第97話になります。
あれから二日ほど経ったが、いまだに白鷺さんと話せていない。
(とは言ったものの、なかなか踏ん切りがつかないんだよね)
会う機会はあるのだが、話を切り出すタイミングが中々つかめない。
言おうとすればするほど尻すぼみになってしまうのだ。
(下手な言い方をすれば僕の計画をすべて台無しにする、危険な爆弾だもんな……扱いは慎重にしないと)
ちゃんとした対応で事に当たらなければ、確実に言い合いになり後に引きずる結果になる。
そうなれば、パスパレの音がさらに歪んでしまう可能性もある。
Pastel*Palettesの手で一発逆転ホームランを打ってもらうためには、それは避けなければならない。
だが、同時に時間がないのも確かだ。
(彼女たちが出られる最適なイベント……『Fresh♪ IDOL festival vol.8』その開催までにあまり時間もない)
この計画を実行するにあたって、色々とイベント関連を調べていた結果、やや深刻な問題を起こした素人同然のレベルであり、なおかつある程度の反響(影響力ともいうけど)があるイベントとしてヒットしたのがこれだったのだ。
僕の計画の最終地点は、このイベントに出演させること。
(幸い、演奏技術は向上し始めているし、もう少しで第2目標であるレベルに到達する。後はバンドの音をしっかりさせれば、一気に王手だ)
今のところ、不確定要素は存在するものの、僕の計画に遅れは出ていない。
だからこそ、今のうちの対応が必要なのだ。
そして、そのチャンスはある日突然訪れたのであった。
その日は、Moonlight Gloryのメンバで集まって、自分たちのライブのセットリストの打ち合わせを行っていた。
僕の計画が成功すれば、数日後に開かれる僕たちのライブは予定通り実施になる。
その時のために、できる限りの準備を整えておこうと思っての打ち合わせだった。
幸い、セットリストはすんなりと決まり、予定よりも早く解散できた。
(華道の集まりまで時間もあるし、久々に羽沢珈琲店に行こうかな)
計画を実行中は、常に気を張っていなければいけないので、憩いのひと時である羽沢珈琲店に顔を出さない日が何日も続いていた。
そうなると、やはり行きたくなってしまうのだ。
とはいえ、緊張感を持ち続けるために、我慢することにしたが。
(それにしても、眼鏡をつけたり外したりするのって意外に面倒なんだよね)
基本的に、バンドの仕事の時は眼鏡を外し、それ以外は眼鏡をつけるようにしている。
なので、日菜さん以外は眼鏡をつけていない僕しか見ていないということでもある。
(まあ、それがどうしたというわけではないけど)
「あら、美竹君」
「白鷺さん」
そんな時、前方から声をかけてきたのは、僕がこれまで何度も言おうとしていた相手でもある白鷺さんだった。
僕の憂鬱な心境とは裏肌に、白鷺さんは柔らかい笑みを浮かべていた。
でも、最近はそれは”演技”なのではないかとも思い始めている。
それは、この間の話を聞いてしまったことによる、彼女に対する不信なのか、それとも役者だからなのかはわからない。
「今日はどうしてここに来ているのかしら? 確か今日は練習はなかったはずだけど」
「今日はMoonlight Gloryの打合せみたいな感じで集まったんだよ」
他愛のない話をしつつも、話すタイミングを見計らっていた僕は、ここでついに話を切り出すことにした。
「白鷺さん、ちょっとだけ話いいかな?」
「次の仕事があるから、あまり時間はとれないけど」
一応OKは出たので、話を続ける。
「最近、風の噂で聞くんだけど、スタッフの人にイベントの出演交渉をするように促してるらしいけど、これって本当?」
「……いきなりどうしたの? もし仮に本当だったとしても、それっていけないことかしら」
「全然。逆にメンバー……Pastel*Palettesのことをちゃんと考えているんだなって感心するくらいだよ」
それは本当のことだ。
何も知らないで、この噂を入手すれば、そのように思っていたかもしれない。
「でもね、僕にはそうは思えない」
「それはどういう意味かしら?」
白鷺さんの目が少しだけ鋭くなり、僕に続きを促してくる。
「僕たち、この間スタッフと話しているのを聞いたんだ。白鷺さんが脱退を申し入れているところを、ね」
「っ!?」
僕のその言葉に、白鷺さんの表情がこわばる。
「それのどこが悪いの? 脱退してはいけないなんて決まりはないんだから、脱退しようがしまいが問題ないでしょっ?」
白鷺さんの開き直りとも取れる言葉に、僕は静かに頷く。
「確かにそうだ。この世界では、それもまた一手。でも、僕たちがいるのは芸能界ではなく音楽界。脱退という意味合いだっていつもとは違うし、重みも違う」
普通の芸能界やアイドル界であれば、一人抜けたところでさしたる影響はない。
その人に付いていたファンの人数分ファンの人数が減る云々は別としてだが。
音楽……ましてやバンドは一人抜けただけでも大きなダメージとなる。
まず、そのバンドに入る新しいメンバーを探さなければいけなくなるし、見つかったとしてもまた一から関係を深めて、バンドの音を構築していく必要がある。
凄まじいくらいの苦労と時間を要するのは言うまでもない。
彼女の行動をすべてまとめると、ある結論に達する。
「白鷺さんは、目の前で奈落に落ちそうになっているメンバーを足蹴りして仲間を犠牲にしてまでも自分だけ助かろうとする冷酷な人間……つまり、そういうことでしょ」
「違うわっ。私は別に――「現に、そういうことをしようとしたじゃないかっ」――ッ!」
声を荒げて反論する白鷺さんの言葉を遮るようにして、僕は大きな声で言い放った。
その時、僕の中で言葉には言い表せない黒いものが高まってくるのを感じた。
「お前たち役者は、人の命を奪っても何とも思わない……全員そんな奴なのか? それでも人なのか?」
「ちょ、ちょっと、何を言ってるの?!」
僕の中で、役者に対する怒りがこみあげてくる。
許せないという気持ち一色で塗りたくられていった。
「―――きっ!!」
「……っ」
どんどんと思考が黒い何かが纏わるついていく中、聞えてきた誰かの声が、一気に黒いそれから引きはがしていく。
「一樹、辞めるんだっ」
「え? ……ッ!?」
その声は、啓介のものだった。
はっと正気に戻った僕は、目の前の光景を見て思いっきり後ろに飛びのいた。
僕は、白鷺さんを壁際に追い込んで両手を彼女の顔の高さまで上げていたのだ。
その高さはそのまま伸ばせばちょうど、
「千聖ちゃん!」
「千聖さんっ」
そして、白鷺さんの名前を呼びながら駆け寄ってくる丸山さんと、大和さん。
その後ろには若宮さんたちも続く。
そして、白鷺さんと目が合う。
その表情は畏怖の感情が見えた。
「……っ」
僕は気が付けばその場から逃げ出していた。
後ろから僕を呼ぶ声がするが、それに振り向くことなく僕は走りつづけるのであった。
僕が逃げ込んだのは、休憩スペースだった。
「っ! はあ……はぁ……」
幸い誰もいないようで、僕はベンチに突っ伏す形で倒れこむ。
「僕は、いったい何を……」
あの時の状況を考えれば、何をしようとしていたかなんて、考えるまでもない。
(白鷺さんの首をしめようとした?)
いや、まさかと思いたいが、あの状況ではそのようなことを思うことはできない。
(何で……どうして)
これまで、どんなに怒っても手は出さなかった。
偽善だと思われるかもしれないが、僕は暴力で解決するようなことが嫌いだ。
花咲ヤンキースの一件でも僕は一切、反撃はしなかった。
その代わり、自分へのダメージを抑える方向に全力を尽くしていた。
「……帰ろう」
何も考えられずにいる中で、自分が出した結論は、逃げることだった。
思いついたらなんとやら、僕は再び逃げるようにしてその場を立ち去るのであった。
千聖推しの人に、ものすごく怒られそうな気が(汗)