深海棲艦との戦争後、重巡『青葉』はある目的を果たすため世界中を旅していた。人間社会に混じりながら、馴染みながら、或いは叛逆しながら第二の戦後の生を歩む艦娘たちにインタビューしながら。
今回は軽空母・飛鷹のエピソードです。
出発してから八時間。退屈で疲れるだけのものだと思っていた旅は、けれど、予想に反し地獄のハイウェイさながらの危険なものになっていた。
激しく揺れる車体。乗客のけたたましい悲鳴。エンジン音を伴って背後から迫る敵意。そして、銃撃。窓ガラスは割れ、車体に幾つも弾痕が穿たれる。バスは暴走馬さながらの勢いで走っている。それでも横転を起さないのは運転手の繰舵技術を流石と褒めるべきか。
「ああもぅ、なんだってこんな! 星の巡りが悪すぎるわ!!」
が、流石にその賞賛の言葉を聞いている暇はなさそうだ。パイ生地でもこねているようにハンドルを回し、休みなくアクセルとブレーキを踏みつけている運転手にそんな余裕はない。一手失敗すれば自分はおろかバスもその乗客の命さえも危ういのだから。
しかし、運転手がいくら巧みなドライビングテクニックを発揮していたとしても所詮は脱兎。いずれ狩られるのがオチだ。なんとかして追っ手を撒くか、退けるかしなくてはならない。だが、その方法は? 手段は? はたして打開策はあるのだろうか。
「そこのところどうお考えですかイズモマンさん」
「イズモマンじゃなくて出雲よ。ああっ、もう、アナタもそこでメモやら写真撮るのやら止めて、なにかしてよ!!」
私は肩をすくめ、唇をひんまげる。なんとかしてといわれましても、二時間も前に何とかしたじゃないですか。
冒頭から二時間前、つまり出発してから六時間。窓の外を流れる風景はまったく代わり映えのしないものだった。
これが大海原ならまだ、この旅路を楽しむことはできただろう。群青の海と青雲広がる空。海面下には無数の生き物たちがいて、そうして水平線の向こうに敵はいない。まさしく平和の海、太平洋。あの激しい戦いの中で私達誰もが望んでいた風景だ。
けれど、現実の風景は酷く殺風景なものだった。
岩と砂。ぺんぺん草の一本も生えていない不毛の大地。生き物などただの一匹もいないだろう。そんな光景が地平線の向こうまで広がっている。どのタイミングでシャッターを切ったとしても『殺風景』の良い見本写真を収めることができる。いや、良いかどうかはわからないけれど。
そんな風景を心象にさえ映しているのか、乗客の顔もまたつまらないものだった。眠りこけている者。ぼろぼろの本の頁を読みもせずめくっている者。とうに空になってしまったスキットルに口を付けている者。誰も彼も仏頂面で、時折、囁くような話し声が聞こえるだけで車内はお通夜のように静まりかえっている。まるで空気が澱んでいるように息が詰まる。
窓を開けることが出来ればすこしはこの澱んだ空気も払拭できるだろう。だが、生憎と窓ははめ殺しで、開けることは出来ない。いや、開けても快適にはならないだろう。むしろひんしゅくを買いそうだ。何せ外は砂漠。こんな場所で窓を開ければ砂埃が吹き込んでくる。多量の塩分を含んだ砂埃だ。健康にも影響が出そうだ。窓を開けることは出来ない。
美しい風景も楽しむべき雰囲気もない旅路。果報は寝て待て、ではないけれど、どうやら目的地に着くまでは寝て過すのが一番楽か。古今東西。つまらない乗り物の乗り方はそれに限る。
そう結論づけたいところだけれど、それは机上の空論になるだろう。私達が腰掛けている座席はどれも粗末なものだ。
私が座っている座席はバス備え付けのものだが、スプリングが錆び付いてしまっているのか、体勢を変える度に耳障りな音が聞こえてくる。それでもまだマシな方だろう。後ろの座席は何処からもってきたのか、ひび割れたベンチの一部分だし、右となり前の席など明らかに手作りと思しき、それも下手くそな木製の椅子だ。
くわえ、車体に装着されているサスペンションはとうにお亡くなりになられているのか、大地蹴る車輪の振動をダイレクトに伝えてきている。嵐の海上も酷かったが、こちらはより鋭角的な揺れを感じる。こんな状況で眠れるのはよく訓練された加古だけだろう。
しかし、文句ばかりは言えない。オーストラリア北部、ダーウィン行きのバスの数はそう多くないのだから。
乗客達もそれを理解し、黙ってこの苦難の旅を続けている。
「うまい商売なのかしらん」
数時間ぶりに自分の口から出た言葉は独白であった。
なんとはなしに運転席に目を向ける。合成樹脂のハンドルを巧みに操作する細い腕が見えた。指揮者や奏者のような優美な指先の動きとは相反する力強いドライビングテクニック。私はその感想を愛用するメモに書き記した。
今はそういった私の主観、感想だけでいいだろう。具体的な話は向こうに着いてからにしよう。それまで代わり映えしない景色とこの固い座席と付き合っていくしかない。
そう、覚悟を決めた矢先、勢いよく走っていたバスは次第に速度を落し始めた。なんだ、と思っている内にバスは停車してしまった。
もぅ、という軽い悪態。それにバタンと力任せに扉を閉める音が続いた。
沈黙を保っていた乗客達もこの状況になんだなんだと声を上げ始めた。もっとも私は、
「スクープのチャンス、ですかね?」
既に席を立っていたが。
バスから降りるとまず眼に付いたのは進行方向を遮るよう、駐められていた二台のジープだった。カーキ色をしていて如何にも頑丈そうな造りだ。その回りに同じくカーキ色の服を着た男が数人立っていた。ジープは彼らがここまで運転してきたのだろう。男達はいずれも屈強そうで、あまり親愛的な感じのしない笑みを顔に張り付けている。出来るならかかわりたくないタイプ。その所感を特に強めているのは彼らがたすき掛けに携えている銃火器の所為だろう。
「AKと…M4? かなぁ」
生憎と火器についてはそこまで詳しくはない。けれど、カラシニコフは兎も角、カービンライフルなんてそこそこ良い火器だ。カーキ色の服も汚れてはいるがしっかりとした軍用品に見える。
「ふむ」
そこから彼らの正体について二つ推測が立つ。一つ目は彼らが何処かの軍に所属している軍人だという推測。もう一つは所属していた元・軍人という推測だ。この場合、より悪い正解は後者だろうか。それとも、
「ん-、後腐れ悪い前者の方が悪いかしらん。っと、そんな場合じゃないか」
ジャケットの内側からデジタルカメラを取りだす。横領品のストラップで首に掛けていたが、盗難防止のため一応、服の下に隠していたのだ。
スイッチを入れる。電子音の後、一秒ほどでカメラは撮影可能になった。カメラを構えつつ集団に近づく。なにやら怒鳴り声が聞こえてきた。
「はぁ、なによそれ!?」
バスの影からちらりと覗くと運転手と軍人らしき男達がなにやら言い争っているようだ。
「だから、通行料として100,000Rpが必要なんだって」
いいや。言い争いと言うより運転手が食って掛かっているのを軍人風が軽くいなしているだけだ。温度差は歴然で、クレーマーが売り物に難癖付けるに場面に出会した気分になる。そんなもの盗み聞きしてもいい記事にはなりそうもない。
「聞いていないわよ。そんなの。第一、出発前に入出国管理局にはタックスきちんと納めたわよ!」
だが、話を聞いていれば確かに分は運転手側にあるようだった。それ故か、物応じする様子を見せず運転手はなお軍人たちに食って掛かっている。
「とっとと確認してよ。第一、こんなところで徴収っておかしいでしょ」
「ああ、入管ね。入管。そっちとは別なんだ」
「ああ、そうそう。えっと、なんだっけな…国家安全保障なんちゃらかんちゃらってヤツだ」
肩を震わせる運転手。軍人達がいい加減なことを言っているのは端から見ていても間違いない。恐らくこの近辺をパトロール中にバスを見つけ、その場でいい加減な打ち合わせをしてこんなたかり行為に及んだのだろう。まったく、どちらが取り締まられる側なのかとげんなりする。
「チッ、ああ、もぅ、わかったわよ」
とはいうもののこんな砂漠の真ん中で武器を持った集団に安易に逆らうのはまったく得策ではない。戦前であろうと戦時中であろうと戦後だろうと、結局、場合によって暴力は一番の交渉術なのだから。
悪態をつきながら運転手はポケットに手を入れ、ごそごそとまさぐり始める。
「米ドルでもいいぜ」
それを嘲う男達。こちら側からは見えないが、きっと運転手の顔は険しいものになっているあろう。
「はい。円でもいいでしょ。100,000Rpより価値はあるはずよ」
紙幣を一枚取りだす運転手。とたんに軍人達の眼の色が変わる。帝国円は今はもう発行されていない通貨だが、それでもアジア圏では下手な現地通貨より信用があるらしく、使えるところも多い。古銭コレクターに高く売れる、という話も聞いたことがある。
軍人の一人が運転手から紙幣を奪うように取る。それをまじまじと見つめ陽光に透かしてみたりした。真贋を確かめているというよりかは手に入れたことを喜んでいるようだ。他の仲間達も肩寄せ合うような距離まで詰め寄り、天日を受けるよれよれの紙幣に砂金にそうするような眼を向ける。
「じゃあね。通ってもいいわよね」
話は終わったと踵を返す運転手。軍人達は聞いているのかいないのか分からない風だったが、どのみちバスが動き出せばジープを退かさなければいけないだろう。
と、
「待てよ」
バスに戻ろうとする運転手の背に通行料を受け取った軍人が声をかける。
「他の乗客の分は?」
「他の?」
振り返る運転手。疑問符を浮かべている、というより浮かべているのは苛立ちだろう。
「そうだぜ。こいつはお前の通行料。けれど、バスの中の乗客の分は貰ってないじゃないか」
「あ-、ああ。そうそう。バスの分もな」
別の男がそう付け加える。如何にも今考えましたよ、と言い切れる台詞だ。
「15から20は乗っているだろ。それで200,000。バスと荷物の分も合わせて250,000が妥当ってところか」
「そんな大金払える訳ないでしょ!」
大声を上げる運転手。250,000…2,500,000Rp。この辺りの物価なら三ヶ月は優に遊んで暮らせるような大金だ。運転手の反応も頷ける。
「別にお前が全部払えって言ってないだろ。実際の所、払わなきゃいけないのはここを通る乗客の方なんだから。ほら、さっさとバスに戻って客に事情を説明してこいよ。『お客さま、大変申し訳御座いませんが通行税がもう100必要となっております。お手数ですが、財布のご用意を』ってな」
後ろからでも運転手の肩が震えているのがわかる。まるで過剰に石炭をくべた炉だ。今にも爆発しそうだ。けれど、どうしようもないだろう。早くしろ、と言う代わりに肩から下げた突撃銃を揺らして見せる軍人。
運転手は観念したように再びポケットに手を入れた。だが、それは先程、紙幣を出したポケットとは逆方向だった。まさか、と思案。運転手の肩はもう震えていなかった。
「ああっ、もう」
頭を掻いて、私は今まで隠れていたバスの影から一歩足を踏み出す。このまま放って置けば私のお財布の中身まで危うくなってしまいそうだ。それにあの荒くれ共達の行為も目に余る。危険すぎる。
「どもども、ENNです」
一団の前に躍り出ると同時にデジカメのフラッシュを焚く。それ自体に意味はない。真面目に写真を撮るつもりはないからだ。フラッシュの光はただの鶴の一声だ。お陰で全員が私に注目してくれた。
「イーネヌエヌ?」
「はい。帝国新聞の者です」
軍人の問い掛けに満面の笑みで応える。更に挑発するようにもう一枚パシャリ。フラッシュの眩しさに何人かが目を覆う。
「帝国新聞だぁ?」
運転手の方は私がバスに乗る時に姿を見かけていただろうからか、そこまでではなかったが、男たちは予期せぬ参加者に明らかに警戒を高めているようだった。
「はい。所謂、記者ですね。やや、どうも。本日はお日柄もよく、お二方、お努めご苦労様です」
頭を下げてそう挨拶。名刺を差し出せれば良かったのだが、生憎と帝国新聞というのは真っ赤な嘘なのでこのまま押し通すことにする。
「今日は、東南アジアの交通事情を取材させてもらってます」
ぱしゃり、ともう一枚。兎に角、今は何かしらの行動を取って、イニシアチブを握らないと拙い。死体を見ることになりかねない。
「ああ、そうかよ。取材なら好きなだけしてくれ。でもな、通行税は払ってもらうぞ」
「それがですね。ワタクシ、インドネシア政府様から免税手形を与えられておりまして。ええ、こういうご時世ですからね。何処に行くにしたって出入国税やら通行税やらほにゃらら税でしょう。それじゃ、さすがに自由に取材なんて出来ませんから。ツテを辿ってさるお方から戴いたんですよ」
見ます? と鞄の中をまさぐり、他国…確かアメリカでもらった荷物用のタグを男たちに見せる。明らかに学のなさそうなこの男たちには真偽の程は分からないはずだ。
案の定、男たちは顔を見合わせた後、納得いったようないっていないような顔をしたが、最終的に分かった、と頷いてくれた。ほっと内心、胸をなで下ろす。
「じゃあ、通してくれますよね」
「あ? 何言ってるんだお前!?」
次いで私がそう言うと今まで余裕を見せつけていた男たちが素っ頓狂な声を上げた。
「お前がOKなのは分かったが、他の奴らは違うだろ!」
「いえいえ、あの人たちはうちのスタッフですから」
激昂する男に対し私はそう応えてやった。笑いながら。
「免税手形は関係者全員に効力を発す、ってここに書いてありますから」
適当な英字の羅列を指さし、そう説明する。男たちが僅かに殺気立つ。それを抑止するため更に嘘を重ねる。
「ああ、でも、ただ通るだけじゃあれですから。皆さんのこともきちんと取材しておきますよ。国家の財政のため、また国境警備のために汗を流す皆さんのことは。ええ、何でしたら“あの方”にその事をお伝えしておきますよ」
この頑張りが認められて首都勤務、なんてことになるかもしれませんね、とリップサービスも忘れないでおく。そんな私の言葉に男たちは小刻みに身体を震わせた。感情を抑えているのだろう。ともすればトリガーに指をかけかねない。これ以上、攻撃を加えるのは拙いかな、と分析。場の空気を切り替える目的も込めて手を鳴らす。
「まぁ、運転手さんだけはウチのスタッフじゃないんで、免税って訳にはいかないんですけれどね」
そう強引に話を終わらせる。男たちも渋々ではあるがそれで納得したようだ。痛み分けのC敗北と言った処か。
「いやっ、ちょっと、アナタ…」
「いいから」
まだ、事情が今一飲み込めていない運転手に顔を寄せそっと耳打ちする。
「ここで両成敗にしておきましょうよ。彼ら、やってることは嘘かほんとか分からないですけれど、身分と銃だけはホンモノですよ」
死体、こさえたいんですか。最後に言った言葉が効いたのだろう。運転手はなんとか納得してくれたようにため息をついた。
「悪かったわね」
バスに戻る途中、そう運転手が私に声かけてきた。バツの悪そうな声。視線を合わせられないのか、乾いた大地を見ている。
「いえいえ、どういたしまして。まぁ、ここでトラブって向こうへ行けなくなって困るのは私もですから」
「そう。そうね」
肯定の言葉はどちらかと言えば自分自身を納得させるためのようだ。真面目な方だなぁ、と内心で感想を漏らす。今のご時世、生きにくそうだ。最も、それはそれで面白い話が聞けそうだと私の記者センサーに感あり。自然と唇が笑みを作る。
「あ、お礼をしたいんでしたら一つ、私の言うことを聞いてくれませんか?」
「何? 運賃まけて、って言うんならここに置いていくけど」
「いえいえ、ちょっと座席を変えて欲しいんですよ」
「? いいけど」
「じゃあ、お言葉に甘えて。助手席に載せて貰えますか」
はぁ!?、と声を上げる女性。ぎょっと、撤退しようかとジープに乗り込み始めている男たちの注目を浴びることになる。
「いえいえ、私が記者ってのは本当ですから。アジアの交通事情なんてまったく興味はないですけれどね、アナタには興味津々なんですよ」
ああ、そういうこと、とすこし運転手は困った顔をしたがそれでも無下に拒否されることはなかった。
「そう言えばお名前をお伺いしてなかったですね」
助手席に乗り込む直前、それを思い出して運転手さんに問いかけた。
「名前はひよ…じゃなかった、出雲丸よ」
そう応える運転手。出雲丸。
「アナタは?」
手袋を脱いで平手を差し出してくる出雲丸。道中の友情を誓う行為、という事だろうか。そう嫌いではない。だが…
「私ですか」
躊躇いは一瞬。私は差し出された手をとって名乗る。
「海野と言います」
「ウンノ…?」
私の『名前』を繰り返す『出雲丸』さん。一瞬、空気が停滞したような、敵艦に向けて魚雷を放った直後の緊張のような間が雰囲気が私達の間にたゆたう。
「まぁ、いいわ。乗って。助手席は基本、荷物置き場にしてるからちょっと座り心地は悪いと思うけど」
「…客席より悪いんですか」
しまった、と思うが後の祭り。まぁ、戦闘機動する訳はないだろうから我慢するとしよう。
運転手の出雲が言ったとおり、客席がファーストクラスに思えるほど助手席の乗り心地は酷いものだった。いや、そもそも席の体をなしていない。座席は壊れたからなのだろうか、取り外されていてプラスチックの板がしいてあるだけだった。そこにボストンバッグやら水筒、食べかけのチョコバー等が無造作に置いてある。
それらを横に寄せて何とか私のお尻が収まるだけの場所を作ったが、シートベルトもなく当然座り心地は最悪だ。踏ん張っていないと転がり落ちそうだった。
「どうする。やっぱり後ろに座る?」
問い掛けに私はいいえ、と首を振った。
「お話聞きたいですし。といううことでさっそくなんですが」
メモを取りだし取材モードに移行。出雲はやれやれといった風に軽くため息をついてからバスを発進させた。
「いつ頃からこのお仕事をしているんですか?」
「んー、3年ぐらい前から、だったかな」
話を聞きながらも質問とその答えをメモする。出雲も私の方には視線も向けず、ハンドルを操作している。
「へぇ。といううことは戦後すぐ、って訳じゃないんですね。その間は何を」
「何をって、まぁ、色々よ。力仕事やったり、警備やったり。そこら辺は貴女もじゃないの」
「まぁ、そうですね」
「落ち着いてからはタクシードライバーとかしてお金を貯めて、このバスを買ったの」
このご時世、こんなおんぼろバスでも手に入れるには結構なお金と労力が必要なはずだ。思い立ったから、買ったでは済まない。
「手に職、というやつですか。景気はどうです? 往復の復は少ないにしても、この辺りならオーストラリアに行きたがる人は多そうですし」
「そうでもないわよ。やっぱり、住み慣れた土地を離れたくないって人は多いし、何処かに行ったからって、そこで上手くいくって保障もないわけだしね。まぁ、否応がなしに行かざる得ない人もいるけど。たぶん、後ろの人達の中のほとんどはそうなんでしょう」
私達みたいにね、と小さな声で呟く出雲。私はその言葉はメモには取らなかった。
「そんな人達にふっかけるような高い運賃は請求できないしね。働いて分かったけれど、やっぱり世の中うまくできてると思うわ。代金が過剰に高いか、安いって商売は長続きしない。バランスね、バランス。とはいうもののガソリンも年々高騰してきているし…値上げ時かしらね」
ふぅ、と出雲はため息をつく。帳簿の数字を思い出しているのだろう。どこもかしこも世知辛い。
「どうです。転職とかは考えていないんですか?」
私の問い掛けに出雲は『何を言っているんだコイツは?』という顔を一瞬した。拙い質問だった、と内心で自分の失態に歯噛みする。
「うーん、そうね」
が、出雲は私の心中など当然素知らぬもの。いや、自分の表情も分かっていなかったのか、考えるような仕草をする。
「運転手が、上手くいかなくなったら考えざるえないでしょうけど、今はそこまで逼迫していないしね」
なんとはなしに今考えて言ったような口ぶりではないか、と感じる。言い訳? 本心じゃない? その所感もメモに取る。
「成る程。まぁ、いきなり転職するってのも考えなしで、うまくいきっこないですもんね」
「それにまぁ、出来る限りこの仕事は続けていきたいの」
今度の言葉は本心だな、と私は感じる。恐らく間違いじゃない。それはどうして、と私は出雲の考えを探り出すための言葉を続ける。
「そりゃ…言ったけど、苦労して買ったバスだし、それに…」
「それに?」
問いかけを返せるほどの僅かな間。色あせた紙面を走っていたペン先も止る。出雲は一瞬だけ目蓋を閉じ、そうして口を開いた。
「開戦前、そう開戦前の当時、私は軍の支援で育てられていた。表向きは豪華客船の船員として。表向きは。でも、実際は有事に備え、開戦の暁には精鋭を率いて敵陣に斬り込む兵士として。うん、そういう人生だった。いえ、その事に対して恨みだとか不満だとかはないわ。御国のため…っていうと右翼っぽくて嫌だけど、まぁ、もし、平和だったら乗せていたかも知れない人々を守る為にね。でも、当時はそうはならなかった。当時は。戦いは激しいもので、結局、私はまっとうに民間人を乗せることなく、沈んでしまったわ」
長い語り。私は何も言葉を挟まず、耳を傾け、ただただメモを取る。
「あの当時、私に心だとか精神とかいうものはなかったように思うけれど、それでも、こう想っていたの。着飾った婦人や正装のジェントルマン、社交界デビューの子供達なんかを乗せてゆったり神戸から横須賀まで遊覧。そういう人生を送りたかった…って」
遠くを、バスの進行方向ではない、遠くを、時間とか精神とかそういった意味での遠くを見つめる出雲。
「それを今、私は叶えているの」
その横顔は、ああ、恐らくは尊いものなのだろう。哀愁と希望。その狭間にあるもの。かつて願った夢を形は違えど叶えている様。それは異国の地で垣間見た故郷の風景に似て素晴らしいものだ。けれど、
「貴船も捕らわれているんですね、艦娘の宿命に」
私はその感情に対し、唾棄す。理性による憤りを覚える。つい出てしまった独白は、けれど、出雲の耳には届かなかったようだ。なに、と聞かれたが私は応えなかった。
車内に微妙な空気が漂い始める。私と出雲の出会いの時に流れた空気と同じ臭いがするもの。息が詰りそうな濃霧と油煙の臭い。
「まぁ、乗せているのは出稼ぎオケラさんたちで、遊覧どころかエイエスエイピーな運行だけれどね」
そんな空気を払拭しようとしてか、出雲はそんな自虐めいた冗談を口にする。反省。私はメモを閉じると敢えてわざとらしいほど声を上げて笑った。
「どうです、豪華客船に少しでも近づけるために美人バスガイドでも雇ってみては」
「いいアイデアじゃない。既に美人運転手がいるのに更にバスガイドを雇わらなきゃいけないのか、って疑問点に目を瞑ればだけれど」
二人して笑いあう。乗客達が怪訝そうな視線を向けてくるがお構いなしだ。こうして茶化していないと、とてもじゃないが素面でいられない。
と、
「……」
一緒に笑いあっていたはずの出雲がいつの間にか真顔になっていた。
「どうかしたんですか?」
「しっ」
黙っていて、と平手を翳される。後ろで何かあったのだろうか。そう思い、自分の側のサイドミラーに視線を向ける。代わり映えのしない砂漠に一点、黒い影が見えた。
「ん?」
目を懲らす。それが自分たちに追従してくる車だと気がつくのに二秒ほどかかった。
「あれって、さっきのジープでは?」
「そうみたいね」
出雲の目が険しくなる。
「徴収漏れの税金でもあったのでしょうか?」
「それ冗談? でも、たぶん」
正解ね、という言葉と共にバスは加速する。背中が座席に押しつけられる。
「逃げるっていううか、逃げ切れられるんですか?」
「多分無理」
私の希望的観測を簡単に切って捨てる出雲。だが、聞く前から分っていた事だ。愚鈍なおんぼろバスには何十人という人間が乗っていて、まともな戦闘速度は出せないだろう。対し、あちらはこんな荒野を走るのに適したジープだ。ウサギとカメじゃないが、相手の慢心以外私達に勝目はない。
「一旦車を停めて事情を聞いてみるというのはどうでしょう?」
或いはまた騙くらかすか。追跡の理由は先程ダマされたことに気がついたからだろうが、あの知能指数85どもならもう一回ぐらいは騙せると思う。
「お断りよ。それに向こうもそんなつもりはないと思うわ」
「え?」
私の疑問はシンバルをかき鳴らしたような音が回答となった。続く乗客の悲鳴と。
「なんですか!?」
窓を開け身を乗り出し、サイドミラー越しではなく直接後方を確認する。マズルフラッシュ。私はそれが彼らが持っていたライフル銃から放たれたものだと即時理解する。
「撃ってきましたよ!!」
「分かってるわよ!」
取り敢ず記念に一枚パシャリ。と、車内から「何してるのよ」と叱咤の声が飛んできたので身を引っ込める。
「あれは怒り心頭ですねぇ」
「でしょうね。誰かさんが見事にペテン返しなんてするから」
「あやや、でも、あの場面はああでもしていないと全員身ぐるみ剥がされてましたよ? それに出雲丸さんが帝国円なんてレアもの出すから目をつけられたんじゃないですか」
「今更言っても後の祭りでしょ!」
それより運転に集中させて、と出雲は語気を強める。たしかに、責任の擦り付け合いをしている場合ではない。それに悪いのは向こうの悪徳軍人だ。
急加速するバス。体が座席に押しつけられるよう。
出雲は前方を睨み付けるよう凝視している。この速度だとちらりとでも脇見すれば危険だ。クレバス、地表から頭を覗かせている大岩、サンドパウダー。あらゆる障害物が前方に立ち塞がっている。加え、後ろからは怒りに我を忘れた悪漢達が凶弾をばらまきながら迫る。彼らの攻撃も避けなければならない。
「乗客の皆様!」
にもかかわらず、出雲は片腕を伸ばすとそう叫んだ。マイクに。車内放送だ。
「危険ですので、決して立ち上がらないでください」
運転手の鏡ですね、と私は感心する。もっともこんな戦闘機動中に立ち上がる馬鹿はいないだろうが。
「ちょっとハンドル持ってて!」
「えっ、ええ!?」
いいや、いた。それも乗客につい今し方立ち上がるなと言った運転手がだ。私の返事を待たず出雲は立ち上がる。慌ててハンドルをひっつかむ。嵐の夜の舵のようにハンドルは酷く重く、位置を維持するだけでも難しかった。そんな私の運転を邪魔するよう、男達の放った7.62が私の側のサイドミラーを破壊する。煌めく破片を散らしながら遙か後方へと落ちていくミラー。地面に付いた瞬間は見えなかったが、更なる衝撃を受け錐揉みし、百の破片に砕けてしまうのは想像に難くない。
「まっすぐ走らせて!」
なにを、と私は出雲に質問を投げかけるが彼女は無視してきた。応えている余裕がないのか、それとも応えたくないのか。判断が付かぬまま、彼女はドアを半開きにすると半身をバスの外へとさらけ出した。
高速で走るバス。落ちれば例え彼女であろうとひとたまりもないだろう。打ち所が悪ければ死。そうでなくとも中、大破は必死だ。
加え、私達を追尾する荒くれ共は群れからはぐれたガゼルよろしく出雲に傾注するであろう。案の定、運転席側に攻撃が集中する。フレームに銃弾が当たり、火花が散り、窓ガラスが破砕する。かつてを思い出す嫌な光景。
「っちょっと!」
「わぁ、すいません!!」
思わずハンドルを握る手の力が抜ける。危うく高速で疾駆するバスは横転しそうになる。
「まっすぐ走らせてって言ったでしょう」
「いやや、無理ですって!」
「無理でもやる!」
まっすぐどころかなんとか平坦な場所を選んで走らせるのに精一杯だ。ましてやアクセルは出雲が踏みっぱなしだ。威嚇射撃か。なにかをするつもりなのだろうが、何でもいいから早く済ませて欲しい処だ。
と、横目で出雲の様子を伺うと彼女は懐に手を入れているところだった。紙幣を取りだした方とは逆のポケット。
「ちょ、ちょっと!」
「なによ!」
今度は、いや、今度も私が彼女を止める。
「なにするつもりなんですか?」
「打って出るのよ」
逃げ切れないんだから反撃するしかないじゃない、と出雲。熱した銃身のような怒りを瞳に浮かべている。私は再三、やめろと声を上げるが出雲はもう聞く耳持たない。ドアを開け身を乗り出し敵を睨み付ける。
「私の大切なバスに傷つけて…絶対に許さないんだから!」
言って出雲丸はそいつを取りだす。ヒトガタに切り抜かれた白紙。いや、それは人の形ではない。鳥、空を翔るもの。
「征け! 大鷲となりて我が敵を討て!!」
目くらましにもならぬような紙片はけれど、放たれた刹那、出雲の号令下、その姿を変える。自在に飛翔し、雲を越え、大空の侍となり敵に迫る。
私の視界に映ったのはその一瞬の場面だけ。だが、結果は分かる。あれで責め立てられて無事なはずがない。かつてよく見た光景だ。水面に浮かぶものを蹂躙する絶対暴力。対空火砲でもあれば話は別だが、突撃銃如きで落せはしない。九九艦爆。その火力はすべてを海の藻屑とする。
私が心中で嘆息を漏らすと同時、後方から爆発音が聞こえてきた。バックミラーに目をやると爆発炎上するジープの姿が見えた。そこから投げ捨てられたように車外に飛び出していく人の姿も。あれでは助かるまい。顔の判別が付けばマシだ。自分の母親でも見分けが付かない格好になってしまっているだろう。
「どう、だっ」
荒い息をついて肩を怒らせたままの出雲。まるでまだ敵がいるかのように緊張している。運転席から身を乗り出したままだ。
「あぁ…やってしまいましたね」
「なによっ!」
私の嫌味にも出雲はまだ運転席に戻らない。後ろに向けていた敵意を私に切り替えるよう、視線を向けてくる。
「いやいや、出雲丸さん。腐っても、腐ってても、腐りきっててもアレは国の軍隊ですよ」
「だから!?」
「いやいや、だからって。あれはアシダカグモみたいなものじゃないですか。どんなにキモくても潰しちゃいけないタイプの虫ですよ! どうするんですか。指名手配とかされたら」
売り言葉に買い言葉だ。私と出雲は運転席でお互い声を荒げ言い争いを始めてしまう。座席の乗客達がなんだと怪訝な視線を向けてくるのが分かる。
「じゃあ、車駐めて身ぐるみ剥がされてれば良かったっていうの!?」
「そうは言いませんよ! 私が言いたかったのはせめて威嚇ぐらいにしておけばよかったって事です」
「それで向こうが逆ギレしてきてロケット砲なんか出してきたらどうするのよ。先手必勝は戦争の基本でしょ。あの時、学んだじゃない」
「戦争じゃないでしょう。殺しちゃいけない相手って言ってるでしょ!」
「殺すべき相手よ!」
一際強く言い放たれた言葉に私はもう帰す言を思いつかなかった。ため息しか漏らす事は出来ない。私はメモを閉じ、カメラと一緒にしまい椅子に深く腰をかけ直した。もっとも頭の中ではどのタイミングで後ろの席に戻ろうかという事を既に考えていたが。
しかし…と、そこで思考が飛ぶ。
出雲丸はどうして敵の殲滅を選んだのだろうか、ということに。つい声を荒げてしまったが私の言った『せめて威嚇』は一番正しい判断だったと思う。向こうは殺す気でこちらに銃撃を加えてきてた訳じゃない。完全に脅しだった。だったら、こちらが相手以上の武力を持っていることを示せば良かったのだ。あの悪徳軍人どものちのうしすうは低そうだったが、それでも損得判断ぐらいは出来ただろう。間近くに爆弾を落してやれば驚いてクモみたいに逃げていった筈。
出雲丸がそんな判断が出来ない娘だとは思えない。なにか思惑があってのことか。それとも…
私の思案を余所に出雲は仏頂面で運転を続けている。その顔に私は一抹の安堵を見つけた。ああ、そうか、と私は心中で嘆息を漏らす。出雲丸が過剰防衛した理由が分かったのだ。それは私が個人的に嫌いな理由ではあったが、それでも十分納得出るものだった。
私は自分の手荷物からスキットルを取りだした。特注の頑丈なもの。蓋を開けて一口中身を煽ってから、出雲に差し出す。
「飲みます?」
仲直りの合図、というと恥ずかしいが、そういう意味の行動。彼女もすぐに真意を汲み取ってくれたのか、小さな声で頷いた後、手を伸ばしてきた。
「…オイルじゃない」
「オイルですよ」
お酒だと思ったのだろうか。だから、特注の頑丈なものなのに。
「さて、落ち着いてきたので取材続けさせて貰ってもいいですか?」
出雲は肩をすくめる。けれど、結局は私の記者魂に折れたのかわかったわよ、とぶっきらぼうに応えた。
「じゃあ、さっそくなんですけれど、オフの時は何をしています?」
「オフ? そんなのあるわけないじゃない。365日月月火水木金金で運転手よ」
「ははぁ、所謂ワーキングプアーってヤツですね」
或いはこの時、喧嘩別れになる形でも私は後ろの座席に戻っておくべきだったのかも知れない。そうすればいち早く察することが出来たはずだからだ。だが、遅かった。私達がそれに気がついたのはバスを揺るがす衝撃を受けた後だった。
「!?」
驚愕は刹那。次の瞬きを行う頃にはもう既に強襲対応を取っていた。私は身を伏せ、しっかりと体を押さえる。出雲はハンドルとブレーキを必死の形相で操作した。
だが、後から分かったことだがこの状況ではどのような対策も無意味であった。何せ後部車輪が、ロケット砲…RPGでも撃ち込まれたのだろう、無惨にも破壊されてしまっていたのだから。炎上したジープに軍人共の生き残りがいたのだろう。半死半生の体で彼は恐らく報復を選んだのだ。
出雲の奮戦虚しくバスは走る勢いのまま横転してしまった。我々に残された対策はどうか死なないようにと祈る事だけだった。
カメラの具合を確認する。外傷はなし。データの破損もない。きちんとSDに保存されている。試しに横転したバスを撮影してみる。きちんと映っている。それを確認して私はほっと胸をなで下ろした。私の持ち物の中で二番目に高価なのがこのカメラだ。もし壊れでもしたら修理は難しいだろうし、代替機もそうそう手に入らない。
さて、私の持ち物は無事だった訳だけれど、はたして出雲の持ち物はどうだったのだろうか。
「私のバスが…」
その場に膝を付き愕然としている出雲。その哀れな姿はまるで誰にも顧みられることのない無縁仏のようだった。
バスもまた、そんな出雲の墓標じみて哀れだった。横転した車体は銃撃の痕など気にならないほど歪んでしまっている。すべての窓ガラスは無惨に砕け、その破片を周囲に散らしている。左後輪は何処かに行ってしまって、シャフトだけが何かのつまみのように飛び出している。そこから黒煙が立ち上っている。周囲のフレームも黒く焼け焦げている。砲撃の跡だ。多くの荷物と同じく乗客達もまた車外に投げ出されている。立っている者は僅かだ。殆どの者はその場に尻をつき項垂れている。そうでない者もいる。倒れたままで起き上がれない者。母親だろうか。すぐ側で子供が泣いているのに起き上がってあやそうとしない。かつて見慣れた光景に私は胸にしこりが出来たような思いに囚われる。
「私のバスが…」
膝を付き、頭を抱えたまま、嘆き続ける出雲。動く気配は無い。
「取り敢ず、使える物を探しましょうよ」
そう提案するが矢張り出雲は動かない。まるでPTSDでも発症しているようだった。こんな様子の出雲に何を言っても無駄だろう。
あきらめて物資を探すために横転したバスに近づく私。インドネシア軍に助けを求めるにしても、歩いてオーストラリアに行くにしても装備がいる。荷物の大半は置いていくことになるだろうが、それでも水食料、現金、そして燃料は必要だ。
取り敢ずは片っ端から荷を運び出そう。バスの燃料に火が付けば危険だ。荷物の中にその燃料を詰めることが出来るドラム缶的な物があればよいのだけれど。
散らばった荷物を物色しながら歩く。残念ながらあまり役に立ちそうな物は落ちていない。大半は衣服などのちょっとした日用品ばかりだ。それに混じって落ちている人体にはなるべく目をくれないようにする。
と、私は散らばった荷物の中に同じような包みがいくつもあるのを発見した。なんだろうか、と一つを手にとってみる。粗末なクラフト紙に包まれ、紙ヒモで縛られている。それなりに重い。中身は何だろうと紐を解き、包みを破る。
「……」
包みの中身を認めた瞬間、私は動きを止めた。自分でも表情が険しくなるのが、わかる。
私は包みを手にしたまま辺りを見回す。よくよく見れば同じような包みは周囲にいくつも落ちていた。個人がリュックに入れてこっそり車内に持ち込めるような量ではなかった。バスの持ち主に許可を取らないと持ち込めないような数。或いはバスの持ち主自身が自分で積み込まないといけないような数が。
「出雲丸さん」
「…なによ」
背後に気配を感じたが、誰だか分かっていたので振り返らず声をかけた。案の定、私のすぐ後ろに彼女は立っていた。
「『豪華客船』が壊されるのが嫌で、彼らを殺したんだと思いましたよ」
「そうよ。その通りよ」
すぐさま出雲は言い返してくる。強い言葉。意思がある、とはっきりと言える。
「あのままじゃ今よりもっと酷いことになっていた。鴨撃ちにされて蜂の巣にされて藻屑にされてた」
「だから、有事だから、『豪華客船』から『航空母艦』になったと?」
「そうよ!」
出雲丸の言葉はもう怒鳴り声だった。何人か、項垂れていた人間たちが顔を上げる。
「あのままじゃ、私も、『私』も、乗客も危なかった。貴女は無事だったかもしれないけれどね。そうよ。あの時、私は私達を守る為にアイツらをブチ殺したのよ!!」
「これもでしょう」
振り返って、手にしていた包みを逆さに向ける。
私が開けた穴からの灰褐色の粉末がこぼれ落ちる。出雲丸はそれを見て悲しそうに眉を顰めた。
私のイメージではこういった類の物は樟脳みたいな白色しているものだと思っていたが、そうでないものもあるようだ。不純物が多く、純度が低いため、こんな色をしているのだろう。それでも利き目は十分にあるはずだ。サボり気味で不当に税を徴収しようとする軍人が目の色を変えて、職務を全うしようとする位には。
「ゴールデントライアングルってまだまだ現役なんですね」
「……」
「戦時中、アレに襲われてる民間船を助けた事があったんですけど、積荷はコレで一杯で、そのまま軍警まで曳航していったって事もありました」
「……」
「あの時は、こんなものに命がけになるなんて馬鹿な人がいるもんですね、って思いましたけど、今はすこし分かります」
「……」
「需要と供給がすごいですもんね。あっちこっちで見てきましたよ。すえた臭いのする裏路地で、落書きだらけのトイレで、ダイアモンドシスターズが取り仕切ってる倉庫街で、取引されてるのを。輪ゴムで縛った万札とこの半包みが交換されてる場面を」
「……」
「ヘロインですよね。コレ」
「……」
問い掛けにけれど、出雲丸はハイともイイエとも応えない。それだけで応えているも当然だった。私は目を伏せる。
「今こうして捨ててる分だけでも結構な値段が値段が付くんでしょうね」
私の皮肉に出雲丸は悔しそうに奥歯を噛みしめる。肩を怒らせ、私を睨み付けてくる。その敵意はありもしない通行税をふっかけられていた時とは比べものにならない熱度を持っている。私も、身構えてしまう。
「そうよ! それを運ぶだけで5千、この道を四往復できるだけのガソリンと水と食料とその他諸々が買えるぐらいの支払いがあるの!」
かろうじて、恐らくは本当に辛うじて出雲丸は先に口を開いた。それが彼女の理性がさせたのか軍艦としてのセンスだったのかは分からない。
「こんなご時世だもの。夢だけで食っていける分けないじゃない! しかたないじゃない! きれい事を言うつもり!? そうよ! 私は汚れた金で自分の夢を買ってるのよ! 仕方ないじゃない! まともに生活するだけでも大変なのに、それで『豪華客船』までしろって、無理がある話よ! でも、曲がりなりにも出来るって言うんならするでしょ! そういうものでしょ! 私は間違った事はしてないわ! だって、これが、これが、私の夢だもの!」
これが、と出雲丸は指し示す。銃撃を受け、横転し、黒煙を上らせているバスを。豪華客船を。元の姿から大きく変わってしまった夢を。
一呼吸の間の後、彼女は紙片を取りだした。両手一杯に。九九艦爆か、天山か。どっちみち、
「やめてください」
私に争う気は毛頭ない。
攻撃の意思がないのを示すため、私は手の平をすこし広げてみせる。
「聞いただけですよ、本当に。咎めるつもりなんてこれっぽっちもないですし、自分に咎める権利がないことぐらい分かってますよ」
そう出雲丸に説明する。攻撃しないでくれ、という説得。けれど、聞き入れて貰えなかった場合を考えて気は抜かない。
「正直、運び屋なんて大した悪さじゃないですよ。殺し屋になった娘とか、マフィアやってる姉妹とか、見てきましたから。まっとうにレストランで生計を立ててる人も、ニューヨークで警察官になってる子にも会いましたよ。だから、別に私は出雲丸さんが何をやってても『そうですか』としか言えません。マル秘、って言うならまぁ、匿名で記事にさせて貰うだけですよ」
出雲丸の顔から険しさは取れない。いつでも攻撃をしかけてきそうだ。先手はやはり向こうにくれてやるしかないかもしれない。
「極論言えばどうでもいいんですよ。私は記者ゴッコをしているだけで、正直、真実を求めているとか、悪行を暴きたいとか、善を布きたいとか、そんな崇高なことはこれっぽっちも考えちゃいないんですよ。下世話なゴシップさえ、ワイドショーとかカストリ記事にピッタリな醜聞さえ求めちゃいないんですよ」
語りながら出雲丸の目を見据える。出雲丸も私を見据える。お互い、戦端が一体いつ切られるのか見極めようとしているのだ。
「気にしてられるのは、出雲丸さん。貴女の方でしょ。『綺麗な服を着た裕福そうな客を乗せて、遊覧航行』なんて頭蓋の中に注ぎ込まれたクソ――失敬、夢を中途半端にしか叶えられず、こんな汚れた物を運んでいる。そんな現実を、違うと、心の底では思っているんじゃないですか?」
「私は…」
「でも、いいんですよ。それで。自分で言ったじゃないですか。『こんなご時世』どうしようもないんですよ。それで十分なんですよ。清廉潔白、なんてもう無理なんですよ。それに、それ以前に」
その先は言うな。そう叫ぶ出雲丸。いや、それは私の幻聴だ。かわりに出雲丸は戦意を喪失し、腕を下げた。どのみち、自分の夢が叶わぬ究極の現実を告げられて。
――海はもうないんですよ。
がくりと燃料が尽きたように、再びその場に膝を付く出雲丸。見開かれた瞳から涙が溢れ出てくる。声こそ上げてはいなかったが、今にも入水自殺しそうな程、顔には鬼気が貼り付いていた。
私はため息を漏らし、踵を返した。出雲丸――軽空母『飛鷹』の流す涙の止め方を知らないからだ。これ以上ここにいても私にやれることはなにもない。
私はもう少しだけ必要物資を物色した後、考えて来た道を戻ることにした。元より目的があってあのバスに乗った訳ではなかったのだし、このまま進めば多分、多くの乗客や出雲丸たちと道中一緒になってしまう。それが嫌だったからその航路を選んだ。
「はぁ、ここが昔みたいに海だったら楽な道中なんですけれど」
カンカンと我が身を焼く太陽を見上げてぼやく。
ここはティモールの海。インドネシアとオーストラリア大陸の間にあった静かな海、だった場所。
深海棲艦との戦いは終わった。けれど、私達が受けた代償は非常に大きい物だった。それはかけがえのない仲間や無垢の住民の命、といったヒロイズムに満ちたものだけはない。もっと実際的なものだ。
海。
太平洋のすべて、インド洋、大西洋の大部分、北極海の50パーセント以上。それがあの最後の戦いの際、喪われた。大地は乾き、多くの人間が水を求めて死に、深海棲艦の出現で変わってしまった世界は更に大変した。青かった惑星地球は火星の様に渇いた星に変貌し、人類の生存圏は戦時中より縮小。文明もまた一世紀は後退させるハメになった。
それが世界の実情。そんな海のない世界で私たち、艦娘はどうやって生きていけばいいのだろう。
私、重巡洋艦『青葉』は私自身の目的を果たす道中、その事をインタビューしている。これはそんな海なき世界の艦娘達のワンエピソードである。
END