「鳥はこの先にいます」
道案内をしてくれる女の子の後ろをついて歩く。
女の子の足取りはしっかりとしたもので、迷いはない。この砂と岩しかなく、草木もまばらな山岳地帯で何を目印に進むべき道を見定めているのだろう。
「おっ、鷲ですかあれは…?」
と、遠く離れた崖の上に大きな鳥の姿を認めた。海が喪われた現代、人類を含めた多くの生き物もまた絶滅の危機に瀕している。あの鷲ももしかすると最後の一匹かもしれない。学術的な精神を私はまったく持ち合わせてはいないが、それでも思うところがありほぼ無意識にカメラを構えてしまった。
「いい写真が撮れたらナショナルジオグラフィックに投稿しましょう」
ズームを最大にするがどうにもいいアングルにならない。すこし近づくか。そう足を踏み出そうとしたところで、
「そっちは地雷」
案内役の女の子に止められてしまった。
踏み出そうとした足をそろりと戻し、本当ですかと聞く代わりに目で訴える。
女の子は応える代わりに踵を返すとまた歩き始めた。慌ててカメラをしまうと私はすぐにその後をついていった。
「すみません。いやぁ、それにしてもよく道を憶えてますね」
「しっかり、訓練してるから」
「へぇ」
訓練でどうにかなるものだろうか、と思ったが私も時計さえあれば昼は太陽、夜は星で大体の位置を掴むことはできる。それと同じで何かしらの符丁――岩の形や朽ちかけの灌木の向き、山の見え方等、で道を判断しているのだろう。
それにしてもそういったものは熟練故の業だ。この幼い少女がそれを為しているのは彼女のいうとおり偏に訓練のたまものなのだろう。
いや、必要にかられれば誰だってそうするだろう。かつての私たちがそうだったように、海で航路を読めなければ遭難してしまうのと同じく、ここで道を違えればそれは即ち爆死に繋がる。己は元より仲間の生命さえ危険に晒すことになる。
「…その格好も訓練の一貫ですか?」
少女の格好はこの危険地帯に相応しい。麻布で頭部を覆い、体も同じくぶ厚くも通気性良さそうな服を着ている。色合いは山肌に溶け込むような暗褐色だ。
その格好だけなら都市部でも見かけたムスリムの少女だ。だが、彼女はそこに武器を携えている。肩から吊っているのはスコーピオン短機関銃。腕には盾らしき黒塗りの鉄板を括り付け、腰には今時珍しい柄付の手榴弾を左右に三つずつぶら下げている。背中に背負った重そうなリュックの角ばり具合からそこにも何かしら武器が詰め込まれているのだろう。
そのシルエットに思うとこあり足を止める。
「もしかして、艦娘の真似ですか?」
私の言葉に少女はぴたりと足を止めた。これまで先に行かれ待ってくださいと声をかけても止ってくれなかったのに。
「真似じゃない。私も…鳥みたいにカンムスメになるの」
そう、今までとはうって変わって感情がこもった声で少女は私に訴えてきた。思わず驚いてしまう。
「艦娘になりたいんですか」
「そう。そのために訓練してるの」
強い言葉。決意の程が分かる。
ふむ、と私は戦時中のことを思い出す。当時も艦娘のまねをしている子供は多かった。艦娘なりきりセットなんてものを出している玩具メーカーや艦娘と同デザインの服を揃えているブティックもあった。世界の海の平和を守る艦娘達は正義のヒロインだったのだ。
それは今では『だった』という話だが、彼女の中では鳥は未だにヒロインなのだろう。
いや…
「鳥みたいに強い艦娘になって政府のやつらをやっつけるの」
それだけではない。あの当時もそういう娘はいた。肉親、恩師、友人、そして故郷を奪われた怒りを胸に奴らに復讐の魚雷を叩き込むことを望む娘は。
「……すこし休憩しましょうか」
そう私が提案すると少女は視線を逸らし、でも、と口ごもった。自然な反応。これが恐らく彼女本来の姿なのだろう。
「私、チョコレート持ってるんですよ。あ、ほらそこに腰かけるのに丁度いい岩がありますよ」
こっちには地雷は埋まってないですよね、と確認をとって少女に先んじて進み、腰を落ち着ける。少女はすこし躊躇ったあと、私の前にちょこんと座った。
「どうぞ」
チョコレートを差し出すと目に見えて表情が明るくなった。こんな場所では板チョコの一欠片でも贅沢品なのだろう。
「おいしいですか?」
「はい」
一心不乱にチョコレートを食べている。なにか小動物みたいで非情に愛らしい。
「あ、お姉さん水筒もってないんですよ。お水とかありますか」
私が持っている水筒に入っているのはオイルだ。そして、残念ながらオイルでは水分補給はできない。
「お茶ならある」
背負っていたリュックから大きくて頑丈そうな水筒が出てきた。軍用品の払い下げだろう。蓋を開けると少女は先に私にはい、と差し出してくれた。
「ありがとう」
一口いただく。
「……」
「どうしたのお姉さん?」
「い、いえ」
えも言えぬ猛烈な苦みが口の中に広がった。戦時中…深海棲艦とのではなく、大東亜戦争当時のパパイヤの根っこを煎って作った代用珈琲の味を思い出す。
ごちそうさまです、と水筒を返す。続けて少女もお茶を飲んだが、別段表情は曇らなかった。現地住民は飲み慣れている、この地方独特のお茶なのだろう。
「鳥も最初にお茶を飲んだとき、同じ顔をしてた」
「そうなのですか」
「うん。私が五つの時」
へぇ、と相づちを打ち、私はそこに「その頃はどうでしたか」と言葉を続ける。何か面白い話が聞けないかと思ったからだ。
「どうって…?」
「今とどう違ってましたか。政府の人達との戦いはその頃もう始ってたと聞きましたけど」
「うん。そう。小さかったからよく憶えていなかったけれど、大人たちはあの頃はたいへんだったって言ってた」
でもね、と女の子は言葉を句切る。そこに私は彼女年相応の爛漫さを見た。
「鳥が来てからだいじょうぶになったんだって。鳥のおかげで谷ぞこのれんちゅうを何人もおっぱらえたし、村も取り返せたって」
「そうなんですか」
「うん。鳥は作戦だけじゃなくって、あっ、鳥はいつも大人の人たちに作戦を教えてるの、でも作戦だけじゃなくって自分で戦うこともあるの。すごいだから。すごく強いんだから」
言葉足らずに語る少女。けれど、その熱意は伝わってくる。鳥と呼ぶ彼女のことを心から尊敬しているのだろう。
「だから、わたしもかんむすめになりたいの」
瞳を輝かせる少女は戦時中、艦娘ごっこに興じていた子供たち、そして、大東亜戦争当時の少年少女となにも変わらなかった。
小休止を終えてから更に一時間以上歩いてやっと私たちは目的の場所に着いた。結局、三時間以上山道を歩いた計算になる。最短の直線を歩けばもっと早く着けたかも知れない。それを阻んだのは地雷原。くわえ恐らく少女は知らされていないだろうが、私に正確な目的地の場所を悟らせないためだろう。
いや、正確な場所が分かってもすぐにここは分からないか。岩と岩の隙間、それも一定の角度で見ないとそうとは分らない場所に入り口があるのだから。
固い岩盤を発破や削岩機、或いはつるはし、スコップを用いて掘り進んだのだろう。入り口は狭く少女は兎も角、私は体を横にしなければとても入ることは出来なかった。
「高雄型は入れないでしょうね」
龍驤なら余裕だろう。
入り口よりマシだったが入ってすぐの通路も狭いものだった。場所によっては腰を屈めないと通れない程天井が低い。一応、等間隔に裸電球がぶら下がっていたがその光量は弱く、電圧が安定していないのだろう、時々明滅を繰り返していた。
通路を進んでいくと暗褐色の肌をしたイスラームの男達とすれ違った。事前に話は通っていたのだろう。呼び止められるようなことはなかった。それでも私はこの解放戦線では異物なのだ。射抜くような強い視線を何度も浴びせかけられた。中でもそれが一番きつかったのが“鳥”の部屋の前だ。
案内役の女の子がいるにもかかわらず私は部屋の前でAKのしかもカービンモデルで武装した兵士に止められてしまった。
なにか不備でもあったのだろうか。ダブルブッキングか。少女もなぜ部屋に入れてもらえないのか分からず、私にさえ不安そうな視線を向けてくる。
「あの、私ENNの記者でして、ええっと、鳥にアポイントメントもとっていただいています」
「……司令に?」
ためつすがめつ。ともすればそれが銃の照準に変わりそうな敵意が籠もった視線を向けられる。ENN――帝国・ニュース・ネットワークの記者なんて嘘っぱちだということがばれたのだろうか。それともスパイか何かだと疑われているのか。兎に角、何かを言って不信を解いて貰わなければ。
「大丈夫だ。入ってもらって。ああ、サルワも一緒に入って」
部屋に入れてもらえない理由を聞こうとした矢先、中から入室を促す声が聞こえてきた。衛兵は現地の言葉で短くはい、と応え扉の前から退いてくれた。
「し、失礼します」
木の扉を押し開け入室する少女。彼女に続き、私も部屋に入る。
「やぁ、青葉」
小さな木製の机にちょこんと座り、私たちを出迎えたのがこの反抗戦線の指揮官、駆逐艦・ヴェールヌイだった。作戦の思案中だったのだろう。机の上には地図が広げられ、何本もの鉛筆や定規が置かれていた。
ヴェールヌイは立ち上がりつつ、自然な動作でさっと地図や資料をを折りたたみ机の中にしまった。私や兵士たちに見られたくなかったのだろう。
「よく来てくれた」
机を回り込んで来て握手を求めてくる。応じるため、一歩前に出る。その時私はヴェールヌイの背丈と案内してくれた女の子の背丈が同じぐらいなことに気がついた。
「生憎と椅子がない。そのままでいいかい?」
「ええ、大丈夫です」
握手が終えた後も、ヴェールヌイは机には戻らなかった。
「それはそうと…」
腕時計を確認するヴェールヌイ。駆逐艦の細い腕には似合わない男物の丈夫そうな腕時計。
「サルワ、三十分遅刻だ」
少女――サルワの前まで行くと、ヴェールヌイはその腕時計をまいた手を上げた。あっ、という声を上げる間もなく拳がサルワの顔に叩きつけられた。
「それとその格好。そういう格好はやめろと命令したはずだ」
もう一度。よろめくサルワ。私はその光景を黙って見ている。
「もういい。下がっていろ」
スカーフの向こうから漏れ聞こえる嗚咽。大声を上げないだけ、あの子は気丈か、と思った。サルワはそのまま涙をこらえながら足早に部屋から出て行った。
私とヴェールヌイの二人だけが部屋に残る。いやな沈黙が私たちの間に満ちる。
「…何か言いたそうだね、青葉」
「いえ、別に」
沈黙を破ったのはヴェールヌイだった。
あからさまに私は肩をすくめてみせる。
「私はここの部隊の人間じゃありません。ただの客です。部隊の教育方針に口出しできる立場じゃありませんから」
「そうか」
「まぁ、でもひとつだけ言わせてもらえるなら、あの子、かなり貴女のこと慕ってるみたいでしたよ」
沈黙。ヴェールヌイはこちらを一瞥する。
「道中、貴女の活躍エピソードを沢山聞きましたよ。少数精鋭部隊を率いて政府軍の進行を真っ向から阻止したとか、単身、敵レーダー基地に潜入して破壊工作を行ったとか色々。大東亜戦争当時とか深海の連中と戦ってたとき、私たちに憬れを抱いてた本国の子供たちを思い出しましたね」
ああ、遅くなったのはその話をしてたからです、と付け加えておく。だが、ヴェールヌイはそうか、と返しただけだった。
「ヴェールヌイ、貴女のことを“鳥”と呼んで…」
「鳥はここの連中が私に付けたアダ名だ。もちろん悪い意味の」
「えっ」
唐突に私の言葉に割り入ってくるヴェールヌイ。思わぬ事実に私は口を開けたままかたまってしまう。
「私の通り名“不死鳥”を揶揄して言ったものだ」
表情を変えず、眉間に僅かな皺も寄せずただ教科書でも読み上げるよう語り始めるヴェールヌイ。
「気に入らないんだろうね。イスラムは男性社会だ。私みたいな女が、しかも、見た目が子供の人間じゃない輩が陣頭指揮をとるなんて」
そこで言葉を句切るとヴェールヌイには自分の机に戻っていった。座るのかと思ったがそうではなかった。机の上に置いてあった水筒から飲み物を金属製のカップに注ぎ、一口でそれを飲んだ。あの妙な味がするお茶のようだが、やはりヴェールヌイの鉄面皮は崩れない。
「それ以前に純粋に血の繋がった自分たちの一族じゃない私が組織の中に入り込んでいるのが気にくわないんだろう。そして、それを簡単に排除できないというのも」
「…ヴェールヌイさんはどうしてここで戦っているんですか?」
「ああ、そこから話さなきゃならないのか」
バツが悪かったが、それでも自分は記者としてここに来ているのだ。質問を投げかける。
「私はカーゲーベーの残党組織からの出向でここに来ているんだ。カーゲーベーはこの反政府組織のパトロンで深海棲艦との戦いの前から資金や武器、人員を援助してた」
「米ソの対立からですか?」
「そう。東西冷戦の残滓さ」
理由を問うと簡素な答えが返ってきた。
かつてマッカーサー米軍総司令は『次の戦いは宇宙人と行われるであろう』と言ったそうだ。だが、あいにくとそれから半世紀以上それは実現しなかった。大戦は冷戦の生みの親となり、そのおぞましい孫たちは今なお各所でくすぶり続けている。マッカーサーの言った『宇宙人』――人類以外の敵性体、深海棲艦との戦いを経ても人類はなお種族同士の争いを終わらせることはなかった。
この地がその何よりの証左だ。私はそれを人類の愚と想い、嫌悪や憤りを感じた。ニューヨークの金剛ならば憤怒と嘲りに拳を握りしめ、四指から血を流しそうな話だ。
だが、この言葉にさえ、ヴェールヌイはため息一つ漏らさなかった。まるで永久凍土のような冷徹さだ。私の部隊にいた彼女も確かに冷静沈着ではあったが、このヴェールヌイはもっと機械じみて感じられる。
「戦前、戦時中は政府軍に十分対抗していたそうだ。けれど、大戦が終わってから毛色が変わったんだ。いや、ここだけじゃない。クレムリも大変だった。今までしていた援助がほとんど出来なくなったんだ」
大戦の終結は平和の訪れではなかったのは周知の通りだ。世界地図から太平洋の表記が消え、青く美しい星は暗褐色の小汚い惑星に変わった。一説によれば深海棲艦との大戦による戦死者よりもその後の太平洋喪失による死者の方が多いらしい。インフラの多くが破壊された今、それは確認のしようがない憶測だが、住人がミイラ化した村やたった一つの井戸のために二分し血みどろの争いを繰り広げるようになった集団を見てきた身としてはその憶測は事実にほど近いと思わざるをえない。
「ウラジミールはそれは駄目だと考えたんだ。このままいけばこの土地はカムパーニャのものになってしまう、と。実際、そうなるかどうかは分からない。自分たちと同じぐらい合衆国も弱っている筈だから。けれど、第一総局出の元大統領はそう思えなかったみたいだ」
世界の、特に人間社会の裏側に関する話題に私は耳を傾ける。この情報だけでもしかるべき機関に渡せば相当額がつくであろう。もっとも私はそうするつもりは毛頭ないが。
「そこでプリズィディエーントは考えた。これ以上、資金や武器は渡せない。何か代案はないか。冷戦時から残っている対米、対資本主義組織を探し回った結果、白羽の矢が立ったのが私さ」
カップを元に戻し、ヴェールヌイはまた私の側に戻ってくる。立ったままだ。
「ここの人達も私を受け入れざるを得なかった。人でも資金も武器もなにもかも足らない状態だったから。イスラムじゃない、人間じゃない女の子でも貰えるなら貰う」
それぐらい切羽詰まっていた、とヴェールヌイ。確かに、サルワの様な少女が一兵士として所属しているところをみればそれは事実だと把握できる。
「最初は扱いに困る客将だった。ここの人達はあまり艦娘に詳しくなかったから、というのもある。それが私がある程度、結果を見せ始めると腫れ物を扱うみたいな対応が露骨に異物を排除する動きに変りはじめた。“鳥”というアダ名もこの頃から使われるようになった。でも、自分で言うのもなにか恥ずかしいけれど、今、この組織は私がいなければなりたたない。やっていけない。侵攻、防衛、情報統制、兵站。なにもかも私が指揮している」
「…それなのに未だに『扱いに困る客将』“鳥”と呼ばれているんですか」
「そうさ。実務と感情は別物。人間だから切り離すことはできない」
どの国に住んでいても、何人でも、生物学的な人間でも艦娘でも、何を信仰していても。そうヴェールヌイは付け加える。感情を切り離したような声で。
「まぁ、それでも随分とマシになったよ。最初、私に当てられた部屋はネズミがうろつく食料庫の一角だった。それが今は警備付の司令室を与えられている」
「信頼できる、とそれなりに思われてる、ぐらいにはできている、という事ですね」
「そうさ。そうだろう。無能で嫌われ者の指揮官がどうなるか。青葉も見た憶えがあるんじゃないのか。戦場で」
謎の戦死、あり得ない不注意による事故、乱戦時のフレンドリーファイア。上官の存在は不可侵であるというのは古今東西どこの軍隊でも一緒だが、先程ヴェールヌイがいったように実務と感情は別物だ。指揮官があまりに無能だったり感情や信仰上の理由でその言動が許容できないというのはままある。それが閾値を超えた場合、前述の不幸が起きる、という訳だ。
ヴェールヌイはそうはさせまいと実力を持って自分の有用性を証明し続けているのだ。不信感を抱く反政府組織のメンバーに一時の感情を堪えさせる程度の打算や納得を、結果を見せつけることで与えているのだ。
「胃が痛くなる」
独白じみた感想はつい漏れ出してしまったものだ。ヴェールヌイの行いは一体どれだけの精神力を必要とするのだろうか。いや、命の危険は戦時なら常に曝されるものだ。それに対する覚悟は艦娘なら駆逐艦だろうが大戦艦だろうが出来ている。私だって出来ている。その相手がハッキリと倒すべき敵だと分かっているからだ。
だが、このヴェールヌイの場合は違う。自分の命を危ぶませるのは敵だけではない。自分の後ろから銃を突き付けてくる輩がいるのだ。それは自分が命令を下し、共に戦い、時に身を挺して守らなければならない味方だ。
敵だけでなく信頼すべき味方にまで注意を払わなければならない。単純に計算しただけでも倍の精神力を消耗することだろう。いや、実際、それは三倍、四倍ものストレスを感じる行いだ。はたして如何ほどの精神力があればこれに耐えられるのだろうか。大戦を生き延び、世界中を旅してきた私でもそれは無理だ。
それをこの鉄面皮の駆逐艦は耐えている。否、つゆほどにも感じていないように見える。それは前にも後ろにも銃口がある戦場で戦ってきた結果の練度なのか、それともそれ以前、生来のものなのか。分からない。
「まぁ、これが私の現状さ」
事もなさげに語り終えるヴェールヌイ。いや、事実コトもないのだ。ヴェールヌイにとって敵にも味方にも生命の危機を感じるこの現状はただの日常に過ぎないのだ。私が『ふだん、何をして過していますか』と聞いたからそれに応えたに過ぎない。
「分かりました。サルワちゃんを叩いたのはそういう理由があったと。自分と同じような女子供には――失敬、ですが、客観的な感想です、女子供には甘いとみられないようにするためですね」
「そう。その通り」
贔屓があればそれだけで汚点になる。その結果の叱咤だ。過剰ではない。
「あの子にもはやく一人前の兵士になってもらいたい、という理由もある。ここは戦場だ。時間を守る。適切な装備を身につける。上官の命令には従う。そういう優秀な兵士にならなければ命を落す」
少女サルワに対してそう展望を陳べるヴェールヌイ。厳しいながらも子のためを思う親に似た考えと取ることも出来るが、実際はどうだろう。このヴェールヌイは自分の生存確率を上げるために優秀な兵士の育成に尽力しているだけではないだろうか。或いは自己の生存さえ度外視し、ただただ任務全うのために仏の視点で動いているだけではないのか。兵器。艦娘の兵器としての側面を強く体現しているかのようだ。
「そうですね。ええ、分かりました」
わかりました、と諦めたように繰り返してしまう。私は一個人としてアイデンティティを確立している艦娘にインタビューしたいのだ。このヴェールヌイのようにただの一個の兵器として存在している艦娘に興味は湧かない。
ここまでやってきた苦労に見合わぬインタビューだった。アポイントメントを取り付けるためにいけすかないあのDr.アンデスに頭まで下げたというのに。
「…あの子が艦娘になれば貴女の任務も簡単に達成できそうですね」
つい漏れてしまった嫌味。まぁ、ヴェールヌイの心には届かないだろう。案の定、特に何も言い返されないまま、私は部屋を後に…
「待て」
「えっ?」
することはできなかった。ヴェールヌイは出ていこうとする私の右腕を掴んだ。何かと問う間さえなかった。次の瞬間、私は地面に組み伏せられていたからだ。
「なんと言った?」
右腕が背中側にねじりあげられる。艦娘の身体構造でもそちら側にはあまり腕は稼働しない。さらにヴェールヌイは私の左肩を膝で押さえつけてくる。身動きが取れない。
「ちょ、何するんですか!?」
「なんと言ったのかと聞いている!」
大きな声。感情、そう怒りの感情あらわにヴェールヌイは私に問いかけてくる。今日、ヴェールヌイが初めてみせる反応だ。これは本当に先程まで自分の辛い現状を淡々と機械音声じみた抑揚のない声で話していた彼女と同一人物なのだろうか。
「痛い、痛い。離してください!!」
「あの子が艦娘になればいい、と言ったのか」
腕がさらにねじりあげられる。稼働域の限界に達する。筋肉が悲鳴を上げ、金属骨格が軋み声を発する。これ以上、力をかけられるとまずい。右腕が破壊されてしまう。重篤なダメージだ。鎮守府施設の多くが破棄、喪失した今、使える船渠はほとんど残っていない。ここで右腕が破壊された場合、それを治す術はないのだ。それはまずい。片腕の記者なんて不便で仕方がない。
「いい加減に……」
ねじり上げられている右腕に力を込める。無理な力の入れ方にさらに筋骨格が軋むが腕を壊されるよりマシだと言い聞かせる。
「してください!!」
背中から驚愕の感情が伝わってくるのがわかる。更に左腕にも力を込め、体を起こそうとする。まさかこの状態で動けると思っていなかったのだろう。だが、駆逐艦と重巡洋艦では大人と子供ほど力に差がある。
拘束がほどける。いや、違う。ヴェールヌイは右腕を離し、押さえつけていた左肩からも膝を下ろしたが、それは拘束を解くためではなかった。ヴェールヌイの両腕が獲物を捕らえる蛇のごとく動く。私の首を締め付けてくる。
視界が一瞬で赤く染まる。大動脈が強力に圧迫され、血流が遮断される。ヴェールヌイはさらに両足も私の腰に回してきた。まるで丸太にしがみつくような格好。不格好だがこの拘束を引き剥がすことは不可能だ。
私は立ち上がるとそのまま後ろ向きに勢いをつけて飛んだ。背中のヴェールヌイを壁かどこかに叩きつける算段だった。けれど、反応は向こうの方が上だった。再び私の拘束を瞬間的に解いたヴェールヌイ。反撃回避。いや、それだけではない。ヴェールヌイは私の腕を掴み足を払うと後ろに進む勢いを利用し、私の体を投げ飛ばしたのだ。頭が床に、足が天井に向く。まるで高波にさらわれ横転したように私は一瞬、宙に浮き、そうして机に叩きつけられたのだった。粗末な木製の机では私の体重と衝撃に耐えきれず、天板がまっぷたつに割れ、机の中身が――地図、メモ書き、それに写真が散乱する。足も無惨に折れてしまった。
「畜生っ!!」
木片を払いのけすぐに体を起こす。
「ヴェールヌイ司令官!! 今の音はなんですか!?」
そのタイミングで扉の前の兵士が飛び込んできた。あっ、と思う間もあらば彼は銃を構えた。
「貴様ッ!!」
銃声。マズルフラッシュ。衝撃。突入してきた彼は優秀な兵士の規範通り、司令室で暴れていた不審者をためらいなく撃ったのだ。それはものの数秒だったが、AKのマガジンを使いきるには十分な時間だった。
銃口と視線をまったく動かすことなく素早く弾倉を交換する兵士。その動作と他の兵士が司令室になだれ込んでくるのとはほぼ同時だった。銃声を聞き付けてやって来たのだろう。全員が緊張感に満ち、しかと銃把を握りしめている。その中には少女サルワの姿もあった。
「こいつは!?」「記者だ。司令に話があったみたいだ。だが、嘘だったみたいだ」「この様子だと司令官を狙っていたみたいだな」「なんだと」「本当か」
緊張感を保ったまま男たちはそう会話を交わす。サルワだけが会話に参加できず不安そうな視線をヴェールヌイに向けていた。
「司令、ご無事ですか?」
「ああ、それよりも…撃つな!」
起き上がろうとした私に反応し、トリガーに指をかける兵士たち。それに先んじる形でヴェールヌイは制止の声を上げたのだ。
「無駄だ。7.56mmじゃあ、彼女にはキズひとつつかない」
その通りだ、と言いたいわけではなかったが、敵意がないことを示すよう両手を上げつつゆっくりと立ち上がる。最初に部屋に入ってきて警告なしにライフルをぶっぱなした兵士がそんな私の姿を見て大きく目を見開いた。まるで、お化けでもみたような反応だ。間違いではないが。
「服が穴だらけになりましたよ」
「それはすまなかった」
嫌みに嫌みで返した、ではなくヴェールヌイはあくまで事務的に謝意を示しただけだ。
「司令、この女は…」
兵士の一人、私を撃った彼がおずおずとヴェールヌイに話しかけた。まだ、私に対する警戒心は解いていないのか、銃のグリップを固く握りしめている。
「事前に説明した通りだ。それに黙っていたが彼女も艦娘だ」
ざわつき始める男たち。敵意のアベレージが上がっているように感じられる。思わず身構えてしまう。
「やめろと言っただろう」
それをたしなめるヴェールヌイ。
「彼女とはその…すこし、言い争いになっただけだ。心配はいらない」
そうヴェールヌイは説明したが、はたしてこのなかの何人がそれで納得したことだろう。ヴェールヌイは右手で髪をかきあげ、こめかみの辺りを押さえた。
「それに青葉が本気になれば私たちは容易く彼女に殺されてしまう」
兵士の一人が無理に口端を歪め、肩を振るわせた。上官の面白くない話を聞かされ、どう反応していいのかわからず、とりあえず笑顔でとりつくろうとしたのだ。
「冗談じゃない」
是正するヴェールヌイ。そう、冗談ではない。その気になればここにいる全員を今すぐ殺すぐらい私には容易いことだ。その気になんてまったくならないが。
「すいません。お騒がせしました」
私も謝っておく。兵士たちはなんとなく納得いかなさそうな顔をしていたが、みなぞろぞろと自分の持ち場に戻っていった。
「…すまない青葉」
「いえ」
ヴェールヌイが私に近づいてきて、そう謝った。すこし、ばつが悪そうにみえるのは気のせいか。
「勘違いしないで欲しいのだが…」
「あの」
何事かを説明しようとするヴェールヌイ。そこに割ってはいる声。少女サルワだ。後にしろ、そう言うつもりだったのだろう。ヴェールヌイは鋭い視線をサルワに向ける。けれど、それより先にサルワは口を開いていた。
「どうしたら鳥…やお姉さんのような艦娘になれるんですか?」
おずおずと問いかけてくるサルワ。彼女も幼いなりに質問のタイミングも内容もよくないことぐらい分かっているのだろう。だが、それを差し引いてもそれは聞きたいことだったのだ。怯えてはいるものの目的を果たそうという強い意思が感じられる瞳を私に向けてくる。
「……」
私はその質問にすぐには答えなかった。答えられなかった。
『艦娘になれるのか』
その質問の答えは簡単だ。だが、はたしてそれを口にしてもよいものかどうか。私には判断がつかなかった。
「なれるわけがない」
考えあぐねているとヴェールヌイが先んじ、叱責も込めているようなきつめの口調で答えた。びくりと体を振るわせヴェールヌイの方に目を向けるサルワ。
「なれるわけがない。キミも知っているだろう。海がなくなったことぐらい。艦娘は海で戦う兵器だ。海がなくなり深海棲艦が滅びた今、艦娘は必要なくなったんだ。必要のないものになれるはずがないだろう」
「で、でも、鳥は…」
サルワは涙声で質問を投げ掛ける。ヴェールヌイは「私?」と戸惑いをみせるように聞き返した。
「私は…ただの生き残りだ。余り物。敗残兵だ。艦娘は海の上で平和のために戦うものだ。平和のため、仲間の艦娘と一緒に。だから、私は違う。もう私は艦娘ではない」
ただの一兵士、一個の兵器だ。そう言葉を締め括るヴェールヌイ。沈黙が室内に満ちる。
「そろそろ持ち場にもどるんだ」
ややあってからヴェールヌイはそうサルワに指示を出した。
「難しい話だったかもしれないが、しっかりと噛み締めて理解するんだ。わかったか」
「はい。司令官」
小さく頭を下げるとサルワはきびすを返し、部屋から出ていった。まるで逃げ出したかのようだった。
「…あの子、泣いてましたよ」
私の言葉にヴェールヌイは「そうだな」とそっけない返事をするだけだった。
「青葉」
服の破損箇所を確認し、ゴミを払っている私にヴェールヌイは話しかけてきた。
「実際のところ、どうなのだろう」
「実際、とは?」
「あの子が艦娘になるかどうか、だ」
「……」
また、答えに窮する質問だった。
「司令官は、私がいた鎮守府の提督は寡黙な人で、戦闘のことは色々と教えてくれたんだが、それ以外はあまり教えてくれなかったんだ」
私が黙っていると続けてヴェールヌイは喋り始めた。
「いや、そもそも知らされていなかったのかもしれない。艦娘についての情報なんてほとんど機密だった。もしかすると司令でも知らされていなかったのかもしれない」
ニードトゥノット。知るべき情報は知るべき立場の者だけに。軍隊でこそ尊重される規範だ。事実、ただの一提督ならその情報は知らされていなくてもおかしくない。
「けれど、青葉。キミなら知っているんじゃないか。世界中を旅してヤパナノバ共和国近衛水軍にもコネクションを持っているキミなら」
「……」
沈黙は逡巡だ。けれど、結局、私はヴェールヌイにいうことにした。
「可能性はあります」
そう。サルワは艦娘になれる。ヴェールヌイに言わせるなら、なるのだ。
激しい戦闘のさなか、太平洋戦争当時の軍艦の戦果や経歴、武装が近くにいた少女――戦闘参加の有無は関係ない、の身体にプログラミングされることによって艦娘は産まれる。今のところ分かっている艦娘誕生のプロセスはそれだけだ。その現象は大戦が終わった現在でも続いている。
一説によれば大東亜戦争を再現するような苛烈な戦争の雰囲気が発端となり、その少女のもつ縁――曾祖父がソロモン沖で散った、呉の工廠跡地に住んでいた、など――を伝ってアカシヤ記や黄泉の国のような形而上学的な場所にある軍艦の魂が現世に降り立ち、肉体を通して顕現してくる、らしい。宗教的すぎて胡散臭い話ではあるが、これもおおよその艦娘研究者が事実だと認識している主流の学説だ。
さて、サルワは何か帝国海軍の船舶に繋がる縁は持ち合わせているのだろうか。スロバキアの留学生が陽炎型になったという話を聞いたことがある。一体、どのような縁だったのか神ならざるこの身では見当がつかないが、東欧の少女がなれるのならばムスリムのサルワにも可能性はあるだろう。
「天文学的に低いと思われますが、サルワちゃんも艦娘になる可能性はあります」
日本人女子で艦娘になる確率はおおよそ0.003%程度だったと記憶している。だとすれば、帝国本土から遠く離れたこの山岳地帯のムスリムの少女が艦娘になる確率はどれぐらい低いのだろう。おそらくはあり得ないと断言できるぐらいには低いはずだ。
だが、そんなありえない話に対し、ヴェールヌイは「そうか」とつぶやいた。まるでサルワが艦娘になるのが確定事項であるかのうような諦念と悲観の嘆息だった。
「…これはただの質問として感情的にならずに答えてほしいのですが、あの子が艦娘になるのにヴェールヌイさんは反対なのですか」
私の不躾な質問にヴェールヌイはすぐには答えてくれなかった。先ほどのように感情を爆発させまいと黙っている、という訳ではなさそうだ。ただ、思うところはあるようで眉をしかめている。
「そうだ」
ややあってからヴェールヌイは端的に答えた。
「もし、命令権があるとするならサルワには絶対艦娘になるな、と言う。選択肢があるならば選ばないし、防げるのなら最大の努力を惜しまない」
決意が固いことを示すヴェールヌイ。私はそれを了承するように頷いた。
戦力の一点だけで考えるなら、このなんとか抵抗を続けているだけの反政府組織にとって二人目の艦娘の誕生は渡りに軍艦の大強化になるだろう。この冷静なヴェールヌイがその恩恵を選ばないはずがない。それをあえてそうしないのは戦力増強以上の理由があるからか。
いいや、それは考えるまでもない。感情論だ。ヴェールヌイは理性を超えた感情であの幼い夢見る少女が戦う船に変わることを嫌ったのだ。
ヴェールヌイが感情のない冷徹な戦闘マシーンじみた艦娘だと称したことは訂正しよう。この娘にも感情は確かにある。人間らしい感情が。自分の嫌うことを口にした相手の腕をひねりあげ首を絞める感情を。私はそれを身をもって体験したのだ。
「艦娘になんてなるものじゃない」
恨み辛みが込められた言葉だった。過去と現在、そして未来に対する恨みが込められた強い言葉だった。
「…ご自分と同じ境遇に遭わせたくないんですね」
どれだけ努力し、手柄を立て、重宝されようとも、どこまでいっても異物扱いされる。ことさら宗教と血族が対立するこの戦場ではそれはより強く放射される。それをヴェールヌイは身をもって知っている。知っているからこそ『艦娘になどなるものじゃない』と言い切れるのだ。
ああ、と私は自分の頭の回転の鈍さを呪う。深く考えなくても当然のことだったのだ。自分が辛い目に遭っているのだから、他の人が同じ目に遭わないように願う、というのは当然の善意だ。合理性だとか損得だとかそういった底の浅い資本主義的な考えに一喝を与える正しい感情だ。
「…ありがとうございます、ヴェールヌイ司令官」
「いや、こちらこそ、ありがとう青葉」
握手を求めるため、手を差し出す。ヴェールヌイは鉄の表情で、その下にいろいろな感情を隠しながら、私の指しだした手を握り返してくれた。
「帰りはサルワ以外に案内させよう」
そう私に提案してくれるヴェールヌイ。
「理由は、言わなくても理解してくれるな」
「ええ」
情操教育のためだ。サルワが艦娘になることはまずないとはいえ、艦娘である私がこれ以上、あの少女に近づきすぎるのは彼女の心の成長によくない結果を与えかねない。
「でも、それならどうして行きの案内はサルワちゃんだったんですか?」
他愛のない質問のつもりだったのだがヴェールヌイはすぐには答えてくれず、ややあってから口を開いた。
「あの子しか手が空いている者がいなかったんだ」
どことなくバツの悪そうな声。よもや、と私は自分の顔が意地悪げに歪むのを堪えながら聞き返す。
「本当に人手不足なんですね」
「そうだ」
今まで通りヴェールヌイは簡素に応える。だが、そこに私はわずかにだか苛立だちの感情が含まれているのを発見した。
「でしたら、期間限定ですけれど、お手伝いしましょうか」
こう見えて索敵と情報収集は得意なんですよ、という。もちろん冗談。けれど、ヴェールヌイは冗談では済まさない、といった体で私を睨み付けてきた。
「すいません。悪ふざけが過ぎました」
無感情だと思っていたヴェールヌイにそれがあると分かり、その反応が面白かったのだ。だが、言葉が過ぎてしまったようだ。
「一人で帰るか。情報収集は得意なんだろう」
「冗談ですってば」
「これならむしろサルワに案内をさせた方がいいかもしれないな。艦娘の反面教師として」
それはむしろお願いしたいところではあるが、流石にヴェールヌイの申し出は冗談だろう。
まさかとは思うが今回のインタビューで私が本気だと思ったヴェールヌイのとっぴな発言はすべて冗談だったのではないだろうか。これはインタビューをしなおした方がいいのかもしれない。
まだ、聞きたいこともあった。
机を壊した際、メモや写真を何枚かくすねさせてもらっていたのだ。情報収集は得意。その中に気になる写真が二枚があった。一枚は戦時中、鎮守府で撮ったと思わしき古い写真。六駆の四人と司令官が写っている。件の『陸の出』の海軍司令だろうか。
そうして、もう一枚は望遠で撮られたと思わしき解像度の荒い、暁型一人の写真だ。
「…ヴェールヌイ司令官さん」
写真の艦娘は昔の仲間だろうか。そうなら紹介してもらいたいところ。そういう魂胆もありおずおずと手を上げる。
「ヴェールヌイ司令官!!」
と、
それがまるで合図だったかのように扉が勢いよく開く。あの私を撃った番兵だ。血相を変え、荒い息をついている。
「どうした」
「サ、サルワが、ええと、その、いいから来てください!!」
ヴェールヌイの返答も待たず踵を返す兵士。あの優秀だった彼らしからぬ反応。それだけ混乱しているということか。
ヴェールヌイは一瞬、私に視線を向けたがすぐに兵士を追い走り始めた。私もその後を追いかける。
いったい何があったのだろう。サルワの身になにかあったのか。いなくなった。敵に撃たれた。誤って地雷を踏んでしまった。最悪な想像はいくつも出てくる。ヴェールヌイもその考えに至っている筈だ。だが、彼女の足取りに迷いは見られない。私はその足に置いてかれないようにするだけで精一杯だった。
「こっちです!!」
先に走り出した番兵が声を上げる。そこは拡張中の区画と思わしき場所だった。まだ、電灯の配線を通していないらしく薄暗く、崩落を防ぐ木の支えや工事道具が無造作に置かれていた。そこに数人の男たち…私とヴェールヌイの間で一悶着あった際、なだれ込んできたのと同じぐらいの数の兵士たちがいた。表情や雰囲気もその時と同じく鬼気迫るものだった。
「何があった!!」
大きな声。感情が込められた。けれど、ヴェールヌイのその声に振り向いたのはおおよそ半数だけだった。残り半分は何かを、男たちの間にいる何かに最大の注意を払っている。
注意? いいや、違う。敵意だ。振り向かなかった兵士たちは銃把をしかと握りしめ、狙いをつけ、今まさにトリガーを引こうと全神経を集中させている。
半数の兵士がヴェールヌイの声を無視したのは忠誠心が低い故の行動ではない。もっと己の生死に関するとてつもない緊張が外部の音を遮断してしまっているが故だ。
「司令っ…あ、いや、そのサルワ…が」
「それは聞いている! サルワがどうしたというんだ!!」
数少ないヴェールヌイに反応した兵士がそう伝えてくる。だが、要領を得ない。冷静沈着なヴェールヌイといえど怒鳴り返してしまうのは仕方がないことだ。
兵士は応えるかわりに一歩、その場から退いた。ヴェールヌイを呼びに来た番兵と同じく自分の目で確かめてくれというように。いいや、そうだ。それしか方法がなかったのだ。今、ここで起ったことは彼ら、山岳地で生まれ、そこに住み、そこで戦ってきた彼らにとって初めて目にする光景なのだ。そう太平洋など生まれてこの方見たことがない彼らにとって、それは初めて目にする光景だったのだ。
「あっ、響!!」
はたして男たちの垣根の間からそんな声が上がった。聞き覚えのある声。大人ぶって周りの人たちに温かい目で見られ、それでいて時には確かに長女らしく責任感のある大人の発言をしていたあの声だ。
「あか…つき?」
そう特Ⅲ型駆逐艦ネームシップの暁だ。
暁はヴェールヌイの姿を認めると立ち上がり駆けだした。
「貴様ッ!!」
怒声と銃撃は同時だった。私の時と同じだった。ただ、二度目だからだろうか、ヴェールヌイの動きは私の時よりも何倍も早かった。自らも飛び出すと走り寄ってくる暁を抱きかかえ、そうして身を翻すヴェールヌイ。その動きは男たちの怒声と銃撃よりも早かった。けれど、避けるには間に合わない。嵐の夜の雨風のように激しく銃弾がヴェールヌイの体に浴びせかけられる。
「ぐっ…!!」
短い悲鳴。やめろ、と私たちを呼びに来た番兵が叫ぶ。はっ、と自分たちが何を撃っていたのか気がつき、兵士たちは銃爪から指を離した。
「司令! どいてください!!」「なんでそいつをかばうんですか!」「まさか…!!」
けれど、彼らの感情はそれでは止まらなかった。銃口は変わらずヴェールヌイに守られるように抱かれている暁に向けられ、そうして敵意は暁だけでなく疑念を伴って司令であるはずのヴェールヌイにさえ向けられていた。
ヴェールヌイはダメージからか起上がれないでいた。乱れた髪の隙間から血が流れているのが見える。
暁はヴェールヌイに抱きついたまま泣きじゃくっている。混乱の極みにあり、大きな鳴き声を通路に響き渡らせている。
「お、おい、やめろよ。銃を下ろしてくれよ」
おずおずと私たちを呼びに来た番兵が前に歩み出てきた。腰がひけている。仲間たちのものとはいえ無数の銃口の前に立つのは恐ろしいのだろう。
「頼むから銃を下ろしてくれ。なぁ、頼むからサルワを撃たないでくれよ」
弱々しい懇願はけれどいきりたった仲間たちには届かない。ああだ、こうだともはや理性的な会話などなく、ただただ思ったことを口々に叫んでいるだけだ。爆発寸前の火山決壊寸前のダムのように危険な雰囲気をまとっている。
「し、知ってるだろ。サルワは兄貴の娘なんだ。頼むっていわれてるんだ。サルワに何かあったら天国の兄貴に俺は、なんていえばいいんだ」
情に訴える言葉も罵詈雑言にかき消される。番兵は震える手つきで銃を腰だめに構えた。その十倍の銃口が彼に狙いを定める。いいや、彼の後ろの司令官、その腕に抱かれた暁に向けられる。
どけ、と誰かが叫んだ。番兵はどかない。
どけ、と誰かが叫んだ。そいつは敵だぞ、と。
番兵は振り返り、自分が守ろうとしている少女の顔をみた。
誰だこいつは、という疑問府が彼の顔に浮かぶ。姪の顔じゃない、と思ったのだろう。続いてゆらりとその瞳に炎が揺らめいた。敵意の炎だ。その炎に炙られたかのように男はよろめき、倒れるのをこらえるよう、横に一歩踏み出した。
「た、頼む。サルワを撃たないでくれ」
男は顔を上げもう一度懇願した。けれど、その声は先ほどよりもさらに弱々しく自信がなく、もはやただ同じ言葉を繰り返しているだけのようにしか聞こえなかった。
「違う」
そして、男の自信と勇気と約束を打ち砕く決定的な声が上がる。
「そいつは敵だ。政府軍の参謀だ。見せられただろう。作戦会議の時。最重要標的。政府高官と同列。絶対に殺す必要がある標的だと」
仲間の説明に男は何も言い返さなかった。それが事実であると彼も認識していることを何より如実に表している。
ううっ、と腹痛をこらえるようなうめき声を上げて男は仲間たちのために道を譲った。最大の敵を殺すために。
道が空き、銃を構えた兵士たちは示し合わせたように一歩前に進み出だ。さらに一歩。もう一歩。まるで地雷原を進むかのように一歩一歩、歩みを確かめるような歩き方。無限の荒野を進む予言者のような歩みだ。けれど、実際、その歩みは数歩で終わる。
「ううっ、ううっ…な、何よぉ」
無数の銃口がおびえた顔の暁に向けられる。
狂気にでも犯されていなければ、その幼い顔に銃を突きつけるなんてことはできないだろう。けれど、彼らは狂気には取憑かれていない。怒りと恐怖―敵意にて少女に、おびえた艦娘に、暁に銃をつきつけているのだ。
暁の瞳が銃口をのぞき込む。地獄を思わせる黒い穴を。
――撃て、と誰かが叫んだ。
――撃つな、と誰かが命令する。
血と土埃で汚れた腕が持ち上がり、銃の先端を掴み、のける。司令、とおびえた声を兵士の一人があげた。
「この娘はサルワじゃない。もう、サルワじゃない」
ヴェールヌイは膝を震わせながら、銃を掴んだままゆっくりと立ち上がった。通路の隅で魂が抜けたようにへたりこんでいる番兵に視線を向け、そう事実を告げる。
「それに敵でもない。政府軍の参謀を務めている彼女とは同艦だが別人だ」
次いで敵意と疑心暗鬼に支配されている部下の兵士たちを見やった。落ち着けと威厳をもって制止にかかる。
そうして、最後に自分の腰に怯えた調子でしがみついている艦娘に視線を向けた。
「この娘は暁。いま産まれたばかりの私の姉妹艦だ。サルワは…サルワは私と同じ艦娘になった。なってしまったんだ」
ヴェールヌイの頬に涙が伝わる。先に流れていた血を洗い流し、混じり合ったしずくが暁の顔の上に落ちた。
誰も彼もが戦意を失い、うなだれるだけだった。
結局、私が反政府軍秘密拠点から解放されたのは三日も経ってからだった。この出来事のせいで兵士たちは大混乱に陥り、ともすれば内部崩壊の危険さえ起りかねない状況になっていた。徹頭徹尾、艦娘であり部外者でもある私はその間、まさしく不当に拘束されていた。この混乱を第三者、とくに政府や軍に漏らすのではないかという懸念の為だ。
記者という肩書きも悪影響を与えていたのだろう。私を処刑しようという意見も出ていたようだ。そうならなかったのはヴェールヌイが兵士たちを説得してくれたからだ。
それ以外にも彼女は現場の混乱を抑え、兵士一人一人に状況を説明し、彼らの意見も聞き入れ、部隊をあるべき姿へと戻していった。司令の面目躍如といったところか。
反抗戦線は彼らなりの日常を取り戻し、次なる抵抗作戦に向けて動き出していた。その邪魔になるため、私は追い出されてしまったといった感じだった。
それは彼女も同じだろう。最大戦力の新兵、特Ⅲ型駆逐艦一番艦・暁。
「ふふん、見送りってちょっとレディっぽくない?」
得意げな暁に、そうですね、と適当な相づちを返す。
現在、暁には私の見送りの任務が与えられている。司令直接の指示。もっとも見送りは秘密施設を出てすぐのところまでで、暁には街へ続く道まで案内するという命令は与えられていなかった。いや、実際それは無理だ。サルワならできただろうが暁には無理だ。サルワの記憶はもうこの暁にはほとんど残っていないだろう。上書きされた駆逐艦としての情報がサルワの時の記憶や感情、あるいは魂と呼べるものすべてを消してしまっているからだ。これも含め、ヴェールヌイはサルワに艦娘になって欲しくないと願っていたのだろう。
だが、もう、それは後の祭りだ。悪意ある神の采配によってサルワは彼女自身の幼い願いの通り艦娘になってしまった。彼女のもつ縁を辿って。
「……」
縁。その言葉に引っかかりを覚え、思案する。縁。えにし。関係性。因果。帝国海軍の船舶との。それは一世紀近くを経た間接的なもの、だけと断言できる根拠はない。ならば。
「……まさか」
あるいはその縁とは司令のヴェールヌイ自身ではないのだろうか。艦娘が辿る縁とはかつての帝国海軍の船舶に連なるものだけとは限らないのかもしれない。現在の艦娘との関係もまた立派な縁と呼べる。その縁を辿りサルワの体に暁の魂が降りてきたとすれば…
だとすれば何という皮肉であろう。あれほど願っていた自分自身が導火線だったとは。胃がきりりと痛み、やるせない気持ちになる。
「どうしたの青葉?」
かつてのサルワと同じく純真そうな眼で暁は私を見つめてくる。大丈夫ですよ、と適当にあしらう。
「そう。ならいいけれど…」
歯切れの悪い言葉。思うところあり、どうしたのですか、と問い返す。
「うん。実はひび…司令官も同じような顔してたの」
私と違い胸の内を明かしてくれる暁。
「この前、お茶を持って行ってあげた時に見たの。部屋で泣いてた。『暁、ごめん』って」
足を止めうつむき加減になる暁。私も足を止め、彼女に向き直る。
「私、別に響に謝られるようなことはされてないと思うんだけれど…どうしてかな?」
その疑問に私は答えられなかった。
答えを知らないからではない。知っているからこそ言えなかったのだ。
ヴェールヌイの暁に対する謝罪は自責の念だ。絶対に艦娘にはさせないと誓った筈なのに、それを反故にしてしまったという自責、それ故の謝罪。その中には自身が暁に繋がる縁になってしまったのだという推論も含まれているのかもしれない。
実際、サルワが暁になってしまったのはヴェールヌイの責任ではない。縁を繋いでしまったのは完全に不可抗力だ。しかもそれはただの推論でしかなく、加え、そもそもサルワの変異は事故も同じ人知の及ばぬ現象なのだ。サルワが暁となったのは客観的に見れば不運としか言い様がない。
だが、彼女は運が悪かったなどといわず、自分を責め続けるだろう。すべて己の所為だと。
直情的に。非論理的に。感情的に。『暁、ごめん』と。
いや、それはすべてではない。それはこの私の見送り役の暁に対する理由だけだ。もう一人、そう、もう一人、ヴェールヌイが謝罪する暁はもう一人いる。
政府軍の参謀をしている、そうして、おそらくヴェールヌイと同じ鎮守府出身の暁だ。
政府軍参謀を務める暁がヴェールヌイの『姉』という言質は取っていない。だが、ヴェールヌイの態度、政府軍と反政府軍の拮抗している戦力、そうしてあの写真から推測するに間違いないだろう。
ヴェールヌイの謝罪にはこの暁に対するものも含まれているように思える。
『暁、ごめん。敵を増やしてしまって。仲間を敵にしてしまって。自分自身を敵にしてしまって。敵になって。ごめん』
ああ、何という状況だ。味方からは信用されず、ともすれば銃を向けられ、敵にはかつての仲間がいる。そうして、右も左も分からない新兵は敵の総大将と同じ艦娘で、その体は自分を慕ってくれていた娘のものだ。
こんな状況で抱く感情を表せる言葉などあるのだろうか。私の貧相な語彙では言い表せない。いいや、どんな心理学者やカウンセラー、詩人にもこの感情は言い表せないだろう。
それは体験者だけが語る資格をもっているものなのだから。
つまりそれは、聞くしかない、ということだ。
「ありがとうございます。ここまでで大丈夫です」
暁の質問には結局、一言も応えず一方的に私は別れの挨拶を告げた。
帰り道は分からないが、なんとかなるだろう。私は次のインタビュー相手にアポイントメントを取るため足早に歩きはじめた。
暁。政府軍参謀役を務める彼女の話を聞けばあるいは、言いようのないこの感情に名前をつけられるかもしれない。
END