「……」
事務所から逃げるように立ち去った僕は、何をするでもなくただ歩き続けていた。
自分でもどこに向かっているのかがわからない。
頭の中にあるのは、先ほどの一件のことだけだ。
”どうして”、”どうする”、そんなフレーズが永遠に頭の中を回り続けている。
(自分が、こんなに怖く感じるなんて)
自分で自分をコントロールできていないことへの恐怖心は、僕の頭の中をぐちゃぐちゃにしていく要因の一つにもなっていた。
だが、少し歩いたからなのか、若干ではあるが考える余裕はでき始めていた。
なので、僕は一度自分の心の中で整理をしてみる。
(あの時、僕は白鷺さんに対して怒りを感じた)
それは確かだ。
バンドのメンバーでありながら、その仲間を裏切るような行為を平然と行ったことが僕には許せなかった。
なのに、その感情は別のものとなり大きく膨れ上がっていたような気がした。
それは、黒い感情。
そのきっかけなど、考えるまでもない。
(白鷺さんが『役者』だから)
役者という職業が原因としか考えられない。
役者は、僕にとっては両親を殺した仇にも近い。
役者全員がそういう風になっているのは、理不尽だというのは頭では理解しているつもりだ。
でも、どんなに理解していても、吹っ切れるものではない。
(もしかしたら、僕は探しているのかもしれない)
復讐するべき”役者”の人を。
再び、悶々とし始めようとした時のことだった。
「みんな~~! こんにちはっ! あたし達は『ハロー、ハッピーワールド!』あたし達と一緒に笑顔になろうね~~!」
「ん?」
突然聞こえてきた活発な少女の声は、思考の海に沈みかける僕をすさまじい勢いで引き上げる。
気づけば、住宅街にある公園前に来ており、公園内にはものすごく異彩を放つ少女たちの姿があった。
マーチングバンドを彷彿とさせる衣装に身を包んだ彼女たちの姿が。
(今、『ハロー、ハッピーワールド!』って言ってたよね)
僕の聞き間違えでなければ、彼女たちが花音さんの話していた自分が所属することになったバンドということになる。
(というより、花音さんいたよ)
公園で遊んでいたであろう子供たちが集まっている光景の中で、よく見ると彼女たちの後ろのほうにスティックを手にしている花音さんの姿を見つけた。
「ものすごくあたふたしてるな……まあ、当然だけど」
群がるように集まってくる子供の光景を見れば、誰だってあたふたするはずだ。
(なんか、薫さんもいるし)
どういうわけか薫さんも加わっていた。
「それじゃ、行くわよ~~っ! 『えがおのオーケストラ』!」
おそらくバンドリーダーと思われる金髪の少女の掛け声とともに、演奏が始まる。
(うわ?! いきなりバク転したよ)
演奏が始まった手早々に金髪の少女はバク転をしたのだ。
すごいのは、それでも普通に演奏をしているところだろうか。
(意外といいな)
演奏の技術としてはやや劣っている(それでもアマチュアとしては、十分なレベルだけど)彼女たちだったが、その音色はそれと反比例して素晴らしかった。
あたふたしていた花音さんだったが、演奏が始まると正確なリズムでドラムを叩いているし、他のメンバーも楽しそうに演奏をしている。
その楽しそうにしているのが音に乗っかって僕たちの心にまで響いてくるのだ。
「なんだか、いいな。こういうの」
気が付けば、ライブを見ていた僕は、少しではあるが 気が楽になっていた。
さっきまでのどんよりとした気持ちなど、まるで嘘のようだった。
「ミッシェルーっ」
「演奏中に、抱きつかないでくださーい」
尤も、バンド内で一番存在感のあるクマのぬいぐるみ(確か、ミッシェルといったっけ?)に、オレンジ色の髪の少女が演奏中に抱き着いたのには驚いたけど。
気が付けば曲はすでに終わっていた。
「みんな~! ありがとね~~」
あっという間にも感じられるほど、彼女たちの演奏はとてもよかった。
(本人に、直接感想を言ったほうがいいかな?)
一応、知り合いが所属しているバンドだ。
直接今感じていることを伝えても罰は当たらない。
それに、今なら話しかけられるようだし。
僕は花音さんたちに、話しかけようと、一歩足を進めたところで、ふと考えた。
(いや待てよ。そもそも彼女たち……大丈夫か?)
思い出されるのは、花音さんが口にしていたバンドの掛け声である『ハッピー! ラッキー! スマイル! イエーイ!』だった。
あれを聞いただけでも、凄まじいくらいにぶっ飛んでいるバンドであることは想像がついたが、このライブを見てさらにそれは強まった。
(しかもなんだか、日菜さんと同じ匂いがするし)
特に金髪少女からは、日菜さんが2人いるような感覚を直感ではあるが感じていた。
(話しかければ絶対に振り回される)
ただでさえ日菜さん1人でも手一杯なのに、ここで彼女まで加わったら、僕の胃にはもれなく大きな穴が開くことだろう。
(とにかく、感想はあとで花音さんに直接言おう)
僕はそう結論付けると、声をかけられないうちにそそくさとその場から逃げ去るのであった。
「今日で、連休も終わりか」
夜、僕は自室で何となくそう呟いた。
曜日の関係からか、今年は去年よりも数日ほど長い連休だった。
その連休もPastel*Palettesの一件ですべて消滅してしまったわけだが、色々と充実した連休だったことには変わりない。
(とりあえず、白鷺さんにはちゃんと謝ろう)
この時、僕はようやく人として当然の答えを導き出せていた。
「ただ、問題はタイミングか」
本来であればタイミングも何もなく、すぐに謝罪をするべきだ。
僕自身もそうしていたはずだ。
だが、今の状況を考えると、それをするのは一つだけ問題がある。
(パスパレのメンバーに目撃されたのは、ちょっと痛かったな)
彼女たちが一体どこから見ていたのかが定かではないので、何とも言えない。
もしかしたら、僕が後ろに飛び退いた辺りからかもしれない。
常に最悪の事態を想定しなければならない。
ここは、僕が”白鷺さんの首を絞めようとしているところを見た”ということを想定しておいたほうがいいかもしれない。
そして、この場合だと、白鷺さんに普通に謝るだけでは不十分なのだ。
パスパレのメンバーがいる中で……要するに、彼女たちの目の前で白鷺さんに謝らなければいけない。
そうしないと、僕が謝って、一件落着という形に持っていくことが難しくなるからだ。
無論、早急に白鷺さんに謝って、彼女の口からこの件については片が付いたことを話してくれても問題はない。
ただ、パスパレのメンバーが、それで納得がいくのかどうかという疑問がある。
こういったトラブルは、そのままにしておくと僕に対する反発という状態になる可能性もある。
ヒール役といえば格好はいいかもしれないが、この状況でそれは最悪だ。
なので、それを防ぐためにはこの方法しかない。
せっかくここまでいい感じに進んでいた計画が、自分の愚かな行動で台無しにするのだけは何としても避けたい。
(ここが踏ん張りどころか)
僕は明日の放課後にある練習にすべてを賭ける思いで、眠りにつくのであった。