― A W ―   作:sako@AWとか

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シームンバイ。干上がった海に出来たインドの新しい港町。そこで海運局に提出する書類を代行作成する行政書士的な仕事をしている大淀を訪ねるウンノ=青葉。
ところが大淀の回りにはなにやら胡散臭い男の影がうろついており…
今回は軽巡洋艦・大淀のお話です。



大淀『アバンチュール・ウイスキーダイバーズ』

 シームンバイ。旧ムンバイから西に百二十キロ。インド共和国の新たな海の玄関。かつては海の底だった場所に戦後、新たに産まれた街。そこに私はいた。

 街は混沌としている。風が吹けば飛ぶようなバラック小屋やどの国でも違法建築だと分かるような荒い作りの建物が並んでいる。その間々に出来てしまったスペースが路だ。そのほとんど鋪装されておらず、人や車の往来によって踏み固められているだけ。人々が捨てたゴミなどが路上に堆積し、熱帯の高気温も相まってか悪臭を放っている。そこに一体何に使うのか、怪しげなハーブやスパイス、見たこともないような謎の食材や、聖なる動物である牛の糞の匂いが混じり、幻覚作用があるのではと思えるような異臭が漂っていた。それがこの街の匂い、いうなら街の体臭であった。むせかえるような強烈な匂いはそのまま街の活気の度合いを表している。

 旅の途中でいろいろな街を見てきたが、これほどの活気に満ちあふれた街は初めてだった。

 内憂外患を抱える北アメリカ、衰退の一途を辿るEU、亡国の縁にあるソビエト、そして文字通り滅んだ極東。それらかつての列強に反する様、南アメリカ、アフリカ、そしてここインドは栄華の路を進んでいた。

 無論、太平洋の喪失という強大な厄災の影響は免れていない。インド西部は放射能と化学兵器の汚染と地獄のような渇水でノーマンズランドとなった中国から逃げ出してきた難民で溢れかえり、戦前対立していたパキスタンとの国境付近には山賊やテロ組織が跋扈し、そうして、海からは決して少なくはない生き残りの深海棲艦からの攻撃を受けている。

 それでもこの街の活気を見れば分かるようにインドは三度目の大戦を経て、なお躍進の路を歩み始めていた。

 おそらくそこには大国である欧米やソビエトの影響力の低下もあるのだろう。だが、やはり仏教とヒンズー教という四大宗教の内の二つを作り出し、数学やIT分野において多数の天才を輩出してきたこの国家の底力を思わずにはいられない。

 その力の輝きに誘蛾灯に惹かれる虫のように諸外国からも多くの人間がこの街に集まっている。ビジネスマン風のアングロサクソン。何故か袈裟姿のアジア人。男なのか女なのか正体の掴めぬ長身。かつてはアメリカが人種のるつぼと呼ばれていたが今はこのシームンバイが人種の、いや人類のるつぼと化している。

 そんな街だ。私が目当てとしている面白そうな事をしている艦娘もいるはずだ。現に、何人も街で働いている艦娘を見かけた。

 生憎とその娘らからは面白い話は聞けなかったが、ひとつ耳寄りな情報を聞いた。

 軽巡洋艦・大淀がこの街にいるらしい。

 大淀といえば大本営より各鎮守府の事務統括を任されている艦娘だ。任務娘なんてアダ名があるぐらいだ。基本はバックオフィスで書類とにらめっこしているのが彼女だが、いざ、大規模作戦が始まれば彼女もまた戦地にへとはせ参じる。それもネコの手、という訳ではなく軽巡としては破格の積載量を駆使し、十二分な戦力として活躍していた。大淀といえばそういう役割。それはつまりいろいろと面白そうな話が聞けそうだということ。着任していた鎮守府の裏帳簿や血を血で洗う激戦。そういった類いの話が期待できる。

 私は伝票の裏にぞんざいに描かれた地図を仔細に眺め、胡散臭い店で番をしていた初雪から聞いた場所を目指す。件の大淀はここシームンバイでインド政府に船の出港許可申請書の作成を請負っているらしい。戦前帝国でいうなら行政書士に近い仕事のようだ。その仕事内容について聞くのもおもしろそうである。

 と、

「ああ、ここですか」

 シームンバイの街を歩き回ること二時間、やっと目的の場所についた。

 私が泊まっている安モーテルから直線距離にすればものの数十分でつける位置にはあったのだが、先に述べた増殖する細胞を思わせる無秩序な街の拡張が私を惑わせたのだ。簡単に言うと道に迷ってしまっていたのだ。

「水偵でも飛ばせれば良かったんですけれど…」

 偵察情報を艦娘の視覚と共有することができる偵察機は、広大な海原はもとよりこういった入り組んだ街並みでもその威力を発揮することが出来る。だが、艦娘の入在国を認める国は、艦娘の強大すぎる力を正常に認識しており、火器はもとより観測機・電探の類いの使用も当然禁止している。ここインドでもそうだ。

「お陰で毎度毎度不法入国する羽目になるんですけれど…」

 三つの国で取得した(これも非合法な手段で)パスポートは殆どのページは真っ白なままだ。入国/出国のスタンプでページが埋まっていく楽しみを私は知らないでいる。

 閑話休題。私は事務所の看板を見上げる。

「大淀海運事務所…」

 そのまんまだ。その下には英文でBIG Maelstrom Officeとあるが、こちらは間違っていないだろうか。その更に下にはミミズがのたくったような字が書かれている。現地語だろう。生憎とヒンディー語はまるで読めない。

 ドアは英国調の重厚そうなものだった。ただ、コンクリートに白ペンキを塗りたくっただけの建物の外観とまるで合っていない。おそらくどこからか取ってきたものなのだろう。

「すいません」とそのドアをくぐる。カランカラン。ドアに取り付けられた鈴がにぶい音を立てた。

「ええっと」

 はて、と私は疑問府を浮かべる。私は確かに室内に足を踏み入れたはずだった。だが、目の前に広がっているのは相も変わらずのカオスだった。

 いや、ドアの向こうもまた外だった。ドアと建物は映画のセットよろしく張りぼてだった、という訳ではない。事務所もまた外に負けず劣らず混沌としていただけだ。

 入ってすぐのこの場所はもとは応接室として使われていたのだろう。だが、現状は見るも無惨だ。ゴミが詰込まれた袋が部屋の四方を埋め尽くし、その袋にすら入れられていないゴミが床に散らばっている。テーブルの上も板が見えないほどいろいろなものが無秩序に置かれている。空き缶、スナック菓子の袋、安っぽいアクセサリー、吸い殻で一杯の灰皿。ソファーも同様だ。脱ぎ散らかした服やマンガ本が本来人が座るべきスペースを占拠している。簡易間仕切りにもハンガーが引っ掛けられ、一体いつから取り込んでいないのだろう。薄汚れたワイシャツが掛かったままだ。その隣には同じように趣味の悪い黒下着が人目をはばからず干されている。

 なんなんだここは。どう考えてもまともに仕事をする場所ではない。汚部屋だ、おへや。

「あのぅ、すいません…」

 民家と間違えたのかと思ったが、ゴミと同じように壁に立てかけられている『事務所』の看板、そしておそらくは営業許可証だろう、額縁に入れられたインド政府の紋が押された書類を見つけた。今だ信じられはしないが、どうやらここが目当ての『大淀海運事務所』らしい。

「なに?」

 と、事務所の奥から声が聞こえてきた。

「すいません。こちらに艦娘の方がいらっしゃると聞いたのですが…」

 だが、声の主の姿は見えない。衝立の向こうだろうか。なんとかゴミを踏みつけないように気をつけながら一歩を踏み出し、そうしてそれが早々にムリだと気が付いた。私はゴミを踏みつけながら部屋の奥へと歩いて行った。途中、何度が足下からポキッだとかバキだとか、そういった破壊的な音が聞こえてきたが、どうにもならないので無視することにした。

 衝立の向こうもまた混沌としていた。もとは事務机が三つ程度ある狭い部屋だったのだろう。だが、書類やファイル、参考書が摩天楼を思わせる高さまで積み上げられている。外の街よりもむしろ圧迫感を憶えるぐらいだ。

 それはそれとして人の姿が見えない。ごそり、と一番奥の書類の山で何かが動く気配を感じた。みればビルの合間…書類の間から白煙が立ち上っているのが見えた。

「ええっと、すいません」

 近づいて覗き込むと、そこにやっと人を確認した。デスクに座りながら、ネコの額程度のスペースで何か書類と睨めっこしている女性がいた。ヨレヨレのカッターシャツを着て、くわえタバコを吹かしている。

「ええっと、大淀、さん? 軽巡洋艦の?」

 大淀らしき女性は私の質問に答えなかった。さて、どうしたものかと私が困っていると

一瞬だけ顔を上げてきた。眼鏡の向こうから隈が浮いた目で見てくる。

「ええ、そうよ。今はただの事務屋・大淀ですけれど。それで、貴女は重巡洋艦・あお…」

「いえ、ENNで記者をやっておりますウンノといいます」

 さっ、と名刺を渡す私。帝国式のマナーなんてこんなニュー・ワールドでは通じないのか、掠めるよう私の名刺をとり、ためつすがめつ裏面まで眺める大淀。

「それで、記者のウンノさんがなんのご用でしょうか?」

 言葉こそ丁寧だが、口調からはどうにも排他的な意識が見え隠れしていた。

「実は私、世界中の戦後の艦娘さんにインタビューして回っていまして、ええ、社の方でそういう内容の本を出版する企画が立ち上がっておりまして、是非とも大淀さんにもそのご協力を願えないかな、と」

 そうお願いする。だが、大淀は二の句もなく「お断りします」といってきた。

「どうしてですか?」

「見れば分かるでしょ。忙しいの」

 見れば、と言われてデスクの上を見る。机の上に広げられていたのはどう見てもクロスワードパズルだった。仕事をしている、ようには見えなかった。

「いやぁ、そこをなんとか。『大淀』でご存命の方ってあまりいないですから」

「そうですね。私も知らないです」

 つんけんどんな態度。私と話しているのに顔も上げず、タバコを吹かしている。

 大淀なんてレア艦あまり逃したくはない。なんとかインタビューにもっていかないと。

 先に行ったとおり、大淀はどこの鎮守府においても艦隊運営の要だ。海軍本部への作戦完了報告や通信の管理、その他もろもろバックオフィスの旗艦として活躍し、戦闘においても非常に重宝されていた。――だからこそあの最後の大反攻作戦、そして撤退戦にも当然駆り出され、戦いの果てに沈んでいった。辛うじて生き残った大淀も鎮守府の秘匿情報の多くを知るものとして、秘密裏に処分された。生き残りの大淀はそれこそ戦艦よりも数が少ないのではないだろうか。

 とはいうものの彼女は本当に大淀だろうか。一般的にイメージされる大淀とは大きくかけ離れている気がする。“事務仕事に長けた優しそうなお姉さん”それが大淀のイメージだろう。私がいた鎮守府の大淀…三隻いたが、はその“優しそうな”が抜けていたが、それでもここまでつんけんどんな態度をとる艦娘ではなかった。確かに顔かたちは私が知る彼女だが、部屋の汚さ混沌さ、それと口に咥えているタバコが相まって本当に彼女は大淀かと疑ってしまう。

「ええ、っと、それでですね…」

「なに? まだいたんですか?」

 ダメだ。完全に取り付く島がない。なにか支援艦隊でも訪れないとどうしようもない。

 だが、はたして、支援は届けられた。

 カランカラン、と音を立てて事務所のドアが開いた。「スイマセン」と声が掛かる。

「誰ですか?」

 私の時と同じようにぞんざいな反応を示す大淀。ふてくされているように頬を膨らませ、書類の山に何とはなしに視線を投げかけている。

「オオヨドさん、相談があってきました」

 私に続く二人目の来客は衝立の向こう、部屋の入口からよく通る声で話しかけてきた。男性だ。声の質からして若そうだ。

 と、その声を聞いた途端、大淀の表情が明るくなった。まるで急速浮上するように勢いよく立ち上がる。

「アンディさん!」

「あんでぃ?」

 そんな声を上げながら大淀は事務所の入口へと駆け出していく。書類の山が崩れるがお構いなしだ。私もそれに着いていく。

「いらっしゃい、アンディさん」

 アンディ、と大淀に迎えられたのは赤い肌をした青年だった。黒目がちで、少し中性的な顔立ちをしている。それにどうやったのか、この暑い街の中を歩いてきただろうに汗一つかいていなくて、とてもさわやかなイケメンだ。

「ええっと、取敢えず、どうぞ。座ってください」

 急いでテーブルやソファーの上の物をどけてスペースを確保する大淀。アンディと呼ばれた好青年はスイマセン、と物腰柔らかく頭を下げてから腰を下ろした。大淀も対面に座る。

「ちょっと、アンディさんに早くお茶を用意して」

 そう私に視線を送り、命令してくる大淀。私が? と自分を指さすと魚雷でも撃ち込んでくるような形相でにらみ返された。渋々、私はその指示に従う。普段の行いがいいからだろうか。お茶とカップはすぐに見付かった。カップは少し汚れていたので、適当にその辺に置いてあった布で拭いた。衛生面は気にしないことにする。

「そ、それでどうしたんですかアンディさん」

「それが…」

 私がお茶を差し出してから話が始まった。大淀は少し、動揺を見せながらそう問いかける。と、アンディ青年は不意に降ろしたばかりの腰を上げて大淀の手を取った。

「助けてくださいオオヨドさん」

 ひゃっ、と顔を赤面させ小さな悲鳴を上げる大淀。

「お、おお、おお、おちいつ、落ち着いてくださいアンディさん。何があったんですか?」

 大淀こそ落ち着けと言いたくなるほど狼狽えっぷりをみせる。寧ろ助けてくれと言ったアンディ青年の方が落ち着いているぐらいだ。

「実は父の会社が大変なんです」

「お父様の会社ですか。ええと、たしかケープタウンにあると聞きましたが」

「ええ。そうです。父は南アフリカで車の販売をしているんですが、その父の会社の倉庫が略奪に遭いまして…」

 略奪! と大淀は声を上げる。

「それは…大変、ですね」

 かける言葉が見付からないのか、そんなことをいう大淀。アンディ青年は「ハイ」と項垂れる。

「幸い、父や従業員の方は無事だったんですが、商品の車の多くが盗まれるか壊されるかしてしまって…」

 悲痛な面持ちで事情を語るアンディ青年。大淀は我が事のように顔を青ざめさせていく。

「倉庫や車の損害代金は保険でなんとかなりそうなんですが、車そのものがない状態でして、注文したお客さんに車を届けることが出来ないんです。もう何件も父のところに催促の連絡が来ているそうで、このままだ信用を失って、仮に保険金が入っても商売を続けるのはムリだ、と」

 アンディ青年は今度は腰を上げることなく大淀の手を取った。

「それで来月出航予定だった、あの船の出発を早めたいんです。父に早く商品の車を届けたいんです」

 ふむん。どうやらアンディ青年は大淀の商売のお客だったようだ。いや、大淀からすれば、それ以外かもしれないが兎に角、彼は早く船を出したがっている。

「それはちょっと…ええっと、難しいです、アンディさん。どんなに早くてもあれだけの大荷物を載せた船を出航させる許可を取るには二週間は掛かります。最初にそうお伝えしした通りです」

「ですから、事情が変わってしまったんです。はやく父の元に車を届けないと、父は、いえ、僕たちは路頭に迷うことになります。どうか、どうかお願いしますオオヨドさん」

 助けてください、と青年は潤んだ瞳で大淀を見つめる。大淀はといえばまるで酒の一杯でも煽ったかのようにとろけたような顔をしていた。だが、すぐにハッと我を取り戻し、分かりましたと力強く頷いた。

「私が、なんとか致しましょう。海運局には知り合いもいるんです。なんとかムリを言って船を出航させます。ええ、場合によっては…その、ちょっとズルい手段も使って」

 ええっ、と声をアンディ青年は声を荒げる。

「いいんですか、そのズルい手段というのはつまり…」

「ええ、戦争中は同じようなことをよくしてましたから。だから、その、アンディさん。安心してください。私に任せてください」

 アンディの手を握り返す大淀。場所がゴミが無造作に積まれた狭く汚い部屋でなければちょっとしたメロドラマのワンシーンになっていただろう。だが、やはり背景がどうにも様にならない。私はカメラを構えはしたものの、シャッターは切らなかった。

「動くな! 全員手を上げろ!!」

 そこへ更なる混沌が現われる。ドアが勢いよく開いたかと思うと制服姿の一団がなだれ込んできたのだ。警察だ。拳銃や警棒を手に武装している。

 私は指示に従い手を上げた。警棒はもとより拳銃も怖くはないが、悪いことをしていないのに…いや、しているからこそ、警察相手に無用の反撃を行うのは得策ではないと考えたからだ。大淀は呆然と椅子に座ったままだった。そして、アンディ青年と言えば、驚くべき事に彼が一番アグレッシブにアクションを起こしていた。

 舌打ちすると立ち上がり、手近にあったものを警察に投げつけて、まるで野良犬か何かのように逃げだそうとした。

 当然、この狭い事務所の中でそう簡単に逃げることなんて不可能だ。ましてや警官隊は五人もいた。あの線の細そうな青年が鍛え上げられた警察にたった一人だって勝てるとは思えない。案の定、瞬く間にアンディ青年は警察に組み伏せられてしまった。

「どういうことなんでしょうか…?」

 まだ、事務所の主にも拘わらず自我呆然としている大淀に代り私がそう警察に訪ねた。

「アンタは?」

「ただの新聞記者ですよ。今日はそこの大淀さんにインタビューしに来たんですけれど…彼が一体?」

 ブン屋か、とその警察官は吐き捨てたが、説明だけはしてくれた。

「コイツはやくざものの下っ端、運び屋だよ」

 やくざ? 運び屋? と警察の言葉を繰り返す。

「ああ、ありもしない旅行話を持ちかけて麻薬や武器を外国に運んでいたんだ。若い男と女が二人。荷物を改めるような野暮な真似をするヤツは少ないだろうからな。まぁ、今回はもっと大がかりだった様だが…」

 まだ自意識を取り戻していない大淀に警察官が声をかける。

「安心してください、大淀さん。このクソ野郎は我々が逮捕しましたから」

「たい…ほ?」

「ええ、そうです。いや、危ないところでしたね」

 そう笑う警察官。だが、大淀はそれどころではないのか、まだまだ自我呆然としていた。

 

 

 

 それから来たときと同じように警官たちは慌ただしく事務所から出て行った。後には私たち二人だけが取り残された。

「はぁ~~~~~~~~っ」

 盛大な、それこそ本当に盛大なため息をついてどかり、と倒れ込むような勢いで大淀はソファーに身を沈めた。

「またか、またですか、またかよ! クソが!!」

 ぎゃぁ、と叫ぶ大淀。まるで摩耶や天龍のような口の悪さだ。

「また、とは…?」

 私の質問に大淀は、あぁ? と顔を傾けた。

「また、は、“また”よ。またあったってことです!」

 肩から怒りが湯気となって立ち上っているのが見えるような苛立ちぶり。この状態で話を聞くつもりなら砲弾を扱うような慎重さが求められる。

「また悪い男に引っかかった、って事ですか?」

 ここが戦場なら既に撃っていた、そんな鋭い目で大淀は私を睨付けてきた。

「そうですよ。そう。またなんですよまた! この前の男は結婚詐欺師だったし、その前はサド趣味の変態野郎だった! その前は何千万も借金こさえてた地雷男だった!!」

 あ、に濁点をつけたような声を上げて大淀はチワワのように振るえだす。

「それもこれもアレが原因なんですよ、きっと! 絶対! ええ! ええ!」

「アレですか?」

 疑問を投げ掛ける。するとまたは大淀は私を睨み付けてきた。けれど、それも一目だけ。「座って」と私を椅子に促す。ついで、テーブルの下から酒瓶……ジャックダニエルを取り出してきた。こぽこぽと勢いよくやくざ者アンディのために出したカップに琥珀色の濃い液体を注いだ。自分と、私の分も。

「ええっと、まだお天道さまは高いですけれど」

「これが呑まずにいられますかってんですよ!!」

 そう言って大淀はグラスの中身を一気に呑み干した。仕方なく私もコップに口をつける。温くとも強烈なアルコールが私の舌をしびれさせた。

 手酌で二杯目を注ぐと「昔の話ですよ」と大淀は話を切り出した。

「ええっと、ウンノさんは何処の鎮守府に勤めていました? 私は南方、スマトラの方。規模は中程度で、激戦地ではありませんでしたが、かといって僻地でもありませんでした。在籍数はおおよそ一〇〇。母港の拡張一、ケッコン艦一隻のみ。そういう普通の鎮守府でした」

 それが、と大淀は言葉を句切り、ソファーの背にもたれ掛かる。続きを口にするのに少し、労力を要する。もしくはアルコールの力が。大淀は後者の力を使った。また一気にカップの中身を煽る。

「ある日、海軍本部から視察が来るという連絡が入ったんです。急に。それも視察団到着まで一切の出撃及び遠征任務を中止、全ての活動を休止しろという待機命令付きで」

 それは、と私は眉をひそめる。

 鎮守府に急に視察がやってくる、という話は基本的にあり得ない話だ。特に全ての業務をストップしろなんて命令を下すこともあり得ない。私たち艦娘個人個人に待機や休息は与えられても鎮守府全体の動きが止まることはない。あの頃は戦時。私たちが休んでも、喩えクリスマスだろうが正月だろうがお盆だろうが、敵が攻め手を緩めることなどあり得なかったからだ。

 つまり、特別待機命令の理由は、大淀の鎮守府側に問題があったということ。私は疑問を持って大淀に強い視線を送る。

「たまに提督は艦隊に妙な命令を下していました。夜半、港でもない場所から出航した小さな漁船の護衛任務や、洋上で…艦娘でもなければたどり着けないような場所で荷物の受け取り、陸の上でも、私たちに魚雷や砲ではなく機銃や人間用の拳銃などを持たせて、なにやら怪しげな人たちとの取引に連れて行かれたりもしました」

 皆までいわずとも大淀のいわんとしていることは理解できた。大淀の提督はいろいろと交渉してはいけない相手と交渉していたのだ。マフィアかテロ組織、反政府軍。そういったパブリックエネミーと。護衛した小さな漁船や受け渡された荷物には禁輸品…武器か麻薬、現金あるいは金塊が入っていたのだろう。そして、それを聞きつけた大本営が視察と称して憲兵を送り込んできたのだ。

 そういうことだろう、私は視線で言葉を送る。大淀は「ええ」と言葉こそなかったが肯定するよう頷いてみせた。

「私もそこにきてやっと自分たちがしていたことに気が付きました。いえ、本当の事を言えばもっと前から薄々と気が付いていたんです。でも、自分たちの提督に限ってそんな…そういう想いがあったんだと思います。その当時はあまり深く物事を考えている余裕もなかったものですから」

 両手に空のカップを抱え、肩を落す大淀。私はそこへ次の一杯を注いでやった。ありがとうございます。また、酒に口を付ける。私もそれに倣う。

「気が付いてからはもう、てんやわんやでした。私も知らなかったのですが、どうやら提督以外にも、その…悪さをしていた娘もいたようでして。視察団…憲兵の到着を鎮守府に知らせたのは館内放送ではなく、砲声でした。誰かが、露見するぐらいなら、と憲兵隊に攻撃してしまったらしいんです」

 大淀はその時のことを思い出してしまったのか肩を振わせた。笑っているのだ。

「その時、提督の命令を聞いていただけの艦娘や『悪さ』の程度が小さい人と集まって、白旗でも振れば良かったんですよ。悪いのは提督と一部の艦娘だけです、私たちは無実です、って。でも、その時、私はそうしませんでした。ええ、思い起こせば艦隊の経理は私がやっていたんですから。資金の流れは把握していましたよ。怪しげな資金資材の流れは。逆に言えば、どこを憲兵に見られてしまうと本当に拙いのかも」

 懐をまさぐる大淀。ポケットから100円ライターとタバコを取り出した。残っていたのは一本だけで、それを咥えると慣れた手つきで火をつけた。空箱は握りつぶし、捨ててしまうのかと思ったが、大淀は何故かそれにもライターで火をつけた。ビニールの包装紙が燃え、黒い煙が上がり始める。大淀はそれをタバコの吸い殻で一杯の灰皿に、そっとお供え物でも置くように入れた。

「だから、私はそういう見られては拙い書類…密輸品の受渡書や提督個人口座への送金依頼書、ロンダリングの流れを辿れる資金繰り表を燃やしたんです。片っ端から」

 薪でもくべるよう、テーブルの上に落ちていた吸い殻をモクモクと煙を上げる灰皿に入れる大淀。酷い臭い。立ち上る黒煙に目が痛くなってくる。

「書類だけじゃありません。提督に戴いた吸うとなんだか高揚してくるタバコとか気分が異様に落ち着いてくる味のしないキャンディとか、後はポルノ写真とか。もう、片っ端から」

 他のゴミも灰皿に入れ始める大淀。煙どころか蛇の舌のような赤い炎さえ揺らめき始める。おいおい、と私は大淀の奇行を止めようとする。こんなバラック小屋やゴミ溜めが密集した地区で火事が起これば…どれ程の人間が犠牲になることやら。

「でも、途中でハッと気づいたんです。意味がないって」

 諦念を思わせる酒気混じりのため息を大淀は漏らす。

「部屋の外では駆逐艦が泣きじゃくっている。重巡洋艦や戦艦が徹底抗戦を叫んでる。白旗を上げようとした空母たちが粛清される。海からは爆撃、砲撃。極限の混沌とした状況で、不意に私は耳が聞こえなくなって、全身から力が抜け落ちて、それでハッと気付いたんです。もう無理だって」

 空のカップを手にしたまま、大淀は微笑む。ゾッとするような凄惨な笑みだった。

「憲兵隊はこうなることを予見してそれなりの戦力できていることでしょう。迎撃なんて無理です。仮に出来たとしても、今度はより実戦的な部隊がやってくる――ウワサで聞いたんですけれど、艦娘を沈めるための艦娘を運用する鎮守府があったらしいですね。それが本当にただの噂でも、まさしくそういう部隊がやってきて私たちをなぶり殺しにするでしょう。逃げ出そうにも鎮守府の周りは憲兵隊だらけ。潜水艦の一隻だって逃げ出せる隙はありません。ああ、いえ、逃げ出せる場所は一つだけありましたね」

 酔いの周りが極まってきたのか、大淀は頭を揺らしながら語る。手にしていたタバコを再度口にして、私を上目遣いにみてきた。

「海の底、ですよ。私は…うふふ…もうどうにもならないと諦めて主砲を咥えたんです」

 咥えた、と口のタバコを器用に上下させる大淀。灰がテーブルの上に落ちた。

「死ねば、あの混乱と絶望から逃げ出せると思ったんですよ。あはは、バカですよね、本当。そんなわけないのに」

 クスクスとタバコを吸いながら笑う大淀。本当にその紙巻きタバコの中身は乾燥させた煙草の葉だけなのだろうか。

「それでどうしたんですか? 引き金は引いたんですか?」

 質問に大淀は苛立ちを覚えたよう片目だけを開いてみせた。

「まさか。そんなことしてたらここでこうやってハイになってないでしょう」

 そう大淀。

 と、タバコをもったまま、その手が伸びた。酒瓶にだ。

 何を、と止める間こそあれど大淀はチロチロと炎が上がり初めた灰皿に酒瓶の中身を注ぎ入れた。

 炎はアルコールを加えられ、勢いを強めた。だが、一瞬だけだった。すぐにジュっと音をたて炎は消え失せた。

 テーブルの上に灰混じりのウイスキーが広がる。空っぽになってしまった酒瓶を覗きこみ大淀は「勿体ないことをしてしまいました」と呟く。

 私は内心、安心した。大淀がこれ以上、アルコールを呑みタバコらしきものを吸えば手に負えなくなるのでは、と思っていたからだ。

 ところが大淀はふらつきながら立ち上がると、本来は書類やファイルの類いを入れるキャビネットを開け、そこから二本目のジャックダニエルを出してきた。封を切り、空になった自分のカップと殆ど減っていない私に波々と琥珀の液体を注いだ。多くが零れ、私のズボンを濡らした。一張羅なのに。

「ええっと、何処まで話しましたっけ? 提督とヤったところまででしたっけ」

 どかりと腰をおろし、注いだカップを颯爽とあける大淀。その酒臭い口から何か不穏な言葉がもれる。

「いえ。大淀さんが20.3センチ砲自殺をしようとしたところまでです」

 そこですか、と大淀は頷く。そのまま首を落としそうだ。

「ええっと、ふふふ、ここからは本当に話すのは恥ずかしいんですけどね…」

 一瞬、それならそれで聞かないでもいいか、と私の中の冷静な部分が訴え出てきた。脳内会議。四対六で却下する。私もこれでも女の子らしく人の失敗談は好きな口だ。

「まぁまぁ、話してくださいよ」

 カップの中身をまた一気に煽って大淀は空にしてしまう。そこに間髪入れず、私は次の一杯を注ぎ入れた。

「そうですね。ええっと、主砲を咥えて、今まさに引き金を引こうとした瞬間、私がいた部屋…執務室だったんですけれど、そこに提督がやって来たんです」

 私が注いだ一杯を舐めるように呑み始める大淀。私も一口呑む。

「提督は血だらけで、拳銃を持っていて、その手で反対側の肩を押さえていました。流れた血で片眼もふさがっていました。結局、理由は聞けなかったんですけれど、おそらく憲兵隊にやられたんだと思います」

 その時のことを思い出したのか、それとも煙に目をやられたのか、大淀は眉を寄せ渋面を作る。アルコールが濃いウイスキーでは喉を潤せないだろうに、大淀は更に一口、カップの中身を呑んだ。

「それでも開いている方の提督の目には生気が満ちているようにみえました。なんというか、「やるぞ、俺はやるぞ」という感じの、力強さが」

「死中に活、というヤツですかね」

 私はそう古い諺を思い出した。大淀はどうでしょう、と首をかしげた。

「兎に角、提督はそんな有様でしたけれど、まだ身体的には無事だった私の百倍ぐらい生き生きとしていました。今まさに自殺しようとしている私を見て「何をしている」なんていつもの調子で聞いてくるぐらい。でも、その足取りは酔っている私の方が余程しっかりしているんじゃないかな、と思えるほどふらついてましたが」

 つまり、今の大淀より酷い状態だったのか。私はその言葉をアルコールと一緒に呑み込んだ。

「私は提督に説明しました。大砲を口から離して。不要な書類と物資を破棄していると。提督は「そうかよ」と不機嫌そうに頷いて、壁に掛けた絵のところまで歩いていきました。絵は…何が描かれていたかちょっと思い出せないです。多分、花とか海とかありきたりなモチーフだったと思います。重要なのは、その後ろに金庫が隠されていたんです」

 大淀の目が私や酒、テーブルの上の灰皿以外の方向を向いた。壁に掛けられた絵だった。モチーフは山だった。エベレスト山。その後ろにも金庫があるのだろうか。

「提督は、それを開けようと、血だらけの手でダイヤルを回し始めました。カラカラ、カラカラと音を立てて。でも、なかなか開けられず、畜生とかクソとか悪態をついていました」

 ダメージによる集中不足、意識が朦朧としていたのだろうか。それとも隠し金庫の番号を忘れてしまったのかもしれない。

「私は書類や非合法な資材を処分する手を止めて提督の後ろ姿をみていました。立っているのも辛いのか、壁にもたれ掛かりながら、必死にダイアルを回して金庫を開けようとしている提督を。もう一度、何か汚い言葉、たぶんフザケるなとかそんな言葉だったと思います。よく聞こえなかったんです。それを呟いた後、提督は何かこう、操り糸が切れてしまったみたいに、その場に倒れたんです」

 そこまで言って大淀の言葉が止まった。出来事を思い出しているのか、その時の感情に飲み込まれかけているのか。私は続きを促すよう、また大淀のカップに酒を注いでやった。大淀はそれに口を付けてから、続きを口にし始めた。

「金庫や壁には提督の血の跡が残っていました。倒れまいと壁を押さえた手に付いていた血でなぞった跡でした」

 つーとテーブルの上に広がっていたウイスキーを指先でなぞり広げる大淀。その時の再現のつもりなのだろうか。

「それは私の目には提督の必死さに映りました。憲兵隊に囲まれて、鎮守府が大混乱に陥り、ご自分も大怪我を負っているのに、まだ金庫を開けようとする執念。それを表しているのが壁をなぞる血のあとだと」

 指先をウイスキーで濡らしたまま、大淀は話を続ける。

「私は艤装を放り出して、倒れた提督を抱き起こしました。提督はまだ息をしていて、私が抱き起こすとある程度、意識を取り戻しました」

 でも、と言葉を口にした後、大淀はまた動きを止めた。今度は先を促さず、私は待つことにした。

「でも、提督は混乱…いえ、錯乱されていたようで、私を憲兵かそれとも深海棲艦かと勘違いしてしまったみたいでした。急に暴れ出して、私を突き飛ばそうとしたんです」

 敵と味方を間違える、というのは極限の戦闘状態ではよくある話だ。敵艦と島を間違えた艦娘もいるぐらいだ。

「私は暴れる提督を押さえようとしました。けど、力加減が難しくて、思うようにはいかなかったんです。提督は怪我をしていましたし、艦娘の力で無理矢理押さえつけたら、その怪我がもっと酷いことになりかねませんから。だから、その、ほとんど、その時は提督にされるがままでした。提督の血だらけの手が私の頬をひっぱたき、それで眼鏡が割れて、私を押しのけようとする手にガラス片が突き刺さって、提督は悲鳴をあげて、痛みに更に逆上して、私の胸ぐらを掴んで、私は驚いて離れようとして、それで、服も破けてしまって、下着もはだけて…」

 酒気によって赤かった大淀の顔に別の赤みがさす。ふむ、と私は身を乗り出す。

「そこでやっと提督はご自分を押さえていたのが誰か理解してくれた様でした。私の顔を見て、名前を呼んで、いえ、あれは自分で自分の認識があっているのか確認しただけだと思います。その後、私の身体を見て、また私の顔を見て…私もそんな提督の顔から目が話せませんでした」

 私からは視線をそらし、カップの中の琥珀色の水面をジッと見詰める大淀。お酒を呑もうとはしない。

「ああいう状況でも、いえ、ああいう状況だからなんでしょうかね。周りは自分たちを逮捕しようとする憲兵隊ばかり。部下の艦娘が混乱の極みにあり、砲と魚雷と艦載機が飛び交う混戦状態。命が吸殻以下に儚く無惨に取り扱われる状況。つい他人を求めてしまうのは」

 ぼう、と大淀はため息を漏らした。背筋に生暖かな何か李(すもも)のような香りのする液体を注がれた様に体がぶるりと震える。

「最初に動いたのはたぶん提督だと思います。でも、私だったかもしれません。お互いがお互い、その気になっていたからです。気が付いたら、提督と私は、ただの男と女になり、激しいキスをして、身体を重ね合わせ、命令も指示もなく、相手の邪魔な衣服を剥ぎ取り、生まれたままの姿になろうとしていました」

 ごくり、と知らずのうちの私は喉を鳴らしていた。異様に口の中が渇き、私は潤いを求めて酒を煽った。かぁっと頬が赤くなったが、それは酒のせいだけだろうか。

「提督のゴツゴツした血で汚れた手が私の胸をまさぐり、私の女性の部分に触れました。私も提督の首筋に顔を埋め、胸板をなぞり、吸い付きました」

 熱い吐息を漏らしながら、大淀は当時の事情を語る。私もその場に居合わせたような、いや、男に愛撫しされる女が自分だと錯覚する。

「長い長い私と提督は相手の身体に触れ、固い部分を撫で、柔い部分を舐めあいました。敵か味方の砲声も何かが爆発する音も、遠くから流れてくるBGMにしか聞こえませんでした。そして、提督の男性自身が熱く固く張り詰め、私の女の部分が雨上がりみたいに濡れそぼって、そうして、お互いがお互い十二分に昂ぶったことを理解すると、提督は私の中に提督自身を挿れ、私は私で提督を迎え入れたのです」

 赤裸々に語られる情交に、私は聞き入っていた。下腹部に熱を憶える。ううっ、このところご無沙汰だったからなぁ。

「私と提督はひとつになりました。外の出来事なんか忘れきってしまって。いえ、そうでもなかったです。頭の片隅ではこの後、二人で逃避行も悪くない、なんて考えていました。愛し合う男女二人がいれば何も怖くない、なんて。住処を転々としながら、銃声と怒声から逃げ回りながら、僅かな一息毎に相手の存在を確かめるように肌を重ねて…そんな根無し草な生活を送るのも、構わないかな、と」

 夢の、過去の夢を語る大淀。その顔には確かに恋する乙女の喜びが浮かんでいた。

 と、

「でも…」

 不意に顔色に陰りを見せ、大淀は言葉を句切った。

「めくるめく官能の世界はそこまででした。ええ、そこまでだったんですよ。提督が出すまで、でした。白い、アレを」

 カップを握る大淀の手に力が籠もる。おいおい、と思う間もなく、カップは大淀の手の中で割れてしまった。残っていたお酒がこぼれ落ち、大淀の手や足を汚す。

「たぶん、この世界には神様がキチンといて、ええ、きっと絶妙のタイミングでアクシデントを起こすように運命を操ってるんでしょうね。提督がイって、ええ、私もイこうとしたところで、ええ、丁度タイミング良くドアが開くんですものね。入ってきたのは明石とか伊勢で…ええ、ええ、何してるのよぉ!!ってもんですよ。ええ、ナニですよナニ」

 割れたカップをもったままワナワナと震える大淀。余程、恥ずかしかったのだろう。酔いと惚気話で大いに血色良くなっていた顔はついに破裂寸前のトマトのようになってしまっていた。

「提督も提督ですよ。怪我と、私とシていたのと、それとたぶん、私が燃やしていたあの妙なタバコの煙の所為でしょうけれど、混乱していたらしくて『株券とか権利書とか通帳を持って逃げるつもりだった』なんてバカ正直に答えてしまって…」

 大淀は無造作に手の中の破片を捨てると、ジャックダニエルの瓶を代りに取った。蓋を開けて、そのまま瓶の中身を嚥下する。ラッパ呑みだ。

「後は…もう、てんやわんやですよ。提督と私を締め上げようと他の艦娘が部屋になだれ込んでくるわ、憲兵隊は防衛線を突破して上陸してくるわ。混乱を聞きつけたインドネシア海軍がやってくるわで。ええ、本当にあの場で戦犯として処分されててもおかしくなかったです」

 それがどうして今もこうして大淀として在るのだろうか。

 戦時中、重犯罪を犯した艦娘は『解体』するのが基本だった。艦娘を艦娘たらしめている要素とそれ以外、つまり人間とを分離してしまうのだ。分離した艦の要素、鉄と油と弾薬は再利用可能な資材になるし、艦娘でなくなった少女はただの人間、それも艦娘だったころの記憶も知識も経験もなにも憶えていないただの人間に戻るのだ。言い方を変えれば別人になってしまう。そうして、こちらも再利用できる資源だ。

 ただ、死刑が行われなかった訳ではない。軍規にも記載されている極刑だ。だが、それは余程の事情がなければ実行されなかった。例えば解体工廠がすぐには使えず、被害者の感情が加害者の存命を一秒でも許さない、といった場合だけだ。この大淀の場合は後者の場合のような気がするが。

「結局、インドネシア海軍も戦闘に加わってしまって、そのどさくさで逃げ出したんです。いえ、まぁ、インドネシア海軍には補足されてしまったんですが、そこは、その司法取引というので」

 なんとはなしにバツが悪そうに漏らす大淀。

「ウンノさんも記者ならご存じなのでは。この件はインドネシア政府と帝国の外交問題に発展したってことぐらい」

 私は記憶を呼び覚まそうとするが、どうにもピンとこなかった。

「すいません。生憎と戦時中は忙しくって…」

 半分事実、もう半分は外部からの情報を断たれていたからだ。

「そうですか。まぁ、でも少し考えれば分かることです。自国の、お墨付きを与えてた提督が冗談では済まない犯罪行為を行っていたんです。帝国としては一刻も早く提督を捕まえて牢屋か…それとも憲兵よりももっと恐ろしいアレに引き渡すべきだと。インドネシア政府としては自国内の有力マフィアや密輸品の輸送ルートを知る男の身柄はなんとしてでも確保したい。その対立の結果は帝国の勝利でしたが…」

「大淀さんの提督は本国に輸送され、ええっと、特高に引き渡されたと?」

 おそらく、と私の質問に答える大淀。その言葉が事実かどうかを確認することは不可能だろう。全てはあの黄泉の国を想わせる大穴に沈んでしまったのだから。

「…逃げ出した、というのは? 東南アジアのマフィア、蛇頭とかと繋がりがあったのでしょう?」

 鉄火場から脱出し、そういった反社会的組織に助けを求めたのでは。そういう想像。現に大淀は逃げることに成功していたようだった。

「それはありえません。その後、インドネシア警察と軍の尽力によってあの国のマフィアやテロ組織の多くは壊滅しました」

 ふむ、と私は頷く。確かに、あの辺りではマフィアやテロ組織の暗躍の噂は聞かない。ただ、代りに政府の横暴と暴力が横行していると聞く…いや、実際に体験したことがあるのだが。

「先ほど言いましたよね。司法取引をした、という話。いえ、あれは司法取引なんて生やさしいものではありませんでした。私は助かるためにインドネシア政府のアドバイザーになったんです。もちろん、非合法、秘密裏の」

 興味が湧く単語に私は身を乗り出す。親愛の意を示すために大淀が手に持つ酒瓶を私にも頂けないかと、手を差し出した。酔った大淀はそれに反応し、ジャックダニエルを私に渡してくれた。大淀に倣い、ラッパ飲みする。酔っ払ってしまっては元も子もないので、ほんの一口だけ。

「鎮守府で得た知識や、耳にした出来事を、いえ、それだけじゃありません。経験を生かして、いろいろとリークしたり、助言したり、後々には戦闘の手伝いなんかもしたりしたんです」

 大淀はそう豪語する。なるほど、と私は頷き、酒瓶を返す。受け取ったその手でバーボンを煽る大淀。

「それが司法取引。自分の有用性を示して、インドネシア政府に取り入ったと」

「ん…、ええ、まぁ、そうです」

 と、どこか歯切れの悪い言葉を返す大淀。

「いえ、酔っ払ってしまった勢いでいいますけれど、当時インドネシア海軍の大佐だった、その男性に気に入って貰えまして…ええ、当然、私の知識と艦娘の力に寄る処も大きかったと想うんですけれど…」

 また、件の『提督』と同じように乙女みたいな目をしながら語り始める大淀。

「その結局、彼もインドネシアの政権交代の余波に巻き込まれて…いえ、賄賂受け取ったり、軍人なのに過剰に政治に興味があったりしましたけれど…『我が国も艦娘と核を保有すべきだ』なんて言ってましたけれど…アレも悪党でしたね」

 眉間をひくつかせながら乾いた笑いを浮かべる大淀。

 ああ、と私はこめかみを押さえた。

 秋雲が好きな『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画に『スタンド使いは引かれあう』というフレーズがあった。スタンド使いとは簡単に説明すれば超能力者のことで、つまり、この大淀もそうなのだ。

「その後の革変期に私を助けてくれた大佐の元部下も良心をお母さんのお腹の中に忘れてきたような悪党で…」

 贈収賄の帳簿付け、マネーロンダリングの流れ司法取引、そして、今行っている行政提出書類の隙を突くような裏技。すべて正義の技ではない。悪の技術だ。その力に惹かれ悪漢どもは大淀という誘蛾灯に集まってきているのだ。

 想えば先ほどのインド警察もそれを理解していて、アンディ青年だけを逮捕したのかも知れない。

 この大淀だけが自分の、ある意味で悪しき、魅力に気が付かず、自分は男運が悪いと嘆いているのだ。

「ああっ、もう、こうなれば今夜はやけ酒ですよやけ酒」

 付き合って貰いますからね、インタビュー代として、と叫ぶ大淀。

 或いはこの酒癖の悪さが、別の原因なのかも知れなかったが。

 

 

 

 

END




大淀は「ちょっとエッチなお姉さん」じゃなくって「ただのむっつりスケベ」という一言から産まれたお話。いや、「むっつりスケベ」じゃなくて「悪人」だろう…
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