「帰るか」
何時までもその場にいてもどうしようもないので、僕は自宅に戻ることにする。
その足取りはとても重かった。
(何やってんだろ、僕)
勝手に人の家の事情に口出しをした自分に、後悔するがもう手遅れだ。
「とりあえず、日菜さんに謝っておくか」
せめてもの罪滅ぼしとばかりに、日菜さんにメッセージアプリで『ごめん、失敗した。もしかしたら前よりひどくなったかも』という内容のメッセージを送信した。
それから少しして、『こっちこそごめんね』といった内容のメッセージが返ってきたのが、また自分の無力感を思い知らせていった。
(このまま日菜さんの演奏に影響が出たら、僕はどうするんだろう)
日菜さんが所属するPastel*Palettesに影響が出ることは必至。
そして、それを僕はとても恐れている。
であるのなら、僕はMoonlight Gloryの作戦参謀として手を打つ必要がある。
(その時が来ないことを祈ろう)
まず間違いなく、みんなが不幸になるだけの未来が訪れないことを祈りつつ、僕は自宅に帰るのであった。
翌日の昼休み。
この日は、田中君と一緒に屋上の地面に座って昼食という名の打ち合わせをしていた。
議題っは数日後に迫ったライブのセットリストだった。
「この部門だったら、この曲を真ん中にしてみたらどう?」
「ふむ……もう少し盛り上がれるような曲があるんじゃねえか?」
僕たちのバンドはライブの時間が伸びるにあたって、いくつかの部門を作ってセットリストを組んでいる。
一つが新曲のみ演奏をするいわば『新曲部門』、そして前回のライブで好評だった曲を演奏する『アンコール部門』。
いずれも明言しているわけではないし、ライブのパンフレットに記載はしていない。
また、場合によっては既存局と新曲を混在させたりすることもあったりと、気まぐれな編成をしているが、そもそも”やりたい曲をやる”というのがコンセプトなのだから、こうなるのも必然だったりする。
「ゲリラ用の楽曲は、啓介の案だろ」
「あ、わかる?」
やっぱりわかるもんなんだと思っている僕に、田中君はため息を一つ漏らす。
ライブの時に複数回ある休憩のうち一つは、僕たちのメンバーのうち数人で演奏を行っている。
前に、休憩中に暇だと騒ぐ啓介を引き連れて、ゲリラ的に演奏をしたところ、好評だったこともあり今までの長時間のライブの際は必ずやるようになった。
こっちとしても没曲が減るのはありがたい。
何せ、現時点での没曲は作曲した曲の6割にも及ぶのだから。
(ほとんどが歌無しとかあれな感じだし)
よくそういう曲のアイデアを思いつくなーと、感心していたりする。
とはいえ、やるのは必ず15分程度の小休憩の時で、終了5分前という決まりを設けているけど。
さすがに大休憩にあたる30分間の休憩時間の時にはやらない。
「このシリーズだったらあいつしかいねえだろ」
シリーズというのは、嫉妬レンジャーをイメージして楽曲のことだ。
かれこれもう4,5曲はできていたりする。
今回のはその最新版にあたる。
この間女子用の曲を作ってみたのだが、森本さんと中井さんの全力での反対によって没曲と化した。
それはともかくとして、二人で話し合った結果、いい感じのセットリストが完成した。
「それじゃ、後はこれを啓介達にでも―――」
伝えようと言おうとしたところで、屋上のドアが開いた。
「あ、美竹君に田中君。こんなところにいたんだね」
「……今井さん?」
屋上に来たのは今井さんだった。
前の一件から田中君はRoseliaのメンバーである今井さんとは最低限度しか口をきこうとしない。
そもそも始めから交流などなかったわけだから、何も変わったことは起こっていないわけだけど。
「隣、いいかな?」
僕は無言で頷くと、その場から腰を上げて少し横に移動する。
そこに今井さんも腰掛ける。
「……何の用だ?」
「ちょっと相談に乗ってほしいことがあってね」
口をきかなくなったというのが僕の思い込みなのか、それともただうっとうしいから話を進めようとしたのかは分からないが、今井さんは本題を切り出す。
「言ってみれば?」
僕はそれだけ言って今井さんに話すように促した。
「うん。実はね―――」
そして今井さんは静かに語りだす。
内容をまとめると、Roseliaのリーダーである湊さんが音楽事務所のスカウトを受けているのを、メンバーの二人が目撃したらしい。
そのことを知った紗夜さんは激怒して『自分たちはフェスに出るためだけに集められた使い捨ての人間』みたいなことを言ってスタジオから出て行ってしまったらしい。
そして二名のメンバーもまたスタジオを去ってしまい、バンドはバラバラになってしまったとのこと。
(なるほど、それでか)
聞けば、それは先日起こった出来事らしいので、僕が訪ねた時はちょうど紗夜さんの虫の居所が悪い時だったのだろう。
(なんてタイミングの悪い)
自分の運のなさに心の中で嘆いた。
「どうかしたの? 美竹君」
「いや、何でもない」
紗夜さんとの一軒は、あえて言う必要もないので、ごまかした。
「それで?」
「それでって……どうすればいいのかなーって、いい意見をもらおうと思って」
まあ、話の流れからそうだとは思っていた。
とはいえ、
「俺はパス。一樹、先に戻ってるぞ」
「うん、こっちもすぐ行くよ」
興味なさげに立ち上がって去っていく田中君を、今井さんが呼び止めるが、田中君は興味などなくそのまま屋上を出て行ってしまった。
「それじゃ、僕もこれで」
「ちょっとちょっと。相談に乗ってくれるって言ったでしょ。お願いだから帰ろうとしないでっ」
田中君の後に続こうとする僕に、今井さんは必死にそれを止めてくる。
「僕は『言ってみれば』とは言ったけど、『相談に乗る』なんて、一言も言ってないんだけど」
「んなっ。それって屁理屈過ぎない?」
確かにその通りだと思うが、アドバイス等する気はない。
「どう言われようとも結構。というより、そもそも論で、人が忠告したら忠告した人の人格だけでなく音楽性まで否定するような人に、僕たちがアドバイスをすると思う?」
「それは……」
僕の言葉に、視線をそらして言いよどむ彼女に、僕はさらに続ける。
「本人は気にしてないとはいえ、バンドメンバーをけなされるのは正直言って不愉快だ。だからアドバイスなんてしないし、勝手に解散でもすればいい」
僕はそう言い切って今度こそ屋上を立ち去ろうとする。
その時に、見てしまったのだ。
今井さんの悲しげな表情を。
(っだーもー!)
その表情を見無視したり指さして笑うといったことができるほど、僕は外道ではない。
不愉快な気分はどこへやら、何とかしてやりたいというおせっかいな気持ちが勝り始めてきた。
どれだけ人がいいんだ僕はと、心の中で愚痴をこぼしながら出口前で今井さんのほうに振り向く。
「と、言いたいところだけど。今井さんには恩がある。だから、今井さんに免じてアドバイスさせてもらうよ」
「っ!? ありがとう、本当にありがとうっ」
若干上から目線のような気もするが、まあそのくらいはいいかと思いながら、嬉しそうにお礼を言ってくる今井さんの横に再び腰掛けた。
「今回の一件は、間違いなく湊さんの不誠実な対応がきっかけ。ただ、スカウトを断ったからと言ってすべてが円満解決することはない」
「え? どうして」
「不誠実な対応が、彼女に対しての不信感につながったからだよ」
首をかしげる今井さんに、僕はそう答える。
「バンドリーダーにとって信頼は何よりも必要な要素の一つ。それが失われたということは、もう何一つ決めることができない状態になったということとイコールなんだ」
これはバンド関係に限った話ではない。
どんな場面でも信頼を失えば、それ相応の不利益を被る。
狼少年の話がいい例だ。
「それじゃ、一体どうすれば」
「一度だけ、訪れるであろうチャンスを利用して、彼女が誠意のある対応をすること。それ以外に道はない」
もっとも、それがいつなのかはわからないが。
「誠意ある対応?」
「悪いけど、内容に関しては答えられない。何がよくて何が悪いのかは、その時その時で違う。だから一概にこうだとは言い切れない」
首をかしげながら対応の詳細を聞きたそうな表情を浮かべる今井さんに、僕は首を横に振りながら言い切る。
これは意地悪ではなく、完全に部外者である僕に言える限界だったからだ。
「後は、今井さんなりに考えて促してみるといいよ」
僕は最後に、いい結果になることを祈ってると告げて今度こそ屋上を立ち去ろうとしたところで、
「美竹君! ありがとう!」
呼び止めるようにして言われたお礼の言葉に、僕は片手を振って応えた。
(全然悪い気はしないかな)
むしろどこか清々しい気持ちになりながら、僕は教室へと戻っていくのであった。