今回のインタビュー相手は義足のランナーとなった島風です。
一周400メートルのトラック。二万人を納めることが出来た観客席。百を超えるスポットライト。かつては国内外を問わず、様々な大会に使われてきた競技場も今は廃墟と化している。兵どもが夢の後、と芭蕉は歌っていたが、この場所もそれにあたるだろう。
その国立競技場のトラックを疾走する影一つ。ヒビが入り、場所によってはラバー地がめくれ上がり、下のコンクリートを晒している。枯れかけの雑草が枝葉を伸ばしている。
そこを影は疾走している。速く、鋭く、軽やかに。人間の動作とは思えない。私たち、艦娘にしても速すぎる。
艦娘の腕力や脚力は人間のソレと比べものにならないほど強力だが、それは動作の機敏さには直結していない。詳しいデータは持っていないが一般的な艦娘の地上での走力は人間のスポーツ選手と同等程度だと思う。百メートルなら10秒前後、十キロを三、四十分で走りきる。体力はそこは超長距離を航行する私たちだ。十キロが四十二.一九五キロになっても百キロになってもさほど平均タイムは変わらないだろう。
それを鑑みてもトラックを走る影の早さは段違いだ。目で追うのが難しい、と形容できる早さ。『影』と称しているのはあまりに速すぎて己の影を置いてきぼりにし、私の眼が残像しか捕らえられていないからだ。
そのあまりの速さに心奪われていた私ははっと思い出す。最終トラックだ。二周半を走りきったところで、ストップウォッチを押してくれと頼まれていたのだった。
百分の一秒単位を刻む電子時計を手に私は身構える。後十メートル、五メートル、二メートル、一メートル。ゼロ。突き出された胸がゴールラインを超えた瞬間、私はストップウォッチを押す。
「…記録は、一分五十七秒三三、です」
ゴールラインを超えてもすぐには止まらず、ゆっくり走るペースを落とし、徐々に止まる背中にそう声をかける。
「よし、二分の大台は超えた」
ちいさく、ガッツポーズを取る影。いや、もう立ち止まっているのだから影という表現はよそう。
島風、唯一の島風型駆逐艦が今回のインタビュー相手だ。
「すごい走りでしたね。島風さん的にもこの記録は十分納得のいくものだったんですか」
私の質問に島風は荷物からとりだしたタオルで汗ばんだ顔や首を拭きながら「まぁね」と応える。
「たしか、一〇〇〇の女子の記録が二分半ぐらいだったから、島風的にもまぁまぁかな」
「ええっ!?」
さらりと、自分が世界新を更新していることをいう島風。
もちろんそれは人間の女性の記録だが、それでも艦娘としても素晴らしい記録に間違いはないだろう。こんな廃墟然とした場所でそんな記録を打ち立ててしまうなんて。自分が歴史的瞬間に立ち会ったのでは、と思わず興奮してしまう。
けれど、そんな私とは対照的に島風の感情はあくまでニュートラルだった。
「これぐらいじゃ、まだまだおっそーいよ。もっと速くならなきゃ」
その点を指摘するとそう返された。
「成る程。常に目標は到達点でしかないと」
私の知る私の部隊にいた島風もそういうところがあった。この島風と同じようにかけっこが好きで、よく走り回っていた。ある時、あのいけ好かない(当時はそうではなかった)Dr.アンデスが記録を取り、別の日にその記録を更新したが島風は特に喜ばなかった。『次は二秒縮めるよ』といい、実際に縮め、それでも両手を挙げて飛び跳ねたりはしなかった。走ることが第一で、その結果がどうというのは気にしていなかったのだ。いうなれば完全な趣味の人――アマチュアタイプだったのだ。
今インタビューしている島風はそれよりは記録更新を目指すアスリートタイプに近いだろう。インタビューを申し出た私に、タイマー係を交換条件に出してきたぐらいなのだから。
といっても、自身の記録を更新することそれ自体に喜びを見いだしてはいないようだ。更新すればその次、次の一秒を縮め、縮まれば次の一秒、ゼロコンマ五秒、ゼロコンマ一秒、と己の限界を極めていくことに意味を見いだしているのでは、と思える。スポーツの世界は分からないが、本物のアスリートというのはそういった人種なのかも知れない。
「ううん。違うよ」
あれ? と肩すかしを喰らう私。
「目標はキチンとあるよ。四十八秒。それが島風の一〇〇〇の目標タイム」
「…48秒、ですか」
二分どころか一分を切っている。
どれ程のものだ、と私は手にしていたメモ帳でざっと計算してみる。ええっと、はじき…速さ×時間÷距離、だから。
「時速75キロ!?」
ちょっとした車やバイクぐらいの速度だ。完全にチューンナップしたカーボンフレームのロードレーサーなら出せる速度かも知れない。それと、たしかチーターが走る速度がそれぐらいだった思う。その速度は果たして、人型―二足歩行で出せる速度なのだろうか。
ちらりと島風の銀色の足を見る。
「っていうか、ええっと、ウンノ?さん。おっそーい。はやく島風のこの脚のことインタビューしてよ!」
「えっ、ええ」
この脚、と島風はスカートの中…戦後の艦娘にしては珍しく、この島風は大戦中と同じ衣装を着ている…が見えるのも気にせずテコンドーやムエタイの選手よろしく自慢のその脚を上げてみせた。陽光に照らされ、銀色の脚が輝く。
銀色。
そう銀色だ。
履いているランニングシューズやタイツが銀色をしているという事ではない。島風の脚…太股下部より下はまさしく滑らかな光沢を持つ金属で出来ていのだ。所謂、義足だ。
「アハハ、すいません。そうですよね。ええっと、デリケートな話題かと思いまして、ええ」
笑いながらも、そう自分の考えを明かす。そんなの気にしなくていいのに、と島風は唇を尖らせる。
「ええっと、じゃあ、具体的にその脚はいったい、どういうもの何ですか?」
メモを構え、質問する。待ってました、と島風は胸をはってみせる。
「メインフレームはチタニュウム合金。製造法はヒミツ。特許出願中なんだって。足首…足首なのかな。このヘラみたいな部分はカーボンファイバーで出来てて、すっごくよく曲がるの。島風の力を何倍にもして跳ね返して、走る力に替えてくれるんだよ。脚の裏側に打ち付けてあるこのすっごく尖ったリベットはスパイク。タングステンカーバイド製で、花崗岩にも突き刺さるんだよ。これで力強く地面を蹴るの。で、脚の重量は片方で三キロ。艦娘の脚は片方でだいたい七キロ。半分ぐらい。だからとっても軽いのよ」
まくし立てるように脚の“スペック”を喋る島風。メモを取るので精一杯で相づちすら打てない。
「こっちのスプリングは展性チタン。ここのワイヤーはカーボンファイバーでできてて…」
いや、メモを取るのすら間に合わない。兎に角、超技術が惜しみなく使われているというのが辛うじて分かるぐらいだ。
「成る程。しかし、それだけスゴい義足をただ、走るためだけに使っているんですか。なにか大会に出場するような目的はないんですか」
矢継ぎ早に語る島風の僅かな呼吸の隙間を縫って質問を投げかける。島風は間髪いれず「当然」と鼻息荒く応えた。
「ええっとね」
自分の荷物を探り始める島風。今のうちに聞いた話をメモしておく。
「これこれ」
そういって島風が出してきたのは折り畳まれたプリントだった。受け取り、破かないように拡げる。
「超人オリンピック?」
渡されたプリントはポスターだった。A4サイズ。カラー印刷。表面にはそのタイトルと屈強そうな男女が写っており、その後ろには島風のような義足やロボットのような格好をした人物などが合成されていた。
「ええっと、パラリンピックみたいな大会なんでしょうか?」
「パラリンピック? うん、そうそう。たぶんそうそう」
適当に頷く島風。
パラリンピック。世界陸上競技大会であるオリンピックのあとに開催されていた身体障害者専門の運動会だ。されていた、というのは今現在、オリンピックを含めそういった世界規模の運動会が開催されているのか分からないからだ。
戦時中、特に戦いが激しくなった三年目頃には多くの大会が延期、或いは中止の憂いにあっていた。そして、その後、再開されたという話は今のところ耳にしていない。
今なお色濃く残る戦果の爪痕。太平洋の喪失。
文明が一世紀は後退した、と識者はいうが、何もそれは科学技術や日常生活だけではない。かつて行われてきた文化的なイベントを中止せざるをえない、という状況もまた文化的後退を示しているのだ。
けれど、復興の兆しは芽生えつつもある。島風が参加するというこの大会もこの一つだろう。今日食べるもの、明日住む場所、寒くなる前に揃えておきたい服。そういうことを考えれば競技大会などは二の次、三の次だ。スポーツではお腹はふくれない。だが、それをしなくては人類はただの獣になりさがってしまうだろう。衣食住の充実とともに文化的充実もまた人であるために必要なのだ。
「大きな大会なんでしょうか?」
「うん。たしか、三百人ぐらい参加してたよ。艦娘も島風以外にもいたし」
「へぇ」と私の目が興味に輝く。
取材してみたかったが、生憎と大会の開催までまだまだある。取り敢えず、場所と日時をメモしておく。
「じゃあ、大会に向けてトレーニング中なんですね。義足の調整を兼ねてといった感じですか」
「まーねー。スポンサーはもっと山とか砂漠とか街中とか走れってウルサいんだけどね」
街の中なんて狭くって走れないよ、と島風。けれど、やはりそうなのか。口調に対し島風は自分の“脚”の性能を試してみたくてたまらない、といった様子だった。笑顔が浮かんでいる。
私は思わず、断ることもせず、その笑顔を写真に収めた。
「わぁっ、びっくりさせないでよ。もう」
「あははは。すいません。いい笑顔でしたので」
そういうと島風は「そう」と得意げな顔になった。悪い気はしなかったらしい。
「じゃあ、もっとポーズとかつけようか。あっ、走ってるところとか撮る?」
そうですね、とお願いする。その場で両手をつき、腰を高く上げる島風。クラウチングスタートのスタイル。その瞬間をカメラに収める。シャッター音をスタートの合図にし、島風は走り始めた。ファインダーでその姿を追いかけ、何枚も写真に収めていく。
風を切り走る姿は戦時中に見た島風と同じだった。
銀色に輝く義足。それは復興の証ではないか。私はそう思い始めていた。
なくなった脚の代わりに装着された銀の義足。復活した脚で島風はまた大好きだったかけっこをしている。戦時中に中止されてしまった運動会に参加するという目的ももって。
深海棲艦が滅んだ後も、まだ、世界は平和とはいえなかった。あの太平洋戦争、第二次世界大戦と同じだ。戦争のすぐ後にくるのは平和ではない。復興だ。けれど、此度の戦いの爪痕は今まで以上に酷かった。ともすれば人類が、いや、地球が滅びかねないほど。
けれど、我々はこうして生き延びている。それも荒くれ者やミュータントがうろつき回るディストピア世界にではなく、かつてを目指している世界に。
「あれ?」
走っていた島風が、速度を落としつつ、こちらに戻ってきた。
「なんで写真撮ってないの?」
「あっ、ああ!!」
しまった。つい、感極まってしまってシャッターを切るのを忘れていた。バツが悪くなってしまったので、取りあえず笑って誤魔化す。
「いえ、もういい写真が一杯撮れましたから」
「そう? もっと撮ってもいいのに」
「いえ。そうそう。大会の時にはもっといいカメラを持ってまたインタビューに来ますよ」
その頃ならニコンやミノルタが復活しているかも知れない。この島風の脚のようにスタイリッシュになって。
「ええ、本当に。島風さんの活躍はきっと今なお苦しんでいる傷痍艦娘の心の支えになるはずですから」
戦時中はどんなに酷い怪我を負おうとも入渠ドッグに入浴れば傷はたちどころに治った。だが、現代ではそうはいかない。すべての鎮守府が破棄され、帝国海軍もなくなった今では、艦娘の治療技術はロストテクノロジーなのだ。
だが、島風の脚をみるとそのうち、その技術もまた復活するのではと思えてくる。付随する他の技術も。そうなれば私の旅も終わりを告げることになる。
と、
「……?」
心中モノローグに入っていた所為ですぐに気が付かなかったが、島風が首をかしげていた。大きなクエスチョンマークを浮かべている。
「どうかしたんですか?」
「ショーイ? カンムス?」
私の言葉を繰り返す島風。
「ええ、そうです。島風さんのように最後の戦いで大怪我を負った艦娘たちです。何人かインタビューさせて貰いましたが、その、言葉を選ばないなら皆さん、悲惨な状況に陥っていました」
殆どは物乞いか、最底辺の売春婦。五体が満足なら艦娘ならその人間を超えるパワーで力仕事に就くことが出来るが、それすらも出来ない娘の末路は非情だがそれしかない。
私がインタビューした彼女たちは全員、死んだ魚のような目をしていた。希望などない。戦って死ねればよかった。畜生。畜生。怨嗟と呪詛に塗れた言葉しか彼女たちからは聞き取れなかった。
「でも、こうして脚を取り戻して、昔のように走り回っている島風さんの姿を見ればきっとあの人たちも希望を…」
「ああっ! ストーップ!」
私の言葉を遮る島風。
「なんかオカシイと思ったんだよね-」
一人納得し、島風はその場で踊るようにくるくる回り始めた。
「なんかウンノさん、デリケートな話題だとかパラリンピックだとか、傷痍艦娘とか。なんかマトハズレなこと言ってるな、って思ってた」
「……と、いいますと?」
そもそも前提からして違ってたんだ、と島風は私に指を突きつけてくる。
「この脚は自分で切り落としたの。もっと速く走るために。あっ、また誤解を生みそうだからいうけど、切り落としたのはお医者さんで、島風じゃないからね。島風が手術の確認書類にサインした、って意味だからね」
なんだろう。雲間に一瞬、黒い影を見つけてしまったような衝撃と動揺に駆られる。
「普通の脚じゃどうしても勝てなかったから。前の大会の時は普通の脚で挑んだの。それでビリケツだったの。この私が、島風が。だから、スポンサーの人に頼ったの。『もっと速くして』って。実際、今の私みたいに改造手術を受けた人も前の大会には出てたから。島風にもそれをして貰おうと思ったの」
なにを言っているんだろう、この娘は。理解できず問い返す。
「大会って、一体、何の大会なんですか?」
「だから、超人オリンピック。超人、人を超えるって書くよね。文字通り人を超えた人のための陸上競技大会なの。
ドーピングOK、遺伝子組み換えもOK、自己催眠OK、島風みたいな改造手術もOK。瞬間移動する超能力者とか人間でも艦娘でもない人も参加してたよ」
酔っ払いの戯言じみた話を真面目な顔つきで私に語って聞かせる島風。少なくともその話は彼女の中では事実なのだろう。自分の脚を切り落して、より速く走るための義足に“装備変更”する程度には。
「……最後にもう一つだけ。スポンサーについて教えていただけませんか」
「んー、ENNって新聞社だよ」
正確にはその子会社で、ゆくゆくは企業広告を出すためにスター的スポーツ選手の育成と専属契約を目的にしているの、と島風は追加の説明をしてくれる。
それを聞き終えた私は島風に聞こえてしまうほど大きなため息を漏らしてしまった。
ENN。帝国新聞。“エンパイヤ・ニュース・ネットワーク”
私にはそれが実態のない幽霊企業であることを知っている。だからこそ、私もその企業名をよく利用させて貰っているのだ。秘密結社のフロント企業でしかないその企業名を。
「瑞鶴艦長。まだ、諦めてないんですか…」
ため息はかつての総旗艦に対する鈍い怒りだった。
END