― A W ―   作:sako@AWとか

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東欧に復古した全体主義国家。そこで国境警備をする龍驤にインタビューする青葉。けれど、実は彼女にはインタビュー意外の目的があり…


龍驤『アーンクスト・ウイナー』

 大地に穿たれた大穴にはまだ熱が残っていた。

 木片が燻り、一筋の黒煙を立ち上らせ、煤の臭いが鼻につく。そのクレータから離れるほど三歩ほど。そこに人が倒れていた。その人物は真っ黒に焼け焦げており、男女の区別は付かなかった。ただ、体格からして大人であることは間違いなさそうだった。よほど、苦しみながら死んでいったのであろう。筋肉収縮で胎児のように丸まったその身体の周りには衣類の燃えかすや地面を転がった跡が残されていた。

 無残。

 この様な死に方はしたくないと誰もが目を背けるような阿鼻極まる惨憺たる光景。

「はぁ、こりゃかなわんなぁ…誰やったんか確認するのがしんどいわ」

 そんな状況において彼女は冗談交じりにため息を漏した。

「……自分で燃やしておいてそれですか」

 さしもの私も言葉を失いかける。

 戦争が終わり新たな人生を歩み始めた者、戦争が忘れ去られずなお争いの渦中に身を置く者、人類社会と決別した者、生きるために仕方なく悪に身を堕とす者。様々な艦娘をインタビューしてきたが、これほど胸くそが悪くなる相手はいなかった。

「龍驤さん」

「それはお互い様やないか。パパラッチの青葉やん」

 小柄な軽空母は私を指さしながらそう言ってきた。

 今し方、国境を不法に超えようとした人間を爆殺した九九式艦爆を帰艦させながら。

 

 

◇◆◇

 

 

 私は今、東欧に来ている。いや、こう言うべきか。東欧にある、さる独裁国家の土を踏んでいる、と。

 この国は復活した全体主義が人々を支配していた。太平洋の消失を起因とする混乱、そして海上運輸及び海洋資源流入のストップから世界中で大恐慌が起った。多くの国々はその対応に追われ、場所によっては内戦、更には消滅を迎えたものもあった。

 その状況下でこの国は力を合わせこの危機を乗り越えようではないかと国民に命じた。その具体的な方策は個人の消失だった。金銭に止まらぬありとあらゆる財産の回収と再分配。あらゆるものを集めあらゆるものを配る。お金、食料、住みか、衣服、果ては子供まで。そして、それらを再分配する。辛く苦しい国難を全員で乗りきるため。

 食料の全ては配給制になり、住居も政府指定。すべての子供は教育施設に入れられ、実の親でも面会には許可が必要になった。仕事も選択の自由なく個人個人の能力によって当てはめられ、人として当然の営み、結婚し子供を生むという行為さえ自由にはできなくなった。

 だが、私個人はこれを自由のないディストピアとは評しない。まがりなりにも国民全員に衣食住が行き渡っているのだ。今世界には一欠片のパンを得るために、一枚の薄っぺらいタオルケットを得るために、夜に風雨と冷気を凌ぐだけの寝床を得るために隣人を殺さなくてはいけない場所が多数ある。そんな場所に比べればここはマシだ。相当にマシだ。

 だが、そうは考えない人もやはりいるらしい。

 この国が抱える問題の一つに不法に国外へ脱走する人間が後を絶たない、というものがあった。

 脱走の理由は様々だ。配給に納得がいかない。自由を求めて。自分の財産を手にいれるために。自分の意志で子供を成し育てるために。夢のために。

 だが、国家としてはそれをおいそれと許すわけにはいかなかった。食料や衣類、水や燃料と同じく人間もまた共有すべき資源なのだから。人間が好きに出ていくに任せていればいつかは国内からヒューマンリソースが枯渇してしまう。それは国の滅亡と同義だ。

 故にこの国は国境警備に重点的に力を入れている。外敵からの防衛のためでなく、内部流出を防ぐために。

「ぼうっとしてないで、写真撮ってや」

 と、龍驤にそう声をかけられた。アイアイ、とカメラを構え焼死体をファインダーに納める。角度を変え、自分の立ち位置を変えて、人相や体格が判別不能になるほど焼け焦げた死体を撮影する。

 胸くその悪くなる被写体だ。だが、仕事は仕事。黙々と私はシャッターを切り続ける。

 無心でシャッターを切るということはできない。身体はオートマティックに動いてくれるが思考はそうはいかない。私は、ある意味でこれが仕事で無ければ良かった、と考えてしまう。例えばこの龍驤が快楽殺人者だったなら、と。この龍驤が自分が殺した相手の死体を写真に収めさせ『ええ写真が撮れたやろ』などとのたまうタイプの勘違い芸術家気取りサイコパスだったら、私はシャッターを切り続けているカメラをバッグに直し、得意げな顔を全力で殴りつけ、とっとと仕事を終わらせられたからだ。

 だが、これも仕事だ。

 既に対価を頂いており、私は仕事を果たさなければならない。その対価は金銭だけではない。全てが管理されたこの国においてある程度の自由行動の許可、そして、この龍驤へのインタビューだ。私は龍驤へのインタビューを取り付けるために、彼女自身ではなく、彼女の持ち主である政府に働きかけることによって獲得したのだ。それには多大な労力とコネクション、あまり大きく口には出来ない対価を支払って得ている。

 それだけの対価を払っているのだ。失敗は出来ない。なので、私はこうして取りたくもない人間の焼死体をカメラに収め続けているのである。

 龍驤の、仕事ぶりを。

 そう。私の仕事が死体をカメラに収めることであるように、龍驤の仕事はこうやって死体を作ることにあるのだ。

 いや、死体を作るのは最後だ。実際は拡声器での制止、攻撃機による威嚇射撃、そして、その他諸々のプロセスを経てどうにもならない場合、逃亡者を殺す。それが龍驤の仕事だ。最もそうなったのはこの四日間、龍驤に付きっきりだったが、今回のみであった。その間、龍驤はひたすらに日中は観測機を飛ばし、夜間は無灯下の元、暗視ゴーグルによる哨戒任務を行っていたのだが。

 要約すれば彼女の仕事は国境の警備隊員なのである。外敵を退けるのではなく、内側から逃げ出す者を捕らえて殺すのが仕事なのだ。

 そして、私はそんな龍驤の仕事ぶりをカメラに収めるのがこの国においての表向きの仕事である。

 それは何も龍驤がこの国においてアイドル的存在になっているという訳ではない。ましてや政府関係者に彼女の熱烈なファン、或いはストーカー気質な人物がいるという話でもない。これもまた国民が一丸となって頑張ろうという全体主義に貢献させるための手段の一つなのだ。

「それにしてもむごたらしいなぁ」

 なんまいだぶなんまいだぶ、と自らが作った焼死体に手を合わせる龍驤。惨たらしい。彼女の口から発せられたその言葉に真実味は匙一掬い分さえ感じられない。だが、多くのまっとうな人間は確かに心の奥底からそう感じるであろう。

 そのように国民に感じさせる写真を撮るのがこの国の政府から与えられた仕事だ。

 国外に逃亡しようと目論むが失敗し凄惨な末路を辿った者。その惨たらしい写真を見れば、何とはなしに脱走を考えていた者も二の足を踏むのではないか。政府の一分の人間がそう考え、その写真撮影を私に依頼したのだ。

 写真は政府所有の新聞社やテレビ局で放映する、という形をとらず、反政府組織に潜り込ませたスパイを通じて流通させるそうだ。そうすれば、多くの逃げ出すつもりのない善良な市民は凄惨たる逃亡者の末路とそれを行った政府の無慈悲さを目にすることはなく、表舞台に出てこない、政府に叛逆の意志を持つ地下組織の構成員にだけ触れさせる事ができる。

 このような写真を見て、寧ろ政府に対する怒りを燃え上がらせる者もいるだろうが、それよりも恐怖を抱き、逃亡や叛逆の勢いを削がれる者の方が多いはず、と政府首脳は考えているようだった。

「どや。ええ感じの写真は撮れた?」

「ええ、まぁ」

 撮り終えた写真を確認する。デジタルカメラはこういうとき便利だ。

「流石やな青葉やん、ああいや、今はウンノさんやったな。人間のカメラマンじゃこうはいかへん」

 私がカメラマンに抜擢されたのはそれが理由だ。艦娘に随伴し、その攻撃を写真に納め、人間の死体を前に怖じ気づかない。一セクション毎にその難題をこなせる人間はいるだろうが、その全部となると中々に難しいだろう。そこで同じ艦娘である私に白羽の矢が立ったのだ。

 私が外国人旅行者、というのも理由に当てはまる。私はそう長い間、この国内に留まるつもりがなかった。用が済めばすぐに出国するつもりだ。つまり私の口からこの恐怖を煽る写真撮影、その事情が国民に広まる恐れはないということだ。

 無線で何処かに連絡を取っていた龍驤は立ち上がって腰を叩いた。

「この方はどうするんです?」

 この方、と焼死体を示す。龍驤は未だに白煙を立ち上らせている死体を一瞥した。

「回収してもらえるよう連絡済みや」

 先程の無線はそういう内容だったらしい。

「ボチボチ帰ろうか。四日も歩きづめでしんどいわ」

 そうですね、と返事する。

「その道中にでも話して戴けますでしょうか?」

「ん~、何を?」

 無線機や式神を片付けながら、すっとぼけるような事を言う龍驤。苛立ちを覚え私は

龍驤を睨み付ける。

 あはは、と乾いた笑いを浮かべながら龍驤はあさっての方向へ視線を泳がせた。

「ホンマに話さなアカン」

「そういう契約でしょう」

「まぁな」

 しゃあないか、と龍驤は首を振った。

「話すよ。ウチのこと。いんたびゅーってヤツやろ」

 ええ、と頷く。

 

 

◇◆◇

 

 

 

「さて、どっから話したもんか」

 龍驤は歩きながらそう呟く。インタビュー開始。私は手帳とペンを用意する。だが、小柄な軽空母の口から続く言葉は出てこなかった。「せやなぁ」とか「そやなぁ」といった意味のない台詞が洩れるだけだ。それほどまでに自分の事を話したくないのだろう。

「龍驤さんはどうしてこんな仕事に就いたんですか?」

 仕方なしに助け船を出ような真似をする。質疑応答形式にすれば否応なしに話を聞き出せるからだ。

「どうして…って、そんなんピッタしやったから、というしかないなぁ」

「と、言いますと?」そう問い返す。

「警備なんてウチみたいな軽空母にはもってこいの仕事やん。観測機で広範囲を確認できるし、ウチ自身の策敵能力もある。燃費もエエから、長い時間見回りできる。キミんとこの鎮守府のウチは警備任務には出てなかったんか?」

「ええ、確かにそうですね」

 私が所属していた鎮守府にも龍驤は在籍しており、確かに駆逐艦を引き連れ警備任務に勤しんでいた。

「それの延長や。昔取ったナンチャラやな」

 ふむ、と私は頷く。

 国境付近のこの場所は枯れた木がまばらに残るだけのはげ山だ。そこから隣国までは地続きになっており、足腰に自身がある者ならなんなく徒歩でゆける。道中、それを阻むようなものはない。つまり、一目でそれと分かるような境界になるものはないということだ。高い山や流れの速い川、鉄条網を備えたフェンスも。自然に形作られたものは兎も角、国境を示す柵すらないというのは、なんてことはない。ただの予算不足だ。逃亡を防ぐフェンスや壁など作っている財政的余裕はこの国にはないのだ。同様にそれは維持費のかかる高度な監視システムの配備も不可能であることを示している。

 ならば、なるほど。その点を考慮すれば確かに国境の監視と逃亡者への威嚇、そして、最悪の場合の処罰を行うのは龍驤のような軽空母が適任だ。二、三日なら無休息で動き続けられる艦娘特有のタフネス、それだけ長時間に渡って活動しても必要な補給は少量で済むという燃料効率、広範囲を監視できる索敵能力、そして、有事の際の攻撃力はまるでこの任務をこなすために造られたかのようだ。

「龍驤さん個人はそれで、構わないんですか」

 だが、それは性能面を見ただけの話で、実質的には違う。艦娘は軍艦、兵器だ。つまりは敵を倒し平和を守るために造られた存在なのだ。それが逆に国家の安定のためとはいえ自国民を殺すなどとは。筆舌に尽くしがたい絶望を覚える。この龍驤はその点についてどう折り合いをつけているのだろう。

「いや、龍驤さん個人もなにも仕事ってそういうもんやろ。やらなあかん。キミも艦娘なら知っとるんちゃうん。軍人は命令には絶対服従。軍人やのうてもそうや。お給金貰ってて、手前の能力で出来る以上、それがどんなに汚れ仕事でもやらなあかん。外はどうか知らんけど、この国やとそれが常識や」

 模範的な回答。だが、その内容はやはり龍驤がこの凄惨たる仕事をこなしている内面的理由については触れられていない。あくまで外的要因によって自分はこの仕事をしているのだ、と言っているに過ぎない。

 それは耐えられるもなのだろうか。

 いや、そもそも艦娘は人間を殺す様に造られてはいないようなのだ。人間が同族の人間を殺すのに憶える以上の忌避を艦娘は感じることが実験の結果判明している。何者がそうしたのかは分からないが、艦娘は基本的に人間を殺せないように造られているのだ。

 それをこの龍驤は事もなくやってのけている。他の軽空母ならストレスで精神を病むか、自ら死を選ぶような真似をするだろう。

 故に、血も涙もない冷酷な殺人機械。今の処、龍驤に対するこの龍驤の評価はそうだ。だが、そうなったのには理由があるはずだ。それを聞くために私は取りたくもない写真を撮り、恐怖政治と詐欺の片棒を担いだのだ。

 どうなのでしょう、と私は再度問いかける。

「それは…そうやなぁ」

 私の言葉の真意を理解してくれたのか龍驤は足を止める。頭を掻き、鼻息を漏らす。

「正直、他に仕事があるんやったら、そっちに替えて欲しいぐらいやわ」

 言って龍驤は私に手の平を見せてきた。小さな手。だが、子供のように可愛らしい、とはいえない。土や墨で汚れ、節くれ立ち、マメや怪我の跡が残る手だ。軍人の手。それが小刻みに震えていた。アルコールや薬物の依存症患者のように。

「これでも結構ビビっとるんやでウチ。夜中に悪い夢見て飛び起きることもあるし、たまーに幻覚とか見る。街を歩いとったら、昨日、ゼロ戦で撃ち殺した相手とすれ違った。なんや、と思って振り返ったらなんてことあらへん。別人やった、なんてのはしょっちゅうや」

 お薬も飲んどるしな、とステンレス製のピルケースから錠剤を何粒か取り出してみせる龍驤。それを水も飲まずに口の中に放り込む。

「それならなおのこと辞めればいいのでは。この国はさほど、艦娘に対して排他的ではないように思えますよ」

 実際、この国に在籍する龍驤以外の艦娘も何隻かインタビューした。やはり、この国の基本政策からか艦娘の力に見合った仕事…大理石の採掘、政府重鎮の護衛、軍人などの仕事に就いていたが、それでもこの龍驤の様に能力だけを見て、艦娘の人格を無視するような仕事の割り振られ方はしていなかった。

 復活した全体主義、とはいえプロファイリングや職業適性診断の技術が発展した現在、本人の性別や体格、基礎能力だけで職業を決めるのは敢えて犯す必要の無い愚だ。

 けれど、その愚を犯しているのがこの龍驤だ。龍驤が身体に青い血が流れているようなサイコパス野郎でないことは分かったが、それでもこんな邪悪な苦行を続けている理由は依然として分からないままだ。

 その事を正直に伝えると龍驤は答えに窮したように顔をしぼませた。

「そんなこと言ったからって、ウチにはこれが天職やしなぁ」

 先程、口内に放り込んだ錠剤を何とか飲み込む龍驤。無理矢理に。

「逃げ出すような人間を軍用機で追い立てて爆撃することが、ですか?」

「そうや。故郷から逃げ出そうとするバカなヤツのことはよう知っとるからな」

 なにか含みのある言葉に私は問い詰めるような視線を送った。

「どういう意味ですか? 脱走者の事をよく知ってる?」

 言葉でも表す。

 龍驤はその私の視線と質問に対して、にらみ返してきたが、ややあって小さくため息をついた。

「戦時中――太平洋でアメリカさんとドンパチやってた頃じゃなくて、ボラもどき…深海棲艦と戦ってた頃の話や」

 空を仰ぐ龍驤。生憎と天は、地と同じ灰色をしていた。

「あの頃、ウチの鎮守府はティモールの方にあったんやが…」

「ティモールというと…ええっと、インドネシアの東にある島国でしたっけ」

 せや、と龍驤。

「そこでウチは近海警備と制空権奪取と爆撃機の発艦以外にもういっこ、仕事をしとったんや」

 あるばいと、ちゅうヤツやな、と龍驤。

 戦時中、艦娘の副業は大本営により禁止されていた。そもそも私たちは女学生ではないのだ。金に困ることはあったかも知れないが、かといってアルバイトをする余裕など何処の鎮守府でもなかっただろう。いつとも知れず出撃命令が下るか分かったものではなかったのだ。ファミリーマートのレジ打ち、マクドナルドでポテトを揚げる係など出来よう筈がない。

 それでもなお副業をしようというなら、その内容は非合法なものになる。

 遠征ついでに麻薬や武器の密輸。誤射に見せかけた施設の破壊や要人の暗殺。美貌と豊満な肉体を活用した性的な奉仕。そういった社会の闇に属するアルバイトだけだ。

 僅かではあるが、そういった非合法活動に勤しんでいた艦娘もいた。そして、戦争が終わった現代、そういった職業に就いている艦娘の数は増加の一途を辿っている。

 はたして龍驤はどんなアルバイトをしていたのだろうか。

「いや、なんてことはあらへん。ちょっとした護衛や」

「護衛、ですか?」

 それはアルバイトではなく、正規の任務ではないのだろうか。関係国政府や企業の依頼を受け、危険な海域を通る船舶を守るという任務はよくある話であった。

「ちゃうちゃう。そんなスケールの大きい話やない。ちょっとした釣り船とか、オンボロのクルーザーとか、酷いときにはゴムボートなんかに、ぎーっしりと詰込まれたみたいに乗り込んだ老若男女を守りながら隣の国とかまで連れて行く。そういう話や」

 ああ、と私は合点する。

 つまりは脱走、不法移民の手助けだ。

「あの頃はそんなんばっかりやった。深海棲艦のせいで海上が封鎖されて、にっちもさっちもいかん様になって外国へ逃げるしかないってヤツが何万人とおった。ウチはそんな奴らを、皿にあけたマメをこっちの皿に移すみたいに、移動させとったんや。いや、そのお手伝いかな」

 だから、と龍驤は私との間合いを詰めて、下から顔を寄せてくる。

「分かるんや、国から逃げ出そうとする輩の行動ちゅうか心理っつうのが。そういうのが。夜の方が実際警備が厳重なのにバレへん思うて夜に逃げだそうとしたり、暗すぎるのは危ないからって月夜の晩に逃げ出したり。分かりやすい道を作っとけば罠やと気付かずにそっちの方へ歩いて行ってしまうこととか、な」

 トンと私を押しのけるよう、胸を押してくる龍驤。私は倒れはしなかったが、二三歩、後ろによろめいた。

「それがウチが国境警備隊員に選ばれた理由や。言うたやろ昔取った杵柄やって。何人も逃げ出すのを手伝ってきたから、よぉ分かっとるんや。海と山の違いなんてあらへん。逃げだそうって言う奴の心理はみんな一緒なんや」

 かんらかんらと笑いながら龍驤は語る。私は知らずの内に拳を握りしめていた。

「お上も上手いこと考えとるやろ」

 せやろ、と龍驤は私に同意を求めてくる。私は心の内から沸き上がってくる憤りに似た感情を隠せなかった。顔に出し、龍驤を睨付ける。

「エエ、そうですね。確かにピッタリのお仕事です。龍驤さん以外に適任は見当たらないぐらいに」

 ああ、でも、しかし。

「それは職業適性調査で判明した仕事ってだけじゃないですか。そんな手が震えるほど、夢に見るほど嫌なら他の仕事に就けばいい。そう思えずにはいられませんね、私には」

 私の反論に龍驤の顔は一気に真っ赤になった。吠え立てる一瞬前の犬のように髪の毛を広げさせる。

「舐めた口聞くなや。お前はこの国で自分の好きな仕事に就くちゅうんがどんなけ難しいことかまるで分かっとらんやんけ。知った風にいうな!」

「ならばなおのこと、こんな国から逃げ出せばいい。昔取った杵柄で、国境警備隊の目ぐらい欺けるでしょう」

 言い争う私と龍驤。最初こそ互いに相手の話の矛盾点を付いたり言葉尻を捉え一応論戦の恰好を取っていたが、やがてそれはただただ相手を罵倒するだけの口喧嘩と化した。

 けれど、はげ山にふさわしい寒風が吹き荒ぶと、私も龍驤も自然と口をつぐんだ。冷たい風が、血が昇った頭が冷やし、私たちは冷静さを取り戻したからだ。

 スイマセン、と頭を下げる。龍驤もバツが悪そうに、下向きながら「かんにんな」と。

「まぁ、確かに、キミの言うとおりやな」

 俯いた恰好のまま、手の平を広げる龍驤。まるで自分の手相でも見るように、ジッと凝視する。

「でも、そうもいかんのや。なんっでかっていうとやな」

 開いていた手を握りしめる。私にはそれは短くそうして中程で切れていた生命線を隠すような動作に見えた。

「逃げてきた、その果てがここやからや。こっから先は無いんや」

 

 

◇◆◇

 

 

「最初はむしろ失敗やったんや」

 ぽつぽつと語り始める龍驤。目を細め、かつてを思い出すように遠くを見つめる。

 私は黙ってその言葉に耳を傾けた。

「ある日、もう日付も憶えてへんけど、暑くも寒くもなかったから、春の終わり頃か、秋口やったと思う。ちょっち、遠征の段取りをミスってもうてえらい帰りが遅くなったんや。 その道中や。船を見つけたのは。いや、見付けたのは駆逐艦の子供…確か、朝潮やったと思う。『旗艦殿、何か見えます』って。

 ウチは『何かとはなんや』って聞き返したと思う。まぁ、そうやん。不明瞭な報告は報告になっとらへん。何か分からんでも、どれぐらい離れた所にあるんか、方角はどっちや、色や形はどないや、色々と応えられるやろ。

 そうしたら、駆逐艦は『船です』って。『民間船だと思われます』って。

 ウチは眉毛をこう、八の字にした。なんでかって、その時間帯に民間の船が通るって連絡は受けてなかったからや。いや、そもそもそこはウチらの制海権下ギリギリの端っこで、いつ敵さんが現われても不思議やない場所やった。

 ウチらがどの当りまで制海権を有してるかはざっくりと近隣の市民には教えとった。どこからが危険なのか教えとかんな、かってに外洋に出られて深海棲艦に襲われたりされたらかなわんからな。

 だからウチらは呼びかけながら船に近づいてった。何でこんな所におるんや、ってプリプリ怒りながら。船に近づいて、ほんでもう一回、怒る羽目になった。船は、とんでもない。あないな外洋まで出てこれるような大きな船やなかったんや。内湾でのんびり、釣をしたり網を引いたりするぐらいの、小さな漁船。そこに三家族ぐらいかな、ちっちゃい子供から腰の曲がったおじいちゃんまで、十五か二十人ぐらいの人間が乗っとったんや。

 船は波に遊ばれるだけで全然進んどらんかった。たぶん、エンジンが故障しとったんやろうな。問題なのはちっさい釣り船がなんでこんな所におるんか、ってことや。しかも、たぶん三家全員乗り込んで。

 話を聞こうとしても子供とか女がワイワイ騒ぐばっかりやった。現地の言葉は、まぁ、ちょっとぐらい喋れたけど、流石にああもわめかれると全然わからん。そうこうしている間に、ちょっと歳いった男が船の縁から乗り出して、ウチに話しかけてきたんや。

『私たちの家族はシンガポールに行く途中だ』って。

ウチは『しんがぽぉる?』って唸った。そないなとこ、快速の駆逐艦でも三日ぐらいかかる場所や。

『なんでそないなとこ行くんや』って聞いた。お兄ちゃんはそれで黙った。『なんでや』ってもういっぺん聞いても答えへんかった。代わりにお兄ちゃんはこう言ってきた。『見逃してくれ。家族を逃がさなきゃいけないんだ』って。

 ウチとしては完全に『ハァ?』やわ。何言っとるんか、そん時のウチは初心やったから、まったく分からんかった。

 そうこうしている間に船が急発進した。たぶん、ウチと話してる隙に別の大人が調子悪かったエンジンを治しよったんやろうな。

 ウチも駆逐の娘らもほげーっとしてもうた。あっけにとられるってああいう時に使うんやろうな。気が付いたらちょっと追いかけへんと追いつけんような所まで船は行ってしもうとった。

『どうするんですか』って駆逐艦の子供が騒ぎ始めて、ウチは『兎に角、止めろ』って命令した。こんな敵がいるかも知れない場所で釣り船にウロチョロされちゃかなわん。『威嚇射撃までなら許可するから止めェ』って。もう、その時点で遅かったんやけどな。号令をかけた瞬間、釣り船の側で水しぶきがあがった。『えらい早いな、てか威力強すぎや』怒鳴ろうとして、駆逐の娘の砲撃やないことに気が付いた。敵さん、深海棲艦やったんや。

 敵はまっすぐに釣り船に突っ込んでいった。機銃を撃ちながら。ウチらには見向きもせずに。ウチらには豆鉄砲の機銃でも、装甲板も張ってない船にとっちゃパンチで穴開けるようなもんや。ましてや人間なんか。

 機銃に撃たれて、船の乗っていた家族はバラバラになった。文字通りや。手足が飛んで、腸が花みたいに咲いて、血が飛び散って。女も男も、おじいちゃんもガキんちょも関係なく、バラバラに。ほんで敵さんは釣り船に頭か突っ込んで、船もバラバラにしよった。ぜんぶ、ぜんぶ、海に沈んでいった」

 そこで龍驤は一旦言葉を句切る。息継ぎのように、深く呼吸し、長々と息を吐き出す。

「後のことはよう、憶えとらんな。その敵も倒せたんか、逃がしたんか、よう憶えてない。でも、間違いなくそれが最初や。龍驤さんの最初のあるばいと、失敗談や」

 龍驤はつまらなさそうに落ちていた石ころを蹴飛ばした。石は転がり、はね、谷の方へと落ちていった。

「それから何隻か、同じ様な船を見掛けるようになった。今度は見付けたら取り敢えず捕まえて、鎮守府まで曳航することにした。でも、逃げられたこともあったし、ひっくり返ったまま浮かんでる船を見付けたこともあった。

 その頃かな、ウチの鎮守府が間借させて貰ってた場所の治安とか経済とか、そういうのが急に悪くなってきたって話を耳にしたのは。それでウチは合点がいった。あの船はみんな逃げだそうとしとるんや、って。家族の安全とか、もっとええ勤め先とか、なんかあめりかんどりーむってのを夢見とるんかは知らんけど、みんなみんなあないな辺鄙な処にあるちっさい港町じゃやっていけへん、って思っとったんや、って。

 それである時、ウチは自分の考えを実行に移したんや。いつもみたいに捕まえた船の持ち主に対してこう言ったんや『逃げるんやったら手伝おうか』って。

 鎮守府とか警察に突き出しても、もう一回、この人らが同じ様に逃げすんは分かっとった。同じおっさんを二回、捕まえたこともあったしな。それに逃げたいんやったら逃げさしたったらええ。そう思ったんや。

 それでウチはその船をマレーシアの方まで連れてったんや。

 えらい感激してくれたな、あの人は。あんなに感激されたのは初めてや、そう思えるぐらいやった。深海棲艦を沈めてもそげに感謝されることはなかったから、つられてウチも涙ぐんでもうた。憶えとるわ。

 ただ、その時は感謝の言葉以外に貰ったもんもある。お金や。決して少なくない額の金。ウチは受け取れへん、って突っ返そうとしたんやけど、船の乗組員は頑固に受け取ってくれ、って言って。結局、根負けしてウチはそのお金を受け取った。いや、自分の中の卑しい感情に負けてしもたんや。これは商売になるな、って。

 他の鎮守府はどうか知らんかったけど、ウチの所は結構ヒマやってね。特にその当時は。戦闘なんか滅多になくって、演習と警備、遠征ばっかりやった。心の何処かで戦争はもう少ししたら終わるんやないかって思えるぐらい。それやったら次はどうすべき何や、って考えるのが普通やん。今までは提督の言うことを聞いて警備したり演習したり出撃しとったらよかったけど、戦争が終わったらそうもいかん。ウチみたいな弱っちい軽空母はどう考えてもお払い箱になるって。

 だから、うちはクビにされても大丈夫なよう、退役後の蓄えを作ろうと考えた訳や」

 そうアルバイトを始めるに至った経緯を話す龍驤。こう言ってはなんだが、よくある話だ。最初はよかれと思って、頼まれたが断り切れず、大金に目がくらんで。艦娘も所詮は人間だ。規律ある行動を常に取れる訳ではない。ルールや正義よりも自分の欲望を優先してしまうことがある。

「そこで、そこそこにしとけば良かったんやろうなぁ。ウチはマヌケにももっと稼ごうって躍起になってしもうた。何人も何人も逃げ出すのを手伝った。警備網を抜けるために、鎮守府の哨戒予定表を盗んだり、脱出用の船を工面したり、あんまし大きな声で言えないような連中と付き合ったりね」

 と、言いますと?

 私は視線でそう問いかける。龍驤はそれには口で応えずジェスチャー…自分の左頬を指でなぞる、で示した。ヤクザやマフィア、反社会的・暴力組織か。

「まぁ、ぱすぽーととか用意するにはそうするしかなかったんや。もう、その頃にはあの地域は戒厳令が出てて、外国に出掛けるどころか夜中に出歩くんも禁止されとった。

 お陰でウチは大忙しやった。けど、この話にはオチがあって、大儲かりどころか運ぶ度に損しとったんや。まぁ、あたりまえやな。みんな貧乏が辛くって逃げだそうとしとるのに、ウチに払えるお金なんてあるわけないやん。でも、逃げ出したがってる奴は大勢おった。だから、ウチは片っ端からあっちこっちへそいつらを逃がした。

 インドネシア、ベトナム、シンガポール、オーストラリア。台湾まで連れてったこともあった。

 それで…多すぎて、連れ出した相手が何者なんか、よう確認をせえへんかった」

 不意に龍驤は声のトーンを落した。まるで墜落するよう、儚くまっすぐに。

 続く言葉はすぐには紡がれなかった。私は龍驤に先を促すよう、視線を向けた。龍驤は声もなく笑った。まるでここの大地のように乾ききり引けきった笑みだった。

「ある時、離れ小島に隠れとるよう伝えた家族を迎えにいった時やった。

 舎弟に使っとった駆逐艦から無電が入ったんや。あれやこれやお父さんに説明しとるときに。ウチは後にせいって怒鳴ったんやけど、駆逐は無電を切らへんかった。よっぽどのことがなきゃ使うなって口酸っぱぁ言ってたのに使いよった事にイラぁしてな。でも、駆逐は謝りながら『龍驤さん大変なんです!!』って何回も無電でウチに伝えてきよった。ウチは『何が大変なんや! しっか説明しいや』って怒鳴った。どうも物覚えの悪い娘で何回教えても報告のイロハを理解してくれへんかった。

 まぁ、その時に的確に報告を貰っても遅かったけどな。

 通信機の向こうからなんやドタバタ聴こえたな、と思ったら駆逐の娘やないのが通話口に出てきおった。秘書艦どのや。

『龍驤、今どこにいる』って高圧的に。ウチは『有馬でばかんすや』って応えた。いや、多分応えたつもりになってた。やってそん時はビビりまくってて上手く呂律が回ってへえかったと思う。

 そうしたら秘書艦は『お前何をしたのか分かっているのか』って。こう怒鳴り散らさないように堪えながら喋っとるんが丸わかりな声で聞いてきた。ウチは素直に『わかりません』って応えた。標準語や。秘書艦はため息をついて説明してくれた。二日前に本国でテロがあったこと。犯人は射殺されたこと。その実行犯の中にティモール出身の男がいたこと」

 わかるやろ、と龍驤はこちらに視線を向けてくる。私は頷いた。

「せや。ウチが運んだヤツや、実行犯は」

 それだけ口にすると龍驤は再び歩き始めた。私もその後に続く。

「知らんかった、なんて言い訳通る訳あらへん。いいや、何か言う前にウチは自分から無電のスイッチを切って、装置も海ん中に放り投げた。もう頭ん中は逃げることで一杯やった。

 逃亡の手助けをしようとしてた家族もウチが慌てふためいてるのを見てオドオドし始めよった。おとんが『トラブルですか』って話しかけてきた。ウチは『せや』って応えて空を見上げた。ちょうど彩雲が一機、島の上を通りすぎてるとこやった。ウチは膝をついた。鎮守府からの追っ手や」

「……追っ手?」

 私の質問に龍驤はすぐには応えてくれなかった。だが、ややあって、一言だけ口にしてくれた。

「一航戦、赤城と加賀や」

 それだけ言って龍驤は足を止めた。はてな、と私も足を止めて龍驤の反応を覗う。だが、続く言葉はなかなか出てこない。私は様子を探るよう龍驤の前に出た。

 どうしたというのだ。龍驤をのぞき込み、そうして私は驚きに目を見開いた。龍驤が凄惨たる表情を浮かべていたからだ。深く刻まれた眉間の皺。きつく絞られようとする目蓋と見開かれる瞳が均衡状態で止まり、奥歯は胡桃でもかみ砕けそうな程力が込められている。それに巻き込まれた下唇からは血が口端から流れ出していた。

 まるで自分の腹に自分で短刀でも突き刺したかのような顔。歯を食いしばっているというのに、その顔からは徐々に血の気が失せつつあった。

「りゅうじょう、さん」

 恐る恐る声をかける。今の龍驤からはなにか薄氷の脆さと鋭さを感じずにはいられなかった。触れれば微塵に砕け、触れた物に千々の傷を与える様な危うさを。

「敵は一航戦やった」

 この意味が分かるか、と龍驤は訪ねてきた。私は首を振った。考えれば、或いは龍驤の言わんとしている事が理解出来たかも知れないが、ただただ龍驤の壮絶な貌に気圧され、思考を停止せざるをえなかったのだ。

「一航戦が来たんは、なんてことあらへん。鎮守府の、提督の決断や。ウチを捕まえたいんやったら虎の子の一航戦をウチに差し向ける必要なんてあらへん。ウチの鎮守府には照月がおったから、針鼠にしたあの娘とあと二隻ほど、砲でも魚雷でも装備させた駆逐艦を寄越せばそれで済む話や。ウチが飛ばした艦載機を片っ端から照月に撃ち落とさせて、紙飛行機も飛ばせれんようになったところで捕まえに来ればええ。駆逐艦は足も速いから、付かず離れず鴨打しとりゃ、それで済む話や」

 けど、と龍驤は言葉を句切る。身体を震わせる。その時の恐怖、絶望、戦慄を思い出している、いや、再び味わっているのだ。

「けれど、そうはせんかった。提督は。真っ向にやり合ってウチを確実に倒せる相手を二隻も寄越したんや。加賀と赤城。そうや。ウチはすぐに気付いたで。提督はウチを捕まえる気なんかこれっぽっちもない。捕まえて事情を聞いて、それで本土の特高に説明させるとか、罰として営倉に監禁するとか、解体してただの人間に戻すとか、そんなことは微塵も考えてないつうことが。提督はウチを沈めるつもりなんやって」

 青白い顔のまま龍驤は肩を振わせて笑った。その瞳は笑ってなどいなかったが。

「まぁ、そうやな。自分とこの艦隊にテロの片棒を担いだ艦娘がいるなんて、提督にとっちゃデッカい汚点や。キッツい漂白剤でも使わんととれへん汚れや。だから、提督はウチを沈めることにしたんやろうな。沈めてどうするかまでは結局分からんかったけど。憲兵さんに『龍驤は自分の艦です。なら自分の手で沈めるのが道理でしょう』とかなんとか言うつもりやったんやろうな。それか最初からウチの鎮守府には龍驤なんて艦娘がいなかったことにしたかったんか。まぁ、自分が沈んだ後の事なんて本当にどうでもええことやった。その時、何より問題やったのは、ウチを沈めるために艦隊の大将と副将の二隻が揃って出っ張って来たってことや」

 龍驤は震える自分の手に視線を注いだ。それが今、そこにあるのが信じられない。そういう顔をしている。

「ウチは連れ出そうとしてた一家に『行ってくるで』って海に出た。念のため、親父さんには『自分が戻らんかったら狼煙でも白旗振るでもして、アイツらに助けて貰え』って伝えて。そうなったらこの一家にとっちゃ最悪やろうな。テロリストと関わりがあった艦娘が国外に逃がそうとしていた一家なんや。特高にそれはそれはキッツい取り調べを受けることになるやろうなぁ。まぁ、これから死なにゃならん龍驤さんにはあんまり関係のないことや」

 ため息。諦念のため息を漏らす龍驤。凄惨たる顔色は幾分、落ち着きを取り戻していた。だが、それは首に縄をかけた状態で床板を外され、何分か経ったあとの顔色だった。

「海に出て、ある程度、島から離れた処で向こうは攻撃機を飛ばしてきた。烈風や。こっちは九六艦戦やのに。それでも飛ばさなきゃならんかった。言わんでも分かるやろ」

 そう龍驤は同意を求めてくる。私は頷いた。海戦で制空権を奪われると言うことは手足をもがれるのと同意だ。いかな大戦艦といえどまともに観測機も飛ばせないような状況下では砲を当てるのは事実上、不可能となる。視認可能な距離まで近づくのが数少ない対抗手段だ。だが、無数の敵機が飛来する状況では近づくのはおろか敵の足下に這いつくばるのさえ難しいだろう。故に手足をもがれる。それだけで勝ち目は万の目を持つ賽を振るに等しくなる。勝てれば奇跡。実際は不可能だ。

「案の定、ウチのひこーきは全部、堕とされてしもた。それだけでウチにもう出来ることはのうなってもうた。ひこーきを飛ばせれへん空母ってなんやねん。ただの的や。煮るなり焼くなり好きにすればええ。龍驤さんの丸揚げや。

 せやのに赤城も加賀も真面目やからな。哀れなウチをいたぶったりせず、マジで殺しにきよった。

 赤城が弓をお天道さんに向けて引きよった。あれはアカン、とウチは思った。もしかすると叫んでたかもしれん。まぁ、でも遠かったから赤城には聞こえんかったやろうな。赤城が発艦させたのは八機やった。そいつは太陽を背中に高く飛び上がると頂点でゆるーく孤を画きながら一気にウチのいる場所目指して降りてきた。スツーカや。独国から譲ってもろた赤城の愛用機や。

 加賀はというとウチと行き先を合わせながら進んどった。速さもピッタリ合わせて。こっちは全力で逃げて、時々、面舵一杯に切って振り切ろうとしとるのに、加賀は平然と付いてきよった。ほんで、ウチがちょっと息切れ起こしたところで、弓を引きよった。海面とまーっすぐ平行になるように。出してきたんは流星の改やった。ウチの鎮守府にある一番の艦攻や。それが五機も海面すれすれを飛びながらウチの方にやって来た。竿でも振ったら当りそうな所で流星は魚雷を発射しよった。

 そんなんが何回も繰り返された。上からは爆弾。足下からは魚雷。服の上からでもハッキリ分かるぐらい熱い爆炎がウチを焦がし、海中から飛び出してきた魚雷が臑とか脇腹を叩きよった。避けるのに必至やった。いや、あれはウチはあの時だけはある意味、運が良かっただけや。爆弾がウチの頭を一発でふっとばさんような位置で爆発してくれただけ。魚雷の当り所が肝臓とか腿とか、致命傷にならんところに当っただけ。そんな幸運が二回か、三回、続いただけや。

 いや、幸運やないか。動き回ったせいで激しゅう息するんやけど、それが火傷に響いて痛いのなんの。血はどばどば出るし、服とか艤装には火が付いとった。そのまま海に倒れ込んで鎮火せな、とも思ったけど、そんなことしたら絶対に体勢を立て直すんは無理や。ゴポゴポ沈んでくんがオチや。でも、そうなった方がなんぼかマシなぐらい痛かったし苦しかったし、絶望もしとった」

 なぁ、と龍驤は顔をあげた。

「ウチは身内に痛めつけられた上に殺されなならんほど悪いことしとったんやろうか。いや、そりゃ法律には触れることはしとったわ。パスポートもとらないで空港と港以外の場所から人を勝手に外国に連れだしとった。それ意外にもヤクザもんとも付き合ったりした。悪いことをしとる上に代金まで貰っとった。けど、それはホンマに死なな、ならんほどアカンことなんやろうか」

「それは…」

 言葉に詰まる。龍驤の質問の正解は是非で答えられるものではないのだ。明確な回答はなく、その一端が禅や哲学、宗教で触れられる程度のものだ。

「いや、わかっとるんよ、世の中そーゆーもんやって事ぐらい。納得しながら死ねるなんて奇跡や。大体は世の中の不条理を怨みながら惨めったらしく沈んでいく。そういうもんやろ」

 龍驤もその点は理解している。いや、当然か。私たち艦娘は全員、一度はその不条理に沈んだ経験があるのだから。

「そうキミも思うやろ」

 同意を求めてくる龍驤。私は僅かに目尻に涙が浮かぶのを感じながら頷いた。瞬間、龍驤の顔が皮肉げに歪んだ。

「なんて…訳やない。その時までウチもそう思っとったけど、違う。違うんや。結局、因果なんや。因果応報なんや。そうやなきゃ、ウチがあん時あないな幸運に恵まれる筈がないんや」

 奇妙な事を言い出す龍驤。はてな、と私は龍驤の顔を見る。

「当たったんや。一発だけ。それが見事に命中したんや。ありえへん事やけど。奇跡やとは言いたくないけど、当たったんや。当たってしもたんや」

 早口でなにかを言い出す龍驤。意味はまるで通じない。当たった? 何が?

「何の話なんです?」

 耳を傾け続けても龍驤は的確な説明をしてくれなかった。混乱した様子で何か戯言めいた事を繰り返すだけだった。

「本当にそんなつもりはなかったんや。身体が勝手に動いて奇跡が起きてしもうただけやったんや。あないな事するつもりは毛頭なかったんや。

 そもそもあの二人が来た時点でウチは諦めてたんや。勝てるワケあらへん。やって一航戦やで。筆頭航空母艦。決戦艦隊の切り札。空を支配する射手。歴戦の兵。勝てるワケない。いいや。勝てる負ける話やない。戦いとうなかった。戦いとうなんて、なかったんや。やって、やって、ウチの憧れの一航戦、赤城やで…」

 龍驤は泣きながら両手で顔を覆っていた。指の隙間から涙が流れ出す。手の甲を濡らし、乾いた大地に僅かな潤いを与える。

「好きやったんや。あの航空母艦が。憧れなんか恋愛感情なんか、もう、今じゃ自分の事やけど分からへん。でも、ウチが赤城のこと好きやったんは間違いないんや。それだけはウソやない。ほんとうの、ウチの、感情や」

 これは、失恋の涙だろうか。いいや、違う。そんな生温い感情ではない。ここの大地と同じような、荒涼たる寒さ。そう感じずにはいられない絶意。

 まさか、と私は龍驤が言おうとしている事に、その悲恋に気が付く。

「撃って、当てたんですか。砲を。制空権がゼロの状況で。破損した状態で。相手空母に?」

 疑問府を問いかける。顔を覆っていた両手を離し、龍驤は此方に視線を向けてきた。研磨したクロームを思わせる、感情の失せた瞳だった。

「せや」

 龍驤は応える。

「撃って、当てたんや。砲を」

 龍驤の告白に、言葉を失う。

「正直、あんな商売しとったウチにとっちゃ艦載機より副砲でも砲の砲が役にたっとった。ウチがいたあの海域は海賊とかもよう出とったからな。艦爆とか艦攻よりよっぽど早く攻撃できた。それに海上警察とかを撒くのにも艦載機より砲撃の方が都合が良かった。艦載機はウチらのと深海棲艦ので形が全然違うとるから、素人目にも分からんことはない。その点、砲撃やったら、砲弾なんて深海棲艦のかウチのかまったく判断できへんからな。言うこと聞かへん客がいたときも、和紙を切って作った式神を見せるなんかよりよっぽど効果あった」

 淡々とそう説明する龍驤。だが、私が聞きたかったのはそんなことではなかった。軽空母・龍驤の運用法に艦載機ではなく副砲を装備させる、というものがあることぐらい知っていた。その運用法を編み出したのは私がいた鎮守府だ。私が聞きたいのは撃てる砲を装備していた理由ではなく、撃ってどうなったのか。その続きだ。

 龍驤もその事を理解してくれていたようだ。いや、その場面を再現する映写機のように、ただただ龍驤は自分の意志に関係なく、昔語りを続ける。

「撃ったのはたった一発で、当ったのもたった一発やった。それで海に立っとった赤城の脇腹に大っきな、ウチの頭が収まるぐらいの大っきな穴が空きよった。赤城が立っとれたのはその一瞬後までや。げふぅ、って真っ赤な血を吐いて赤城はその場所に倒れて、沈んだ。

 ウチにトドメの一発を撃ち込もうとしてた加賀はそれを見て、弓を捨ててまで、赤城ん所へ行った。すごい速さやった。間一髪、っていうべきやろうな。赤城が沈みきる前に、加賀は赤城の手を取って引き上げよった。その時、ウチには赤城が生きとるんか、死んどるんか判断つけへんかった。ただ、顔は雪みたいに真っ白になってて、赤城の、あのキレイな黒い髪の毛が濡れて、べったりとおでこに張り付いてるんは見えた」

 涙を拭う龍驤。何処か恥ずかしそうに目を伏せる。

「ウチも加賀もそれから暫く、たぶん、何分か、そのままジッとしとった。お互い、どうしたらええんか分からんかったんや。でも、先に動いたんは加賀やった。流星改なんて目やない。ものすごい、要塞でも穿ちそうな目でウチを睨んできたんや。『このヤロウ、ぶっ殺してやる』そういう目やった。任務やのうて完全に私怨に支配された憎悪の目やった。やからやろうか。いや、倒してもうたんが赤城で、まだ生き残ってるのが加賀やったからやろうな」

 龍驤はそこで一旦、言葉を句切った。その顔には少しだけ別の感情、怒り、めいたものが浮かんでいた。

「せやからウチは加賀に言ったんや。『まだやり合うつもりか』って。『そっちは弓を捨ててもうたみたいやけど、ウチには副砲の弾がまだ残ってるで』って。加賀はウチの挑発に乗りかけた。顔を上げて、歯ぁ食いしばって、ウチを一段と強う睨付けてきた。やから、ウチはすぐにこう言ってやったんや。

『もし、ちょっとでも仕切り直しにしたいんやったら退け』って」

 そこに加賀がいるように、語気を強くする龍驤。唾が飛んだ。

「『退けや』って。『今すぐ帰って、風呂に、船渠に放り込めば、赤城は助かるかもしれへんで』って」

 艦娘の身体は頑丈に出来ている。当然だ。私たちは戦争を行うために産まれてきたのだ。人ならば、いや、生物なら致命傷たり得る傷でも私たちにとっては辛うじて死なないで済む程度の大怪我になる。龍驤の言うとおり、大怪我を負ってもすぐに入渠させれば、助かる可能性はある。喩え、腹部の半分を喪っていたとしても。可能性はゼロではない。ゼロでは。

「加賀はウチをもう一回、ウチを睨んで赤城を連れて帰ってった」

 それが結論か。だが、龍驤は更に言葉を続ける。否定の言葉を。

「帰ってしもた。そうさせたらあかんかったんや」

 龍驤は急にいきりたつと、乾いた地面を蹴飛ばした。土と小石が飛び散る。

「あん時、ウチはもっと加賀を煽るべきやったんや。加賀はああ見えて激情家やから、怒ったら絶対に我を忘れてウチを殺すことに専念する筈やったんや。せやのにウチは加賀に冷静になるように言ってしもたんや。赤城を助けろって。ウチ自身が助かりたい一心で。千載一遇の機会をものにするために、卑怯な事をしたんや。奇跡になんか頼らず、無様に死ぬべきやったんや。ウチは!」

 叫び、地を踏みならし、土を蹴飛ばす龍驤。激情に駆られ、暴走している。

「龍驤さん、貴女は…」

 どう声を掛けるべきだろう。わめき散らす龍驤に話しかけるが続く言葉が私の口から出てくることはなかった。

 龍驤は、その二つに縛った髪がもげるのでは、と思えるほど強く頭を振った。

「元はといえばウチが中途半端にエエ事をしとったせいやろうな。逃げようとする奴相手に海賊しとればよかったんや。逃げ出したい奴やのうて武器とか麻薬とか運んどれば良かったんや。そうすればお天道様はウチの悪行を見逃さず、奇跡なんて起こさへんかったんや。そうしてればウチはあの時、赤城と加賀に殺されて、キレイに地獄に墜ちていった筈なんや。

 やからウチは繰り返しとるんや、地獄に墜ちるために、もう一回、奇跡を起こさせんために。こないな仕事を、逃げる人間の背中に爆弾を落すような仕事をしとるんや」

 傷だらけのクロームを思わせる瞳をする龍驤。

「それがウチがこの仕事を続けている理由や」

 そう龍驤は最後に締めくくった。

 

 

◇◆◇

 

 

 恐ろしいまでの狂気、その一端に触れたことで私は戦慄を覚えた。指が震え口の中がカラカラに乾き、背中に嫌な汗が伝わる。

 この軽空母は、この女は、この妄念の徒はいったいなんなのだ。

 地獄に墜ちるために敢えて悪行を続ける。表面上は理屈で無理矢理自分自身を納得させ、精神ではそれを非常に忌避し心を病み、だというのに自殺のために悪を行っている。

 最初に私が冗談半分に龍驤を評した言葉――サイコパス野郎、は合っていたのだ。

 サイコパスとは猟奇的殺人者を指す言葉ではない。良心の呵責無く他者を扱う者をいうのだ。この龍驤はその極地であった。狂った自分の目的のために人を殺す。おおよそ艦娘の、いや、人間の風上に置けぬ人格破綻者だ。

 ぎりり、と私の中のなにか強い心が、恐らく正義感だと呼ばれるものが目を覚ます。撃鉄を上げるイメージ。いや、実際にそれを行う。

 私は鞄に隠し持っていたピストルを取り出した。

 茶筒程度の大きな銃身を持つ拳銃を。

 それを龍驤に向けた。

「なんや、ソレ?」

「信号弾ですよ」

 ああ、と龍驤が頷く。

 私が構えたのは小さな弾丸を発射するものではなく、大きな榴弾を一発だけ撃ち出すタイプの拳銃だった。言葉にしたとおり、中には焼夷弾や炸裂弾ではなく、自然ではなかなかあり得ないピンク色の閃光と煙を発生させる榴弾が込められている。

「それでどないするん? まさか、ウチを撃つつもり?」

「まさか」

 そんなことをしてどうなるといいうのだ。人間に向ければ確かに危険だが、鋼鉄の身体を持つ艦娘相手には梨の礫にもなるまい。信号弾本来の使い方をするだけだ。

 私は構えた銃を天に向けてた。

「龍驤さん、実は私、もう一つ仕事をお願いされていまして」

「なんや。死体の撮影だけやなかったんか」

「ええ、依頼主も政府ではないんですよ。外部の人でして」

 小首をかしげる龍驤。その彼女に真実を告げる。

「加賀さんです。貴女の鎮守府にいた」

 その名前を聞いて龍驤の顔に酷い動揺が浮かんだ。

「その加賀さんに貴女を見付けたら、この信号弾を撃ち上げるようお願いされていたんです」

 そもそもこの場所に変わった経歴をもつ龍驤がいるという情報は加賀から得たものだった。加賀は私のインタビューを受ける交換条件として、一つ仕事を提示してきた。『あの国にいる龍驤を見付けて』と。

「加賀さんはこの山の向こう、あの貴女に爆撃され焼死体になった方々が行きたかった向こう側の国にいます。観測機を国境付近ギリギリまで飛ばして、貴女を捜しています」

「……」

 龍驤は何のために、とは聞かなかった。察しているのだ。加賀がかつての続き…取り逃がしたテロリストの片棒を担いだ艦娘の始末を付けようとしている事に。

「ウチは…」

 龍驤は何かを言いかけた。だが、小さく乾きヒビを作っている唇から漏れた言葉はそれだけだった。それ以上龍驤は何も言わず、悲しそうな顔をした後、どこか安堵を覚えたかのように口元をほころばせた。その目は磨き始めのクロームのような鈍い輝きを放っていた。

 私は撃った。

 

 

◇◆◇

 

 

 

 山を越え野を越えて私は隣国まで歩いていった。

 今ならば国境を警備していた恐怖の空襲は存在しない。それはあの国が補充の警備員を寄越すまでの僅かな間だが、この枯れ山に僅かばかりの平穏が産まれたということだ。

 と、小高い山の頂に枯れ木の様に立っている姿を見付けた。私はそちらの方に向かい、歩く。足は速めない。仕事は終わったのだ。急いで報告する義務もない。

 十分近づいたところで声を掛けた。

「終わりました加賀さん」

「そう。ご苦労様」

 弓を手にしたまま直立する加賀に頭を下げる。加賀は口では応えたものの、私に倣うような真似も視線を寄越すようなこともしなかった。

 残心。弓を射ってもなお的から視線を逸らさず、第二射をすぐさま放てるよう、気を保つ事を指すらしい。まさかとは思うが、私が撃ち上げた信号弾を確認し、艦載機を放ってからずっとそのままの姿勢なのだろうか。龍驤と話しているとき高かった陽はもう傾き始めているというのに。

「あの人はどうだった…?」

 と、不意に加賀が問いかけてきた。不動の姿勢のまま。視線は代わらず、私がやってきた方向、荒野の向こう、あの全体主義国家を見ている。

「狂悪でした」

 一拍の間すら置かず私はそう端的に応える。狂悪。悪く狂っている。それしかあの龍驤を示す言葉はありえなかった。

 だが、加賀は私がそう応えるとは思っていなかったようだ。あれほどギリシャ彫刻のように均整がとれていた残心を崩し、私に反応してきたのだ。だが、彼女はやはり多くを語る口を持っていないのか、ややあってから「…そう」と例によって無感情そうに応えた。

「私はてっきり、貴女は撃たないと思っていた」

「私は討つべきだと思ったんです」

 対立でもするような言葉をつい返してしまう。

「貴女が撃たなければ私が撃っていました」

 それではあまりにも敵対的過ぎるか、と私は一言加える。だが、加賀はそれが逆に気に入らなかったようで、美しい能面のような顔に一つ皺を寄せた。

「それは困るわ。あの人は、私が殺さないといけない」

 加賀の断言。そこまでハッキリと言えるのか。私は感じるものがあり、もう少し加賀の話を聞きたくなった。

「そうですね。貴女があの裏切り者を討たなければならなかった。提督の命令を何年か越しに果たさなければならなかったんですから」

 と、私の台詞に加賀は何故か首をかしげた。「提督の…命令?」一見、感情に乏しそうに見える彼女の顔にもそれと分かるほど大きなクエスチョンマークが浮かんでいる。

「ええ、そうでしょう。ゲッタウェイドライバー。逃がし屋・龍驤。貴女の鎮守府に泥を塗った裏切り者」

 加賀にそうスラングを交えて説明する。だが、今一加賀には伝わらないようだ。やはりこの加賀もコミュニケーション能力が低い。話の意をくみ取るのもその力なのだが、加賀は私の話を聞いて、傾げた首の角度を更に鋭角にした。

「龍驤さんが難民や貧民を外国に逃亡させていた、っていう話です。それで小銭を稼いでいたと。いえ、小銭稼ぎはどうでもいいんですが、知ってか知らずかテロリストを逃がしてしまったと。そいつはよりにもよって帝国本土で御自分の仕事というか趣味をやってしまった。そのため、龍驤は貴女たち一航戦に処分されかかった。そうでしょう」

 龍驤から聞いた事を話す。けれど、加賀の首の角度は更に水平に近くなるばかりだった。眉間の渓谷もよりより深くなる。

「貴女はその任務の続きをするために私に取引を持ちかけたんじゃないんですか。裏切り者の龍驤さんを殺すために、そうしたんじゃないんですか?」

 そこまでハッキリと説明して、やっと加賀の首の角度は元に戻った。眉間の皺も消え失せた。だが、代わりにその冬の湖めいた瞳が見開かれることになった。

 何か言おうとしてか僅かに加賀の口が開かれる。だが、そこから明確な音が漏れることはなかった。何か言うべき。だが、その言葉が出てこない。端から見ていてもそうと分かるほど加賀は困惑した表情を見せ、視線を泳がせた。

「なにかワタシ間違ったことを言いましたか?」

 どういう事だろう。龍驤にも使った手だが、質問を投げかけることで話を進める。

「そう、そうね。間違っているわ」

「どこが、でしょうか。龍驤さんの話は確かに私の主観が入っていますが、それでもおおむね、彼女から聞いたとおりだと思うんですけれど」

「二つ間違っているわ」

 やっと言うべき事が決まったのか。加賀は私が問いかけてから三〇秒ほどしてから口を開いた。「何処がでしょうか」と問い返す。

「…ひとつめ。私は別に提督の命令で、あの人を攻撃した訳じゃない。もう辞めたわ。今の私は一般人の加賀。命令を遂行する義理はない」

「なら何故、こんなことを?」

 またタップリと時間を取ってから加賀は口を開いた。

「仇討ちよ。赤城さんの」

 言葉にすれば短いものだが、その裏に様々な感情を隠しているのが見て取れた。愛情、義憤、復讐心、うねりをみせる感情、それに嫉妬めいた青白い炎。これは一つの言葉では表しきれるものではない、と私は頭を振った。

「私は赤城さんが好きだった。同僚として。ライバルとして。友人として。人として。その赤城さんを沈めた龍驤さんを私はどうしても赦すことが出来なかった」

 そう殺意を語る加賀。

「だから、これは、これはただの私怨よ。全く誉められたものではないわ」

 だが、加賀はそんな言葉を口にした。後ろめたさを憶えているような、不満足げに顔を曇らせている。

 どうしてだろう。龍驤は狂っており、自分で考える自殺のために人々を殺め業を募らせていた。道義的には彼女は討たれるべきである。そうして、加賀にはそれ以外にも義憤、赤城の仇を討たねばならないという大義もあった。聖職者でもなければ多くの人が加賀の殺意を肯定するだろう。現に私も加賀の功労を認めている。

「もう一つは…」

 その疑問が私の中で解決しないまま加賀は続くもう一つの間違いを指摘してきた。なんだ、と耳を傾ける。

「龍驤さんじゃないわ。赤城さんよ」

「え?」

 だが、私は加賀の口から漏れ出た言葉をすぐには受け止めきれず、聞き返した。どういうことだ。なんだ、何を言っているんだ。

「だから、テロリストを逃がしていたのは龍驤さんじゃないわ。赤城さんよ」

「え、だって、そんな…」

 私はメモを取り出し、龍驤から聞いた話、すべてを加賀に伝えた。加賀は大部分で頷いていたが、龍驤や赤城の名前が出る度に顔を曇らせた。自分の名前は出ても無反応だというのに。

「それで…赤城さんを撃って、逃げたと。そう聞きました」

 なんなのだろう。何か足下が瓦解していくような不安を憶えている。私は一体誰から何の話を聞いていたのだろうか。

「…大筋は間違っていないわ。私の記憶と一緒。でも、配役が違う。やっぱり、難民やテロリストを逃がしていたのは赤城さんで、その懲罰に出向いたのは私と、龍驤さん――だったわ」

「どういう…ことなんですか、詳しく教えてください」

 頭を下げる。加賀は難しそうな顔をした。

「そう言われても。今の話で全部よ。ちょっと違うところがあるとすれば、私たちは…私と龍驤さんは二人掛かりで赤城さんに負けかけていた。赤城さんが逃げてしまう所で龍驤さんが撃ったの。撃って当てて、そして、赤城さんを沈めた。それが本当の話の結末よ」

「それじゃあ…」

 頭の中が混乱している。考えがまとまらず、同じ文言が何度も思い浮かんでくる。それでも何とか、結論を口にする。

「龍驤さんは赤城さんがしていたことを、自分がしていたと思い込んでいたと。そういうことなんですか」

 これは、ある意味で納得がいく。確かに龍驤の話には、特に移民の手助けの件において抜け漏れが多く発生していた。当然だ。実際に龍驤はそれを行ってこなかったからなのだ。

 だが、その理由が分からない。どうして、龍驤はそんな勘違いを起こしてしまったのだろうか。国境警備に付き、罪のない人々を殺す仕事を与えられたからなのだろうか。

 だが、その真意を知る方法は最早、地球上には残されていなかった。他ならぬ龍驤は加賀の手によって、自らが殺めた人々と同じ末路を辿ったのだから。

 それでも、曲がりなりにもかつては同じ鎮守府で肩を並べ戦っていた加賀には、龍驤に通じるものがあったのだろう。ぽつり、と回答めいたことを口にした。

「自責の念、でしょうね」

 赤城を殺した。その自責の念で狂ってしまった。

 ああ、と私は思い出す。狂った龍驤もそう言っていたではないか。

『ほんとうの、ウチの、感情や』

 と。

 

 

◇◆◇

 

 

「そろそろ行くわ」

 それからどれぐらい私は放心してしまっていたのだろう。ボウッとしていた私に加賀がそう声を掛けてきた。

「…どちらにですか」

 荷物をまとめる加賀にそう問いかける。加賀は何故かあの全体主義国家、龍驤の死に場所に足を向けていた。

「隣の国よ。丁度、国境警備に欠員が出たでしょうから、簡単に入り込めると思うし」

 加賀の言葉に私は目を見開いた。

 だが、身体は動かなかった。関わるな。私の理性と本能と経験がそう告げている。もう、この狂った空母たちに関わるなと。関われば引き釣り込まれるぞ、と。

 私も自分の荷物をまとめると加賀とは全くの逆方向へと歩きはじめた。別れの挨拶はなかった。

 

 

 

 数年後、東欧の全体主義を取るある国が滅んだという話を耳にした。

 国境を警備している空母の話は聞かなかった。

 

 

 

END




物理書籍版と同じ内容です。
pixiv版から更にお話が続いています。
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