そこで中古のアニメグッズやコミックなどを売る秋雲にインタビューするウンノ=青葉。ショップには非合法な品も含まれていて…
今回は秋雲のお話しです。
NY―ニューヨーク―
広大な領土を持つアメリカも都市部は人や物が密集している。それは白人の数が少ないチャイナタウンにおいても同じだ。ゴミが無造作に捨てられている、なにかこう機械整備室や厨房のように粘つく感触がする道を人々や車、時に野良犬や野良猫が往来している。
道の両脇に建つビルディング。その一階の多くは堅くシャッターが閉ざされている。進入を拒む鉄の扉には『Fxxk』『Hell2U』『lololol』といった私では意味は分からないが、恐らく汚い意味合いだろうととれる言葉が書かれている。他にも鍵十字、ロクロクロク、ドクロといった危なげなマークがスプレーされている。私にはなんとも理解しがたい絵も多数描かれていた。
シャッターを開けているのは殆どが店舗だ。赤や黄色、金色といった目に痛い極暖色の看板やボンボリ、提灯を掲げている。お店だ。だが、ちらりと覗き見た店内は外観とは裏腹に薄暗く客の入店を拒んでいるようだ。
拒んでいる、といえば住民たちもか。風景に溶け込むよう、町の一部と化している住人たち。階段に腰を下ろしタバコを吹かしているもの、マンション入り口でたむろしているもの、なにか密談を交わしているもの、昼間だというのに瓶から直に酒をあおっているもの。そのすべてが私が通りかがる度にチラリと一瞬ではあるが明らかに敵意を秘めた視線をむけてくるのだ。「余所者だ」「なんでこの町に?」「怪しい」眼は口ほどにものをいう。
「ええっと、確かこの辺りのはず…あっちかな」
私はわざとらしく声をあげ、辺りを見回す。二区画先…空母ほどではないが眼はいい方だ、に目的の店舗を見つけた。
店は他の開いている店と同じく派手な外観をしていたが、少し毛色が違っていた。看板はどこかで見たことのあるようなデザインを組み合わせたヒーローと皿のように大きな目をしたアニメ調の美少女が並んで描かれていた。店の入口両脇には二メートルはある戦闘ロボットとエイリアンの像が仁王像のように立ち、来客を迎えている。汚れて透明度が落ちているショーウインドウの中にはDVDのコレクターズBOXや古い漫画雑誌、フィギアや玩具などがみっちりと並べられている。
この地域の他の店舗が中華系の飲食店や漢方薬、怪しげな土産物屋ばかりなのに対し、このお店だけは秋葉原や日本橋にあったアニメショップの様だ。
「すいませーん」
とはいうもののなにかこう余所者を拒むような雰囲気はこの地域の他の店舗と同じだった。それは何も門前に構えられた二体の巨大な像の威圧感だけでないだろう。覗き込んだ店内は狭く、暗くまるで奇っ怪なモンスターや邪悪な野蛮人が隠れ住むダンジョンの入口の様だった。とすれば入口のロボットとエイリアンは仁王像ではなくガーゴイルか。
と、イメージを膨らませている場合ではない。敵の完全制海権下に独力偵察に赴いたこともある身だ。それに比べれば怪しげなアニメショップなどなんてことはない。
意を決し、中に入ろうとしたところで…
「ExcuseMe」
示し合せたように中から客が出てきた。陰鬱な表情をした肥満体の男だった。どうやってこの如何にも狭そうな店の中に入り、そうして、出てきたのだろうと思わせる横幅があった。背丈もアメリカ人男性にしては低いのだろうが、それでも私よりは十㎝は大きい。
異様さに気圧され、思わず立ち止まってしまっていると木のうろみたいな眼窩に収まった小さな眼で睨み付けられた。すいません、と飛び退くように離れる。
「…うーむ、この食糧難なご時世であの体型を維持するなんて、余程の努力が必要でしょう」
離れていく巨体を見送る。ボロボロのジャケットの背中には萌えキャラクターの刺繍が施されていた。昔、駆逐の娘たちが毎週楽しみに見ていたアイドルもののキャラクターだったと思う。
「クールジャパンは不滅…なんてねぇ」
それはそれとして、再びショップの入口に向き合う。心なしか、店の中に入りたくないという意識が強くなった気がする。いいや、そんなことはない。今度こそ私は意を決して店内に足を踏み入れた。
店の中は外観以上に混沌としていた。女性体の私でもなんとか通れるといったほどしか通路の幅はなく、両側には壁のように棚がそびえ立っている。棚にはこれまたぎっちりと商品が…フィギアや漫画雑誌、古い玩具、ゲームソフト、その他、私にも分からない何らかかのグッズが詰め込まれていた。膨大な所蔵量を誇るスミソニアン博物館でももう少しきれいに片付けられていそうだ。
なんとか売り物の山…いや、壁を崩さないよう細心の注意を払って進む。店の奥に人の気配を感じる。話し声。もう一人客がいたのだろうか。
「ここはもう少し、アレだね。リブを浮かせて欲しいね。昔の洗濯道具みたいに」
「ははぁ、リアル派ねお客さん。まさか、ホントに手だしてないだろうね」
「まさか。心外だな。ナボコフじいさんやルイス・キャロルじゃあるまいし」
「ちがいないね」
ワハハと意気投合する笑い声。あちらか、と注意しながら進む。
店の奥には客一人と店員一人がいた。なにか素人には分からないジョークをいいあっている。
客は先程の巨漢とは正反対の体格をしていた。痩せた長身で、店員に話しかけるために大きく背中を曲げている。日照不足のもとで育った広葉樹みたいなイメージを受けた。
そうして、店員の方は女性だ。少女といっていい年頃。椅子に深く腰掛け、客を見上げるように顔をあげている。目元になきぼくろがある。そうして、今日の私の目的でもある。
「すいません」
先程でていった巨漢と違い、まだ痩せた青年は社交性がありそうだった。フレンドリーさを最大に、私の存在に気がついていない二人に軽やかに声をかける。
「…!?」
途端、二人は急に体を流れている電流のプラスとマイナスが逆になったような反応をした。身体を強張らせると、敵意に満ちた眼を揃ってこちらに向けてきたのだ。外の街の住人と同じ反応だった。
「ええっと…驚かせちゃいました?」
武器を持っていないことをアピールするみたいに手を広げてみせる。
一歩だけ二人に近づくと店員の娘は青年の身体を私との壁になるように押した。驚いた顔をする青年。その青年を睨み付ける娘。私の対していた純粋な敵意に満ちていたそれではなく、馬鹿な飼い犬に向けるようなものだった。青年はああ、ああ、と二三度頷いて私に向きなおった。
「なにか用か」
私に指を突きつけてくる青年。威嚇的な態度。だが、腰が引けており、どうにも怖くない。どちらかといえばその後ろでいそいそと何かを机の下にしまい込んでいる店員の方に目がいってしまう。
「いえ、私が用があるのは店員さんの方でして」
覗きこむように首を延ばす真似をする。なにか書類を机の下にしまい終えた店員は私の視線に気がつき睨み返してきた。主砲の鋭さをもって。
その眼ができるものとできないものも違いを私は知っている。
実戦経験があるか、ないか。その違いだ。私たちの敵、深海棲艦との。
ああ、と私はインタビュー前にも関わらず内心で相手のプロフィールに一文を付け加えておく。戦時中産まれの艦娘と。
「どもども。ENNの記者をやってますウンノといいます」
「ウンノぉ?」
怪訝に眉を潜める店員の艦娘。
「秋雲さん、ですよね。陽炎型の」
ハの字だった秋雲の眉が広がる。驚きにいくぶん敵意が薄れた気がした。
「今はオータムクラウド、略してオークラって名乗ってるけど、まぁいいや。お互い様っぽいしねぇ」
そうニヒルに笑みをみせる秋雲=オータムクラウド。
客の青年は私と秋雲の親密度が急に上がった理由が理解できず、狼狽えるような様子をみせた。助言を求めるように秋雲の方に視線をよこしたが、店員はにべもなくネコでも追い払うよう、手を振っただけだった。なおも青年は何か言おうとしたが、秋雲は最初に私に向けていた視線、敵意のこもったソレを彼に向けた。銃社会のアメリカに住んでいても小口径の拳銃さえも握ったことのなさそうな線の細い青年はそれだけで縮み上がった。
「店じまいだよ、今日は。古い、古い友達が来たんだ」
がくりと肩を落とす青年。彼は何か言いたげだったが、何も言わずに踵をかえした。
その背中を私は無言でみおくる。
と、
「次来るときは、マーティ。アンタの要望通りの天使を描いておくよ」
エンジェル、と強く発音する秋雲。青年は振り返り、ハロインの日に大好物のお菓子を貰った駆逐艦の娘の様に瞳を輝かせた。
「絵を描いてるんですね。貴女も」
青年が去ってから私はそう秋雲に話しかけた。
「まーねー。多かれ少なかれ『秋雲』はイラスト大好き駆逐艦だからねぇ」
三隻ほど「私」を知ってるけど、みんな絵を描いてるよ、と秋雲。
「サガかな。そういうロールっていうの、ペルソナァ! かな。まぁ、いいや。兎に角さ、たぶん、戦争以外にゃそれぐらいしか出来ないように生まれついちゃったんだろうね」
「…そうでしょうか」
そんなことはない、と私は反論する。
「そうそう。ええっと、ウンノさんもそうでしょ」
いって秋雲は私を指さす。正確に言えば、私が首からぶら下げていたカメラを。
「……」
何か反論しなければ。私の中の子供っぽい感情がそう喚き立てる。だが、私の中の大人の理性はそんな具体例はない、と告げる。長年、旅をし何人もの艦娘にインタビューしてきたが艦娘の枠組みから大きく離れた、或いは外れた艦娘に会ったことは今のところない。それがある意味、この紀行の大目的であるはずなのに。
話題を変えよう。そう考え、仔細に秋雲を観察する。と、私は自分を指さす手に違和感を覚えた。
「その手は?」
「コレ?」
言って秋雲は手を広げてみせる。
「ああ、商売柄ね。古いオモチャとか本とか触るからね。汚さないように手袋してるの」
ほらウチ、中古アニメグッズショップだからさ。
そう木綿の柔らかな手袋をはめている理由を説明する秋雲。けれど、私が聞きたかったのはそこではなかった。
「いえ、その薬指です」
「……ああ」
手袋につつまれた秋雲の指。一見ではそうとは分からないが、つぶさに観察していれば違和感に気が付く。通常、五本ある指の内、一本、左手の薬指の動きがおかしいのだ。
「これね」
秋雲はするりと手袋を外した。案の定、秋雲の指は一本足りていなかった。第一関節よりもより根元に近い位置できれいに切り落されている。
「戦争でですか?」
最後の戦いの際に傷を負った娘は今もその傷に苦しんでいる。あの時、総司令部が鎮守府施設の破棄を指示したからだ。それには艦娘のどんな重傷でも治せた入渠施設も含まれている。
「あー、いや、違う違う。ちょっとね」
事故だろうか。鋼の骨格を持つ艦娘が指の一本だろうと失う事故というのはなかなかレアケースのような気がする。大型の裁断機にでも巻き込まれたのだろうか。
「その、失礼ですがその手でも絵は描けるのですか」
「まーねー。ってか、私、右利きだし」
「ああ」
逆の手なら問題はないか。しかし、利き手でないとしたらどうして、左手の指を失ったのだろう。
妙な既知感を憶えたが、古傷を話題にするのもどうかと思い、違う話にすることにした。
「ところでどんな絵を描いているんですか? 見せてもらってもいいですか?」
特に他意はなく聞いたつもりだった。おそらく店の看板みたいにアメリカンコミックや戦前の帝国風萌えキャラクターを描いているのだろうと思って。
ところが秋雲は一瞬だけまた、敵に対して向けるような砲身がごとき眼をしたのだ。一瞬だけだが。
「ああ、いやぁーそんな人に見せるものじゃないよ。まだまだ練習中でサー」
ほら『やさしい人体デッサン』とか読んでるぐらいだし、と使い古るされたHowTo本をみせる秋雲。
その本の間になにか紙が一枚挟まっているのをみつけた。
「それは?」
「ええっと」
「それにさっきの、えっと、マーティさんでしたっけ。お客さんに『天使』を描いておくっていってたじゃないですか」
エンジェル、とは秋雲のようにうまく発音できない。
「オイ」
ピリリ。不意に店の空気が変わった気がする。
「お前、警官か。それとも探偵か。私がどんな絵を描いてようと私の勝手じゃねぇか」
唐突にドスの効いた声を発する秋雲。私に顔を近づけ、それこそ、今までのが砲身のような一睨みなら、今のは既に砲撃った後だというような強烈な敵意、害意に満ちた眼をしてくる。その豹変ぶりに、思わず面喰らう。
「いや、あの、ただのブン屋です。その、すいません」
ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らし、秋雲はそっぽを向いてしまった。話しかけるな。殺すぞ。口ほどにものをいう態度。
「今日はこれで帰らさせていただきます。不快な気分にさせてしまって申し訳ありませんでした」
頭を下げるが秋雲は見向きもしない。不機嫌そうに眉をしかめている。デッサンの本をカウンターに置いて、なにかペーパーブックを広げ始める。
「本当にスイマセンでした……と思わせてエイ」
隙を突いてデッサンの本、その間に挟まっていた絵を盗み取る。秋雲が手を伸ばすより先に、彼女が描いた絵を確かめる。
「えっ…!? うわぁ」
瞬間、私の思考は熱暴走で停止した。いや、熱暴走ではない。嫌悪だ。絵は上手いものだった。素人目にも写実的で実にきれいに描けている、というのは解る。秋雲の謙遜が嫌味にしか思えない程に。ああ、だが、クソ。これを『綺麗な絵』だとは評価したくない。私の良心と常識に照らし合わせた感覚からすればこれはポルノだ。少女ポルノ。ああ、そうだ。この絵からは少女の幼さや可愛らしさ清純さ、それに対する崇高さや美しさなどは
感じられない。対象とするニュアンスは同じだが美的感覚を向けるために描かれたものではないと分かる。これは芸術作品じゃない。私は芸術家ではないが、それでもハッキリと分かる。これは性的嗜好を満たすためだけの消耗品だ。
「……」
二の句も告げることが出来ず、黙りこくってしまう。店内に濃霧の夜のような重苦しい沈黙が立ちこめ始める。
ため息交じりにぼやき、沈黙を破る秋雲。
「いやぁ、まぁ、アンタのその反応も分からなくはないよ」
秋雲は立ち上がると腕を伸ばし、さっと私の手からイラストを奪い返した。
「ところでさぁ、アンタ。ええっと、ウンノさんだっけ、ウンノさんには何に見える?」
コレと秋雲は絵を見せてくる。
一糸纏わぬ…いや、何故か靴下だけを履いた少女の絵。年は十歳には満たないだろう。そんな少女が自分の性器を自分の手で広げている。見せつけるように。そう言い切れるのは構図はもとより、少女の顔が扇情的な媚びを売るような顔をしているからだ。自分が何をしているのか分からない無知な顔つきでも、何をしているのか理解している恥じ入るような顔つきでも、ましてや何かしらのメッセージ性を第三者が読み取るようなアルカイック、或いはニュートラルな笑みを浮かべたりはしていない。
「まぁ、その顔で大体分かるけどさ」
肩をすくめ、秋雲は眼を細める。
「“児童ポルノ”でしょ。胸クソの悪くなる」
言葉は返さなかった。それで肯定と秋雲は受け取った。秋雲は口端を吊り上げ、何故か憐れみの笑みを私に向けてきた。
「まぁ、そうだね。コイツは実際“児童ポルノ”さ。紛れもなく。さっきのマーティ、ああ、彼はそうでもないかな。その前に出ていったディランは真性のソレだね。所謂、ロリコン――ここいらじゃペドフィリアっていうけれど、そういったロリペド野郎ども垂涎ものの一品さ」
ベラベラとよく回る口で秋雲は説明する。私は一言も口を挟まない。
「しかし長良、なんちゃって。ええっと、ゴメン。続けるよ。しかしながらね、大抵のパンピー、一般ピープルは、そうウンノさんみたいな人はコイツに嫌悪を感じる。それはそうさ。香水臭い尼さん。髪を染めている教師。なんか中毒の軍人。潮の香りのしない船。そういうものと同じさ。いいや、もっと悪いかも。兎に角、これはクソだエンパイヤステートビルみたいにそびえ立つクソだって思う。常人は」
んっでもって、と秋雲は言葉を切る。
「その常人さまのお考えのとーり、こういう絵はニューヨーク州じゃ禁止されてる。ミネソタでもミシガンでも、テキサスでさえも禁止されてる。アイオワ州じゃどうだったかな。所持の禁止か販売の禁止か、そもそも作画の禁止かは州によって違うけれど、まぁ、全米の殆どの州でのコレの扱いは麻薬とおんなじ。同じ様にラリれる大麻や人を殺せる拳銃さえ禁止されていないのに、これは禁止品になってる」
ピラピラと秋雲はポルノを振ってみせる。
「ところで、ウンノさん。アナタ、ケーサツ官?」
弓道警察とかそんな感じのヤツ? と秋雲は聞いてくる。
「いいえ。NYPDに勤めてる艦娘なら最近、知り合いになりましたけど」
「ああ、漣ちゃんね。あの娘はこの界隈じゃ有名だからね」
じゃあ、大丈夫かと秋雲は私に分からない何かに納得する。
「ここニューヨーク州じゃこういう絵の販売、販売目的の所持は禁止されてる。でも、ううん、だからこそ欲しがる物好きはあらわれる。もう見えて秋雲さん絵が上手くってね。そういう反社会的な趣味の持ち主に自分で描いたのや友達が描いた絵をこっそりと売ってあげているの」
こっそりと。そこで秋雲は自分の人差し指を立てて唇に近づける。こっそりと。
「成る程。アニメのグッズショップを隠れ蓑にアダルトグッズを売っていると」
「まーねー」
売り上げ比はサンナナぐらい、と秋雲。
「麻薬や銃の売人に比べれば私の商売なんて教会の神父さんばりに街の平和に貢献してると思うよ」
自分で描いた商品を秋雲はしまいはじめる。商品カタログだろうか。棚の真ん中に納められていたなんの変鉄もないファイルを取りだし、そこに納める。きっと先程の長身の男や巨漢の様なお得意様だけに見せる特別なカタログなのだろう。禁止品が載せられた秘密ファイルだ。
「わかりました。確かにこういうご時世ですからね。食べるのに職は選んでいられませんものね」
私の感想に秋雲は再び鋭い視線を向けてきた。駆逐艦らしからぬ、いや、客商売らしからぬ強烈な敵意ある視線。
私の皮肉めいた感想や態度が気にさわったのだろうか。いいや、そもそもの怒りの質が違う。秋雲のそれは感情に任せたものではなさそうだ。言うならば兵隊が敵に向けるような、そういった怒りとは別に理屈が付いているように感じられる。そして、その理屈で敵意を向けるというのは実際かなり難しい行為だ。先にいった軍人でもなければそうそうできる態度ではない。この秋雲も錬度は高そうに見える。激戦地を戦い抜いてきたのだろう。それが起因だろうか。
「アンタさぁ。いいや、まぁ。私の商売が生理的に受け付けないってのがモロに態度に出てるの気がついてる?」
「あっ、いいえ、私は決してそんな…」
いいよ、いいよ、と秋雲は手を振う。分かっているから。年若い塾教師が宿題をやってこなかった生徒に対するように。
「さっきもいったけど、分かってるんだって。ああいう絵がさ、社会的には認められてないのぐらい。ああいや、認められにくい、っていうべきかな」
諦念か。秋雲は排気ガスじみたため息を漏らす。
「そりゃそうさ。描いて理性で理解してるから私は嫌悪なんて感じちゃいないよ。ああ、でもね、やっぱり分類するならコイツは実際”児童ポルノ”になるね。ただ、あくまでカテゴリ分けした場合は、って注釈がつくね。陸軍のモグラを潜水艦に分類するようなものさ」
それはどういう意味なのだろうか。私は問いかける。
「そのままの意味さ。あえて分けるならそこに入るってだけで実質的にはカテゴライズする意味はない。スイカが野菜に分類されるのと一緒。これこれこういう条件に当てはまるからスイカは野菜だ。小さい女の子が蠱惑的な表情で男の…男の人とは限らないかな、まぁ、劣情を煽っているからこれは児童ポルノ。そういうカテゴライズ」
スイカなんて甘くて赤いからどう考えても果物なのにねぇ、と秋雲。
「さて、分類はいいとしてじゃあ、アレは本当に社会的に悪いもの…麻薬とか拳銃とか、あとはアルコールだとかタバコだとかと一緒なのかっていう話に進もうか。さーて、ここで問題。どうして児童ポルノは悪なのでしょう」
デデン、と秋雲はテレビのクイズ番組みたいな効果音を口で真似る。
「感情論じゃなくて論理的に答えてください。倫理的じゃあダメよ」
ふむ、と私は思案する。
「いえ、結局、倫理的な話になりますね」
答える前にそう前置きする。
「そもそも性産業に就くというのは、実際リスクがあるということは共通認識でいいですか」
「そりゃそうだね。フーゾク嬢なんて後ろ指指され組のジョブだしね」
「それ以外にも客――多くの場合は男性でしょう。その男性客からの暴力を受ける危険性もある。それに性病といったリスクもあります」
梅の毒ね、と古い言い回しをする秋雲。
「良識と常識的判断能力がある大人がリスクを承知でそういう職業に就くのは結構です。それは職業選択の自由に当たります。他人がとやかくいう道理はないでしょう」
ですが、と私は話を区切る。
「子供の場合はそうはいきません。経験も浅く、考えも幼い、キチンとした判断能力の備わっていない子供にそのようなリスクある性産業に従事させるのは害悪以外のなにものでもありません。その子は売春宿で働いていなかったら学者になれていたかもしれなかった。スポーツ選手かも。大企業の社長かも。それになれず他にできることもなく与えられた選択肢の中で風俗業を選ぶなら理解はできますが、まだ選択肢も与えられていない子供にそれをさせるのは子供の未来を閉ざす邪悪な行いです」
ほぉ、と秋雲は声をあげる。
「まぁ、リアルに致すのは危険だからねぇ。じゃあ、ビデオを撮るとかは? ノータッチミー。踊り子に触れないでくださいって方法なら少なくともセービョーとレイプには対応出来ると思うけど」
「それでも世間体からは逃れられません。多感な少年少女の時期に社会から嫌悪の視線を向けられることがまっとうな情操教育だとは思えません。情操教育というなら身体を売れば安易にお金が手に入るというのも危険な考えだと個人的には思います。いえ、性的サービスを施す事に長けていれば、そういった仕事に就くのも問題はない、むしろ天職だとは思います。ですが、自分の少女性、レアリティを安売りするのは、間違った価値観を持つことになりかねないと考えます」
「あー、JKは貴重だからねー」
「兎に角、『子供の将来のため』というのが一番の理由です。その理由に論理的な答えを求めるのは逆にナンセンスだと思いますね」
それでもなお理由を求めるのでしたら、と論弁を続けようとしたところで制止がかかった。
「ああ、いいよおねーさん。質問しておいてなんだけれど秋雲さんもウンノさんと同じような考えを持ってるよ。その考えは正しい。間違いない」
流石ジャーナリストだねー、と秋雲。その後に続く言葉はすぐには発せられず、秋雲は考えをまとめているのだろうか、こつこつとテーブルを指で叩き始めた。左手の中指はないので、薬指で。
「でも、この辺りじゃ、けれど、ウンノさんみたいなマトモな考えをもった大人は少ない。手前のガキに春を売らせる腐れ外道も多い」
憂慮すべき事態だよ、と秋雲は肩を竦める。眉間に深く刻まれた皺が秋雲の憂いと苦悩を表している。つられ私の顔にも憤りめいたものが浮かぶ。
かつて私たちは海の上で戦っていた。海域を荒らし、支配する化け物を倒すために。けれど、それは何も害虫駆除をしていたわけではない。平和のため、蒼い海とそこを渡る多くの船を守るために戦っていたのだ。それは世界に何百とある問題の内の一つに過ぎなかっただろうが、それでも平和のための戦いだったのだ。
その戦いが終わり現代――世界は平和になどなっていなかった。むしろ、悪くなっている気がする。
私の憤りはそれに起因するものだ。根源の理由が己の尽力が無為になったことなのか、それとも自分たちの不甲斐なさ、或いは深海棲艦の様なわかりやすい敵ではなく、真に倒すべき悪というのは社会の中に隠れ潜んでいるのでは、という陰謀論めいた考えなのか、判断は付かない。
兎に角、私は、そして秋雲も憤りを覚えていた。
「ま-、それはそれとして、私としてはこの商売を止めるわけにはいかない」
唐突な閑話休題。私は膝を折りそうになる。
「やっぱり、結構な稼ぎになるのよねぇ。禁止品の売買ってのは。ペンと紙があればいくらでも作れるから原価はかからないし、いざというとき処分もしやすい。アルコールやドラッグと違って買い手がバカにならないから、そこからバレるリスクも低い」
眉間のシワがより深いものになる。当然、秋雲の態度ゆえにだ。
「まぁまぁ、そんな顔しないで最後まで聞いてよおねーさん」
悪びれる様子なく、秋雲は私に手を降るってみせる。
「そもそも私が売っているものはなんなのか。その点をウンノさんは理解してないと思うね」
「…といいますと?」
「だってさー」
秋雲はテーブルに両手で頬杖をつく。私は射程距離外の敵戦艦を見るようその秋雲をにらむ。
「私が売ってるのは絵だよ。絵。二次元」
秋雲は頬杖をついたまま片手を伸ばし、鉛筆と紙――新聞のチラシを手に取る。裏返し、迷いない手付きで何かを描いていく。
「私が売っている絵の少女は何処にいる? 角のマンション三階に住んでるリーさん一家の長女ステファンちゃん? 三週間前に家出したグリューエル? それともあの悪名高い高雄の家?」
絵を描きながら名を挙げていく。知った名前も耳にする。
「答えは私の頭の中だけ」
オンリーイッツマイブレイン、と筆を止め、鉛筆の先を突き付けてくる。
「これは絵にすぎないんだよね。私が描いて売る、それだけ。小さくてかわいい天使はここには関係してない。ウンノさんの懸念は存在してないんだよ」
再び走る鉛筆。サラサラサラ。淀みない動き。熟練者の駆る艦載機の動き。
「こんな絵を何百枚描いたって、現実の少女に被害は全く及ばない。モデルもいなけりゃモチーフになっている娘もいない」
まぁ、昔、お風呂で見た睦月型朝潮型の裸はインスピレーションになってるかもしれないけど、と秋雲。鉛筆の動きは止まらない。
「むしろ、その逆だとオータムクラウド先生は思ってるけれどね。私が描いているような児童ポルノ的イラストはジャンキーにモルヒネを施してるようなものだと思うんだけれどね」
どういう意味だ。聞くべきか。普段はしない迷いをみせている間に秋雲は話を続ける。
「児童趣味の連中ってのはやっぱり一定数いるんだよね。おっぱい好きとか熟女趣味とかと一緒でただの性的嗜好だから。んで、これは持論なんだけれど、そういった性的嗜好、フェチは大抵の人は気にしない。なんとなく胸のおっきい人が好き、なんとなく年上が好き、ロリコン趣味なら背が低くて胸の薄い大人が好みだっていう。で、恋人とか一夜限りの相手にそういうのを選ぶ。その程度。突き詰めていくようなことはしない。だってそうでしょ。他に突き詰めるべき事…仕事のこと、給料の事、晩御飯の事、生活のこと、服装のこと、税金のこと、ヤンキースの勝率のこと、エトセトラエトセトラ。他に考えることは沢山ある。だから、適当なところで相手を決める。普通は。自分の性的趣味なんて二の次だ。
けれど、その道をとことん突き詰めようとしちゃったら、それはもう大変さ。後ろ指をさされてでもやらなきゃいけない。まぁ、ボイン好きはこの国じゃあ楽かな。巨乳大砲主義だし。でも、ロリータ趣味はキツい。いや、別にこの国じゃなくてもキツい。理由はさっき言ったとおり。大抵の人はソレに嫌悪を示すから。需要はあるけど供給をしない。したくない」
秋雲は絵に消しゴムをかけはじめた。それが私には絵の間違いを直しているのか、余計な部分を削ってシェイプアップしているのかは分からなかった。
「じゃあ、ロリコン野郎はどうするのか。アンダーグラウンドに潜って、危険な橋を渡って、泥を啜って、不細工で頭の悪そうなガキの裸の写真を高値で買うしかない。いや、それができる場所ならいい。この国みたいに警察がそれなりに真面目でクソったれなクソフェミニストどもが耳辺りのいい正義っぽいことを声高らかに叫んでいる場所じゃそもそもそのアンダーグラウンドさえ存在しない。或いはとても見付けにくい。
そんな場所に住んでるロリペド野郎はどうやって性処理すればいいんだろうね。お坊さんみたいに煩悩を捨てれればいいんだろーけど、それか去勢するしかないかな。まぁ、パンピーにはムリってこと。そうなると、もう、イライラしながら耐えるしかない。断食だね。
そうして、それが我慢できなかった堪え性のない早漏野郎が子供を誘拐して強姦するモノホンの社会的害悪になる。数は少ないだろうけれど、そういうサイコパスはいるものさ」
ナイフみたいに私に鉛筆の切っ先を突きつけてくる。いいや、その後、本物のナイフが飛び出してきた。一瞬身構える。艦娘にとって刃物は危険物ではない。強固な皮膚、頑強な筋肉、鋼鉄の骨格があるからだ。それでも私は秋雲の放つアトモスフィアに気圧されていた。
「あの三女さんみたいに。……ああ、いや、今のは聞かなかったことにして」
不意に秋雲は慌て始める。プレイリードッグみたいに左右を確認した後、取り出したナイフで鉛筆を削り始めた。どうやら丸くなってしまった切っ先を尖らせるために凶器を取り出したらしい。切っ先の具合を確かめて、秋雲はまた鉛筆を動かし始める。全身はできあがっている。仕上げに目を描き込んでいる
「兎に角、少児性愛者はいるものさ。そして、他のフェチズムより彼らが好んで食べられる食材は少ない。とってもに少ない。そんな彼らに安価で大量生産が利いて、それでいてよく考えれば社会に悪影響を及ぼさないもの、それが」
これさ、そういって出来上がったばかりの絵を私に手渡してくる秋雲。
絵は少女の絵だった。衣類の類いは一切身につけていない裸の女の子。躍動的なポーズをとり、僅かな膨らみしかないおっぱいや幼い性器をさらけ出している。明らかに
性的なニュアンスを感じる。
「耐えきれなくなって犯罪行為に走るより、こんなものでも見て独り寂しくマスかいて、賢者モードになる方がだいぶ、だいぶと健康的だと秋雲さんは思うんだけれどね」
鉛筆やナイフをしまい、消しゴムや鉛筆のカスを羽箒でサッとテーブルの上から払う秋雲。削りカスの一部がテーブルの上に残ったままになっていたが秋雲は気にしている様子はなさそうだ。
「まぁ、いろいろグダグダいったけどさぁ。先生はこう言いたいわけよ。『絵ぐらい好きに描かせろ』」
締め括るようにそう秋雲はいった。
「本当は自分が不快だって思っているだけで真っ当な理由なんて一つもないのに、屁理屈をコねて私たちが絵を描くのを、描いた絵を売るのを禁止しようとするクソどもがいる。そういった本当の意味で現実と妄想の区別が付いていない連中のいうことを聞くなんてまっぴらゴメンなワケよ。でも、どういうわけか、そういう連中の方が力が強い。会社の社長に常識に囚われないサイコパス系の人間が多いってのはつまりそういう事なんだろうね。で、力のない作家先生はネズミみたいに隠れながらコソコソシコシコ、アンダーグラウンドとまではいかないけれど、薄暗い場所で自分なりの穴だらけの障子紙みたいな薄っぺらい理論をたてて、何の害にもなりゃしないのに禁制品にされてしまったR-18ロリな絵を描いて売ってるってワケさ。せめてもの反抗の意思として、ね」
そう私に語って聞かせる秋雲。むぅ、と私は眉間に皺を寄せ秋雲の顔をみる。相変わらずふざけているようだが、冗談をいっているようには見えなかった。
確かに秋雲は禁制品を描き売る自分なりの理由を持っているのだろう。そして、それは私にも理解できたし、納得できるものだった。どれだけ下品で道徳性の欠片もない悪趣味な絵を描いたとしても、それは描いた当人や買った本人の自由であるべきだろうし、それで社会に多大な悪影響があるとは思えない。そんな微々たる影響しか及ばさないものを取り締まるより、もっと効果的なこと…子供の人権を守るプログラムの開発や小児性愛者に対する匿名性の高いカウンセリング教室を開くなどした方がよいだろう。
「むぅ」
秋雲が描いたロリータ・ポルノ・グラフィティ風の絵はよくよく見れば私に似ていた。理性と関係なく眉間にシワがよる。気分を害する。
だが、それはただの感情だ。秋雲がこの絵の顔を私に似せたのはわざとだろう――私の生理的嫌悪を煽るために。だが、それはやはりただの感情であって、合理的論理的にこの絵を否定する意見にはならない。
「わかりました」
敗北宣言をするよう私は口を開く。
「私が間違っていました。確かに、こういう絵を描いて売るのに問題はありません」
私の観念したような言葉に「でしょでしょ」と秋雲。
「これからは心を入れ換えていきます。秋雲さんから聞いた話も、私なりにまとめて記事にしてみます。ええ、各人が好きに絵を描いて好きに絵を売り買いできる時代にすべきです」
記者である私にとって秋雲の話は我関せずな話題ではない。例えば不倫記事を書くことが何らかかの屁理屈で禁止されれば。私を含め多くの新聞記者が路頭に迷うことになるだろう。いいや、それだけではない。秋雲が描いているような絵を禁止することと、政治家の汚職や大企業の不正などを記事にすることを禁止することに大きな違いはないのだ。即ち実害のない行為の禁止は言論弾圧に繋がるということだ。
「いやぁ」
そう締め括ろうとした。
ところが秋雲は何故か困ったような顔をした。
「私のことを記事にするのは、まぁ、いいよ。実名を出されても何処の秋雲かわからないだろうしね」
私みたいな小物、目立たなきゃ警察も一々捕まえになんかこないだろうし。そう秋雲はいう。だが、なんだろう。秋雲の言葉には否定的なニュアンスが混じっている。
「でもね、私をネタにして創作……言論の自由を訴えるのはよした方がいい」
うって変わって断定的に私に指図する秋雲。その言葉は交渉や依頼などではなく命令じみていた。
「ああ、いや。勘違いしないでね。ウンノさんのためを思っての忠告だよ」
「……といいますと」
「そんなことをしたらこの右手を切り落とされるぞ、っていうお話」
そういって秋雲は自分の右手をみせる。立派なペンだこができ、爪やシワにインクが染み込んだ手のひらを。
どういう意味だ。私が考えているとその手がスッと伸びてきてきた。受け取った絵を奪い返される。そうしてそのまま秋雲は先程とは別のファイルにその絵をしまいこんでしまった。
「私とおんなじ考えもってて私より声の大きい絵描きなんて何人もいた。この国でもジャパニメーションは戦前から人気だったし、帝国がなくなってからこっちに航ってきた同人作家も何人もいた。でも、全員黙った。黙りこくった。内訳は次の三つ。絵を描くのをやめたか、私みたいに秘密の作業場でショバ代払って描くようになったか、殺されたか、そのどれか」
知人の葬式に出たような沈痛な表情で秋雲は説明する。そして、最後に口にした物騒な言葉に私は反応する。
「殺されたって」
「比喩じゃないよ。そのまんま意味。殺されたんだよ。壁サークルの代表も、一万リツイート貰ってた神絵師も、商業に進出してた大先生も」
私は身震いする。
この国、アメリカは平和な国だと思っていたからだ。だが、たかが絵を描いただけで秘密裏に殺されてしまうなんて。
魔女の疑いがかかっただけで拷問の上、殺された中世の暗黒時代を思わせる有様だ。
私たちが深海凄艦と戦うより以前、米国は恐怖政治を敷く独裁者と戦っていたと聞いた。五十年も支配者の椅子が変わっていない軍事政権と、オイルマネーとイスラームの光の影に隠れた国家と、万人の平等を説き万人の不平等を強いた共産主義と。
だが、それが今はこの有り様なのか。鬼を殺し続けた侍が鬼になり果てた、などという話などではない。もっと腹の奥に鉛の塊が溜まるような行き場のない怒りや憤りをひたすらに感じるしかない話だ。
「ああ、だから、そういう忠告だよ。まだ死にたくはないでしょ。せっかく戦争が終わっても解体処分なんてされなかったんだしさ」
命あっての物種、と秋雲は私を諭す。その考えは理解できる。決死の特効、絶対防衛戦、死して護国の礎となれ。そんな言葉を二度も経験してきたのだ。逆説、何をしてでも生き延びることと正しさも私たちは知っている。時には己を殺し、感情を押さえつけ、プライドを投げ捨てることも大切だ。死ねば絵は二度と描けないが、生きていればいつかは描けるようになるはずなのだから。
「はやくこの国に自由が戻ってくればいいですね」
私の言葉に秋雲はそーねーと素っ気なく答えた。
「まぁ、ムリだろうけれどね」
諦念か。秋雲はそう答える。
「……」
いや。
「………」
違和感。
秋雲の言葉や表情からは敵に追い詰められ、燃料も弾薬も使い果たしてしまったような、悟りの境地にも似た感情は感じ取れなかった。なんだろう。なにかむしろ敵を罠にはめている様な意地の悪さが感じられる。
「どうして、無理だと思うんですか。秋雲さんも自分の好きなように絵を描けた方がいいでしょ」
質問をしてみる。秋雲はなにかとびっきり苦いガムかなにかを噛んだような顔をする。
「うんにゃ。正直なところ思わないね。謙遜じゃなくって事実としてだけれど、私の画力じゃご飯を食べられるほど稼げないんだよね」
「? お店の売り上げの七割は絵を描いて得た金額だと聞きましたけど」
そのとおり、と秋雲。そう矛盾したことをいう。
「私の絵が高値で売れるのは禁止されてるから。私の実力じゃないんだよねー
いや、そもそも絵というもの自体に価値があるのか、って話にもなってくるんだけれど、それを言っちゃうと話がこじれるからね。兎に角、私の絵の値段の大半は希少価値だけだよ」
あとは中二病臭いアングラに対する憧れと性欲、それだけ。秋雲は説明する。
「ああ、だから逆だね。むしろ私は誰も彼もが自由に絵が描けない方がいいと思ってる。みんなが描けるようになっちゃうと私の絵の価値が相対的に下がる。なにせ絶対的な価値ってものがないんだから」
プライドを投げ捨ててでも、そう秋雲の瞳は語る。生きるために。
だが、彼女は先ほど『クソみたいなルールを作った審判どもに中指を突き立てる』べく少女ポルノ風な絵を描いているといったではないか。
それなのに秋雲は声を上げて社会の不条理さを指摘することは止めろという。
矛盾しているというか、ひどく違和感を覚える。どういうことだ。一方で自分の商売を理論だてて肯定し、もう一方ではその商売の自由化を恐れている。いいや、違う。前者は絵を描くことに対しての是非であって商売の話ではない。後者こそ本当の意味での商売の秘訣だ。
なんだ、と私は思案し、はと気が付いた。
他でもない秋雲が言っていたではないか。
『真っ当な理由なんて一つもないのに、屁理屈をコねて私たちが絵を描くのを、描いた絵を売るのを禁止しようとするクソどもがいる』と。
それは、秋雲にも当てはまるではないか。
秋雲もまた理屈をたて、自分が非合法、禁制品を秘密裏に販売することの正当性を訴えた。そうして、その話と児童ポルノ風の絵の禁止の話との違いは事実、何処にもないのだ。片方は生理的嫌悪を元に実際は全く関係のない理屈でもって絵の販売を禁止させ、秋雲は禁止された絵を売るためにそれらしい理屈をつけた。それだけの話なのだ。
禁止されたことに対する意趣返しか。
いいや、違う。それならそれこそ商売などはせず、反戦を唱えたヒッピーや政府に中指を突き立てたロックバンドのように活動すればいい。秋雲のやっていることはソレと違い、ただの商売で、商売とはそれイコール、政府や戦争と同じ『社会』なのだから。
そもそも児童ポルノめいた絵を描いただけで殺される、という話自体もおかしい。アメリカに滞在してまだ二週間足らずだが、ここは私が旅の道中で経過していった危険な独裁国家と明らかに違う雰囲気を持っているではないか。確かに街の住人は暗い顔をしている人が多かったが、絶望にうちひしがれて明日にも己の死を望む難民めいた顔はしてなかった。せいぜい、贅沢がでず楽しみもなく漠然と将来に不安を感じている程度だ。直接的な説明にはならないだろうが、それでも住人の顔は絵を一枚描いただけで死刑にされてしまう国の人間の顔ではなかった。
逆説、絵を描いたぐらいで死刑はありえないのだ。それでもなお殺されたというのが事実なら、執行権を持つ国家組織以外の何かに殺されてしまったということだ。
そうして、この二つの考えから導き出される答えはまともな人間ならこんな商売はしない、ということだ。だが、理屈と行動の矛盾、生命の危機。そのどちらも秋雲は否定していたではないか。
人間、自分の心や考えと矛盾することはそうそう出来るものではない。艦娘にしても同じだ。ただの人間よりは耐性はあると思うが、それでも難しい。
それでもなお自分の信条に矛盾した行いを行わせる力、そいつは世界で二つっきりしかない。即ち『命令』と『報償』だ。
秋雲の商売はその『報酬』に基づいて行っているように思える。少なくとも秋雲の話では。だが、それに見合う報酬なのだろうか。何者かに、裁判官や刑務官ではない、何者かに殺される可能性のある商売を続けるに値する仕事なのだろうか。この仕事しか選択肢がない、という風でもなかった。話している限り、秋雲は頭はキレる方だということは
分かった。他の安全な仕事に就いてもそつなくこなせそうだ。だとしたら、どうして。絵を描くのが好きだから? それもありえないように思える。絵を描くのが好きなら、殺されない絵を描けばいい。殺されてしまうような絵を描いてそれを商売にする理由にはならない。それは『命あっての物種』に反する。
殺されてしまうような絵を描くことに理屈をつけて秘密裏に商売をする。
命あっての物種/屁理屈をつける連中に対する憤怒。
矛盾だらけだ。
考えに頭がオーバーヒートしそうになる。眉間にマリアナ海溝みたいな深い皺が刻まれる。
「何か難しいことを考えてるみたいだねぇ」
「いえ、そういうワケでは…」
そういうワケだ。答えはでない。
「難しく考える必要ってないと先生は思うけどね。世の中、屁理屈をこねるヤツが多過ぎ。シンプルイズベストって言葉はwikiから消えたのかな」
からからと秋雲は演技かかった笑い声を上げる。
「まぁ、無理か。世の中は頭のいいサイコパスが大抵、支配しているからねぇ。秋雲さんたち下々のものは言うことを犬みたいに聞くしかないのさ」
諦念めいた台詞を吐いて、秋雲は身体を椅子の背にもたれかかせた。複雑に利害関係や法律、屁理屈が絡まり合った世の中をシンプルに引き延ばすよう、凝り固まった身体を伸ばした。
「戦時中とかわら…」
「一つ聞きたいことが」
その瞬間、私は一つの事実に気が付いた。食い気味に、秋雲の言葉を遮り質問を投げかける。
「なに? いいよー」
「殺された画家たちはいうことを聞かなかったから、殺されたんですか?」
「……画家っていうほどの仕事でもなかったと思うよ。絵描き、絵師とか呼んでたね。当時は」
私の質問とは全く関係のない答えを返す秋雲。それはむしろ答えているようなものだっった。私は納得し、次の質問を投げかけた。
「秋雲さんは誰のいうことを聞いているんですか?」
政府やクソッタレなルールを作った連中ではない。その連中はルールを破ったからといって殺しはしない。少なくともこのアメリカという国の平和度では。描いてはいけない絵を描くというルールを破るより、人殺しの方が悪いことだという真理をまだ憶えているからだ。
ならば、秋雲が言うことを聞いている相手というのは、そうではなく『児童ポルノ風を絵を描いて殺されるのは、仕方がないこと』そういう新しいルールを作った連中なのだ。そいつらが、そう、そいつらがおそらくは児童ポルノ風の絵を禁止品に仕立て上げたのだ。秋雲語った理由やそれ以上の汚らしい手段を用いて、公の場でそういった絵を公表したり売ったり描いたりすることを禁止させた。次いで裏で、社会の裏側でそれでもそういった絵を描こうとするもの、描けるよう声を上げるものを血祭りに上げていったのだ。規制と恐喝、その二つの手段で。
その理由も秋雲が既に話している。『商売』の為だ。何かの商品を表向き、裏向き、両方で禁止品にし、それでもなお欲しがっている人間に高値で売りつけるために。それはマフィアのやり方だ。
ああ、そうして、やっと思い出した。秋雲の左手を見て憶えた既知感の理由を。
私が旅を始める以前、勤めていた組織のつまらないカリキュラム、『世界情勢』編で習ったではないか。アメリカ合衆国に喰い込みつつある艦娘を主体としたある非合法組織――マフィアの話を。
「アレ? 知ってて私にインタビューしに来たんじゃなかったの」
おどけたように驚いてみせる秋雲。するりと左手の手袋を外す。
「私のボスは『高い城』におわす紅茶好きの四姉妹だよ」
正確に言えば四女、霧島ネキが私のボスさ。
秋雲は喪われた左手薬指を見せつけるよう、そう私に説明する。
姉妹――長姉・金剛は人類との決別のため、その苛烈な意思表示のため、ケッコンユビワを填めたその指ごと切り落した、とされる。それに倣い彼女の傘下に入るには忠誠の証として左手薬指を切り落さなければいけない。秋雲は“シスターズ”の一員だったのだ。
END
禁酒法のエロ漫画版みたいな話。割と冗談じゃないような気もする今日この頃。