思い当たる人は自分でそれを解消するように努力してほしい」
それが、僕にできるせめてものことだった。
「一人はやる気が空回りしている。空回りしているために暴走状態になってるんだ。もう一人は心の中で葛藤があるために不完全燃焼のような状態になっている」
『………』
僕の告げたヒントに、みんなは顔を見合わせている。
もう少しうまい言い方はない物かとも思うが、これが僕の精一杯だ。
「それじゃ、僕用事があるからこれで失礼するね」
「ありがとーございました」
「一樹さんの助言、無駄にしません」
のんびりとした口調でお礼を言うモカさんと、強い決意をするかのような巴さんの言葉に見送られながら、僕はスタジオを後にする。
「月島さんはいないか……ま、いっか」
何か他の仕事でもしているのか、受付に月島さんの姿はなかったが、特にこれといった用事はないので、置いておくことにした。
そして、ふと窓のほうを見ると、窓ガラスに貼られた様々なチラシに交じって、目立つように貼られた一枚のポスターが目に留まる。
それは『Pastel*Palettes デビューライブ開催』と書かれたPastel*Palettesのメンバーの姿が写しだされたポスターだった。
5人の少女がステージ衣装を着てそれぞれの担当楽器を笑顔で手にしているものだ。
未定だったドラムもどうやら決まったらしく、スティックを握っている栗色の髪の少女の姿もあった。
(これを見ると、だんだんと実感がわいてくるよね)
今まではいるのかいないのかわからないような存在が、こうして形になってくると胸騒ぎのようなものを感じてしまう。
「まあ、今更か」
今じたばたしても仕方がない。
そう自分に言い聞かせて、僕はもう一度ポスターを軽く見ると、そのままCiRCLEを後にするのであった。